上戸彩のシャワーシーンは本人とは無関係です。
池袋ウエストゲートパーク、アキハバラ(秋葉原)@DEEP、ときて下北(沢)サンデーズである。東京は本当にたくさんの顔を持っているのだな。両国高校ということは半村良の後輩であり、直木賞濃度は濃いのだなあという原作者。藤井フミヤ、堤幸彦という三人から生まれた企画であるという。ゴージャスだ。
もちろん、小劇団をめぐる青春物語であり、心のせまい小劇団おタクはバカにするなと怒り、心のひろい小劇団おタクはまあ、ありなんじゃねとほくそ笑み、心のせまい小劇団に興味のない人はなんじゃこりゃと面食らい、心の広い小劇団に興味のない人はほほうと関心する。もしも失敗した場合、上戸彩おタクは堤演出の責任を問い、堤幸彦おタクは上戸演技の責任を問う。ということになると思う。もちろん、キッドはこのタッグに失敗はありえないと考える。だってゴージャスなんだから。
上戸彩以外はすべて脇役という設定になっており、これもゴージャスだ。スターとその他大勢をこれほどはっきりと打ち出したドラマは最近珍しくなっているのではないか。もちろん、上戸彩は例外だ。上戸彩は常にくっきりと主役なのである。コミック原作の戦うヒロインでなくても、金八だろうが大河だろうが、他のすべてをかすませる主役のオーラを持っている。彼女と対価なのは同世代では後藤真希なのだが、演じることについてはついに企画を与えられないまま、現在に至っている。ゴマキにもあずみはできる。ゴマキのあずみも絶対に見せるはずなのだ。しかし、おしいかな、ゴマキのスタッフはおタク文化の本質を見誤っているのである。
で、『下北サンデーズ』(テレビ朝日060713PM9~)原作・石田衣良、脚本・河原雅彦、主題歌・藤井フミヤ、演出・堤幸彦を見た。まず、脚本家は劇団主催者だった過去を持つともさかりえの夫であり、下北沢の演劇事情を知らないわけはない。実際と違うと批判する現実の下北関係者は虚構という意味を知らないか、想像力がないのである。しかし、こういう現場を離れて10年になると思うがキッドの想像する現在の下北と虚構内の下北がまったく同じだというのもすごいっていうか、キッドが登場人物たちとと実年齢が同じだった30年前とも変化がないような気がする。下北沢、時間が停止しているのか。
ま、それが演劇というか、小劇団をめぐる人々の本質なのかな。有頂天ケラことケラリーノ・サンドロヴィッチがまだ藤井フミヤと似ていた頃、いや、なんか、そういう雰囲気の頃もあったのよ。そういう頃となーんも変わっていない気がするのだなあ。つまり、雑草魂だよ。この国にはアカデミックな演劇というものがないわけなのだよなあ。だから進歩がないのである。民間にすべてまかされているのである。それはそれで素晴らしいとも言えるのだな。だからこそおタク文化は発生したとも言えるのだ。
そして、寺山修司の生きていた頃とというか、つかこうへいが輝いていた頃のというか、そういう時代の演劇魂が下北では保存されさらに繁殖しているようなのだ。それをおちょくる展開が、千葉大理学部入学式である。上戸彩の両隣にすわるキモイ学友がチビデブメガネで物理学科の三谷幸三(眼鏡太郎)とヘルメットヘアで数学情報数理学科の野田秀夫(辻修)である。そして二人はお笑いの偏差値がウルトラ低いのである。アハハ、それはちょっと言いすぎ。三谷はともかく、野田はそんなに低くないだろう。
さあ、小ネタの時間だ。上戸彩の体操着。3年B組里中ゆいかだ。子供時代の里中ゆいか桑島真里乃ちゃん、上戸に似すぎ。そのお習字「渚のハイカラ人情」、周囲の劇団「ロリコン伯爵」「犬魂」「チョップ番長」「下北沢連続革命戦線」、実家・山梨の旅館「鹿鹿館」に鹿の剥製ダブルで。湯殿でパパロッティと化したおじいちゃんの背中に何が。まさか、黒子。下北サンデーズの演目『鏡の中のカルメン~響け!電気釜』(ひびけ電気釜!!/三上寛のリスペクトか?)、イタリア料理店ドッチノ。原宿のクレープ、不味っ! シャラポワ研究会。上戸彩自身から、この役柄であたしがゴールデンってどうなのよとナレーション。
佐々木蔵之助をめぐる佐田真由美と山口紗弥加の争いとか、北村総一郎と古田新太の関係とか、そこそこ伏線は張られている。それはそうとケラでなくフミヤがひっそりと出すぎで、変装してんのかよと思わずテレビにつっこみました。視聴率とれたかな~。
土曜日に見る予定のテレビ『人生はフルコース』(NHK総合)
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