なんどめだ→なんどXX→なんどでも。TRICK劇場版。
姑息なお笑いというものがある。姑息な笑いではなく。それはどういうものですかと問われればTRICKシリーズみたいなやつと答えるしかない。つまり、性懲りなくとか、飽きもせずとか、諦めが悪いというか、そういうノリでついにお笑いとなった作品である。
たとえばそれはタマゴが割れるのだが黄身が黄色じゃありません。というオープニングのトリックが色を変えながら、進化していくといったしつこさで表現される。これは構成論的にはフリとオチの関係で説明できる。タマゴが、フリ。割れて変わった中身が出る、がオチである。もっともシンプルな二分割構成だ。人間は意味を把握するときにこうした構成の形式を必要とする。フリオチでひとつの意味に気づくのである。
最初のタマゴの中身の色が緑だと、次に紫の中身が出た場合、(フリオチ)=フリで(フリオチ)=オチになる。「おっ今度は紫かよ」と気づくのである。さらに青になると(フリオチ)(フリオチ)=フリで(フリオチ)=オチとなる。「ああ、もうわかりましたよっ」となるのであるが、さらに金色になり、黒になりで、フリオチフリオチフリオチフリオチ=フリフリオチオチで「なんだかもうまいりましたね」と言う気分になっているところに突然・・・・(現在公開中のネタのために自主規制)という新展開が来る。「くふっ」と笑うしかなくなるのである。簡単なようで相当な実力がないとここに辿り着くことはできない。
で、『日曜洋画劇場特別企画・何度目だトリック劇場版』(2002年公開作品・テレビ朝日060625PM9~)脚本・蒔田光治、監督・堤幸彦を見た。書道教室ネタは「24P」「箱乗り」「恋人募集」「演歌だよ人生は」「パート3希望」であった。姑息だ。
謎の依頼者が呼び出したのは婆メイド喫茶である。依頼者は例によって妙な田舎者風イントネーションで喋る。注文したのはナポリタン。メイドはなぜか韓国語だ。依頼者は隙を見て他人の皿も食べてしまう。あらゆる意味で姑息だ。
再開した山田菜穂子(仲間由紀恵・念のため)が上田次郎(阿部寛・念のため)に突然、正拳突きを入れて倒すシーンがある。唐突で充分、姑息なのであるが、一度、画面から消えた上田が逆再生のように復活してくる。姑息のダメ押しだ。しかも、これをくりかえしのギャグで押す。息詰まる姑息さなのだ。
敵対する自称神001~003が、竹中直人、ベンガル、石橋蓮司である。このキャスティングが姑息である。竹中は窪塚洋介の『魔界転生』(2003)のような衣装で登場するが山田は「小林幸子かっ」とツッコミ。ヨーイドンといったらスタートです。は古典で『I.W.G.P.』のキングも使っていたが、ここでも村長(伊武雅刀)が「はじめといったらはじめてください」とやる。ベンガルは足の裏に目がある。石橋蓮司は『あらかじめ失われた恋人たちよ』(1971)以来の偽盲である。もはや言葉もないほど姑息なのだった。
日本を支配する官僚たちが推進するのが「全国トイレ水洗化計画」である。計画がすでに姑息だが矢部(生瀬勝久・念のため)が派遣される。これが別の意味で姑息。仕事の合間に温泉に入り、姑息。頭部と陰部をぞんざいな修正で消し、カツラであたふたして姑息。逃げ込んだ貧乳をかばわず姑息。崖を「うひゃひゃひゃひゃ」と駆け上る貧乳が姑息。
レギュラーシリーズで山田の少女時代を演じている塚本璃子(現・成海璃子)が、謎の少女・琴美として登場するのだが、もう、これ以上ないというほどの美少女ぶりである。彼女を見るためだけにこの映画を見る人もいるはずで、ま、そこそこ姑息だと思う。
火曜日に見る予定のテレビ『アテンションプリーズ・最終回』(フジテレビ)『ウイルスパニック2006夏』(日本テレビ)の表裏。
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