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2007年3月31日 (土)

お芝居が上手だと思われたらどうしよう。(蒼井優)

音楽番組をゲストの女優目当てで見るというのは邪道ですが、蒼井優目当てで見ました。いや、レミオロメンだって聞くのは嫌じゃないですけど。

オシャレな番組である。初期の鳥越俊太郎がインタビューアーをしていた頃はどちらかと言えば番組のおしゃれさと鳥越のもっさり感がミスマッチでちょっと気持ちが悪いところもあったのだが、「ゲストアーティスト×ゲストがトークしたい人」という形式になってからは、見たい人の登場を待てば良いスタイルになってキッドとしては良かったと思う。

ただし、トークショーとしては無理があるので、気持ち、個室ありのレストランでとなりの部屋にスターが来て、思わず聞き耳をたてるというような視聴の仕方になる。

「うっそーっ、トナリ、藤巻亮太と蒼井優だよーっ。な、何話すんだろーっ」という感じです。

で、『僕らの音楽#151レミオロメン×蒼井優』(フジテレビ070330PM1130~)構成・山内浩嗣、町田裕章、演出・板谷エイジを見た。対談は藤巻亮太が蒼井優を指名してスタートである。指名理由は「ファンだから」つまり「好きです」ということなのであった。ちなみに藤巻は妻も子もある身である。

最近、レミオロメンのライブを蒼井優が見に行ってすでに顔見知りらしい二人。

藤巻「最近、どういうことを考えているのかなぁって気になって・・・」(なんじゃそりゃあ)

蒼井「いつも台本のセリフをしゃべっているので自分の言葉で話すのは緊張します」

藤巻「僕も緊張してます・・・」

ここで蒼井のプロフィール紹介VTR。ナレーションは草彅剛。「Dr.コトー」から「ハチミツとクローバー」そして「蟲師」(公開中)で「フラガール」、各賞総なめの展開。

藤巻「すごいですよね」

蒼井「でも、私がすごいんじゃなくて、映画って総合芸術だからそういう役を監督さんやスタッフが作ってくれただけなんです。私が賞を貰っても、私だけのものじゃないので、芝居がうまいとか思われたどうしよう・・・って」

藤巻「いや、作品賞だけじゃなくて女優賞があるのはやはり、それだけ、魅力があるってことだと思うんです」(褒めましたーっ)・・・ちなみに藤巻はいじめっ子だったという。蒼井はいじめられっ子だったので、ここには大人になったいじめ経験者のほのぼの感があるのだった。

藤巻「監督の存在って大きいのかな?」

蒼井「おっきいですーっ」

藤巻「そうなんだ・・・」(おいおい)ま、基本的に聞き出すという姿勢のない二人である。聞いててヤキモキするが、この二人クラスになるとその行間で持つ。「どんな風に?」「一番影響されたのはどの監督?」などというツッコミを期待してはいけない。この後、「蒼井優」の尊敬する女優の話になり「桃井かおり」の名前が出て、「自分にはなれないだろうな」と思いつつ憧れるという話になるのだが、「桃井かおりのどんなところが・・・」などとはけして広がらない。「ないものねだりってあるよね」とまとめてしまう藤巻くんなのだった。

ここで蒼井が「レミオロメン」を知った経緯が語られる。

「舞台で共演した二宮和也さんが楽屋でいつも聞いていて教えてもらった」と言う蒼井。その曲が「3月9日」なのであった。それ以来、開演前にリラックスするために「レミオロメン」を聞くようになったのである。

ちなみにこの舞台はおそらく『シブヤから遠く離れて』(2004年3月Bunkamuraシアターコクーン)であろう。作・岩松了(のだめパパ)、演出・蜷川幸雄という重い芝居で、主演が二宮。共演に小泉今日子や杉本哲太も出ている。とにかく、この時点でレミオロメンはそれほどメジャーではないから、二宮が発売直後の「3月9日」(三枚目のシングルである)を好んで聞いていたというのはなかなかに含蓄のあるエピソードなのだが、そういう話にはならないのだった。

ちなみに「3月9日」のプロモーションビデオには堀北真希と池田鉄洋が出演しているが「南風」には貫地谷しほりが出演しているのである。(貫地谷って書きたいだけだろ・・・)

ついでに「3月9日」は「パラダイム」とならんでお菓子の「キットカット」のCMソングになっている。限定発売のコラボレーション企画である。時期はずれるのだが、2003年のキットカットはショートフィルムコラボで六代目イメージキャラクターの鈴木杏が主演しているのだが、相手役が蒼井優である。花(鈴木)とアリス(蒼井)なのである。つまり、レミオロメンと蒼井はキットカットつながりなのだった。ああ、「花とアリス」(2004岩井俊二監督)も見たくなってきた。

つまり、2004年3月、劇場で「花とアリス」を公開している頃、レミオロメンは「3月9日」をリリースして、それを二宮が気に入り、舞台で共演している蒼井に教えた・・・。そういう地味なドラマが展開していたのですね。

ここでレミオロメンの紹介VTR。さて、2005年の「1リットルの涙」である。こな~ゆき~である。ここで「3月9日」はドラマの中で合唱の課題曲として使用され、オリコンチャートに呼び戻される。主演は沢尻エリカで蒼井優とはニコラのモデル仲間だな。

スタジオライブ①「3月9日」/レミオロメンである。

ここで桃井かおりの話になり、藤巻の尊敬しているアーチストの話となる。おそらく前世紀末、藤巻がコンビニでバイトしていた頃に有線でいつもかかったというのがTHE YELLOW MONKEYの「楽園」(1996)である。ま、新・木曜の怪談のタイアップ曲である。とにかく、藤巻は憧れていたらしい。THE YELLOW MONKEYのポーカルは吉井和哉である。

スタジオライブ②「楽園」レミオロメン×吉井和哉(コラボレーション・ゲスト)

ま、ファンにはたまらない組み合わせなのでは・・・。そろそろ、まとめのトークである。

藤巻「10年後、どんな女優さんになっていると思う?」

蒼井「10年後、続けているかどうか、わからないし・・・」(おいおい)「モチベーションが大切だと思うんです。今は演じることが楽しいけれど、自分を切り売りする仕事なので、それがいつまで続くのか・・・分からないから」

藤巻「うん。結局、戦いなんだよね。情熱を持ち続ける。勝負なんだよね・・・」

・・・・なんとか、まとまったか・・・な。

スタジオライブ③「茜空」/レミオロメン

そうね。もう春だもの。

関連するキッドのブログ『いじめられて、よかったよ。(蒼井優)』

日曜日に見る予定のテレビ『すみれの花咲く頃』(NHK総合)・・・っていうか土曜ワイドが「温泉もの」じゃないっ。久しぶりにザ・テレビジョンにだまされましたーっ。エイプリールフールは明日だっていうのに・・・。さて、どうする。NHKの金子ドラマか、ハリポタか・・・。

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2007年3月30日 (金)

桜満開に対抗するべくモノマネ全開でお腹いっぱいの春の夜。

木曜日の夜は激戦だったなぁ。それはお花見との戦いっていうか。日テレは「志村どうぶつ園」から「ダウンタウンDXDX」へと繋ぐほぼ4時間。TBSは「伊東四郎&泉ピン子の夫婦劇場」から「渡る世間は鬼ばかり・最終回スペシャル・上戸彩参戦」とピン子責め。フジは「クイズ$ミリオネア」から「とんねるずのみなさんのおかげでした」でテレ朝「世界水泳メルボルン」テレ東がポケモン・NARUTO・プロジェクトAである。もう、どれもちょっと見たい感じの番組大作戦なのだった。いや、すごく見たくはないんですけど・・・。

いや、あえて、言うとキッドの場合はこれです。

で、『博士と助手・細かすぎて伝わらないモノマネ選手権EPISODEⅩ(とんねるずのみなさんのおかげでした 絶品お土産&ものまね満開!!春の超特大スペシャル)より』(フジテレビ070329PM9~)企画・石橋貴明・木梨憲武、構成・秋元康/遠藤察男(他)、演出・太田一平を見た。後半一時間くらい、のべ53ネタ(お手本をのぞく)である。もう、お腹いっぱいなのであった。

(0)ゲストなし。博士(木梨)と助手(石橋)に大博士(関根勤)、細かすぎても伝わるモノマネロボ有田くん(有田哲平)。例によってお手本。有田くんは「高田延彦の挨拶・日本とアメリカでの違い」(日本では相応、アメリカではハロー、アメリカのみ)と「新日本プロレスで永田裕志が関節技をかけたときのありえない表情」を披露。大博士は「不思議体験を語る平山あや」(目が覚めたら宇宙人がいたんですよ。本当なんですよという屈託のないフォレストガンプぶりをやや強引に)と「便座をあけたまま座った男」(地球上から消えちゃうかと思ったで強引にフォロートーク。ベテランの味わいだ)

(1)シューレスジョー(吉本興業)「テンションの高い『とくダネ!』の小倉智昭」(ブラボー、ドラリオン、ビバ、人間!)もうなんだか、スターターとしての地位を獲得しているようだ。(2)360゜モンキーズ 杉浦双亮(太田プロ)「元中日のディスティファーノと虫」「元ロッテのマドロックのヒットエンドラン」「元日本ハムのイースラーの来日初打席」の三連打。おなじみである。(3)キャン×キャン 長浜之人(ヴィジョンファクトリー)「かんでしまう『スーパーニュース・スポーツの力』の永島昭浩キャスター」(イングランドプレミアムリーグマンチェスターユナイテッドウェンルーニーハットトリック、この後、しゅぐ・・・)爆笑。(4)ショウショウ昇平 昇司(吉本興業)「キャンプでイチャイチャする星野仙一監督と田淵幸一コーチ」(モノマネ漫才の二人20年目のベテランであるが・・・見えない・・・が芸はいぶし銀)、(5)チョップリン西野恭之介(松竹芸能)「決めにかかると声が変わるモニカセレシュ」(オゥアー、オゥアー、オゥアー、オゥイーッ)爆笑。(6)惑星プラネット田島孝一(吉本興業)「CHAGEの誕生日に歌うがな行がからむASKA(飛鳥涼)」(ナッピーバースディトゥニュー・・・)(7)みょーちゃん(松竹芸能)「韓国軍隊の独特な鍛え方」(これは明らかに韓国人差別ネタだな。それはそれですごいがスタジオではかの国には厳しさが残っていると日本にはこわい先輩がいなくなったと若山富三郎さんを例にとりラビットがフォロー。流石だ) (8)いとうあさこ(マセキ芸能社)「シブがき隊より目立っていたシブ楽器隊」(ガリガリガリ・・)(9)花香芳秋(浅井企画)「新幹線の指定席が窓側ではなく通路側と知った鉄道マニアの原田芳雄」(俺ァ車輪の音が聞きたいんだ)爆似。(10)次長課長 川本準一(吉本興業)「マカオで『バンキシャ!』に発見されちょいといやがるキム・ジョンナム」(これは北朝鮮おちょくりネタだが、政府がテレビで敵対的広報をする時代なのでスルーなのだな) (11)エハラマサヒロ(大滝エージェンシー)「ミスチルのeverybody goesを歌うがアレンジしすぎる桑名正博」(桑名さんが大阪に拠点を移していることを考えるとローカルネタなのか) (12)弾丸ジャッキー 松雪オラキオ(ニュースタッフエージェンシー)「中国の体操選手シリーズ、ラインオーバーをしてテンションが下がる李小双選手」 (元・インターハイ九州チャンピオンだからな。反則に近い) (13)どんぴしゃ 森本のりひさ(吉本興業)「山瀬まみにガッテンを求める『ためしてガッテン』の立川志の輔」(似ているのだが、もうネタとして一展開欲しいのかな) (14)末吉くん(太田プロ)「なんとなく犯人の手がかりをつかむベテラン刑事を演じる平泉成」(ナイスバッティング・・・いやいやプロの世界は厳しいですな、コーチが亡くなられたばかりですぐに練習ですか・・・ところでサインをいただけのすか・・・ほう、ペンは左で持つんですか!)もはや、白熱の一人芝居なのだがついでに山崎末吉コンビも解散したらしい。(15)田村ゆきこ(ソニー・ミュージックアーティスツ)「二行ですべてを伝える田中眞紀子」(私も苦しいみんなも苦しい・・・SMAトライアウトライブ(笑)で番外編JUMPクラスらしい)(16)くじら(オフィスインディーズ)「蜂の巣駆除スターシリーズ」(釣り師シリーズよりさらに狭いポイントへ・・・オレの前では働きバチもニートになる上杉貴敬、ホームレスになる岩田瑞男、こちらハチの引越しセンター888の888・・・もう身動きできない狭さ)(17)小川貴之(一般・高校生)「自転車のパフパフ音」(異常に機械音)、(18)博多華丸・大吉(吉本興業)「やたらとうるさい横峯パパについに口をひらく横峯さくら」(全体昇りだからさスライスだけどさまっすぐだなしかしいいグリーンだな)もう催眠術のレベルだな。(19)マキタスポーツ(オフィス北野)「かなりアバウトな地理的説明で道に迷ったスタッフを叱る矢沢永吉」(だからそこのオーシャンを右って言っただろう)渋いのだが矢沢のマネが抑えすぎかもな。(20)牧田知丈(一般・会社員)「中途半端なスイングをした自分に気合を入れる落合博満選手」(脱帽。ドラゴンズの納会で芸を披露したらしい。製薬会社勤務おそるべし)(21)ガリットチュウ 熊谷・福島「宴会で男性社員のポロリにリアクションする女性社員」(セクハラネタなのだがとりあえず福島喜成の女形は冴えている)(22)代走みつくに(松竹芸能)「76th箱根駅伝で本選出場ラインスレスレの順位を発表する関東学連のスタッフ」(箱根駅伝全史で使いまわす気か)(23)ブータン大統領(吉本興業)「子供の忍耐力を試す坂田信弘」(これは・・・ノーコメントだな)(24)のろしけいち(松竹芸能)「おぼれる人」(水を含んで反則というトークもあるが本人がブログでオンエア決定を報告していてファンのコメントが泣かせる)(25)次長課長河本 ガリットチュウ福島「シンクロダブルスがプール外で打ち合わせ」(ここだけのコンビといえる)(26)ツジカオルコ(吉本興業)「ホテルの有料チャンネルの各国お色気ボイスの比較」(もう汚れ芸の極みだが本人がそれでいいならいいだろう。アメリカ女性、ドイツ女性、ロシア女性に受けたりするのならそれはそれで)(27)360゜モンキーズ山内・杉浦「元中日サムソンリーと元巨人小田のスクイズ阻止」(伝わらないと落ちるシステムはもはやオチの形式なのでそこはかとない様式美が成立しつつある)

というところで「おかわりタイム」である。(28)惑星プラネット田島「や行で仰げば尊し」(29)キャン×キャン長浜「かんで訂正しまたかむ永島キャスター(30)花香「俺ぁ、こだまじゃねえといかねえ」(31)小川「万引き主婦」(夫にコロサレルーっ・・・・)(32)杉浦「イースラーふたたび」(33)福島「トレンディードラマで会いたくない相手に会った浅野温子」(お久しぶりです・・・・ってなんであいつがいるのよーっ)(34)代走みつくに「83th箱根駅伝・・・」(35)ショウショウ「星野田淵ふたたび」(36)いとうあさこ「首もげちゃうと心配をかけるBaBeの二階堂ゆかり」(37)牧田「盗塁をする落合」(38)チョップリン「サバティーニ」(んー、んー、んー、んごーっ)(39)博多華丸「ダイエーホークス祝勝会の乾杯の挨拶シリーズ・浜名編、松中編」(40)シューレスジョー「天達~」(41)末吉くん「いやな感じに犯人を追い詰めるベテラン刑事の平泉成」(奥さんの実家は鳥取でしたな・・・お借りしていたスーツを返します・・・いやぁ鑑識が変なこと言うのですよ・・・このスーツについた砂は鳥取砂丘の砂だなんて・・・また、お邪魔します)(43)360゜モンキーズ「日ハムブリトーとダイエー吉永でデッドボール」

さあ、ファイナリスト。(44)松雪オラキオ「ロシアの体操選手シリーズ」(45)博多華丸「王監督」(えー諸君は素晴らしい今日は思いっきりやろう)(46)末吉くん「仏壇の前で息子の遺影に語りかける父親役の平泉成」(おい、ひろし、父さんちっともさびしくないぞ。お前のともだちが毎日のように来てくれるからな・・・お、今日も来てくれた・・・・帰ってくれんかっ)(47)いとうあさこ「お湯をこぼしそうなカップスターの荻野目洋子」(48)花香「哀川翔のロメロスペシャル」絶品。(49)牧田「江夏豊伝説の21球」名人芸。(50)小川「万引き女子高校生」完成品。(51)田島「な行で海」(ぬみはひろいなのーきーなー)(52)360゜モンキーズ「元阪神タラスコと元巨人小田でハーフスイングで三振」

そして優勝は(53)末吉くん。「仏壇の前で息子に語りかける平泉成」(おい、ひろし、もうすぐ父さんも母さんもそっちに行くからな・・・母さんも何かいってやれ、おい、母さん・・・寝ちまったよーっ・・・)文句なし。煮詰めるって凄いなあ。

関連するキッドのブログ『劇団ひとりと細モノ8

土曜日に見る予定のテレビ『土曜ワイド劇場・温泉㊙大作戦④』(テレビ朝日)そ、それかーっ。

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2007年3月29日 (木)

告げ口なんてしませんよ。(前田愛)

お人よしの両親に育てられた吉村晴子(21・前田)は強盗殺人・殺人・詐欺・詐欺未遂・窃盗の容疑で逃亡中の榎津巌(柳葉敏郎)に言いくるめられてこう言う。彼女が去った後で榎津は「いい子だ。しかし、いい子は損をする・・・」と嘯くのである。

実在した連続殺人犯をモデルにした74th直木賞受賞作『復讐するは我にあり』のドラマ化である。過去にも今村昌平監督・緒形拳主演で映画化されている。

タイトルが「復讐」についてのクリスチャンの考察をめぐる言葉であり、この解釈をめぐり、対話がなされるところが重要な要素なので少し解説してみる。

新約聖書の『ローマ人への手紙・12章19節』からの引用である。ユダヤ教およびキリスト教は一神教であるが、神を「主」と呼ぶ習慣がある。新約聖書は基本的にはユダヤ教の改革者であるナザレのイエスが冒涜者・反乱指導者として処刑死した後に、彼の弟子たちがイエスの事跡を綴ったものである。ここではイエスが主の言葉を代弁したものとして「汝の隣人を愛せよ」という教えの文脈で「たとえ、迫害されたとしても復讐してはいけない。主は復讐するは我にありと告げられている」と記されている。

基本的にユダヤの神は預言する者に言葉を仮託する。つまり、神を信じる狂人か、信じると振舞う虚言者によって神の意志を明確にするのである。もちろん、イエス自身も「預言」をするのであるが、ここでは昔の預言者の言葉を引用している。引用元はいくつかあるが、ここでは最も有名なモーゼの預言を示しておく。『申命記・32章35節』である。これは120歳で死んだモーゼの死ぬ間際の遺言であり、神がモーゼに告げた様々な言葉の羅列であり、その中の「主は復讐するは我にあり、我これを報いん」と告げたという一節である。

つまり、イエスの弟子がイエスがモーゼが神がこう告げたということを告げたと告げているのである。まあ、キッドはこの時点で少し面白いです。「殺すなかれ」と言う神が「殺したものをどう裁くのか」というのが主題である。モーゼの遺言は「裁きは神がする」と言っているわけである。

これを短絡的に捕らえれば人が人を裁いてはいけないということになり、司法制度は否定されるのだが、もちろん、イエスの弟子もイエスもモーゼも彼らの信じる神もそれほど単純なことを言ってはいない。モーゼは神に多くの言葉を与えられているのだが、『レビ記24章20-21節』では「骨には骨を、目には目を、歯には歯を。人を傷つけたものは同じ傷を負わなければならない。獣を殺したものは償い、人を殺したものは殺される」と宣言している。つまり、それを前提に「ただし、裁くのは神である」と言っているのである。この場合は神の言葉を伝えるモーゼが殺せといえば殺すということなのである。

もちろん、罪に応じた罰という刑罰の基本を述べたわけだが、モーゼがこれを言い出すのは次のような場面なのである。一族の女シェロミテの息子が「神の名前を呪う言葉」を言ったという罪で裁かれることになった。どんな呪いで神を汚したかは記されていない。そんなことをしたら神が汚れるからである。ここで神の言葉を伝えるモーゼは前述のように罪と罰について語る前に「神を呪う言葉を口にするものは必ず殺さなければならない。集いしもの全員で石を投げて殺せ」と言うのである。そして神を呪ったものは殺されるのである。

言葉は魔物である。時に人々は言葉に従い、時に逆らう。ドラマの中で「復讐するは我にあり」の言葉について「復讐は神がすることなので人がしてはいけない」と言う神父と「神は人の心にあり、つまり、復讐は人にしかできない」という主人公が論争する。もちろん、どちらも正しいし、どちらも間違っているのである。なぜなら、神は普遍的に存在するし、それは妄想に過ぎないからである。

で、『復讐するは我にあり』(テレビ東京070328PM8~)原作・佐木隆三、脚本・西岡琢也、監督・猪崎宣昭を見た。1979年の映画版に比べると逮捕直前の主人公の行動に絞った内容になっている。五人を殺して逃亡中の榎津がついに正体を見抜かれてしまう三日間の出来事がメインなのである。連続殺人犯の生々しさや凶悪さは薄められているが、人殺しが何食わぬ顔をして生活に紛れ込んでくる恐ろしさは充分に伝わっている。

榎津はクリスマスに千葉で詐欺未遂を働いた後、消息を絶っていた。全国に写真入のポスターが配布された指名手配の身の上である。正月、聖者が街にやってくるを奏でるハーモニカのメロディーの響くC型機関車に乗って、彼は九州にやってきていた。雑誌で見た「死刑囚の再審運動中の教誨師・吉村」を次なるターゲットに定めていた。彼はこれまで衝動的な反抗を重ねていたが、同時に信心深いものに強烈な憎悪を抱いていた。善に対する疑いが彼の人格の根本にある。偽善を憎むのではなく、善そのものを憎むのである。そういう意味で彼は聖なる反逆者と言えよう。いわば悪魔である。

榎津は吉村(大地康雄)を訪ねるが、目当ての旅館は人手に渡り、吉村家は貧乏所帯、しかも、年末の借金取りから逃れるために一家で留守にしている。しかし、榎津は郵便受けから吉村家宛の年賀状の束を手に入れ、近傍の旅館に一泊する。

元旦に戻ってきた吉村一家。妻・圭以子(岸本加世子)と子供たち。次女のちか子(山口愛・佐々木麻緒に似ているが別人、ちなみに山口1997年生ウルトラマンメビウス出演、佐々木1999年生ウルトラマンマックス出演である)は「年賀状が来ていないことに不審を抱く」その理由は「自分が10枚も出しているから」であった。彼女はその年賀状への頑固な拘りによって世界を疑うことになり、榎津が指名手配の男だと見抜くのである。

榎津は神を疑うことにより、疑わないものを欺くことが出来たのだが、純粋に疑う幼女の神の目を逃れることができなかったという皮肉が強調される。

翌日、弁護士を装い、「吉村の運動」を手伝いに来たと偽り、なんなく、吉村の家に入り込む榎津。「誰かが年賀状を盗んだ」と確信するちか子は一目で指名手配の男だと見破るが、家族はとりあわない。証拠の品を求めて、駐在所に向かったちか子だったが、ポスターは榎津がすでに剥がしてしまっていた。

榎津の偽装された善意を信じ、家に招きいれた吉村一家だったが、頑固に指名手配の男だと主張するちか子に徐々に根負けする。「もしかしたら・・・」しかし、善意を信じる吉村には決断をすることができない。「人違いだったら相手に失礼」なのである。しかし、妻は「もし、殺人犯だったら殺されるじゃないの」なのである。しかし、ゴミ箱からちか子は「指名手配のポスター」を回収してくる。そして親戚の家に行った志田未来に似ているとか、堀北真希に似ているとか言われるけど私が元祖チャイドルよの前田愛が演じる晴子もポスターに榎津の姿を見出すのだった。

通報をした吉村に駐在所の対応は冷淡。「死刑反対運動」をする吉村はお上に逆らっている目障りな存在だったからである。しかし、連続殺人犯を追う中央の面子はそういう局所的な反目を上回っていた。動き出す県警の刑事たち。ガセだとしても、それまで、本命ならお手柄なのだから当然動く昭和30年代末なのであった。

夜、おびえながら、榎津と話す吉村。「聖書に復讐するは我にありという言葉がある。それは復讐するものに神が与えた免罪符だ」と言う榎津。親に売られた過去を持つ榎津にとっては心の支えの言葉だった。しかし、吉村は「復讐は神がするので人がしてはいけない」という言葉だと伝える。榎津は「嘘をつくな」と激昂する。

ちか子はついに榎津のカバンから年賀状を発見する。翌朝、気配を察し、逃亡しようとする榎津は刑事に囲まれ、任意同行に従う。指紋捺印を拒む榎津に刑事は言う。「では逮捕する。容疑は年賀状の窃盗だ・・・」

テレビのインタビューに答えるちか子「なぜ犯人だと分かったのか」という質問に「こわがっていたから」とこまっしゃくれた答えをするのだが、「年賀状が盗まれたから」と答えてほしいところでした。この頃、小学生が年賀状を待ち焦がれる気持ちは尋常ではなかったのである。

この後、虚構の世界では華麗なる一族の事件が起こり、それが集結する頃、榎津は死刑となる。それまで助命嘆願を求めて殊勝にふるまっていた榎津は死刑執行の日、「心穏やかに」と言う神父を嘲笑う。「俺は人を信じない。まして神など。俺はすべてを信じないのだから」そして悪魔の哄笑を残すのだった。

殺される旅館の女将に余貴美子。静岡弁を交えての濡れ場を熱演でした。

関連するキッドのブログ『早く行かないと泣いちゃうよ。(前田亜季)』

金曜日に見る予定のテレビ『僕らの音楽・レミオロメン×蒼井優』(フジテレビ)

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2007年3月28日 (水)

ひとりやぐち希望の劇団ひとりとやぐちひとりでいい矢口真里の最終回。

ま、四月からリニューアルするということで名称変更による最終回なのだな。モーニング娘。系の皆さんは若い娘だけにいろいろな問題を起すわけで、管理する方も大変だと思うのだが、結局は「自覚」につきるのだよなぁ。

汚れなきファンたちにただ愛されるだけでごはんをいただく幸せ。これをもう少しかみしめてくれるといいのだよなぁ。もちろん、自分の幸せが分からないことが若いってことなんですけれどね。ま、おそかれ、はやかれ、潮時は来るのであって、「今」を大切に生きたって問題はないのだが、そしてトラブルを巻き起こした方が面白い場合も多いのだが、やるせない思いを胸に去っていくのはつらいだろうに。

昔と違ってアイドルが長者番付に登場する時代。目のくらみ方も半端じゃないでしょうけれど。それにしても直訳すると「上前代理人な」事務所。野放しすぎるといえばすぎるような気がするが、それが今風なのかしら。

ともかく、アイドルとしては道を踏み外した一人として矢口真里がサバイバルしているのをキッドは素敵なことと思うのです。それにしてもこの時間帯にのんびりと125回は素晴らしい。がんばって全国ネットまでたどり着いてもらいたい。

で、『やぐちひとり・最終回』(テレビ朝日070328AM0136~)構成・水野宗徳、小池正宏、演出・伊戸川俊伸、ナレーション・中尾良平を見た。2004年の秋スタートなので2年半なのである。でありながら、スタイルがそれほど変わっていない。スタジオというより、どっかの会議室を収録場所にしていて、そこに些少は時の流れによる年輪が加わっている程度。ま、いい感じのチーブ感。やすらぐのである。その中でDVDを紹介しつつ、サブカルチャーっぽいゲストに何かを習ったりする。時にはちょっと本気で映画を作ったり、本格的にルービックキューブの大会を開催したりする。ああ、キッドの考えるテレピの理想の姿がそこにあるのだなぁ。

これをやれるタレントもスタッフも幸せなんだと分かってくれているといいよなぁ。そしてだらだらと10年くらいは続けてもらいたいものです。

で、今回は「あやとり」である。あやとりかよっ。しかし、「箒」を作る二人の呼吸はなかなかのいいムード。ゲストの先生はテレビ初出演、矢口と同い年のアヤトリスト・鈴木千恵(1983年生)である。劇団ひとり「不思議ちゃん系で一個一個のリアクションが期待通り」に「どうゆうイメージ持ってるんですかーっ」と言う鈴木。「そーゆーところ」です。

で、先生の見本演技。①東京タワー、②カメ、③ゴム(なつかしーっ)、④飛行機、⑥かぶと、⑦めだか(ほどいて「逃げちゃった」アリマス)である。さらに世界のあやとりとして⑧イヌイット族の「白鳥」⑨ナバホ族の「蝶」と続く。ま、環太平洋あやとり族の分布であるな。ヨーロッパの方とかも見てみたいものだ。

まったりである。ここで流行の(ま、話題のくらいでも良かったがテレ朝だからな)「東京タワー」に矢口と春樹(劇団ひとり)がチャレンジ。春樹が一回して矢口に無理矢理やり直させる件など、ほのぼのである。矢口がマスターし、スピード勝負へ。先生7秒、矢口25秒だった。・・・このどうでもいいや加減がたまりませんっ。

そして、「リニューアル」についての雑談。いかにものA4企画書登場。「やぐちひとりスーパー!(仮題)」である。結局、内容、時間枠などまったくこのまま。ただし、収録場所が移転という物理的な要因で変更になるのだった。二人の名称が「相談員」から「研究員」に春樹が「とにかく上手にはずしている」と結論して、番組はほぽ続いていくらしい。エンディングテーマは「BLAST」黒川芽以だったのだが、これが変わるくらいじゃないの・・・とキッドは来月の「新。やぐちひとり」を予想してみる。

関連するキッドのブログ『あややゴルフ、娘ドキュ、やぐちひとり・・・

木曜日に見る予定のテレビ『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ)から『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)だけと゛『ダウンタウンDXDX』も見たりして・・・。

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2007年3月27日 (火)

私、クビになっちゃったんですーっ。(加藤あい)

おいおい、また使えない奴になっちゃったのかよっとツッコミたいところだが、それでこそ、加藤あいである。加藤あいはキッドにとってはいつまでたっても「こけしの女」なのである。「ハケンの品格」の裏・主人公として普通の女の子の成長を見せた後で、ちょっと人格的に問題ある女の子になって知らない間に殺人者。こけしだ。こけしそのものだ。もちろん、それは「池袋ウエストゲートパーク」(2000)のヒカルの記憶が濃すぎるからなのだが、ピチレモン出身のこの深キョンの同級生は独自の世界を切り開く。キッドの重要な脳内キャラクターである。

今回、目玉は「加藤あい」だが、残り四作品は常連プラス「バンピ」(櫻井翔)である。彼は「木更津キャッツアイ」(2002)の「モー子狙いのエース」として固定されている。う~ん、世紀末からこっち、宮藤官九郎の作り出すキャラクターおそるべしだな。

短編、あるいはショートショートの場合、このようなタレントパワーとフリとしてのキャラクターは重要な要素となる。そのままよりかかるにしても、裏切って予想外の役どころを演じさせるにせよ、である。こうした無作為のコピーというか、量産化に際し、原型師にギャラを支払うシステムがないのはこの世の不条理の一つなのだな。

で、『世にも奇妙な物語・'07春の特別編』(フジテレビ070326PM9~)企画・石原隆(他)、音楽・蓜島邦明、ストーリーテラー構成・中村樹基、ストーリーテラー演出・植田泰史を見た。ストーリーテラー・タモリは料理店の支配人として奇妙な料理を振舞うという設定。最後は「奇」なるスープを出す。第三話の前フリで「スパルタ教育」について触れるのが記憶に残る程度。あっさりである。

①「才能玉」脚本・大野敏哉、演出・植田泰史。奇妙なアイテムのコメディー。悪漢探偵の逆転オチ。嫌な青い鳥エピローグである。奇妙なアイテムは魔物行商人ネタだが、「ニードフル・シングス」(S・キング)のように店舗を構える場合もあり、通信販売もの、ネット・ショップものと時代に応じて営業形態は変容する。「うる星やつら」ではラムが宇宙的規模のこの手の流通機構から奇妙なアイテムを買うのは定番ネタ。今回は「なめるだけで才能が開花する飴玉」をネット・ショップで手にいれる「才能のない若者」の話である。

ミュージシャン志望の若者(櫻井)はオーディションで「音楽的才能」がないことを指摘される。同棲相手の女(平山あや)からは「そろそろ将来のことを考えて」と言われる。ま、よくある光景だ。で、「アイテム」を手に入れる。基本である三つの願いで飴玉は三個。「どんな才能が開花するかなめるまで分からない」のが怪しいポイント。ここで禄でもない才能という手はあるが、なかなかに工夫がある。第一の才能は「画才」である。天才的な絵を描くが「画商は素晴らしいが100年早すぎる」と「価値」を認めない。しかし、大衆に受けていたぞ。第二の才能は「サッカーのリフティング」、たちまちスカウトされるが、「パスもドリブルもシュート」もできないので解雇されてしまう。しかし、試合に出るまでに分かるだろう。工夫があるのだが、詰めが甘いのである。第三の才能が「犯罪計画立案」の才能である。次々に浮かぶ犯罪計画。誘惑にかられる主人公。ここで「犯罪者」になれない「善人」であることがハッピーエンドに向かう。恋人を完全犯罪で殺すことを思いついたが、実行せずに警察官になるのである。しかし、計画することと、結果から過程を推理することは違う才能ですけれどね。ともかく、「バカとハサミは使いよう」ということで一件落着。しかし、本当は音楽の才能が欲しかった主人公。最後に恋人が飴玉を使用すると・・・である。

②「ヴァーチャルメモリー」脚本・高山直也、演出・星護。これも奇妙なアイテムのコメディーである。結末はバッドエンドっぽいが、記憶の消去が可能なこの時代の法体系はどういうことになっているのだろうか。どちらにしろ主人公(加藤)の「精神鑑定」は困難を極めるな。疑似科学として「人間の脳はコンピューターと同じ」という設定があるのだが、一般的なイメージとして「電気信号」を「コピー」した時に「オリジナル」を消去するというのはデジカメからPCへのデータ転送に際し、元データの削除を行うというサービスによる連想なのか。本人から記憶を奪うという「オチ」のための無理な仕掛けである。もう少し、魔法の方に寄せた方がしっくりくるネタでした。

記憶の認識に対する共感性というのは意外に穴だらけだからな、瞬間記憶、短期記憶、長期記憶という構成システムや、回想という再構成システム、そして物質的なメモリーと時間的なメモリーとの差異。そういうことを知っているものと知らないものの落差は大きい。地球が惑星であることを認知しない人と星の話をするような混乱が常にある。

ともかく、仮想現実を脳内に直接刺激で挿入できるシステムが普及し、レンタルビデオ店で他人のメモリーがレンタルできる世界。ドジでノロマなOLは上司(小木茂光)に叱責されてストレスがたまる。「スカッとしたい」ので刺激的な「他人のメモリー」を求めるのである。それが「レーサーの記憶」だったり「スタントマンの記憶」だったり「ワニ狩り」の記憶だったりするのだが、絶叫マシン感覚なのである。より、強い刺激を求める主人公はついに「裏もの」に手を出す。この裏と表の差ももう一つ。「ストリートファイト」だの「戦争体験」だのが裏になるという感覚がないキッドが特殊なのだろうか。ま、「暴力」=「非合法」という構図なのかな。

さらにどうやら、コピーできるらしい商品である。世の中はたちまち海賊版だらけになるはずだよな。

ま、とにかく、大金がないと「裏メモリー」を手に入れられない主人公の所に記憶のスカウト業者(ヨシダ朝=早大哲学科卒の怪優)がやってくる。「あなたの記憶、高く買う。売った記憶なくなる、い(いいですか)?」なのであった。

こうして「自分の記憶を売り、他人の記憶を買う」という売買のサイクルにとりこまれた主人公。これが一品ものなら、オリジナル売り上げ100万。市場価格200万なのだが、オチでは250万で売った記憶が200万で買えることから薄利多売、つまり量産可能が窺える。もし、システム的に一度記憶が消去されるにしても、量産価格で買い戻せば儲けは出るのである。そうしないのはシステムに悪意が混入しているのだな。脚本の穴とも言うが。

とにかく、記憶を売り、記憶が脱落するので仕事に支障をきたす主人公。ついに会社を解雇されてしまう。直後に高値で売れた記憶。それは殺人の記憶だった。その記憶の持ち主は・・・。「私、殺っちゃったんですーっ」(加藤あい)なのであった。うーん、いいんだよー。君はそれでいいんだよーっと思う人にはグッドエンドです。

③「雰差値教育」脚本・小川みづき、演出・佐藤源太。プラスアルファのネタ。だじゃれネタでもある。「雰囲気+偏差値=雰差値」ということ。で、教師ドラマのパロディーを行う。基本的には学力よりも心の発達を重視した教育に対する皮肉であり、冷笑もの。「心を評価・採点できるのか」という主張なのだが、そんなものできるに決まっているのだが。冷たい笑いをあびる女優としては右に出るもののいない永作博美が指導力に問題のある教師を演じる。「お調子者はお調子者らしく、不良は不良らしく、個性をのばす方針」というのがちょっと笑えた。ようするに「教室でくさい芝居が達成されるかどうかが問題」というコントである。立場を利用して主人公を追い込む上司が温水洋一。オチは「元の木阿弥」。あるいは「バカは死ななきゃなおらない」なのであった。スパルタ教育と関係なさすぎ。

④「午前2時のチャイム」脚本・演出・長江俊和。ウソから出たマコトもの。サイコもの。心理実験もの。日本では医療として認められていないホメオパシー(毒をもって毒を制す療法)を精神病治療に応用したもの。ようするに、擬似人格を作って逃避する多重人格の殺人狂に本人が忘却している擬似人格を暗示によって挿入し、擬似人格と擬似人格を対立させ、本来の人格を覚醒させようとするという、もう書いていても何が何だかわからない設定。サイキックはキチガイでもあり、超自然能力者なのだが、その隙間から異界のものが侵入してくるスーパーナチュラルホラーおちである。

ちょっと頭がおかしい二枚目をやらせたら右に出るもののいない椎名桔平が患者を演じ、最後は都市伝説のマスク女に襲撃される。桔平萌えの人は見逃せない。治療チームに山口紗弥加がいて注射をしてくれるのでそれが好きな人にはうれしい。

⑤「回想電車」原作・赤川次郎、脚本・田村田孝裕、演出・土方正人。「死んでいるのに気がつかない」ネタ。「末期の夢」もの。「残酷な結末」オチ。ま、いい夢見ながら死ねてよかったと思う人にはハート・ウオーミングなハッピーエンドでもあるだろう。うらぶれて死ぬ小市民を演じさせたら右に出るものがいない小日向文世が電車の中で過去のいい思い出に繋がる人々と再会する住所不定の乗客を演じる。

関連するキッドのブログ『怪談・新耳袋・劇場版

水曜日に見る予定のテレビ『復讐するは我にあり』(テレビ東京)

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2007年3月26日 (月)

朝は俺の強さは泣けるでだったり、夜は京流の強さとやらを見せてもらおうかだったりで、日曜日は血沸き、肉踊るのでございます。

おタク心を騒がせるものは様々だが、日曜日にものすごいコンテンツが二つ並んでいて、「華麗」のレビューをしている間もそそられ続けていたのである。もちろん、名作原作ありで主人公をエースが務めるという「華麗」のレビューだってなかなかに楽しいのであるが、それなりに気苦労したりして、疲れたりもする。まあ、好き勝手にレビューしたっていいのだが、それでは面白くないので、ギリギリの線を狙うからである。

「ネタバレ」一つにしても「推理小説」で「犯人が誰か」を明かすことは失礼だという考え方に一理はあるにしても、それが分かったって楽しめるだろうという考え方もある。キッドの母親のように「小説」を読むときには最初に結末を読んで「何がどうなるかわかっていないとこわくて小説なんて読めない」などという人もいるのである。

もちろん、「娯楽」ということを考えると、「知らないことで楽しめる」という部分はあり、その楽しみを削ぐのは意地悪であることは確かだろう。しかし、「知っているから楽しめる」こともあるのである。だから、人は再読、再視聴をするのだから。

「情報」に意味を見出す基本は分割による再構成である。あらゆるものにフリとオチがあり、「フリ」を理解することによって「オチ」に納得するというシステムなのである。作品の中にもフリオチはあるのであるが、作品をオチと考え、作品以前をフリと考えることもできる。たとえば「恋愛ドラマ」を楽しむにしても恋愛体験の有無は微妙に作品内容の楽しみ方を変えるだろう。

おタクは「ネタバレ」などをあまり気にしないのが本筋である。一つの情報をとことんしゃぶりつくすのが基本姿勢だからだ。「ネタバレ」などされたら「うっひょーっ」と喜ぶものである。だからといって「ネタバレ」を嫌う人につきまとうのは見苦しい。やはり、ここは同じ喜びを分かち合えるもの同士、小さくまとまって生きていくのが常なる道だと思う。ま、「仮面ライダーシリーズ」も「戦国もの」も掘っても掘っても底のない「魔の情報源」なので、こんな前フリ無意味なんですけど。

で、『仮面ライダー電王・第9話・俺の強さにお前が泣いた』(テレビ朝日070325AM8~)原作・石ノ森章太郎、脚本・小林靖子、監督・長石多可男を見た。ものすごくSFでたまらなくファンタジーである。あえてファンタジーを御伽噺と考えると、ストレートすぎる結論になるのだが、たとえばタイムトラベルものであり、タイムマシンが特急列車であるところがすごいのである。確かに銀河鉄道も銀河鉄道999も一種のタイムマシンだが、ここでは電車がタイムマシーンなのである。ワクワクのダブルだ。

主人公は流行の「気が弱くて言いたいことがいえない」キャラクターなのだが、それが仮面ライダーだという点が泣かせる。パーマンだってダメなヒーローだが、これはもう少しシビアなヒーローなのだからな。しかも、未来からの精神寄生生命体=イマジンの導入により、主人公を多重人格にすることによってこの問題を克服しているのである。「僕、悪いことはしたくないの」という現代人の良太郎(佐藤健)と「俺はいきなりクライマックスだぜっ」というイマジンのモモタロス(声優・関俊彦)が同居する肉体。生身を吹きかえるというテクニックがとても効果的なのである。眩暈を感じるほどだ。

さらに第三の人格は「釣りが得意な詐欺師」のウラタロス(声優・遊佐浩二)である。人の心の無尽蔵さを実にスムーズに表現している。今回はゲストの空手家(内野謙太)にキンタロス(声優・てらそままさき)が憑依して、さらにややこしい世界を展開する。キンタロスはとりあえず泣けるほど強いので、ふところには涙を拭う紙を用意しているほどである。ハンカチではなく紙であるところがなんだかさらに泣けるのである。

イマジンはいわゆる一つの昔話の主人公からのいただきである。モモタロスは桃太郎なのだが、桃太郎そのものではなくて、桃太郎の敵である鬼であったり、キンタロスはまさかりかついだ金太郎であるがクマっぽい感じもする。ウラタロスは裏の太郎ではなくて、浦島太郎であり、しかも浦島太郎の亀らしい。このあたりのスカシ方がものすごくいい。アイディアに対する粘りが感じられる。

お子様ランチのフラグにこだわるデンライナーのオーナー(石丸謙次郎)はなにやら怪しく、そして不気味である。「未来が消えてしまうほどの改変」があることを暗示するところなどキッドがもし本当にキッドだったらおしっこもらしそうである。

そして、配置されたエロティック要素。謎の美少女ハナ(白鳥百合子)、すんげえコスチュームのナオミ(秋山莉奈)、お姉さんなお姉さんの愛理(松本若菜)・・・ものすごくB級っぽい美女トリオである。もはや、研ぎ澄まされたレベルなのだ。

ここまでゲストに波岡一喜や栗原瞳などをくりだして、そういう点でも楽しい。

基本的に「まじめにふざけている」感が漂う。それはなかなかに石ノ森先生のテイストなのである。過去を変えるために人間の時間を盗みに来るイマジンたち。その神話的な構造に挿入されたキーワードは「特異点」である。宿命と運命を分けるその一点があるものなのか、どうなのか、キッドは手に汗握って見守っている。

で、『風林火山・第十二回・勘助仕官』(NHK総合070325PM8~)原作・井上靖、脚本・大森寿美男、演出・東山充裕を見た。いよいよ、オリジナル部分が終了し、原作がらみの展開である。もちろん、かなり大胆なオリジナル要素を経過しているので、それがどのように今後に波及していくのかも見所。もちろん、ミツ(貫地谷しほり)の死にまつわる部分である。とにかくがんばって回想所を作り、ikasama4様を泣かせてもらいたいものだ。もちろん、キッドだって泣くのである。

ドラマ内で勘助は「年は42」と言っている。武田信虎が追放されたのが1541年なので、1500年前後に生れたとされる勘助としては「数えの年」なのかもしれない。もちろん、実質生没年不詳の勘助である。ほぼフィクションと思われる「甲陽軍鑑」では10才ほどの開きがあり、この時、50才だったとしても、問題ないくらいの曖昧な存在である。勘助が1561年の第四次「川中島の戦い」で戦死したかどうかも怪しいのだが、その時、60才だったか、70才だったのかも定かではないのである。

そのような怪しげな人物に対して、戦国期の大名の中では氏も素性もはっきりしている武田信玄晴信が、甲斐守護の後継者として将軍・足利義晴からもらった「晴」の一字を贈るシーン。なぜ、山本勘助晴幸が涙を流して感激するのかは、そういう背景も手伝っているのである。もちろん、本人はここは泣くべきだと思って泣いているのかもしれず、晴信も泣く演技ぐらいはするだろうと読んで贈っているというややこしい心のやり取りがこの主従にはあるという展開になっている。

晴信はお上品である。正妻は京都の公家出身のお姫様だし、一国の王子として教養も深い。父を追うこの時点までは、まだ清廉潔白な武将なのである。対して勘助はどこの馬の骨かも分からない浪人である。しかも、今で言う身体に不自由な人なのである。その身分の差がどれほどのものか。晴信に仕官する勘助の話はここがキーポイントでその核心は「下克上」なのである。

甲斐を追われた武田信虎(仲代達矢)は娘(信玄の姉・定恵院・山口美菜子)婿の今川義元に飼われる身の上となった。追放されたとはいえ、元の隣国国主であり、義理の父であるから義元もそれほど冷遇はしない。愛妾を甲斐から呼寄せるくらいの我儘は聞くのである。その使者としてやってきた板垣信方(千葉真一)に勘助(内野聖陽)は策を仕掛ける。自ら刺客を放ってこれを討ち恩を売るというあざとい策である。ここまでつかずはなれずもうひとりの浪人を演じてきた青木大善(四方堂亘)もついにお役御免。死亡である。このあたり勘助は非情の極みなのであった。

もちろん、この策は見抜かれるのを前提とした策。ここで、晴信(市川亀治郎)と勘助は板垣を挟んで、腹の読みあい探りあいをする。お互いに暗号を飛ばし、解読しあうようなものであるが、解読表がないのに通じ合うあたりがおタクなのである。山といえば川、ドムといえば黒い三連星、ジェットストリームアタックはシードデスティテニーにもあるよ、あんなに一緒だったのに~君は僕に似ているというようなものである。ちなみに今年もNHK-FMは4月30日に「アニソン三昧」なのである。・・・意味不明の皆さん心からごめん。

こうして、山本勘助は武田信玄の軍師だったという伝説ルートに乗ったのだった。心が通い合う主従も泣かせるのだが、それをいぶかしみながら伝送する板垣にもちょっとうるうると来るし、親戚でありながら、勘助の面倒をついに見切ることのできなかった庵原忠胤(石橋蓮司)の快い送り出しも泣かせ所である。

さて、念願の仕官の叶った勘助だが、さっそく新参者いじめに興ずるお歴々。甘利虎泰(竜雷太)、小山田信有(田辺誠一)、原虎胤(宍戸開)などの皆さん。

「甲斐には京流の兵法者はいない。ご教授願おうか」と喧嘩を売ってくる。このあたりは今も昔も変わらない風景なのだな。

ところで、ここで甲斐の武者たちは皆、神道流ばかりと、怪しいセリフがあるのでちょっとつっこんでおく。室町時代から、戦国期にいたるまで、武芸はそれなりに発展してきたのだが、それが流派として組織化されるのは江戸時代になってからなのである。そもそも、山本勘助も平和な江戸時代が構築した英雄であったように、ある意味、学術的な発展というものは安定した社会が前提となるのだ。ただし、実戦は何よりも技術を進化させるので戦国期にさまざまな「殺しの技術」が爆発的な発展を遂げたことも事実なのである。

で、この時期には「京流と関東流」という二つの大きな流れが剣の世界にはあった。それぞれがいくつもの支流になって流れているのだが、京流には陰陽師が、関東流には神主がそれぞれ重要な役割を担っている。京流には源義経もその名を連ねるし、関東流は鹿島神宮、香取神宮がからんでくる。ここで、神道流というのは当然、関東流の一派を示している。甲斐の国が関東に属すると考えるとそうであってもおかしくはない。しかし、甲斐源氏は隣国信濃に、守護小笠原氏を持っている。実は小笠原氏は源氏の兵法指南役なのである。ここで注意してもらいたいのは「剣術」と「兵法」という言葉の差異である。一件、「剣の技術」と「用兵法」という実態のことなるものに見えるのだが、この時代にはそこに大きな区別はないという考えに立脚したい。要するにどちらも「いかに殺し、いかに殺されずにすますかという技術」を指しているのだ。ちなみに武田晴信の生母の出身・大井氏は小笠原の支族である。そして、小笠原流はある意味、京流なのである。

もちろん、技術は交流し、絶えず、改変されていく。神道流からは陰流、念流も派生するのだが、念流は京流の影響も受ける。関東流はやがて信玄と戦うことになる上泉伊勢守によって創出される新陰流で一つの頂点を極めることになるが、彼は将軍・義輝の兵法指南役にもなるのである。将軍家はいわば京流の頂点でもあり、このあたりが京流と関東流の分岐のあいまいさを物語っていると思う。つまり、甲斐源氏が「神道流ばかり」などというのは天文10年にはありえないのである。

小笠原流が騎馬術を中心にして現代に残るように、武田の騎馬軍団もこの小笠原流の流れにあり、そこは富士の山をいただく中間派として京流と関東流が混在した怪しい武芸が漂っていたことは間違いないと考える。

ちなみにさらに遡れば、それは物部氏の神道系軍法と、大伴氏の仏教系軍法にまで及ぶ流れとなる。神道系がやがて剣の極意に向かい、仏教系が忍の修行に向かうのはちょっとした方向性の妙なのである。戦国期が終る頃、剣法と忍術は柳生新陰流によって統合されることになる。山本勘助は剣術家(野武士)であり、忍者(山武士)だった。つまり、この時代にはごくありふれた兵法家だったのである。

関連するキッドのブログ『第五回のレビュー

水曜日(火曜深夜に見るテレビ)『やぐちひとり・最終回』(テレビ朝日)

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Hcinhawaii0125 『H☆C THE MOVIE アイドル戦士キャンディー☆ムーン』が春休み全国一斉ロードショー(妄想)なのである。いつの間にか完成していたのだが、その全てを知ることになるのはまだまだ先になると思われる。

なにしろ、ヒロインたちがどんな姿に変身するのか、スタッフも知らないのに撮影が終了しているのだから驚きだ。

とにかく、H☆C関係者は総出演しているらしい。

Hcinhawaii0126 聖地・沖縄メンソーレドームで行われた特別試写会にはまたとんでもないファンが集まった。

この模様や、撮影中のエピソードなどもいつか報告されるだろう。

Hcinhawaii0124 初日舞台挨拶、H☆Cの三人、かりん☆スーアンナ☆ランまこ☆ミキとスタッフ。監督のikasama4様、脚本のads(あず)様、プロデューサーの お気楽社長

場内は感動の嵐に包まれたらしい。

Newimage1hcmpr4 ←クリックするとTVスポットCM版『H☆C THE MOVIE アイドル戦士キャンディー☆ムーン』アリマス。記事の内容はキッドの妄想が責任を転嫁します。

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2007年3月25日 (日)

白黒つけたぜっ!(ゼブラーマン)

白黒マンでも葬式マンでもなくゼブラーマン(しまうま男)なのだが、正体は小学校教諭の市川(哀川翔)である。哀川翔と三池崇史監督といえば『DEAD OR ALIVE 犯罪者』(1999)がのけぞるほどの傑作であり、『極道恐怖大劇場 牛頭 BOZU』(2003)はしびれるほどの大傑作なのだが、この『ゼブラーマン』は脚本が宮藤官九郎なのでさらに腰が抜ける超傑作になっている。

まあ、たぶん、そう思わない人もたくさんいると思うし、三池監督の「TR」(NHK)出演の時に司会者のはなが嫌悪の表情を隠さなかったほどの映像美は刺激が強すぎるかもしれない。しかし、それでもこの作品はかなり甘口なのである。それでもつきぬけたような情感があふれだし、映画の醍醐味を味あわせてくれる。ああ、気が早いのだが、2008年『大魔神』を見るまでは生きていたいと思う。

妻には浮気され、娘は援助交際中、息子はいじめられっ子。そんな冴えない中年男が主人公。彼がやがて横浜をいや地球を救うヒーローになることを哀川・宮藤・三池の黄金のトリオは鬼神の如く描ききる。

で、『ゼブラーマン(2004年公開)』(TBSテレビ070325AM0240~)を見た。主演100作目の哀川はこの作品で28th日本アカデミー賞で優秀男優賞を受賞した。この時の最優秀男優賞は寺尾聰(『半落ち』)である。ま、趣味の問題ですがね。キッドなら哀川を押しますっ。

気が弱く、面白みのない市川は家族から疎外された存在。妻・幸世(渡辺真起子)は浮気しているようだし、娘・みどり(市川由衣)は中学生なのに援助交際をしている。息子・一輝(三島圭将)は父親と同じ学校に通い、父の無能さを理由にいじめを受けている。その事実を知りながら「転任届け」を出し、自分がいなくなればいじめが止むかもしれないと望みをかけるようなダメ親父なのであった。

そんな市川の学校に転校生がやってくる。父親の自殺を目撃して以来、腰が抜け、歩けなくなってしまった少年・浅野晋平であり、母親は看護婦で未亡人の可奈(鈴木京香)である。少年は特撮オタクで「1978年に七話で低視聴率のため打ち切られた特撮テレビ番組・ゼブラーマン」を知っており、ゼブラーマンのファンだった市川は意気投合する。同好の士として彼に「浅野さんと呼んでいいですか」と頼み込むほど。市川は友人もいないらしい。

実は市川はひそかにゼブラーマンのコスチュームを手縫いで作っていた。子供の頃から誰の記憶にも残らないヒーローに何故か夢中だった市川。しかし、現在が2010年という架空の「ゼブラーマン誕生の年」に一致すると気がついた時から、現実と幻想が交差し始める。

実は市川の小学校は地球侵略を狙う宇宙人に汚染されていたのだった。それは世界の軍事関係者には公然の秘密だった。防衛庁の特殊機密課でも対策を講じる必要に迫られるほど宇宙人は活性化を開始していた。防衛庁・職員の及川(渡部篤郎)と瀬川(近藤公園)は上司の神田(岩松了)に命じられ、現地の調査に乗り出す。

宇宙人は地球人に寄生して通り魔のような悪事を働くのだった。市川の娘の援助交際相手・北原(柄本明)もその一人だった。彼はハサミで襲った女性の服を切り裂くカニ男だったのである。

ゼブラーマンのコスチュームを完成させた市川は夜更けに浅野に自慢したくなり、コスプレをしたまま、街へ出て、カニ男に遭遇。そして突然、超能力に目覚める。彼は本当にヒーロー・ゼブラーマンだったのだ。そしてカニ男を必殺技で粉砕する。つまり、彼はこの時から殺人者なのだが、その点は一切問題にならないし、市川も罪の意識に戦いたりはしない。少なくともこの世界では宇宙人に乗っ取られた人を殺すことは悪ではないという明確な思想が貫かれている。この辺が受け入れられない人にはとんでもない映画だが、それを受け入れられない人はキッドにとってはある意味、とんでもない人だな。・・・うーん、表現としてギリギリだな。

現場を目撃してしまった「浅野さん」を緑色のスライムと化した宇宙生物を回収しに来た及川が発見し、マークする。

ゼブラーマン対寄生された地球人との暗闘は続く、放火魔(徳井優)は馬に蹴られたような死体となって回収される。事件の当初は投げやりなアナウンサー(麻生久美子)が取り上げた報道も規制され、事件は秘密裏に処理されている。

ここで小学校の教頭(大杉漣)がキーパーソンとして登場する。彼は小学校の体育館を封鎖したり、重要な秘密を保持したりしている。

汚染は進み、ついに息子一輝も寄生対象に。ナス専門店を襲った小学生暴徒にその姿があった。子供相手に呆然とする市民たち、ゼブラーマンがかけつけ、子供から寄生宇宙人を追い払う。つまり、子供は宇宙人に寄生されていても殺してはいけないのだ。浄化が可能だから。

戦いつかれたゼブラーマンは夢の中で「ゼブラーナース」と出会う。そのバストを強調したコスチュームで鈴木京香は女優魂を爆発させている。この年、『血と骨』で最優秀主演女優賞を獲得する鈴木だが、ゼブラーナースで獲得するべきだと思う。セブラナース、ゼブラナース、アーアーアア~・・・・。

やがて、教頭が死亡し、希望を託された市川は教頭が『ゼブラーマン』の脚本家であり、また「地球を侵略することに異議をとなえた宇宙人の反乱分子だった」と知るのだった。まあ、この辺りで多くの人が脱落すると思うがキッドは胸を打たれました。

秘匿された脚本には最終回の予言が秘められていた。「ゼブラーマンは敗北する。その理由はゼブラーマンが空を飛べなかったから」なのであった。教頭の残した遺言ANYTHING GOES!(なんでもあり!)に従い、「空を飛ぶ修行」に入る市川。実の息子は「がんばって」と言う。しかし、どうしても飛べないのだった。可奈が看護に来て、「無理だと思うけど飛んでね」、及川が「ヒーローなんだからちゃっちゃっとやっつけてくれ」とプレッシャーをかける。(ここで渡部はいつもそうだと言えなくもないが「ケイゾク」の真山にもっとも近いキャラになっていて萌える)

ついに常套手段である汚染地区の中性子爆弾による浄化作戦決行が決まり、街は封鎖されてしまう。隠されていた脚本を読んだ「浅野さん」は小学校に行き、宇宙人に捕獲されてしまう。すべてが破局に向かう寸前、ゼブラーマンが駆けつける。

なんとか、「浅野さん」を救出したゼブラーマンだが、なかなか、飛ぶことはできない。「浅野さん」は自ら不自由な足で立つことにより、ゼブラーマンの精神を解き放つ。ついにパーフェクトボディに進化したゼブラーマン。さらにその最終形態はペガサス・ユニコーン・ゼブラだった。

ついに宇宙人本体を粉砕し、学校を破壊した市川は器物破損で逮捕されてしまう。しかし、護送車を降りた市川は「ゼブラーマン」として市民たちに歓呼で迎えられるのだった。その中に彼の実の家族や、「浅野さん」母子がいることは言うまでもないのだった。

流れ来るメロディーは『日曜日よりの使者』(ハイロウズ)である。

関連するキッドのブログ『妖怪大戦争』『彼女が死んじゃった

『日曜日よりの使者』には様々なエビソードというか、噂がある。まことしやかなものは「いい加減なウソをついてその場を切り抜けて誰も傷つけない」のは日曜日の夜の松本人志のことだとか・・・だが、キッドとしては「アメージンググレイス」との連想を述べておく。それはともに「神」にまつわる歌である。で、どちらかといえば「悔恨と懺悔」そして「弔い」の歌なのである。このままどこか遠くへ連れて行ってくれないか。なのである。この二つをつなぐものにはカーター・ファミリーの「永遠の絆」がある。キッドの愛するなぎらけんいち版でしめておく。「ある寒い曇りの日 おいらが空を見てると 天国から 母ちゃんを迎えに 車がやってきた・・・」やがて現世は夢となり、夢は現世となるのである。

月曜日に見る予定のテレビ『世にも奇妙な物語 春の特別編』(フジテレビ)

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2007年3月24日 (土)

栃木県から東京都まで新幹線で一時間で来てっ。(黒川智花)

休憩中の教室で、女子高校生(黒川)が男子高校生(水嶋ヒロ)に愛の告白である。彼女は成績優秀、スポーツ万能のマドンナ的存在。彼はイケメンだが、地味な男の子。突然の事件に教室は静まりかえる。・・・初恋コメディーである。

舞台となるのは田舎町。アイディアは「子供のころのごっこがいつまでも続いたらどうなるか」という一点である。この場合は「お姫様と家来ごっこ」である。

キッド的に見ると答えは「かなり気が狂う」のであって、「気が狂った姫の愛の告白」は爆笑の連続となる。もちろん、それは一過性の「恋の狂気」なので嵐が過ぎ去れば日常に戻っていく。ふつりあいな二人がその後も愛を暖めるという結末はロマンスだが、たまにはこういう話もいいのである。

「第六回テレビ朝日21世紀新人シナリオ大賞」の受賞作である。賞金800万円は高いのか、安いのか、微妙なところなのだが、誰もが書けそうな素材で誰もが書けない面白いものを書くというハードルを突破したものはそのくらいの成果を得ても問題ないと思う。ここから果てしないサバイバルレースに参加するのであり、その準備金としてはやや不足かもしれないけれど。

で、『彼女との正しい遊び方』(テレビ朝日070323PM1115~)脚本・朝倉寛、演出・木内麻由美を見た。「新キッズ・ウォー」「小早川伸木の恋」「特命!刑事どん亀」「Xenos」など地味に主題歌担当しているナナムジカ1stアルバム「ユバナ」より「アメノチハレ」がエンディングテーマになっている。変わりなく地味で良いです。

小学生の頃、公園で優奈(後の黒川・北澤鞠佳・セントラル子供劇団・・・お気楽様曰く黒川に似ているらしい・・・ちなみにスマスマの粘土の王国のお姫様である)は恭史(後の水嶋・松川真之介・セントラル子供劇団)に「お姫様と家来ごっこをしよう」と持ちかける。つまりエキセントリックな女の子なのである。どのようにエキセントリック(突飛、ずれている)かというと子供のくせに企画屋である。「バレるまで続けるルールね」と子供のくせに法律を制定する。自分が勝手にお姫様になる。そして、その後、高校生になってもまだ遊びを続けている。というあたりがである。一方の男の子は平凡で、月並み。この場合、それは劣っていることを意味する。そしてお姫様にひきづられてズルズルと遊び続ける家来根性の持ち主なのであった。

まあ、こういうエキセントリックなシチュエーションの場合、本当はささいなルールなどにこだわるところをどう印象付けるかが難しいのだが、当然の如く、失敗している。ま、そこは目をつぶります。

高校に入る頃には優奈は美少女で文武両道に秀でた存在に。恭史は目立たない存在になっている。優奈には美少女の友人・舞子(江澤璃菜29thホリプロタレントスカウトキャラバン決勝進出)がいたりするのだが、恭史はオカマっぽい英昭(濱田岳)に言い寄られたりする程度である。

休日には優奈が気晴らしと称してデートする大学生との交際を影から見守る家来なのだった。このあたりはコミック『頭文字D』のとあるカップルが連想されます。幼馴染の二人は高校でもクラスメートなのだが、学校では無関係を装い、地元に戻ると自転車で二人乗りをしたりする。もちろん、「お姫様と家来」としてなのだが・・・。

そんな二人に亀裂が入る。姫が「一緒に東京の大学に進学すること」を命じたのに家来が「地元の大学への進路」を提出したのである。「私の命令に逆らうの?」と云う姫に「もうそこまでくると遊びじゃすまない将来に関わってくるから」と家来なりに精一杯の抵抗。そんな時、英昭が「二人の関係に気がついた」と報告。家来は「バレたから終わりにしよう」と言うのだが「じゃ、ルール変更。三人にバレたら終了ね」と姫の権力を振るうのだった。

大学生とのデートの日、家来は約束をすっぽかす。人気のない場所で車を停めよからぬふるまいにおよぼうとする「三回目のデートなので何かしてもいいはずだというマニュアル君」に「たすけて~。恭史~」と叫ぶ姫。どこからかかけつけた恭史。二人は逃走するが家来は名誉の負傷。そして、恭史は「もう、やめよう」宣言。

で、翌日である。姫は教室で「どうして、やめようなんていうの。どうして東京に一緒にきてくれないの。私のことが嫌いになったの。東京に行ったら一人ぼっちなのに。こんな裏表のある性格の私は誰の相手もされないのに。あなたはそれで平気なの」である。ま、いわゆるひとつのツンデレなのですが、恭史としては長年の家来根性がしみついていてただオドオドするばかりなのである。結果「たいしてとりえもないくせに学園のマドンナに何かひどいことをした男」として認知されてしまった恭史。散々である。

高校を卒業した二人。姫は東京に。家来は受験に失敗して予備校に通っている。姫からは「東京タワー」の絵葉書が届く。「日付と日時がついた呼び出し状」なのである。もう遊びは卒業したんだと素直になれない家来。予備校で偶然再会した中学時代の同級生・西園寺静香(谷村美月・花飾りギャルにコスプレ)から「優奈が中学時代に恭史とつきあっていることをヒミツにしてくれと頼まれた」と告げられ、ようやく「優奈が自分を家来ではなく恋人だと思っているらしい」と悟る。ま、この遭遇はかなりご都合主義です。いや、愛の奇跡と呼んでも良いですけど。

駅にかけつける恭史。そこにはさらに魅力的になった優奈が。「何か言ってよ」「・・・お帰り」なのであった。エピローグ。今度は殿と家来ごっこにしてもいいよという提案に即座に殿になる恭史。ほのぼのとエンドである。

ま、黒川智花が最後に本当に可愛く見えたので、素晴らしい脚本だったと言えるのではないだろうか。

関連するキッドのブログ『てるてるあした

日曜日に見る予定のテレビ『仮面ライダー電王』(テレビ朝日)『風林火山』(NHK総合)をダブルで・・・。

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2007年3月23日 (金)

二宮和也は黒木メイサの手を握ったのだが、横山裕に胸を触らせた福田沙紀はオスってものまねするわけで。

ま、黒木メイサも福田沙紀も終ってみればそこそこ評価(好感度)をあげたのではないか。これで視聴率がもう少しあると波及効果があったのになぁ。最終回14.5%、平均13.2%でフィニッシュ。

一平(二宮)の父親が誰なのかは謎のまま。一平の進路も未定。一平とナオミがフリスビーで遊んだのだけはガチだと思う。「ほらっ、イッペイ、それーっ」みたいな。

一平は「教えない」というのだが、ナオミ(黒木)と一平の夜の営みは・・・ジュテーム、じゅ、て、えむ。ジュテーム、じゅ、じゅ、て、え・・・・む。ジュテーム!みたいな。神楽坂のおしゃれなホテルでとなりの部屋には雪乃(高島礼子)と冬彦(奥田瑛二)ペア。さらにとなりにはエリ(福田)と時夫(横山)ペアがいたりすることも充分ありえる展開だった・・・か?

で、『拝啓、父上様・最終話』(フジテレビ070322PM10~)脚本・倉本聰、演出・宮本理江子を見た。まあ、なんと申しましょうか。一平は1月4日から30日が計算できないと・・・板前として食材を腐らせてしまうだろう。

新潮文庫「愛が好きです」(中島みゆき・1982)という中島みゆきの初期歌詞集があるのだが、某所にコメントを書くための参考資料として手にとると序文が倉本先生だった。ここで倉本先生は北の国で鬱状態になっているところを躁状態の女性に襲われるという体験談を紹介している。ま、中島みゆきのための序文なので「異国」を聞かせると躁状態がピタリと治まるというネタなのだが。躁状態の女性が八千草薫のようだったのではないかと妄想してしまいました。

夢子(八千草)は姥捨山へと向かう車内でボケたり、はしゃいだりしているのだが、歌う歌が「誰もいない海 二人の愛を確かめたくて」(『17才』/南沙織/森高千里)である。ああ、楽しい夢子の痴呆。そして向かう先は「党の迎賓館」なのだった。

さて、話は遡るが、憧れのお父さんとナオミの父親が同一人物だったために、仔犬の思考力の限界を超えた一平はトゲトゲしくなってしまう。もう23才とは思えぬスネぶりである。「オレはペットじゃない」などとペットとは思えぬ言動なのである。

雪乃は飼い主としてなだめようと努力するのだが、いじけた一平は「お父さんじゃないとか言われても嫌だし、お父さんだと言われても嫌だし」ともう自分を見失った展開。その頃、時夫は着々とエリに接近していた。エリにはちっともその気がないくせに、他の男に手を出されるとなんだか、ムッとする一平。時夫を問い詰めるが軽く交わす時夫。エリからの情報で事情通になっているので二人の仲はかなり進行しているのである。もちろん、一平には理解できないようです。

仕方なく雪乃はナオミを急襲。ナオミは父・冬彦を急襲。そして冬彦は一平を急襲。「ボクは君の父親ではない宣言」・・・一平、ああ、この人がお父さんならよかったのになショボンである。おいおい、本質を見失いすぎだろう。冬彦はついでに雪乃を急襲。「ボクは恋をしていますよ。恋ができなければおしまいですから。妻が自殺したって恋をするのです。ところであなたは今特別な人は」「いませんよ」しっぽりなのか。・・・しっぽりなのですかーっ。それにしても子種を渡しても眼中になかった一平の実の父親・・・哀れ。「あなたとはプラトニックな関係だったけど一平の父親はあなたです」ってもう哲学ですかっ。

夢子を送り届けた駐車場。エリ「芸者になるために学校やめた宣言」一平「それってあのオレのせいですか」エリ「それはあるけど、もういいの。かえってスッキリしたの」一平「あの、時夫が変なことしたりしてたりして」エリ「胸をさわらせてあげたの。お兄ちゃんみたいにギュッとじゃないけど。でも、オス。こんなことを他の人にさせてはいけません。自分だからよかったのです」一平「あーっ、なんてことを」エリ「お兄ちゃん、ずっといい友達でいようね」・・・大人の階段上る~(「思い出がいっぱい」H₂O)の歌の幻聴が聞こえてきました。

そして、「坂下」の向かいの家、破壊。エリをなぐさめようとする一平の手を逃れ、走り去るエリ。ああ、もう、女心を分かってもらおうなんて無理なんだってば・・・。

竜二(梅宮辰夫)はもう店を今日限りでやめる宣言。「女将さんのいない坂下には興味ない」・・・夢子一筋包丁一本なのだった。まあ、限りなく、父親候補だな。一平にたくさんの選択肢と左利き一平包丁を餞別としてプレゼント。見送りを申し出る一平に「お前には逢わなくちゃならない人がいるだろう・・・」韓国ドラマにもあるのか、このテイストが。

ついに一平にも決断の時が。仔犬から成犬になるときが来たのです。

「りんごだ。りんごを投げてもらうんだっ」

尻尾をふりふり、彼女のいる店へ。しかし、そこには彼女はいなかった。がんばれ、一平、もう時間がないぞ。そこへ飼い主から電話が。ブリーダーとしていい犬を手配したのであった。日曜日もフランス語になって、さらに面倒くさい展開だけど血統書付である。

そして・・・どうやら、一平はちょっぴり大人になったらしい。いい飼い主なのでお使い犬としてがんばっている。エンディングテーマはスーパーマリオの水中面みたいの呼び声も高い「バピエ」に戻り、犬的にはまあまあのノスタルジックなハッピーエンドに突入。すべては消えゆく、思い出もやがて・・・である。

ドラマ終了後、そこはかとない喪失感で倉本先生が鬱にならないことをひそかにお祈りします・・・。

神楽坂猫の諸君、お疲れ~。

関連するキッドのブログ『第十話のレビュー

これでキッドが連続レビューした冬ドラマはすべて最終回を迎えた。視聴率ベスト3の「華麗」「花より男子2」(一度脱落)「ハケン」・・・。ドラマとしては佳作の「東京タワー」と「拝啓」・・・。主役を立てないという離れ業の連続で駄作となった「ヒミツ」・・・。近来稀に見る失敗作「演歌」・・・なんていうか。見事なラインナップだったな。しかし、「ヒミツ」も「演歌」も魅力的でなかったわけではない。「わるい」とか「エライ」とか「妻浮気」とか「キラキラ」とか・・・語る気にもなれないドラマよりも良かったのだ。いや、あくまでキッドの個人的な感想ですから。春ドラマはもう少しドラマレビューから離れたいのだが・・・なんか、どれも魅力的なんですけど・・・。金曜日が特に困ったことになりそうだな・・・。

日曜日(土曜深夜)に見る予定のテレビ『ゼブラーマン』(TBSテレビ)

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2007年3月22日 (木)

学校って何ですかーっ・・・って書いたら怒られますか?

ああ、ものすごく久しぶりにドラマじゃない番組のレビューである。もうどこから何を書いていいのか。分からない。ゲシュタルト崩壊寸前である。学校はなぁ。難しいのだよなぁ。キッドは教壇には何度か立っている。「先生」と呼ばれるとああ、オレが、オレが人に何かを教えていいのだろうかっと罪悪感に責められつつ、できるだけ悪いことを教えてやろうと仄暗い喜びに燃えるのである。

もっとも学科の教育は高校へ教育実習に行き、社会科を教えただけで、後は専門学校で怪しい専門知識を教えただけなのだが。だから、少なくとも、教育の難しさを感じる入り口くらいには立っていると思う。

基本的には学校とは「情報伝達の場」である。だからメディアの一種なのである。基本的には教師が送り手で、学生・生徒・児童が受け手である。しかし、ワンウェイ・コミュニケーションではなく、受け手からの情報のフィードバックは可能なのである。当然、このメディアを語ることは非常に複雑になるのだな。

で、『NHKスペシャル・学校って何ですか?第一部』(NHK総合070321PM0730~)MC・武内陶子、木村功二を見た。安倍総理の主導する教育再生会議を意識しつつ、現状の公立小中学校の現場のスケッチである。第二部には討論会があるのだが、そのための知識の共有としての側面を持つ。第二部については触れない。人の意見なんてそれぞれだし、いちいち解説していると一生が終ってしまう。

大きく分けるとレポートは三部構成でスタジオのMC二人が受けてまとめるという段取りである。最初に言っておくが、この二人はお勉強ができたことではおそらくチャンピオンクラスである。当然、その視点は上から見下している・・・と思う。

第一VTR「東京都の公立学校選択性の波紋・江戸川区の二つの中学」である。ここで問題とされるのは「公立学校の学力の低下」である。そのために「競争原理」を取り入れたのが「学校選択制」なのである。「選ばれてしまう」ので「やる気をだす」だろうという国民的美少女コンテストに学んだ政策なのだな。そして、当選者と落選者という格差が生れたのである。人気のある学校は定員の四倍の応募があり、人気のない学校は定員割れを起す。さあ、どうするか。抽選である。運だめしかよっ。

ところが恐ろしいことに単なる運で左右に分かれたにも関わらず、人気校は学力が向上し、不人気校は低下するのである。人間って不思議だなぁ。もちろん、ここには私学の存在がある。大人気は私学なのであり、私学には運だけではなく、学力や財力が要求されるのは言うまでもない。格差社会において私学↘人気公立校↘不人気公立校という三段階が生れつつあるというか、まあ、実際にはもう生れているのだが、不人気公立校のレッテルをはられてしまってはもうつらいのだよな。生徒がっ。

しかも、恐ろしいことに番組では人気校の生徒は優秀、不人気校の生徒は劣等を取材するのである。わははははは。そりゃ、人情もクソもないわな。人気校と不人気校に分かれた姉妹が紹介され、もはやドロドロになっている。スタジオでは「公立校は私立校に圧迫されているのでこれもやむをえない」と解説する。シビアというのか、恐れを知らないというか。NHK。さすがだっ。

第二VTR「兵庫県では落ちこぼれを出さないことを最優先している尼崎の義務教育」である。つまり、底辺の底上げを目指すわけだ。基本的主張は「教育に熱心ではない親の子供は宿題をしないので学力が低下する」である。それを防ぐためには「教室でのカリキュラム進行速度を減速するのもやむなし」なのである。そして、教師は落ちこぼれを重点的に指導し、「できる子はできる子で自主的にお願いします」体制である。それでも「落ちこぼれ」は必ず発生するので「さらに減速」である。できる子の不満はつのり、スタジオでは「このためにできる子は尼崎の学校には進学しない傾向がある」と結論する。つまり「尼崎の子供はみんなバカなのだ」ということだな。NHK。すごいぞ。

第三VTR「福島県の郡山では2002年の学習指導要領にのっとって少ない学習時間(ゆとり教育)で高度な学習内容(学力向上)を目指すために教師がギブアッブ寸前の中学」である。ま、基本的には教師はがんばっているけどもう無理という内容なのである。基本的にはNHKもがんばっているけど受信料は値下げしないし、義務化しないと無理と言っているのである。ここではまず国語の授業で「意見文を三時間でマスターしよう」という学習内容が紹介される。

そんなことでマスターされてたまるかっというキッドの気分はさておき、これは生徒の考える力を伸ばすための授業なので先生はがんばってプリントを作りました。

①意見を決めよう。②意見の賛成理由を考えよう。③意見の反対理由を考えよう。④反対意見に反論しよう・・・という四段階の空欄を埋めて骨組みを作るというスタイルである。

親切にも最初の意見の例が挙げられている。①ドラえもんの存在はのび太にとって好ましい。②中学は弁当がいい。③中学生にも運転免許を許可する・・・である。ちなみにNHKは③を選んだ生徒をとりあげました。えーっ①だろーっ。もちろん、これはたとえば死後の世界を信じるものと信じないものの二重人格を脳内に仮想配置し、一方を主観として論理を展開する高度に知的な行為なので誰にでもできることではない。結局、時間内に意見文の提出を果たした生徒は全体の一割程度であった。

しかし、文科省の要望には答えなければならない。もちろん、教師はそこに全力をそそげるわけではない。文科省の要求は果てしない。学力を向上させ、同時に心を成長させ、さらに社会で暮らせる力を教育せよなのである。ついでに給食費の未納者からの取立ても教師まかせである。テストの採点一つとっても普段の授業態度からレポート内容まで細かく採点基準が設けられ、教師は常に生徒を評価し続けなければならないのだ。たとえ、0.0001%でも社会的な問題児を発生させると文科省がマスコミにたたかれるからである。

ま、基本的には教師に同情的な内容になっているのだが、競争社会はエスカレートするし、格差社会の底辺が拡大し、腐りきるか、社会と社会が衝突して戦争が起こり、暴発するかしなければとまらないのであり、それまではとりあえず、それぞれがベストをつくすしかないのであるな。

ああ、いたいけない子供たちよ。不公平で不平等な社会に生れ出ずる子供たち。みんな、がんばれ。天は自らを助くものを助くなのだからっ。と昔の偉い人の言うような気持ちになったキッドだった。

関連するキッドのレビュー『初恋はこんな色かもかき氷

金曜日に見る予定のテレビ『彼女との正しい遊び方』(テレビ朝日)テレ朝・・・久しぶりだなぁ。

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2007年3月21日 (水)

・・・じゃ、そういうことなので、私、帰ります。(釈由美子)

・・・うう、最後の最後までいいセリフをもらえない月山(釈)・・・。ここまで徹底して主人公をスカスなんて・・・。もうわざとなんだな。いや、ボケならボケでもいいのだが、「酒乱カップル」なんて言わせるのなら、典型的な鈍感マイペース型の川村(真矢みき)の「ツキヤマとガッサンは違うわよ。ツキヤマは女だけどガッサンは山よ」なんてセリフを受けて「ぶほっ」というぐらいのツッコミはさせてやってもいいだろう。川村のボケで終っては月山がたたないのである。釈はあきらかにニヤッとした気配があるのだが編集されてしまっている。・・・ような気がするほど、最後までたててもらえなかった釈。なぜだ。なぜなんだっ。

さて、冬ドラマは様々なカブリの連続で、パクリの基本を抑えるのにはいいシーズンだったと言えるだろう。しかも、平均視聴率20%以上のドラマが三本もあったし、ヒトケタのドラマもあり、企画というものを研究するのに比較のしやすい点も見逃せない。

で、このドラマはヒットした「花より男子2」との共通点で言うと、男性四人組というのが浮上してくる。「F4」と「片岡四兄弟」である。女性主人公(つくしと月山)と四人のリーダー的存在(司と航)とのハッピーエンドも同じなら、ちょっとした三角関係の相手(類と智)まで構造的に同じだ。作品の中で「マンガ原作ドラマ」を否定するセリフさえあった「ヒミツ」なのだが、「花より男子」の成立の方が早いのでパクったのは「ヒミツ」になってしまうのが皮肉だ。とはいえ、男性四人組は「花より男子」の発明というわけではない。遡ればいくらでも出てくるが、ここは最も有名な四人組をあげておこう。ザ・ビートルズである。そして、そうなると主人公はオノ・ヨーコなのである。ザ・ビートルズとオノ・ヨーコの物語の子孫に「花より男子」も「ヒミツの花園」もあるのだ。

さて、今回、銭湯でUボートが登場するのだが、もちろん、それは映画「ビートルズがやってくる ヤア!ヤア!ヤア!」(1964)へのオマージュであろう。ジョン・レノンがお風呂でUボートごっこをするのは名場面だからな。・・・ちなみに「ヒミツ」に登場するUボートはU-581で、600隻以上もつくられた7-C型の一隻である。同型艦の登場する映画「U-571」(2000)もある。・・・片岡四兄弟は兄弟なので同居しているがそれぞれの部屋がある。これは映画「Help!四人はアイドル」(1965)でビートルズの四人が別々の家に帰るのだがドアの内側はつながっていて一つの部屋になっているの逆パターンである。逆になるとごく普通の設定になるだけなのだが。

ストレートさでは「花より男子」の方が上回る。上流社会(白人社会)になぐりこみをかけ庶民(黄色人種)が愛を勝ち取る物語である。「ヒミツ」では「ビートルズ映画」のほのぼのとした感じを色濃く受け継いでいると思える程度である。そのあたりが視聴率に出てくるのである。(妄想)

で、『ヒミツの花園・最終回』(070320PM10~)脚本・永田優子、演出・小松隆志を見た。主題歌はオリコン最高順位は3位だが、13万枚を越えるヒットになっている。ちなみに『花より男子2』の主題歌はおよそ36万枚、挿入歌はおよそ49万枚である。どの曲も名曲だと思うが、「ヒミツ」の主題歌は主人公の物語を歌ったのではなく、主人公の心情を歌ったものらしい。なぜなら、この物語の主人公は応援する人だからである。

最終回に主人公が豹変するのは珍しくないが、この主人公もついに主人公らしさを見せるのである。月山と航(堺雅人)がヒミツの部屋にたどり着くとそこにあるはずの「航の父(山本圭)と陽(本郷奏多)の実の父」の盗作と原作が消えていた。それこそが航の守り続けた秘密であった。いわば従軍慰安婦問題である。南京大虐殺問題といってもいい。加害者の息子が被害者の息子に隠し続けた秘密だったのだ。加害者の息子は被害者の息子にそれを知られたくないと思いつつ、いつか父の犯罪を詫びるために証拠を持ち続けたのである。そんなことをしても問題をややこしくするだけなのだが。

ついに「ヒミツ」を陽に知られたと思った航は腰が抜けてしまう。月山はそんな陽をはげますのだが、行方不明の陽の身を案じ、捜索に出る。

なぜか、バカの代名詞である拓実(山本裕典)と行動を共にしている陽。盗作と原作の山を前に問題点を語る。「兄はボクに気を使い、何にもできないのさ。ボクはどうすればいいと思う」バカは本当はバカではなかったのだとばかりにナイスアドバイス「過去にとらわれるなんて無意味さ。だってボクは昔のことなんて覚えていられないから。前しか見ないの」であった。陽は頷き、テロリストとして行動する。「証拠なんて消えちまえばいいのさ」なのである。大陸の人や半島の人もいい加減、この境地に達してもらいたいものだ。アメリカの議会に工作員を送り込んで「あいつの親はひどいことをしたよね。それを忘れようとしているなんてひどいよね。犯罪者の子孫は未来永劫、犯罪者の子孫だと謝罪し続けてもらわないと困るよね」なんてことをしていると新たな犯罪を生み出す恐れがあることをいい加減気がつくべきである。

二人を発見したのはしゃぶしゃぶ(真矢)だったが、さすがに見せ場は主役に譲ってくれた。そうじゃなくなる可能性もありドキドキしましたが。駆けつける月山。過激派のにぎる点火装置に飛びつき、火傷を負いながらテロを阻止するのである。陽「こんなものない方が半島の人と列島の人は仲良くできるんだっ」月山「バカなことは言わないで、歴史は大切にしないと。それはそれとして仲良くできるでしょう」そんなこと言うから月山は火傷をしてしまうのだった。しかし、航と陽の心は今、一つになったのだ。月山はついに体を張ったのだった。そのために結局、花園ゆり子は解体するわけだが。

ドル箱を失った週刊少女チャーミー、編集長田丸(田中哲司)の「なんとかしろ」という説得にも毅然とした態度をとる月山。ついにテロに屈しない姿勢に目覚めたのである。観念した編集長は「悪いことはできないな」と反省する。目先の利益に目を奪われ、長期的な減益を招いてしまったのである。やり手によくある失敗だが、こういう失敗をしないようではやり手にはなれないのである。

こうして怒涛のハッピーエンドに突入するのだが、最後に唯一の悪人を救済しなければならない。みすず(松岡璃奈子)である。彼女の失敗は目的達成のために手段を選びそこなったことであるが、彼女もまた「欲しいものを欲しい」と言っただけなので、別に悪くはない。月山は「欲しいものを欲しい」と言うことができないのだが、それが正しいとは限らないのである。この矛盾が「人間なんて結局、めぐりあわせでしょ」という作者の主張なのかもしれないが、そんなこと言われても釈然としませんが。

またもやバカが登場し、テロリストを偽善的に責め立てる。「好きっていうことは相手を幸せにするってことだろう」とはキッドはちっとも思わない。しかし、テロリストはこのバカに何を言ってもムダだ。ここは一つ頭を下げておくか。と謝罪する。この「ごめんなさい」は「航を手に入れようとして失敗したのは認める」と「だからといってあなたのことを好きになったりはしないのよ」がかかっている。もちろん、それはバカにも分かるのである。しかし、バカにだって意地がある。その意地を救済するために偶然通りかかる陽と田中(寺島進)・・・。ま、この程度のご都合主義はいいでしょう。

謎の男と謎の女は刑事と刑事の死んだ同僚の妻だったというオチのコント。

そして告白タイムである。月山はウェディングドレスを着せられ、胸元のサービスを許される。おへそのサービスはなかった。そして「大好きです・・・花園ゆり子が、私のマンガ編集人生を花園ゆり子先生に捧げさせてください」である。最後まで消極的で受動的な主人公なのであった。しかし、帰ろうとする月山を航がひきとめる「ボクの告白がまだですよ・・・ずっと側にいてください」「はい」抱擁である。キス禁止なのですかーっ。あげくに「この変態兄弟っ」て・・・ま、いいか。

ラストでついに豹変した月山、最後の原稿を受けとると兄弟のじゃれあいを「はい、そこまで」と止め、ついにふてぶてしい態度を示す。・・・最初からそういうキャラでも良かったのになぁと思うキッドは何か大切なことを分かっていないのでしょうか。ま、とにかく、釈はまったく面白みのないキャラを演じても12%ぐらいは取れるということは分かりましたが。このスタッフはこれがハートウォーミングでおしゃれだなんて思ってたりするといつか火傷すると思う。

関連するキッドのブログ『第10話のレビュー

今回のお習字は「雷電」なのだが、キッドの大学時代の先輩の渾名でも、江戸時代の大関・雷電為右ェ門でも、シューティングゲームの名前でもなく、Uボートがらみで旧日本海軍の局地戦闘機のことだと思いたい。紫電改のライバル機であり、ずんぐりしているので可愛いという人もいる。異様さでは震電には負ける。

木曜日に見る予定のテレビ『拝啓、父上様・最終回』(日本テレビ)

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Hcinhawaii0117 ついに完成した片岡四兄弟ロイド。ヒナタロイド、オサムロイド、サトシロイド、ワタルロイドである。防水加工がほどこされ、入浴可能という高機能を持つ。そんな機能が何の役に立つかは謎である。

Hcinhawaii0118 ぷっち☆翠「それは銭湯にヒミツ基地があるからなのデス。翠が番台にすわってはぅんするためではないのデス」

お気楽「あの、外にウェディングドレス姿のあやしいお嬢様が二人待っているんですけど」

Hcinhawaii0119 ぶっち☆翠「モエレンジャー出動! 翠だけれどアカモエレンジャー!Hcinhawaii0120

まこ☆ミキ「オホホ、サトシロイドはもらっていきマース」

かりん☆スー「ウフ、じゃ、私はヒナタロイドにしとくっ」

Hcinhawaii0121 ぷっち☆翠「あーっ、じゃあ、私はワタルロイドをいただくのデスーっ」

Hcinhawaii0122 ikasama4様「売れ残ったのか・・・やっぱり」

Hcinhawaii0123 お気楽「最近、ちょっと超能力が・・・」

あんぱんち「ヒミツも私の主演作よ。次は木村くん狙いなの・・・HEROで」

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2007年3月20日 (火)

そしたら・・・(倍賞美津子)・・・おおーん、おおーん。(速水もこみち)

「私と栄子は・・・ええーん、ええーん」(泉谷しげる)でも良かったのだが主人公に敬意を表することにした。もこみちは立派に主役を務めた。こうなると「レガッタ」は謎のドラマだな。もちろん、この作品がもこみちを成長させた可能性はあるが、十代後半から二十代後半の十年間を演じるのはさぞや勉強になったことだろう。次回作のスケジュールが発表にならないのだが、視聴率的に「レガッタ」の後の月9でのこの数字が微妙なのかもしれない。しかし、200万部のベストセラーとは言えど視聴率への波及効果は1~2%である。ドラマは良作だけにそれほど爆発的なヒットになりづらい内容。このあたりを考慮してもらいたいなぁと思う今日この頃である。ま、余計なお世話ですけどね。

春である。雪山遭難スペシャル。①無事救助、②自殺未遂自力帰還、③自殺の後は闘病生活の後のベッドの上のおだやかな臨終。彼岸なのである。死後の世界を信じないキッドは墓石をピカピカに磨くことに洗車マニアのような仄かな喜びを感じ、死後の世界を信じるキッドは裏側に増築された新たな墓所に眠る方々にどうかよろしくおつきあいくださいと挨拶をする。今年の彼岸は二月の暖冬とのバランスでやや寒く、東京の下町の山の上の墓所は北風が吹いていた。

恒例の週末視聴率チェック。続々と最終回である。「花より男子2」↗27.6%(ありえないっつーの的爆上げである。温泉か、温泉なのか。平均21.7%も立派)、「只野」↗17.0%(時間帯を考えると驚異的な数字だが東京タワーは逃げ切る模様の4位争い)、「演歌の女王」↗10.4%(平均*9.1%でフィニッシュ。おそらく最下位確定である。単純計算で毎週1000万人以上の人々がこのドラマを見ていたかと思うと日本人の底知れぬ我慢強さ健在を感じる)、「ハゲタカ」↗*7.2%(うーん。地味だ。ハゲタカファンドがやや古く感じるところがIT時代のスピードか)、「風林火山」↗20.9%(やはりミツが動画になったら20%を越えた。貫地谷すごいよ。来てるよ)、「華麗なる一族」↗30.4%(とにかくアンナ様のダーリンが国民的俳優であることは間違いない。もちろん、永遠に続くものはないのだが、さらなる高みを目指してもらいたい。それには俳優に相応しいスタッフの登場も必要不可欠なのだが・・・)、ちなみに最終回のトップ「華麗」と最下位「演歌」の差はちょうど20%、それはそれですごいぞ。以上。

で、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン・最終回』(フジテレビ070319PM9~)原作・リリー・フランキー、脚本・大島里美、演出・久保田哲史を見た。主題歌「蕾」(コブクロ)発売はまもなくである。春分の日に発売なのである。これはもはや墓参りの主題歌なのだろうか。卒業シーズン、入学シーズンにほろ苦い青春の歌でもあるのだが、春季彼岸会のテーマソングのような気もする。実際、墓参りに行って見上げる梢に蕾がありましたからーっ。高齢化社会狙いなのですかーっ。

とにかく、マー君(速水)は東京に出て10年。いろいろな経験をしたけれど、まだまだ甘えたい盛り。だから願いはただひとつ。「オカン、まだ、まだ逝かんといて」しかし、抗がん剤治療を中止したオカン(倍賞)には刻一刻と旅立ちの日が近付いてくる。その日はもう姿が見えるほどなのだ。マー君は勇気をふりしぼって耐える。耐えるしかないのだから。副作用から解放されたオカンにはしばしの安息が訪れる。

次々と見舞いに訪れる東京の息子たち。サンバカトリオもオカンに頭をなでてもらう。オカンが回復してくれないと腹の虫がおさまらないのである。空腹で。特に徳本(高岡蒼甫)が。そして東京の娘であるまなみ(香椎由宇)もやってくる。オカンの形見となるであろう指輪を嵌めたまなみ。マー君とまなみの関係は微妙である。確かにまなみにも家庭の事情があるのだが、そしてマー君の稼業が不安定という問題もあるのだが、もういい加減一緒に暮らしたらどうなのね。はっきりせんとね。いろいろと妄想してしまうではないですか、マー君が真沙美(広末涼子)とかミズエ(松たか子)とかとも内緒で付き合ってるのか・・・とかですがね。

とにかく、ドラマ的にはそのへんのことには一切触れないので潔いくらいなのだが、オカンに「よろしく頼むね」と言われたり、後にがめ煮(筑前煮)を作って「オカンの一番弟子」と言われた時に見せるまなみの思いつめた表情が無性にせつないのですがーっ。マー君、あんたどげんばしよるつもりかいっ。

そしてオバン(浅田美代子)に連れられて小旅行に出ることになったオカン。はりさけそうな心を抑えて鳴沢(平岡祐太)の監視下で仕事をこなす。旅館についたオカンから「まぐろの刺身が美味しい」と第一報が。胸をなでおろしたのもつかのま、第二報は「倒れて救急車で運ばれた」・・・マー君は鳴沢が説明するよりも早くマッハのスピードで病院へ。鳴沢の言葉は後からナレーション処理するほどのダッシュである。

病院につくとオカンは個室に移されていた。その意味を悟るマー君。医師は「もう数日です」と宣告する。こういう時、できることは祈ることだけなのだな。そして祈ってもムダなのだな。数日は長いからなぁ。ずーっとついているなんてできない者も多いのだよなあ。キッドもちょっと仕事に行って帰りのタクシーの中から皇居に向かって昔だったら現人神だからとワラにもすがる思いで祈ったけれど病院についたらベッドが空になっていたものなぁ。

そして、オトン(泉谷)が登場する。もう、オカンは言葉を発することもできない状態に。

オカンはおだやかな顔で眠っている。オトンがソファで眠り、オカンをはさんで、マー君が簡易ベッドで眠る。数十年ぶりに川の字で眠る三人家族。オカンは最後の最後で三人一緒に・・・う、モニターが見えん・・・眠ることができましたーっ。

深い眠りについたマー君、ふと目覚めるとオカンの息が乱れている。生命の灯が消えかかるのを必死にせきとめようと、酸素を求める呼吸器系。長距離走者のような末期の息。ああ、もう、ダメ。こうなったら、もうダメ。ダメでしょう。オカン何を言うの。オカン。言いたいことは分かるけん。お願いだからまだ逝かんで。ボクを一人にしないで。・・・・・ピーーーー。

こうしてボクは一人になった。通夜の席はにぎやかに過ぎていく。火葬場ではオトンが挨拶をした。お棺にとりすがり泣き崩れた。オトン。そりゃないぜー。ところで墓はどうしたん。どこの墓に入ったん。東京タワーの麓って。ば、ばあちゃんとは別なのかいっ。「オカンと付き合い始めた頃は毎晩二人で飲んだ。オカンは職場に弁当を毎日持ってきた。オレはそれがいやでなーっ。女は頭が悪いから、ちゃんと言葉にして言ってやらんとダメだ。オレは言えんかった。チビ、お前は言え」・・・マー君も言えなかったようです。例によって故郷へ戻っていくまなみ。マー君が言ったことは「オカンの指輪は持っといて」・・・ああーっ、煮え切らない男だよーっ。ああーっ、オカンがいてくれたらーっ。ああーっ。もういないのだーっ。遺品の中に旧札の下から遺書を発見したマー君。「オカンは幸せだった。マー君、遅刻はしないように。ちゃんと食べるように。そしたら、ちょっといってきます」

21世紀になってマー君は東京タワーに登る。マー君は思う。母のいる人はみんなこの悲しみを抱えて生きているのかあ。みんな偉いなあ。マー君は懺悔する。どうしてここに連れてきてあげなかったのかなぁ。こんなに側にあるのに。マー君はオカンの写真を取り出す。それを展望台の窓辺に置く。「オカン、今日はいい天気で良かったね」

関連するキッドのブログ『第十話のレビュー

倍賞千恵子・美津子姉妹の競演した冬ドラマ。キッド的にはそれだけでもかなり豪華な気分でしたよ。石野真子・陽子姉妹よりも中山美穂・忍姉妹よりも石田ゆり子ひかり姉妹よりも、なっち・アサミン姉妹よりも、浅田舞・真央姉妹よりもまだまだ日本最強姉妹の座を守っているようです。いや、腕力は上野姉妹(柔道)とか、伊調姉妹(レスリング)の方が最強かもしれんが。

水曜日に見る予定のテレビ・・・う、ハケンじゃないのか・・・ま、迷う『愛の流刑地・後編』(日本テレビ)『世界フィギュアスケート』(フジテレビ)『NHKスペシャル学校ってなんですか?』『子ぎつねヘレン』(テレビ東京)『第36回広告大賞』(TBSテレビ)『ようこそ!鉄道模型の世界へ』(NHK教育)・・・のどれかで。あーっ、テレ朝の候補番組がない・・・じゃ『世界水泳』をエントリー。

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2007年3月19日 (月)

雪山遭難スペシャル第三夜、・・・・・・ボクが・・・・・・・・・生まれ・・・なければぁ・・・・・(木村拓哉)

「生まれてこなければ良かった」と父親に告げられた時、鉄平は生きる意欲を喪失したのだろうか。もちろん、そうであるに違いない。キッドはそう思うし、後はどれだけの視聴者がそれならば自ら命を絶っても仕方ないと思えるかどうかということになるだろう。

もちろん、人間には自ら死ぬ自由があることを断固として認めない人もいる。しかし、そういう人の・・・できれば半数を納得させることはできただろうか。キッドはまずまず出来ていたのではないかと思う。いくつか、こういうシーンがあればなぁと思わぬでもないが、死に至る経過は淡々と厳かに描ききれていたようだ。

これは「雪山遭難」じゃないだろうと言う人もいるかもしれないが、狩りの忌日、風の音に支配された雪山がなければ鉄平が次の日の太陽を見ることのできた可能性は充分あり、これもまた立派な雪山遭難なのである。冬の山をなめてはいけない。

で、『華麗なる一族・最終回』(TBSテレビ070318PM9~)原作・山崎豊子、脚本・橋本裕志、演出・福澤克雄を見た。それが逃れられぬ運命であるかのようにつかのまの勝利は打ち砕かれる。フィクションとはいえ、原作の持つ底力である。もちろん、オリジナルに傾斜した点でいくつかの傷は残るのだが、・・・たとえばこの裁判に勝つことが鉄平にとって本質的には何ももたらさないということ、裁判をし、さらにいくらかの鉄平的勝利により、合併話に齟齬が生じないはずはないということ、かすかだが、違和感をもたらす。・・・しかし、それによって生じた場面。キャンプファイヤーの夜は鉄平とその家族たちにとって最後の幸せな場面であり、ふりかえれば、それは消え去る前の炎の輝きだったのである。

できればここで裁判シーンで鉄平萌えに萌えた人々から切り離し、妻・早苗(長谷川京子)との短い会話を挿入しても良かったのではないだろうか・・・。ま、欲を言えばですが・・・。

銭高(西村雅彦)の衝撃告白により、一部マスコミには大介への敵意も表明される。だからといって鉄平の汚名はおそらく拭えないだろう。せいぜいが親も親なら子も子だという状況になるだけだ。鉄平への同情論は高まらないはずだ。それなのに「高炉建設への希望がでてきた」という楽観論が飛び出すのは冷や汗の出るところだが、これもはかない望みの表れと捉えることができればそれほど気にならないかもしれない。

だが、大介(北大路欣也)にとって裁判での展開はあくまで愛と憎しみの泉である鉄平を甘やかし、叩き潰す途中経過にすぎない。それはある時点で日程を消化するように終了する行事であったのである。それは儀式なのである。

義という言葉には「羊」がいる。「羊のような我」が「義」なのである。「羊のような我」とは何か? それは飼育された家畜としての人に他ならない。儀式はそういう人がそういう人であることを確認するシステムである。前回、鉄平は銭高を「彼もまた犠牲者だ」と言うのだが、つまり自分も「犠牲者」であることをほのめかしている。「犠牲」とはなにか。それは「羊のような人が獣に戻ること」である。本来の姿に戻るのである。そして屠殺されるのである。もはや、鉄平の生は屠殺場へ向かう家畜のように血祭りに向かっているのだ。

種の保存という根深い欲望に基づいて幼いものを保護する欲求は普遍的にある。その悪しき錯誤に病的な少年愛もあるし、「子供に罪はない」という理念も生じる。牙をむき出した大介は後に「理性で抑制しようとしても感情が制御できなかった」と言うのだが、実は狂気に陥っているという方が自己分析として正しいだろう。大介は妻を奪った父を憎むと同時に愛し、その父の子であるかもしれないわが子を愛すと同時に憎むのである。そして、愛憎の矛先である父を喪失し、鉄平への敵意は加速したのである。

会社更生法によって管財人が決まり、鉄平は取り締まり役の任を解かれる。管財人は帝国製鉄から送りこまれた鉄平の仇敵。大介の手駒だった。大介に対する告訴は内部調査の結果、妥当性のないものとして取り下げられた。鉄平はやむにやまれず父親にふりあげられたナイフをとりあげられたのである。

もちろん、鉄平の殺意はポーズであった。虚勢であり、「ここまでしなければあなたは私をかまってくれないのでしょう」という意思表示に過ぎなかったのだ。父親が父親でなかった。父親の妻を奪った男の子供。それが自分だと知ったときから、鉄平はすでに愛する義理の父のために憎むべき実の父のために死を覚悟していたのである。

裁判は「それでも生きたい」とあがく獣としての執念だった。それが終息すると鉄平に押し寄せるのは諦念である。鉄平に萌えるものたちは「まだ戦える」と鉄平を励ますのだが、もはや鉄平にはその気力がなかった。鉄平に「明日」を与えることができるのはもはや大介のみなのである。

できれば、鉄平の自責の念の解説として、「自分の夢のために人命を損なった=爆発事故の犠牲者」と「自分の好奇心のために母親を傷つけた=母親の秘密を暴いた」という振り返りは欲しいところだが、まあ、そこまで親切にする余裕はなかったのだろう。鉄平の少年時代があればさらに優しいのだが、少年の面影を残す主人公を据えている以上、鉄平役の俳優の演技でそれを伝えなければ意味がないとも言える。

そして、物語はクライマックスに達する。病的に父親を愛する息子と病的に息子を憎む父親との狂気と狂気の衝突である。

「僕はあなたの愛を得ようと戦い、そして、何もかも失いました・・・」「お前は私に戦いを挑んだ。そして私は勝った。負けたお前が勝った私に何を要求しようというのだ」「僕はただあなたに愛されたかった。愛されたかったから戦った。あなたに認められようと逆らった。ただあなたにほめてもらい、笑顔をみせていただき、頭をなでてもらいたかっただけなのです」「私もお前を愛したかった。お前が実の子供であったらと願わない日はなかった。お前が苦しんでいるのを見れば心は休まり、心が休まればお前が哀れにもなった。そして哀れに思うと同じほど私の憎しみは深まった。愛そうとすればするほど憎しみが増していく。それがどんなに狂おしいことか。お前の苦しみよりも私の苦しみが大きくはないと私は信じることができなかった」「それでは僕はどうすればよかったのです」「お前は生まれて来なければ良かったのだ。この世に生を受けたことがもはや不幸だったのだ」

「死ね」と言われた鉄平はついに「愛する父の父」「憎むべき実の父」の象徴である老鯉「将軍」に石をもって報いる。「ちくしょう。ちくしょう。このちくしょう。お前が。俺が。お前が」ついに父の父の狂気。父(兄)の狂気が鉄平を飲み込んだのだ。

こうして、鉄平の心は「死」への拘泥に満ちた。もちろん、鉄平には様々な希望が残されており、客観的には「死」を希求する必要性はないように見える。彼には世界に挑戦し、既得権益者を畏怖させる技術力がある。犠牲者遺族への保障の成否を見守る義務がある。そして、無力な母を介護する指導力がある。さらに妻と子供、彼を愛し、彼が愛する家族に対する責任がある。しかし、すでに「生きていることが罪なのだ」と宣言されてしまった以上、死ぬ以外の道はないのだった。

死を怖れる欲望が鉄平に妻への電話をかけさせる。「助けてくれ。早苗。助けてくれ。早苗。助けてくれ。早苗。助けてくれ」という心は声にならず、息子に「強い子になってくれ」と約束させ、「僕は死のうとしている。僕は自殺するんだ。だって僕は父さんに死ぬようにと言われたから」とは言えず「メリークリスマス」と告げるのだった。

そして雪山が鉄平を迎えいれる。そこには祖父に所縁の老いたマタギ(山谷初男!)がいる。雪山は鉄平の死へのためらいをなだめすかし、心を静にさせる。雪は舞い、猪は立ち去り、鴨は飛び立つ。鉄平は実弾一発をこめた祖父から贈られた猟銃を手に雪山を彷徨う。彼は待っていた。迷子の自分を父親が捜しに来てくれる。もうすぐ。もうすく゜だ。もうすぐ来てくれる。そして抱きしめてくれるのだ。だが父は来ない。

行方不明の鉄平を案じる早苗に鉄平の腹違いの姉(実は叔母)・芙佐子(稲森いずみ)は「鉄平は大丈夫。きょうだいだから分かる」となだめる。その勘違いな気遣いは仇となるのだが。そして遺書となる手紙が早苗に届く。もちろん、それは「早苗へのわび、そして父へのうらみ」に満ちている。「早苗すまない。しかし、これが僕にできるただ一つのことなんだ。愛するお父さんを苦しみから救うために今の僕にはこれしかできることがないんだ。だって僕はお父さんに死ぬようにと言われたんだから」大介はついに念願の合併を果たした。その発表の席上、訃報が届く。鉄平は頚動脈から後頭部へむけて実弾を打ち込み、雪野原を鮮血で染めて、マタギに発見され、通報され、検死され、そして、死体となっていた。

一子と二子と妻の待つ遺体安置所。大介と銀平が到着する。最後の残酷な一撃をもたらす死体検案書を渡す警察官(前田吟!)。「男らしい最後でした」は現代ではある意味衝撃的なセリフと言えるだろう。彼は「B型」に驚く家族たちを怪訝に思うはずだが、「A型が間違えでB型が正しい」と念を押して去って行く。彼が去って行くまでの間はもう少し、家族たちの呼吸を捕らえた方が喜劇的だと思うが、主役が去った今、それほどの時間はないのかもしれない。主役は山に入って死ぬまで恐ろしいほどの時間を消費したのである。

鉄平が大介の実の子であることが分かり、すべての関係者が吹き出しそうになったはずだが、誰もがキッドのような心理機能を持つとは限らないので泣き出してもそれほど不自然な演出ではないだろう。何故か、家族たちは泣きながら部屋を退出し、大介が取り残される。大介はどれほど狂乱してもおかしくはない見せ場なのだが、主役の死体に遠慮して静かに演技を終える。

鉄平が死に際し、眺めた写真に写る華麗なる一族たち、彼らの葬儀が失われた主役のために続いていく。もはやすべては儀式である。鉄工所は鉄平のために燃え、大介は愛人と別れ、そして覇気を失う。義理の息子である美馬(仲村トオル)はさらなる高みから「大が小を食う新たなる合併」命ぜられ、それを知らぬ大介を見て、嘲笑とも失笑とも見える皮肉な笑いをもらす。悲劇は喜劇となり、大介がそれを悟る刹那、鉄平の最後の一言「僕はお父さんのために死ぬのです」がもう少しオブラートに包んだ言葉として告げられる。高炉が完成し鉄平の夢は実現するのだが死者にとっては何の意味もないのである。

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キッドとしては「鉄平の死」が重厚であったことに非常に満足している。まして雪山遭難・猟銃自殺である。発見の場面がないのが残念だが、山谷前田の2ショットがあれば満点だったなぁ。「死」を描かなくてもエンターティメントは成立するが、「死」はエンターティメントを成立させるための重要な要素であることは間違いないのだから。「大河ドラマ」では「死に至ったミツ」が回想され、仇の息子である晴信に命を救われた勘助が、恩人の父である信虎の命を救うというエンターティメントが展開され、やや説明不足ながらミツが動画だったので視聴率20%を越えたのだ。もちろん、アンナ様のダーリンは30%を越えましたが。

火曜日に見る予定のテレビ『ヒミツの花園・最終回』(フジテレビ)月山(釈由美子)は死にませんっ・・・たぶん。

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Hcinhawaii0110 華麗ごっこもフィナーレである。ダーロイドとの最後の時を惜しむアンナ☆ラン様。このシーンで印象に残るのは銭高の子供である野球帽の少年だが、ちーず様が男装して演ずるのは鉄平と早苗の愛の結晶である。

三人家族を見守るあんぱんち様をはじめとする工員の皆さん。

Hcinhawaii0111 そして、涙の止まらない最後のごっこへ。これはごっこ終了後の百貨店セットでの記念写真。配役は早苗(アンナ☆ラン様)、寧子(かりん☆スー様)、二子(まこ☆ミキ様)、大介(ろーじー様)、銀平(お気楽様)、万樹子(aki様)、芙佐子(みょうがの芯様)、一子(ミマム様)、美馬(ikasama4様)、相子(くう様)、倉石(ads(あず)様)、そして幻の三子(みのむし様)である。

Hcinhawaii0112 ごっこ終了後もちーず様のスケジュールが忙しいのに「思い出の華麗アルバム作り」のために写真撮影を続けるアンナ☆ラン様だった。

Hcinhawaii0113 アンナ☆ラン「ね。お願い。ね。もう一枚。ね。こういう一家団欒のシーン。もっとあると良かったのよねー」

ちーず「私、後半のレビューまだなんだけど・・・」

Hcinhawaii0115 その頃、ぷっち☆翠様は宿敵マンモス☆猪ロイドと最後の対決の時を迎えていた。ぶっち☆翠「さあ、かかってこいデスよ」

Hcinhawaii0116 まこ☆ミキ「翠ちゃんのぼぎゃーんもすごいことになってきました。はうぅん」かりん☆スー「類祭りで完全燃焼しそこなったのでパワーがあまっているのよね。まあ、P先輩のシーズンはこれからなんですけど」

Hcinhawaii0114 一方、華麗なる豪邸セットにはmari様とくう様がなにやらとんでもないことを。mari「感想が書きにくいドラマでしたねー」くう「結局、みんなこのじじいがいけないだわん」mari「まあ、そんなこと書いたら・・・」くう「あら、mariさんだってラクガオなんかしちゃ・・・」こうして華麗ごっこは終結した。

Newimage1hcmpr3 『 H☆C THE MOVIE』~美少女大戦キャンデイ☆ムーン~

←クリックするとミニミニ予告編PART3アリマス。

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2007年3月18日 (日)

雪山遭難スペシャル第二夜、ありふれたハッピーエンドや回想ばかりの最終回ではないバッドエンドでハッピーエンドな御粗末ですがそれが何か?(福田麻由子)

いきなり「どっちのエンディングショー」でクイズ番組の司会を務める幸子(福田)。最終回ということで普通の面白い最終回はしない宣言である。スタッフの苦しい胸のうちを思うと涙が止まらない。つまり、信じられないほどつまらない最終回になってしまったのだな。

そんなドラマのレビュー・タイトルに毎回、福田を登場させたこと・・・。キッドはなんと言っていいか、わからない。

しかし、リアルタイムで成長していく少女俳優の思い出アルバムと考えればまあまあの出来だったのではないか。

ひまわりの内的少女(福田)と小ひまわり・貞子(成海璃子)・・・。今度はよいスタッフに恵まれますように。

さて、三夜連続雪山遭難スペシャルも第二夜である。「華麗」で北大路欣也が匂わせた映画「八甲田山」(1977)「天は我々を見放したか」というぐらいの極限状況。それが雪山遭難である。劇的とは何か。それはドラマチックなことだなどというと頭が悪いのだが、とにかく、ドラマの要素として極限状態を作るというテクニックがあり、雪山遭難はその基本である。とにかく、登場人物が「雪山」で難にあえば大変なことになっているのである。それは基本的に「すごく寒い」ということである。次に「道に迷う」のである。そして「空腹」である。さらに「絶望」ときて「凍死」というとんでもない状況である。最後に注目すると「マッチ売りの少女」とか「フランダースの犬」とかもこのジャンルなのである。・・・おいおい。

もちろん、映画「バーティカル・リミット」(2000)のように本格的に登山したり、映画「Love Letter」(1995)のように遭難その後の話だったりと雪山遭難の奥は深い。たとえば怪談「雪女」なら雪山遭難ホラーであり、映画「世にも奇妙な物語 映画の特別編」(2000)の「雪山」のように旅客機墜落雪山遭難ホラーまである。

実話に基づきました映画「運命を分けたザイル」(2006)もあれば、タイトルのほどには雪山遭難しない映画「ホワイトアウト」(2000)もある。ああ、キッドは雪山遭難と聞いただけでブルブルガクガクなのである。

そういう意味で今回は自発的雪山遭難ものである。ま、相米慎二監督の遺作・小泉今日子・主演の映画「風花」(2001)のテイストなのである。そう思いながら見ていると、ま、なんとか、見ることができました。

で、『ドレミの歌じゃなかった・・・演歌の女王・最終幕』(日本テレビ070317PM9~)脚本・遊川和彦、演出・大塚恭司を見た。視聴率26%という驚異的なフィナーレを飾った「ハケン」に対してある意味驚異的なフィナーレになっていないことを神に祈りたい視聴率最下位ドラマ。つまり、娯楽作品としては失敗作である。そこそこ面白くレビューしたいと考えるが、本編はそれほど面白くないかもしれないのでご注意ください。

物語からひまわり(天海祐希)が消えた。そこで、前回、小ひまわりとして歌わず、残念だった貞子が不在のひまわりを追跡・追体験していく。マネージャー萩本(段田安則)と巡業のピンチヒッター役を無事終えた貞子。ひまわりの部屋を訪ねると残されていたのは赤い反物と黄色い髪飾り。ひまわりは消息不明である。

愛するヒトシ(原田泰造)と別れ、生き別れの父に冷たくあしらわれたひまわりは生きる気力を亡くし、声帯に変調をきたし、ついに雪山での凍死を決意していたのだが・・・。

久しぶりに教室に戻った貞子にクラスメートからのいじめが再び始まる。逃げ出そうとして果たせず、ひまわりのような幻想で「娘」とは「良い女」と書くんだーっ。などと叫んだ後、ひまわりの遺品(死んだかどうかは定かではない)を汚され、ついに「自殺を止めてくれた」ひまわりの言葉を思い出す。「生きていなければ素晴らしい未来はつかめない」・・・ついに貞子はいじめっ子に対峙。「あんたたちは人を不幸にするために生まれてきたのか。私は自分が不幸でも人を幸せにするために生きていく。私はもう逃げない」といじめっ子を張り倒す(相手が死んだかどうかは定かではない)・・・。ゴッホのひまわりのように生きている間は誰も認めてくれなくても・・・と言うのだが、「ゴッホ」の発音の演技指導をこのスタッフに期待してはいけない。

ヒトシと前妻との子・信(武井証)と合流した貞子は信が「愛されて幸せになったこと」を確認。ひまわりにまつわる人々が変化した姿を目撃する。志田医師は不死身人間を見たことによって人間の生命力の謎に魅惑され「国境なき医師団」に参加することを決意。弁当屋の矢沢(平山広行)は突然、働き者になり、温水刑事は「市民に愛される交番勤務」を志願。まあ、とにかく突然、みんな心を入れ替えたのである。この辺は特にスムーズに描かれているわけではないが、そんなことをこの脚本家と演出家に要求してはいけない。

ヒトシは釈放されている。殺人未遂や自殺幇助や傷害罪はそれほど簡単に許される微罪ではないが、そういうリアルさをこのドラマに求めてはいけない。貞子は「師匠(ひまわり)の行方に心当たりはないか」と問うと「どっかで幸せになっているだろう」と無責任男を貫く。貞子の不安は続くのだが、ヒトシの妻(酒井若菜)が「信とおなかの赤ちゃんは兄弟なんだからいつでも遊びにおいで」と言うのを聞き、心が和むのだった。

ひまわりの母(高畑淳子)と弟(黄川田将也)は屋台のタコヤキ屋を起業し、「便りのないのは無事の知らせ」と養育放棄歴ありますならではの母として元気いっぱいである。

貞子は「ひまわりがどこかで幸せになっている」という幻想を見る。それは凍死寸前のひまわりの見る夢と連結していた。

生まれてはじめて覚えた「ドレミの歌」(これは演歌ではないと考える)を夢の中で歌ったひまわりはふと覚醒する。まあ、毎回のように自殺志願者が登場し、実際にヒトシの母(池内淳子)は自殺し、今、ひまわりが自殺しようとしているからにはこのドラマの主題は「幸福と自殺」らしいのだが、年間、数万人が自殺するこの日本という国でそれをテーマとして語るからにはもう少し深みがあってもよかったとも思うが・・・まあ、一杯一杯なのかな。

「自分の幸福とは何か・・・」冷えつつある命の瀬戸際でひまわりは自問する。そこには愛するヒトシが現れる。「もう私には生きがいがない」というひまわりに「携帯電話を見ろ」というヒトシ。ひまわりが携帯電話を取り出すとそこには関係者一同の着信履歴が・・・。もちろん、ヒトシがそこにいるわけはなく幻想。しかし、着信履歴は幻想ではなかった。そこへヒトシからの着信。「なんだ、みんな心配してるぞ。じゃね」・・・みんな幸せになった。もう死んでもいいやと決意を新たにするひまわり。しかし、ふと気がつく。一人、幸せになっていないヤツがいる・・・自分だ。

ひまわりは凍死寸前の体を生まれたての小鹿のように起し、一人、ドレミの歌を歌いながら歩いて帰るのだった。いつしか、失われた声もとりもどし・・・。

衰弱した体を病院で癒すひまわり。ようやくヒトシの幸福を祝福する気持ちになったひまわりはヒトシとのじゃんけん勝負に勝ち決着をつける。そして、関係者の見守る中、病院のロビーのステージで「女のわかれ道」を熱唱する。ここでヒトシの母の遺影がないのは自殺者の疎外なのであろう。

やがて、奇跡が起きて、再生したひまわりの歌は病院中の人々を吸引する。護送中の救急隊員まで引き寄せたので急病人は死んだのかもしれない。善意で解釈すれば「自殺するような切迫した状況のすぐ後には驚くべき幸福が待っている可能性がある」というメッセージなのかもしれない。ま、このドラマが終ってくれたこともそう言われればそんな気がする。

ともしびを消さぬよう

ため息殺し忍び足

倒れてもくじけても

幸せ信じ生きていく

・・・女のわかれ道のここまで隠されていた歌詞がこうなのでハッピーエンドなのかもしれない。

後提供バックには豪華なセットで歌うひまわりがいて、ひまわりの成功を暗示する。

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雪山はあっさり吹雪。基本的に遭難したひまわりはマグロである。凍死寸前化粧はなかなかで唇は紫だった。主軸は凍死前の幻想である。第一に「幻想の家族と食事」、第二に「幻想のヒトシと対話」そして最後に「幻想の生きて帰って新しい衣装を着て幸子と決別して病院のロビーで熱唱」である。春になり、ひまわりの骸が発見されるまでにはその幻想も消えているに違いない。雪に寝そべり続ける天海さんに敬意を表し79点はあげたいと思う。

月曜日に見る予定のテレビ『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン・最終回』(フジテレビ)

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2007年3月17日 (土)

雪山遭難スペシャル第一夜、井上真央はありえないつーの連発で怒涛のハッピーエンドに到達するのです。

ああ、ここまでオーソドックスな少女マンガありえないっつーの。でも、こりゃ、面白いな。

ドキドキしてイライラしてウッフーンなのである。

フィナーレを飾る海(戸田恵梨香)もきっと戸田クラスでなければ勤まらない豪華なキャスティングになっている。つくしが涙すれば、海も涙し、つくしがクッキーを作れば、海も作り、つくしが温泉に入れば、海も入り、そして海がキスすればつくしもキスをするのである。そして、恋のゲームはつくしが勝つに決まっているのだが、それでも勝利の爽快感をもたらすためのプレッシャーは必要。最後にとんでもない救済シーンもあるのだが、敵役としてとことん完全燃焼した海なのである。

ま、最終回としてはサービスたっぷり、ゴージャスで痛快なシンデレラストーリーのフルコースである。

で、『花より男子2(リターンズ)・最終回』(TBSテレビ070316PM10~)原作・神尾葉子、脚本・サタケミキオ、演出・石井康晴を見た。オープニンング・テーマ『Love so sweet』(嵐)で始まり、『Flavor Of Life-Ballad Version』(宇多田ヒカル)でしっとりしめる。ああ、もう、今日は、今日こそは幸せになってくれるんだよねーっ。という幼い視聴者の擬似恋愛心を裏切らずゴールを決めてくれーっ。

そこに立ちはだかる恐怖の海ちゃん。彼女は強敵である。それは悪意を笑顔で包み込み、自分自身でスポイルするという一種の狂気で武装されている。つくしの「初恋のクッキー」を横取りし、司(松本潤)の唇を奪う。そうすれば心も奪えるとしたたかに計算しながら、それを悪意とは認識しない。恐るべき自己欺瞞テクニックを持つのである。彼女の信念はただひとつ、「自分が幸せになることは世界で一番大切なこと」なのである。

それはある意味、むきだしの「敵意」であるのだが。

それではつくしの勝利の方程式は何なのだろうか。それは「他人が幸せにならなければ自分は幸せになれない」という屈折なのである。恋愛に他者がある限り、この「善意」をオプションとして持っていると必殺技になるのである。

つくしに知らせず退院した司。鬼母(加賀まりこ)は息子の恋人の記憶がないなら問題ないと司を回収する。ありえないことに海はちゃっかり一緒に回収されているのだった。ドラマ的にはつくしの恋敵になるためだけに造形されたキャラクターとして、家族、環境いっさい謎である。いわゆる一つの恋人きどりをしてつくしを翻弄なのである。ここで計算のない敵意の欠陥が露呈する。クッキーの横取りを悪と思わぬがゆえにつくしにそれを悟られてしまうのである。ここでつくしは伝家の宝刀「愛の涙」を流すことが許される。

つくしは「奪われたものの涙」を流す。「自分の過去、自分の愛、自分の献身」を奪われた涙なのである。この涙を司に見せる機会を作ってしまったことが海の敗北を決定的にする。この後で「いつも一緒の海よりもたまにしかこないつくしを気にする」といって海は泣くのだがこれが「奪おうとするものの涙」であることを司は見抜いてしまうのである。

自分の強さを疑うことをしらない「悪」は次の失策を犯す。腕に自信のクッキーを作るのである。対戦相手を見下した行為。いわば自惚れによる失策である。まさか「まずいクッキー」が正解であるなどとは思いもしないのである。そして、司は海のいかがわしさを直感してしまう。

それでも、「悪」は反省ということをしないので、あくまで「自分中心の愛の形」を司に投げ続ける。F4主催のホテル全館貸切全快祝いツアーへの参戦である。もはや敵の牙城に潜入するという全能感漂う海はつくしに直接交渉に望む。「私の正しい愛の前にあなたの間違った愛は邪魔なので遠慮してもらいたい。あなたは気の毒だけれど私の愛の方があなたより強いのでそうすべきだ」というのである。「悪」はあらゆることを正当化して恥じない思想だからな。一方、つくしは「不条理な障害」を前にしても「記憶をなくしてももう一度自分を選んでくれるという自信があった自分」さえも反省するのである。

そして、ついに悪の拒絶反応が。「司の怒りを沈める愛」は「自己愛」ではなかったのだ。それは「他者を思いやる愛」だった。つくしの記憶は失ってもつくしにあたえられた愛の記憶が残っていた。自己愛を否定された海は「自分」を否定され、最後のあがきを見せる。つくしに罠をかけ、敵の消滅を図るのである。まさに「悪」の正体が示されてしまう。

そして、物語の巧妙さは結局、その行為が司とつくしの愛をとりもどすきっかけになってしまうということだ。

雪山で遭難するつくし、追いかけて救助する司。山小屋にたどりつき、生死の境を彷徨う二人はついにゴールにたどりつく。「ありがとう」なのである。救助隊(東野幸治)に司が「遭難じゃー」と言った瞬間からドラマはエピローグに突入する。

「本能で司はつくしを選ぶ。花より団子だから」と言う類(小栗旬)は「あんたは生まれ変わらないと許してもらえない」と海には厳しいのであった。道端でヴァイオリンを恵んだりもするのだが。

とにかく、仕方なく「つぐない」のためにつくしのストーカーになる海。ようやく、車がぬかるみに入り、そのチャンスが。ある意味超人伝説だな。

つくしが「ありえないっつーの」と叫ぶ、武道館貸切、卒業プロムじゃなくて司の公開プロポーズである。「白状しないと殺される」と思ったケン(鶴見辰吾)と同じように武道館を埋める観客一同が「しゃべったら殺される」と息をひそめる観客席。柔道や剣道の汗にまみれた人々の臭気がこもるこの聖地で、愛の武道はついに決着を迎えるのである。

「幸せにしてやろうじゃねえかっ」宣言である。

ま、関係者全員集合とか、「お父さん、結婚してください」とか、首絞めてキスとか、なんだかんだで祭りは終ったのである。

関連するキッドのブログ『第十話のレビュー

雪山はかなり吹雪。夜に向けていない人を捜索。遭難。スノーモービルで捜索。ガス欠で壊れたので二重遭難。山小屋で暖めあう二人。交互に看病。「眠るな」アリ。雪山遭難90点である。「あったかいスープ」「素肌で摩擦」「眠ったら死ぬぞ」も欲しかった。

日曜日に見る予定のテレビ『雪山遭難スペシャル第三夜~華麗なる一族・最終回』(TBSテレビ)

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皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。

Hcinhawaii0106 類祭り&司祭りのF4祭りもフィナーレへ。当然の如く、じいやに武道館をおさえさせるH☆C。つくし役はやはり、類祭り、司祭りの主催者が務めるのだった。司つくし・くう様。類つくし・ぷっち☆翠様である。

まこ☆ミキ「さーっ、それでは皆さーん、ありえないっつーのをぶちかますのデスーッ」

Hcinhawaii0107 くう「ありえないっつーの」雨の別れに続いてプロポーズ祭りを堪能するくう様。

唯一無傷のツカサロイド。大切にされているラッキーロイドである。

Hcinhawaii0108 そして卒業プロムの開始。ダブルF4ロイド体制である。ぶっち☆翠「ア、アンナ様・・・・」アンナ☆ラン「仕事で疲れてますがそれが何か・・・」かりん☆スー「それなら私もロイドじゃなくてP先輩を誘えばよかったなーっ」あんぱんち「いるのよーっ。見逃さないでねー」

Hcinhawaii0109 その時、お気楽社長は見た。お気楽「あれーっ。これは妄想? 現実? それとも映画の宣伝? ぼぎゃーはないの?」

悪のikasama4様「形あるものは滅びる定め・・・やらせはせんぞ」デビル・ミサト・クイーン「続きは劇場で!」

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2007年3月16日 (金)

本当はツヨシだった二宮和也はタクヤとジウを国際不倫させたと八千草薫は真相を語るわけで。

それはさておき「なぜ、ナオミの父が津山冬彦(奥田瑛二)だと言わないのか」というのが今回の脚本の問題点なのだが・・・つまり、近親相姦のリスクが存在するとして、一平が「妹を愛してはいけないのでないか」と悩むのだから、父親かそうでないのかは母・雪乃(高島礼子)は答えてくれるだろうにと視聴者が思うのである。この場合、雪乃がそれでも教えない場合、「妹だろうとなかろうと好きならそれでいいじゃない」と答える場合があり、キッドなんかもわりとそう思うのだが、それはまずいという配慮があるのかもしれない。

もちろん、雪乃が「それなら教えます」だった場合、「妹」にしろそうではないにしろ、話は終るので、あえて一平(二宮)にその質問をさせなかったということになる。それはアクロバットなので、セリフのなりゆきとか、二宮は実は「ついでに父親の名前を」とか「彼女抜きでも知りたかった」とか「父親のこと」を考え出して「彼女のこと」を忘れたとかそういうずっとフリとしてある「ちょっとおバカ」な一平を強調するものだったり、様々な解釈が可能になる。自信を持ってごまかせたと思っている可能性さえある。

次に「答えられない理由」によるものだとする可能性がある。たとえば一平が雪乃の子供でもなかった場合。捨て子とか、死刑囚の子供とか、宇宙人の子供だったとかそういう場合である。父親の可能性多数で分からない場合もある。これはコメディーとしてはあまりブラックな方にはならないと思うので除外するが、北朝鮮との女性工作員と誰かの間にできた子供であるとかいう場合だ。この場合、男が津山かどうかはDNA鑑定の必要があるのである。さらに雪乃が性転換した元・男性で本当に雪乃が実の父で律子あたりが実母・・・きりがないのでやめておく。ま、「父親が誰だろう」ということでスタートしたので最後まで引っ張りたかったというだけなのかもしれない。倉本先生、実はキッドは一平の父親がだれか、あまり興味がありません。近親相姦も欠陥遺伝子の重複配合以外は科学的にそれほどリスクはないと考えますし・・・。法的な問題だけですし・・・。本当は「韓国ドラマみたい」って書きたかっただけなんじゃないんですか?

で、『拝啓、神様じゃなかった・・・拝啓、父上様・第十話』(フジテレビ070315PM10~)脚本・倉本聰、演出・西浦正記を見た。元旦に夢子(八千草薫)が狂を発し、妄想を人に語るようになって、とりあえず弁当を作って届ける一平。夢子の妄想第一弾は後のオチの前フリでもある。

病室の廊下でひそかな監視行動をする夢子は一平に「キムタクが入院しているの。不倫しているの。相手はチェ・ジウなの。秘密なのね。それがジャニーズ事務所の方針らしい・・」と語るのであった。キム・・・というからジョンイルかと思いましたよ。北朝鮮ネタからは脱出したらしい夢子だった。

ま、そういうわけで一平としては困ったことになったなぁと思うのであるが、とりあえず1月4日のナオミ(黒木メイサ)との鎌倉デートははずせない。ウキウキと出かけていくのであった。八万円代のワインも四万円代のワインも十代や二十代が飲むものではないというキッドは育ちが貧しいのでしょうね。

ともかく、ナオミはそういう気持ちはないらしく、また、半額かよとツッコミもせず、おおらかにおっとりと育ったお嬢様らしい。噂をすれば影なので、父親登場である。海岸でのデートで彼女の母親は死んだと言っている。父一人娘一人である。その父親が一平の父親でもある確率はどのくらいなのだろうか。・・・と考え始めるとドラマなどというものは成立しにくくなるのである。ウソのようなホントという言葉があるくらいなので、ウソのようなウソがあってもいいだろう。ま、キッドはウッソーと思いましたけど。

その後の一平の壊れ方もまたありえないほどだったのだが、もう一平は人間離れした感性の持ち主だということが分かっているので我慢することにする。特にバスを下車して鉄道の改札をくぐるあたりはもうもののけかと思いました。

さて、一応、解説がいるのはナオミの方かもしれない。ナオミが一平のこわれっぷりをどう感じているのかという問題である。有名人の娘というのはそれだけで重圧がかかるものである。特に成功している有名人の場合、それゆえにちやほやされる場合もあるし、邪な目的での接近という災厄もある。彼女があの年齢に達するまでに何度かそういう目に会い、経験値をつんでいる可能性がある。一平の豹変ぶりを好意的に解釈すれば「父親が有名人だと隠し事をしていた自分に腹を立てているのではないか」とナオミは想像する可能性があり、そこに危機感を感じているとすればナオミは一平に本気で惚れているらしい。

そこからは「ナオミが妹かどうか」「父親が津山冬彦かどうか」で心が一杯の一平。とっとと「ナオミの父親が津山なんだけどオレ、やっちゃっても大丈夫」と雪乃に聞けばいいのだが、仔犬の一平にはそういうポイントをおさえた質問はできない。したくても倉本先生が許してくれないのだった。で、とりあえずルオーの店でルオーの出番を作るのだった。ここでもやや精神に異常をきたしている一平。妙に怒りっぽい。自分が誰と何を話しているのか分からなくなるタイプなのだな。

ナオミからのメールにせきたてられるようにようやく雪乃を訪ねる一平。もちろん、一平が質問を躊躇する本当の理由は「もしも妹だった場合ナオミといろいろできなくなるのがイヤだ」なのである。だから「雪乃ちゃんが答えないで欲しい」という気持ちもあるのである。脚本的にはちょっと分かりづらいですけど。

結局、答えを引き出せなかった一平。おかげでナオミは深夜の呼び出しをすっぽかされるのであり、最後に一平は彼女がそんなひどい目に逢うのも「雪乃の沈黙」のせいだにどと言うのだが、キッドは一平がバカだからだと思う。

さて、気がふれても一番楽しい夢子さん。一平がキチガイ相手に本当のことを教えてくださいとさらにバカをさらけだすと「雪乃と冬彦の子供の名前は私がつけた。名前はツヨシ。大人になってクサナギツヨシ。キムタクにチェ・ジウを紹介したの。そして国際不倫。それが真相。真相って面白いでしょ?」一平「面白すぎた」さすがに爆笑してしまいました。

いつから兄妹が愛しあうことが韓国ドラマの代名詞になったのかはしらないが、イザナギイザナミの近親相姦の末である日本国民としてもいささか、手垢のついたテーマ。しかし、前座として登場する律子(岸本加世子)の幼馴染(加賀まりこ)の人情話は涙を誘う。その前に一平は律子から呼び出され、「新坂下」の誘いに「どうしたらいいかわからない」と仔犬の答えをしているので、大人の女たちの人情がより際立つ。ライバルに頭を下げ、従業員の後の事を頼んだ律子。言葉だけのやりとりなので律子の人の良さが伝わらない可能性のあるのがドラマのおそろしいところでもある。女優の年齢差にいくつ年齢が違う同級生なんだよと筋違いのツッコミをしたりしてはいけない。女に年のこと言うのは無粋よ。

とにかく「韓国ドラマみたい」という竜次(梅宮辰夫)に「韓国ドラマにだって真実はある」と突然評論家になる一平。漫画しか読まなくても韓国ドラマは見るらしい。とにかく「義務です」の押しで竜次さんに聞いてもらえることになったらしい。面白いのだがやや強引な気もしつつ、つづくである。

関連するキッドのブログ『第9話』のレビュー

もはや、話の内容はどうでもよくて、一平というちょっと頭の足りない与太郎の落語を聞くような展開である。それはそれで楽しいのだが、エリや時夫が疎外されていて残念だ。ルオーさんや澄子よりもそっちを見せてもらいたい。いや、先生にも先生の事情があるでしょうけれども。来週の最終回、神楽坂が爆撃されるのだな。(妄想)

土曜日に見る予定のテレビ『雪山スペシャル第二夜・演歌の女王』(日本テレビ)

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2007年3月15日 (木)

やはり正社員になりたいんですーっ。(加藤あい)

うーん、そう来たか。それが本音で結論か。人それぞれといいながら、キッドにとっての主役である森美雪(加藤)の選択はまあ、賢い選択と言えるだろう。

世の中は複雑だ。経営者と従業員の関係。株主と労働者の関係。会社と顧客の関係。そして正社員とハケン社員の関係。どの関係もケース・バイ・ケースで、一概には言えない。それはすべてが生き物の話だからな。社長も生物なら社員も生物。正社員もハケンも生き物である。もう一人の主役である里中(小泉孝太郎)は「企業は人なり」と武田信玄のようなことを言って出世街道を驀進中。恐ろしいことに黒岩(板谷由夏)はちゃっかり勝ち馬に乗り換えている気配がある。キッドは一番、そこが心に沁みた。

もちろん、会社も生き物なのだ。生き物だから死ぬこともある。世の中は基本的に不公平なものだから、運不運に左右される。会社という生き物に寄生した社員という生き物が対応力に優れていたりすれば、会社が死んでも生き残ったりするし、逆に、会社と一緒に死んだりもする。またトップということを考えれば、企業家はある意味、フリーターであり、社員はフリーターの下で働いているという考え方もできる。そういう全体像を見ることもなく、正社員とハケンの身分の上下を考えるのは愚かだ・・・とは言えない。世の中の大多数の人間は上でも下でもなく中間に位置している。相対評価の五段階なら三に人口は集中しているのである。大雑把に言えば、大前(篠原涼子)も東海林(大泉洋)も里中も森も同じ塊にいるのだが、そのさらに中核は森なのである。生涯賃金のことを考えれば、同じ仲間と一緒に生きていくという建前とともに森の選択が賢いのである。

そしてこのドラマの最後の主張は「仕事は仕事、恋は恋」という割り切り論である。前向きでよろしい。会長(大滝秀治)はきっと「うんっ」と肯定するだろう。このドラマを楽観的すぎると考える者もいるだろうが、それは底辺に生まれてしまった我が身を呪うしかないのである。呪えば、宝クジにあたるように天変地異とか戦争とか不測の事態が起き、社会が大混乱し、一発逆転の目もありますからね。ま、大抵、運の悪い奴はどこまでも悪いのが相場なんですけれど。

で、『ハケンの品格・最終回』(日本テレビ・070314PM10~)脚本・中園ミホ、演出・南雲聖一を見た。小学生が見てもある程度は分かる痛快な構成である。大前は里中に社長賞をとらせるためにハケンされた特殊工作員だったのだ。おそらく、会長と里中の父親の前総理大臣は友人か何か(妄想)で「息子を男にしてやってくれ」と頼まれ、特命ハケンの大前の出動が決定したのだ。天谷(白川由美)こそが、ハケンライフを隠れ蓑に「特命ハケンギルド」をしきる闇の支配人なのである。

大前の使命は唯一つなのであり、その他はおまけなのである。もちろん、里中本人には秘密である。本人が知っていては成長できないからだ。もちろん、特命ハケン工作員も人の子だ。時には恋することもある。しかし、明日をも知れない命。その恋は結婚を前提としたおつきあいなどという一般人の恋ではない。刹那に萌えて眉毛を抜くのである。

いくつかのショック療法を経て、巧みに誘導し、ついには仔犬の里中の社長賞にこぎつけた大前。さすがである。賢い視聴者はお気づきだろうが、里中はコネ入社であり、サラブレッド。東海林は成り上がりだったのである。当然、グルである桐島部長(松方弘樹)にとって最初から切り捨てていいのは東海林だった。東海林はまさにかませ犬だったのだ。大前は催眠暗示で森にアイディアを出させ、そこから、ハケンと社員の身分差によって生じる位置エネルギーを利用し、里中と大泉にふたまたかけて衝突エネルギーで加速。ついには里中の打ち上げに成功したのだった。

身近でそれを見ていた森は女の直感ですべてを悟り、工作員にはとてもなれないと正社員の道を選ぶのだった。ちなみに故郷に帰るとか言っておいて、やっぱり正社員になりたかったので紹介派遣制度でカムバックするのだが、気まずくなかったの?

今回最大の見せ場は大前の正体も知らずに調子に乗った里中が「あなたは東海林さんが好きなのです」と断言するところ。「お坊ちゃま」ならではの発想に死線を乗り越えて生きていく大前が呆然としつつ、ちょっと可愛くも感じる場面。そして、「つかの間の恋」という意味では微妙に正解であるというほのぼの感が漂うのである。大前がつい真実を話す気になるのではないかと、気をもむ女支配人のフォローぶりも芸の細かいところだ。

もちろん、春なのに大雪という予想外のアクシデントに大前が工作員の腕の見せ所として007よろしくスカイダイビングしてくるのは当然のことなのだ。もちろん、特別ボーナスが支給されるからである。

さて、工作活動の結果、東海林が飛ばされたことにちょっぴり気がとがめる大前。森に変装してはずかしメールを削除したりするだけではおさまらず三ヶ月のオフを東海林のフォローに費やすことを決意。いわば恋のバカンスである。だからエージェントを通さずに直接、東海林のところへやってきたのだ。電線音頭で始まり、夫婦漫才で終るコントのフリオチ。軽快で視聴者の期待を見事にスカス最終回。資格ネタでついに「核燃料取扱主任者免状」を披露する大前だが、もちろん、核兵器の解体、時限装置の解除、危険物取扱は工作員としての基本中の基本なのである。自動車運転の際の大袈裟な安全確認が暗殺者を想定したものであることは言うまでもない。

そして、もし暗殺者が東海林との恋のアバンチュールの最中に来襲したとき、東海林が弾除けとして使われることは確実なのだが、哀れなクルクルパーマの運命は神様だけが知っているのであった・・・。

地味なスバイコメディーとしてはまあまあの佳作だったと考えます。

関連するキッドのブログ『第9話のレビュー

ま、ふざけているんですが、それが何か。世の中のせちがらさでいえば「同一賃金」での「オレたちの給料へっちゃうのかよっ」という正社員のつぶやきも心に沁みますがね。今季、あえて全曜日連ドラレビューになっているのだが、おかげで中々、言及したいのにできない番組が多数。昨夜は『深田恭子の私の頭の中の消しゴム』があったのにしていないのだ。10%そこそこの視聴率だったが、焼き直しものとしては堅実な作りだった。恋人、ミッチーで母スーちゃんである。スーちゃんにフカキョン、理想の母娘だな。そしてフカキョン。うーん、もう、いくつになってもキュートでございます。愛とはメモリーである。というキッドの主題をそのままにしたドラマなのでこれ以上の言及は避けておきます。ちなみにキッドは消しゴムと聞いただけで「虚構船団」(筒井康隆)を連想し、頭の中の分度器とか、頭の中のコンパスとか、頭の中のホチキスとか・・・頭の中が痛そうなものを感じたことも記しておくのです。ちなみに「富豪刑事」(筒井康隆)つながりです。

金曜日に見る予定のテレビ『雪山スペシャル第一夜・花より男子2』(TBSテレビ)

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2007年3月14日 (水)

・・・出して、出してっ。(釈由美子)

・・・ああっ、久しぶりにスパムみたいなタイトルに。っていうか、釈にもっといいセリフ言わせてくれよ。ちなみにこのセリフはオフで食べてはいけないものを食べた修(池田鉄弘)が「小娘、どうしよう?」と言うのを受けてオフで月山(釈)が言うのである。画面は智(要潤)がニヤニヤしている。ほのぼのとしたいいシーンであるので、変な想像をする人はいけない人。

でもさぁ。狙っているだろーっ。この「親しき仲にも儀あり」がっ。

先週、主役としてがんばったご褒美なのか、いきなり、担当に復帰している釈。「初めて居場所を見つけられた気がする」まで言うのだ。しかし、「花より男子2」の滋が去った後のようにつかの間のほのぼのの後の修羅場というか、いじいじシーン突入である。今季、様々にかぶり続ける連続ドラマたちだが、ここではストーリー展開のパターンがかぶっている。

今季は何作かドラマを視聴していればそのかぶりぶりにちょっとあきれる。特に主役の造形。「恋愛に対して奥手でにぶくて臆病で当たってくだけない」という性格設定の連打。確かに、そういう主役は感情移入しやすい典型だが。別のベクトルだってあるはずだろう。つくし、ひまわり、マーくん、一平、大前、鉄平、最後の二人は異論もあるだろうが、キッドには同じに見える。そして女子の極めつけが月山である。ええーい、こんなヘタレばっかの主役でみんなは楽しいのかーっ。・・・失礼しました。

で、『ヒミツの花園・第十話』(フジテレビ070313PM10~)脚本・永田優子、演出・二宮浩行を見た。そういう主役なので、脇役がちょっと積極的行動に出ると思いっきり悪役に見える。ここでは変な帽子の女・みすず(松岡璃奈子=松岡姉妹の妹=のだめカンタービレの萌)がそれである。もはや異常性格に見えてくる。いや、病気ということでは川村(真矢みき)の図々しさも充分病気だし、変な男とからむみなえのママ美那絵(滝沢沙織)もかなりおかしいのであり、ラブコメの鉄則、「ちょっと変な人が恋をしてしまうから面白い」で言えば正解なのだが、それは主役がそうであるべきなのであって、脇役があまり、調子に乗って変だと「いやな奴」に見えてくるのである。

特に主役のターゲットに恋敵として登場するともう目もあてられない状態に。キッドは別に東京ガスのまわしものではないが、TVCMサイトを紹介しておく。「マイホーム発電・読み合わせ編」でさわやかな松岡璃那子が見れるからっ。ついでにあの人も見れます。こんなところで共演していたのだなっ。

で、釈は「告白していい関係が壊れるよりもぬるま湯でいい」などと言うおいおい風邪ひくぞ的なキャラクター設定なのだが、恋の相手役もまた「弟たちが傷つかなければ他人はどうなってもいいのでできれば他人にかかわりたくない」というキャラクター設定である。二人は「恋愛なんかしなくても人は生きていける」という共通の価値観を持っている。それが現代の日本の適齢期男女の本音なのかい。そりゃ、婚期も逃すわな。

で、この二人に割ってはいるのがみすずである。基本的にはデリカシーが「不思議系」なので無神経にも見えるタイプ。しかも粘着質である。初回、彼女は見晴らしのいい場所で航(堺雅人)がスケッチしているのに出会い、恋をする。みすずにはペットというか、男奴隷がいて拓実(山本裕典)である。拓実はみすずを恋人と考えているのだが、みすずにはその気がないというあたりがもう嫌われそうだ。みすずは自分にふさわしい男として航に狙いを定めるのであるが、最初の告白でふられている。この時、拓実を同伴しているのでもうとんでもない女だと認識されるのである。だが、一目惚れした相手に勇気を出して告白するのがそんなに悪いことですかっ。

視聴者がもう、全然味方じゃないので、問題にされないのだが、みすずは深く傷ついたのです。ここでターゲット外なのだが、視聴者の多くが可愛く思っている陽(本郷奏多)がからむ。彼は「みすずには航は高望みすぎる」とバッサリである。みすずに敵意を抱いている視聴者には胸のすく展開なのだが、みすずはさらに深く傷つきました。このあたりから、みすずの心はあきらかにダークサイドに堕ちていくという描き方をされている。片岡家の情報を詮索し、知られたくない秘密に肉薄するストーカーになるのである。でも、それは恋する者にはありがちなことですから。あきらめられなくていいじゃないですか。どの時点でみすずが「片岡家のヒミツ」をつきとめたのか、微妙であるが、「弟が血縁ではない。その弟の親が片岡の盗作問題にからんでいる。そのために愛しい人(航)は茨の道を歩いている」という直感はかなり早い段階で得ているのではないかと思われる。そこで彼女はその障害を取り除こうと決意するのである。これは愛しい人が自分を愛してくれないのはその障害があるためだという明らかな錯誤が介在しているのだが、恋は基本的には錯覚のようなものだから仕方がないのです。相手が迷惑と思えば邪恋になるだけだ。そして、次々と片岡家のヒミツを暴露していくのである。「四男の血縁関係」「片岡家の盗作問題」と秘密を公にして狂気に陥った彼女は再度の告白を試みる。だって愛しい人を重荷から解放したのだから愛されるはずなのだ。もちろん、航にとってはいい迷惑だから、「好きです。あなたも。あなたの描く絵も」というみすずに「この傲慢女め、二度と顔を出すな」とつれないのである。みすずの心は打ち砕かれました。航の怒りは彼女を経由して航の宝物である陽に向かう。彼女は単なるメッセンジャーなのだが、「あなたは邪魔だ」という言葉はどうしようもなくどす黒いのである。ああ、恋は人を地獄に落すのである。だから、臆病になるのですって堂々巡りですけど。

航とみすずの愁嘆場を目撃した月山は問いただすこともせず、立ち去る。なにしろ、航と月山は「何でもない仲」なのだから。智は弟として兄に「追いかけろ」とそくすのだが、「血縁のない弟」のことで頭が一杯の兄は「さらにただの関係のない女」などどうなってもいいモードに。智は月山に恋しているので月山を追う。実は月山は智には最初に恋をしていたのだが、月山にとってはひどい悪戯をされた過去があるので、智を恋愛対象として見直すことはできない。臆病な女は心のせまい女でもあるからな。もちろん、月山の中にも奔放な部分はあり、迷いもある。智の愛を受け入れたい気持ちもあるのであるが、「恋に奥手=純情」の法則を打破することはできない。そんなことをしたら数少ない視聴者の支持をさらに失うからである。このあたりの機微は一切説明されないので、表面上の月山はひどく知能に問題のある人にも見えるのであるが、「それとなく」ということができないという描写もあり、知能にまったく問題がないわけでもないと見えるところがこの脚本の穴である。もう、これ以上はこの点を責めるのはやめにしておく。ある意味、これはこれでいいのだからな。

「好きだけど好きだといえない二人の恋」は人類が滅亡した後にかかる虹のようなものだから、なんとかしなければならない。そこで自分も告白はできないのだが、他の誰かにはお手本を示してもらいたいと考える次男・修が長男・航に噛み付くのである。「あんたが告白しないのは他の誰かのためじゃない。自分が傷つきたくない。ただそれだけなんだ」なのである。四男の出自や片岡家の過去にまつわる話のように聞こえるかもしれないが「好きな女に好きって言えないなんてそんなお兄ちゃんはいやだ」という話なのである。

兄が「好きだ」とは言えないが「嫌いだ」とは言えるという性格的欠陥で投げた波紋は前述のようにもっとも守りたかった四男・陽を傷つけ、ついに封印の扉は開かれる。陽を追って主人公が禁断の部屋へ。そしてその背後には「腰のあるマシュマロなんて想像したくもない男」が・・・。幼い視聴者たちが志村けんいや月山に向かって後ろに、お化けがミイラ男がジェイソンが貞子がエイリアンがいるよーっとそれぞれのこわいものを思い浮かべ絶叫しつつ、つづくなのである。

関連するキッドのブログ『第9話のレビュー

予告編。花嫁衣裳。へそだしなのか。あー父さん母さんなのかーっ。アーッ感謝してますなのだな。鳴海先生(堺)、お願いだーっ。「好きだー」って「好きだー」ってイズコ(釈)に言ってやってくれーっ。それで八方まるくおさまりますからーっ。最終回なんだからー主役にスポットライトを当ててくださいませーっ。

木曜日に見る予定のテレビ『拝啓、父上様』(フジテレビ)

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2007年3月13日 (火)

・・・やめよっか・・・よう、がんばったね。(速水もこみち)

プリンを残してもらって「いつまっでん、子供やないけ」でも良かったのだが、方言聞き取りに自信がなかったので・・・このセリフをタイトルに・・・いや・・・それだけでまた泣いてしまいそうだーっ。

どっちなんだっ。「苦しくても少しでも永く」なのか「限りある命少しでも楽に」なのか。そんな問題に答えられますかっての。

こんな気持ち上手く言えたことがないやいやい・・・です。二度あることは三度ある。で、三度目の正直。小学生以来、言葉の欺瞞性について考えるとつい思い出すこのことわざの、整合性の例として「二度ガンになったら三度ガンになる」「三度目は死に至るガン」というフレーズが・・・何を言っているんだ。

とにかく、もはや、レビュー不要の展開です。見ればわかるだろーっ。

で、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン・第十話』(フジテレビ070312PM9~)原作・リリー・フランキー、脚本・大島里美、演出・久保田哲史を見た。『HEY!HEY!HEY!』にコブクロが登場。軽く笑わせた後で、『蕾』を歌う。そして「世界が滅びるよりもこわいこと」についてのマーくんのモノローグが始まった。最後の晩餐。「オカンがいなくなる。オカンがいなくなる。オカンがいなくなる。そんなことありえない」というマーくんの願いを神様が聞き入れないことを誰もが知っている。知らないものは幸せだ。人間であることの幸福。生きていると知ること。人間であることの不幸。いつか死ぬと知ること。その中間にある。愛しいものの喪失。しつこいようだがまさに神は与え奪うのである。そして、「蕾」のオープニング挿入。そうか、後半、もうガンガン行きますよ。宣言なのだな。ガーンッ(byまこ様)

そして闘病生活が始まった。オトン(泉谷しげる)がやってくる。「今度はもうダメかもしれんな」「養毛剤で毛が生えたのに・・・」「個室に移されたらおしまいだ」オトンしどろもどろである。そして、今回は早々に退散。関係ないが「拝啓、父上様」の納会のシーンで薄いBGMとして流れていたのは「春夏秋冬」だったのだ。もう、関係ない話でもしてないと身が持たない。変わりにオバン(浅田美代子)が登場。今回、恐怖でダメマーくんに逆行しかかるマーくんを「しっかりせんね、オカンをささえんね」と叱咤激励するオバンだった。オカンとボクと、時々オトン、そんでもってオバンなのだった。

どんな仕事だろうと、肉親がこういう状態で仕事はつらいのだが、特に頭脳労働はつらいのである。いや、切り替えることのできる人はいるのだろうが、たとえば、オカンが死ぬかもしれんという時に笑点のネタなんか考えていると自分が自分でなくなるような気がするぞ。ビンポンパンポーン。九州からお越しのマーくん。オカンが正面ロビーでご臨終です・・・笑えるかーっ。いや、作家だけでなく、落語家だってつらいだろうけれど。で、マーくん、仕事が手につかない。アユタじゃなかった鳴沢(平岡祐太)やさしくフォロー。締め切りを延ばすように他社にかけあい、もはやマネージャーである。さらにはまなみ(香椎由宇)にも連絡を。故郷の旅館で働くまなみ。・・・旅館持ち直したのか?

「10時だから遅刻しないでよ」と電話で念を押すオカン(倍賞美津子)。しかし、目覚ましは七時にセットされていた。本人告知をせずに身内への病状説明。「スキルス性ですでに転移が進行中。手遅れのガン」なのだった。人間は「死ぬ」と宣告されたら気が狂うおそれがあるのだが、今はガンガン告知する傾向がある。ま、それだけ周囲が気を使う余裕がなくなっているのだとも考えられる。それでも正解はないだろう。「助からない」と言うべきか。「胃潰瘍だって」と言うべきか。このドラマではオカンがカマをかけマーくんがひっかかるという展開で処理。それでもオカンは一瞬、気が遠くなる。

一縷の望みをかけて抗がん剤治療の開始。副作用が激しくオカンを襲う。苦悶するオカン。もう、マーくんには耐えられない。治療と治療の狭間のつかの間の安息。プリンをもらってもマーくんはうれしくならないのである。ダメージで病人のようになるオカン。・・・病人だった。

腹ペコトリオがマーくんをなぐさめようとするがマーくんの心はそれを受け入れる余裕がない。「オカンは大丈夫」は気休めにはならない。オカンは死ぬのだ。「何が分かる・・・」バカボン(柄本佑)がこわいほどの表情を。パパ明を彷彿とさせるシーン。マーくんをそこまで苦しめるオカンへの嫉妬にも見えるほどだが。・・・マーくんはオカンの準備する葬儀のあれこれに・・・。

ついにダメマーくんか。看病拒否状態へ。オバンがたたいて気合を入れる。どんなに苦しい時もあんたを笑顔で支えたオカン・・・。今度はあんたの・・・涙でキーボードが見えません。

すっかり身を固める決心をした特別出演の先輩・手塚(石黒賢)に「たとえ、1%でも可能性があるなら、治療を続けさせたい。でも・・・」無言で肩をだく先輩。

二度目の抗がん剤治療。苦悶する母。そして「もう、やめたか・・・」作り笑いをするマーくんはもはや頷くことしかできない。「ええよ・・・」・・・・・・・・・・・・・・。

まなみがかけつける。指にはオカンが授けた指輪が・・・。「マーくんがくじけそうになったら少しでいいからよりかからせてあげてほしいのです。そうして二人で一緒にいられたら、人生は何があっても大丈夫ですから」・・・遺言か。遺言なのか。もうどうしようもなくつづくである。

関連するキッドのブログ『第9話のレビュー

まさに聖書なのだな。来世はないとも断言できないし、あるとも断言できない。しかし、オカンはまたマーくんを生んでほしいし、マーくんはオカンから生まれてきてほしい。死後の世界を信じようと信じまいと、早かろうと遅かろうと必ず来る別れ。「孫の顔を見るまで死ねない」という言葉は残される子供の孤独を案ずるがゆえの心の発露なのである。孤(幼くして親のない状態)になるがゆえに独(年老いて子のない状態)にならないようにと。しかし、まあ、孤独でも死ぬまでは生きていくしかないのだが。親子であることの空気のような幸を思い出させるこのドラマがとてもとてもつらかろうとも。

恒例の週末の視聴率チェック。「わるいやつら」↗10.1%(しみじみ悪かったのだけどなぁ)、「花より男子2」↘21.9%(とにかく最後は満載の模様)、「只野」↗14.2%(東京タワーとの4位争い継続中)、「演歌の女王」↘*7.7%(この視聴率があるのが不思議なほどの出来だからなぁ)、「ハゲタカ」↗*6.7%(意外と苦戦であるがマネーゲームは地味といえば地味だから)、「風林火山」↗19.9%(ミツの画像挿入分微上げか?)、「華麗なる一族」↗24.9%(首位奪回。アンナ様、もう大丈夫でございますーっ)、以上。

水曜日に見る予定のテレビ『ハケンの品格・最終回』(日本テレビ)

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2007年3月12日 (月)

あの人だって犠牲者なんだ・・・。(木村拓哉)

「一緒に戦いたかったはずだ・・・」と鉄平(木村)は続けるのだが、このセリフを「理想のために戦うことが間違いだと言われたら我々はどうすればよかったのでしょうか」という裁判でのセリフとつなげると鉄平の独善的な性格が明らかになる。が、鉄平というキャラクターの小児性は前回、追及したので今回は視点を変えておく。

昭和43年のナショナリズムについてである。第二次世界大戦で敗北して23年目。三十代中盤である鉄平は現代でいう小学生時代を終える頃に終戦を迎えるのである。国家の敗北と終焉、そして再生を少年時代に体験し、その後、エリートとして歩む鉄平の心には「あやまちはくりかえしません」という言葉はどのように反映したのだろうか。

それは父親世代の大いなる失敗・・・敗北への分析を伴うのであろう。それは敗者の愚行への軽蔑を含むはずである。では鉄平の考える前世代の敗因とは何だったのだろう。それは鉄平の語る「理想」に色濃くにじみだしている。「資源のない国家は技術力で世界と戦うべきだ」というのが第一の視点。次に「国内で生存競争をしていては技術力の向上はのぞめない」という視点がある。

一番シンプルに言えば「無理な戦争計画を実行し」「陸軍と海軍が技術提携をしないようでは」「戦争には勝てないはずだ」ということになる。

そして、自分は技術力で世界進出をした。日本の未来はこのようにあるべきだという論理である。そうでなければ、犠牲者たちの尊さが失われると鉄平は考えるのである。しかし、理想と現実は違う。鉄平は結局、「無理な建設計画を実行し」「ライバル会社との技術提携をせず」「戦争に負けた」のである。このドラマの最大の矛盾点はついに解消されず、ヒーローでもなんでもないキャラクターをヒーローのように描き、主人公を演じる俳優が魅力的で登場人物たちがとにかく萌えてしまうのだからしょうがないじゃない的に最終回の前半までは進行してしまったのである。ま、主人公がパーフェクトな人間である必要はないのだが、そういうものが求められる主人公をキャスティングした時点でこの戦争は負けたも同然だったのだなぁ。

とにかく、3月10日の東京大空襲記念日の前後に最も戦争に近いドラマはコレだったのだ。帝国帝都は超高空からのB-29戦略爆撃機に焼き払われ、ほとんど迎撃力もなく、一夜にして10万人が焼き殺されたのである。感受性の強い子供が「技術力がなきゃダメだ」と狂信してもそれほど奇異ではない。このドラマはそれから23年後の物語なのだから。

で、『華麗なる一族・第9話』(TBSテレビ070311PM9~)原作・山崎豊子、脚本・橋本裕志、演出・福澤克雄を見た。ドラマオリジナルの法廷編である。万俵家としては骨肉の争いということになる。まだ阪神銀行と阪神特殊製鋼としても同様の色合いがあり、要するに内輪もめである。もちろん、罠に嵌められた形勢の鉄平としては「真実を明確にして」「責任の所在を明白にする」ことは意義のあることだろうが、「強引な工事の実行責任者」としての責任は軽減されるわけではない。もしや、現状では「十分な犠牲者への補償」を確保できない。メインバンクも巻き込まなければならないという目的があるにせよ、そのようには描かれてはいない。父親の背任行為を暴くことによって「悪いのは自分ではない。むしろ自分は正しい」と主張したいだけのようだ。

鉄平の言う「真実を明らかにすること」が「どれほど明るい日本の未来に貢献することになるのか」キッドにはさっぱり分かりませんでした。結局、両雄並び立たずだったのだな。たまたま、それが親子だったにすぎないのである。当事者たちは本来は「お兄さんが我慢してくれればいいのに」「鉄平も頑固だからなぁ」「兄さんの意地っ張りのおかげで困ったことになった」「いやはや、恥の上塗りですよ」というリアクションが普通だと思うが、この鉄平はとにかく特殊な萌えパワーを持っているので、理屈抜きで、何があっても多くの人々は鉄平の味方なのである。

一子(吹石一恵)は銀平(山本耕史)に「お父さんを裏切って鉄平の味方になってやれ」と言い、銀平は「裁判で大変なのに兄さんたら家族のことよろしくなんて言ってくれて」と言い、二子(相武紗季)は「お兄様のためにお見合いしたのにこれじゃあ、意味ないし」と言い、知能に問題ある母親・寧子(原田美枝子)は突然夫に「あなたも家族のことを少しは考えて」と言い出すのである。大介(北大路欣也)も「いい加減にしろっ」と言いたくもなります。もはやほのぼのホームドラマである。相子(鈴木京香)が「裁判起した本人が心配も何もないもんだ」とツッコミを入れるのだが、まあ、愛人だけに非常に立場が弱いのだった。

とにかく、弟も妹も母親も銭高常務(西村雅彦)の息子も性別年齢を問わず誰もが鉄平萌えなのである。う~ん。しょうがないですか。

裁判は第一回の証人喚問で、被告の大介に原告の鉄平に萌える倉石弁護士(萩原聖人)が「融資引き上げの日付と引き上げ理由の矛盾」をつくが、経理担当者の銭高に責任を負わせることで大介は「無謀な建設計画に反対した」という主張を貫く。鉄平の発見した決定的証拠は効力を持たなかったのである。

間を置いた第二回の証人喚問で原告側が「銭高」を「証人」にできるかどうかが焦点となる。当然の如く、大介は銭高の抱きこみを図る。ストーカーとなった鉄平は眠れないので銭高家の周辺を徘徊するが「私も家族を守らなければならない」と本人に言われてしまう。正論である。

一方、世論の審判を有利に誘導した大介はいよいよ、「小が大を飲む合併」の実行にとりかかる。連判状・・・。関係ないが当時のカレーライスは100円~150円くらいが相場であった。ラーメンもそのくらいで大卒の銀行員の初任給は三万円くらいである。いや、思わず関係ないことを言いたくなっただけです。

そして今夜のデスペラードの時間です。ターゲットは銭高。立ち聞きで愛の告白されちゃいましたである。「私だってね。いろいろな思いがありますよ。犠牲者ですか。そうですか。一緒に戦いたいとおっしゃるんですか。そこまでこんなハ・・・のことを。そうですよ。私だって鉄平萌えのはしくれですから・・・」こうして銭高は家族を捨て鉄平を選ぶのである。

第二回の証人喚問。妻(長谷川京子)も昔の恋人(稲森いずみ)も肩を並べて萌えつつ神に祈る展開。もはや、鉄平に打つ手なしの局面。しかし、鉄平が視線を向ければ、そこには必ず、鉄平に萌えて萌えて仕方の無い人が現れるのである。来ました。たちまち、仲間を発見した鉄平ファンクラブの皆さんが萌えて薔薇色に染まります。男銭高、恋のためには全てを投げ打つ覚悟。「私も悪いことをしましたが、一番悪いのは私にそれを命令した大介さんですから」宣言。大介、予告編で「まだ打つ手はある」と言いながらもピンチに。・・・裁判所萌え萌えピンク一色でつづくである。

関連するキッドのブログ『第8話のレビュー

すごいな。どんな綿密な計画も愛の前では台無しになってしまうという主張。まさに役者あっての台本である。とにかく、それほど大きな破綻もなく、オリジナル裁判は乗り切りました。ま、この裁判で勝とうが負けようが、鉄平の抱える問題は本質的には変わらないので、来週30分延長で原作通りの方向に軌道修正可能になった模様。キッドとしては三夜連続雪山遭難スペシャルのラストを華麗に閉めてもらいたいと考えます。

火曜日に見る予定のテレビ『ヒミツの花園』(フジテレビ)

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Hcinhawaii0104 いよいよ、「華麗ごっこ」も大詰めの段階です。原告席の囲みの柵がファン乱入阻止のフェンスに見えてくる法廷シーン。お気楽社長(若バージョン)が弁護を勤める間も妻の特権でアンナ☆ラン様は背後をダーロイドのガード。つめかけるごっこ参加者。芙佐子(まこ☆ミキ様)、寧子(かりん☆スー様)、一子(ミマム様)、二子(aki様)、相子(mari様)、銀平ads(あず)様です。

Hcinhawaii0105 かりん☆スー「まあ、とにかく来週でごっこも終わりなのです」

みょうがの芯「一度くらいは早苗をやらせてくれてもいいのにねー。かりん様、映画の時はよろしくお願いします」かりん☆スー「こちらこそ」

Newimage1hcmpr2『 H☆C THE MOVIE』~美少女大戦キャンデイ☆ムーン~クランクイン!

←クリックするとミニミニ予告編PART2アリマス。

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2007年3月11日 (日)

来週三夜連続で雪山遭難みたいな警視庁から入電ですがそれが何か?(福田麻由子)

金曜日につくし(井上真央)、土曜日にひまわり(天海祐希)、日曜日に鉄平(木村拓哉)がそれぞれ雪山でピンチに。三夜連続雪山遭難スペシャルか・・・。もう予想したし、後、どこか面白いところがあるのかな。

とにかく、期待だけはしないでおこうと心に決めたっ。

しかし、つらいドラマだったなぁ。何がつらいのかよく分からないほど辛いドラマだった。きっと何かが一本足りなかったんだなぁ。いや、100本ぐらい足りないような気持ちがする。

いい場面は結局、「あずさ2号」くらいか。あれは良かったなぁ。

たとえば今回、「小ひまわり」は歌わないのだが、じゃ、あの場面はいらないだろーっ。こんなスカシばかりである。もちろん、急にいじめられっ子の中学生が歌えるかというリアリティーは検討すべき問題だが、瀕死の重傷なのに即日退院の連続をやっておいて、そこかっ。と思いますよ、キッドは。

あなたをさがしてここまで来たの。恋しいあなた あなた 今どこに「旅愁/西崎みどり」という歌を歌った西崎緑は日本舞踊の人だが、本当に小ひまわりを成海璃子にやらせるなら、成海の趣味の欄にピアノ・三線に加えて日舞と書けるように、先生呼んでミニ特訓するぐらいの姿勢のないドラマだったのである。少なくとも「神はサイコロを振らない」では弾けるピアノを弾いてたし、「瑠璃の島」では三線をそこそこ弾けた。今日の演歌のような振り付けは最低レベルを軽く越えたぞ。

で、『演歌の女王・金返せ、払ってないけど・第9話』(日本テレビ070310PM9~)脚本・遊川和彦、演出・木内健人を見た。最初に言いたいのは今週の演歌は「幸せなら手をたたこう」だと思うのだが、キッドはそれを演歌のジャンルには入れたくない。以上。

・・・ま、お皿たたいてチャンチキおけさというのも違うと思いますが。雨が降ってきて、人の暮らしのわびしさを誘うシーンだったと思うが、ドラマそのものがわびしかったよ。

では、気をとりなおして最初から。母の自殺にショックを受けて、大騒ぎで病院を逃亡したヒトシ(原田泰造)とひまわり。薬物の不法入手、自殺幇助、傷害とヒトシは立派な犯罪者になった。とりあえず「話せば分かる」状態ではありません。とにかく、ひまわりの部屋へ。信(武井証)も貞子(成海)も不在だ。真佐美(酒井若菜)からは電話で「警察が店に張り込んでいる」と連絡が入る。信が戻り「本当の母親が捜索願いを出している」ことが分かる。さらにマネージャー萩本(段田安則)から電話で「仕事は小ひまわり(成海)がひきついだ」と連絡が入る。弁当屋に続いて中学生の不法就労である。貞子の親は何をしているのだっ。そこが問題作テイストなのかっ。

当然のように温水刑事が来訪。自首・・・もはや出頭だが・・・をすすめるひまわりにヒトシは当然の如く脱走。当然の如く後を追うひまわり。

立ち回り先の無くなったひまわりは弟(黄川田将也)の部屋へ。ところが、母(高畑淳子)と暮らす弟はデイトレードに失敗。借金まみれになり立ち退きを迫られている。数回前にひまわりが大損させたことには触れないが、それが要因と考えれば弟は相当にお人好しなのだが。今回は母がホストに狂って娘を刺したこともなかったことのように「お姉ちゃんはお前が生まれたのを本当に喜んだ」とか、「辛いに一本足せば幸せになる」とか、「たこやきはおかず」とか、善いお母さんになっている。ま、人間は善いときもあれば悪いときもあるが過去を引きずらないのはある意味気が狂っているようにも見える。

どう考えても「やりなおせなさそうな」男二人にやけっぱちな女二人。小学校にも通えないが頭は良いらしい子供一人。・・・もうだめじゃないか。しかし、ひまわりはとにかくなんとかしようとする。信が母の写真を持っていることを知り、まずは母親(西山繭子)のアパートへ。母親は入学の手続きを取り、ランドセルを用意して待っていた。しかし、素直になれない信。そこへ帰ってくる暴力夫。妻に乱暴しようとするが信が立ちはだかる。部屋は四対一の状況である。妻が「出て行って」と言うと夫は出て行く。

なんだか、解決したような展開で部屋を後にするひまわりとヒトシ。いや、しばらくしたら、夫が帰ってきて暴れると思うけどな。この一点をとってもくそっな脚本である。たとえ、来週もうひと展開あってもだ。

ようやくヒトシを説得して警察にやってきた二人。しかし、やっぱり逃げようとするヒトシ。理由「刑務所に合わない」・・・御免ですんだら警察いらないって言葉を知らないのかっ。そこへ喪服に身を包んだ真佐美が登場。「お母さんの遺体を引き取りに来た」と言う。えーっ、お母さん本当に死んだの・・・という気分。死ぬけどな。真佐美は「お店は引き継ぐ」宣言。とにかく、ヒトシの出頭を促す。ま、ヒトシがクサイ飯を食べている間にどうとでもなるからな。ヒトシも覚悟を決めて夫婦仲良く警察へ。捨てゼリフは「生きててごめんね」だった。

もちろん、ひまわりは喪失感に包まれるのだが、弟から託された「お母さんが捜してくれた父親の居所」があるので、辛うじて歯を食いしばるのだった。

成功しているらしい父の店へ向かうひまわり。幸子(福田)はあのとき、「お父さんについて行けば違う人生があったかも」と責任を感じているらしい。つまり、ひまわりは「自分」というものがない人間なのである。「他人」がいなければ何もできないのである。「人は一人では生きていけない」という哲学と「人は一人で生きている、あるいは死ぬときは一人」という真理は対になっているのだが、ひまわりには後者が欠損しているのだなぁ。こういうタイプは無理心中をする。「死ぬのさえ一人ではできない」から。

父(西岡徳馬)は金回りがいいらしい。いきなり大金のお小遣い(手切れ金モード)をくれる。しかし、「迷惑なんだ」とつれない態度。「お父さんが私の歌をほめてくれたから演歌歌手になったのに・・・」(このフリもつめこみ過ぎで薄まっている・・・)はどうやらひまわりの幻想だったらしい。キッドには「大阪で生まれた女」の幻聴が聞こえました。父は「たこやきのソースもイヤだった」らしい。そして、遭遇する新しい妻と娘。いや、どう見ても泣いているひまわりは知り合いの娘さんには見えません。愛人です。金も受け取らず立ち去るひまわりを痛ましげに見送る父なのだが。この後、「浮気したのね」という妻との諍いが確実に始まるとキッドは考えます。

結局、心の支えとなる他者をすべて失ったひまわりは突然、歌えなくなってしまう。失語症でもなく、ただ歌えない。まあ、最初から心の病の人だからどうなろうOKなのだが、本当に面白くない展開だなぁ。別に歌えなくなってもいいんじゃないと視聴者に思われている主人公って・・・。ま、来週はどの雪山が一番大変そうだったかを見たいから、見ますけど、で、つづくである。・・・えーっ、最終回なんだーっ。へーっ。どうでもいいけどね。これで淋しくなったりすると、もう、人間ってやつはなんでもいいんだなーっとは思います。いいのか。それでいいのかっ。エンターティメントの作り手として問題ないのかっ。

関連するキッドのブログ『第8話のレビュー

もちろん、キッドはこのドラマも楽しんでいる。しかし、視聴率が示す通りに、あえて楽しむ必要のないドラマであることも確かなのだ。どうしてこれほどつまらなくできるのか。反面教師としてこれほど適切な素材はあまりないのではないか。ちーず様のどらま・のーとでは「萩本さんが言う教え」とか、「病院に行く理由」とか、「分かれ道の演出」とか、毎回のお約束を忠実に補足しているのだが、そんなコレクターの楽しみさえ、奪うお約束の消失。いやあ、すごいよなあ。このドラマ。客商売で言うとぼったくりバーに近い。

月曜日に見る予定のテレビ『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(フジテレビ)

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Hcinhawaii0101 とにかく、H☆Cのまこ☆ミキ様は花粉症に耐えながらこのドラマのレビューをしているのである。もう、仕方ないのである。そこでみんなで「まこひまわり」を「ごっこ」するという設定でやってきたひなびた旅館。お気楽様の若い時ヴァージョンもついでに紹介。信に男装した天才少女子役ちーず様。貞子に現役中学生ぷっち☆翠様。旅館の人じいやである。

Hcinhawaii0102 しかし、それは口実でお約束のシークレットバースデイなのだった。

ちーず様「お誕生日、ちょっと早目でもあらすじあってるのよ」ぷっち☆翠「お気楽社長、元に戻ってマス!」お気楽「おめでとうなのね」

Hcinhawaii0103 ぼぎゃー。

じいや「ハッピー・バースデイ・シークレットロイドでございます・・・イチゴ味で」

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2007年3月10日 (土)

海(戸田恵梨香)「忘れちゃえ」VSつくし(井上真央)「思い出して」に守護神・類(小栗旬)は爆発するのです。

おい、弟・・・お前がお見舞いに行けば一発なんじゃないかと全国の原作未読の人々が絶叫する「思い出のクッキー」作りのアドバイスなのだが、それよりも海を演じてしまった戸田・・・大丈夫なのかっと思うほどの天然悪女ぶりである。もはや、天然極悪魔性の女なのである。

それにしても嵐の人々は連続するのだなぁ。昨日、二宮クンが富良野塾の熟女女優に襲われていたと思ったら、今日は司(松本潤)が海に襲われていたのだった。まあ、どっちが悲惨か・・・と感じるかはそれぞれの年齢、性別、恋愛経験によって違うと思いますが。

キッドは「自分のこと海なんて言う女は危険ーっ」と叫んでしまいましたよ。・・・おい、自分もそうだろ。

で、『花より男子2・第十話』(TBSテレビ070309PM10~)原作・神尾葉子、脚本・サタケミキオ、演出・坪井敏雄を見た。まずはケン内田(鶴見辰吾)なのであるが・・・。すべては楓(加賀まりこ)の仕組んだ狂言自殺だったと告白して・・・どーなったんだーっ。やはり、ボコボコなのかーっ。ボコボコのズタズタになったのですかーっ。人間サンドバックのポロ雑巾の血祭りだったのですかーっ。

しかし、おかげで司の気持ちもけじめがついて、西門からカード、美作から現金、類からは携帯とヘリコプターを選別にもらってつくしの待つ海辺の街へ旅立った。そこには善良で貧乏な一家と底辺の借金取りが罠を張って待っていたのである。

一方、つくしは自殺しようとした男(山本學)を人命救助してアドバイスするなど、恋を振り捨てたとは思えない健気振りである。貧乏人の芯の強さなのかっ。それにしても山本學を見ると病院で寝ている梶浦圭吾(升毅)を反射的に連想してしまうのはキッドだけなのだろうか。日曜日のドラマが原作通りになると、柳葉敏郎が飯島直子が薔薇を口にくわえた状態になったときの表情をするのかと今からドキドキしてしまうのも・・・『沙粧妙子-最後の事件』(1995)未視聴の皆さん、失礼しました。

「一人の男として女を迎えに来たんだ。類たちが友を呼んでくれたから」と差し出された手をつくしがおずおずと握ろうとした瞬間、底辺の借金取りたちが騒ぎ出し、弟がつきとばされて、助けようとした司は崖から転落。重傷である。

病院のベッドで意識を取り戻した司は「つくしのことだけ忘れちゃいました」記憶障害なのであった。「強く意識していたことがすっぽり記憶から脱落っていうか、消失っていうか、喪失っていうか、封印っていうか、まだまだ脳は神秘のベールにつつまれているのです」と医者がしどろもどろに無理な設定に擬似医学な説明を述べ、とにかく、つくしにとっては「ねえ、これ以上せつないことって他にはないよね、そうだよね、キーッ、ムカツクーッ」な展開となった。

そこへ登場する海なのである。最終回直前、最強最悪恋敵の登場なのであった。ドラマ的には前ライバル滋がせつなくも善良に敗北した後だけに、「恋したものが勝ちだけど、他にも恋するものはいる」的展開が「またかよっ、お前もかっ」的な憎悪をかきたてるのである。ま、好きな人が他の人を好きになってしまうのは普遍的なことなので、登場人物の誰が目の仇にされるのかは一目瞭然なのである。昨日、深夜映画「失楽園」で略奪愛にうっとりした人も今日は「このきゃぴきゃぴ女、なんてことするんだい」確定である。

しかも、海は自由に人を好きになり、自由に人に好かれると宣言しちゃうキャラクターなのだ。また、記憶力にも問題があり、都合の悪いことは考えないタイプとして描かれる。「司がつくしの記憶を忘れている。つくしは記憶を取り戻そうと必死。それなのに司とつくしの関係にまったく気がつかない」というところが、悪魔的な上に「その事実をついにつきつけられたのにまあそれはそれで的な態度」・・・つまり罪悪感の描写が全く排除されたまま、司の失われた記憶が回復しようとする度に妨害して、ついには司に襲い掛かるのである。もちろん、彼女に感情移入する人もいるのであるが、それはそれで人生ですから。

まあ、恋愛と言うのは相手が裏切るまで自分からは裏切らないという男と女が意地を張って最後まで裏切らなかったときに永遠の愛が成立するゲームですから。

裏切っちゃうのも裏切らせた人もファールプレイだとキッドは思うのですが、まあ、反則こそ勝利の近道という考え方もありますからねーっ。もちろん、つくしの幸せを守る類としては「目障りだ、失せろ」なのでまた、類祭りかっ。乙女の恋愛教科書である「花より男子」としては恋の反則王海に勝利の美酒は与えないだろうとキッドも神に祈りつつ、怒涛の最終回につづくのである。卒業プラムだの、記憶障害だの、ええーっ、遭難だのっ、15分延長くらいでハッピーエンドになるのかよーっ。

関連するキッドのブログ『第9話のレビュー

ついに一度もレビューすることもなく「わるいやつら」も終了。「エラ嫁」も終了。「演歌の女王」がまだまだ終了しないのが不思議な感じのする冬の終わり。今週、戸田が▽、井上が△だったのだが、来週は戸田が△、井上が▽になるのか、案じてしまう、キッドだった。・・・小学生かっ。

日曜日に見る予定のテレビ『華麗なる一族』(TBSテレビ)

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2007年3月 9日 (金)

脱がされて挟まれて奪われて二宮和也は腰が抜けたのだが、仔猫の三四郎も猫車三太夫も仲村五作も見えたりはしないわけで。

猫車じゃ、猫車じゃーっ。猫車が通りますーっ。神社の境内に猫車が回ります。猫に引かれて回ります。回り回って気がつけば、天界目指して昇ります。猫車、昇ります。なーんにも心配なーいの。

・・・呆けたというより壊れたワケだな。いや、充分に呆けているわけだが。日ごろから躁状態に陥りやすいキッドとしてはなんとも楽しくせつなく背筋が凍る夢子(八千草薫)である。ああ、妄想と現実の区別がつかなくなるその日。まっ、行ってしまえばそれはそれでハッピーなのである。取り残された皆さんには申し訳ないのだが、それもまた知ったことじゃなくなるのだから問題ないな。

視聴率12.4%なのだが、ドラマに現を抜かすという意味ではこれ以上の作品はないだろうに。しかし、もう少し知的水準の低い人々もとりこもうとするとこの味は出せないかもしれん。ま、どちらにしろ現実逃避に熱中したり、醍醐味を感じたり、そういうことは趣味にすぎないですから。幸せは人それぞれですから。

で、『拝啓、父上様・第9話』(フジテレビ070308PM10~)脚本・倉本聰、演出・宮本理江子を見た。一平(二宮)はまんじりともしない夜を過ごす。視聴者の中には「母親を侮辱された一平が若女将・律子(岸本加世子)と対決する」なんて展開を期待したりする人もいたのかもしれないが、それは一平には無理な話のわけで。一晩眠らないで考えたあげくに早朝、何も悪くないのに殴られて顔を腫らした時夫を揺り起こして、まくしたてる口上は「じっと頭を低くして、嵐が吹きすぎるのを待てば、今日よりは明日、今年よりは来年、どんどんつらさは薄れていくから、ただひたすら耐えろ」というほとぼりさまし論なのだった。もう「かっこよさのかけら」もありませんから。おそらく時夫としても「せこい」と言いたかったのだが、一平よりも大人なので「いや、お兄ちゃんも悪知恵が働くね」と精一杯気をつかってお世辞を言う。一平はそのお世辞にも気がつかず、「悪知恵ってなんだよ。オレはお前のためにも考えてやったんだぞ」である。いえ、一平ちゃん、どう考えても自分のことしか考えてませんから・・・。思わず時夫も一言。エリ(福田沙紀)のプレゼントを思い出させ、それが高価な手袋と知り、「なんだかお嬢さん、可愛そうだ。ミフィーちゃんのぬいぐるみも買ってもらえないなんて」とチクリである。ようやく、心がとがめた一平だが。本当にエリの気持ちが分かったかどうかは・・・キッドは微妙だと思います。とにかく、「悪いのは自分」と言い訳することで心が一杯の一平。竜次(梅宮辰夫)に会っても言い訳を猛スピードで続行。「時夫は悪くないんです」って誰も時夫が悪いなんて思っていませんが。悪いのは「目の前のお宝に目がくらんで後先考えずに未成年者を未成年者に預けたあなた」ですから。しかし、役者が上の竜次はぐっすり眠りこけているのだった。

結局、針のむしろの一平。律子に文句を言うどころか、律子に口を聞いてもらえず、エリには無視された上に時夫を立てられて、「これも身から出たサビ」と不満さえ、もらすのである。いいですか、皆さん。一平はこれっぽっちも反省してませんからーっ。だって何を反省するべきか分かってないんですからーっ。こういう「にぶさ」が新坂下の婿の必要条件なのですねーっ。

一方、着々と坂下消滅の日程は進み、それが現実と思い知る夢子の心の歯車は静かに狂い始めていくのです。保健所が処理した仔猫の名前を呼び、「あっちの世界」と「こっちの世界」の境界線がほころびはじめ、一般人が見逃す猫の集会を発見し、こっちでは葬儀のすんだ旦那の猫出棺の儀の噂を信じ、やがて・・・。

もちろん、にぶさでは右に出るもののない一平がこの変調に気がつくはずもないのです。下っ端ばかりが集まる納会。新坂下に誰が残れるかで残留未定組が大荒れ模様に。一平はどうやら残る気もあるらしい。おいおい。そして、酒に溺れた澄子(森下千絵=富良野塾)は猛獣に変身。唇を奪われ、ベルトを抜かれ、下半身で挟まれた一平は「ちょ、す、ま、あ゜」「ちょ、す、ま、あ゛」「ちょ、す、ま、あ゛」なのだった。

危うく虎口を逃れた一平は貞操の危機で汚れちまった自分を慰めるためにルオー(久保隆徳=富良野塾)の喫茶店へ。そこでフランス語会話集をゲット。さらに「暮れに水商売の女は自殺しやすい」と怪しい統計論を聞かされ、34才から48才が女の盛りなので42才で女盛りのピークにある母・雪乃(高島礼子)のもとへ。

雪乃は鈍い息子の母とも思えぬ鋭さで息子の恋を直感。「さびしいけどうれしくなる」のであった。「こっちの世界」では年越しに恵方の高所に穴八幡宮の一陽来複のお札を貼ると厄払いができるというビジネスがあるのだが、それをビジネスと思う息子とビジネスと思わない母との間で軽くバトルが行われる家庭もあるだろうが、やっぱりビジネスだと母が突然意見を変えたりして息子が妙に淋しい気分になったりする家庭もあるだろう。しかし、雪乃と一平の親子には無関係で、貼れと言われたら素直に貼るのだった。年越しというあるのかないのか分からない一点にむかい、適当に。しかし、ご利益があろうとなかろうと子を案ずる母の案じられた子のくすぐったい心のやりとりが幸せというものだからな。

母から授けられた七福神巡りの元日デート大作戦。意中の人・ナオミ(黒木メイサ=女性版の要潤であるという指摘を某掲示板で目にした。コミック「8マン」にはエリートという超天才少年少女が登場するのだがこの二人が中学生ぐらいだったらピッタリだったとキッドも思う)と会うだけで一平はすべてを忘れることができるのだった。しかし、このデートをこっそり観察する雪乃と夢子。ま、人にもよると思うが、これが後から発覚すると問題になることもあるような気がするのだなぁ。ま、こういう遊び心が分からない女性となら問題になってもいいとも思うが。ともかく、楽しいデートと同時進行で夢子の華やいだ心はどこまでも上昇が止まらなくなってしまうのだった。

こわいヤクザの親分かもしれないナオミの妄想上の父親が待つ鎌倉の実家へと彼女を送り出した後で雪乃に電話した一平は「おかあさん(大女将としての夢子の呼称)がこわれちゃった」と告げられる。

たちまち、大騒ぎの坂下。「あっちの世界」で幸福になった夢子。「熊沢の旦那(小林桂樹・律子の父親で夢子の愛人の政治家)は死んでいなかったのね。党の方針で死んだことにして北朝鮮に潜入していたのね。そして主席様と一緒に羽田に着くのね。坂下は秘密の迎賓館になるのね。好物のかぶら蒸しお願いなのね。これから、私はお化粧するのね」なのである。伊豆に年越しに出かけた娘一家も急遽帰京。「何にも心配ないの。あの人はエリを目の中にいれちゃうかもよ。おほほほほほほほ、へへいへーい」なのであった。「母さん」「おばあちゃん」娘も孫娘も悲鳴なのである。

薬物で眠らされた夢子は病院に運ばれる。病院のソファでうなだれる雪乃と一平。「デートの邪魔してごめんね」と言う雪乃に「雪乃ちゃん」と呼びかけずに「母さん、女将さんは・・・」と神妙な一平。ふらりと現れた律子はすわりこむと名演技を披露。「雪乃ちゃん。私が悪かった(?)、私が母さんをああなるように追い詰めた(?)・・・そうだよね。え゛ーん、ええ゛ーんっ」・・・一平の心に何かが去来して・・・つづくである。大傑作。

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宝石のようなセリフの数々なので何回でもリピートできる。まさに珠玉の作品になってしまったのだなぁ。すごいなぁ。まあ、キッドはエリの胸もんだあたりから引き込まれているわけで。動機は不純なわけで。しかし、一平のような純な心はもう遠い昔に置き忘れたわけで・・・上手く言葉にできません。

土曜日に見る予定のテレビ『演歌の女王』(日本テレビ)

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2007年3月 8日 (木)

個人情報を秘匿しようとしたんですーっ。(加藤あい)

「成長しましたね」と大前(篠原涼子)に褒められる森(加藤)。そうですか。いつまでたっても成長しない森はお仕舞いですか。ま、もう来週、最終回だから仕方ないですね。で、成長して邪念(恋愛)を森が捨て去ったと同時に大前は邪念(恋愛モード)に突入。もちろん、小学生のようなツンデレなので、その恋は犬をしつける指導員の愛情である。

子供の国の会社では欠席中の児童を同級生たちが「ほっとけないよ」と案じる展開である。一人、「大人」の顔をした転校生は「ほっといてもそのうち帰ってくるよ」と口に出しては言わないが、万一の場合をちょっぴり心配する。ま、小学生の話だから、視聴している子供にもある程度分かるのであろう。

でも、もっと幼い子供がやってきて退屈しないように「本物の犬」投入である。名前は「クルクル」である。このことから大前が東海林(大泉洋)を「クルクルパーマ」と呼ぶ度にかって愛した犬を思い出し、親しみを感じていたことが分かる。その犬が会社見学に来た情実入社の新入社員(斉藤祥太)に連れられて来社するという設定を運命と感じるか、ご都合主義と感じるかは視聴者の人生の運不運にも大きく左右されるだろう。

ま、小学生の話なので恋愛モードといっても、「好きだから」と言って「一緒に暮らし始めたり」はしないのである。せいぜい「チューしてみる」「エッチーッ」ぐらいの話である。もちろん、現実の小学生はセックスに関してはもっと前衛的になっているという統計もあるが、あくまで精神年齢の話ですから。

ついでにゲストとして加藤のぞみ(石田ひかり)が登場する。彼女が10年前に別の小学校で大前に会っていることから、大前は小学校を卒業している可能性は高いのである。とにかく、キッドとしては学級委員タイプの黒岩(板谷由夏)が幸せになってもらいたいと思うのである。校長先生の白川由美は「問題児」を贔屓することがバランスだと思うタイプで、ある意味、そのことが問題を複雑にしてしまう困ったキャラでもあると思う。

で、『ハケンの品格・第9話』(日本テレビ070307PM10~)脚本・中園ミホ、演出・吉野洋を見た。「寝首をかく」という言葉がある。もちろん、人が寝ている間に殺すという意味である。そのため、戦国の武将は作法として、寝る前に布団の位置を毎夜、部屋の中に一定させなかった。寝る前に「今日は北側で西枕にしよう」とか、「今日は思い切って中央で寝てみるか」とかズルズルと布団を動かしたのである。暗殺者が侵入したときにターゲットを捜す手間をかけさせることによって生死が分かれることがあるからだ。まあ、「気休め」といえば「気休め」なのだが、そういう戦国時代の習慣がバカにできない時代になっている。大前の携帯番号を守秘しようと森が努力したことが「成長の証」として褒められる時代なのである。

もちろん、「持てるもの」が「持たざるもの」から狙われるのは世の常なのだが、「格差拡大」とはその危険性の増大を伴うのである。その象徴として投入されるのが「持てるが故」に「スポイルされたアホ」になったコネ入社の新入社員である。小学生たちに「常識がない」とあきれられるほどの幼児なのだが、世の中が「複雑なもの」である以上、めぐりあわせで「無能な上司」と「有能な部下」という組み合わせはいくらでも発生する。

成長したとはいえ、まだまだ発展途上の森は「なんで世の中は不公平なのでしょう」とこぼすのだが、大前は「くだらない質問」と例によって切り捨てる。しかし、大前が森の成長を認めている印として以前の「くだらない質問はおやめなさい」ではなくて「くーだらない質問なーんだからー」と親近感のこもったセリフになっている。大前のうちとけ度を見抜くのはある程度の注意を要するのである。基本的に里中(小泉孝太郎)がハケンを見つめる視線は「日本人が開発途上国に生まれたアジア人」と同種である。「同じ人間に生まれたのにラッキーに生まれた日本人で申し訳ないけどそれはそれで仕方ないもんね」なのである。これは一歩間違えば「不運なアジア人のくせに」という視線になってしまうので注意が必要だ。大前のように「アジア人だけれど日本人よりも有能だし、いつだって寝首はかけますよ」というような優秀なハケンが悪意を持った場合、非常に危険だからである。

ともかく「善意であろうとつとめる日本人的な正社員」である限り、「悪意のない有能なアジア人的なハケン」が助力してくれる可能性がある。もちろん、すでに「悪意のあるアジア人的なハケン」と出会えば「無防備なゆえに寝首をかかれる可能性は大」なのであるが。結局、運命に左右されるので、「善かれ」と思うことは一種のギャンブルなのであるな。

もちろん、このドラマは偽善的世界の神が支配するので、善意がある限りそれほどひどい目には遭わないことになっている。小学生はある程度は保護されないと殺伐もすぎると批判の対象になってしまうので。ともかく、大前にしつけられ、コントロールされたクルクルパーマ東海林は「友情を大切にすればご褒美がもらえるかもしれませんよ」という暗示を受け、ルールを無視した行動をとって、小学生社会から脱落しかかる。それも自発的なのでいわば自殺行為である。それを最後まで放置はしないのだ。

また「ハケンをかばう」という善意を示し続けた里中(小泉孝太郎)は成績向上のチャンスを与えられる。里中はまだまだ子供なので「好きな子に好きになってもらうこと」よりも「成績が上がること」よりも「みんなと仲良くできたらいい」と思っている。大前にとっては餌の選択の難しい手のかかる犬なのだが、とにかく、競争することの喜びを感じさせる段階までは調教が済んだのである。

しかし、大前の任期の期限は迫っている。成長しはじめた森の指導を続行してくれないかと犬たちにせがまれる大前。

何もかもお見通し気分の老犬は「お前だって仔犬だったことがあるんだから、仔犬を助けてやれば」と意見するのだが、「人間と犬を一緒に考えるなんて困った犬だな」と大前は思うのであった。

「人になるか、犬になるか、それは個人的な問題」と大前は大局的な判断を下している。しかし、やれることはやるのである。願望達成能力という超能力を使って、かって指導した犬を呼び寄せた大前はとりあえず、里中と森のための教育プログラムをアシストした後で、野良犬になりかかった東海林を捜索する。すっかり途方にくれていた迷子の東海林はもはや大前の言うなりである。「ここで待ってなさい」と言われたら死ぬまで待っているのである。放置プレーの後、すっかり調教のすんだ里中が迎えに来るまでその場を動かない。ロケスケジュールの都合で夜になってしまったのではないのだな。

もちろん、里中の原稿は読まないのに東海林の原稿は読み、弁当マスクもかぶるのはすでに「東海林を愛している印」と恋愛モード中心で見ることもできるが、一応、「品格差」のドラマなので、人の品格と犬の品格の差異を扱ったドラマとして見た方が好ましいとキッドは考える。さらに「東海林を愛している里中のためにしている好意なので大前の本命は里中」と深読みをすることもできるし、加藤に対して大前が冷たいのは加藤の結婚相手が大前の初恋の人でいまだに愛しているという妄想に突入してもかまわない。しかし、就業前に大前が存在した異国のことを考えると、来週は「訓練した犬たちに多少の別れ難さを感じつつ、指導任務の単身赴任の任期を終了して人の世界へ帰っていく大前」の方がキッドには好ましい。本当は犬前という名前なんだよね。春子ちゃん。

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気の早い話だが、冬ドラマ(1月~3月期ドラマ)の視聴率順位は「華麗」「花より男子2」「ハケン」のベスト3で決まりだろう。二つが原作付しかもリメイクであるのに対し、「ハケン」の「品格」という流行語のプラスフルファだけででっちあげた企画がすべりこんだ。どちらがいいという問題ではないが、企画者としてはもちろん後者に感情移入する。「ハケン、やったな」である。

金曜日に見る予定のテレビ『花より男子2』(TBSテレビ)

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2007年3月 7日 (水)

ヒミツにしといてあげるから・・・お泣きなさい。(釈由美子)

「まあ、いいじゃないですか、ねえ、陽くぅん」の「くぅん」が神がかって可愛かったのだが、それよりも今回は主役っぽいポジションを与えられたここか。その前の「私がめちゃくちゃにする前にもどってください」なんて「私はいなかったことにしてください」ってことでメチャクチャ消極的なポジションだからな。っていうか、月山(釈)は何にもしてないのじゃないか?

とにかく、航(堺雅人)のヒミツの一つが「四男だけが親が違う」ということだったのが判明した今回。血縁かそうではないのかはアイデンティティーの根底に関わることなので、「ショックかもしれないしそうでないかもしれない」と考え始めると「なるべくそっとしておきたい部分」だったという説明はないのだが、まあ、そういう意味で分かってもらいたいと作者は考えているのだろう。想像力のある子供は一度は「自分は本当の子供ではないのでは・・・」とロマンチックな想像をするものだ。ま、大抵の場合、「親の性格の悪さ」とか「親の経済力の無さ」とか「親の頭の悪さ」とか「親の平凡さ」とかそういう「こんな親じゃなかったらよかったのになぁ」と思うときにそう考えるのである。そして実際にそうだったりすると育ての親より生みの親がもっとひどい親だっりするのが一般的である。ほぼ「子供を捨てた親」であるからなあ。もちろん、予期せぬ死亡なども含めてである。

キッドなどは幼少から「お前は橋の下から拾ってきた」と言われて育っているのでそれが事実だろうが、虚構だろうが、親には溺愛されてており、あくまで想像なのだが、「お前に本当の血縁はいない」と言われるのは相当に心がしびれるような気がする。

しかし、そのことと月山とが密接に関係しているとはとても思えないのである。深読みすれば、「次男にムダ使いするなと意見したり」「読者をだましてはいけないと主張したり」「花園ゆり子にタレント活動させようとしたり」することが、航には危うく感じられたと演出しているとも思えるが、そこまで読める航ならば、当然、ヒミツを暴こうとする元凶が月山の上司にあることは見抜けるわけで、そうしないためには月山がターゲットにされるだけの時間をかけた演出が必要となるはずだ。やはり、主役をたてる演出プランが徹底的に不足しているのであるよ。

単純に言えば航が釈をもっと積極的に愛してしまい、「弟のヒミツ」を「釈にかくす」ことが「苦痛なのだ」という心理描写の提示だけでよいのである。そうすれば「釈の愛する男がヒミツをかかえて苦しんでいることに釈が気がつき悩む」という主役としてのモチベーションが確保できるのである。「いや、そういう風に演出しているつもりです」とスタッフは言うかもしれないが、キッドは多くの視聴者はそう思っていないよなぁと考える。

で、『ヒミツの家族・第9話』(フジテレビ070306PM10~)脚本・大島里美、演出・小松隆志を見た。あいかわらず、本筋ではないところで、ミニコントが展開され、それはそれで面白いという意見もあるが、キッドはそういうのは本筋がしっかりした上での話だと思う。

航からの要望で花園ゆり子の担当をはずされる月山。代役はベテランの畑中(岸博之)である。ここで航は主役の恋人としては致命的な配慮のなさを示す。格別落ち度のない担当編集者の更迭を編集部に申告したわけである。それは風俗店でチェンジを告げる客ほどの情の無さだ。そんな主役の恋人のポジションはいやだ。大したヒミツではないのだから視聴者に先に提示しておいて、航の苦しい心境を示しておいた方が良い。

そうすれば、担当をはずされ、ペナルティーとしておそらく自分より年下の編集者・三浦(大東俊介)の使い走りとして使役される月山の哀れさが引き立ったはずである。50%の視聴者は月山の悲哀に気がつかないと考える。

畑中が来たことにより、月山の不在(失って初めて分かる幸せ)が示されるのであるが、若い四人の男性にとって、じいやのような口うるさいおじさんよりも「釈由美子に似た女の方がいいよな」という演出になってしまっている。そうじゃないだろう。

とにかく、智(要潤)は月山の心境を説明するための使者として缶コーヒー・ミーティングを行う。「兄弟の3人は月山に戻ってきて欲しいと言っている。月山が戻らないのはおそらく兄が好きだからだと思う。兄に戻ってこいといって欲しいならそれは無理なのでどうせ愛されないならいなかったことにして欲しいと意地をはらないでビジネスライクに戻ってこれないものかと思うけどそれはできない相談なんだよね」ということである。釈にほとんどしゃべらせないのだなぁ。この脚本は。そりゃ、缶コーヒーを置き捨てしたくなるな。これも演出とすれば主演者の小さなイメージダウンだよな。だってその動作は「あんた捨てといてね」である。深読みすれば月山が怒っているという描写だ。そういう演出はないだろうと思う。

月山は愛する男が守ろうとする秘密のために自らを犠牲にしている女。その女のところへかって自分を辱めようとした男で愛する男の弟がやってきて「兄のことはあきらめて俺たちの玩具になってくれ」と要求する。ふざけるなと怒る月山という時の演出なのである。そうなのか?

一方、困った人間として快調に飛ばす川村(真矢みき)は自由奔放なバカまるだしの色恋沙汰人生を生きる。田中(寺島進)をゲットしつつ、陽(本郷奏多)を発見。月山の部屋に全員集合の一員になるのである。今日はセーブされたが「本当に陽くんだけが血がつながっていないの」のセリフの時は「修(池田鉄洋)さんじゃなくて?」と言い出すのではないかとドキドキしたほどだ。食べていい主役といけない主役があるのである。ま、いやな女としてステータスは築いたけれどなぁ。また、それがいいというMの客もいるしなぁ。

両親と似てない月山は実は孤児だったのフラグも立ったのだが、それは安易と作者はセーブする。この「それは安易」の曖昧さが月山の主役性を損ねているとも思うがまあ、いいでしょう。陽がなぜ月山を慕うのか、その理由があいまいなので、「きれいなお姉さんは好きですか?」的世界で補完するしかないのだな。

話し合いの末、迎えにやってきた三兄弟。「帰ろう」と修。「子供あつかいするな」と陽。「きれいなお姉さんが迷惑しているだろう」という航。「迷惑なの?」と陽。月山は「布団一組しかないし」と嵐の前のボケである。

「ボクはもう知っているから隠さないで」とカマをかけられて、後2年はヒミツにするつもりだった「お前は本当の弟じゃない」と告白する航。ショックーっ。駆け去る陽。「あ、コート忘れてる」と追いかける月山。間を置いて後を追う修と智。

神社の境内で「本当のことを知ったらびっくりした。だってボクは兄さんたちを愛しているから」と言う陽に「コート忘れていったよ」と告げる月山。人がいなくて静かな境内で「コートがあってよかったーっ」と四兄弟の涙また涙でつづくのである。

だから、主役は誰なんだって言ってるんデスよーっ。釈も泣かないとダメなんデスよーっ。

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残るヒミツは「両親の死亡理由」と「陽の親は誰なのか」というところかな。予告で「オレにも陽にも二度と近付くな」と航が誰に言うのかをヒミツにしているところがちょっとあざとい。主役ならそれを示すべきだし、主役にじゃないならいらないだろう。本編での美那絵(滝沢沙織)の男の拳銃とか。ストーカーのみすず(松岡璃奈子)とか、キッドはいてもいいけど主役のための演出が疎かになるならいらなかったよなあとも思う。

木曜日に見る予定のテレビ『拝啓、父上様』(日本テレビ)

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2007年3月 6日 (火)

なんで・・・なんで、言ってくれんと。(速水もこみち)

で、「オレ(マーくん=速水)、そげん、頼りにならんと」と続くのだが、まなみ(香椎由宇)が打ち明けるとまったく頼りにならないことが判明する。マーくん・・・。もちろん、ここで「まなみのオカンならオレのオカンも同じ」とか「結婚してオカン二人も同居しよう」とか、なんなら「オレとオカンも一緒に北海道に行こうか」とか、そんな建設的な意見をマーくんに求めてはいけないのだな。

少子化になり、日本から少しずつ熱気が醒めていく気配を感じさせる20世紀末。一人っ子たちは様々な問題を抱えて適齢期を迎え、婚期を逃し、ますます少子化が進んでいく・・・ということを簡単に示したドラマでないのだが、そういう視点もありうるのである。

たとえば「貧乏人の子沢山」が結構、一般的だった時代。次に「子供は二人」時代。そして「一人っ子」の時代。人々が人並みの幸せのレベルをあげる度に、「親がいて子がいる喜び」という「ささやかな幸せ」はどんどん遠ざかっていくのである。「貧乏な親」は邪魔、「手間がかかる子」は不用という「個人の欲望の達成こそが幸福」という恐ろしい思想が浸透中なのである。

たとえばイスラム世界では不均等な婚姻が成立する。結婚ができるのは経済力があるものだけで、そうなると生産力のある性(いわゆる生む機械)が無駄になるので一夫多妻制が導入されている。結果として多産である。かってイスラムの古老がこう語っていた。「子供は最低でも10人は必要だ。その中の半分でも一人前に育てば運がいい。五人の子供がいれば一人くらいは親の老後の面倒を見ようと考える子供がいるものだ」それはけして普遍的な思考回路ではないが、ある意味、無理のない発想である。

親二人子一人。親が子供の面倒を見ているうちは都合がいいが、時の流れとともに面倒を見る立場が逆転したときに相当なプレッシャーがかかってくるのである。ま、そのプレッシャーも時とともに突然、軽減されるのだが。この原作をある故人が生前に「聖書」と呼んだのは多くの人々が漠然と考える不安をその発端から末尾まで淡々と語る教養が含まれているからだとキッドは考察する。

で、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン・第9話』(フジテレビ070305PM9~)原作・リリー・フランキー、脚本・大島里美、演出・谷村政樹を見た。で、物語は幼少期のマーくんとオカン(倍賞美津子)から説き起こされるのだが、東京タワーというタイトルに示されるようにマーくんが上京して東京タワーを見上げたときが本章のスタートと考えることもできる。それが1989年のことであったので、ほぼ10年近い歳月が過ぎ去り、20世紀も残りわずかになったのである。マーくんはちっとも年齢の加算を感じさせないという人もあるだろうが、18才から28才まで個人差はあっても人は無敵状態になるのであり、そういう意味でマーくんが変化を感じさせないのはむしろ当然なのだ。もう、まもなく、マーくんは最初の老いを感じるのであり、その頃にマーくんの親が本格的な老いに足を踏み入れるのは個人差はあるけれどもほぼ自然なことだと思う。

つまり、まなみとマーくんは10年も交際しているのである。キッドの経験から考えて二人はデキテいると思う。しかし、このドラマではそういう生々しい部分は一切排除されているので、時々、キスぐらいはしてもいいのでは・・・と思わないでもない。しかし、実際の人間がトイレに行かなければ生活できないからと言ってドラマで登場人物が一々トイレに行っている描写は必要がないのと同じように二人の性生活も省略されているのである。もちろん、キッドの妄想はいろいろなものを補完するので妄想の中ではとんでもないことになっているのだが。

また、かってのマーくんと違い、現在のマーくんは売れっ子のイラストレーター、しかも、長身で好みにもよるがイケメンである。そして年齢27ー28才である。周囲には様々な人が出入りする。・・・これは相当に様々な愛のかけひきが繰り広げられてもおかしくない状況なのだが、一切その気配は省略されている。オカンとまなみとバカボン。マーくんの恋愛対象はこの3人にしぼられている。しかも、オカンは母親で、バカボンは男子である。すると健全な恋愛対象はまなみに限定されるのである。なんて純愛なのだろうか。

そのまなみが今回の主役であり、月9本来の持ち味が発揮される。そのためかどうか、視聴率は15.4%を獲得した。ドラマの完成度からこのぐらいは欲しいよねーっ。なんとか、平均15%(現在14.7%)・・・残り2回なので微妙だけれど・・・を達成してくれるといいのになーっとドラマファンとして思う。

オカンはガンから二度目の生還を果たし、マーくんの家に笑顔と24時間食堂が戻ってきた。マーくんの仕事も順調でぷよぷよもセガサターンで遊べたりするのである。しかし、まなみが不在なのであった。そりゃ、10年も春が続いたらそりゃ永すぎたなんてものじゃないのだから、当然といえば当然なのである。北海道から上京した一人娘のまなみ。東京で夢を叶えるためにがんばって10年である。青春の終焉は目前。そんな頃、実家の母一人で経営する旅館は母(朝加真由美)の髪型に象徴されるように火の車なのである。地方、冬の時代の客商売。娘に対する態度や髪型から考えてどうやら旅館の女将には不向きであると思われる母にはもう重荷なのである。娘は娘で「上京させてくれた母親」が「そんなに使えないやつだったのか」とハタと気がつく年齢になっていた。「全能だと思っていた親」が「ただの人」だったと気がつく年齢なのである。そして、情報処理能力に恵まれた人間にとって「恩」とか「優しさ」とか「人情」とか「愛情」とかから、放置できない心境になっていく。

もともと、まなみがマーくんを好きになったのは「マーくんの自由さ=無責任」に憧れたからである。自分はそれなりの責任感があり、縛られやすい性格なのだ。自分がそれに縛られ始めたとき、まなみはマーくんにそれを託すことができない。それではマーくんの魅力が半減するからである。しかし、足は遠ざかるのである。

さて「花より男子」は嫁と姑の敵対関係を教養として示しているのだが、「東京タワー」は嫁と姑の共闘関係を示している。この対立する性にそんなことがありえるのかと思う人もいるはずだが、キッドは母子や夫婦よりも仲のいい嫁姑というのを知っている。これは女性が茶飲み友達がいなければ生きていけない性であることによるものである。気があえばライバルほど親密になるのである。まして、二人は熱狂的なマーくんファンなのだから。そして手のかかるマーくんを世代を超えて守らなければならない同志なのである。

「あの嫁は絶対に逃したくない」と思う母の深謀遠慮はバカボンには理解不能なのだった。母の日を控えた五月のある日、久しぶりにデートした二人。ひそかに「将来」についてマーくんに探りを入れるまなみ。十年も付き合っていてそんな「責任」とか「不自由」な匂いのするフレーズに過剰に反応するマーくんもさらに始末に終えない九州男児なのである。まなみの不在に危機感を感じるどころか「二人には二人のペースがあるもんね」と自分に都合のいい解釈をするごまかしぶりなのだ。

そういうときはやっぱり鳴沢(平岡祐太)である。まなみの苦境をそれとなくマーくんにお知らせする。マーくんとしては「恋人の不満」を「親友の伝聞」で聞いた形になり、ちょっとかっこ悪いなぁと感じたのだった。

母の日。なつかしのフラワーロックを持って現れたまなみ。オカンはマーくんも同じものをプレゼントしてくれたことを教え、「二人は仲がいいねえ」と冷やかす。気が合う二人を示すけれど示し合わすコミュニケーション不足も感じさせるせつないエピソードに持って行くのである。そして息子の無責任さや幼さをわびるかのように唯一の愛の財産である指輪をまなみに託すのである。「お願い、息子を見捨てないでね」なのであった。一方、二人きりにしてもらったマーくんはさっそく、恋人に「オレ、かっこ悪かった」と文句を言う。「じゃ、言うけど何とかなる?」と云われ答えに窮するのだった。・・・ああ、マーくん。マーくんだからしょうがないよね。

さあ、マーくんのちょっと悩んでみますか期間である。相談相手はおなじみの無責任人生の先輩・手塚(石黒賢)である。最近おかんの手芸教室の先生と急接近の手塚は「タイミングを逃すとまずいんだよなぁ」と役に立つのか立たないのか微妙なアドバイス。「あんたにだけは言われたくないけんね」と言いつつ、ようやくマーくんに芽生える危機感。

そして、ついにプロポーズを決意するマーくん。まなみを呼び出し、もう遠まわしにもほどがある告白である。「東京がいつの間にか好きになったのはずっと一緒にいたいと思った人ができたから・・・」う~ん。マーくんとしては精一杯か。しかし、まなみは「私もそう。東京でマーくんやマーくんのお母さんと一緒にいて楽しい。でもそうするとふるさとに残した母のことが気にかかる。一人ぼっちはさびしいよ」ってひまわり・・・・・・失礼しました。誰も見ていないと危惧される「演歌の花道」の決めゼリフなので・・・「だから、故郷に帰って実家を手伝ってみようと思う。だからこれ受け取れない」である。マーくんとしては「えーっ、突然、そげなピンチになるとはーっ」なのでとにかく「いゃ、これはオカンがあげると決めたもの」と交渉決裂の回避を画策。いや、その答えじゃ本質的な問題は解決しないのだが。当然、まなみは「じゃあ、いくね」なのであった。「じゃあ、またね」じゃないのである。取り残されるマーくん。関山藍果の「motherhood~me&my mom~」が別の種類の涙を誘い出す。二人の子供が二人の親に愛を引き裂かれていく。少子化時代に上京都市にありがちな光景なのである。マーくん考える。「じゃあまたね」じゃないから・・・。マーくん思い出す。「じゃあ、いくね」なのだから。ああーっ。これはひょっとして、お別れかねーっ。ようやく気がついたマーくん。まなみを追いかける。よく、バスで帰郷と気がついたなぁ。出会いのバスだものなぁ。ああーっ。タイミングを逃したよーっ。しかも北海道まで追いかける根性はないんだよーっ。しかも雨降ってきたから風邪ひいたよー。病院行ったらオカンのガン再発分かっちゃったよーっ。で、つづくである。いよいよ、残り二回。泣かないと人間性を疑われる(AB型を除く)聖なるドラマは坂道を転げ落ちる鈴のように核心部分へ進行していく。

関連するキッドのブログ『第8話のレビュー

恒例の週末視聴率チェック。「わるいやつら」↗*9.8%(「きらきら」「演歌」と激しい最下位争いを続ける「わるい」脱出である)、「花より男子2」↘22.3%(微下げだが連続して「華麗」を抜き首位)、「只野」↗14.0%(東京タワーと激しい4位争い)、「演歌の女王」↘*8.7%(微下げだが最下位転落・・・しない方がおかしいのだが)、「ハゲタカ」↘*6.0%(時間変更裏目)、「風林火山」↘19.2%(武田晴信役の芝居がやや一般向けではないのかなと危惧)、「華麗なる一族」↗21.6%(微上げだが、全話20%越え、平均首位はなんとか確保できそう。平均での花男との差がおよそ2%あるのでまず大丈夫だろうと思われ)、以上。

水曜日に見る予定のテレビ『ハケンの品格』(日本テレビ)

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2007年3月 5日 (月)

・・・もう・・・あなたには・・・だまされない。(木村拓哉)

父(北大路欣也)と子(木村)が共に涙を浮かべる今回。父の涙も子の涙も難解である。これまでの演技から類推すれば「父」は「長男が自分の子供なのか祖父の子供なのか半信半疑であり、長男をわが子として愛しく思うと同時に不義のいまわしき可能性により憎くもあるという複雑な心情を34年間抱き続けてきた男がその瞬間、ついに長男を失った」という嘆きが主要因であると思われる。あるいはその想いからの解放もあったかもしれない。一方、長男は「長い間、理由もなく父に疎んじられていると悩み続け、その理由が尊敬してきた祖父にある可能性と、そうでありながら愛し続けた父親に裏切られ、同時に父親を失った」という苦悶にあると想定される。客観的に見れば、父・大介にも罪は薄く、子・鉄平にも罪はない。しかし、鉄平が過剰に父に憎しみを持つことはありえる。今回の序盤で展開される「生きながら運命に葬られる父と子」の物語はそういう演出プランのもとに展開され、そうであれば父子ともに熱演だったと言えるだろう。もちろん、鉄平は逆ギレなのだが。

しかし、親子でなくなったと両者が感じた瞬間。父は「息子の会社を罠にかけた加害者」となり、長男は「父親に会社をつぶされた被害者」となる。正邪でいえば、父が悪、長男が善である。無理矢理ねじふせたようなこの展開がステキかどうかはさておき、とにかく、鉄平は「正義」のポジションを得た。

一方、大介は苦しみつつ、祖父の罪を許さなかったという一点で悪へと堕ちたのである。もちろん、善悪などどうでもいいと考える人間にはそれほど面白みがある展開ではないにしてもだ。鉄平はすべてを失い、自分が悪しき行いの結果の子供だったにせよ、「ボクになんの罪があるの」と口をとがらせることはできる。突然、父を失った子供は憎悪という「正義」を手にいれた。それは美しさのかけらもない醜い「正義」だが、・・・それは最後に大介をにらむすねた子供のような表情にたくされる・・・すべてを失ったような気がする鉄平には何もないよりましだろうと思えたに違いない。

で、『華麗なる一族・第8話』(TBSテレビ070304PM9~)原作・山崎豊子、脚本・橋本裕志、演出・福澤克雄を見た。結局、昔の恋人・芙佐子(稲森いずみ)の母(多岐川裕美)からの手紙は「鉄平の父が祖父である可能性を推測した」ものだった。鉄平は愕然としつつも疑いを抱き、祖父の血液型を調べに病院へ向かう。祖父A型、父AB型、母O型、鉄平A型。この組み合わせでは祖父が父でも父が父でもああややこしいどちらでもありえるのであり、鉄平の疑いの心は深まる。

現実というものは複雑な要素の集合体だが、あえて、鉄平のかかえる問題を分化してみると、仕事関係では「経営に参加し夢を賭けた会社が自らの判断が要因と言える不祥事を起し倒産の危機にある」、家庭関係では「それまで父と思っていた人物が父ではない可能性がある」というオフィシャルでもプライベートでも抜き差しならない状態なのである。

そして、その二つが一挙に結びつくのが事故の処理と今後の方針決定のために融資銀行が集う会議の席上だった。巨額の負債が発見され、それがメインバンクからの融資引き上げによることが判明する。そこでは金融再編にからんだ大同銀行の派閥争いにからむ茶番劇も行われるのであるが、もはや、このドラマはそれは本筋ではないようだ。そこで責任を背負い込む銭高常務(大介の命令で融資引き上げに秘密裏に応じ高金利での借金で穴埋め工作をした阪神銀行からの出向重役)の視線の先に大介を見出した鉄平が「父親がボクの会社をボクの夢をつぶした・・・それは本当の父親ではないからだ」と直感することこそがメインなのである。なぜなら、これは父親に愛されていないと感じて育った子供が父親そのものを失い、どうしていいのかわからなくなる物語だからである。

そして、その夜がやってくる。よりにもよって万俵家には家族全員が集まっている。もれなく集合しているのである。父と母と愛人。次男とその妻。長女とその夫。そして次女である。これはこれから起ることを全員が知ることができて手っ取り早いし、鉄平がどれほど傷ついているかを極端に表現できる。鉄平はもとより、他人を思いやる心はあまりないほうだが、今回は母をどれほど傷つけようが構わない。家族も自分がどれほどつらいか思い知るべきだと考えている。いや、本人にその気がなくても客観的にはそういうことなのである。これで鉄平がかなり「イタイ奴」であることが明確になるのだが、それほどまでに鉄平のハートが「イタイイタイ」状態であることを示すことが優先されるのである。

例によって物陰で耳をすまし、突入のタイミングをはかる鉄平。会社の技術力を狙って買手がついた。これはかって「技術革新のためには会社をつぶしてもいい」と言った鉄平にとったは悪い話ではないはずだのだが、それをするのが「自分のリーダーシップによるもの」でなければ鉄平は我慢できない。なにしろ、傷ついた子供なのだから。二子のお見合いも結局、鉄平の会社を救うこととは無関係だったことが明らかになる。おお、ここだ。傷ついていいのは自分だけである。妹なんか、まったく幸せじゃないか、ボクに比べれば。そこで鉄平は拍手で登場だ。芝居がかっているが、なにしろ傷ついた子供だから仕方ない。「お父さんはボクの会社をつぶしたね。お父さんはボクを罠にかけたね。お父さんはボクにひどいことしたよね。どうしてそんなことができるの。それはボクがお父さんの本当の子供じゃないからでしょう」である。そして父に否定され、知能に少し欠陥のある母に矛先を変える。たちまち、白状してしまう母。大介はたまらず、泣きながら止めにはいるが後の祭りである。「世界が自分のものでなければ気のすまない子供」は「さわるな」と自分が一番傷つけてしまった母親を庇う真似をする。いわば奴隷に対する主の心情である。何しろ、世界で一番傷ついている子供だから何をしてもいいのだと本人が思っているのである。誰がそうしたのか。それは今の今まで父親だと思っていた男である。鉄平の怒りは目の前の男に向けられ、男の涙を発見して目をそらす。なぜなら「泣いていいのは傷ついた子供である自分だけだ」からである。そして一陣の風のように「訴えてやる」の捨てゼリフを残して去っていくのだ。

残されたのは思いやりがありすぎて、結局誰も思いやれないようになってしまう次男・銀平(山本耕史)だった。彼は「悪いのはおじいちゃんだったんだ」と全員をなぐさめようとするのだが、そう言うと祖父を傷つける可能性があるので、「亡霊の正体が分かった」などとある意味、朦朧とした発言をする。だって祖父が悪いとなると、父と長男の対立の構図が根本からくずれてしまうからな。本当にとても気を使う次男である。だからハ・・・失礼しました。後に、妻に出て行くと言われても止めることができないのは優しすぎるからなのだが、過ぎたるは及ばざるが如し。優しすぎるのは冷たいのと同じなのだな。裁判の決意を固めた鉄平に「父も傷ついているんだから許してやって」と言えず「爆発さえおこらなかったらなあ」と他力本願の虚しい祈り。父親から解放されたいし、されるのもいやだという優柔不断さ・・・それが優しさにこだわった男の代償というものなのだな。

例によって自分の部屋にもどった鉄平は世間知らずのお嬢様出身だが公認で萌えることが許されている唯一の登場人物・妻(長谷川京子)に離縁を申し出る。無一文になるからだと言うのがその理由だ。ここまで遺族への保障について一切話題にしていないのだが、忘れていたわけではないことを示すセリフである。だが、それならば家賃のかからない部屋から出て行くことも愛車に乗って去って行くことも矛盾するのだが不問にしておく。固いことばかり言っていると嫌われるからな。お約束の「私は万俵鉄平の妻ですから」で抱擁である。いろいろ、セリフの後のバリエーションがあるのだが、そろそろ終わりか。とにかく、今日の無謀な賭けをする者「デスペラード」は鉄平の妻らしい。

鉄平は若者のすべての頃から交際している親友の弁護士に父と戦う民事訴訟の弁護を頼む。目的は真実の追求。すなわち「ボクが誰よりも傷ついていること」を世界に訴えることである。親のスネかじりではなくてかじりとってやる宣言なのであった。

裁判に勝つためには「証拠」が必要となるのだが、それは「銭高」と書かれている箱の中から見つかる。どうせなら「証拠」と書いておけばいいものを。

大介は裏工作に余念がない。銭高に因果を含め、次期総裁候補に裏金を送りこむ。ま、もはや、あくまで悪役としてですが。時代劇の悪代官としてしか描かれていないのは明らかである。

そして、舞台は法廷へ。原作では闇に葬られた法廷が出現し、ついにドラマは完全なるオリジナルの世界へ。例によって一族が全員集合である。確かに父親と子供だけど子供じゃないかもしれない男との裁判なので家族が顔をそろえてもおかしくはないが、一人か二人は「そんなの見たくないとか」「その日ははずせない用があってとか」だったりしてもちっともおかしくないけどな。第一、信用問題が一番の銀行が骨肉の争いを公で始めた瞬間に合併問題はアウトじゃないのかな。と思わないでもないが「世界で一番傷ついている男は誰か決定戦」固唾を呑んで見守りたいと感じつつ、つづくである。

関連するキッドのブログ『第七話のレビュー

ま、ここまでくるとこんなの「華麗なる一族」じゃないとか、こんなの「キムタク」じゃない。とか、思う人もいるかもしれないのだが、キッドはこれはこれで「華麗なる一族」だと思うし、これはこれで「木村拓哉主演ドラマ」だと思う。こういうところがキッドはなかなかに銀平なのだった。ちなみにキッドが今季レビューしているドラマ。土曜日「演歌の花道」父親が消息不明。月曜日「東京タワー」はオトンに別の家族が。「ヒミツの花園」は弟に出生の秘密が。水曜日「ハケン」は家族そのものがヒミツ。木曜日「拝啓」父親がヒミツ。とまるで家族のヒミツ大会なのである。金曜日「花より男子2」・・・はそういう意味で健全な家族たちなのだなぁ。楓は隠し事だらけだが。司はタマの子供だったとかいう展開はありえないし。

火曜日に見る予定のテレビ『ヒミツの花園』(フジテレビ)

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Hcinhawaii0096 華麗ごっこの時間です。アンナ☆ラン様の気分を盛り上げるために大介と寧子の悲しい場面を演じるろーじー様とかりん☆スー様。

かりん「私ならひとときのアバンチュールとして心に鍵をかけとくけどね」ろーじー「コブクロを聞くともう条件反射で涙が出るよ」

Hcinhawaii0097 ikasama4様渾身の最新作によるダーロイド。その運命は・・・。

Hcinhawaii0098 アンナ☆ラン「私は万俵鉄平の妻デス・・・」

Hcinhawaii0099 おお、あすなろ抱きは避けた・・・。

Hcinhawaii0100 ぼぎゃー。・・・やはり運命は避けられない。一体どんなワザを・・・。

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2007年3月 4日 (日)

雪ん子のコスプレってことになると一応妖怪になるわけですがそれが何か?(福田麻由子)

子供の妖怪というものは大抵哀しいものである。座敷童も河童も基本的には子供の霊の表現にすぎない。基本的には水子である。もちろん、幼くして病や事故でなくなったものや、人柱として神前に捧げられたもの。すべてかよわきがゆえに命を失ったもののシンボルである。

甲信越地方を根として全国に広がる雪ん子は「雪女」の使い魔として流布される。雪女は山姥の変化形でもあるから、食人の餌として雪ん子を使役するのである。雪ん子は可愛らしい童女であり、主に子供を誘い、雪女がそれを捕食するのである。

そんなものにコスプレさせられて、本人がどう考えるか別にして、少女時代のひまわり(幸子)が分裂人格として徐々に力を失い、同化しつつある今回。ひまわりの「恋の病」はひたすら進行を続けるのだった。

で、『演歌の女王・第八幕』(日本テレビ070303PM9~)脚本・遊川和彦、演出・岩本仁志を見た。幻想のあずさ2号に乗って北の国へと旅立ったひまわり(天海祐希)とマネージャー萩本(段田安則)なのだった。当然の如く今週の演歌は『北の宿から』なのである。「着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます」なのだが、どうしてそんなに「好きなの」と視聴者を疑問の渦に巻き込みながらついにここである。ヒトシ(原田泰造)の男としての魅力のなさがいけないのか。そうなのですか。

大宴会場付の旅館の演歌ショーで心機一転やり直そうとするひまわり。ふとん部屋に住み込みで日中は女中としても下働きをするという契約。しかし、問題はそんなことではないのである。ヒトシという人物中毒・・・つまり恋という病・・・であるひまわりはたちまち禁断症状に見舞われる。発熱・悪寒・頭痛・幻覚など様々な症状がひまわりを襲うのである。心の病はすなわち「わがまま」であると言ってのける人も世の中にはいるのだが、人の心という複雑怪奇なものは身体に異常をもたらす充分な力を秘めているのである。悲しみが人の体に穴をあけ、喜びがその穴を塞ぐこともあるのだ。

東京に残された貞子(成海璃子)と信(武井証)は電話で「師匠の帰りを待っている」と励ますのだが、信をヒトシの付属物としか見ていない恋するひまわりには忘れようとしていることを思い出させる病状悪化の要因に過ぎない。

そういう意味でヒトシ欠乏症に陥ったひまわりは体調の変化を感じつつ地元テレビのインタビューには「悩んだり苦しんだりもあったけど今は歌ひとすじ、心のままに生きていこうと決めました」などと意味不明のうわごとを言いつつ、ステージに出るのだが・・・。

女のわかれ道の二番らしい。

倒れても くじけても 幸せ信じ 生きていく

あなた恋しくて 奄美行き

抱いて抱きしめて津軽宿

霧かすむ女の・・・・・

南の奄美から北の津軽へメチャクチャな移動に心身が耐えられなくなったのか。歌の途中でステージに昏倒するひまわり。心の病=わがままの論者には「いくじなし」とか「根性不足」というフレーズがかけめぐる瞬間だろう。とにかく不死身の体を持つひまわりとしては発熱ぐらいで意識を失うのは脚本上のご都合主義と言われてもしょうがない場面だが、しかし、人の心は複雑怪奇なものですから・・・。

熱にうなされるひまわりへヒトシの妻・真佐美(酒井若菜)から電話が。「ヒトシさんが恍惚の母を殺して自分も死のうとネットで安楽死のための毒薬を入手しようとしているらしい。ひまわりさんから説得してやめさせて」というお願いである。ひまわりは「それは妻のあなたの役目でしょう」と心を鬼にしようとする。しかし、幻覚では「母を殺した」とヒトシが布団部屋に現れ、心配で仕方ない。薬を買ってきたマネージャーはそんな心中を驚くべき洞察力で察し、「そんなに心配なら東京に会いに行け。会いたくないなら影からそっと助けてやれ」ともはやシナリオを先読みしたようなナイスアドバイスをする。

女の分かれ道で幻想の幸子は「もうあきらめた。あんたみたいなどうしようもない女になるのはイヤだけどなってしまったものは仕方ないものね。そんな女でも生きていかなくちゃならないんだものね。あなたはあなたでしかないんだから。おゆきなさいよ」と上位自我としての責任を放棄するのだった。どんなに吹雪が吹こうともなのだな。

東京に戻るとさっそく恍惚の母(池内淳子)は行方不明である。どうやら若い頃に分かれた恋人タカアキさんに会いたい一心であるらしい。こうなったらタカアキさんに会わせようと温水刑事に個人情報漏洩の罪を犯させて近況を照会してみるとすでに故人だった。

それにしてもひまわり、ヒトシに接近しただけで病の影が消失し、ピンピンなのである。まさに心の神秘だ。以前にも発見した川のほとりのかけおち待ち合わせ場所でひまわりと真佐美は恍惚の母を発見。呉服屋に連れ戻すと突然「ヒトシにタカアキさんになってもらおう」とひまわりが言い出す。まことに都合のいい症状である。以前はタカアキさんモードになるとヒトシは誰だか分からなくなっていたはずだが。

真佐美に作戦を授け物陰に隠れるひまわり。ヒトシと真佐美と恍惚の母の芝居が始まる。「タカアキさん、私には夫を愛し、店を継いで、子供を育てていく自信がない」という母に「いや、あなたは、それをやり遂げます。子供たちは立派に育ちます。次男のヒトシはろくでなしですがお母さんを誰よりも愛していますから」と詐欺の常習犯だけに嘘はおてのものなのだった。ホッとして抱き合う恍惚の母と不肖の息子。見守る妻。物陰でひまわりは複雑な思いをかみしめる。

その証拠にひまわりは病室に向かうのである。仕事を終えてもさっさと帰らないところが恋の未練というものだからな。そして、歌手ひまわりとしては不運、恋するひまわりとしてはラッキーなことにヒトシと遭遇してしまうのである。もちろん、ヒトシはひまわりの行動はお見通しである。その証拠にひまわりへの贈り物(店の小物)を用意しているのである。

ヒトシと会話して心華やぐひまわり。バカにつける薬はないというのはこのことなのだな。

一時帰宅したひまわりは子供たちのカップラーメンの宴の誘いになかなか応じず、ヒトシの匂いのするような赤い反物、ひまわりの髪飾りに頬をスリスリと恋する乙女にひたる。そして狂人ヒトシの罠である「母を殺して自分も死ぬ遺書」を発見してしまう。ああ、もう、わかったよ。もう、どうしようもない運命なのですね。

病院に行くとヒトシは母に毒薬を注射する寸前。夜更けの病室で大騒ぎでナースがかけつけてもよさそうなのに来ない。「自分を守ってくれない母には耐えられない」と「甘えん坊」の正体を露呈してひまわりに甘えるヒトシ。もちろん、こうなることを見越しての遺書なのである。しかし、二人の話を聞いた母は自ら「生まれてきてくれてありがとう」と親バカを貫き、自ら毒薬を飲んでしまう。

たちまち大騒ぎになる。病室。湧き出るような関係者である。しかし、介護施設と病院の区別が非常にあいまいだなぁ。温水刑事が来院していたりしてここは介護施設も完備した病院ということになるのだろうが。徘徊癖のある老人を収容する施設にしては・・・まあ、これ以上の言及は避けておくが。母の心音は戻らない。薬の存在についてひまわりを詰問する医師。

計画外の出来事に錯乱したヒトシは廊下で暴れ、病院関係者に傷を負わせる。もうメチォクチャである。そして逃走。それを追いかけるひまわり。道路に飛び出すが車がヒトシを微妙に避けるので志田医師はついに出番を失う。

ヒトシはひまわりを引っ張ってかけつける警官たちから逃げ出す。「一体二人はどうなるの」とここまで見ていた視聴者の誰もが心配にならないのではないかと危惧しつつ、つづくなのである。

関連するキッドのブログ『第七幕のレビュー

来週は貞子が小ひまわりデビューを果たすらしい。もう、そういうところしか楽しみがない。ひまわりの父が登場しようが、ひまわりの弟が投資に失敗しようが、ヒトシが逃亡しようが、みんな、興味ないよねーっ。

月曜日に見る予定のテレビ『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(フジテレビ)

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Hcinhawaii0095_1 H☆Cイベント速報。もう3月なのであるが、H☆Cは先月、札幌雪祭りに雪像参加していたのだった。北海道在住の歌の先生ミマム様とダンスの先生aki様とイベント後の記念撮影。

かりん☆スー「ごっこやデートばかりじゃなくて仕事もしていまスー」

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2007年3月 3日 (土)

「なにやってんだいっ」と井上真央は家政婦に言われた!けれど雨雨ふれふれもっと降れ私のナミダをかくしてねなのです。

なるほどーっ。これが最高の見せ場、「雨の別れの場」かーっ。こりゃ、泣ける。やはり雨だよなーっ。雨は心にしみるんだよなーっ。司(松本潤)の「庶民って雨が降っても困るんだなっ」も泣けたぞ。なるほどなーっ。そうなんだーっ。・・・いや、知ってますけどね。

結局、まだまだ、「お坊ちゃまと小娘」の貧富の差の方が「お嬢様と色男」の貧富の差よりも受けるってことなんだろうか。「シンデレラ」だもんなーっ。「シンデレラ」だからなーっ。たった一つの恋よりも、何度も何度もシンデレラ、これなんだなーっ。

そして、母と息子と息子の恋人の三角関係の方が、父と娘と娘の恋人の三角関係の方よりまだまだ分かりやすいのだなーっ。そりゃ、そうだよなーっ。女の子が見るんだものなーっ。「お嬢様」よりも「シンデレラ」の方が圧倒的に多いんだものなーっ。そして女性の方が「わが子を奪われないためにあらゆる手を使っていく」ということにリアリティーがあるのだなーっ。楓(加賀まりこ)ーっ。そこまでするかーっ。

で、『花より男子2・第9話』(TBSテレビ070302PM10~)原作・神尾葉子、脚本・サタケミキオ、演出・石井康晴を見た。前回、あれだけのことをしておいて、相思相愛を確認した二人がまたまた破局を迎えるのである。もうどうにでもしてくれ状態だが、それだけの説得力を持たせる要素が「財閥御曹司の勘当」と「日本経済の崩壊」である。そりゃ、困った。もちろん、「恋したものが勝ち」の鉄則で、「愛した男が無一文」になろうが、「大量の失業者」が出ようがしったこっちゃないと「恋」を貫けばいいのだが、そうすると終るのでまたもやつくし(井上)は「顔で笑って心で泣いて」きっぱりと別れるのである。ま、またですかーっ。

前半、つかのまのラブラブモードに突入。司は母に交際宣言。この母は滋との交際は認め、母の妄執ではないようにも見えるが、あくまで息子を所有物として意のままに操作できれば結婚も許すのであり、「他のものを愛したり愛されたりする」のだけは絶対に認められない。典型的な姑根性である。女性たちは嫁姑問題を他人事と見るとき、「あんなに意地悪な姑やあんなに憎たらしい嫁になったりなられたりするはずがない」と考えるのであるが、いざ、自分の息子の嫁や、自分の夫の母に対面したとき、自分の中にこれほどドロドロとした感情があったのかとびっくりしたりするのだな。それが、性なのです。少女マンガは少女のための教養として恋人の母はこれほど禍々しい敵なのだということをこれでもかと提示して可なのである。楓、こわいぞ。ともかく「後ろ指をたてられたり」「後ろ髪をさされたり」「後ろ指をさされる」ことなく、久しぶりのデートを楽しむ二人。

しかし、早速、楓の逆襲は始まる。まずは裏切り者の処刑である。影でつくしの恋を応援していた西田(デビット伊東)の解雇。そして司への兵糧攻めである。カードを停止して、携帯電話も止め、司の自由度を奪っていく。レストランの支払いもできず、タクシーにも乗れない御曹司である。「金がなきゃ何にもできない」という司につくしは「そんなことはない。庶民のデートを教えてやる」と宣言。まずはペットショップで犬とたわむれるのだが、司は「犬」が怖い。「犬病」が伝染したらどうしようという恐怖におののく・・・バカだな。

すっかり「家なき子」になった二人。司は類(小栗旬)の家へ、つくしは優紀(西原亜希)の家へと避難。優紀の両親が父(おかやまはじめ)、母(比企理恵=タレントスカウトキャラバン4thグランプリ1979)である。比企理恵・・・可愛かったのになぁ。・・・失礼しました。父は「こんなに小さい頃から知っている」と言うのだが、子役の長い井上だが、二人の共演が思い出せない。『キッズ・ウォー~ざけんなよ~シリーズ』から井上を知っている視聴者には「うんうん、私も」と思わせるサービスセリフなのかもしれない。

この夫婦の取引先が道明寺財閥系で先行きの不安をこっそり語り合うのだが、当然、つくしの耳に入る。いつもは味方のF4の二人、西門(松田翔太)も美作(阿部力)も「このままだと日本経済は大変なことになる」とプレッシャーをかけてしまう。そして滋の好意も虚しく、大河原財閥との合併は失敗。まあ、合併できないと傾くというのも安易な発想だが、どうせなら、つくしを苦しめるためだけにあえて苦境に陥るぐらいの方がより「楓」なのだが、一応「そこをなんとか」と頼み込むシーンが挿入され・・・いや、「そこをなんとかこの話はなかったことにしてください」の可能性もあるが。とにかく、「道明寺グループ」の経営危機が新聞一面に報道されるのである。

リストラによる投身自殺に司が苦しんでいることを知っているつくしは「自分のためにまた司が苦しむことになる」のは耐え難いことだった・・・らしい。楓と面会し「司と縁を切るから勘当を解いてほしい」とお願いしてしまうのだった。

道明寺のお屋敷で荷物をまとめるつくし。手ぶらで出てきたので宅急便で送ったのか。とにかく外は雨である。屋敷沿いの道で雨に濡れてストレートパーマになった司と遭遇。かぶりだが、言及はさける。司はアタマクルクルパーマだったのかっ。と思ったことだけを述べておく。「もう縁を切った」というつくしに司は「まだ公園でバドミントンもしてないし、なべを一緒に食べていない。道明寺の後継者でなく一人の男として見てくれたことはなかったのかっ」とせつない叫びを残すのだが、「本当に好きなら別れない」とつくしは涙をこらえて去っていく。いや、雨なのでこらえたかどうかは不明だが。角を曲がるとタマ(佐々木すみ江)が待っていた。「どうしてそんな心にもないこと言うんだい」と優しく叱る。もう涙をこらえることができないつくし。誰かが分かってくれているというのは大切なポイントだ。

春休みである。ここから卒業式のダンスパーティーに向けてどんなドラマが待っているのか。一応フリはあったからな。三人組のF4の残りを紹介してねで。一方、ケン内田(鶴見辰吾)の生存を確認してしまう司。ほくそ笑む楓・・・陰謀だったのかっ。陰謀だったのだなっ。姑の意地悪恐るべしっ・・・続くなのだが、来週は最終回ではないので、司はついに記憶喪失である・・・ま、どんなことになろうとも最後はハッピーエンドだろうけどなっ。なんてたってシンデレラストーリーなんだから。

関連するキッドのブログ『第8話のレビュー

日曜日に見る予定のテレビ『華麗なる一族』(TBSテレビ)

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Hcinhawaii0091 ひな祭りであるのでH☆Cとルイ祭りのぶっち☆翠様とツカサ祭りのくう様のつくし制服祭り開催中。ちなみに向かって左から、くう様、かりん様、翠様、アンナ様まこ様なのであるが・・・。

全員、つくしになりきっているらしい。桃の節句なので背景は桜に見えるが桃っていうことで・・・。

Hcinhawaii0089 しかし、くう様としてはこれをやらないわけにはいかないのだった。ツカサロイドは防水加工、水に濡れるとパーマが取れる機能付である。くう様から不敵な笑みが消えるのは雨の威力なのか・・・それともっ。

逆あすなろなのであすなろ爆発は発生しなかった。くう様はツカサロイドの使用者の鏡なのだな。

Hcinhawaii0090 一方、ぶっち☆翠ちゃんはikasama4様特製ルイロイド(4号)を試験運転中。一人類祭りに突入。

Hcinhawaii0092 そんなシーンはないのにあすなろ抱きに突入である。ルイロイド「ツカサを信じるしかないだろ」ってあすなろ抱きしながらのセリフじゃないでしょう。

Hcinhawaii0093 ぼぎゃーっ。ぼぎゃーっ。ぼぎゃーっ。・・・バルコニー三段ぶち抜きである。

Hcinhawaii0094 じいや「誠に申し訳ありません」ikasama4「月曜日でもないのに・・・」

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2007年3月 2日 (金)

母親の前でさのばびっちと言われた二宮和也はもうどうしていいかわからない仔犬なのでその通りなわけで。

因果応報なのであるが、先見性のある人とない人がいて、先見性は不確定要素を直感的に排除する超能力なので、普通の人間にとっては多くの場合、因果がめぐるのは結果論なのである。エリ(福田沙紀)は高校一年生。一平(二宮)は外見は中学生でも成人男子である。しかもエリは経営者の娘で一平は従業員。エリの祖母からデートをお膳立てされて、それを拒絶できずに結果的に逃避するのだが、本人としてはまったくそのつもりがないということはありえるのだろうか。

それはありえるのである。前回、一平は母(高島礼子)から「婿養子として狙われている」という推測を聞かされるのだが、それは自分がエリの一族(八千草薫と岸本加世子のW女将)から狙われているということに気がついただけで「エリ」が自分に好意を持っているということには気がついていないのだ。恐ろしいことだがそうなのである。鈍さにもほどがあるのだが、注意力散漫というよりは一種の記憶障害だな。一平、ミフィーちゃんのぬいぐるみ買ってないしな。っていうか、プレゼントしてね。と言われたと思ってないのだ。

なぜなら、一平は外見は中学生だが、中身は仔犬なのである。リンゴを投げられたら、拾ってきて尻尾を振りたいのである。ナオミ(黒木メイサ)から「ほら、ひろっておいで」といってポーンとりんごを投げられるのをハッハッハと舌を出して、ワクワクテカテカで待っているのだ。他のことなんか、知ったことかなのである。まったく犬ってやつはバカだにゃー。

で、『仔犬の一平じゃなかった拝啓、父上様・第8話』(フジテレビ070301PM10~)脚本・倉本聰、演出・西浦正記を見た。朝、「けじめをつける」という時夫(横山裕)「そんなこと軽々しく言うな」と竜次(梅宮辰夫)の受け売りでたしなめる一平。今夜の夢は「大きさじゃない形だ」であってどういう夢か一平にも分かったらしいのだが。おそらく、トマトとか、じゃがいもの話だと思われる。いや、一平が「分かる」ことだからな。

買出しはほうれん草で「虫食いの方が安全だ」ということなのだが、七年も板前修業していて「それ」か、「それ」なの。「それ」も盗んでないの。・・・いや、知能が特殊な人にそういうことを言っては人格を疑われるからな。富良野ではきっとそれは絶対に人々に伝えなければいけない情報なのかもしれないし。

そして、ボーナスである。時男はもらえないし、「お客に手を出すな」という不文律を破ったためにちょっとした「お声」がかりもない。「気持ち」ももらえないのである。律子(岸本)にとってはちょっとした躾なのである。妾の娘であることで苦渋をなめてきた律子の身分感覚は先鋭的だ。飼い犬に手をかまれるようなことは我慢ならないのである。

一平は父親候補の花板・竜次を酒に誘い、竜次の進退について聞き出す。「包丁を捨てる」という竜次に動揺。「だってまだほうれん草の虫のことしか教わってないし・・・」という気持ちになるが、竜次はとりあわない。「保(高橋克実)から盗め(技能を習得しろ)」と言われてしまう。養子の件については「利害で決めるな」である。・・・いゃ、そんな抽象的な助言をされても子犬には理解できないと思いますが。

一方、おにいちゃんとイブにデートしてミフィーちゃんをもらえると思っているエリはムフフである。時夫の不始末のせいでダブルデート案は消えたのだが、もともと、デートという認識のない一平は「時夫」との約束が果たせないことに立腹する始末。「監視がつく」というその監視者が誰かということにも頭が回らない。

先輩である保とパチンコ屋で合流した一平は保のちょっとした過去を知る。由緒正しい料亭の息子だった保の斜陽話であり、仔犬にはちんぷんかんぷんでうんざりなのである。

そして、ナオミがイブの「ゴスペル」鑑賞をメールしてくる。「利害を考えるな」とかそういうレベルではなくて、時夫にエリを押し付け、・・・つまり、時夫にも顔が立つし、エリも一人よりはいいだろう・・・という認識で、「リンゴをポーンと投げてくれるかも」とシッポをふりふり、出かけていくのである。

ああ、いつの間にかクリスマスだったのか・・・。ようやく来たよ。クリスマス。クリスマスの話が出たの前々回だよ。フルなーっ。ナオミは「あれはやくざもびびって敬遠する鋭い眼差しの持ち主、親はヤクザの大親分」と時夫が推定する鋭い眼差しで一平を睥睨するのだが、リンゴは投げてくれないのだった。その代わりに手をつないでもらい、一平は変な姿勢に傾くのだった。しかも、来年、鎌倉でフランス料理デートの約束までしてもらう。期待で一平の尻尾はちぎれそうだ。「一緒にいて楽しい」と云われ楽しいけどクタクタなのである。そりゃ、尻尾の振りすぎだと思う。

今度こそ、リンゴを投げてもらえるかもと来年(来るのか、その日が来るとこまでたどりつくのか、うーんと全11回ならなんとか)の期待に尻尾をふりふり、家に戻るとしゃく半(松重豊・キレる前にしゃっくりをする痙攣体質)がすでにしゃっくりをしているのだった・・・。

デート監視者だったしゃく半は時夫とエリが行方不明だと告げる。コンサート会場からエリが泣きながら飛び出したので見失ってしまったのだという。一平「あれれ、何やってんだ時夫のヤツ、お嬢さんはなんか悲しいことでもあったのかな」レベルのバカ・・・いや、仔犬なので、うろたえるのだが、ようやく、なんだか、まずいことになってきたぞという気分にはなったらしい。デートしていたことを告白するとしゃく半は予想外の態度に。過去に「保を脅迫して律子と結婚させた」ことがあり、寝覚めが悪かったらしい。

夢子(八千草薫)、律子、保の前に引き出された一平。「少年院帰りの男に娘をあずけるなんてどういうつもり」とつめよる律子に「まったく手をださないどころかすっぽかすなんてどういうつもり」と呆ける夢子。とにかく、組(鳶ですけれど)の若いものを動員して大捜索開始である。一平も捜索に加わるが、心当たりを捜すのに、まずもっとも怪しい母親の店を訪ねないのは仔犬だからである。っていうか、犬ならまず匂いで嗅ぎつけられるのでは。

連絡が入り、雪乃の店にかけつける一平としゃく半。この時点でも一平は男としての自覚は一切ないのである。とりあえず、早とちりでしゃく半が時夫をなぐるお約束の展開あって、「悪いのは一平で時夫はなぐさめていた」だけの勘違いと知ったしゃく半はすごすごと退場。時夫は明日しゃく半にコーヒーを奢られることになると思われ・・・ともかく「エリにあやまりなさい」と云われ「どうしてかな」と思いつつ頭を下げる一平。エリはクリスマスプレゼントを差し出す。でもミフィーちゃんはないのである。「私のことそんなに嫌いなの」と云われ口ごもる一平に母親として情けなくも可愛いとも思う雪乃。そこへ律子参上である。「なんてことしてくれたの」と激怒。矛先は雪乃に向かい「どうして私はあんた(出入りの芸者)にもあんたの息子(使用人)にもよくしてやっているのにあんたは恩を仇で返すようなことするの」人の口に戸は立てられないので「この前はお母さん、今度は娘、あんた私に怨みでもあるわけ?」そしてとどめは「あんたは息子に人の道をこれっぽっちも教えていない」・・・ま、私生児の娘が私生児の母に言っているので相当に複雑な心情があることを岸本はよどみなく表現しているなぁ。

そういう気持ちのやりとりなどまったく理解できない一平は「さのばびっち」と言われて「仔犬だもん」と思うのではなく、とにかく、これで店をやめる理由ができたとホッとすると同時に「母親を侮辱されたこと」はなんとなく分かるのでちょっぴり屈辱的な気分を感じるのだった。帰り道、人として思いやりのある時夫が思いやるほどではないにしてもである。だって仔犬なんだもんでつづく。である。来週、ベッドシーンあります。なのだが、ナオミか、エリかと目をこらすと、なにやらぬいぐるみをベッドに発見。え゛ーっである。富良野塾やりたい放題だな。ついでに痴呆もかぶる模様。

関連するキッドのブログ『第七話のレビュー

まったくエリには魅力を感じない一平(竜次や坂下の店構えに比較して話題にも上らない)なのだが、エリもなぁ、リンゴをなげてやればいいのになーっ。一発なのににゃーっ。

土曜日に見る予定のテレビ『演歌の女王』(日本テレビ)

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2007年3月 1日 (木)

私、邪念を捨てたんですーっ。(加藤あい)

そうなのか。本当は「邪念を捨てました」なのだが、森美雪(加藤)は邪念を捨てたのか。っていうか、邪念というのは「里中主任好きですーっ」という心のことなのか。誰かを好きになるって邪念なのか? ま、そういう考え方もあるけどな。

すると、ストレートパーマに失敗した過去を持つ東海林(大泉洋)が大前(篠原涼子)に恋したために桐島部長(松方弘樹)に反逆するのは邪念のなせるワザだし、なんだか急にデレデレと大前がアンケート式プロポーズ・ラブレターの裏にこっそり携帯電話の番号を書いたりするりも邪念に満ち溢れているのだな。

最近、この手の邪念は微妙な立場なので、今回、大前があの手この手で桐島部長を貶めるのが邪念のためだとするとえーっと驚く視聴者がいるかもしれないが、なんてったって「やまとなでしこ」(2000)や「南くんの恋人」(2004)の脚本家のすることだからな。邪念こそ命の人と言えないこともないからな。

で、『ハケンの品格・第8話』(日本テレビ070228PM9~)脚本・中園ミホ、演出・南雲聖一を見た。いきなり、特技を発揮せずに、エンストした車を解体するだけで業務時間終了と同時に去っていくコントで始まる今回。前回のフリである「ハケン弁当」の企画提出を企画横取りの部長コバンザメ東海林がすっかりどす黒くなった部長の指示の元、実行するかどうかのストーリーを縦軸に、里中(小泉孝太郎)の左遷(子会社出向)の提示、東海林の銀行頭取令嬢とのお見合い、里中と東海林の痴話げんか(大前争奪戦とも考えられる)がからみあい、森美雪は絵が上手という特技を発見されるのだった。以上。

・・・おいおい、それで終わりかよっという方がもしかするといるかもしれないので、もう少し書いておく。森美雪はお弁当のスケッチを描くのだが、大前は少し、微妙なタッチの絵で小松の親分に「下手」と断定されるのだが、チラリと見るだけではそれなりに味がある絵だったと思うな。

部長推奨のお見合いがトントン拍子に進んで突然、邪念に包まれた東海林は猛烈に大前へアタックを開始し、大前のプライベートタイムでプロポーズ。キッドはきっぱりと即答で拒否するべきだと思うのだが、すでに邪念モードに入ったらしく、大前は答えを保留する。

里中は「うなだれるのが得意」なのではなく「出世を目指す正社員」と「他人のために働いてしまう正社員」の二者択一で後者なのだが、「ギャンブルに夢中な正社員」や「女性専用車輌に憧れる正社員」「クライアントの見えないところで嘲笑をすることが生きがいの正社員」「就業中にブログのトラックバック返しに熱中する正社員」や「AランチにするかBランチにするかにしか興味のない正社員」「上司の暗殺計画にプライベートタイムのすべてを費やす正社員」などもきっといるのではないだろうか。

とにかく、森の提出した企画を東海林に譲り、さらにフォローとして1000人アンケートで理想のハケン弁当を作ろうとマーケティング課に指示を出す里中だった。街中で見知らぬハケン社員から弁当を食べさせてもらえるほどの邪念フィールドに覆われた里中は正社員であることが間違いなのかもしれないとキッドに疑いを抱かせつつ、「現実的でない予算外の弁当」を理想にかかげ、「戦力にならない」とドス黒い部長に決定的な評価を下されてしまう。もちろん、うなだれるのである。

さて、里中は「良心的」という言葉を盛んに口にするのだが、世の中が良心で満たされた時代ははたしてかってあったのか。今、あるのか。そして後にやってくるのか。その答えはおそらく風に吹かれているのだろう。キッドとしては今回は放置することにする。

大前は東海林に「あなたに美点があるとすれば友達を思う心」里中に「現実的でないものを現実にすればいい」と小学校の先生のアドバイスをするのだが、教員免許を取得しているのかどうかは明らかにされない。

美点については「美」とは何かから話すのが長い話になるので今回はパスしておき、「非現実を現実に」というスローガンについて少し考察しておく。キッドの好きな言葉で言えばそれは「change of mind or change of world」つまり、「自分を変えるか、世界を変えるか」ということになる。人が生きるにあたり、基本的な選択肢である。弱肉強食を否定したいと考えた場合に、それを否定する自分を否定することもできるし、弱肉強食の世界を否定することもできる。自分も変えられないし、世界も変えられないという人間はただ立ちすくむしかないのだが、どちらかを選択すればとりあえず前進は可能なのだな。

もちろん、自分を変えた方が世界は優しい場合が多く、世界を変えようとすると、世界が敵になったり、世界が迷惑したりするのである。しかし、自分にとっては自分を変えることは苦しい場合があり、そうなると人はたちすくみやすい。キッドなんかは自分は世界の王である自覚があるのに世界がそれを認めないことか多く、時々、皇帝になった夢を見て目覚め、赤面することもある。そういう場合、皇帝のトイレは畳十畳敷だったりする。

ま、前回の結論で言えば、暴力を肯定したりする結論はそういう建前的な現実の前では受け入れがたく、現実の現実は当然の理なので論ずることが無意味という難しい局面もあるわけだ。今回は、里中と東海林が生き残った方が大前への挑戦権を得るという古典的な方法で殺し合いを始めるのだが、両者ともに必殺技を欠き、決定打を得られぬまま、うやむやな決着を迎えるのだが、どちらかが勝者となり、どちらかが死体となるようなドラマを許さない世界がこの世の現実と言えるのかもしれない。だから、まあ、痛いのは生きている証拠なのだな。ハケンは利用するだけ利用して捨てるのが正解だったとしても。

そういう男たちの実りなき中途半端を知ってか知らずか、大前はかよわき魚類を人類の英知の結晶・沖釣りクルーザーで捕獲。弱肉強食の体現者としておいしいサバ味噌煮入り豪華1000円弁当を完成させるのである。もちろん、邪念に満ち溢れたこの世界では愛妻弁当であり、それを東海林と里中にふるまう大前は邪念世界の由緒正しき「ふたまた」かけてんの実行中ということなのであろう。大前は一体、自分を変えようとしているのか、世界を変えようとしているのか謎なのであるが、それは「泥船からの脱出」なのか、「駆逐艦に時限爆弾を装着する行為なのか」どっちなの?で今度こそ本当に以上である。もちろん、来週につづくわけですが。

関連するキッドのブログ『第七話のレビュー

今回、キッドはプライベートで多忙。そのために暴走しているのかもしれないが、ここのところ、サービスしすぎの傾向があったので、今回は書き逃げである。まったく、この世界はあとからあとからどれだけ雑用を生み出すのか、その入り口をいつか発見してみたいものだな。確定申告か。確定申告お早めになのか。

金曜日に見る予定のテレビ『花より男子2』(TBSテレビ)

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