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2006年9月 3日 (日)

先生に言いつける?・・・弱虫ね。(ダミアンの娘)

ダミアンの娘ディーリア(エイジア・ヴィエーラ)は愚かな人間の子供を挑発する。子供ははしご登りの途中で恐怖のために失禁してしまうのである。はやしたてる子供たち。このように悪魔はおそろしいことをするのです。いじめっ子がみんなの前でおしっこちびるなんて、おもらしなんて、屈辱です。

もちろん、これからたっぷりと恐怖をしぼりとることのできる子供と違い、敵対する大人には容赦ありません。いじめっ子の親がどなりこんくると交通事故に見せかけて首と胴体を切断です。事故車からコロコロと転がり落ちるおもちゃのボール。なかなかのモンタージュですね。

狂信者たちの策謀により、一命を落としたダミアンですが、どっこい血脈は途切れていなかったのです。映画『オーメン/最後の闘争』(1981)から10年。悪魔崇拝者のラブコールに答えて、地獄の皇子ダミアンが復活いたしました。しかも、少女に変態です。「男を女で」はパクリの王道ですから、勉強になります。オーメン三部作は回を追うごとに低調になるのですが、これは「すべての子供は悪魔である」の定理にのっとって当然のことなので、子供が主役の本作はテレビドラマ(日本では劇場公開)でありながら下手すると第一作を上回る仕上がりになっています。ま、ジェリー・ゴールドスミスの「オーメン」のテーマさえ聞こえてくればファンはワクテカのガクブルなのですが。

で、『オーメン4』(テレビ朝日060903AM0204~)脚本・ブライアン・タガート、監督・ホルへ・モンテン&ドミニク・オートナン・ジェラール、テーマを除く音楽・ロバート・ランドレスを見た。なにしろ、悪魔側の一方的勝利に終る傑作である。コアなファン以外にはえーっ!であり、派手なFSXもなしなので・・・ひそかに世界支配を狙う悪魔がそんな派手なことできますか・・・想像力のない人々にはなんだかつまらない作品と評価されがちなのだが、神の意思に逆らって偶然を装い、邪魔者を排除していく悪魔の美学にキッドは酔いしれました。

聖フランシス孤児院を訪れた子供のいない富豪の夫婦は嬰児を引き取る。ダミアンの子供であるという出生の秘密を知る尼僧長はいきなり心臓発作。ディーリアと名付けられた子供は何不自由なく育ち、神が交通事故で殺そうとしても黒犬ライダー(ケルペロスである)が救出、いじめっこが下手に手出ししようものならきついお仕置きのできる少女へと成長した。

やや神経質な養母(フェイ・グラント)は直感的に娘に魔性を見出すが、娘の成長が与える癒し効果に至福も見出してしまう。現実家で政治家として順調に成長する養父は養女を純粋に愛する。ここで、混入してくるのは血縁のない娘に対する義母の嫉妬である。それは罪であるがゆえに養母は悪魔処刑の資格を失っていく。友人から「キャリーみたいなパワーでも持っているっていうの」と聞かれ、笑うしか出来なくなっていくのである。ここに乳母としてニューエイジのサイキックが参入する。アメリカを代表する教会のような権力も嫌い、かといって正統な科学からは落ちこぼれたダメ人間の集団である彼らは超科学の信奉者すなわちオカルトの人々である。少し、頭の緩いところのある養母はたちまちこのあやしげな集団に感化されてしまう。娘が悪魔の子ではないかと疑い始めるのだ。教会の敵であるダミアンを教会を逃れた異端者が排除しようとするという皮肉な展開である。

サイキック=クレイジーなので超科学フェアはつまり頭の足りない祭りなのであるが、か弱き悪魔狩り主義者たちはここにディーリアを招き、正体を見極めようとする。そこには占い師や千里眼や心霊写真家がいるわけですがちょっと手出しをしようとして軽く炎上します。唯一派手にやっちゃうわけですが火のあるところで人体に火がつくだけですので神の意志に逆らったわけではありません。大騒ぎを背に会場を去るディーリア。これだけの力を見せ付けられて「子供だから大丈夫」という乳母は所詮、中途半端な不信者。高窓から放出され児童遊具の上で死亡。その後でディーリアはクルクル回って遊びます。う~ん、エレガント。

8才で初潮を迎えたディーリア。同時に養母は妊娠します。血縁の誕生にたちまち養女が疎ましくなる養母。彼女は娘が悪魔であることを立証することで自分の中の悪意を合理化しようとするのです。神の計画は破綻し、悪魔の打つ手が冴え渡るところ。悪意で正義の剣はふるえませんからね。ここで、神の使徒として起用されるのが元悪徳警官の私立探偵、隠し撮りの常習犯であり、盗みに心がとがめないほどの堕落者です。彼は逆十字の呪いを受けた尼僧イボンヌ(娼婦を経て新興宗教の教祖になっている)を発見し、ディーリア出生の秘密にせまるのですが、イボンヌはガラガラヘビにかまれ死亡。探偵もオーメンテーマを歌う悪魔の聖歌隊の幻影におびえつつ解体工事の鉄球に直撃され死亡します。ほらほら、中々におしゃれです。神の持ち駒の少なさ=この世の地獄なのですから。

ようやく真相にたどりついた養母はアンチキリストのヒットマンとして拳銃片手にディーリアと対峙する。しかし、出産した我が子アレキサンダーがディーリアから移植されたダミアンの息子(ディーリアの双子の弟で褒状奇形児だった)だと知りつつ、その状況の複雑さや、自らの悪意に混乱して自殺(もちろん魔力による殺害と解釈も可能)してしまう。悪魔側の計画の完全勝利である。わはははは、神よ。思い知ったか。雨の墓地でダミアンの遺児二人は愚かな養母を弔うのであった。

ま、自分をどの勢力に属すると感じているかで結末に関しての印象は変わると思いますが中立の立場のキッドとしては今回はとにかく地獄の皆さんが一矢報いた感じでなかなかさわやかなラストでした。ツァラストラからこっちペルシアから西ではサタン=ルシファー=闇の子が地獄を支配し、東では閻魔大王=釈迦=仏様が地獄を支配しているわけです。地獄=この世という立場から考えるとま、どちらもほどほどにしておいてねという感じですが、歴史的には宗教的事件はリアルイベントにはならないと考えると、神が勝とうと悪魔が勝とうとさして変わらないってことですね。それは宗教分離を説く宗教団体を母体とする政党みたいな怪しさを漂わせています。所詮、信じるものたちは「この世には神の偽者があふれています。私の信じる神以外は偽者です」という呪縛から逃れられないのです。でも本当にそうなのか。自分の神は本物か。誰もが不安に感じるところです。キッドは一言言っておきたい。大丈夫。あらゆる人間に本当の神様が宿っていますから、そして本当の悪魔様もね。それが中立というものです。

月曜日に見る予定のテレビ『東京フレンドパークⅡ~hiro&ソニン来園』(TBSテレビ)

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