音無小夜が不在だとイライラしない。
ボケの一種とも番外とも言える「スカシ」について語りやすいアニメなのだな。ボケはボケだけに定義不能なのだが、「するべきことをしない」という側面がある。「スカシ」は「ボケるところをボケない」というボケである。
ポーカーフェイスは「スカシ」である。悪い手が来ている時にいやな顔をするのがボケだとすると心を顔に出さないのは「スカシ」なのである。ダウンタウンの松本さんなどはこの「スカシ」という「ボケ」の名手なのであるな。人間大砲で弾なのに打ち出されない。街角で天使にあっても驚かない。面白いと評する本を読んでいないのである。
残酷な場面で大人が子供の目を塞ぎ「見るな」と言う時に「スカシ」は発生する。この時、その手が邪魔だと思う子供には「スカシ」はなかなかにイライラさせるものだ。「スカシ」は「格好つけていること」でもある。昔はおしゃれな人を「すかしてる」と冷やかしたのだが、そこには揶揄のひびきがある。つまり「愛」とか「自由」とか「平和」とかをストレートに口に出せない事情とそういう事情への配慮のなさがお笑いの神様を出現させ、おちょくりたくなるということである。そういう「スカシ」は失敗した「スカシ」なのである。
で、『BLOOD+』(TBSテレビ060527PM6~)脚本・森田繁、絵コンテ・佐野隆史、演出・浜崎賢一を見た。なにしろ、スカシ続けるからね。このアニメは。すでに第3シーズンも中盤を越えて、前回は主人公側の需要人物が決定的なダメージを受けて、主人公も圧倒的な不利の状況に追い込まれ、孤立無援のピンチで引いたのだが。つまり、「つづく」になったのだが・・・。
今回、いきなり一年後である。か~。またスカシかよ。キッドが小学生なら泣いちゃうよ。アクションシーンが売り物のアニメでアクションシーンを視聴者の想像におまかせするなんてどんなスカシなんだ。そして、まあ、ともかく、舞台はロンドンに移る。ロンドンの地下道では怪物が繁殖している。主人公チームの生き残りがハンターとして怪物に挑む。という冒頭シーン。おお、心を入れ替えて描写するのかよ。と思うと地下道の現場を見せないカメラに切り替わり、音響だけが響く。そして数時間後のファーストフード店前に。またスカシだあ。
とは言うものの今回はストーリーはテンポよく進行する。なにしろストーリーさえスカシの場合があるからな。組織の壊滅でひきこもりになったリーダーへのケアとか、別組織が着々と陰謀を進行中とか、話が早い。これは主人公が不在だからだ。つまりこの物語の主人公というのはスカシの性格なのである。誰よりも戦うべきときに戦わない。それは戦いなんて嫌いだから。という設定でどこまで不戦を貫けるかという「スカシ」にこだわっているのである。
そういうこだわりの元では後半のアクションにもスカシが続くのだが、ともかく、主人公がいないので戦いは続く。急所を狙わなかったり、止めを刺さなかったり、軽いスカシを伴いながらなので、当然、戦況は悪化する。そして絶体絶命のピンチに主人公復帰。そして「つづく」である。おい、本当に続くのか。来週はまた、一年たってるんじゃないだろうな。
心優しい吸血鬼といえば、深読みすれば、『吸血鬼ドラキュラ』(B・ストーカー)だってそうなのかもしれないが、ブラッドベリに影響を受けた萩尾望都の『ポーの一族』が思い浮かぶ。しかし、けして「スカシ」ではなかった。『呪われた町』(S・キング)や『ドラキュラ紀元』(k・ニューマン)よりは「スカシ」の『ヴァンパイア・レスタト』でさえこれほどスカシはしない。あんまりすかすとスカ(ハズレ)になっちゃうと思いますよ。
月曜日に見る予定のテレビ『下妻物語』(TBSテレビ)
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