「えっ、まさか生むっていうのじゃないでしょ」と志田未来は言われた。
今のところ、最大の悪役(キッドにとってね)である父親(三浦春馬)の母親(室井滋)が息子の行方を捜してきて言うセリフ。もちろん、合理的に考え、リスクの少ない選択を行うことが常に正しいのであれば、彼女の言うことに賛意を投じる人も多いのではないでしょうか。
現在、地球上の人口は65億5226万5294人。1分で150人増えるので実際にはもっと多くなっている。これに1を加えることはマクロの視点からは、まあ、どうってことないわけですが、当事者にとっては大問題。
すべての人間が大学教育を受けることもできる国家において、義務教育を妊娠のために放棄するなんて、ものすごい反逆行為ですからね。しかし、自然は人間を不平等に作り、そして社会はそれを縮小しようとしたり拡大しようとして成り立つ。発達障害や性的不能でその機会のない人間と比較すれば14才の母はまったく幸福な存在です。もちろん、それを許さないのもそれぞれの親の力量や運しだいでまったく構わないと思うのですが、だからといって14才の母が生む行為そのものを否定するのは明らかに不幸なことではないでしょうか。
で、『14才の母・愛するために生まれてきた・第5話・バイバイ・・・初恋が死んだ日』(日本テレビ061108PM10~)脚本・井上由美子、演出・佐藤東弥を見た。世界を敵に回す決意を固めた娘の差し伸べた手をもはや握り返すしか道のなくなった母(田中美佐子)はどうやら最初の世界からの裏切り者(=娘の味方)になったようだ。感情的に納得できないむきもあるかもしれないが、理詰めではこの母親の行動は充分納得の行く描写だった。
少なくとも家族には秘密にできなくなったため、弟もついに生命の神秘に触れる。男の子がいつセックスというものを知るべきなのかどうか、多くの親が戸惑うことなのだが、父親としては血のつながりを説明する際に早くした方がいい気もする。とにかく、そのシステムを知らない限り、子供は父親との血縁関係を理解することができないのである。
親の中にはセックスに対する心理的抵抗が大きいものがあり、自分たちがセックスしていること、あるいはセックスをしたことを子供に絶対に知られたくないというものもいる。それが健全なのか、病的なことなのかは議論の分かれるところだが、まあ、恥ずかしがりやさんということなのでしょうね。
少なくともそれが「性教育」に対する障害となっていることは明らかである。学校で性について教わってきた子供が恥らう大人をいびる情景は美しい日本の姿であると思う。そうでありながら結果的に望まれぬ妊娠が発生した場合、さらに恥らうのがそういう大人たちであるというところが醍醐味である。
本来、生は死に通じるものである。生まれたものはやがて死ぬのであり、それが人間の恐怖の根源である以上、性はおそろしいものに他ならない。しかし、好奇心は猫を殺すのであり、怖いもの知らずの子供が恐ろしいことをしでかす可能性は消えないのである。
これは「殺人」を教えなければ殺人がおこらないかどうかという問題と類似点を持つ、この世からありとあらゆる殺人という情報を消去しても殺人が起こることはまず間違いないことなのだ。
父親はあくまでも堕胎を願う。しかし、第三者である医師はその願いを冷たく突き放す。父親は娘と家族が堕胎によって追う傷と出産によって追う傷を計算し、どう考えても堕胎の方が安上がりだと考えたのであるが、すべてがコストの問題で片付くわけではないのである。
15才の父親は母の説得をふりきり、割り切ることを拒否する。しかし、だからといって何かをできるわけではなく、14才の母親に語る言葉はない。最後に別れを言いに来たという彼女の言葉にただ涙を流すだけ、そして自分の母親の「叱らないし、悲しむことはない」という言葉に「哀しいんじゃない。無力な自分に腹が立つだけ」と苛立ちをぶつけるのみ、そして去っていく。泣かない約束したばかりなのにもう涙の14才の母親。この場面が綺麗すぎると感じる人も多いだろうが、それはただ志田未来が美しいだけ。女優に美しすぎると文句を言っても始まらないのである。ま、キッドが親なら、ロマンチックぶちこわしだとしてもこの状況で二人きりにさせることはしませんがね。一度走って逃げられたのを忘れたのか田中美佐子は。つないだ手を離さないぐらいでもいいと思うが・・・ずーっとそうしているのは不可能だから、ここは娘を信じるしかなかったという方向で納得することにする。
この物語の中の第三者として重要な役割を持つと思われる担任教師(山口紗弥加)とハイエナ偽善マスメディア代表(北村一輝)はそれぞれ、なんらかの過去を秘めて、少しずつ、この問題の渦中へ。このじわりじわり感も非常に計算されていて邪魔にならない。
休日に全校生徒が1人もいなくなるのかどうか、やや、ひっかかるが、最後のDJを終えた14才の母に予告編まで続く主題歌「しるし」が「最初からこうなることが・・・」流れ始めるとああ、もう終わりかと井上脚本の緻密さに舌を巻く。
途中で雑用をしたりして、時は流れ、世界の人口は65億5227万9567人に増えている。いじめを苦にして死ぬ子供もあれば、親を殺す子供もいる、この瞬間、レイプされ妊娠しエイズになる子供もいれば、この瞬間、子供がいるのに離婚する夫婦がいる。このドラマが現実に即していないと考える人も多いだろうが、そういう人にとって現実とはどういうものなのか、キッドはしばらく妄想して、ちょっとこわくなる。
金曜日に見る予定のテレビ『セーラー服と機関銃』(TBSテレビ)さあ、今度はぽんぽこ組の襲撃ですよ。がんばれ、八代目!
| 固定リンク
コメント
こんばんは!
凄いわ~。視点を全世界に広め、広義として生むための意義を説きましたね。私としては狭い世界にいるもので日本であることと14才なのがネックなんだと思うんですね。
でも、確実に人口増加に寄与していることは変わりませんのでそういう目でみればありがたいことかもしれません。しかし、子が育つまで未希は自立できませんし、ある程度成長してからやっと学校に通えるなどかなりのリスクを背負うでしょう。一人の子を産むことで支える費用もバカにならないような気もします。天秤にかけた場合、自分だったら敬遠するなと思っちゃいます。親としてはさらにでしょうね。他人であればものわかりのいい顔をして偽善ぶるでしょう。そんな自分がいやらしいとは思いますけどね。
投稿: かりん | 2006年11月 9日 (木) 21時15分
✿❀✿❀✿かりん様、いらっしゃいませ✿❀✿❀✿
まあ、それが平均的な現代日本人の家庭経営観だと
思いますね。
昔、ある俳優が60才で若い女性に子供を生ませました。
子供が成人すると80才です。
でも65才で死ぬ確率は
25才の人が30才で死ぬ確率より高い。
確率で言えばかなりの悪だと言えます。
さらに言うと、これだけ甘やかされた人々が
25才で人の親になるっていうのもかなり危なっかしい。
ちょっとした悪です。
ところが、世の中はそういう親子で成立しているのです。
で、成人した子供が親の援助なしに
どれほど自立した家庭を築いているかという問題もあります。
ある意味、日本人は貴族ですから、
選ばれたものとしての責任がある。
という考え方もあります。
アジアの貧民たちを指導するために高等教育を受け
一億総管理職体制を維持するために
脱落は許されない。
妊娠出産などもってのほかということです。
しかし、一体何人の人が名も知らぬ大学を出て
今日も金のあまったお年寄りから
オプションなんたらかんたら先物取引で
金をかすめるための営業電話、営業メールを
かけ続けていることでしょうか。
14才の母は24才で10才の子持ち。
34才で20才の親です。
キッドは元気があってよろしいと思っちゃいます。
14才の母の母、推定年齢40才前後の人たちは
「おばあちゃん」と呼ばれるには早すぎる
と思っているのではないか。
と10時の視聴に向かいつつキッドは考えました。
投稿: キッド | 2006年11月 9日 (木) 21時58分
キッドさんこんにちは~♪♪
ヤマトは本日も真面目な顔して
仕事してるフリしてます。あぁ疲れちゃう。
ていうかもう疲れました。訪問者激減してるしーー!!!
ムキーーー!!!残酷極まりないアクセス解析ーーー!!!
そこまで正直になるなーーー!!!
だから数字はキライなんだーーー!!!
「14歳の母」が
愛とは何か。性とは何か。親子の絆とは何か。
そしてこのドラマを通して、皆に考えてもらいたい。
避妊は重要、命は大切、母性とは素晴らしい。
とても重量のある課題を題材にしたドラマなのは
よくわかるのですが(この前初めて見たくせに
知ったようなことを言う)、
ヤマトは、
「好きな人の赤ちゃんを産みたいのに
好きな人もいやしないもしくは好きな人に相手にされない」
というこれもまたある意味
厳しく過酷な現実を背負って生きているので、
出産が母体に危険であろうとも、
社会や学校に辛い仕打ちを受けようとも、
ヒロインが羨ますぃ~かったりするのであります。
だってぇ、好きな人の赤ちゃんを産めるのだもの、
それは女性にとっては素晴らすぃ~。
あのドラマは幸福な「14歳の母」の例で
(結末知らないけど、たぶん)、
世の中は悲しい悲劇が毎日起きているのは承知、
少し不謹慎でした。ごめんなさい。
ちっくしょう、数字め~。
通信簿といい、通帳の残高といい、給料明細といい、
数字には苦しめ続けられっぱなしーーー!!!
投稿: ヤマト | 2006年11月10日 (金) 15時31分
☆*⋄◊✧◇✧◊⋄*ヤマト様、いらっしゃいませ*⋄◊✧◇✧◊⋄*☆
ココログのアクセス解析、新方式になってふくざちゅーに
なって一歩間違えるとずーっと見ていたくなり、
危険を感じているキッドです。
キッドの多重人格群の中にテルヲくんという数学マニアがいて
ほとんどマイナーキャラなのですが
これが頭をもたげようとするため
数学なんてきらいだよ人格同盟が拘束衣を持って
脳内を巡回しているのです。
さて、頭の狂っている話はさておき。
キッドはどちらかといえば14才の母の出産擁護派で
中学生の妊娠出産容認は偽善だ絶対堕胎組合との
暗闘を繰り広げているわけですが
一ノ瀬家の家庭の事情まではふみこみません。
ふみこみ不可能だし。
たとえば「子供を捨てるなんて許せない」と
誰かが叫ぶとき、
「捨て子」の立場をつい考えてしまうキッド。
「捨て子はダメ」=「捨て子である本人がダメ」
言葉の持つ曖昧さがキッドに警戒信号を送ります。
「捨て犬はダメ」=「捨て犬は処分」
ですからねぇ。
キッドの親しい捨て子の皆さんに聞くと
「まあ、それが世間というものだから」
と悟ったお言葉が。
たとえば「美人とはいえない娘を持った」父親が
「嫁のもらい手」はあるのだろうかと心配したり
「三度のメシよりギャンブル好きの息子を持った」母親が
女の人にも興味を持ってもらいたいという場合。
やはり14才の母は「うらやましい」存在なんですよね。
まあ、親の立場から言えば、子育て中に予期せぬ、新生児の誕生は困ったことに他ならないのですが、ドラマを親子で見て、こういうのだけは勘弁してくれよぉと子供に哀願するのも情けないということなんでしょうか。
ま、見て見ぬフリは処世術の初歩ですが
自分の子供が女の子をコンクリート漬けにしたり
監禁したり
レイプしたり
殺したり
するのを見て見ぬフリをすれば
必ずや地獄に落ちることになると
死後の世界を信じるキッドは言うのです。
「中学生のくせに子供なんて生みやがって」
と14才の母の子はいつか言うかもしれませんが
そんなことを言うやつは
「銀行預金が一億円ないくせに子供なんて生みやがって」
「東大もでてないくせに子供なんて生みやがって」
「弁護士資格もないくせに子供なんて生みやがって」
「ヤンキースの松井秀樹でもないくせに・・・」
「常盤貴子じゃないくせに」
「貧乳のくせに」
「デブのくせに」
「チビのくせに」
「ローンがあるくせに・・・」
とも言う可能性がありますからねーっ。
昔の人は言いました。
「親が無くても子は育つ」
あるいは
「育つといいなぁ」
あるいは
「育つかもね」
あるいは
「育つしかねーんだよっ」
投稿: キッド | 2006年11月10日 (金) 19時51分