1547年信長初陣。1548年綾瀬はるかを娶る。
原典である小説『戦国自衛隊』(1971)の作者・イーデスハンソンこと半村良さんは低学歴・低資産・低容姿の人々に優しい視点を持つ作家だったと思う。この小説も当時の自衛隊隊員という社会的にあまり恵まれていない人々が時を得て、生きがいのある人生を送るという話である。もちろん、その後の様々な仮想戦記の元祖でもあるのだが、それから35年、模倣作があらゆる意味で原作を超えられないというのはすごいな。
もちろん、シミュレーション戦記としては多くの傑作が生み出されているのだが、半村版は発想と構成の巧みさが不朽なのである。直接の翻案としてコミック版正・続は次に面白い。角川版映画が次。最近、ドラマ化された『戦国自衛隊関が原の戦い』と福井晴敏の翻案による『戦国自衛隊1549』シリーズが出来の悪さを競う展開になっている。今回は福井版の映画バージョンテレビサイズというわけだ。まあ、そこそこです。
次の三点がチェックポイント。戦国時代おタクを満足させなければならない。軍事おタクを満足させなければならない。SFおタクを満足させなければならない。その上で人間ドラマが描かれていること。ハードルは高い。しかし、半村版はすべてをクリアしているのである。
で、『金曜ロードショー・戦国自衛隊1549』(2005劇場公開作品・日本テレビ060630PM0903~)原案・半村良、原作・福井晴敏、脚本・竹内清人(他)、監督・手塚昌明を見た。まず1971年と現代とでは自衛隊の環境はどのように変化したのかを考えなければならないが、そこにはあえて触れないでおく。平成版では常に憲法9条にかかわる問題がクローズアップされてしまう。これが作品を難しくしてしまうのである。キッドはタイムスリップしてしまえば意識は変容すると考える。郷にいっては郷に従うべきなのだ。だから、自衛隊はもっと素直に戦闘に突入するはずなのである。
軍事的には少数の近代兵器が圧倒的多数の旧兵器との戦闘でどの程度有利なのかという問題がある。これは自衛隊対北朝鮮軍や米軍対中国軍でも十分考慮される要素だ。次に電子兵器のバックアップの問題がある。軍事衛星や、情報を統合する司令部抜きで部隊がどの程度、機能するのかという問題だ。最後に補給の問題がある。燃料、弾薬、食料。孤立した部隊には危機的な問題である。
これらをどうしたかというとネグるのである。スカシなのである。1547年に乱入した第一陣はとにかくこれらの問題を克服し、すでに戦国武将として地位を確立しているというところに第二陣が到着するのである。ドラマはここから始まる。つまり、一番面白いだろうと思われるところはすでに終っているのだ。どうですかね。皆さん。
1549年、信長の地位を奪取した戦国自衛隊は、美濃・斉藤道三と同盟し、石油精製施設まで保持している。さらに、タイムスリップの原因となった超兵器を改良し、富士山を噴火させて関東を壊滅させようとしている。これに対し救援にやってきた第二陣は未来を守るために第一陣と敵対しなければならなくなる。生瀬勝久(3佐)江口洋介(元自衛官)・鈴木京香(2尉)・北村一輝(斉藤家臣)・嶋大輔(曹長)VS鹿加丈史(1佐)・的場浩司(2尉)というキャスティング的にも第一陣不利な戦いが始まる。こんな世の中滅んでしまえという立場を否定するものでなければとうてい受け入れられないアンフェアな展開だ。
キッドが望んでいる展開。濃姫(綾瀬はるか)と偽信長の夜枕合戦。鈴木京香が敵に捕らわれ、拷問逆さ緊縛水責め。大筒によるヘリ撃破。騎馬突撃に対する重砲炸裂。包囲攻城による自衛隊員の共食い寸前飢餓体験。自衛隊の側面支援による包囲殲滅からの脱出劇。陽動作戦による少数精鋭逆転勝利。・・・ふふふ、最後の願いは少し聞きとどけられましたが。ま、殺人が絶対悪という呪縛から逃れない限り、この手の話は面白く作れないという他ないな。設定では現地の人(戦国時代人)を殺傷しないために実弾の発砲は控えなければならないという部分もあるのだ。バカじゃないか。
SF的にはパラレルワールド(多次元宇宙)的発想ではなく、過去の改変=最初の未来の消滅(虚数空間に食われるらしい・・・爆笑)という時間一本道理論である。ま、それはそれで『タイムパトロール』始め、傑作な展開は多いのだが、そういう場合の定番である時間の修復は成った。しかし、戻った未来は少しだけ改変されていた。がないのである。人間は100年後にはほぼ消滅するという宿命を持っていて、100年前の歴史的真実というものはすべて捏造にすぎないのだが、・・・たとえばほんの60年前の戦争のことをあなたはどの程度歴史的事実として認識しているでしょうか。・・・それにしても怨念のようなものは必ず残るのである。そうでなければ夢がない。少なくとも秀吉の朝鮮侵攻作戦がなくなり、半島が平和的に日本の領土になっていて韓流ブームはなかったぐらいのことがあってもおかしくないのだが。ないのである。
1560年に桶狭間合戦である。ただでさえ、信長窮地の戦だ。自衛隊内戦によって、連合中の美濃も痛手を受けている。自衛隊が去った後、突然秀吉になった忍者一人と川波衆、そして三代目信長飯沼七兵衛が今川義元を敗北させることができるとは到底思えないのだが。
ああ、無理だ。無理だ。あらゆるおタクを満足させる『戦国自衛隊』は無理なのである。無理を承知の冒険。キッドは企画者に暖かい拍手を惜しまない。
月曜日(日曜深夜)に見るテレビ『涼宮ハルヒの憂鬱・最終回』(チバテレビ)UHFだけど特別に見逃してくれ。
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