ここはアメリカ地獄なのか?(森山未來 )
亜米利加地獄か、亜米利加天国か、意見の分かれるところですが、このドラマの最後に示される「正しい戦争」という言葉はこの世のものとも思われない。正義の戦争はあるし、正確な戦争もある。正月の戦争もあるし、正解の戦争もある。正当な戦争もあるし、正規の戦争もある。この世は正しい戦争で満ち溢れているが、この正しい戦争はどの戦争のことなのだろう。
せっかくの娯楽作品に水を差す「つまらないクレジット」は本当に損である。言いたいことは作品の中で言えばいいのだ。現代から戦時に送り込まれた森山が死の間際に「正しい戦争なんかない。責任者出て来い」と叫ぶので充分だろう。その正しい戦争は分かる。「平和な日本で生きていたのにありえないタイムスリップで人間魚雷に搭乗させられ特攻するなんて正しい戦争じゃない」とキッドも納得である。
神風特攻機は1944年10月が第一号と言われるが組織的に軍が作戦として行うのはほぼ1945年である。これに対して特殊潜航艇の攻撃は非常に帰還率の低い特攻作戦であるにもかかわらず、1941年の真珠湾攻撃から行われていた。潜水艦よりも小型な潜航艇で敵艦に肉薄し、魚雷を発射するというシステムがエスカレートし、魚雷そのものに人間を積み込む「回天」が誕生するのは1944年8月である。これは特攻機とは違い、新兵器であるから、研究そのものはずっと以前から続けられていたわけだ。1944年末から発案者、研究者、製造者が一体となって100名ほどを発進させた。潜水艦(イ-15級、イ-16級など)に搭載され隠密行動、輸送艦もろとも撃破などの事情により作戦記録も定かではない。一億総特攻すれば許される行為もぐだぐだ敗戦では生き残った関係者はさぞ寝覚めの悪いことだったろう。終戦後の特攻では宇垣中将の彗星11機道連れ自決特攻が有名だが、「後から行くといっておいておめおめ生き残れるか」という心情は正しいとか誤りではなく、恥ずかしい気持ちとして理解することのできるものだと思う。軽巡洋艦「北上」は回天(8基)搭載艦として改造されたが同時に終戦を迎えた。それが間の抜けたことなのか、幸運なのか、キッドは後者であってほしいと願う。
で、『スペシャルドラマ・僕たちの戦争』(TBSテレビ060917PM9~)原作・荻原浩、脚本・山元清多、演出・金子文紀を見た。1944年に生きる大日本帝国の赤とんぼの飛行訓練兵と2006年前後を生きる日本国の趣味のサーファーが特に理由もなくチェンジするファンタジーである。死者の霊が憑依したオカルトとも考えられる。この場合は太平洋戦争体験は幻想ということになる。擬似SFと考えると、雷雲に発生したプラズマとビッグ・ウェンズディー的低気圧がスパークして時空の狭間を生み出し現在と過去へそっくりさんを等価交換したという説明でも説明仕切れない作者の都合が介在したらしい。
森山が現代に送り込まれ上野樹里に童貞を捧げる大日本帝国海軍軍人と、過去に送り込まれて内山理名の処女を奪う日本国のフリーターを見事に演じている。内山は奪われていないだろうという人はいるかもしれないが、空襲のときに処女を失う体験をキッドは何人か本人から聞いているので、そうだったのだと言っておく。上野樹里のテレビ的にはギリギリの濡れ場もあり、なかなかにおしゃれなエンターティメントに仕上がった。戦争シーンの描写は現行コンシューマゲームマシンのCGレベルではあるが、何がどうなっているか分かる程度には臨場感があった。
過去に送られた森山が恋人の先祖にあって恋のキューピッドを務めようとするのは文章で書かれるだけならごまかせるだろうが、映像化するとかなり無理のある展開であった。だが、まあ、なんとか、ごまけたかな。
恋人が気付かぬほどのそっくり度と言うと一卵性双生児であり、タイムスリップ能力を持ったエスパーというのが合理的であろう。古田新太の本当の子供は出産直後(命の危機発動パターンなので難産だった)森山Bにはじかれてどこかに飛ばされたのだと考える。こうして森山Aは戦前を森山Bは戦後を生きるのである。
そして入れ替えが起きる。これで最後はどちらが浮上してきてもおかしくない。もちろん、辻褄的には森山Bが復帰し、森山Aの死体が過去にというのも美しい。また、森山Bは通常魚雷の三倍の炸薬で木っ端微塵になったのだから、そのゆらぎだけが現代にエコーしてひっかかったロープを揺らし、森山Aが助かったというのもそれなりに趣きがあると思う。もちろん、結論を受け手に委ねる手法(リドルストーリー)はあってもいいのだが、キッドとしては結末回避症候群として根性なしのレッテルを貼ることにしている。
またか、また、客におまかせか。たまにはシェフにおまかせでお願いしたいのだが。
ともかく、戦前からの戦後の批判。戦後からの戦前の批判のどちらも行われ、歴史的に公平だった。主張は「人間なんて世の中がどうなろうとそれなりに生きていくものだ」である。だから最後のテロップは作品に対しての侮辱とも思えるのである。内容と関係ないようと思うのだ。本当にTBSテレビってそういうところがダメだな。
上野樹里のドラキュラに対して森山がウサギで返すのと「1+1はニー」のくりかえしのギャグのスカシ展開。このユーモアセンスをベースにゆったりとしたよどみない演出で金子演出はオフィスクレシェンドこの夏一番の腕前を披露したと思う。ファンとしてホッとしたよ。
もちろん、上野樹里が内山理名と森山Bの孫である可能性もあり、この場合、限りなく祖父と孫の近親相姦に近いことになってしまうが、あくまで森山Aは祖父兄であり、遺伝的には問題なしと考える。
まあ、何もかも作者が提示するのは無理というものだが、脳内補完に頼りすぎると駄作になってしまう。そういう意味では過去にタイムスリッブした現代の人も、現代にスリップした過去の人も、スムーズに描かれていた良作でありました。現代森山に感情移入した男の子たち(視聴者)はそっくりさんとはいえ、昔の男に彼女を奪われた疑似体験がトラウマになったかもしれず、それはそれでとても楽しいことだな。わはははは。ま、フィクションですから。
関連するキッドのブログ『今日は大日本帝国の敗戦記念日』
火曜日に見る予定のテレビ『ダンドリ。(最終回)』&『結婚できない男(最終回)』(フジテレビ)
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コメント
コメ&TB感謝です。非常に緻密な記事で、色々追体験ができました。特に内山理名処女喪失という考察、卓見ですね。また、伺います。
投稿: 焼酎いっき | 2006年9月18日 (月) 17時06分
焼酎いっき様。
密林まで出張していただき恐縮です。
ついでにエルメスの件も激しく同意しておきます。
これはとんでも推察ですが・・・。
美咲は美紀にエルメスを学んだ気配濃厚です。
それではまたお目にかかれますように。
投稿: キッド | 2006年9月18日 (月) 17時27分