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2006年6月 1日 (木)

いくつになっても子供でいてぇよな堂本剛。

キッドは別に子供でいたいと思わないがいくつになっても大人になれません。たとえば背丈なんか。キッドの身長172センチはもはや中人ともいえない。みんな大きくなりすぎ。

今でなくても、ジャイアント馬場さんと立ち話した時は見上げるしかなく、コビトになった気分でしたし、大関高見山とお食事した時は食べられてしまうかと思いました。ああいう大人になりたいものだ。なれねえよ。

今回はグルメツアーですが、半日収録であんなに食べてるのに堂本剛くんはよく太らないものだと思います。ゲストの友近さんは後半は少しふっくらした気がしました。歩道側に剛くん、車道側に友近さんというシーンがありましたが、ああいうところはまたまだチビッコですねえ。ま、男女雇用機会均等法の世の中にはキッドがただ古風なだけかもしれませんが。

で、『堂本剛の正直しんどい』(テレビ朝日060601AM0015~)企画・堂本剛、お手伝い・そーたに(他)を見る。今回はグルメ店の裏メニューという企画。各店舗で剛と友近のミニコントが展開する。待ち合わせの店で倦怠期の夫婦。渋谷ぱっぷHOUSEでは処女牛のミスジ焼き、リブシンマキ焼きでグルメリポーター。代々木COMME CEHZ VOUSでフレンチのオムライスに夫婦の愛してると食べるがかぶるコント(あ~んなし)、麻布長江でサメの唇入り中華風おこげでものまねレパートリー、赤坂ポワソン六三郎で和風豚とろ坦々麺にスナックのママと客コントである。剛くんがプロポーズして友近は絶句していた。余韻にひたっていたのかもしれないが。

「デート」という企画である。日常生活が企画のヒントであることは言うまでもないが、このダラダラ感がすでに企画なのだ。もちろん、主役がいるだけで受け手のドーパミンが出るほどの人気者でなければ成立しない。この手の企画は無数にあるが、お手伝いのそーたにくんが構成を担当した番組だけでも『パパパパパフィー』『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』『とんねるずの生でダラダラいかせて!・・・』などがあげられる。旅行、グルメ、スポーツなど日常的な娯楽をスターが楽しむだけの番組というと安易に思えるのだが、それなりに計算もあり、工夫もある。

『生ダラ』よりも半年早くスタートした『DAISUKI!』(1991)は深夜で松本明子と飯島愛(他)という微妙なキャスティング、アイドルのキューショットを入れたり、地味なミニドラマを入れたりと単に「ダラダラ」はできない作りになっていたが、他の企画っぽい素材よりもたとえば「水族館を見学しながら他愛もない話をする」という部分がなぜか面白いと感じた。人間には様々な欲望があるが「寂しい気持ちから逃れたい」という欲望もあるのだなとキッドは考える。

そういう意味で「デート」の思い出をVTRでふりかえる堂本剛という構図はお茶の間との一体感を体現しているのである。毎週一回おでかけするなんて本当にしんどいだろうなと思える年老いたキッドとしては、しんどいだろうけれど剛くんにはずっと続けてもらいたい番組なのだ。

色気より食い気は子供っぽいイメージを喚起するが、食い気より色気もまた大人でない様子であるかもしれない。グルメでデートはその中間の不思議な場面である。そしてそこはかとなく青春の匂いがかもしだされる。そういう日々を送った人にも。そうでない人にも。おそらく。

金曜日に見る予定のテレビ『レイクサイドマーダーケース』(フジテレビ)

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