ヒミツにしといてあげるから・・・お泣きなさい。(釈由美子)
「まあ、いいじゃないですか、ねえ、陽くぅん」の「くぅん」が神がかって可愛かったのだが、それよりも今回は主役っぽいポジションを与えられたここか。その前の「私がめちゃくちゃにする前にもどってください」なんて「私はいなかったことにしてください」ってことでメチャクチャ消極的なポジションだからな。っていうか、月山(釈)は何にもしてないのじゃないか?
とにかく、航(堺雅人)のヒミツの一つが「四男だけが親が違う」ということだったのが判明した今回。血縁かそうではないのかはアイデンティティーの根底に関わることなので、「ショックかもしれないしそうでないかもしれない」と考え始めると「なるべくそっとしておきたい部分」だったという説明はないのだが、まあ、そういう意味で分かってもらいたいと作者は考えているのだろう。想像力のある子供は一度は「自分は本当の子供ではないのでは・・・」とロマンチックな想像をするものだ。ま、大抵の場合、「親の性格の悪さ」とか「親の経済力の無さ」とか「親の頭の悪さ」とか「親の平凡さ」とかそういう「こんな親じゃなかったらよかったのになぁ」と思うときにそう考えるのである。そして実際にそうだったりすると育ての親より生みの親がもっとひどい親だっりするのが一般的である。ほぼ「子供を捨てた親」であるからなあ。もちろん、予期せぬ死亡なども含めてである。
キッドなどは幼少から「お前は橋の下から拾ってきた」と言われて育っているのでそれが事実だろうが、虚構だろうが、親には溺愛されてており、あくまで想像なのだが、「お前に本当の血縁はいない」と言われるのは相当に心がしびれるような気がする。
しかし、そのことと月山とが密接に関係しているとはとても思えないのである。深読みすれば、「次男にムダ使いするなと意見したり」「読者をだましてはいけないと主張したり」「花園ゆり子にタレント活動させようとしたり」することが、航には危うく感じられたと演出しているとも思えるが、そこまで読める航ならば、当然、ヒミツを暴こうとする元凶が月山の上司にあることは見抜けるわけで、そうしないためには月山がターゲットにされるだけの時間をかけた演出が必要となるはずだ。やはり、主役をたてる演出プランが徹底的に不足しているのであるよ。
単純に言えば航が釈をもっと積極的に愛してしまい、「弟のヒミツ」を「釈にかくす」ことが「苦痛なのだ」という心理描写の提示だけでよいのである。そうすれば「釈の愛する男がヒミツをかかえて苦しんでいることに釈が気がつき悩む」という主役としてのモチベーションが確保できるのである。「いや、そういう風に演出しているつもりです」とスタッフは言うかもしれないが、キッドは多くの視聴者はそう思っていないよなぁと考える。
で、『ヒミツの家族・第9話』(フジテレビ070306PM10~)脚本・大島里美、演出・小松隆志を見た。あいかわらず、本筋ではないところで、ミニコントが展開され、それはそれで面白いという意見もあるが、キッドはそういうのは本筋がしっかりした上での話だと思う。
航からの要望で花園ゆり子の担当をはずされる月山。代役はベテランの畑中(岸博之)である。ここで航は主役の恋人としては致命的な配慮のなさを示す。格別落ち度のない担当編集者の更迭を編集部に申告したわけである。それは風俗店でチェンジを告げる客ほどの情の無さだ。そんな主役の恋人のポジションはいやだ。大したヒミツではないのだから視聴者に先に提示しておいて、航の苦しい心境を示しておいた方が良い。
そうすれば、担当をはずされ、ペナルティーとしておそらく自分より年下の編集者・三浦(大東俊介)の使い走りとして使役される月山の哀れさが引き立ったはずである。50%の視聴者は月山の悲哀に気がつかないと考える。
畑中が来たことにより、月山の不在(失って初めて分かる幸せ)が示されるのであるが、若い四人の男性にとって、じいやのような口うるさいおじさんよりも「釈由美子に似た女の方がいいよな」という演出になってしまっている。そうじゃないだろう。
とにかく、智(要潤)は月山の心境を説明するための使者として缶コーヒー・ミーティングを行う。「兄弟の3人は月山に戻ってきて欲しいと言っている。月山が戻らないのはおそらく兄が好きだからだと思う。兄に戻ってこいといって欲しいならそれは無理なのでどうせ愛されないならいなかったことにして欲しいと意地をはらないでビジネスライクに戻ってこれないものかと思うけどそれはできない相談なんだよね」ということである。釈にほとんどしゃべらせないのだなぁ。この脚本は。そりゃ、缶コーヒーを置き捨てしたくなるな。これも演出とすれば主演者の小さなイメージダウンだよな。だってその動作は「あんた捨てといてね」である。深読みすれば月山が怒っているという描写だ。そういう演出はないだろうと思う。
月山は愛する男が守ろうとする秘密のために自らを犠牲にしている女。その女のところへかって自分を辱めようとした男で愛する男の弟がやってきて「兄のことはあきらめて俺たちの玩具になってくれ」と要求する。ふざけるなと怒る月山という時の演出なのである。そうなのか?
一方、困った人間として快調に飛ばす川村(真矢みき)は自由奔放なバカまるだしの色恋沙汰人生を生きる。田中(寺島進)をゲットしつつ、陽(本郷奏多)を発見。月山の部屋に全員集合の一員になるのである。今日はセーブされたが「本当に陽くんだけが血がつながっていないの」のセリフの時は「修(池田鉄洋)さんじゃなくて?」と言い出すのではないかとドキドキしたほどだ。食べていい主役といけない主役があるのである。ま、いやな女としてステータスは築いたけれどなぁ。また、それがいいというMの客もいるしなぁ。
両親と似てない月山は実は孤児だったのフラグも立ったのだが、それは安易と作者はセーブする。この「それは安易」の曖昧さが月山の主役性を損ねているとも思うがまあ、いいでしょう。陽がなぜ月山を慕うのか、その理由があいまいなので、「きれいなお姉さんは好きですか?」的世界で補完するしかないのだな。
話し合いの末、迎えにやってきた三兄弟。「帰ろう」と修。「子供あつかいするな」と陽。「きれいなお姉さんが迷惑しているだろう」という航。「迷惑なの?」と陽。月山は「布団一組しかないし」と嵐の前のボケである。
「ボクはもう知っているから隠さないで」とカマをかけられて、後2年はヒミツにするつもりだった「お前は本当の弟じゃない」と告白する航。ショックーっ。駆け去る陽。「あ、コート忘れてる」と追いかける月山。間を置いて後を追う修と智。
神社の境内で「本当のことを知ったらびっくりした。だってボクは兄さんたちを愛しているから」と言う陽に「コート忘れていったよ」と告げる月山。人がいなくて静かな境内で「コートがあってよかったーっ」と四兄弟の涙また涙でつづくのである。
だから、主役は誰なんだって言ってるんデスよーっ。釈も泣かないとダメなんデスよーっ。
関連するキッドのブログ『第8話のレビュー』
残るヒミツは「両親の死亡理由」と「陽の親は誰なのか」というところかな。予告で「オレにも陽にも二度と近付くな」と航が誰に言うのかをヒミツにしているところがちょっとあざとい。主役ならそれを示すべきだし、主役にじゃないならいらないだろう。本編での美那絵(滝沢沙織)の男の拳銃とか。ストーカーのみすず(松岡璃奈子)とか、キッドはいてもいいけど主役のための演出が疎かになるならいらなかったよなあとも思う。
木曜日に見る予定のテレビ『拝啓、父上様』(日本テレビ)
ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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