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2006年7月31日 (月)

今の子供は身体は大人だし、心も大人だし、でも先生は子供。

口で言うより、手の方が早いのだが、それは禁じられてしまった。口が達者なら、なんとかなるのだが口下手だ。スキンシップをすればセクシャル・ハラスメントだ。まるでゲームを面白くするためにCP側のレベルを最高にしたMのプレーヤーのような展開。それがハゲかけててウザい小学校教諭の立場というものである。ステータスを下げられるだけ下げるためにあらゆる努力を惜しまない世間が追い討ちをかける。一教師が女性の下着を盗めば、全国的なニュースになり、フォローの下手な教育委員会が探られなくてもいい腹を探られる。「どんな先生ならいいの?」に女児たちは「超イケメン」と答える。そんなこと言われてもなあ。

実在する千葉県八街市実住小学校にディレクターが乗り込み、1年間を追いかけた小学6年生物語である。先生も児童も基本的に顔出しだが、モザイクの部分もある。児童が「目上ってただ先に生れただけ」「言ってることがさっきと違う」「なんでも連帯責任にするなよ」「ウザイ」「キモイ」などと教師に向かって発言している場合とか。しかし、モザイクのない部分でもかなり公序良俗を乱す発言、行動を顔出しでオンエアしており、おいおい、大丈夫なのか、オンエアでこれを見た児童、親からクレームくるだろうとどうでもいい心配をしてしまいました。

取材のきっかけは不良児童に追い詰められた精神崩壊の休養教師がいて、別の男性教諭(43)が学級担任になったということ。ところがいきなり冬服スタート。どんな編集なんだとツッコミを入れておきます。春先に元担任が休養したとして、どのくらい出来の悪い教室なのかを見せるシーンが冬服なのはまずいだろうと思います。この後、新担任も児童に手を焼き、追い詰められ、そして・・・という設定が最初に破綻してるじゃん。ま、とにかく、総生徒数1000人、全36クラスのマンモス小学校で奴隷教諭の教室の幕があがるのでした。それは女王の教室がちょっとした人気を博した2005年のドキュメントなのでした。

で、『NNNドキュメント'06~子供たちの心が見えない・・・教師、17年目の苦悩~』(日本テレビ060731AM0025~)ナレーター・増田晋、撮影・ディレクター・蜂谷菜穂を見た。服従しない子供たち問題にとりくむ教師たちのどうしていいかわかりませんドキュメントである。キッドはある意味、落ちこぼれの掃き溜めと言える専門学校で10年講師を務めてきて、一体小学校や中学校や高校の先生たちはどんな教育してんだよぉと怒り心頭に発したこと一万回だったのだが、まあ、あんたも苦労してんのねと思わないでもない現場の話である。

まず、こうなった原因は『発達加速化現象』であるとするひとつの意見を紹介しておこう。この世には発達心理学というフィクションがあって、そこでは食糧事情の変化により、1980年生まれの子供くらいから、身長などの伸びが加速して発達する早熟化が進んでいると考えられている。つまり「早く大人の身体になる」ということである。さらに情報化社会が発達することによって自我の形成も加速して思春期の訪れが早まるという。つまり「早く色気づく」ということである。簡単に言えば中学生のような小学生が出現するといことだ。ま、キッドは基本的に心理学はその場しのぎの学問だと定義しているのでとってつけた考え方だなぁと思うだけですが。

そこへゆとり教育である。昔の小学生より知識のない心も身体も中学生を小学校の教諭たちが相手するという事態であある。そこで教師たちは「昔のやり方が通用しない」という壁にぶちあたることになる。まあ、理屈は合っていますね。だが、それだけではないだろうと考える。まず、教師たちの未成熟が考えられる。何しろ、職場放棄、困れば泣いちゃう、家庭崩壊なのである。あ~あ。ではあるな。

そこに団塊世代の孫たちがやってくる。平和な時代にギラギラと働き、子供たちを放任した世代。放任された子供たちがテラテラと親になった世代。そしてアボーンと生れた子供たちなのである。すでにホラーだな。さらに必然的な格差社会が到来するのである。インターネット環境が与えられた子供とそうでない子供の情報量は違いすぎるし、教育にお金を惜しみなくかける親と給食費が払えない親でも子供の情報量は違う。情報量の違いはコミュニケーションの困難を生み、子供同士の心のつながりも変容する。そして、加齢してしまったものは死ぬまで成長する天才を除いては状況の変化に対応できないのである。ま、ふつうの教師では困難の克服は無理だな。死に物狂いにならないと。

・・・なすすべもなく、子供たちは中学に送り出される。そういう結末である。もちろん、オンエアをしやすいように少しは交流できた児童もいた風な演出になっているのだが、それはもちろん真っ赤なフィクションなのである。「先生の家庭も崩壊してまして、だからみんなには素敵な家庭を築いてもらいたい」なんて論理が子供に通用するかぁ。NHKスペシャルでは「イラク戦争」のドキュメントをしており、ベトナム帰還兵の問題をちょっと論じていた。国のために戦地に行った若者を人でなしあつかいした反省がアメリカにはある。少なくとも「ランボー」が。人を殺してもいい状態があることを教育者は子供に教えなければならない。その上でなるべく人を殺さないでいる方が幸せだということを教えなければならない。それが人が生きていくための最も重要な知識なのであるが、この国の大人はそうは思っていない者も多いのである。少なくとも大切な知識として教育してないよね。ああ、できることなら国民全員を俺様が一から教育したいものだなあ。・・・おいおい、キッド様。

関連するキッドのブログ『真夜中の少女たち

火曜日に見る予定のテレビ『トリプルキッチン』(TBSテレビ)

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2006年7月30日 (日)

2001年九州地方のツキノワグマ絶滅。

・・・していたのか。クマソの国にもうクマはいませんかぁ。21世紀に入っていきなりだったのだな。ヒトは本当に強いな。クマ皆殺しってすごいと思うぞ。死後の世界を信じないキッドにとって種族滅亡に感じるところはあまりないが、ニホンオオカミは生きているとちょっとうれしかったかな。幻の目撃談、いつのことだったか。さあ、では死後の世界を信じる方のキッドに語らせるか。死後の世界を信じているような奴の言うことだからあまり信用できないが・・・。

まずいですよ。クマはとりわけ、カミですからね。神代と書いてクマシロと読むくらいですから。列島にとってカミはオオクチノカミ系とクマ系があるわけですが、オオクチノカミ略してオオカミはもう滅んでいるわけで、クマまで滅んだら列島は生神不在の地になってしまいます。なにしろ、KamiはKumaの訛りにすぎず、言の葉的にはクマこそがカミの正体なのですから。だから神社というのはクマのモリと書くんですよ。2001年モリ元総理大臣がクマの国発言でクビになるのは神々からの警告だったのです。クマをトーテムとする人々は今こそ、クマのために命を捧げて守りをしなければいかんのです。熊田、熊谷、熊本、熊野、熊井・・・あんたたちのことですよ。そうでないと神風が何をするか、わからんですよ。あな、おそろしや。クマったことになりますよぉ。

最後、だじゃれかよ。ま、カムイの子孫としてもクマが絶滅するのは淋しい気がするものなぁ。ツキノワグマがほろんでもヒグマががんばるかもしれんが、それもまた危ういことだからなあ。もっともキッドはおそらく100年後には死んでいるので、後、100年滅亡しなければ構わんのだよな。キッドが死んだらクマたちよ、共に滅びよう。それもまた美しい話だろう。お前も幻、俺も幻だ。酉の市ではヒトの手を売ればいいのさ。

で、『最後のいっぴき物語』(TBSテレビ060729PM2~)構成・岩井田洋光、演出・栗田信久を見た。ナビゲーターは川原亜矢子である。題材は『絶滅が心配されるツキノワグマがヒトと接触しないための研究をする東京農工大チームがクマ異常出没とブナの不作の関係をつきとめること』『カナダの町チャーチルがホッキョクグマ観光でクマと共存するテクニックを磨いていること』『始祖生誕伝説にクマを祭る韓国人が絶滅した野生のツキノワグマを復活させるための国家プロジェクトを進めていること』『栃木県のクマ愛好家のクマ好きの様子を見せること』となかなかに盛りだくさん。しかし、当然のごとく、散漫な内容になっていた。

それぞれの題材で引きを作り、クライマックスでまとめるというのが基本構成なのだが、成功例としてあげているカナダではクマの絶滅危機の原因が地球温暖化にあり、その点においてはツキノワグマ絶滅との因果関係が不明。とってつけたような成功例になり、捕まったクマがかわいい、クマの刑務所面白い、クマのヘリ輸送風景ユーモラス、やけどしたクマかわいそう、汚れたクマみじめ~というナビゲーター川原のムードだけの感想に流されてしまうという展開。

韓国の例では「動物園のクマを野生に戻す実験」「国家プロジェクトだが放流するクマ八頭」「野生のクマ発見がすでに捏造っぽい」「巨額予算が食いつぶされたような貧弱な計画」「なんだか限りなくやらせに近い演出」と研究者と製作者の粗ばかりが見えてしまい、そういう意味では本当にクマがあわれに思えた。

本来は「九州のツキノワグマはなぜ2001年に滅びたのか」から語りおこすべきだったのだろうが、番組を見る限り、まるで「クマは神秘の動物なのでなぜ滅んだか、分からないのです」と答えているようだった。理由は分からんが滅びた。これもすごい結論ではあるが。とにかく2004年、我が国では生存総数推定1万5000頭ほどと言われるツキノワグマが2372頭、ヒトの手によって殺害処分された。これはテリトリーの重複の結果なのだが、番組ではクマの主食であるブナの不作が原因でクマが人里に接近したためだという結論に達する。研究チームは「ブナの作柄を調べてクマの出現性が高まったら警報を出すシステムを構築したい」と希望を述べる。そうですか。そんなことですか。そうなんですかぁ。なんだか、ツキノワグマ、俺が生きている間に滅びるかもしれんな。と思ったのはキッドだけではないと思う。

作品としては相当に出来の悪いドキュメンタリーなのだが、すでに九州には野生のツキノワグマがいなくなっているということを知らしめただけでも価値はあったように思う。カミのいなくなった土地でヒトが不幸ににならぬように、死後の世界を信じないキッドは不信者ならではの祈りを捧げたい。滅んだ神様へ無理を承知のお願いです。どうか生きているヒトを暖かく見守ってくださりますように。

月曜日に見る予定のテレビ『彼女が死んじゃった(再)』(日本テレビ)

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2006年7月29日 (土)

夜の世界でしか生きられないやつがいる。

「はい、いきなりかわいいかわいいかわいいお尻ですねぇ。このお尻さん、シュワちゃんのヒップと同じくらい魅力的ですねぇ。だぁれですか。この人?」「永井大です。2000年デビューなんで・・・って、先生、お帰りになったんじゃないんですか」「こんなお尻さんが見られるのに帰れなんてこわいですねぇ。恐ろしいですねぇ。まだお盆まで日があるでしょっ」「・・・ま、そりゃいいですけど、じゃ、『結婚できない男』の第一話のDVDでも見ていきますか」「ま、これがウワサの25.4%のお尻さんですね」「・・・・・・・」

で、『黒い太陽』(テレビ朝日060728PM1115~)原作・新堂冬樹、脚本・樫田正剛、演出・麻生学を見た。ハウルに続いてトトロが通過して、一体、どうなってしまったのか、『レガッタ』『タイヨウのうた』という真空地帯にこのドラマである。ああ、また金曜日だ。『タイヨウのうた』だけにしてもらいたいのに、『黒い太陽』、ちょっと面白いのである。さらに言うならば『怨み屋本舗』も面白い。純情→欲情→劣情と際どい方向にスライドしながら情に訴えてくる。三本立てはつらい。レガッタも入れたら四本立てだ。Mステ入れたら五本立てだ。その上、朝まで生テレビでもあった日には、・・・あるじゃねえか。来るよ。アナログテレビがお父さんを殺しにくるよ。

「私はどんどん弱くなる。もっと生きたいと思ってしまう」とエリカが流した涙もかわかぬうちに、「笑子、20歳で~す」と酒井若菜に笑わされてしまうのでは身が持たないのです。しかも禁断の水商売ドラマだぁ。だめだろう。商売敵を主題にしちゃ。絶対に面白いんだから。そして、本当の闇の部分はスルーするに決まっているんだから。デート発覚罰金10万円ですよ。同棲発覚ブログ炎上ですからあ。それにしても、てるてるあしたからバーバラはさんで、これか。どんなグラデーションなんだ。金曜ナイトドラマ。

お店休んで愛人同衾のキャバクラ嬢のバストにぼかしを入れながら、永井大のヒップ乳首はまんまかよ。どこを狙ってんだよぉ。今時、他人の保証人で5000万かぶりってどれだけお人好しなんだよぉ。しかし、永井大の井上和香への惚れっぷりを見ていると、親父もきっと女がらみの借金だと推定。「お店の開店資金が・・・」とか言われたのか。それにしても井上和香、水を得た魚すぎる演技。ダメダメと言いながらしぼりとる方向が見えすぎてる。つまり、「相手の不幸を想像できない」のが性格が良く、「相手の不幸に敏感すぎて悪に堕ちる」から性格が悪いという結果になる、この世界の恐ろしさを露骨に示すのだなあ。擬似恋愛から擬似セックスの苦界に身を沈める涼果りん哀れ。

お店ナンバーワンは滝沢沙織、表の世界の代表が杏さゆりってどんな配役なんだ。そして酒井若菜・・・出番少なすぎ。『木更津キャッアイ』『マンハッタンラブストーリー』とクドカンワールドで確立し『恋の門』で爆発したキャラクターは所詮、仇花。視聴率、売り上げに貢献できなかったホステス扱いなのか。ふえーん、シビアすぎるっす。小野妹子面白すぎたってことですかぁ。支配人はバカだし、客も悪いし、やってられないっすね。モー子。

結局、第一話の主役は伊原剛志ってどんなドラマなんだよぉ。黒い太陽に向かっていくってどんなサタン物語なんだ。夏休みなんですから、健全な青少年に悪夢を見させる方向にだけは向かわないでもらいたいねえ。身体を売ればなんとか生きていけるってのがスタートラインじゃ、哀しすぎる。そしてそそのかさなくてもそういう風にしか生きられない人はいるんですから。いいですか。皆さん、いざとなったら高く買ってもらえそうな肉体を持つ永井大だから贔屓にされるんですよ。そこだけは見落とさないように。

それにしても、『タイヨウのうた』13.8%から6.9%(-6.9%)って日本国民、ジブリに夢中すぎ。TBSテレビは再放送作戦にでたが、トトロなんだから、一週早すぎじゃないか。本気なら、来週、再々放送をやるぐらいにしないと効果ないのでは。今回、『死の観覧車』は良かったのになあ。ただし、エリカの正体知ってからの山田回想、1シーンは少なすぎ、「ああ、そうだったのか」をこれでもかとばかりに押してもらいたかったな。ライバル店強しなんだから、店長責任とってよ。お店の娘は悪くないと思うのよ。

月曜日(日曜深夜)に見る予定のテレビ『ドキュメント'06~子供たちの心が見えない~』(日本テレビ)

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2006年7月28日 (金)

もう、いいかい。(もう、いいよ・・・)

日本の夏は・・・やはり死者たちの夏なんですよね。長かった梅雨も終り、広島、長崎、8月15日と一歩一歩死の影が近付いて、サイレンとともにクラゲがわいてくる。日本の夏。蒼い夏。浜日傘ゆらゆら、スラリとのびた長い足。女の子ってやっぱりいいな・・・って吉田拓郎でしめるのかよ。そりや、反則だろう。それでは先生、お願いします。

はい。私の小指もほどけてきますから、映画を紹介しましょうね。日本では一姫二太郎なんていいますが、これは姉アマテラス弟スサノオの影響もあるでしょうね。南の方では兄妹の伝承があります。特に妹が兄を守るという要素が強い霊的伝承ですね。妹は神霊的なパワーを秘めていて、兄を守護するというコンセプトなんです。今回のお話はそういう伝統を踏まえていると非常に分かりやすいのですよ。まず、兄としては美少年であることが大切です。妹が守りたくなるほどの美しさが必要ですから。もちろん、兄妹ですから、世間知らずの妹はほとんどの兄が美しく思えるのがミソです。そして兄は冒険をするのですが、霊的には弱いので妹がお守りをしてあげるという流れです。時には命を捧げて守るのです。せつないせつないせつないことですねぇ。

今回のお話、かわいいかわいいかわいい妹が登場するのですが、そのお兄ちゃんが、ようやくというか、シリーズを通じて初めてというか、かわいいかわいいかわいいお兄ちゃんなんですね。ギュッと抱きしめてあげたい男の子です。この男の子が幽霊の女の子に誘惑されてしまう。これは牡丹灯篭でおなじみの展開ですね。さあ、妹はなんとかしてお兄ちゃんを守らなければなりません。ハラハラしますねえ。ドキドキしますねえ。私もすっかり妹になった気分になりましたよぉ。さあ、どうなることでしょう。それでは映画の後でまたお会いしましょうね。

で、『午後のロードショー・学校の怪談4(1999)』(テレビ東京060727PM0130~)脚本・奥寺佐渡子、音楽・宇崎竜童、VFX監督・橋本満明、監督・平山秀幸を見た。シリーズ前作金子監督に「美少女を見る目がない」と言われてカッとなったのか、6000人をオーディションして選んだのが豊田真唯(当時9歳)である。キッド的にはロリータ(高校生)、プチロリータ(中学生)、アリス(小学校4-6年生)、プチアリス(小学3年以下)という分類があり、プチアリスは限りなく幼女に近いので、美少女というよりは、美幼女だなと思う・・・ってか。感想もヤバイし、分類もヤバイです。キッドってば・・・ま、とにかく、主役は超美少女丸出しです。

シリーズ1-3と4は微妙に違うという人がいますが、ま、決定的なのは赤い服の少女がお休みってことですかね。それにともなって楽しい妖怪がクリオネテケテケと鼻欠け地蔵、少女人形、霊界電車、海底校舎そしてスケルトンフイッシュと激減して、妖怪大好き少年はスカシに不満爆発です。今回はオーソドックスな幽霊譚ですから。ただし、シリーズ最高のロマンス漂う傑作にもなっています。お兄様愛爆発ですから。あえて言うならホラーサスペンスです。霊能美少女探偵弥恵の推理・・・という展開ですから。

重要な役で笑福亭松之助師匠が名演を披露します。津波の時にひとりだけ関西弁の少年がいて、彼が転校生であるという辻褄が見事です。「死んでるんでしょ」「うん・・・失礼な!」というノリツッコミや、糸出現の熱演も流石というか、芸は年季ですねえ。師匠の少年時代を演じる福田亮太も天才てれびくんワイドで三枚目キャラとして人気を博しますが、理にかなってます。「呪い」や「たたり」ではなくアイスが「あたり」です。おごりですから。

さて誰もが納得の昔の少女、ユキコを演じる森安加代子はオカッパ頭が似合いますが、浅野温子版『サザエさん』(フジテレビ)の5-6でワカメ役を演じているのでオカッパも年季です。今回、主人公がスーパー美幼女で恐怖を克服しまくりますので、キャーコワイ要員として登場するのが、竹島由夏。仄暗い水・・・を彷彿とさせる恐怖のしたたりを電話雑音、人形お迎え、酒蔵逃げ回りで堪能できます。竹島と森安は『みにくいアヒルの子』で共演しています。まあ、大村彩子や末永遥そして小出由華に埋もれてひっそりとですが。竹島は仮面ライダークウガ方面に流れていきます。竹島だけに大切にしたいです。竹島とプールサイドでツーショットの皆川優紀はシリーズ2のハルエこと皆川香澄の妹。2と4をつなぐミッシングリングですね。この他に『ミニモニ。でブレーメンの音楽隊』で高橋愛と共演した高橋愛子とか、『マイボスマイヒーロー』に出演中の渋谷桃子とか。・・・えーと、もちろん、原田美枝子さんとか、根岸季衣さんとか女優さんたちも燈籠流したり、ジュース出したり、渋く怖さを醸し出しているのです。

3は絶叫控えめでしたが、4はオーソドックスな絶叫ありです。同時に写真の少女がポーズを変えたり、ランドセルからカニが出たり、廃線で連れ去ったりと静かな恐怖で押していくこともするのですが、恐れを知らぬ妹はすべてをクリアしていきます。最後なんて絶体絶命なのに・・・泳ぐのかよ!ですからぁ。

はい、いかがでしたか。日本の妹最強伝説ですねぇ。日本の男たちは古来、こうして妹に守られていたんですよぉ。下界では少子化問題があるそうですが、一人っ子の問題点は何よりも妹の絶対数が不足するってことなんですねぇ。妹抜きでこわがりで弱虫で頼りない兄が冒険できるわけがないんです。きっと監督はそれが一番一番一番言いたかったんだと思います。さぁ、もう時間がきてしまいました。縁があったらまた、お会いしましょうねぇ。サヨナラっサヨナラっサヨナラ。

関連するキッドのブログ『学校の階段3

土曜日に見る予定のテレビ『最後のいっぴき物語』(TBSテレビ)

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2006年7月27日 (木)

早く行かないと泣いちゃうよ。(前田亜季)

はい。またお会いしましたね。今日は1997年の作品です。シリーズ三作目で監督が金子修介さんにバトンタッチしています。今日もこわいこわいこわい映画なんですが。ブルマブルマブルマな映画でもあるんですよ。天国に行った私のためにかわいいかわいいかわいい男の子のフルヌードも出てきます。金子監督大サービス。この監督、佐伯日菜子のデビュー作も撮っていますから、カワイイ女の子を選ぶセンスには自信あるんですねぇ。ガメラもゴジラも撮っていますから、特撮、SFX、オテノモノなんですねっ。その上、1986年には『いたずらロリータ 後ろからバージン』なんて映画を監督してるんです。これ、拾ったお人形さんといけないいけないいけないことをしてしまうというエロティックな映画なんですねぇ。はい。もう時間が来てしまいました。映画の後でまたお会いしましょうね。

で、『午後のロードショー・学校の怪談3』(テレビ東京060726PM0130~)脚本・しまだみちる(他)、監督・金子修介を見た。平山監督より美少女選びに自信がありますと豪語した金子監督だが、1から成長した米澤史織を、2からさらに美少女丸出しになった前田亜季をスライドさせていて、余力は幼女役の野口由佳や、チョイ役の小学生たちに注いだらしい。ゆかりんは現役で残っているから慧眼と言えるだろう。運動会のアナウンサー清野優美は『トイレの花子さん』からスカウトしてきたし、タイチの霊に連れ去られたままの足に包帯ブルマの女の子(青島早紀→PRECOCI→?)を~津川雅彦つかみでなく~つかみのホラーにしているところもなかなかのこだわりである。しかし、後に『スィングガール』で上野樹里の隣でアルトサックス吹いてるあすかになってしまった山口明寿香は・・・計算違い? 花子さん(赤い服の女の子)は林政子にスイッチされているのだが、もちろん判別不能だ。

黒木瞳や野田秀樹など豪華なゲストもそろえ、グレードアップしているのだが、ややそろえすぎた感もありました。影の主役とも言える野村宏伸はチョイ役に下降。まだ神木くんはいないので少年たちに美が欠けており、天国のあの人も本当には満足していないのではと心配になります。金子監督、美少年にはこだわらなかったのか。タイチも微妙だしな。その分、西田尚美が「私なんて胸が無いのよ」攻撃で奮闘。人に頼らず、出たとこ勝負パワー。深読みすれば、彼女が青島早紀の成長した現在とも考えられる今回の影の主役なのですね。仲間貧乳のルーツ(堤パクリとして・『新生トイレの花子さん』1998ですから)記憶したいと考えます。

監督チェンジとともに2の翌年とは思えないほど背景の感じが変わりました。田舎の学校の設定なのに妙に都会っぽい感じ。トイレが汲み取り→水洗、校舎が木造→コンクリートぐらい手触りが変化しています。主人公が東京に転校していくので東京ではないのですが、田舎な感じが薄いのです。都会(マイナー)田舎(メジャー)論的展開でいうとこれはNGで確実に興行成績を落とす要因です。気をつけたいですね。ただし、ポケベルが健在だったり、コンピューター=ビル・ゲイツだったり、微妙にレトロな感じもあり、午後のロードショーオンエア時点では現在(マイナー)過去(メジャー)論的展開によりダサいのでストライクですが。またやりすぎでは焼死体バスがあまりにも過去的で、小学校で刃物はあまりにも未来的でここで言及するのをさけたい気分になります。それはシンクロニティー。ついでにゴジラ=骨は監督内でおさまることなので語る必要はないですね。ま、とにかく『鏡の国の小学生たちあるいは亜季』で、ファーストキッスはヒューヒューなんですよね。クラスメートたちは全員見ていた!だから。

今回のあやかし。タイチの幽霊。こぶ平人面犬、のっぺらぼうかあさん、のっぺらとうさん、のっぺらおまわりさん、シャカシャカのテケテケ、縮む教室、罠鏡、野田的人体模型、こわいねんど、ゾンビバス、コピー用紙モンスター、鏡の手、トイレの手、洪水鏡、ボーンゴジラ、妖怪街全部、妖怪塾の教室、妖怪引き出し、妖怪突然運動会、妖怪消滅する校舎、タイチの鏡。ま、ちょっとスペクタクルに走りすぎてなじめないファンもいたし、エロ満載で大好きというファンもいる。賛否両論分かれる3でした。

はい、今回もクレジットロールカットです。マニアな人はDVDボックスってことなんですねぇ。さあ、次はいよいよシリーズの最後を飾る4の登場ですね。しかし、95年から始まったこのシリーズ、96、97と来て、次の四作目は99年の作品です。98年。一体この空白に何があったのでしょう。・・・リング、らせん、踊る大捜査線でしょうか。ホラーブームの真っ只中に学校の怪談が無かったのはとてもとてもとても淋しい気持ちになりますねぇ。さ、その仇、4はどんな風に獲るのか、大変大変大変興味深いです。それではまた明日お会いしましょう。サヨナラサヨナラサヨナラ・・・。

関連するキッドのブログ『学校の怪談2

金曜日に見る予定のテレビ『黒い太陽』(テレビ朝日・ホストものだが酒井若菜に免じて)

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2006年7月26日 (水)

心霊写真・・・いいえ、家族写真でしょ。

10年前のおしゃれアイテムはデジカメでなくてポラロイドカメラだったのだなあ。ま、ポラロイドは今でもそこそこおしゃれだけどさ。写メもないから、盗撮犯人もいなかったし、花火を見ながら阿部寛が新型をメモすることもなかったのだなあ。関係ないけど『結婚できない男』絶好調だな。はとバスガイド(加賀美早紀『鬼嫁日記』→ここ→新人間交差点)を泣かすなよ。夏川結衣まで。

一方、田舎の男の子(阿部大和)は都会から来た女の子(竹中夏美)を「絶対、泣かせてやる」と誓って落とし穴まで掘ったのに最後はいいセリフで泣かされちゃった。昨日に続いて夏休みは田舎の学校です。ただし、映画の中は春休み。4月4日午後4時44分に事件が起こるからです。ま、ロケスケジュール的に都合が良かったんじゃね、とも思いますが。

前回のオープニングのつかみホラー(メリーさんからの電話で空飛ぶサンクスギビングウォーターメロン)と同様につかみがあります。3の金子修介監督は「平山さんはあまり美少女にこだわらないから」と遠まわしに平山監督の美醜に関する趣味の悪さを評しているのですが、それを予感したのか「俺だって何がブスだかくらいは分かっている」と言わんばかりに岸田今日子さんの起用です。天井からしたたり落ちる鮮血。見上げると天井には血文字が「ブス」と・・・そりゃ、岸田さんに失礼だろう。・・・こわいですねえ。岸田さん、途中でもっとこわいことになります。それではまた後でお会いしましょうね。

で、『午後のロードショー・学校の怪談2(1996年東宝映画)』脚本・奥寺佐渡子、監督・平山秀幸を見た。前作に引き続き野村宏伸が出演。今度はなんと坊さんや教師を装う泥棒役である。いや、実は1の後で花子さんと全国怪奇ツアーに旅立ち、資金繰りに困って窃盗犯になってしまったという説もあるのだが。今回の本当の引率者は塾講師の西田尚美なのであるが、これが気絶ばかりしている。人面犬を見ては気絶。骸骨を見ては気絶。きたろうを見ては気絶である。くりかえしのギャグ最高。

今回、花子さんは石丸奈菜美にチェンジしているのだが、判別不能ではあるな。「時のはざま」がテーマの今回。時の狭間って、結局、時間のことだが、この時間って奴は一瞬が永遠であるように感じられることがあり、そういう一瞬には何が起こってもおかしくないという主題なのである。説得の要素として44444ゾロ目を使用。ま、説得力ないですけど。ただし、辻褄の合わないところはいくつもあり、監督はこちらを説得しようとしているわけではない。ってところがポイント。

おそらく『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』(1989香港映画)の影響があり、ラスボスの造型などに反映している。もちろん、幼い恋の物語なのであり、今回は幼馴染をひたすら慕う分裂症気味の女の子(前田亜季)が美少女丸出しなのだ。途中参加の女の子(皆川香澄)はあまり丸出しではないのだが、実は戦前の少女のしぐさを忠実に再現するという隠しネタがあり、また、田舎の少年とどこか似ているという必要性からそうなったのだと思う。監督はそういうリアルがセクシーと考えるタイプなのかもしれない。

しかし、まあまあ美少女の竹中にはピンクのタイツをはかせ、前田は昆虫採集のピンで留めているから猟奇性もそこはかとなくただよい、少年たちの官能を刺激することはしっかりとしている。なかなか職人である。もちろん、そういうことで後ろ指をさされないようにタイムパラドックスな展開の中で、見守る血縁的先祖のエピソードが盛り込まれている。お涙ちょうだいなので充分言い訳が立つのである。ただし、少しつっこむと戦地で死んだおじいさんは本当は死後の姿は若いはずで、おばあさんのイマジネーションでおじいさんにされてしまっているのだなあと解釈をする努力を観客に要求している。ま、勘弁しておきます。

なぜ、勘弁するかと言うと天井を行進する兵隊さんの亡霊たちが登場するからです。ああ、あの中におじいさんがいたのだなあと思うからです。登場する妖怪は鳩時計のテケテケ、ムラサキババア、岸田ろくろ首、笛吹き小僧の翻訳ができる野村、図書館に返却する二宮金次郎、青紙赤紙トイレの手、壁の百顔、火の玉、巨大昆虫採集、からくり人形、時計台もののけ、『小さな喫茶店』のメロディで踊る老夫婦、ムラサキの鏡、聖徳太子の描いた妖怪である。みんな、お疲れ様。

はい、面白かったですねぇ。私は笛吹き少年が笛を吹くたびにとてもとてもとても良かったのですが、皆さんはやはり前田亜季ちゃんがかわいくてかわいくて、頬ずりしたかったのではないでしょうか。「かつらかぶっちゃうぞ」「こたつ出しちゃうぞ」「おすもうさんにサインもらっちゃうぞ」「嫌いになっちゃうぞ」「靴下脱いじゃうぞ」「餃子焼いちゃうぞ」脚本の段階で作者が気が触れているのかとも思えますが、ま、こういう女の子の描き方もあるんですね。ゾッとしますねえ。こわいですねえ。私、本当に震えてしまいました。それではまた明日、お目にかかりましょう。サヨナラッサヨナラッサヨナラッ。

関連するキッドのブログ『学校の怪談

木曜日に見る予定のテレビ『学校の怪談4』(テレビ東京)

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2006年7月25日 (火)

私のこと忘れないでね。(香織=岡本綾)

う~ん。君以外は忘れ去られたみたいだな。それはそうと今日からかよ。『彼女が死んじゃった』・・・もう。ちょっと熱がさめたしぃ。ここからは~夏休みだよ。テレビ東京『学校の怪談』祭り~なんで、来週、気が向いたら語ることにするよ。深キョンといえば『陰陽師2』もあったのだな。なにしろ、深キョンのアレしか見せ場のない映画だからな。なんだか、とてもせわしない月曜日なのだよな。アキハバラ@DEEPもあるし、スマスマは広末だし、これはどれかを早送りで見なければならんな。最近、イズム(松嶋初音)がお気に入りになりつつあるからアキバは見るとして。『陰陽師2』かぁ。またアレだけしか見ないとほとんど本編見てないことになるが夢枕先生すまんです。

さて『学校の怪談』シリーズはファンタジーとジャンル分けしてもいいが、やはりスーパーナチュラルホラーとして鑑賞したいと考える。キングでいえばITだと言えないこともないわけで。そういう姿勢で見ると中々に味わい深い気がするし。

1995年。この夏は『トイレの花子さん』も劇場公開されて、ホラーブームの開幕である。『リング』(高山竜司=原田芳雄)がテレビドラマ化されたのもこの年。吉野公佳=黒井ミサの劇場版『エコエコアザラク』もこの年である。つまり1995年はとてもこわいこわい年だったんですね~。驚きましたねえ。びっくりしましたね。それではまた後でお会いしましょうね。

で、『午後のロードショー・学校の怪談(1995東宝)』(テレビ東京060724PM0130~)原作・常光徹、日本民話の会、脚色・奥寺佐渡子、SFX・中子真治、監督・平山秀幸を見た。10年以上たったので当時12歳小学校6年の小室香織役を演じた岡本綾がNHK朝ドラ『オードリー』の主役を演じたり、飲酒運転の車に同乗したりして時間というフィクションの実力を思い知る展開もある。しかし、岡本綾、小学生にしてすでにほぼ今の顔が出来上がっている。これはすごいな。美少女丸出しである。

岡本綾(生徒)がヒロインと考えると主人公は野村宏伸(教師)でもいいだろう。主役の教師としてこれほど腰抜けの教師もかってなかったといえるほどのキャラクターである。にえきらない態度、決断力も実行力もまるでない。最初に妖怪に出会った時には生徒をおきざりにして先頭きって逃げ出すという失態ぶり。この頼りなさは異常であるが、彼はいじめられっこの過去を持ち、軽い記憶喪失あるいは錯誤をしているという伏線がある。こうしたキャラ設定は子供たちの一人ひとりにもなされていて、演技的に未熟だったり、意図的なぼかしがかけられていて、見逃しがちなのだが、普通の子供たちでもなんらかの深みが読み取れるようになっている。

たとえば杉山亜矢子(綾子)の息子・熱田一は父親を亡くしたトラウマをかかえながら、ブスな転校生(遠山真澄)に「ブス」とは言わず「性格ブス」と言う優しさを持っているのである。その遠山は賢さが災いして友達を作れないでいるのだが、熱田の優しさに少しずつ心を開いていったり、妹なのに自分より可愛い米澤史織をいじめるのだが、妹を助けるために危機に飛び込む勇気を見せたりするというようになかなかにITしているわけだ。双子の町田昇平・耕平は教室でゲロ吐いて登校拒否だしな。

その中で一番分かりやすいのがITというよりもグーニーズ的な塚田純一郎だろう。彼は上級生の岡本綾を一目見るなり恋におちてしまうわけだが、これは岡本が美少女丸出しなので仕方ないとしても恐怖の真っ最中に口説き始めるのである。その口説き文句が「コーヒー牛乳とイチゴ牛乳どっちが好き? 僕はフルーツ牛乳も好きなんだ。それから、貯金は好き?」である。何を言っておるのだ。結末が結末だけに幼い恋のエピソードの殿堂入りは確実だ。少なくともキッドはそのように認定する。

定番である花子さんを小西杏奈が、口裂け女を佐藤勝栄を演じている。基本的には呪術的に封じられていた邪神が封印を解かれて周囲の幽霊、生霊などを巻き込んでのさばるという展開。中心となるのは妖怪インフェルノ。この他に巨人の男の子、笑うベートーベンの亡霊、人体模型、ねんどの手、テケテケな小鬼などが登場。そこそこ笑わせてくれる。死せる用務員はカニなのかクモなのか。実態が謎だ。

はい。こわかったですねえ。花子さんのトイレは男子の小用便器が並んでいましたから男子トイレだったんですねえ。女の子は男子トイレに入ってはいけませんねえ。あそこは可愛い可愛い男の子だけが行くところですからねえ。少年時代の野村くん、可愛かったですねえ。閉じ込められたのは本当は野村くんだったのかもしれませんねえ。そして、今もずーっと閉じ込められいるのかしれないんですよ。あーっこわいですねえ。それでは皆さん、また明日お会いしましょう。サヨナラサヨナラサヨナラっ。

水曜日に見る予定のテレビ『学校の怪談3』(テレビ東京)

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2006年7月24日 (月)

貧乏人は早く死ねというのと同じこと。(老テーラー)

NHKスペシャルが時々お届けする格差社会シリーズ(ただしNHK職員と受信料徴収人の格差は除く)である。由緒正しいドキュメンタリーなので特定個人へのインタビューを中心に展開していく。結論は「今、まさに貧乏人はさらに貧乏になっています。貧乏人は死んだ方がましだと思います」である。さすがNHK救いようのないバカだな。もちろん、バカの言うことだからのほほんと聞いていると本当に面白いのだ。

格差社会の到来はすでに10年ほど前から予言されていた。それは東大卒の子供の東大生と東大卒以外の子供の東大生の比率という非常にシンプルな統計が論拠だった。東大卒の子供でなければ東大生にはなりにくい方向に大きく針がふれ始め、10年前には統計論的に機会の平等があるとは言えないレベルに達していたのである。だからそれ以後の競争社会とは東大生と東大生の競争だったり、高卒と高卒の競争だったり、ホームレスとホームレスの競争だったりが繰り広げられる社会を指していたのである。

お金というフィクションの獲得競争において人間というフィクションは微妙な存在だ。たとえば短期的な利益を得るための人員整理(リストラ)ではお金の確保において人間=無駄という等式が成り立つ。この場合、整理する方もされる方も人間なので、人間の尊厳は破壊される。する方はお金の亡者となり、される方は自殺するのである。年間3万人の自殺は妥当な数値と言っていいだろう。100年で300万人である。こりゃ、たまらんと半分が殺しても生き残る道を選択すれば、自殺150万、殺人150万の社会となり、国家というフィクションとしては荒廃した領域に入る。そういう例え話をリアルっぽく語るNHKスペシャル。ああ、面白い。

で、『NHKスペシャル・ワーキングプア~働いても働いても豊かになれない~』(NHK総合060723PM9~)取材・加藤洋(他)、ディレクター・板垣淑子(他)を見た。日本における統計学や統計力はかなりの水準に達していると考え、番組内でとりあげた数値をうのみにすると生活保護水準以下の暮らしをしている日本の世帯は400万以上。日本全世帯の10分の1ということになる。生活保護=極めて貧乏と考えると、10人に1人が極貧なのである。これを学校で考えるとクラスに三人は極貧がいてもおかしくないということで、少なくともすんげえ貧乏一人ぼっちじゃなくて良かったな。ということになる。

しかし、その組合せによっては大変に危ない状況も想像できる。理想は頭のいい男の子、力の強い男の子、美少女の三人が極貧で、担任にも恵まれクラスが彼らをめぐってさわやかに助け合ったり慰めあったりする青春ドラマが展開していくことである。逆に、三人がそこそこ頭も良く、そこそこ力が強く、しかも欲望ギラギラの男の子三人だったとしよう。彼らは徒党を組み、男子からはカツアゲ等で金品をまきあげ、女子はかわいい順にレイプして輪姦してシャブヅケにして援助交際を強要するのである。身の毛もよだつモラルハザードである。ざっと計算してみると全国で2500ほどのクラスが現実にそうなっている可能性が高い。ちなみにどういう計算なのかは企業秘密なので教えられない。

かって直木賞作家の胡桃沢耕史先生に出身地を問われ答えると「うーん、スケソウダラと並ぶ貧乏の代名詞だね」とシュールな感想をいただいたことがある土地(ヒント:北千住の南)の生れであるキッドは貧しさというのをある程度理解しているつもりだ。夏になれば、赤痢とかも発生する。クラスメートが夜逃げで突然いなくなったりする。進学率が周囲の平均値を下回る。しかし、キッドたちの世代は明るく楽しく生きてきた。そういう時代だったのである。しかし、今の貧乏は底が知れない恐ろしさを持っているようだ。それは情報の質量の変化と無関係ではないだろう。

生活に必要なものを100円で買う。100円から儲けを生むために生産者からどれだけ搾取すればいいのか想像もできない。5円も払えば納品できるといった世界ではないのか。そして、それでもやっていく世界60億人のサバイバルレースなのである。下手をすれば1000円でまずまずのスーツが買える流通機構がある。そこにかっては年間200着を仕立てた老テーラーが登場する。仕立て直しが1000円である。太刀打ちできねえよ。かくて年収が月の生活費を上回る金額になる。病院にはアルツハイマーの老妻がいて、介護保険料の倍額増、医療費負担増が追い討ちをかける。あげく生活保護を受けるためには100万円の貯金(妻の葬儀費用預金)を解約しなければならない。そしてタイトルのセリフになるのだが。そうですよ。死ねばぁと言っているみたいですよ。世の中は。

この他、顔出しで登場するのは東北の10人家族の農家、長男が現金収入確保のために建設業で働いているが、最近仕事がなく、納税できない。高卒就職でリストラされてホームレスとなり、住所不定のために仕事の面接に行く資格もない男性、経験のある警備会社勤務を希望するが求職なし、そりゃ住所不定の警備員は成立しないわな、建設現場の職があれども現場までの交通費がないという涙。さらにホームレスでは崩壊家庭の子供がそのまま放浪し雑誌拾いで小銭稼ぎ、コンビニで焼きそば食うの悲惨。子供を二人持ち、妻病死、リストラされてアルバイト三昧、子供を塾に行かせる費用もない男性の苦悩。そして顔を見せない養護施設にはお先真っ暗の親なし子供の群れ。

これが人間社会なのか。いや、野性の王国です。そして、番組は格差社会の上位に位置すると思われる大学教授ら知識人によってしめくくられる。曰く「10パーセント沈殿社会です」「もはやこの社会は荒廃している」そして「トライして負けたのならしょうがないが、トライもできないというのはまずい」である。あはははは。お前らが言うな。キッドは教育者として専門学校生に「君たちは社会的にはすでに敗者寸前、死にもの狂いになってがんばっても生き残れるかどうか分からないポジションにいる」と言い続けて10年。多くの若者の心を傷つけてきましたが、間違っていなかったと考えます。

しかし、絶望は愚か者の結論だ。楽しく生きていく方法はいくらでもあるはずだ。生活保護を受ければ憲法25条の保障する最低限の生活を楽しむことができるのであり、少子化などという納税額や奴隷の数が維持できない問題を心配する役人をあざ笑えばいいのであり、極貧を逃れたくば海を越えてやってくる凶悪なアジアの犯罪者を見習えばいいのであり、地獄も住めば都と思えばいいのである。つまり、そうとでも思わなきゃやってられない人がいるんだなぁということです。

火曜日に見る予定のテレビ『学校の怪談2』(テレビ東京)

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2006年7月23日 (日)

泣いて山本を切る。(おだいばZ会)

不祥事である。醜聞である。悪事発覚である。しかも、法治国家である限り違法行為は慎まねばならず、違法者は断罪糾弾しなければならない。これに異を唱えることは困難だ。しかし、歯止めは必要だろう。懐疑は許されるべきだ。そして情状酌量も。・・・そうなるとこれは戦いである。戦いとなれば血が流れるのである。これは不毛だ。世間の風は冷たい。消費者の目は厳しい。そして関係者は断腸の思いなのである。

連座制度や全体責任が個人主義の浸透とともに薄れつつあるが、心情的にも理屈の上からでも、周囲の者に迷惑が及ぶことは加害者家族という言葉が象徴するように現存する。殺人犯の親や子はいたたまれない。しかし、オーム真理教の家族のように共犯性や利益享受の疑いも生じるし、いたたまれないではすまない場合もある。管理責任や監督不行き届きという微妙な問題もある。そして熱しやすく冷めやすい無責任な野次馬や暴徒に対する対処という作業もある。

24時間働けますかという歌が流行していた頃、ほぼ24時間働いて、気絶するように眠るだけの日々に突然、関係者が不祥事を起こしたときにはただ呆然とするばかりだった。不祥事をフォローするためには気絶することも許されなくなるのである。今、密林から遠望するだけの身としてはただ、同情するしかないが、スケジュールが狂い、眠る時間も食べる時間も奪われた無実の人たちの作業。納品した作品を再編集し、穴を埋め閉じる工程。そして責めるべき相手を愛ゆえに責めきれぬもどかしさ。さらに関係者として大衆から謝罪を求められる理不尽さ。すべての不運に耐える人々に心からエールを送りたい。がんばれ~。もう夏休みだから~。

で、『めちゃ²イケてるッ!』(フジテレビ060722PM0757~)構成・伊藤正宏(他)、隅々に至るまで内容に関しての総責任者・片岡飛鳥を見た。出演者のクレジットでレギュラーを示すおだいばZ会から極楽とんぼの山本圭一が消えている。この責任も彼が負うのである。つらいか。つらいのか。暴論を申せば、淫行は淫行、お笑いはお笑いで今日のオンエアに山奥(大奥のパロディーで山本が笑わせるが笑われるのが嫌いな殿様になり腰元メンバーを指名しギャグを実行、笑ったらくさい刀でお仕置きというミニコーナー)があってもいいじゃないか、とキッドは思うのだが、吾が祖国で責任を負う者にはもちろん、そんなことは出来ないのである。そんなことをしたら、女性だから心にも身体にも深い傷を負ったすべての婦女暴行被害者とその家族に申し訳ないに決まっているからだ。そして、番組に癒しを求めてくる罪なき視聴者に嫌な思いを抱かせる可能性も高い。表現者としては嫌な思いも生きている証拠という考え方もあるが、それでは巨大なビジネスは成立しないからなぁ。そして苦楽を共にした幾年月を塵芥にしてしまったのは本人の不始末に他ならないのだからなぁ。

物議をかもしてきた番組である。お笑いの核心にボケがあるかぎり、物議はかもすのである。パイ(常識的には食物)を顔面をドロドロにするための道具(ボケ)とするパイ投げの古典を例にとるまでもなくそれは明らかだ。お笑いの神に身を捧げれば、身内の不祥事こそお笑いに還元するべきなのである。これまで数々の前例もある。だがはたして今回はほとぼりのさめることがある問題なのだろうか。それは不明だ。しかし、少なくとも今回に限って言えばそれは語るも愚かな無理なのである。欽ちゃんは山本が職場復帰するまでの責任もあると言ってのけたが、番組としては現時点では沈黙を守るしかない。

迷惑な話なのである。山奥では尼さん役をカンカラの鈴樹志保が務めていたが、カンカラというお笑いグループをどれだけの人が知っているのか、その得意なキャラを愛していたファンがどれだけいたか。ということを考えるとそれが今、失われたことはトフラー夫妻の言う新たな統計原理をもってしても計量できない損失なのである。一つの番組の一つのミニコーナーでこの損失である。おはスタとか、ササキ研究所とか、東京タワーとかで失われた損失などはこわくて想像できないほどだ。

それでも番組は「・・・というわけで今回はいろんなことをふっとばしてエンジン全開で冒険し続けるおすし屋さん」というナレーションで始まる。いろんなことをふっとばして「やべっち寿司」である。来店者は松居一代(清掃好きな妻という良識の象徴)をスタートにダンドリ。娘(平成生まれっぽい)、ブラックマヨネーズ(ハゲ)とルーガ小出由華(年の差交際の象徴)、ケンタロウ(広島風お好み焼きを作る)、そして浅草キッド(ハゲでありいかがわしい商売の象徴)とまるで、計算されつくしたような暗喩の連打であるが、まあ、幽霊の正体見たり枯れ尾花かもしれないが。しかし、いろんなことをふっとばしているからな。

フジテレビのテーマパーク展開であるお台場冒険王の告知が彦摩呂や松野明美などによってレポートされるというミニコーナーが挿入される。山本の消滅により、展示物などにも大きく変更が加わると思うが、山本のふられた女性の写真展示など悪趣味で物議をかもす素晴らしいお笑いを作る努力も仇花となる。だからこそ、スモウライダーや油谷さんなどの山本シンボルがことさらにクローズアップそれているのが物議をかもさないせめてもの抵抗のようにも見える。

「近くへ行きたい」は『遠くへ行きたい』のパロディー(テーマソングは替え歌でデューク・エイセス)だが、ハゲ岡村と出っ歯矢部のコンビが近場でブラブラするというこれ以上ない安易な企画の第二弾である。前回の下北沢に続き、今回は自由が丘を舞台とする。テレビガイド誌上に掲載されているので、これが穴埋め企画でないことは確かなのだが、なんとタイムリーな穴埋めっぽい企画なのだろう。しかもオカジューだ。自由なのである。そしてこの世は不自由なのである。

今回はナインティナインの二人が関係者一同の心を代弁するかのように淡々とそこはかとなく面白いめちゃ²イケてるッ!の世界を形成した。メンバー間の友情さえもをお笑いに変えてきたこのチームが命果てるまで道を行くことを祈りたい。少なくとも「来週も見てね」とお願いされる限り。あなたたちの喜びが視聴者の喜びであればいいと思いながら。

どんなフィクションを作っているものも現実というフィクションの影響を受けることはある。いい影響もあれば、悪い影響もある。『純情きらリ』の主人公が『コンクリート』の主人公と現実でどうであろうと、作品には無関係と言いたい気持ちもあれば、そりゃ無理だろう。もはや『欲情どろリ』というイメージは逃れられないから。という感想もある。まして、個人的言説でブログ炎上の時代である。バカはほっとけという考え方もあれば、許しちゃおけねえという思いもある。芸能ニュースを見ていて、今、視聴者として思うことは辻ちゃん、早く元気になってね・・・だ。とにかく誰もが良かれと思って生きていると信じる他に道はないではないか。

関連するキッドのブログ『めちゃイケ・濱口勝ドッキリ!』

月曜日に見る予定のテレビ『学校の怪談』(テレビ東京)

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2006年7月22日 (土)

相武紗季VS若槻千夏。小学館風味で。

プロ野球オールスター戦でフジテレビがめざましテレビ実況展開。アヤパン、中野アナなど入り乱れてのコメント交錯にちょっと楽しかったが、その間に赤星がSHINJOの真似してジャンピングキャッチしているのに誰もかまってあげず、可哀相だったのね。パ・リーグに清原とSHINJOという二大スターがいて、ずっと注目されて試合はセが勝って、いつの間に実力のセ、人気のパになっちまったのか。読売の人たちには少し考えてもらいたいの。今日のワンコからのお願いなの。スポーツはドラマなのよね。

で、スポーツのドラマなのだが、原作者は野球をテーマでそこそこくだらなく、大学生くらいのラブコメからコメディーを抜いたなんとなくありそうストーリーが得意の人。そして小学館。それはタッチ以上にはならないテイスト。男の子視点の少女マンガ。なよなよしすぎなんだよ~展開。しかも種目はボート。こ、こりゃ、辛そうだ。

さらに思い切ったキャスティングである。速水もこみちは通る道としてはそろそろということだったろう。原作のキャラは無口な男でありごまかしの効く範囲。しかし、ヒロインと準ヒロインはかなり問題がある。この作家のヒロインはパーフェクトレディーなのである。美しく、才能もあり、性格的にも問題はない、そんな女性が愚かな男に傷つけられ、ふりまわされ、それでも愛をつなごうとするけなげさを持つ。そんな女いねえよ的男の夢ですヒロインなのだ。それをゴールデンでは万年フラレ役でここまで来ている相武さんと中山ヒデちゃんにマンピコされてコラーッと言っている若槻さんでは・・・無理がありすぎじゃね。役を演じるから女優論者のキッドとしては不本意なのだが、あまりにもハードル高すぎなのであるよ。

で、『レガッタ~君といた永遠~』(テレビ朝日060721PM9~)脚本・江頭美智留、音楽・大島ミチル、演出・新城毅彦を見た。脚本は『1リットルの涙』からここへ。高校生の悲恋は描けたが、大学生はどうかな。音楽は『CAとお呼び!』とかけもちであるスポーツドラマの担当の記憶がなく、このスコアは無難だけどノリがいいとは言えない。ドラマ的競技の部分ではおそらくBGMが命なのである。古い話で恐縮だが映画『ロッキー』がその証拠だ。ハイスコアをたたき出してもらいたいものだ。

さて、原作的には青年コミックなので主役はもこみちである。しかし、テレビドラマとなれば相武と若槻への比重は高まる。そういう意味で二人はがんばっていると考えることもできる。嵐の夜、オリンピック級のボート選手が女を賭けて競艇し、元彼が溺死。すんげえありえない展開のトロフィー役でリアリティーを出すのは至難の技だと思うが、今回、真相を聞いた相武の愕然はなかなか見事だった。また、そうとは知らずにもこみちと同棲し、神話的に古いタイプのかわいい女の子を演じる若槻はギリギリ知らぬが仏の無垢の笑顔を表現している。作品のキャラクター設定と演技者のキャラクターのギャップを考えればもはや好演と言ってもいいかもしれない。

相武演じる小田切操がホラー映画が好きというキャラ設定は岩館真里子の傑作コミック『アマリリス』を連想させるが、ここに注目したキッドは窪塚俊介演じる元彼の亡霊が出現した瞬間、そっかー。ホラー・コメディー展開なのかぁと意識を切り替えることにしました。愛とはメモリーですから。もこみちの記憶に蘇生する元彼亡霊の愛こそがゴースト、埼玉県戸田公園漕艇場の幻なのですねっと。こりゃ、面白い。もこみちのピンチに現れてナイスアドバイスをした亡霊窪塚が相武・もこみちラブシーンではどんな行動に出るのか。楽しみだ。出ないんじゃないか。キッド。たぶんね。

だ、だってさ。~君といた永遠~だよ。永遠といえばゴーストでしょ。君って窪塚ブラザーだよね。今、崩壊学級世代が大学生で運動部員なんて輪姦のことしか頭にないし、恋敵埋めちゃうのが大学生でしょ。こんないい話を展開するにはそのぐらいのロマンスがないと無理だと思うのよ。で、ゴースト最初は元相棒と元彼女の幸福を願うんだけど最後はメラメラと嫉妬の炎が燃え上がってきて、ボート部全員、川に引きずり込まれるスペクタクルあって、千夏だけが生き残り、ウエーンと泣くって展開でいいんじゃない。・・・いいわけないだろ。キッド。絶対。

日曜日見る予定のテレビ『NHKスペシャル・ワーキングプアー』(NHK総合)

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2006年7月21日 (金)

不信のとき~ウーマンズ・ウォーズ~杉田かおるは見た!・・・お腹ポンポン。

保険は効いた。でも、こ、これは・・・。語るに足るドラマなのかね。米倉くん。天使に戻ってくれ。なにしろ原作が1968年の風俗小説である。そりゃ、テーマは男と女の話だから現代に通じるところもあるけど、なんか時代劇みたいなんですけど。よっぽど、1968年風俗のレトロドラマにするべきだったのでは。とはいうものの、視聴率は『花嫁は厄年』と12%台で激しく鍔迫り合い。嫁VS姑勝つか、妻VS愛人勝つかのデッドヒートをくりひろげております。ああ、のれない。のれないと言えば『下北サンデーズ』も微妙にのれん。上戸がマジすぎるからかなあ。竹山とも、ジャニーズとも、ラクダとも即やっちゃうくらいの未熟さが下北沢には相応しいと思うのだが、芝居にハマルということ=おみだら三昧という妄想つよしでしょうか。それにしても8パーセントは・・・ま、いいか。裏に怪物民放大河ドラマがある上に「した」に本編より視聴率をとった強力ゲスト来てたし。みんな、泣かないで。

おお、本題からどんどん離れていく。なにしろ日テレの超低視聴率ドラマ(深キョン濡れ場あり)再放送について語る気が満々なのに、2回もすかされているんで・・・。欲求不満かよ。

1968年かあ。携帯電話もなく、デジタルテレビもなく、太陽の塔もない。まあ、古き良き時代だよなあ。それから今日に至り不妊治療は驚くべき進化を遂げているはずだが。その辺りが知らんぷりなんだよなあ。石田純一に夢語られて、福田沙紀にアンルイスを歌わせても・・・ん、福田沙紀かあ。ん、なんだか、萌・・・いや、燃えてきたぁ。

で、『不信のとき~ウーマンズ・ウォーズ~』(テレビ朝日060720PM10~)原作・有吉佐和子、脚本・栗原美和子、演出・林徹を見た。プロデューサーが脚本・演出である。石黒賢が不妊体質のために女性たちに弄ばれるドラマである。昔、田宮二郎さんで映画化した時に女優さんたちの名前がポスターの序列で上位にあり、映画会社に抗議→解雇されるという物議をかもしたのだが、石黒賢さんは大人しくしています。そりゃ、誰が見たって米倉涼子VS松下由樹、で、ついでに杉田かおるで、そしてキッドとしては福田沙紀、石黒賢さんはどうでもいいかあ。なのである。可哀想だ。

福田は上戸の抱き合わせでなく、米倉との抱き合わせにチェンジっていうか、テレ朝→フジと、オスカープロモーションの二本立てだったのかよ。しかも、役柄は石田純一の恋人で路上シンガーって。米倉なみの濡れ場ありですか。それともスカシですか。・・・というような発言も山さん事件の後ではビクビクものだな。不妊クリニックというか婦人科医師と言えば最近、準強制わいせつで逮捕された医師もいるしな。本当にデリケートな問題になってしまうのだよなあ。福田といえば顎だが、下北の山口紗弥加も顎だよなあ、松下由樹さんの二重顎と福田のとんがり顎どっちが好きという質問の答えもデリケートな問題だ。顎フェチの皆さん。ねえ。福田は18歳(虚構内)の役なのだが、実は16歳(実生活)だ。すると石田純一淫行である。あ、もうやばし。ともかく歌手展開続行中の福田は『グッド・バイ・マイ・ラブ』をストリートで歌ったりするのだが、今期ドラマでは沢尻エリカと意味もなくかぶった設定になっている。

そして、杉田かおるは不妊の話題をかくすために突然芸能クイズを始めるのだった。「SMAPとTOKIOとV6、全部で何人?」とか「サザンとミスチル・・・何人?」「チューリップとゴダイゴ・・・何人?」なのだが、誰の趣味なんだ。石田純一の読む朝刊には「××議員、またまた問題発言・・・こどもの国」と見出しがあった。スタッフ、お疲れ様。話題、古すぎ。ま、どうしようもないドラマだと思うが、米倉くんが、今日こそは懐妊と石黒さんをベッドにさそいこんだり、決意のお出かけシャワーをしたり、小泉ジュニアとエレベーターキスをしたりするので、そういうのが好きな人は見ればいいのさ。ああ、やっぱりドロドロだあ。っていうか、テレ朝の松本清張シリーズにはサスペンスがあったけれど、有吉佐和子でドロドロでは恍惚になるばかりではないのかね。米倉くん。

なんだか、けなしているようにとられたらいやなので、ひとこといいます。たのしいドラマです。出てくる女の人はみんなうさんくさくて、こんなせかいでいきていく男の人があわれになってくるほどです。これはもう文学的と言っていいでしょう。『笑っていいとも』でテレフォンショッキングでゲストが盛り上がりすぎて、他のコーナーがつぶれる感じの面白さと云えます。ふう。

土曜日に見る予定のテレビ『めちゃ² イケてるッ!』(フジテレビ)

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2006年7月20日 (木)

祖国の土を踏むまでが任務。無事を祈る。

保険なんて役に立たんな。どうしたのだ。『ザテレビジョン』というか、日テレの編成とテレ朝の編成。『彼女が死んじゃった。(再)』(平均視聴率7.2%)をキッドに見せないつもりなのか。はたまた、なでしこJAPANのW杯予選の中継はテレビ情報誌の締め切りに間に合わない様な急遽決定事項なのかよ。キッドの記憶にはないが、山さんがらみなのかと一瞬疑ってしまったぞ。・・・ああ、山本くん。なんてことをしてしまったの。欲望があってもそれを抑えるのが人間なんだって。でも、ま、仕方ないか。愛を知らないから愛されないのか。愛されないから愛を知らないのかって問題だからな。それでもキッドは山本くんを愛していたのに。もちろん、その愛は何の役にも立たないけどさ。

・・・予告番組を失って路頭に迷いつつ、さまようアナログテレビでは秋田狂女と山本くん吉本解雇の話題がとびかった。2chでは山本くんがやや祭り気味である。せっかく手にいれたポジションを自らの犯罪で失うのは愚かとしか言いようがない。ただし、異性問題なので、複雑な思いはある。それは多くの人々が身に覚えのあることだからだ。もちろん、欲望があっても抑圧するのが大人というもので、社会人というもので、全うな人間というものであることは自明の理。しかし、欲望を抑圧したものが、意志なのか、偶然なのかと配慮する者や、やっているのに発覚しなかった者などは同情やら安堵やら不安やらを持つこと必至なのであるからな。

本当のことは当事者しか知らない。償える罪を償い、できれば芸人としてもう一度チャンスが与えられることを祈りたい。報道関係者の犯した罪がかばわれる時代である。芸人も少しはかばってやって欲しいと言ったら差別なのだろうか。そりゃ、差別だ。しかし、バカをやって笑わせて、お金を稼ぐ種族のすることである少しくらい差別してやってもいいのではないか。いいや、情けは人のためならずだ。ああ、気持ちが定まらない。あ、「情けは人のためならず」は「本人のためにも甘やかさないこと」の意味で記述しています。

で、『ニュースウォッチ9』(NHK総合060719PM9~)ニュースキャスター・柳沢秀夫(他)を見た。特集で「自衛隊のイラク撤収」を取り上げている。一昨日、クェートへの部隊移動が完了しており、ひとまず無事ということでの報道である。海外派兵で一人も死者を出さずに、2年半の任務を終了することは奇跡的な出来事とも天の配剤とも言えることだが、殿(しんがり)=退却戦はもっとも危険な局面であり、祖国の土を踏むまで気を抜かず有終の美を飾ってもらいたい。特集では隊員の無事を祈る家族たちと現地の隊員たちとのコミュニケーションを維持した家族支援センターの活動などを紹介していた。そのような人々が実在することを報道した姿勢は評価したい。しかし、最後の派遣部隊山中部隊長に対する柳沢キャスターのインタビューには疑問を呈する。

まず命を賭けて国家のために働いているものに対する「感謝の気持ち」「敬意の気持ち」を示す言葉がまったくなかった。最初の言葉は「よろしくお願いします」ではなく、「日本国国民の一人として感謝の気持ちをこめてご苦労様でしたと申し上げたい」だろう。日本を代表する報道機関の日本を代表する報道番組のキャスターがこのような常識にかける態度で許されるということにキッドは悲哀を覚える。現地で血を流したかもしれない人に「現地では活動を評価する声と評価しない声がある」と伝えたり「自衛隊ができなかったことに対する反省」を質問することに問題はない。しかし、最初の態度がそういう態度だと質問も愚問に思えてくるし、キャスターの品格にも疑いを感じる。現地で絶命したかもしれない人に「とりわけできなかったこと」を聞き出そうとする態度は腹立たしいほどだ。このキャスターは「NHKの戦場ジャーナリスト」の異名を持つ、湾岸戦争などを現地取材した経歴の持ち主である。同じ命を張ったものとして、気安く話しかけたのかもしれないが、現場の人間と野次馬が違うという自覚さえないのではないかと考える。

どんな現場にも命の危険はある。キッドのようなしがない構成作家だってそういう体験はある。しかし、国家のために戦場で命を賭けて働くものの危険とその他の危険には一線を引くべきだとキッドは考える。それは差別か。いいや、自明の理だ。国家に依存する身である限り、国家のために命を賭けて働くものに好むと好まざるとに関わらず、守ってもらっている立場であることは間違いないのである。靖国神社の問題にも通じるが、そういう自明の理を忘却したり、認識しない者は国家についてどんな意見を述べても虚しいと断ずることができる。つまり、国家のために絶命した者を英霊としない国家は本質的に存在しないと言うことだ。譲れない一線としてこれほど確固たるものは他にないのではないか。

もちろん、国防という観点からその一線を変更することはありえるだろう。無条件降伏とはある意味でその具現である。そこでは国家に命を賭ける行為は無意味なものとなる。なにしろ国家は喪失してしまったのだから。逆に国家が成立する限り、英霊に敬意を払うことは国民の義務であり、責任であることを前提に議論をしなければならない。そうでないものは問題の本質を見失うし、無宗教の追悼施設などという暴論を展開する。故人を偲ぶ行為つまり、死者の冥福を祈る行為、つまり死後の世界を信じる行為が無宗教であるはずはなく、そうした発言が欺瞞に他ならないことを記述しておく。礼節を知らない戦場ジャーナリストには猛省してもらいたい。

ああ、死後の世界を信じる方のキッドが本当らしいことを言ってしまったな。気持ちが敗戦月間モードに入ってしまったということか。複雑な気持ちに沈む中、なでしこJAPANは格下ながらベトナムに5-0快勝である。ああ、いい気分。やはり、国家代表には勝ってもらわないと。もちろん、勝てなくても美しいものは美しいのだが。

関連するキッドのブログ『たけしさん、夏次郎見たよと小泉総理は云った』

金曜日に見る予定のテレビ『レガッタ』(テレビ朝日)ハウル初めてだ。

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2006年7月19日 (水)

哀しい男の詩です。(忌野清志郎)

咽喉ガンには咽頭ガンと喉頭ガンがあり、清志郎さんのガンは比較的生存率が高い方だと聞いた。少し、ホットとする。それがどうしたのだとも思うのだが、そういう時期に滅多に見ることのできない清志郎準主役のドラマである。主役は市原悦子(俳優座養成所出身)さんである。かってお嫁さんにしたいタレントNo.1と呼ばれた市毛良枝(文学座研修生出身)さんを見ようとしてつい市原悦子さんを見てしまいガッカリした経験がある。市毛さんは最近はまる子のおばあちゃんをやったり、富豪刑事の秘書をやったり、すっかり年配なのだが、市原さんはずーっとおばちゃんだったような気がする。

しかし、市原さんは東映動画『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968)のヒロイン悪魔の妹ヒルダの声優なのであってキッドを萌えさせた人なのである。とにかく、声はね。その市原さんと清志郎さんの老いらくの恋の物語なのだった。まあ、これは変態だわ。いや、大変なのだった。タマゴ一個で三人の大人(市原と清志郎と清志郎の不倫の恋人羽田美智子)がごはんを食べるシーンがある。三等分するのにつるっといかないよう白身と黄身をよくかきまぜなければならない。ぐるぐる。ぐるぐる。ぐるぐる。清志郎が市原に「あんた変だ」というのだが、納得の名場面だ。

恋の舞台は江ノ島である。銭洗弁天でマネーロンダリングをするのだが、だから弁天様は嫉妬深いので恋人同士でいっちゃダメだってばさ。やっぱり都民にとって江ノ島は手軽な恋の聖地なのだった。しかし、季節にもよると思うが白昼堂々、江ノ島で投身自殺とか、身投げ心中とか、そりゃ無理があるって。するとどこからともなく、呪文が聞こえてくる。メルヘンですから~。そうか、またもやメルヘンなのか~。

で、『DRAMA COMPLEX雨やどりの恋~うさぎと亀より~』(日本テレビ060718PM9~)脚本・石原武龍、演出・雨宮望を見た。未公開株式の売買、投資失敗による自殺、遺児の復讐、会社倒産、人妻部下との不倫、闇金融の取立て、証券がらみの詐欺とドロドロの清志郎(十億円を取引した男)とアゲパン得意の一人暮らし給食のおばさん(年金給付月6万円の女)が出会い、女が一方的に(おそらく)恋に墜ちるという筋立てである。ああ、セクシーのかけらもないぞ。

しかし、目を閉じるとこれがそうでもないのだな。雨宿りの清志郎を拾った市原が上着を脱がしつつ、「わぁぁ、びちょびちょ。いゃぁ、すごい」である。にわか雨でせんたくものをとりこみつつ「まぁ、いけない」である。急いで走らなければならない事態で「はやくきて、はやく」である。素敵な景色を見て「すごい、すごい、こんなのはじめて」である。市原さん。セクシーだよ。とにかく声だけは。そんなこんなで女に母を求める男と、男に恋人をもとめる女のすれ違いの話は展開していくのであった。

清志郎は海を見つめて「このまま潮に乗ってどこまでも流されていったら楽だろうな」とか、「哀れ秋風よさんま苦いかしょっぱいか」などと哀しい男の詩を連発する。そんな清志郎をめぐり市原が恋のライバル(娘のような)羽田に「どんないい人でもダメはダメ、イヤな人でもスキはスキなのよね」と言うのだが、ちょっとひっかかる。辻褄が合わない。ここは「どんないい人でもイヤはイヤ、ダメな人でもスキはスキなのね」という台詞であるべきだと感じる。この後で恋の応援者(孫のような)小西美帆に「あんな泣き虫でウソツキで(ダメな)男を好きになるなんて」と告白するのでよけいにそう思う。脚本が・・・とも思うのだが、最後の最後で市原が失恋の詩として『ゴンドラの歌』を「命短し恋せよ乙女」と歌うのだが「熱き唇あせぬまに」と続けるのである。「赤き」だろうと思わずツッコミました。この後が「熱き血潮の冷えぬまに」だから目立つ。これは市原さん、ボケてきたのか。誰も間違いが指摘できないくらいに・・・。とちょっと心配になったキッドでした。

細かい男は嫌われるのだが、こういう繊細なストーリーでのほほんと見せるドラマを作る場合、こういう迂闊なことは許されないとキッドは思うのです。これはキバナコスモス、これはヒメジオン、あれはマリーゴールド、ムラサキシキブ、ティゴノハナは匂わないという乙女チックな台詞が台無しじゃありませんか。メルヘンなのか、ボケ老女の話なのか。・・・あ、それは同じ意味なのか。

木曜日に見る予定のテレビしつこく『彼女が死んじゃった(再)』(日本テレビ)あるいは『不信のとき』(フジテレビ)しつこい男も嫌われるのだが。

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2006年7月18日 (火)

(ははははは)そいつはどうかな。(この悪党め)

悪党に裏をかかれて正義の人死亡。と思ったら裏の裏をかいて、どっこい生きております展開。これは桜吹雪とか、印籠とかの一発逆転ワザのヴァリエーションですが、この時は見せ場なのでなんか、もう少し大胆に笑える名台詞がほしかったと思うのですが、そこまで紋切り型になりきれなかったのね。せめて正義の高笑いを心の中のMAでミックスしておきました。地味なんですよ。どん亀さんたら。だって最終回なのに。しかもワンクール15話ってなんて中途半端なんだ。このワクでいい子を演じていたあの娘。のことが波紋を投げかけているのかと勘ぐってしまいます。何食わぬ顔であの娘。を入れたまま本池上署をスタートさせてくれ。あの娘。が見たいのだ。あの娘。が欲しい。あの娘。じゃわからん。相談しよう。そうしよう。

・・・失礼。夏季ドラマが視聴率的に大苦戦しているようですが、W杯、テポドン騒動、秋田狂女と現実の虚構性が祭りと化しているのでしょうがないです。こういう時は頭をたれて嵐の過ぎるのを待つしかないのですな。視聴率ついでに、12.3%でスタートしたこのドラマ。最終回は13,4%と1.1%もあげて終っております。統計誤差プラスマイナス0.5%を考えてもあげてる。ワンダフル。

ちなみに最高は第10話の16.1%、悪役ゲストは渡辺典子さんでした。さすがは角川三人娘。薬師丸さんはそこそこ活躍しているのですが、主役展開じゃないし、知世さんもコーヒーばかり飲ませてないでなんかやらせてください。アニメ『時・・・』とか、ドラマ『セーラー・・・』とか、ソフトは展開しています。ハードの方もいい味出すと思うのですが。三人で『ねらわれた・・・』教師版とかどうですかね。う、どんどんどん亀から離れていくって、どんどんどん亀を書きたかっただけですけど。

で、『特命!刑事どん亀』(TBSテレビ060717PM8~)脚本・安本莞二、音楽・本田俊之、演出・村田忍を見た。ママはスナイパー!とよた真帆のゲストである。いいぞ。これ、恋人がスナイパーよりインパクトがある。とよた真帆、新科捜のウイルスMSに続いてナイスキャラクターである。『ママはスナイパー』を毎週、見せてくれ。倫理的には最終回、吾が子を守って射殺でOK。子育てのためならどんな悪事も許されるという主張で社会を敵に回してほしいぞ。

しかし、まあ、時代劇論理の支配濃い、ドラマなので(悪人なら何人斬ってもOK)、この大問題をかもしだすキャラ設定がすご~く微妙なままスポイルされている。どん亀こと赤い警察手帳と金の手錠を持つ西ヤンが元・部下でシングルマザーになることを選択させた一因が自分にあると感じている射撃の名手・とよたが悪の組織のスナイパーになっていることを知り、一肌脱ぐわけなのだが。「子供のために連続殺人をしている人」を堪忍するのはどんな気持ちなのか。別れた昔の恋人から借金を申し込まれるような気持ちよりはショックが少ないのか。微妙だよなあ。ドラマでは描写されていないのだが、前後を考えるとママは吾が子の育てるお金のために何人も射殺しているのである。これは情状酌量の余地ないだろうと思われるのだが。

キッドは死刑反対論反対論者であり、国家による軍事的殺人反対論反対論者であるのだが、ママはスナイパーの殺人は法的に許されないと考える。殺人を絶対悪とは考えないキッドがそう思うのだからかなり許されない殺人だと思うのだが、そこは時代劇クォリテイーなのであまりつっこまないことにしておく。突然、トリガーに心をこめることができなくなったスナイパーの心理について誰が研究してほしいくらいだ。ゴルゴ13のガクガクブルブルほどにミステリアスだと思う。

偽札犯人、覚醒剤犯人、爆弾犯人、保険金犯人(どんな犯人なんだ)と妙な犯人と対決し続けるどん亀チーム。前回は新発明のスパイ衛星をめぐりテロ組織と対決してたからなあ、どれだけ無差別犯罪撲滅劇場なんだ。そして最終回は犯罪心理学にのめりこみ、高級暗殺業を開業して「一発の弾丸で何億円もの報酬。こんな錬金術ほかにあるか」と豪語する心理学者が黒幕である。これほど劣化したレクター教授をキッドは見たことない。この若林豪はまさに豪。もうお腹がよじれてしまいましたぁ。最後は西ヤンに「両親はいるのか」「いない」「お前が地獄に堕ちるとこを見ずにすんでせめてもの救いだ」「おふくろのこと心配してくれてありがとう」である。「おふくろ」って。キッド爆笑死。・・・復活。

帯ドラマでないためか、それほど浸透しなかったが、主題歌『僕達の舞台』ナナムジカは名曲だと思う。一度カラオケで歌ってみたい。泣きたいのか。笑いたいのか。淋しいのか。口惜しいのか。誰も分からなくていい。すべてが僕の舞台。まあ、そういう姿勢でドラマを作られても困る視聴者はいると思いますが、作り手の一人としてそういう気持ちは分かります。受けなくてもいい。料金は前払いだし。お代は見てのお帰りじゃおまんまの食い上げですものね。手術代がなかったら愛息が死ぬのも金の切れ目が縁の切れ目なんですから~。

水曜日に見る予定のテレビ『彼女が死んじゃった(再)』(日本テレビ)が放送されなかった場合は木曜日(水曜深夜)の『プリンセス・プリンセスD』(テレビ朝日)

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2006年7月17日 (月)

私がいなくなったって、誰も・・・。(お嬢)

今さら、このアニメかよ。とも思うのだが、視聴率2%未満の世界ですが、先週もかなり、面白かったので今週も見てしまいました。今、『サイボーグ009』のプラスマイナス双子の兄弟ネタが何故か頭に渦巻いております。プラスとマイナスの電荷を負った二人のサイボーグ。武器は電撃ですが、二人は手をとりあうこともできない。これはショートしてしまうからなのです。ジョーが加速して逃げるのでつい接近してしまうプラスくんとマイナスくん。見つめあい「近付きすぎたな・・・」ああ、ロマンチック。

もちろん、『週刊少年ジンマガ』発行の談講社(特定のモデルはありません)の五島雄山編集長が鬼哭丸船長の双子の弟だということが原因です。この二人、どれほどはなればなれなのか。原作を超越した五島編集長はどれだけ巨大なドアを開けて入ってきたんだサイズです。あきらかにキングコングなのですが、影から入るのはなつかし鉄人28号スタイル。といっても、初期鉄人より五島編集長の方が巨大なのですが。コミック作家志望の少年が主人公(特に今回は)なのでパロディーネタもなんだかさわやかに感じます。

ありきたりのキャラクター設定とか、類型的とか、月並みなパターンとか脳(ママ)のない評論家が無能の評論をするのですが、現実からの模倣もふくめて創作はすべて模倣にすぎないという原理があまりにも無視されがちなのであえて言っておきます。ちょっとしたボケ、あるいはプラスアルファの加減がすべてなのです。マンガを愛するハリマオ(ターバンなし)・・・トレビアン! 締め出された男、招かれた男、試された男・・・グレート。正統派学園ラブコメディー・・・文句なし。

で、『スクールランブル 二学期』(テレビ東京060717AM0130~)脚本・金春智子、演出・大久保政雄を見た。脚本家はキッドよりちょっぴりお姉さんである。『うる星やつら』なども手がけ、家柄もよろしく、高学歴。なんだかうらやましい。そして、脚本は手堅いのだ。劇場版では『うる星やつら』ビューティフルドリーマー』が彼女ではないほどに原作に忠実であることを宗としているのだ。そして彼女なりにプラスアルファである。さすがに模倣に始まり工夫に終る伝統芸能の血筋である。だから、原作が比較的にアタリで彼女が担当した今回はキッド的にはアタリ判定をしたい。・・・天の配剤なのか。

ピンチヒッターとして描いたマンガが雑誌に掲載されてしまうという夢のような展開に胸躍る播磨拳児が「好きな女の子と同棲する」という自分のマンガと同様に冬休みの間、塚本天満・八雲姉妹と同居することになるという夢のような展開である。この三人、八雲→播磨→天満という恋の追っかけ状態になっている。ハチクロとは違い、胸キュンがクールであるのはやはり少年誌だからですね。っていうか、今日から『スクールランブル冬休み』にタイトル変更すると予想していたのにハズレったっす。

華々しく展開するクラスメートたちから離れ、ほぼ三人で展開する今回。なんか、素敵なのです。ニートのNは日本のN。ニートのNは農家のN。ニートのNは妊娠のN。社交しなければ生き辛いという一般人の社会が間違っているのです。島国で田畑を耕し子を産み育てるそれが日本のあるべき姿じゃないのでしょうか。それってひきこもりですよねえ。冬はこたつでのほほんと・・・って真夏なんだよ。暑いんだよ。現実というフィクションはね。狙いか。それが狙いなのか。

で、冬休みの天満が専業主婦のように見るテレビはレッサーパンダのグータくん。一日77杯のエサを食べ、毎日10センチ身長が伸びて、現在、3メートル以上になりましたって、見たーいの。その動物園に行きたいの。天満は妹と播磨がラブラブだと信じており、理想の男性をメールでアンケート調査。「髪型の変化などに目ざとい」「不味い料理も黙って食べる」「ピンチの時には力強くしかも暴力否定で問題解決」「顔がいい」などをチェックするのだが、ここでクラスメートのものまね披露。天満(声優・小清水亜美)ファンは大満足の展開ではないか。

そして妹さんこと八雲である。あいかわらず、健気な理想少女っぷりがパーフェクト。「来週までに120ページ描いて来い」とかおっしゃる五島編集長にも「俺に一歩もひかなかったのはお前だけだ」と巨神兵モードでその他大勢をふっとばす特別あつかい。20年ぶりのスマイルを引き出し、指先握手を求めさせる。そのにぎにぎぶりがエロゲーをふっとばす、確信犯ぶりだ。劇場公開ならオタが全員息を飲んで一人か二人失神したに違いない。おいおい、キッドそこそこにしとけ。

締めは映画『着信アリ』パロディーである。虚構内は冬なのにホラーネタを配置するところが分裂していてグッドジョブ。夏クールになってもエンディングは時東ぁみの『この涙があるから次の一歩となる』のまま、三学期まで引っ張るのか。曲は名曲だからいいか。オープニング『せんちめんたるじぇねれ~しょん』も名曲なのだが、もうひとつパッとしなかったのはビデオ・クリップがイモすぎたのではないか。メガネッ子の魅力はおもちゃの鼻付き眼鏡への連想の有無が境界線だと思うのだがモロだったからなあ。作品世界への無理解をおタクは見逃さないのであり、つんく♂は何かを見失っている気がしてならない。思い出せ、上京物語の魂を。

関連するキッドのブログ『峰不二子大リーグボール2号を投げる。ファイヤーで。』

火曜日に見る予定のテレビ『DRAMA COMPLEX 雨宿りの恋・うさぎと亀より』(日本テレビ)

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2006年7月16日 (日)

エッフェル塔って富士山より高いのかしら。

牧瀬里穂である。おでこである。美の絶対性を激しく主張するキッドなのだが、昨日、沢尻エリカで今日、牧瀬里穂ということになると、相対的、好み、偏りを指摘される可能性がある。いや、その、別にキッドだけがそう言っているけではないだろう。100人いたら100人が牧瀬里穂を美人じゃないとは言えないはずだ。しかし、そのワクに今は沢尻エリカがいるのである。観月ありさのワクに上戸彩がいて、宮沢りえのワクを石原さとみだの綾瀬はるかだの堀北真希だのが争っているのである。こっちは楽しいけれど向こうは大変だなあ。

えーと、本題からずれているな。ずれついでに・・・このテレビ番組感想文ブログ。一回目は感想していないので、昨日が99本目。今日が100本目である。毎日、毎日、100ものテレビ番組を見ているのかと思うと困ったものだが、楽しいのだから仕方がない。子供の頃からファンレターを書いたことがない。ラジオにはがきを送ったこともない。だから、やらせのハガキを書く時には最初はひどく緊張したものだが、今、キッドがしている作業はファンレターを書くようなもので、それを誰かに公開することが恥ずかしくない年齢にようやくたどり着いたわけなのだな。つまり、キッドの精神年齢は現在、義務教育の中盤あたりにあると思われる。閑話休題。

牧瀬里穂が高嶋政伸の妻役。四人の子持ちである。さらにそれが昭和30年代である。リアリティーを考えるとかなり所帯やつれをしていなければならないのだが、まったくしていない。高校生のような血色である。やつれていないのは牧瀬里穂のせいではない。このドラマがメルヘンだからである。御伽噺の登場人物がやつれていては夢がなくなる。だから、いつまでも可愛い牧瀬里穂で全然OKだ。確認したい人は来週、もはや最終回なのでマイ☆ボスマイ☆ヒーローを見ている人は録画して見てもらいたい。

で、『土曜ドラマ・人生はフルコース』(NHK総合060715PM9~)原作・佐藤陽、脚本・藤本有紀、音楽・千住真理子、演出・赤羽博を見た。帝国ホテル料理長だった村上信夫さんの伝記に基づくフィクションである。脚本家はギャルサーを終えてすぐこっちに来たのだなあ。素早い。ギャルサーもそうだったが、深田恭子主演の『鬼の棲家』(1999フジテレビ)も考えようによってはかなりメルヘンだったわけで、台本作者として参加した劇団カクスコの舞台もメルヘンであり、そう考えるとかなりお笑いの神様に愛されている作者と言えるかもしれない。特に根本におけるノスタルジーの要素(ある意味で現実否定)は強く、それは『ミニモニ。でブレーメンの音楽隊』(2004NHK教育)という傑作を生み出していることからも想像できる。コック修行でフランスに単身赴任した夫への妻の手紙にエッフェル塔のくだりがあるのだが、東京タワーのない時代にフランスに留学していることがもはやメルヘンなのである。ご理解いただけるでしょうか。

番組内番組で『きょうの料理』(1955~NHK)が冨田勲のテーマ曲とともに開始される。在りし日の村上氏が講師を務めたのである。フランスで修行したコックである氏が家庭の主婦むけの料理番組に出演することには内外に抵抗があったのだが、妻の言葉でフロンティア・スピリッツに目覚める展開がある。家庭でできるハンバーグを作り、山のようなファンレターが寄せられる。「先生に教わった料理で姑がほめてくれました」という手紙を読み夫は泣き、妻は微笑む。メルヘンである。そのメルヘンさを強調するのが通りすがりの人々の天の配剤である。夫が家族で買い物、たまたま袖触れ合った子供がテレビを見てコロッケを作り好きな女の子にプレゼントのシーンではカラーレオタードの時代考証性とともにありえないけどまあいいか的展開をしていく。ギャルサーのとんでも展開を裏付ける天才の発露と言ってもいい。あるいはなんか悪い宗教にでもはまっているのではと心配にもなるのである。

カーク・ダグラス主演・製作総指揮の映画『バイキング』(1957アメリカ・日本公開1958)を見て部下がビュッフェ形式のネーミングを思いつくというシーンがある。帝国ホテル(ドラマでは天鳳ホテル)の食べ放題サービスがバイキングと呼ばれる由縁である。ものすごいパクリ秘話である。これも牧瀬が映画のタダ券もらった。高嶋多忙で行けず、部下にプレゼント。部下ネーミングを得るという天の配剤メルヘンに仕上がっている。つまり、牧瀬は天使なのである。違和感なく、このストーリーが飲み込めるのは牧瀬が天使を演じているからに他ならないと考えるのは・・・まあ、多数ではないかな。

牧瀬里穂は手紙で「越中ふんどし60本送ります」と書く。スープシェを勤める高嶋が「スープ濾し器」として使用するためである。首からエプロンのようにかけて局部を包む部分でスープを濾すのだが、このシモネタ展開が脚本家のお気に入りエピソードであることにはキッドは命を賭けられる。高嶋の上司・古谷一行は言う。「悪いことばかりは続かない」と。そして忌野清志郎は言う。「いいことばかりはありゃしねえ」と。二つのセリフの意味は実は同じだ。それは天の配剤なのである。このブログもそうであればいいと願う。

月曜日に見る予定のテレビ『特命!刑事どん亀~最終回』(TBSテレビ)

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2006年7月15日 (土)

太陽なんて意地悪だと思っていた。

『爆笑問題のススメ』(日本テレビ2006年3月終了)に作家・小林信彦がゲスト出演して最近お気に入りの女優として「沢尻エリカ」を挙げていた。太田光が「どんな風に見ているのか」と問い、小林氏は「邪(よこしま)な目で」と答えている。キッドはテレビを見ながら激しく肯定した。ハタと膝を打ちすぎて歩行困難になったほどだ。

今、邪な目で美少女を一人あげるとしたら、まさしく沢尻エリカと言えるだろう。エドノコバン(父スズカコバン)の馬主の娘で母フランス人のハーフである。見事なDNAの仕上がりだ。お嬢様であり、文化的ルーツとしての半島系美少女風であり、エキゾチックなパーマネントヘアでありと美しさのエッセンスが散乱している。未勝利に終ったビュティエリカ(父インターメゾ)を超えたのである。なんのこっちゃ。雑誌『ニコラ』のモデルとしてすでに美形を極めているのだが、『1リットルの涙』(フジ)で難病ヒロインを演じきった時、「天は二物を与えず」をある意味で裏切ったのである。

そして、今回は役柄が難病ストリートシンガーである。歌うのである。これが素晴らしいとなると沢尻エリカはもう相当なゾーンに突入すると言っていいだろう。今度生まれ変われるとしたら沢尻エリカになりたいレベルである。もちろん、実生活の彼女には様々な不幸な出来事もあるはずであり、これはあくまでスターというフィクションの話である。モデル、女優、そしてひょっとしたら歌手のエリカの花は咲き誇り、キッドはその花を熱愛し、崇拝する。

で、『タイヨウのうた』(TBSテレビ06-714PM10~)脚本・渡邉睦月、主題歌・柴咲コウ、演出・山室大輔を見た。柴咲と相手役(主役という考え方もある)の山田孝之をベースにすると「ある愛の主題歌」シリーズの三作目ということになる。前二作の綾瀬はるかも素晴らしかったが、この組合せは美少女をとてつもなく引き立てるのである。また、お前たちかという考え方もあるのだが、アップテンポになった主題歌『invitation』も日陰に咲く花であるヒロインのメインテーマ「これが最後かもしれないのに心の中でずっと続いていく」にきっとなるだろうし、持たざるものとして登場し、つかのま得て、失うものになるという役柄が山田孝之のはまり役であることは疑うことができない。彼は鬱屈した二枚目なのだ。彼が電車男を演じるのは偶然ではない。彼はおタクが自己投影することができるギリギリの二枚目なのだから。

シンガーソングライターのドラマほど演出力が問われるものはないだろう。『愛をください』(菅野美穂2000フジテレビ)、『傷だらけのラブソング』(中島美嘉2001フジテレビ)は当時のストリートシンガーブームや、菅野の女優としての実力、中島の歌手としての実力を割り引いても及第点だったと思う。今回は重要な脇役として、現役の東京音大生松下奈緒が配置されている。ピアニスト(現実)が歌手を演じるのである。なっちの敵役ピアニスト『仔犬のワルツ』(2004日本テレビ)でデビューした松下としては得意な役といっていいだろう。そして彼女の挿入歌もまずまずなのである。胸をなでおろす。そして・・・。

太陽の光を浴びることのできない難病(PX)であるエリカが真夏の夜の公園で歌い始める。うーん、同時録音ではないか。歌はともかく、楽器があるからなあ。しかし、いい。いいぞ。心にしみるぞ。エリカの歌がキッドのハートを直撃しました。「逢いたい気持ちあふれたらこの気持ち届くのかな」エリカの気持ち届いてほしい。届かないなら届けてあげたい。ああ、こんな気持ち。上手く言えたことがない。ホットなナンバー夜空に溶けていく。素晴らしい夏の夜の夢がきっと始まる予感。そして、キッドはデイ・ドリーム・ビリーバーに。本当のことなんか言えない。だって言葉は言葉にすぎないからね。そして二人はポンコツに乗って夜の江ノ島方面へ。いつものようにきめてぶっとばそうぜ・・・。

それにしても原史奈(スターダスト)、『鉄甲機ミカヅキ』でダークサイドに堕ちて以来、壊れた汚れ役ばっかりだなあ。思わず、本筋とは離れて「がんばれ」と声援したい気分だ。どうせなら狂った花を咲かせてほしい。この業界そういう咲き方でまったく構わないのですからあ。ベッキーとかも。

月曜日(日曜深夜)に見る予定のテレビ『スクールランブル二学期』(テレビ東京)

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2006年7月14日 (金)

上戸彩のシャワーシーンは本人とは無関係です。

池袋ウエストゲートパーク、アキハバラ(秋葉原)@DEEP、ときて下北(沢)サンデーズである。東京は本当にたくさんの顔を持っているのだな。両国高校ということは半村良の後輩であり、直木賞濃度は濃いのだなあという原作者。藤井フミヤ、堤幸彦という三人から生まれた企画であるという。ゴージャスだ。

もちろん、小劇団をめぐる青春物語であり、心のせまい小劇団おタクはバカにするなと怒り、心のひろい小劇団おタクはまあ、ありなんじゃねとほくそ笑み、心のせまい小劇団に興味のない人はなんじゃこりゃと面食らい、心の広い小劇団に興味のない人はほほうと関心する。もしも失敗した場合、上戸彩おタクは堤演出の責任を問い、堤幸彦おタクは上戸演技の責任を問う。ということになると思う。もちろん、キッドはこのタッグに失敗はありえないと考える。だってゴージャスなんだから。

上戸彩以外はすべて脇役という設定になっており、これもゴージャスだ。スターとその他大勢をこれほどはっきりと打ち出したドラマは最近珍しくなっているのではないか。もちろん、上戸彩は例外だ。上戸彩は常にくっきりと主役なのである。コミック原作の戦うヒロインでなくても、金八だろうが大河だろうが、他のすべてをかすませる主役のオーラを持っている。彼女と対価なのは同世代では後藤真希なのだが、演じることについてはついに企画を与えられないまま、現在に至っている。ゴマキにもあずみはできる。ゴマキのあずみも絶対に見せるはずなのだ。しかし、おしいかな、ゴマキのスタッフはおタク文化の本質を見誤っているのである。

で、『下北サンデーズ』(テレビ朝日060713PM9~)原作・石田衣良、脚本・河原雅彦、主題歌・藤井フミヤ、演出・堤幸彦を見た。まず、脚本家は劇団主催者だった過去を持つともさかりえの夫であり、下北沢の演劇事情を知らないわけはない。実際と違うと批判する現実の下北関係者は虚構という意味を知らないか、想像力がないのである。しかし、こういう現場を離れて10年になると思うがキッドの想像する現在の下北と虚構内の下北がまったく同じだというのもすごいっていうか、キッドが登場人物たちとと実年齢が同じだった30年前とも変化がないような気がする。下北沢、時間が停止しているのか。

ま、それが演劇というか、小劇団をめぐる人々の本質なのかな。有頂天ケラことケラリーノ・サンドロヴィッチがまだ藤井フミヤと似ていた頃、いや、なんか、そういう雰囲気の頃もあったのよ。そういう頃となーんも変わっていない気がするのだなあ。つまり、雑草魂だよ。この国にはアカデミックな演劇というものがないわけなのだよなあ。だから進歩がないのである。民間にすべてまかされているのである。それはそれで素晴らしいとも言えるのだな。だからこそおタク文化は発生したとも言えるのだ。

そして、寺山修司の生きていた頃とというか、つかこうへいが輝いていた頃のというか、そういう時代の演劇魂が下北では保存されさらに繁殖しているようなのだ。それをおちょくる展開が、千葉大理学部入学式である。上戸彩の両隣にすわるキモイ学友がチビデブメガネで物理学科の三谷幸三(眼鏡太郎)とヘルメットヘアで数学情報数理学科の野田秀夫(辻修)である。そして二人はお笑いの偏差値がウルトラ低いのである。アハハ、それはちょっと言いすぎ。三谷はともかく、野田はそんなに低くないだろう。

さあ、小ネタの時間だ。上戸彩の体操着。3年B組里中ゆいかだ。子供時代の里中ゆいか桑島真里乃ちゃん、上戸に似すぎ。そのお習字「渚のハイカラ人情」、周囲の劇団「ロリコン伯爵」「犬魂」「チョップ番長」「下北沢連続革命戦線」、実家・山梨の旅館「鹿鹿館」に鹿の剥製ダブルで。湯殿でパパロッティと化したおじいちゃんの背中に何が。まさか、黒子。下北サンデーズの演目『鏡の中のカルメン~響け!電気釜』(ひびけ電気釜!!/三上寛のリスペクトか?)、イタリア料理店ドッチノ。原宿のクレープ、不味っ! シャラポワ研究会。上戸彩自身から、この役柄であたしがゴールデンってどうなのよとナレーション。

佐々木蔵之助をめぐる佐田真由美と山口紗弥加の争いとか、北村総一郎と古田新太の関係とか、そこそこ伏線は張られている。それはそうとケラでなくフミヤがひっそりと出すぎで、変装してんのかよと思わずテレビにつっこみました。視聴率とれたかな~。

土曜日に見る予定のテレビ『人生はフルコース』(NHK総合)

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2006年7月13日 (木)

生まれつきのかっこよさは俺のせいじゃないよ。(バ~カ)

舘ひろしと木村佳乃のやりとりである。怪しい所轄署の怪しい刑事たちが人間交差点を右往左往するドラマなのでどんなセリフもメルシーなのです。ジダンも「おめえのカアチャンデベソ」と言われても(バーカ)って言ってればよかったのです。ま、チョーパンはチョーパンで「頭をさげたところにたまたまマテラッツィーの胸があった」と言えばすむことですけど~。

ところで、このブログ、現在、10175アクセスです。キッドのホームページが1027アクセス、おタクの恋のページが122アクセス、復刊リクエスト投票が4アクセスです。皆さん、キッドに厳しすぎです。皆さんの評価&気持ちは良く分かった。・・・いつか頭突きしてやる~。人情ドライすぎの人々はキッドの涙で溺れてしまえばいいのさ。

・・・失礼、キッドには中国が北朝鮮にするくらいの厳重注意しておきます。とにかく、言えることは舘ひろしさんはかっこいい。木村佳乃さんには無声で(バ~カ)と言われてみたいということですかね。テレビ朝日の刑事ドラマはアタリハズレの判定が難しいのですが、限りなく議長声明に近い非難決議で決着かというところでしょうか。キッドは新・科捜研の女>PS羅生門、羅生門の第二回>第一回、石野真子≠尾美としのり。藤田まこと=柴田恭平=舘ひろし、伊東四郎≠おでん屋、松本莉緒=年齢不詳、遠藤章造=アンジョンファンだと思います。

で、『Police Station羅生門・警視庁東都署』(060712PM9~)原作・脚本・矢島正雄、演出・阿部雄一を見た。東映極道映画の香りと矢島式ヒューマンスクランブルの匂いがする怪しい刑事ドラマである。かって某漫画家の旦那の某漫画家が「原作者の原稿遅いし内容ろくでもない」とキッドに悪口を言っていたのだが、人情の裏の裏に踏み込もうとするときりがなくなるのである程度は仕方ないと同情します。今回も犯罪者の人情に刑事がまとわりつかれ、困り果てるという展開になっております。

くどくなるのですが、くどくどとネタバレしておきます。殺人犯の母親を持つ少女が自殺するのだが、彼女の死に顔はやすらかだったのだが、担任教師を愛していたのだが、担任教師も殺人犯の母親を持っていたのだが、担任教師は母親を恨んでいたのだが、担任教師はついに母親を殺して自殺しようとするのだが、母親の死に顔がやすらかだったので思いとどまるというストーリーです。ああ、くどい。これはもう矢島さんだあ。

これに騎士の称号を持つ木村佳乃(現実)が一児の母として自分(虚構)と照合しながら、善と悪の境界線に思い悩む。それを先輩刑事たち(佐野史郎・森本レオら多数)が「ごめんですんだら警察いらねえだろう。そしたら俺たちオマンマの食い上げだろう」と教え諭すという日本教育テレビならではの展開をしていくわけです。く、く、くどい。でも、まあ、死ぬほど母親が好き。母親が寿命などで死ぬことを想像するだけで死にたくなる。でも母親が死なないでと言うのて生きていくという人間のくどさを考えるとこのぐらいのくどさは耐え忍ぶべきかもな。

死刑を望む父親を無視して無期懲役判決、これを不服として殺人強姦犯人が提訴。元アイドルが子供を残して自殺、これをスポーツ新聞が一面トップで報道。親分が子分に鉄砲玉を示唆、警察が介入すると「俺の顔に免じて許してやってくれ」と鉄面皮。まあ、世の中には信じられないようなことがありますので、たまにはくどくど、くどくどと何かを論じていくことも必要なのかもしれません。それが大人になるということなら、キッドはもちろん、なれないのですが。舘ひろし名セリフ集。「人を疑うことに疲れたかい」「ゼロ号埠頭だ」「自白しなければ死んでもらう」ってソフトクリームで乾杯です。

金曜日に見る予定のテレビ『タイヨウのうた』(TBSテレビ)

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2006年7月12日 (水)

目から鱗の涙だよ・・・287/311の実力。

榮倉奈々(研音・鹿児島県)と加藤ローサ(研音・鹿児島県)のW薩摩おごじょを中心に深夜の『ダンドリ娘』やライバル高校まで考えると、女子高生ができるタレント一斉放出のダンスドリル物語である。母子家庭(母飲み屋経営マチルダさん)少女、神社の娘で巫女さん、やっぱり女子高生キャバクラ嬢、空手部少女、ハラマキメガネっ娘、ハルヒ級ガリ版熱愛少女、学園のマドンナとこれでもかとキャラ展開。プラス菅野美穂(特別出演)である。もうフォローしきれないっての。

しかし、リカちゃんコンテストグランプリ、Liccaで酒井彩名、あびる優とトリオを組んでいた木南晴夏(ホリプロ)が『アキハバラ@DEEP』の自虐少女隊カイラに続き、怪演したことは記憶に留まった。「これはねえ、パソコンなんかじゃ伝えられない大事なことをワラ半紙のぬくもりとインクの香りで人々に伝えるあたしの最終兵器なんだよ。コピーと一緒にするな」の渡辺かしこ図書委員長である。

初夏なのに桜吹雪展開、教員が校内で鉄道模型のジオラマ展開、初めて見たぞ敵にエールを送られるそのまんま展開「ナイスさつ高ナイスチア」、厚木高校をさつき高校でダジャレ展開、元ネタ通りに全米制覇まで行くとは思えない弱小ぶり展開、しかし、民謡名取の榮倉(現実)を支える立役者は日本舞踊名取(虚構)の国分太一であるらしい。もう、なんだか、理性をふっとばす中身つめこみっぷりである。初回にして完結しておきながら、これからワンクール。これもすごい。『ウォーターボーイズ』『スイングガールズ』『がんばっていきまっしょい』に続くフジテレビ青春ドラマおそらく炸裂なのね。

で、『ダンドリ。Dance☆Drill』(フジテレビ060711PM9~)原案・長谷川晶一、脚本・横内謙介、ダンス監修・前田千代、演出・小林義則を見た。へなちょこがへなちょこでなくなっていくであろう課程を描く青春ドラマである(希望)。渡辺かしこ以外すべてへなちょこと思える架空の県立高校の女生徒が3万ドルを浮かすために実らぬ恋のために夢を実現するためにダンスドリル部を立ち上げる。今回はその誕生秘話である。トレビアン。

へなちょこを代表するキャラクターが国分太一である。数学教師で鉄道おタク。ニックネームはうらなり(かしこ命名)だ。「他人の夢を生きるのはつらいことです」という名セリフを吐くも空振り。考えようによってはおタクはすべて『他人の夢』の中で生きているのであって、それはそれで楽しいことなのだが、それを辛いと感じることはある意味、素直ではないのね。どうやら、名門に生まれて重圧脱走パターンらしい。答えのない舞踊の名取を極めるよりも好きな数学で必ず答えられる範囲でそこそこやってた方が僕幸せなの。であるか。この煮えきらない態度が、かっての領土的同胞や、ルール無用の悪党に「侵略的野心あり」呼ばわりを許しているのだなあ。でも幸せだからそれでもいいか。

それに対し好きな彼のためなら「全米チャンピオン」を公衆電話から「デリバリー」しようと「ハウマッチ?」する榮倉が、ぐるぐるサンバの鈴木カルロス三郎太のアドバイス「ドリームといえばジャンボ」で今を夢の中に投じるために立ち上がる。実力テストは311人中287番である。5年でボロボロの借家住まい(母=戸田恵子談)である。持たざる者なのである。しかし、日本初の9等身なのである。やればできるのである。そのナミダ(桜の花びら大)に思わずもらい泣きだ。

『エースをねらえ!』『アタックNo.1』に続いて森田彩華(オスカー)が何人かいる三番手として登場である。上戸彩抜きで。今回は後輩役から同級生なので一回級あがったのか。しかもお腹ユルユルのメガネっ娘展開である。ま、ちょっと面白い。斉藤洋介や大倉孝二などのキワモノ脇役、ついでに濱田マリも登場し、ついにはチラリ菅野美穂(和装)である。それから弟役の小関裕太くんのおタクぶりもかわいいし、話題満載だな。キッドとして最大の問題は井上真央と榮倉奈々の区別が難しいのだが。

木曜日に見る予定のテレビ『下北サンデーズ』(テレビ朝日)

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2006年7月11日 (火)

伊東美咲(福島)VS白石美帆(茨城)4回戦。

エルメスと陣釜さんが4度目の無意味な接近遭遇である。(東京ラブ・シネマ→ホットマン2→電車男→)しかし、キッドは根拠なしに二人が面白く、理由なく大好きなので、意味もなく面白いのである。だって福島の美人保母さんと茨城の美人栄養士さんですよお。県境を接しているんですよお。バレーボールの勝利の女神とサッカーのスポーツキャスターなんですよお。だから、なんだってんだよお。

白石美帆の陣釜さんと言えば「男はみんなやってやる」的キャラクターでしたが、伊東美咲は『タイガー&ドラゴン』で「出会う男がみんなぞっこん」的キャラクターで、私に汚い言葉を言ってレベルで言うと「ヤリマン」です。魅力的な「ヤリマン」を演じることのできる女優が二人揃うのはなんだか素晴らしいでしょう。

今回、伊東美咲は「出っ歯のガチャピン」とあだ名された仕事>恋愛のひたむきなCMプランナー。白石美帆は陣釜キャラを色濃く残す仕事=恋愛のさばけたフリーのコピーライター。白石はもういきなり出入りの業者、仕事先で商品挿入です。やっちまえ、佐藤浩市も亀梨和也も瑛太もみんなやっておしまい。・・・と何故か応援したい気分なのです。それはきっとそうなると爽快感があるからなのかな。

で、『サプリ』(フジテレビ060710PM9~)原作・おかざき真里、脚本・金子ありさ、演出・成田岳を見た。デビューから10年の金子ありささん、『女子アナ。』以来の業界ものである。『Stand Up!』でお笑いには到達できないところを見せているが、生真面目な青春の匂いを描くのは上手なので瑛太が垣間見せる悪のムードなどを巧妙に配置して年下の男の子との恋愛を描ききってもらいたい。王道の月9でよろしく。

恋愛運と仕事運が別の仕切りになっているのは「金の切れ目が縁の切れ目」というシンボルがドライすぎるからですが、世の中には恋愛も仕事も上手くいく人もいれば、両方ともダメな人がいます。しかし、仕事だけ上手くいくと、不満が残り、恋愛だけ上手くいくと後先に困るということなんですね。しかし、月9の王道はやはり恋愛至上主義。トレンディードラマ全盛期の頃、とあるディレクターが会議室でその手のドラマを見て「お前ら、仕事しろよお」とげっそりするほどでいいのです。年下の男の子の無責任ぶりで仕事も恋愛もダメにされた主人公が彼をすでに許しているのはもう恋をしているわけですから。何といっても亀梨は電車男とは違い、本当にサーフィンできますから。

番組内で生理的に受け付けない旭化成のイヒ!のようなCMを作らない限り、どんなCMを作っても構わないのですが、いきなり外資系保険会社のネタ。自己中心的人間にとって死後の保険ほど意味のないものはないわけで、だって早い話が詐欺でしょう。ま、火災とか、障害とかギャンブルものでもあるわけですが、そんな社会的な不正行為を宣伝していいのかよ。と思ったりもします。でもどんな汚れ仕事も仕事ですもんねえ。広告についての様々な解説がやや鼻につきましたが第一回なので大目に見ます。面白みのない正社員とコネもぐりこみのフリーターの恋愛が早く花咲きますように。

っていうか、志田未来が突然登場、隠し玉かよ。「あの人(父親)は浅いところでずっと生きている」ってツンデレ娘を演じる模様。まあ、本筋がすでに妄想気味だから、伊東❤亀梨って。こちらも妄想しておくか。瑛太が真犯人。りょうと交際しながら、白石とも交際し、そして伊東を落とした瑛太はついに志田未来も毒牙にかけようとするのであった。そこで相島一之が一言。「勝手にやるなーっ!」

水曜日に見る予定のテレビ『PS羅生門・警視庁東都署』(テレビ朝日)

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2006年7月10日 (月)

ワイフの悪口だけは許しません→トイレ篭城。

内田有希(男女)の蹴りが炸裂。しかし、好きになるのは車に乗らないと知性がなくなるでおなじみの劇団ひとり(女男)。玉山鉄二(女男)の優柔不断炸裂。でも交際するのは今回はオカマですの阿部サダヲ(女男)。妻はランちゃん(男女)。隣人は小林聡美(元祖男女)と全員中性キャラで揃え、オヤジィ。が専業主夫で田村正和(女男)と、見ようによってはとてつもなく気持ち悪い遊川ワールドが展開中。

・・・とW杯決着。PK戦でイタリア優勝。トッティもジダンも消耗しつくした果ての金玉を蹴りまくったオトコたちの歓喜。

「お兄ちゃんはまた嘘をついた」「お姉ちゃんはまた嘘をついた」と性差なき家庭で揺れ動くおねしょボーイ長島弘宜は帰国子女の川島海荷(レブロエンターティメント)とジュニアアイドル的普通の女の子の藤井玲奈(VeryBerry Production)の両方に仄かに好意を寄せている模様。でも田舎くさい主婦と田舎くさい男の子たちにいじめられている展開。基本設定が変態なので周囲はダメ気味のノーマルという定番設定。

で、『日曜劇場・誰よりもママを愛す』(TBSテレビ060709PM9~)脚本・湯川和彦、演出・清弘誠を見た。第一回、第二回とさざ波を立てていた日曜劇場的破綻がようやく、幕をあげる模様。田村と伊藤蘭の男女逆転家庭で育てられた子供たちが良い子たちに育ったんだけど、ろくでもない男にひっかかったり、オカマとつきあいだしたりして、田村が父親として思い悩むという展開だ。妻の浮気相手はまだだが、もうすぐ出るだろう。ちなみに共働き家庭や欠損家庭は今のところ放置プレー中。

広島出身の作者なのでどこか、いじめられる側の論理が先立つ遊川ドラマ。今回も「みんながいじめるからあなたもいじめるの、それでいいの?」「みんなと仲良くするよりいつも味方の友達が一人いればいい」「誰かの悪口を言って誰かを幸せに出来ますか」と正義のセリフ連発である。キッドはまあ、そういう考え方もあるよなと頷くしかないのだが、悪役にもう少し悪の論理を与えてもいいとも考える。怪しい小林聡美もゴミの分別しないくせに「私には嘘をつく子とつかない子の区別はつく」宣言である。ま、重箱の隅ですが。

『女王の教室』でも世間にケンカを売る宣言で威勢のいい遊川ドラマなのだが、キッドにはどうしてもへなちょこに思えてならない。へなちょこが頭の悪いへなちょこにへなちょこなケンカを仕掛けているという感じ。それは基本的に作品が性善説に立っているからなのだが。キッドは殺されても文句を言わないというのは間違いで殺されたら文句は言えないのだと思う。善は悪に勝つために悪でなければならず、当然性悪説の立場に合理があるのである。

もちろん、合理性は必ずしも面白いものではない。矛盾は矛盾として私たちの無理を通させてもらいますよという人たちのドラマである。それはそれで評価されるべきだ。だから、ある程度評価したい。もちろん、田村ファミリーの偽善が暴かれるならスッキリするが、それでは遊川ドラマは成立しないのだよな。つまり、ミミズだって、オケラだってノムヒョンだって、死刑反対論者だって、生きているんだ、友達なんだ~というわけだ。チータ(水前寺清子)はそういう歌は歌いませんが。人生はワンツーパンチまだ~。

火曜日に見る予定のテレビ『ダンドリ。Dance☆Drill』(フジテレビ)

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2006年7月 9日 (日)

やっぱさあ、長瀬智也は可愛くってちょっとバカでないと。

チョン・ジュノ主演の韓国コメディー映画『頭師父一体マイボスマイヒーロー』のリメイクです。リメイクなんですが、第一回を見る限りかなりアレンジされているようです。ま、早い話が新田たつおの漫画ですね。『静かなるドン』の近藤組傘下の小さな組のエピソードといってもよい。

とにかく、長瀬がやくざ、ヤンキー、暴走族、マコト系、で、バカだけど熱い。というキャラクターを探しているとこの映画があった。ということだと思います。そんなに面倒くさく考えなくとも、『ごくせん』を生徒で。すぐに成立する企画ですけど。『ごくせん』は『セーラー服と機関銃』を先生でという企画なので先祖がえりですかね。

もちろん、今後の展開ですが、やくざの、しかもテキ屋、侠客系でなく、明らかにマフィア、シンジケート系の組織をアットホームに描くことは、倫理的にかなり問題になるはずであり、デージョーブなのかあ。と心配するわけですが、ま、この時期、韓国原作のドラマをやること自体が冒険と思うので、あまり深く考えないことにしました。日テレ、バカだ。やべーくらいバカだ。NHKなみのバカだ。バカすぎて可愛い。

で、『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』(日本テレビ060708PM9~)脚本・大森美香、演出・佐藤東弥を見た。『タイガー&ドラゴン』でやくざの落語家を演じた長瀬が今度はやくざの高校生を演じるわけで、もう、絶対に面白いのだが。・・・本当にそれでいいのか。

しかも今回、ハンドク!!!狭間一番よりもバカの設定である。まず、27<25+5ができない。というか、25+5=30ができない。次に自分の名前である榊真喜男の喜という漢字が書けない。もちろん、例によって頭は悪くない。勉強ができないという型である。そういう例もなくはないが、実は無理な設定である。とにかく、こんなバカでは跡目を継がせるわけにはいかないと父親のオヤジ(組長・市村正親)が高校3年に裏口入学させる。卒業しないと襲名させないという可愛い子には旅をさせろっていうか、親獅子子獅子千尋の谷展開である。原作よりほんのり甘口になっている。・・・のかなあ。

文盲コレクター(ネタとして文盲を使う作品・例『プリティーリーグ』『ドライビング・ミス・ディジー』など)のキッドとしても、執事コレクター(忠実な執事が登場する作品・例『ミスター・アーサー』『エロイカより愛をこめて』など・・・今回は大杉漣の舎弟頭がこれにあたる)のキッドとしてもすでに大満足の第一回であった。ギャルサーから引き続き新垣結衣が出演しているがギャルメイクではないので可愛いのもキッドとしてはうれしい。メインテーマは『奇跡の人』(三重苦のヘレン・ケラーが言葉を知る物語)であり、これもまた喜ばしいことだ。

美味しいプリンを求めて、屋上から屋上へ飛翔。榊組の別名がエーゲ海。ヤニ、ヤニ、ヤニを連呼。小僧にカツアゲされる。一万円で釣りはいらねえ。顔に靴跡が残る。もたいまさこに手を握られる。桜なんとか(桜公路順=手越祐也)と友達なんかじゃねえになる。岩城滉一に鉢植えを持たされる。香椎由宇をにらむ。長瀬くん、暴走。いいよ。いいよ。大好きだ。もう、ただそれだけのドラマなんですけど。

えーと、夏ドラマ、コメディーばっかのような気がするんですけど。気のせいですよね。本当は『彼女が死んじゃった』のようなちょっとドライでやっぱりセンチな長瀬くんもたまには見たい気がするんですけど。『白線流し』がマジで完結したのならば。

月曜日に見る予定のテレビ『サプリ』(フジテレビ)

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2006年7月 8日 (土)

冷蔵庫に美容整形機能がプラスされました。

容姿に関するコメディーである。美醜は非常に重要なテーマであるから、見ざるを得ない。かって容姿による差別を声を高くして叫ぶのは女性であった。それは吉永小百合がじゃがいもでもよかったからであり、差別されているのは表面的には女性だったからだ。

『醜女(しこめ)狩り』(芝紀美子1975)では「醜女狩り始まり連れて行かれた/探知車が警笛鳴らして捕まえに来た/醜女村はブスばかり/私もその一人」と歌うほどであった。これが『顔』(コンセントピックス1984)になると「あなたはととてもいい人ね/性格だって悪くない/顔が嫌い/あんたの顔が嫌いなの」と矛先が変わってくる。男性も美醜で差別される時代が到来したのである。それから20年、容姿と性格は男女ともに見果てぬ夢を語る時に無視できない問題となった。この場合、見果てぬ夢とは理想の恋愛のことである。

原作者は『白鳥麗子でございます!』『おそるべし!!!音無可憐さん』の整形美人漫画家である。当然、美へのこだわりはせつないのである。美であればあれでしょ。ちょっとした犯罪は許されて然るべきでしょ。という主張がそこはかとなく漂うのである。ま、確かに金正日がヨン様だったら奥様たちはあと1ダースぐらいミサイルを撃ってもしょうがないわね~ですますかもなあ。

で、『ビバ!山田バーバラ』(テレビ朝日060707PM1115~)原作・鈴木由美子、脚本・高山直也、演出・木下高男を見た。太ったおばさんの中島唱子が冷蔵庫に3分入ると若くてモデルをしていた片瀬那奈に変身する。水をあびると元に戻るという設定でかっての恋人(杉本哲太)の息子(内田朝陽)と恋におちるというドタバタである。もちろん、この冷蔵庫は市販されていないので真似をすることはできない。特殊メイクの梅沢壮一も中島を片瀬に仕上げる技術は持っていないようだ。

ま、ありえない話だが、一番ありえないのは杉本哲太が中島唱子が片瀬のなれのはてと知ったときの態度である。杉本は中島を愛してしまうのである。というか、片瀬の頃から容姿を愛していたわけではないという態度なのだ。まあ、確かに、石田えりみたいな感じのあるJJモデルを美人と認知しない男性は多いかと思うが、それにしてもだ。片瀬と別れ中島になって再会したらキッドだったら泣いちゃう。哲太の演技力に脱帽だ。こんな無理なキャスティングと設定なのに淡々と中島を愛する男を演じていた。ブルブルッ。

しかし、原作者の妄想はそんなことでおさまるわけではない。父息子どんぶりの二重生活を続けながら、中島/片瀬の正体がついに発覚する。ここで、内田は酒井彩名よりも中島/片瀬という妖怪変化を選択するのである。すごい趣味だ。しかも内田がモンスターおタクであったというような伏線はまったくなくこの展開だ。頭おかしいよ。

だが、さらに妄想はエスカレートして杉本哲太までもが中島/片瀬を受け入れてしまう。これはもう似たもの親子だったというような段階ではない。そして父・杉本が息子・内田に恋のライバル宣言。「お前には負けないぞ~」ニコリである。わはははは。もう笑うしかありません。中島/片瀬を中央に花束を持った親子という三人が海辺を腕を組んで行進。そしてオチは中島/片瀬が奈落の底に墜落である。まあ、妄想を続けたスタッフ一同が正気に戻った瞬間ですかね。

このテーマの傑作には『OLヴィジュアル系』(テレビ朝日2000)があるが、美についての女性の願望の具現化としては『ビバ・・・』の方がストレートであったな。この先には『永遠に美しく・・・』(1992アメリカ映画)があると思うが、美と恋愛の目的意識が混濁していくところがポイントですな。ま、美は限られた時間、限られた者だけが味わうことができる特別なものだということに化粧品メーカー、美容機器メーカー、美容師の皆さんはノーと云い続けるとは思いますけれど。

日曜日に見る予定のテレビ『誰よりもママを愛す』(TBSテレビ)

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2006年7月 7日 (金)

アルタイラ出血熱はフィクションです。

前半、土門刑事(内藤剛志)が真犯人Aに耳を噛まれ、致死率100%の感染症で死にかける。後半、榊マリコ(沢口靖子)が真犯人Bに腹部を鎌で刺され死にかける。京都科捜研はいきなり、ヒーロー、ヒロインの死にかけからスタートです。京都祇園祭を舞台に前半、疫病パニック、後半親子人情刃傷沙汰展開。早い話が二つの話で2時間スペシャル。一粒で二度おいしい・・・のか?

ネタバレですが、真犯人Cはゲストのとよた真帆、京都感染症研究所のレベル4おタク。B型独身。喫煙者です。すごーく、いいキャラクターなので、レギュラーにしてほしかった。この人がレギュラーで、すごくいい人でワンクールくらいマリコたちと友情を築いた後で今回の事件を起こした方が一般人に与えるショックは大きかったはず。えーっ、あの人が、そんなことをするなんてという展開、見たかったなあ。

ゴンガール(金鳥タンスにゴンゴンのCMの女優・キッド造語)が田中裕子さんになってしまい、ちょっとおバカな沢口靖子を観測できるのはこのシリーズだけになってしまったのに、おバカ要素少なし。今回、父親の手作りつまみを美味しいと思うシーンと父親が同僚たちにマリコの下着を閲覧させたのでむくれるシーンがあるくらい。被害者の声を訊くための科学捜査おタクとして不眠不休の活躍ぶり、不死身の身体などに対して加藤たか子(土門妹・一般婦警からいきなり科捜研に転属)たちからもっとツッコミを入れてもらいたい。

で、『新・科捜研の女・スタートスペシャル』(テレビ朝日060706PM8~)脚本・櫻井武晴、監督・辻野正人を見た。祇園祭は京都の七月をまるまる使う超有名なお祭りであるが、「蘇民将来之子孫也」の護符を身につけて無病息災を祈る荒神スサノヲ崇拝行事の一種である。牛頭天王スサノヲノミコトが、一宿一飯の恩義で蘇民将来という人に「これがあれば一族末代まで疫病にかかりません」というお墨付きをあげたという伝説が元ネタである。で、この護符を大量生産して、みんなが「私も蘇民の子孫です」と言えば病気にかかりません。というオレオレ詐欺が全国に普及している。騙されるのは疫病神である。だ、だ、騙されるか~。

・・・という神話にひっかけて祇園祭にレベル4の感染症が放たれるのであるな。乙な話でげす。今回の科捜研テクは新型ルミノール反応探知機、筆順による筆跡鑑定、Nシステム解析追尾、赤外線感知による下水道ネズミ発見装置、タイヤ跡相似測定技術、打撲跡相似測定技術、感染症防護服、筆順の応用による複数指紋捺印順番鑑定、そしてとどめは伝家の宝刀DNA鑑定です。北朝鮮にもこの技術の粋を確認してもらいたいところです。別人ったら別人なんだって。

科捜おタク大満足の展開でした。・・・「あなたは科学者じゃなくて犯罪者です」の名セリフとともにすべての謎は解かれるのだが、キッドとしては最大の謎が残る。「蘇民将来」って誰なんだということだ。っていうか本当に人名なのかよ。当然、ヤマトの人ではない感じ。渡来人でしょうね。蘇といえば蘇我氏。蘇民将来の弟は巨旦(こたん)将来。蘇我の支族に巨勢があるから怪しい。ま、とにかく、朝鮮か、中国からの帰化人である可能性は高い。蘇の民というものがあるとしたら、酪農家(蘇とはチーズのこと・大陸伝来)か、紫蘇(蘇とは紫蘇のこと・中国原産)農家であった部民(天皇家の職業的分業隷属民)であったかもしれない。・・・ということはこの季節、「蘇民将来之子孫也」のお札で疫病神から逃れようとしている人々は「私は特定アジアの子孫ですから」と宣言しているわけだ。迫害された縄文ネイティブとしては大笑いの展開です。

スサノヲ、そこんところどうなのよ。素「俺って風来坊だし、いちいち昔のこと覚えてないよ。あれだって、ギャル狩りしている時によく使った手だしさあ。青春だよ。青春。青春一宿一飯恋人御礼だよ。鶴瓶がやってるようなやつ。ほら、ウチって姉ちゃん、お堅いじゃん。女遊びしている時のこと、あんまり突っ込んで欲しくないんだよ、キッド」・・・・だそうです。

土曜日に見る予定のテレビ『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』(日本テレビ)

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2006年7月 6日 (木)

規則のそくって足じゃありません。

プリマダムから一転、ターゲットを少しさげてきたあ。でも、この枠だからアテンションプリーズより、すっごく上に感じる。っていうか、観月ありさが松本明子化しすぎ~。『鬼嫁日記』『あした天気になあれ。』そして『私を旅館に連れてって』と新旧とりまぜてみたので観月のコメディエンヌの評価は高いのだが、スッチー・・・キャビンアテンダント版『ナースのお仕事』にしようとしている模様。なのにいきなりナイター延長展開。日テレのオヤジたち、いい加減に目覚めなさい。

しかし、『今日の出来事』トップニュースが『王監督、緊急休養』って独自色出しすぎ。ま、ピョンヤンお呼ばれ組に入っているからなあ。ナベツネ暴走が止まらないと根本的に愛されるテレビ局になれないのか。しかも北朝鮮のスポークスマンを呼んで両論併記姿勢維持。どういう筋書きだ。・・・と、テポドン以外をきれいにならべてみせたテレビ朝日より、マシなのか。なにしろ。4番が半島人だからなあ。いろいろ大変なんだよなあ。純血主義で打倒大リーグを誓った永遠に不滅の巨人軍は何処へ。

失礼。冷静さを欠いた記述をお許しください。・・・男の人ってこうゆう事態になるとワクワクドキドキしちゃってホントにやあね。そんなんで「恋もお仕事もあきらめない。28歳CAのドラマ」の観測なんてできるのかしら。テポドンがロシアの漁船にでも偶然あたったりしたら、キャビアの値段があがるのかしら。ぐらいの気の持ちようでいいじゃないの。は~い。

で、『CAとお呼び!』(日本テレビ060705PM1030~)原作・花津ハナヨ、脚本・梅田みか、演出・大谷太郎を見た。『ショムニシリーズ』『お水の花道シリーズ』『ごくせん』の大島ミチルが音楽担当である。BGMだけ聴いているとどのドラマか区別がつかなくなる。勝負下着をためこんだ臨時雇用CAの観月ありさ。最高位の黒ブラ着用シーンはきっとない。当たり前だ~。でも見せて~。無理だよ~。

ふられてCAはアテンションプリーズと同じ。なんちゃって女子高生はメガネでクリア。前日『結婚できない男』とくらべてイケメン配置が少ない感じ。乗客と合コン相手でしのぐなら『やまとなでしこ』に勝てない。谷原章介一人で荷物背負いすぎ。ああ、キッドの理想の谷Jr.の沢村一樹が三枚目路線驀進中。誰か止めてくれ~。お局は川原亜矢子。もういいのではないでしょうか。頼れる先輩西田尚美は爆発してほしい。トリオの三人目、香里奈は矢田亜希子路線か。サトエリをもっと見たいのだが、佐藤江梨子は敵役が似合わないと思う。まして格上役なんて。でも、与えられてしまったのだからがんばるしかない。サトエリ契約社員3年目でもちっともおかしくないので苦労しそうだけどなあ。サトエリ軍団(国際線組)の他メンバーも薄いぞ。

ありさ軍団(国内線組)の安田美沙子、東原亜希にがんばってもらいたい。何をがんばるのかはかなり謎ですが。客がイライラしている時に赤ん坊が泣く。説明抜きで客がバカっていう演出でもいいのだが、ビジネスマンたちや中年女性たちが、たまたまこういう理由でいらついていたという描写があるともっと深みのあるドラマになると思う。そういう意味で元カレが妻を紹介する場面は微妙。もちろん、それでありさの惨めさ強調できるのだが、ありさは知っている、妻は知らないという立場で乗客をなだめた方がありさのキャラはより輝くはずである。そして知らぬが仏の妻に職業人として感謝され、元カレには捨てた魚への未練がもっと生じるはずなのであるのになあ。それでこそ恋も仕事もがんばるのだという最高のスタートになったはず。ありさのドラマとして日常から過去までテンポよく見せたのにそういう意味で脚本、つめが甘いです。

赤子笑うな来た道だ、年寄り笑うな行く道だとキッドの友人が口癖で言うのですが、船室や機内での赤ちゃんの泣く声が本質的に苦手なキッドとしては非常にためになるエピソードでした。どんな危機もありさのパワーで乗り切るとドラマだとしたら「ぐじゃぐじゃでいいよね」は名セリフとして記憶に残るでしょう。羽田発ソウル行きの便はしばらく乗りたくない感じですが。

金曜日に見る予定のテレビ『金曜ナイトドラマスペシャル・ビバ!山田バーバラ』(テレビ朝日)

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2006年7月 5日 (水)

阿部寛、40歳、アヌス見られて男泣き。

・・・であるか。阿部ちゃん、お尻可愛いよ。ふえ~んしちゃったね。大丈夫。夏川結衣さんはきっと見慣れている。通り過ぎていった多くの男(患者)の一人なんだから。気にしないで・・・って。肛門検査とか、直腸にバリウムとか、そんなもの我慢できねえよ。そりゃ、泣くわな。

40代ラブコメである。キッチンにこだわる独身建築家(母・草笛光子・妹・三浦理恵子)に仕事仲間・高島礼子、お隣さん・国仲涼子、担当医・夏川結衣がからんでいく。男たちは親友・義弟で尾美としのり、部下に塚本高史、ライバル高知東生という布陣。尾美としのりは『マンハッタンラブストーリー』『吾輩は主婦である』、塚本高史は『木更津キャッツアイ』『タイガー&ドラゴン』など何れもクドカン・コメディーでいい味だしてくれる名優である。尾美はウェット、塚本はドライで湿度を良好に保つ。そのため、とても居心地のいい環境を作り出す。

阿部寛のキャラクターはもう固定されてしまったのだろうか。トリックの大学教授、アットホーム・ダッドのCMディレクター、ドラゴン桜の弁護士、何れもエリートで、偏屈で、背の高い三枚目である。この路線を外れようとするとある種の人々が許さない観がある。容姿端麗で演技力抜群の役者が正統派の二枚目を演じることが許されない世界。ま、それが我が国のショー・ビジネスというものなのかしら。

で、『結婚できない男』(フジテレビ060704PM10~)脚本・尾崎将也、演出・三宅喜重を見た。楽しい。同僚が高島、女医が夏川、お隣さんが国仲こんな環境にいたら結婚なんかどうでもよくなるだろう。コンビニの店員(立花彩野・ミスマガジン)もいいしね。レンタルDVD店員は男だし、後は勇気を持ってAV借りることができれば問題ないっ・・・てそうじゃないんだよな。

職場では客を選ぶ。自分の好きなデザインを推進する。現場の職人とはとっくみあいのケンカ。同僚には我儘。部下には傲慢。好きな映画『時計仕掛けのオレンジ』『未来世紀ブラジル』『ブレードランナー』・・・『ローマの休日』・・・。塩コショーしたサーロインをスライスしたガーリックと食用酒でステーキしてご満悦。食後にミルク。一人ぼっちでなーんの問題もないじゃんか・・・・ってそうじゃないんだよな。

ベランダ越しに隣の部屋へ侵入する体力もあり、防音設備のない部屋でクラシックを再生する気力もあり、40歳の誕生日には優しいお母さんがおめでとうコールをしてくれ、家で鼻歌まじりで仕事をしながらコンビニのケーキを食べる。まったく問題なしですよねえ・・・ってそうじゃないのか。

どうも、そうじゃないらしい。男、阿部寛、女医夏川結衣にズボンとパンツを一気に剥ぎ取られ、お尻まるだしの背後から「お誕生日おめでとう」を言われて泣き出した。その涙の理由は惨めさか、恥ずかしさか、痛さか、それとも歓喜なのか。以下、来週。

ベランダのアクションシーンでまたまた思う。スーパーロボット『エイトマン』を演じられるのはやはり阿部寛。サチコさん(沢尻エリカ・イメージキャスト)の作ってくれた手料理を腹部のハッチから取り出して捨てる哀愁のロボコップ姿を見てみたーい。谷博士(千葉真一)、谷ジュニア(沢村一樹)。005シュワルツネガー、007スタローンで見てみたーい。主題歌SMAPでいいから。拳銃不法所持で殺人で新興宗教べったりみたいな呪われた話でもいいですから~。誰か作ってよ。

木曜日に見る予定のテレビ『新・科捜研の女スタートスペシャル』(テレビ朝日)

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2006年7月 4日 (火)

辛子マヨネーズ、あるよ。焼きおにぎり、ないよ!

田中要次は他人の空似という遠い親戚と断定。松たか子は不滅。阿部寛は背が高い。帰りの錆びたローカル線は素敵。マイルドセブンからはDNAが検出されました。綾瀬はるかは表参道ヒルズに行けない。石橋蓮司と吉野公佳は牛頭。中井貴一と手塚理美と根岸季衣はふぞろいの林檎たちっという間に本編終了。

営業、売りすぎ。CM、多すぎ。まあ、出演者豪華すぎてギャラ高すぎ。さすが、5年寝かせた30%ドラマだなあ。なぜ、宇多田ヒカルだけ、仲間はずれに。

山口県の特殊性。田舎としての自覚なし。お家大事。主義のためなら殺人もおめこぼし。保守と革新の区別なし。大和魂よ、永遠なれ。さすが、長州というか、毛利というか。毛利元就というか。あ、中井か。綾瀬はるか最後は武器全開。結構なお手前でした。堤真一は母子家庭ものやらせたら日本一。あごま・・・・。

で、『HERO』(フジテレビ060703PM9~)企画・石原隆(他)、脚本・福田靖、演出・澤田鎌作を見た。『HERO』(2001冬ドラマ)の5年後、沖縄で雨宮と何かした後、北海道を経て山口県に赴任した久利生公平検事のエピソードである。担当する事件は鶏盗難事件とスキャンダル揉み消しがらみの殺人事件である。終了10分前に東京地検に転任し、旧メンバーと再会を果たす。いかにも『HERO2』が始まりそうだが、それはスカシて、単なるサービスと思われる。正名僕蔵(守衛)はずっと眠っていたのか。

「通販」や「あるよ」、夏なのに「ダウン」は不滅だったが「よろしこ」は消滅していた。ま、そうだよねえ。中卒で検事、納得するまでとことん調べぬく、仕事に忠実であることが生きがいであり、罪を憎んで人を憎まず、自分ルールで超法規というありえない役人ぶりは健在だ。書類送検とは罪を創造することであるという哲学であり、取り調べられた罪人が「あなたに出会えてよかった」と言う場合は罪人は善人なのである。

今回、久利生に感化されるのは主に堤真一(事務官)と綾瀬はるか(検事)であり、スペシャルであるために急速解凍されてしまい、納得いかない視聴者もあるだろうが、これは感化されやすい長州人を相手にしているためで、問題ない。特に綾瀬はヒルズ族の飯島直子の一言で倒幕に目覚めるのである。彼女は唯一自覚した田舎者を演じていて、本人は広島県人は東京に憧れないと否定しているが見事におのぼりさんを演じていた。グレイト。

中井が過剰なほどの演技を披露するのだががたまにはいいのではないか。演出方法はもったいぶりが中心だが、最初は顔を見せないという登場方法はカメラワークが見事なので堪能できる。特に石橋蓮司の足元から肩ごし。旧メンバーの再登場などこれぞもったいつけましたでトレビアン。事件解決のための尋問中にかけつける綾瀬のインサートなどもバリエーションとして考えると、間をとりましたの連続だが、楽しい感じである。もう白状したかと思うといやいやまだまだである。

もちろん、やらないと思うのだが、松たか子と綾瀬はるかと木村拓哉の三角関係で『HERO2007』見たいなあ。吉野公佳も書類送検してやってくれ。もちろん、朝鮮総連とか、ホリえもんとか、外国人幼女強姦殺人犯とか、麻原とか、盗撮アナとか面白い容疑者もたくさんたくさんキムタクに取り調べて欲しいの。

水曜日に見る予定のテレビ『CAとお呼び!』(日本テレビ)

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2006年7月 3日 (月)

誰かがいなければ生きていけない人。

閉鎖空間で相手が涼宮ハルヒなら二人きりでも構わない・・・のだが、声優・平野綾だった場合は微妙で、日系3世パット・ハーストだった場合は不条理である。そもそも、キッドはキスを強制されてするような人格でもないしな。女の子が世界を滅亡させると脅しにくるほど自分とのキスを熱烈に願望していればいいのにという若い男の子の願望の話であり、ま、哀愁ですな。

キョン(男子高校生)の一人称で展開されるこの世界はもちろん彼の中の眠れる森で展開される夢であり、涼宮ハルヒはキョンのアニマにすぎないのだが、女性を恋するあまりに一体化を願うキョンの影としてずーっと積極的にオカルトを愛する女の子になっているわけだ。

『うる星やつらビューティフルドリーマー』と『エヴァ』のレイとアスカの影響がかなり強いと感じられる内的宇宙アニメだが、とても上品にまとめられていて、舞台も田舎の県立高校とそつがない。もちろん、実在するサンタクロースとの接点がない人々の語る物語としては最高級の仕上がりだと思います。あんたも転送してもらいたかったのねぇ。

で、『涼宮ハルヒの憂鬱・最終回』(チバテレビ060703AM0~)原作・谷川流&いとうのいぢ、シリーズ構成・涼宮ハルヒと愉快な仲間たち、超監督・涼宮ハルヒ、(監督・石原立也)を見た。とにかくすごい人気である。そして熱狂である。設定がいい。主人公は知的なギャルゲーの一人称高校生。ヒロインは宇宙人、未来人、妖怪、超能力者などの実在を願う美少女おタク(美少女)。そしてその他の主な友達は宇宙人や、未来人、そして超能力者。彼らは正体を隠してこの世界の創造主であるヒロインを監視している。そしてヒロインは主人公に抱かれたいと思っている。・・・という設定である。これで熱狂しなければ一般人だというしかない。

主人公キョンがずっと心の声を語り続けるわけだが、成功の原因はこのモノローグの巧妙さにあるといっていいだろう。ただ一人の一般人で健全な面もあり鬱屈した面もあるという普通の男の子をさりげなく演じており、原作小説の味わいを上手に表現している。そこそこまじめでそこそこムッツリスケベーである。ある意味で控えめな諸星あたる。そして二枚目になったメガネなのであろう。ハルヒはしのぶなのだが、キャラはアスカである。これに対照するヒューマノイド・インターフェイスとしての綾波レイが配置されている。みくるちゃんはおそらく「スーチーパイのウサギ」なのではないかと思う。

もちろん、作者もスタッフも幼少時からこうしたエンターティメントに毒された人々なのであり、それをどのように排出していくかの技量が問われるところなのであるが、これがすんばらしい出来ばえなのですね。『宇宙の戦士』→『ヤマト』『ガンダム』→アニメ『宇宙の戦士』『銀河英雄伝説』といったラインによる記号がとびかう第11回射手座の日なんて、それだけでしばらく釘付けになる展開でしたし、雨の日の読書する長門有希なんてアナログテレビで見てたのにフリーズしたのかと思えるほどにかましてくるのです。トレビアン。

「嫌いな学校だけど好きな人がいるから行く」というのは永遠の青春主題歌ですね。その子が神だったり普通の子だったりしてドラマはさまざまに分かれていくのですが。高校生クイズに参加すればオリエンタルラジオが「あっちゃん風に流されていく~」と皇宮警察に厳重注意されたりするところも目撃できるようですが、普通の高校に入り、好きな女の子が宇宙の中心的存在である確率はどのくらいなんだろう。そして彼女がイライラすると街が巨人に破壊されてしまう確率は。

ま、原典探しはほどほどにしないと現役のおタクたちが白眼視するかもなのでもうやめておこう。とにかく、サンタは実在しないがジュブナイルの主人公たちは実在するのではという希望は切なく美しいものだと考える。ま、実はサンタは実在する。そうじゃないと思う子たちは単に良い子でなかっただけの話だ。キッドはずっと良い子なので未だにサンタがプレゼントをくれるのである。

関連するキッドのブログ『ハニー先輩はウサギになりました。』

火曜日に見る予定のテレビ『結婚できない男』(フジテレビ)

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2006年7月 2日 (日)

今夜も中尾明慶を見てしまう。

二日連続で『ドラゴン桜』の一服もられて腹下し男を見ることになろうとは・・・。邪な目で神木・志田ペアの成長過程を見ようとした選択なのに景色が悪くなるではないか。松川尚瑠輝とキャラかぶっているし。しかも、オーバーラップしていくとはどんなジダンなんだ。

ともかく、神木隆之介(セントラル子供タレント→アミューズ)と志田未来(セントラル子供劇団→研音)という子役から俳優・女優に一歩を記したコンビの主役・ヒロインの顔合わせである。特に神木くんは子役として最大限に活用されており、残燃料があるのかどうか興味深い。なにしろジャニーズのタレントではないわけで。

山田涼介(ジャニーズJr.)がより美形の役所で配置されているのがシンボリックではないか。久しぶりの美形の天才子役である神木くん。目標は風間杜夫さんだ。もちろん道は険しいがチャンスはあると思える。どうか、精進して大成してもらいたい。

で、『探偵学園Q』(日本テレビ060701PM9~)原作・天樹征丸、脚本・樫田正剛、演出・中島悟を見た。スタッフ的には『喰いタン』系である。お笑いまではいかないのだが、なんとかサービスしようというまじめさの伺えるスタッフだ。その誠意ある態度についつい利用客になってしまう人がいる。といった番組作りをする・・・もちろん、これはキッドの直感による想像なので悪しからず。

しかし、海開きとはいえ、中学生までターゲットにするなら、夏休み直前くらいのオンエアにすると良かったなあ。期末テストなんじゃないの、今。ドラマの内容はまったく本当のキッズにふさわしいものになっているのだし。もちろん、邪な大人たちもキャスティングで見てしまうわけですが。原作漫画(画・さとうふみや)もTBSのアニメも人気もうひとつだったので、知らない子供も多いはず。そういう子供たちには楽しめる内容だったはずだ。なにしろ「名探偵になるための学園の入学試験」という導入部分だけで奇想天外の一語につきるからな。

もちろん、おタクな小学生には無理だが、普通の子なら小~大学生まで楽しめる内容になっていたようです。秘書増設技で鈴木砂羽の他に無駄にグラドルを一人くらいキャスティングしておいても良かったと思いますが、なにしろ、お笑いまではいかないまじめなスタッフだからな。それは無理な注文なのかもしれない。

理論を積み重ねる探偵よりも直感で正解を導き出す探偵は王道ですが、この手の探偵が決め付ける真実はかならず無理矢理なところがある。つまり、穴だらけの推理なのだが犯人が参ったと言うので勝つパターンなわけです。そういう意味で神木くんのような美形がお笑いにならない三枚目を演じる必要が出てくるわけだが、やはり、グイグイ押していくのは難しいのよねえ。凡人モードと天才モードの切り替えには演出的にもう一工夫あるべきだったなあ。特に見せ場、頬ににきび、次のシーン、にきび消失がキッドにはきつかった。テクノロジーがあるのですから、良心的な制作姿勢だけでなく、美意識を持って仕事をしてもらいたいです。

このメンバーならレギュラー化もあると思いますが、変声期、成長期にともなう容姿の変化と極めてナイーブな製作現場になるはず。少なくともトリックはオリジナル要素を強くしていかないともうひとつという評価になることを保証しておきます。今回、邪な大人に対するサービスは充分でしたから~。

ハリーポッターのような制作プランもあるのだよなあ。中一から始めてシーズンごとにスペシャルをつくっていくき、中三でワンクールやるとか。まあ、巨人戦は巨人が強くても弱くても視聴率をとれず、苦しい展開。ドラコンはまとまりのない展開。とはいえバラエティーショーがそこそこ強いから歌とかドラマが伸びないのかな。この局は。だから、やらないかなあ。やればいいのになあ。

月曜日に見る予定のテレビ『HERO』(フジテレビ)

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2006年7月 1日 (土)

1547年信長初陣。1548年綾瀬はるかを娶る。

原典である小説『戦国自衛隊』(1971)の作者・イーデスハンソンこと半村良さんは低学歴・低資産・低容姿の人々に優しい視点を持つ作家だったと思う。この小説も当時の自衛隊隊員という社会的にあまり恵まれていない人々が時を得て、生きがいのある人生を送るという話である。もちろん、その後の様々な仮想戦記の元祖でもあるのだが、それから35年、模倣作があらゆる意味で原作を超えられないというのはすごいな。

もちろん、シミュレーション戦記としては多くの傑作が生み出されているのだが、半村版は発想と構成の巧みさが不朽なのである。直接の翻案としてコミック版正・続は次に面白い。角川版映画が次。最近、ドラマ化された『戦国自衛隊関が原の戦い』と福井晴敏の翻案による『戦国自衛隊1549』シリーズが出来の悪さを競う展開になっている。今回は福井版の映画バージョンテレビサイズというわけだ。まあ、そこそこです。

次の三点がチェックポイント。戦国時代おタクを満足させなければならない。軍事おタクを満足させなければならない。SFおタクを満足させなければならない。その上で人間ドラマが描かれていること。ハードルは高い。しかし、半村版はすべてをクリアしているのである。

で、『金曜ロードショー・戦国自衛隊1549』(2005劇場公開作品・日本テレビ060630PM0903~)原案・半村良、原作・福井晴敏、脚本・竹内清人(他)、監督・手塚昌明を見た。まず1971年と現代とでは自衛隊の環境はどのように変化したのかを考えなければならないが、そこにはあえて触れないでおく。平成版では常に憲法9条にかかわる問題がクローズアップされてしまう。これが作品を難しくしてしまうのである。キッドはタイムスリップしてしまえば意識は変容すると考える。郷にいっては郷に従うべきなのだ。だから、自衛隊はもっと素直に戦闘に突入するはずなのである。

軍事的には少数の近代兵器が圧倒的多数の旧兵器との戦闘でどの程度有利なのかという問題がある。これは自衛隊対北朝鮮軍や米軍対中国軍でも十分考慮される要素だ。次に電子兵器のバックアップの問題がある。軍事衛星や、情報を統合する司令部抜きで部隊がどの程度、機能するのかという問題だ。最後に補給の問題がある。燃料、弾薬、食料。孤立した部隊には危機的な問題である。

これらをどうしたかというとネグるのである。スカシなのである。1547年に乱入した第一陣はとにかくこれらの問題を克服し、すでに戦国武将として地位を確立しているというところに第二陣が到着するのである。ドラマはここから始まる。つまり、一番面白いだろうと思われるところはすでに終っているのだ。どうですかね。皆さん。

1549年、信長の地位を奪取した戦国自衛隊は、美濃・斉藤道三と同盟し、石油精製施設まで保持している。さらに、タイムスリップの原因となった超兵器を改良し、富士山を噴火させて関東を壊滅させようとしている。これに対し救援にやってきた第二陣は未来を守るために第一陣と敵対しなければならなくなる。生瀬勝久(3佐)江口洋介(元自衛官)・鈴木京香(2尉)・北村一輝(斉藤家臣)・嶋大輔(曹長)VS鹿加丈史(1佐)・的場浩司(2尉)というキャスティング的にも第一陣不利な戦いが始まる。こんな世の中滅んでしまえという立場を否定するものでなければとうてい受け入れられないアンフェアな展開だ。

キッドが望んでいる展開。濃姫(綾瀬はるか)と偽信長の夜枕合戦。鈴木京香が敵に捕らわれ、拷問逆さ緊縛水責め。大筒によるヘリ撃破。騎馬突撃に対する重砲炸裂。包囲攻城による自衛隊員の共食い寸前飢餓体験。自衛隊の側面支援による包囲殲滅からの脱出劇。陽動作戦による少数精鋭逆転勝利。・・・ふふふ、最後の願いは少し聞きとどけられましたが。ま、殺人が絶対悪という呪縛から逃れない限り、この手の話は面白く作れないという他ないな。設定では現地の人(戦国時代人)を殺傷しないために実弾の発砲は控えなければならないという部分もあるのだ。バカじゃないか。

SF的にはパラレルワールド(多次元宇宙)的発想ではなく、過去の改変=最初の未来の消滅(虚数空間に食われるらしい・・・爆笑)という時間一本道理論である。ま、それはそれで『タイムパトロール』始め、傑作な展開は多いのだが、そういう場合の定番である時間の修復は成った。しかし、戻った未来は少しだけ改変されていた。がないのである。人間は100年後にはほぼ消滅するという宿命を持っていて、100年前の歴史的真実というものはすべて捏造にすぎないのだが、・・・たとえばほんの60年前の戦争のことをあなたはどの程度歴史的事実として認識しているでしょうか。・・・それにしても怨念のようなものは必ず残るのである。そうでなければ夢がない。少なくとも秀吉の朝鮮侵攻作戦がなくなり、半島が平和的に日本の領土になっていて韓流ブームはなかったぐらいのことがあってもおかしくないのだが。ないのである。

1560年に桶狭間合戦である。ただでさえ、信長窮地の戦だ。自衛隊内戦によって、連合中の美濃も痛手を受けている。自衛隊が去った後、突然秀吉になった忍者一人と川波衆、そして三代目信長飯沼七兵衛が今川義元を敗北させることができるとは到底思えないのだが。

ああ、無理だ。無理だ。あらゆるおタクを満足させる『戦国自衛隊』は無理なのである。無理を承知の冒険。キッドは企画者に暖かい拍手を惜しまない。

月曜日(日曜深夜)に見るテレビ『涼宮ハルヒの憂鬱・最終回』(チバテレビ)UHFだけど特別に見逃してくれ。

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