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2007年5月31日 (木)

誰かの望みを知ること、望みを叶えること、それが愛?(松本潤)

・・・まだまだ納得の行かないバンビ(松潤)でした。だって愛って自分が気持ちのいいことじゃなかとね。もう、ジュ・テームって感じで。・・・愛されるのが当たり前の九州男児にはここが難しいようです。

なにしろ、自己中心的と言われてそれが「悪口」なのは分かるけれどなぜそれが悪いのか分からないのが九州男児というものなのです。なにしろ、男の中の男ですから。

「再上京編」で「心の旅」(チューリップ)が自然と湧き上がってから、70年代フォークを連想させる「バンビ~ノ」なのです。ここまで「ぼくたちの失敗」(森田童子)、「街はぱれえど」(泉谷しげる)と連想が働いてきたのですが、今回・・・歌の神様が降りてこなかった。そうなると捜すしかないのだな。メジャーで言うと・・・井上陽水かしら・・・今回って漠然としてるから・・・陽水は合うはずだけどな。

パンビはマチルダのためにすべてを忘れて働いたのです。本日のお奨めメニューも作り笑顔もみんなマチルダに捧げたとです。だけど、マチルダさんは感謝知らず。感謝知らずのお客・・・。

やはり・・・無理があるな。愛って難しい。

で、『バンビ~ノ!・第七話』(日本テレビ・070530PM1030~)原作・せきやてつじ、脚本・岡田恵和、演出・大谷太郎を見た。ゲストにロマンス羽山(池内博之)が登場する。今回のテーマは「愛って何?」の「回答編」ということになる。「愛」といってもオレザク・与那嶺(北村一輝)がホールで働く接客従業員の心得としてバンビに伝えたい「お仕事のコツ」なのである。バッカナーレのシェフにとってそれは「気持ち」の問題なので「伝えるのが難しいこと」らしい。・・・本当にそうか・・・それほどにバカだってことなのか。ま、九州男児だからな。

日本のアフリカ大陸である九州は未開の地なので、文明人が驚くような風習が残っているのだが、逆にその奇妙さが新鮮だったりするので、数多くの物語が奇妙さの紹介によって名作になってしまう・・・場合がある。たとえば「博多っ子純情」とか「ぼっけもん」とか「左門豊作」とかであるな。おいおい、いい加減にしとけ。ともかく、この原作もまた九州人を主人公に据えたからには相当な無茶が許されるのである。しかし、ドラマは九州人以外も見るのでちょっと甘口になる。九州人の常識人化である。そうするとちょっと薄味になって「味がなくなる」こともあり、今回はそうだったのではないかしら。

バンビは常連客のマチルダ野上(戸田恵子)に翻弄される日々。愛と言われたのでとにかくマチルダさんを見つめ続けるのである。愛一筋の精神なのだ。一本気これすなわち愛なのである。他の客なんか目に入れてはいけないのだ。これに対するマチルダの答えは「笑顔を覚えたガンダムみたい」なのであった。・・・それはちょっとこわい。・・・ガンダム禁止だってば。

困ったホールの仲間たち、セーラーヴィーナスこずえ(小松彩夏)を筆頭にアドバイス。「他のお客様も見ないとね。あなたには苦手かもしれないけど・・・」というありがたいお言葉。九州男子バンビはすでにカチンと来ているのですが、「これが東京もののやり方だ」と獣医あすか(香里奈)に仕込まれつつあるのでなんとかこらえます。未だに「年下なのに先輩」は飲み込めないので下っ端妹尾(向井理)はバンビだけにシカトで対応しているのですけれど。ともかく、「よく見ろ、目ん玉ついてんだろう」と目の不自由な人には難しいけれど視力があれば誰でもできるところから出発です。どんだけ、初歩的なんだ・・・ま、バンビだからな。

ようやく、客が「何をして欲しいのか」を知ることによって「客に何をしてあげるか」が決まるというサービスの極意に到達します。・・・っていうか基本です。

そんな折、バンビよりさらに料理一筋の男、あすかの恋人羽山が登場。

天才的な料理人だがたった一人の客から「味がない」と言われて料理人をやめて無職の男になったという心の防御力ゼロの男。あすかから金をせびる毎日。

二人を見たバンビは「あんな男はやめろ」とあすかにイエローカード。「あんたに私の何が分かるの?」とレッドカードで一発退場です。しかも羽山の料理は「うまい」・・・・「うまかー」じゃないのかよ。ガッカリだよ・・・なのです。

そんな羽山がバッカナーレに勝負を挑んできました。道場やぶりかよっ。しかし、勝負を回避する師範代。「お前の相手はバンビでたくさんだ」は常套手段です。ま、看板をもらっていくにしても工事とか大変そうですが。

そしてパスタ勝負。ツンデレ香取(佐藤隆太)曰く「勝負はわからねえ、職を離れたものと現役の差、なによりバンビはオレの弟子なんだぜ」・・・愛です。

しかし、味はやはり、羽山に軍配。しかし、「バンビの皿には優しさがあったの・・・パスタやわらかめだったし・・・」・・・しかし、塩分控え目はどうかな、肉体労働者には塩分濃い目が鉄則じゃないのか。とにかく、従業員への思いやりでバンビはまた大人の階段を昇ったのだ。・・・シンデレラかっ。・・・そうか、アニメ『みゆき』の後主題歌『思い出がいっぱい』(H₂O)にすればよかったのか。80年代だけどな。

「それが愛だ」とオレザク。そして羽山は「試合に勝って勝負に負けた・・・一から出直すよ」「女ってダメな男でも愛したらとことんなのよ」と獣医あすかなのである。なんか、底抜けすぎてジリッと視聴率を落す展開だ。

しかし、バンビがみんなが思うほどに成長できたかどうかは・・・謎なのだな。そして、来週はドルチェ部門へコンバート。織田(ほっしゃん)・・・それでもセリフ控え目なのだろうな。

関連するブログ『第六話のレビュー

金曜日に見る予定のテレビ『帰ってきた時効警察』(テレビ朝日)

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2007年5月30日 (水)

ニコと過ごした日々は楽しくて好きだったけど看護師さんといる苦しさが今は好きなんだ。夕焼けモードで。(松山ケンイチ)

つまり、浮気っていうか、新しい恋をした言い訳をロボは悪びれずに言う。ま、この場合、ニコ(大後寿々花)と肉体関係があると修羅場なのだが、ヘタするとナース昭子(小林聡美)とも肉体関係がないかもしれない男の言うことなので仕方ないのだな。

松ケンと小林には20年の年齢差がある。いわば母と子ほどにも年齢差のあるカップルである。もちろん、松ケンの恋はスレートにマザコンの裏返しなのである。しかし、二人の年齢差は小林は童顔なのであまり、気にならない。昔、男の子だったことのある魔性の女だしな。その奇妙な美貌を堪能したい人は映画「キリコの風景」(1998)を見るといいと思うよ。

さて、ここでこのブログで使用する言葉について能書きをたれるので興味のない方は本文の方へ。

たとえばドラマ「セクシーボイスアンドロボ」(略して)「ニコロボ」と原作コミック「セクシーボイスアンドロボ」(略してセクロボ)の関係について、原作のストーリーやキャラクター設定があまりにアレンジされすぎていると「ニコロボ」の視聴者であり、「セクロボ」の読者であるキッドが感じた場合、「原作レイプ」という表現をキッドは使う。

たとえばコミック「あしたのジョー」の「真っ白に燃え尽きた主人公」がCMの中で「使えないサラリーマン」を演じたりしている時も「原作レイプ」な感じはするのである。

さて、レイプとは「強姦」の意味である。二人の人間が合意に基づかず性交渉に及んだ場合、加害者と被害者の生ずる「犯罪」ということである。だから、アレンジ者と原作者が合意して「作品」を作っている以上、「レイプ」ではない・・・という理屈もある。しかし、作品が商品である以上、消費者にもなんらかの権利はあるはずで、送り手がどうであれ受け手が「大切なものが犯された」という感覚があれば「原作レイプ」を主張しても構わないと思う。その程度の言論の自由は保障されているはずである。

次に「レイプ」という言葉の使用そのものに問題がある場合がある。たとえば現実に「レイプ」された経験のあるものや、パートナーを「レイプ」されたものや、実際に「レイプ」したものが、その言葉の重さから「もののたとえ」として「レイプ」を使用するのは安易にすぎるという思いを抱くかもしれないということだ。「たかがフィクションとフィクションの関係性を示すのにノンフィクションの苦渋にかかわる言葉を使用されたくない」という考え方である。キッドはそのことを考慮するが「言葉」を「自由」に「行使する権利」を「レイプ」されたくないので、心を鬼にしてそのような表現を良しとするのである。そういう時の気持ちは「文句があったらかかってこい」という気持ちで、命がけなので対応する人は覚悟を持って望んでくださるようにお願いします。

そういう意味で突然「ロボ」に嫉妬しちゃう「ニコ」とかは完全に原作レイプだと考えます。

で、『セクシーボイスアンドロボ・第8話』(日本テレビ・070529PM10~)原作・黒田硫黄、脚本・木皿泉、演出・佐藤東弥を見た。一話完結とはいえ、連作シリーズを計画的にプロデュースする以上、第七話の欠落は「作品」としては「完成」を汚された行為であり、その責任者は我が身可愛さに「作品」をレイプさせたものの恥をもって望んでいるだろう。そうであってもらいたいと祈る。

脚本・演出が第一話のコンビに戻り、前・後編の大作、そしてゲストが小林、もたいまさこ、ともさかりえと「濃い目」になっている。この濃さは「すいか」の味がするといってもいいし、「やっぱり猫が好きだけど室井滋はどうした」といってもいいし、この作者は奇妙な美貌をこよなく愛しているのだなぁと言ってもいい。ま、ファンにとっては大向こうから「いよっ、待ってましたっ」と声がかかるところなのだろう。

ま、一言でいうと、あえて視聴率なんてどうでもいいですし、これで打ち切りでも構いませんけど・・・的な作品に仕上がっていると思う。ま、前編なのでこれ以上は控えますが、来週、またもや、大事件が起きて・・・とか想像するとちょっとワクワクします。なにしろ、死後の世界を信じるキッドの方が今、妙な胸騒ぎがする。おかしな風が吹いているぞ、と囁くものですから。死後の世界を信じないキッドとしてはもうすぐ入梅だなあと思うだけですが。

冒頭、原作レイプなニコの家族たちがさらに原作レイプなニコのひいおじいちゃんが危篤なのになかなか死なないという事態に接し、ドライな感情をこぼすというシーン。このドライな部分が原作の湿度なのでキッドはホッとするのですが、ニコが「ひいおじいちゃんが危篤なのにテレビ番組の録画失敗が気になる私って一体・・・」と心の声を語り出すと犯された原作ニコ像に胸をしめつけられるというスリリングな出だし。もう悪い女に翻弄される無垢な少年気分です。

今回の「敵」(ま、敵であったためしはないのですが)はプッチーニ。死に行くものの最後の望みをかなえる三人組。説明を受けたニコは「善(他者の望みを敵える)」と「悪(そのために手段を選ばない)」の狭間で躊躇します。

で、おそらく五月のある晴れた日。二人は出会った・・・ということで蕎麦屋のトイレでロボと昭子が出会うのです。ロボはマックスロボのまことちゃんのぐわっししている手・・・鼻をもがれたキツネの象徴・・・女性あるいは幼女の両足と股間の暗喩・・・を便器に落としてしまいます。使用前でしたが、汚れ仕事を免除された男性には禁断の衛生問題局面です。ま、一人暮らしをしているロボとしては公衆衛生問題局面なのかもしれません。ともかく、ロボにとって便器内のプールは「ばっちいから触っちゃいけない」場所のようです。「ああ、とりかえしのつかないことを・・・」尿意も忘れてロボは現実逃避モードへ。もう気絶しそうなのです。「胸が痛い、息ができない、ここは狭すぎる・・・」そこへ颯爽と現れたナース昭子。「じゃぼっ」と便器に手をつっこんでマックスロボの腕を救助。洗っただけでは「おえっ」となるロボのために消毒までしてくれる優しさです。

「そんなに大事なものならどうして自分で助けなかったの?」

救世主の登場に電撃で心が打たれリセットされたロボに楔は打ち込まれたのです。

さて、プッチーニなので、おそらく、ジャコモ・プッチーニ(オペラの作曲家1858-1924)的なものが散りばめられているのでしょうが、それを一々、ひろっていくとキリがないので二個ぐらいにしておこうと思います。まずは『外套』の連想から。

『外套』は子供をなくした妻。妻と浮気する若い男。男を殺す妻の夫の物語です。夫は外套で死体を覆い、「外套は様々なものを覆う、たとえば犯罪もだ」と妻の前で外套を剥ぎ取るのです。このモチーフはたとえば「風とともに去りぬ」にも潜んでいます。娘を失い初恋の人に心を移し夫に去られるヒロイン・・・とかね。今回、ロボ(妻)が失うのは大切なマックスロボへの愛(子供)、そしてつかの間の少年のような熟女(若い男)との恋に溺れ、ニコ(夫)に突然の喪失感を味あわせ、「バカーっ、おばさんじゃんか」と叫ばせることになるのです。なかなかの換骨奪胎です。

さて、プッチーニたちの正体は三人の看護婦たち。死者の思いを風化させないことが彼女たちのヒマつぶしらしい。その連絡方法は黒い折鶴です。彼女たちは謎の女・別子の思い出を風化させないためという理由があるらしいのですが、それはまだ明らかにされません。ま、たいした理由ではないと思いますが。

今回、やや、空回りするニコですが、本質を見失ったドラマ展開なので空転するのは当然とも言えます。ひいおじいちゃんの病院でプッチーニに遭遇するニコ。「悲しくても泣けないのはスイッチを切っているから」と絵美理(ともさかりえ)から告げられるニコ。ついでに「プチ整形の必要はない」とアドバイスされます。理由は「可愛い」からですが、可愛い人がより可愛くなるために整形する時代とも言えます。ま、素顔が美しいならそれに越したことはないわけですが。無料だし。

そしてひいおじいちゃんのために久しぶりにセクシーボイスを使うニコ。・・・もう設定を忘れるほどだよ。ロートーン。ハイトーン。芸者トーンですが、ひいおじいさんの求める「玉枝」はハイトーンの芸者じゃないのかよっ。とツッコミしておきます。

芸者として売られそうそうになる玉枝を助けようとするひいおじいちゃんの青春。「ニコロボ」の「ニコ」は中学生で「じいさんやばあさんにも青春があった」という真理に気がつくのですが、「セクロボ」の「ニコ」はそういうことを少なくとも小学校に入るまでには卒業しているとキッドには思えます。

さて、プッチーニで言えば『マノン・レスコー』でしょうかね。身売りとか、金持ちの愛人といえば『ラ・ボエーム』もそうですけど、娼婦として売られてしまうということではやはり『マノン・レスコー』でしょうか。「逃げろー、玉枝ー」というひいおじちゃんは『狂気のこのわたしを見てください』ということなのでしょう。ニコは「玉枝は逃げます」と調子を合わせます。

その願いが叶ったひいおじちゃんは昇天。彼がクリスチャンであったのはある意味爆笑でした。もはや中学生は制服を喪服代わりにしない時代なのだなあ。レンタルか・・・。ま、喪服萌えのためのサービスなんだろうな。

ロボは恋の魔力にとらわれます。直接的なシーンはないのですが、最初の幼児プレーで食事を終えた二人が体を交わしたのは濃厚です。行為の後にすぐ着衣するのが微笑ましい。ここでは食器の洗浄が終っておらず、ロボの余力を窺わせます。その後で「夕焼けの件」があり、透明な髪留めが夕映え色に染まる魔術にとらわれたロボは二回戦に突入。朝までぐっすりです。食器が片付けられてロボが満足したことを示しています。まあ、キッドは妄想で補完できるから問題ないですが、二人がプラトニックなのかそうではないのかは結構、重要なポイント。キッドなら愛の流刑地程度の描写を入れたくなるポイントです。いえ、そういうシーンが見たいわけではなくて虚構としての完成度の問題です。その方が笑えるのですよね。

唐突ですが・・・まずい味を守るラーメン屋のオヤジはとっとと死ねばいいと思うよ。

そしてロボは「若い人ならバスストップにならんでいても涙を流して最終バスに乗らないこともある」という誘惑に答えて昭子と恋のバカンスに出発するのです。ま、昭子が人妻だった場合はかけおちですね。最初の例え話で空気を読まずに「おいおい、最終だよ」と言ってしまうようなキャラであるはずのロボですのでびっくりの展開です。

さて、自分の手下であり奴隷であり所有物であるロボの思わぬ反乱に驚愕するニコ。これが近所のバカなお兄ちゃんにいつしか恋心を抱いたバカな中学生みたいな話でないことを祈るのです。楽しいマックスロボ(フィクション)を捨て苦しいリアル(ナースとのセックス)に生きるというロボ。キッドの心のニコなら「ま、はしかみたいなものね」と微笑むところですが、ニコロボのニコは「ロボ出動が言えなくなるなんて数少ない視聴者が減るんじゃないかと私だってリアルで苦しいよ」でつづくなのです。

関連するキッドのブログ『第六話のレビュー』『第二話(再)のレビュー

この展開にするのならばニコとロボとの性交渉は必要不可欠だし、ナースとの性交渉も不可欠だと思うが、ま、それは現実も虚構にすぎないと思うキッドの個人的な望みに過ぎないのかもしれません。ま、今回の視聴率が*6.5%という再放送と誤差の範囲しか違わない展開ですので何やってもいいんじゃないと思います。新枠仲間の「ウソゲ」が最終回三時間拡大スペシャルなのとあまりにも落差大きく・・・涙。来週、最終回とか言い出さないのを祈るばかりです。・・・ま、それも現実というフィクションですけどね。

木曜日に見る予定のテレビ『私たちの教科書』(日本テレビ)

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2007年5月29日 (火)

す、す、す、す、スイスイ スーララッタ、故・青島幸男、故・萩原哲晶、故・植木等その他の皆様、ありがとうございます。(山下智久)

す、す、すき焼きでも食べようか。とか。す、す、スリランカは昔セイロンだったね。とか。す、す、するめいかともんこういかではどっちが固いですか。とか。「好き」と言えない人のために「す」のつく言葉はたくさんあるんだよなあ。でも半世紀ちかく前にこれが生れて、関係者はどんどん亡くなったけど「スーダラ節」は残りました。

前回、「言えばいいじゃん」の大合唱を想定して、今回、「言った」ような「言わない」ような展開とか、「言わせない」展開とかが多数用意されています。仕掛け的にはがんばったと思う。

最初に多田(藤木直人)と礼(長澤まさみ)が「好き」「私も好き」と言っているので「オレも好き」と健(山P)がついでに告白すると「冬のソナタ」の話だったりする。2004年。韓流ブームでアテネオリンピックの夏である。

次に「これがあたったらつきあうの決定」と水風船を目標に投げる健。命中。しかし、礼は「本気」と受け取らない。・・・後はいつもの通りだ。「好き」の一言がどうしても言えない健。「うる星やつら」の諸星あたるなみの照れ屋さんである。

本題に入る前に恒例の週末の視聴率チェック。「生徒諸君」↘*6.8%(どうしたらいいかスタッフがトイレで考えるといいのかもしれない)、「特急田中」↘*8.5%(しかし、がんばったとも言えるよな。もう少し田中のキャラが普通だったらなぁ、底辺すぎたよな)、「紅の豚」15.0%(いい加減その後のヒミツの話を教えてもらいたい)、山田太一の「星ひとつの夜」18.4%(ブタと太一で30%とられてたのかっ。内容は星みっつくらいかな?)、「帰・時効警察」↘11.7%(なんだろう。給料日がらみの下げかしら)、「喰いタン2」↘12.8%(東山くんのバック転、ちょっとこわかった)、「アイロボット」16.2%(ロボット、サイボーグ、ロボイドもう少し三つ巴で)、「ウソゲ」↗12.0%(だまされて泣き、だましてごめんもはや戸田の天下か)、「風林火山」↗20.7%(もはや、向かうところ敵なしでござるな)「冗談じゃない」↘10.7%(ヒトケタにならなくて良かったというところかな。もはやタレントのファンが仕方なく見ている状況か)、「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」26.5%(すんげえーっ、面白いからなー、洋画の逆襲が始まってるなーっ。ホントにブームって気がつけば終ってるもんだなー)・・・以上。

で、『プロポーズ大作戦・第七話』(フジテレビ・070528PM9~)脚本・金子茂樹、演出・加藤裕将を見た。すでに大学三年になっている健たち。最初は6年前だったので、もはや現代まで3年を残すのみ。そして、実質、多田が告白して礼と付き合い始め、挙式をあげるまでにはもはや3年を切っているのである。もちろん、礼と多田がいつ、恋人同士になったのかはまだ明かされていないのだが、今回のストーリーを見る限り、健は自分というものを見失った典型的な若者なのだろう。

かって、「自分」というものがもてはやされた時代があった。親も教師たちも「自分」を大切にしろと指導した。何故か、といえば彼らは「自分」というものを目指し、なかなか「自分」というものが理解できず、ついに「自分」をもてあました人々だったからである。だからこそ、次世代には「自分」を獲得してもらいたかったのだな。

だが、「自分」を持たないものに「自分」を教えることはできないわけで、その下の世代は「自分」を持たない上の世代を軽蔑しつつ、さらに「自分」そのものを見失ってしまったのだ。おそらく、日本人は「自分」というものが苦手なのではないかと思う。

過去に戻った健は例によって「のっとり」を行い、状況を把握するまでに無駄な時を過ごす。こういうのは「状況に流されやすい性格」と言える。つまり「自分」がないのである。現代の健は「このままでは愛する人を奪われるのでその前に捕まえる」という目標を持って過去にやってきた。それは「火事場から逃げてきたようなもの」なので過去のまだ「平穏な日々」に辿り着くとたちまち「その場」をエンジョイしてしまうのである。・・・ああ、ダメな奴。

もちろん、ダメな奴なりに「危機感」はあるのだが、ものすごく「決意」に欠けている。たとえば、「好き」ととりあえず言ってみるという行動を行い、失敗すると凹むのである。そしてとりあえずやってみたという満足感を同時に得る。「自分」がないので、凹むの凸るのを同時に行うのである。これでバランスをとるとたちまち目標を見失ってしまう。

現在、他人を貶めるときに「なんでそんなに必死なのか」という論理を使う傾向がある。「ひたむきに目標にむかったり」「手段を選ばずに目標を達成する」ことを嫌悪する態度だ。これは一概に否定できない側面がある。「邪魔だからどけっ」とか「邪魔だから殺すっ」というのを否定したい気持ちがあってもおかしくない。

しかし、これを限度なく使い始めると、大変なことになるのである。なにしろ、「自分」がないのである。つまり、「困ったことになっても」「必死にはなれない」ということになる。溺れてるくせに藁をつかまない状態だ。ま、つかんでも無駄だけどな。

さて、今回は礼の内面にエリ(榮倉奈々)が踏み込んでいく。エリはふられているのだがふった男から呼び出されるとつい出かけてしまう。都合のいい女になっている。いやなのだがいやと言えないのである。なぜなら「自分」がないからだ。一方、礼は「自分」があるのかといえばそうともいえない。健に告白しようとして果たせず、「健を好きな自分」を殺しているだけである。つまり、「自分」がないのである。ただし、そうすれば前向きになれると思っているのだ。そういう礼をうらやましく感じるほどにエリには「自分」がない。

さて、キッドが「自分」を持っているのではないかと疑っている多田を見てみよう。彼が未来から来ている証拠はまだないのだが、「教育実習に来た」「告白を消した」「今回も時間を待っているかのようだった」など疑わしさは増している。そもそも、タイムスリップによる過去改変というモラルに欠けた行動をする健が礼とのハッピーエンドを迎えるためには悪役は必要不可欠であり、彼が「自分」を持っていないと話は苦しいのではないかと考えるのだ。

さて、お分かりのようにキッドの考える「自分」とは「悪」なのである。「自分」を持つのは「悪」になることなのだ。だから「自分」についての教育は難しいのである。「自分」と「他人」が渾然一体となっている社会的な生物にとってはなかなかに不条理な問題なのだった。

健が思ったよりバカでないとすると健のダメさは「悪」に徹することができないところだということになる。今回、健は「告白」のチャンスを見逃して、友人という他人にアドバイスをする。そのことによってエリはとんでもない愛をつかんでしまうのだが・・・ユーミンの5cmの向こう岸が泣いてあやまる展開だ・・・それはそれとして、健は目標を見失う。

そうでありながら、多田の告白を阻止に向かう。それは成功するのだが、たちまち凹む。つまり、多田の幸せを阻んでしまうという「悪いこと」に耐えられないのである。そして、目標の達成にブレーキをかける。しかし、多田はなりふりかまわない。たちまち目標を達成してしまう。多田には「健と礼の関係」が見えていないから仕方ない・・・と考える人は「自分」というものがない人だと思う。

健をもう少し優しく解釈してみよう。健はなぜ「愛」をあきらめるのか。それは礼の幸福について考えたとき、告白できた多田と告白できない健のどちらがふさわしいかという比較をしたのだと考えられる。礼は多田と結ばれても仕方ないという結論はたやすく得られる。もちろん、自分というものがないからなのだが。

今回のテキストは『ドラキュラ紀元』(1992・キム・ニューマン)である。厳密に言うとタイムトラベルものとは言えない。しかし、『プロポーズ大作戦』がありえないはずだったとんでもないカップルを成立させてしまう場合の「もうひとつ別の世界」の考え方を用いたなかなかの作品なのである。この世には可能性の数だけ無数のパラレルワールドが広がっているというのは「自分」を持たない人間にはなかなか魅力的なのだな。

この小説の元ネタは『吸血鬼ドラキュラ』(1897ブラム・ストーカー)である。ま、古典中の古典なので説明は省略するが、「もしもドラキュラがヘルシングを倒したら・・・」な世界の話なのである。ドラキュラはたちまち、ヨーロッパ全土にその魔手をひろげ、人々はほとんどが吸血鬼になってしまうのである。

そこには吸血鬼の血の濃さに連なる新たなる階級制度が敷かれる。大英帝国では女王がドラキュラの奴隷としてビッチのような扱いを受けるのである。もう、このあたりの倒錯的な描写は震えるような痛快さを伴う。実在した人物や、虚構の中の人物が次々に登場し、最終的には女王を解放するためにダブルオーナンバーの人が・・・。さらに続編では吸血鬼同士の世界大戦がくりひろげられたりする・・・紅の吸血鬼だったりするのだな・・・という面白すぎる物語である。

さて、ここで考えるのは吸血鬼の「愛」についてである。吸血鬼たるもの「愛」は不可欠なのだが、「愛される」相手が問題なのである。それが人間だった場合、吸血鬼の「愛」は相手の死を意味するのである。もちろん、相手は吸血鬼になるので別にいいではないかという考え方もあり、そういう傾向そのものが「自分」のなさを物語るのだが、とにかく、それは悪いことであると仮定しよう。

吸血鬼は人を愛することができる。しかし、愛すると同時に人は死ぬ。これを愛と呼べるかどうか。吸血鬼は・・・悩むのである。この苦悩はなかなかに普遍的な苦悩だ。「あの娘と結婚したい。でもあの娘を幸せにできるか自信がない」「人類の自由と平等は大切なことだ。でもあの娘より大切にしたらまずいかな」「責任を追及したら自殺してしまった。自殺するなんていけないことなの。もっと追求したら他の人も自殺するかもね。でも追求しなくちゃなあ。できたら自殺は勘弁してほしいなあ。なんだか、気分悪いから」「私は貧乏で頭も悪くて体も弱くあまり綺麗じゃありません。でもこの子は生みたいのです。育ててみたいのです。気がかわって捨てるかもしれませんが」「ファンの皆さん、ごめんなさい。できちゃった婚だピョーン」

「いい人の気まぐれにふりまわされるよりもドラキュラの冷たい愛に身を捧げたい」・・・礼の心の着地点はこのあたりなのではないでしょうか。

関連するキッドのブログ『第六話のレビュー

水曜日に見る予定のテレビ『バンビ~ノ』(日本テレビ)

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Hcinhawaii0172 P祭り開催中なのでPごっこレポートをお届けします。お気楽「もう、飽きてきたのね。どうせ最終回までどうにもなんないんだから」アンナ☆ラン「ダーリンもでないしね」ads(あず)「・・・それはちょっと・・・ドラマなんだし・・・ダーリンはでませんけど・・・」

Hcinhawaii0173 かりん☆スー「もう、健がかわいそうでかわいそうで涙なのよ。別に礼と結ばれなくてもいいんだけど。礼ももっとガンガンいけばいいのよね。じれったいったらないの。スーはそう思うのよ」みょうがの芯「かりん先輩、私ってエリなんですか。・・・ち、小さい人とラブラブ?」

Hcinhawaii0174 お気楽「夏、水遊び。私を投げないで。ハレルヤチャンス」ぷっち☆翠「また、ちょっと視聴率が15%をきったりして困るのデス。翠的には50%はないと不満です」mari「Pちゃまが出ているんだから可能なはずよね。海賊の倍くらいでいいんですもの」

Hcinhawaii0175 かりん☆スー「ねえ、こういう状態って、迷うものなの? もうなんだか恵まれすぎてないの?・・・もちろん、スーはPちゃんで決まりでスー」

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まこ☆ミキ「はうぅぅん。も、もちろん、迷わないのデス。ふ、フジッキー一筋ナノデスヨ。・・・でも、山Pがいいと言うのなら、そ、それはそれで、はうぅん、両方、持ち帰りでお願いシマス・・・」

Hcinhawaii0177 みのむし「危なくごっこ不参加になるところでしたっ」まこ☆ミキ「ちっ・・・」

アンナ☆ラン「もう、ダーロイド投入なのっ。だって淋しいからっ」お気楽「もー、誰が誰やら・・・浴衣祭り?」

Newimage1ppp04 ミマム「・・・ちょっと暗いですね」

妖精「花火タイムですよ・・・ライクじゃなくてラブですから」

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2007年5月28日 (月)

第七管区対馬海上保安部巡視艇「やえぐも」に海猿の勇姿を見たっ。

実録的海猿である。キッド的には毎週、これでもいいのだな。実際に韓国にイージス艦が配備されたり、去年のような修羅場寸前になったり、北方領土の不法占拠を続けるロシア、南方海域で示威行為を続ける中国、そして仮想敵国北朝鮮と今、海上の防衛・警備活動はもっとも注目すべき事柄である。

年金問題も大変だが、その前に日本そのものを防衛しなくてどんな利益の再分配が可能だろうか。

国境の問題を「警察」が取り締まるのは限界があるが、ほぼ全世界に対する敗戦国である我が国に選択肢は限られている。そういう意味で最前線のご苦労は涙ぐましいはずである。平和がただでは守れないことをもっともっと知らせてもらいたいと思うのだなぁ。

少なくともこの一点においては一刻も早い憲法改正が望まれるのである。

で、『NNNドキュメント'07・不審船を追え!国境の海を守る男たち』(日本テレビ・070528AM0050~)ナレーター・柳生博、ディレクター・坪内大輔を見た。対馬厳原(いずはら)港を母港とするPC-207「やえぐも」の新人海上保安官を2006年6月から07年4月までおよそ10ヶ月取材したドキュメンタリーである。

「やえぐも」は「むらくも型」の巡視艇。全長31メートル。速力30kt(およそ時速60キロ弱)。乗員は10名で武装は12.7mm単装機銃一丁である。対馬には「なつぐも」「あさぐも」「たつぐも」など6隻の巡視艇が配備されている。

その主な任務は国境警備である。対馬の北方には朝鮮半島があり、排他的経済水域に侵入する韓国の密漁船・密輸船が横行している。船名を削り国籍を隠すなどその手口は悪質化しており、海域には24時間の監視体制が求められる。不穏な海なのだ。

「不審船をとっつかまえたい」19才の新人海上保安官・山崎三等海上保安士。機関士見習いである。幼い頃から海の男に憧れてこの管区を志願したと言う。配属されて二ヶ月。まだまだ表情に幼さが残る。

海上警備行動は一泊二日の勤務体制。侵略行動は主に夜間、闇に忍んで行われるのである。船内の居住区には仮眠室もある。食堂、洗面所、すべてがせまい。その日の夕飯のメニューはカレーライス、鳥の唐揚げ、サラダ。男たちは密集して食事をとる。「姿勢を正し食事始め!」食はわずかな娯楽である。その喜びは男たちの結束をもたらす。

「いざというときのために早目に栄養補給です」

国境の海は暗い。わずか25キロ先の釜山(韓国)の灯りが闇に浮かぶ。テレビに映るのは韓国の放送である。レーダーで監視しつつ、警戒する「やえぐも」、日本国籍の漁船から無線で通報が入る。領海内で不審船が発見された。

「なまはんかな覚悟ではできません」

現場に急行する「やえぐも」、船内では制圧用の武器が点検される。威嚇のための閃光投擲弾「光」や、音響投擲弾「音」、そして証拠を残すための着色投擲弾「色」、警棒。しかし、不審船はEEZラインを越えていなかった。

相手を監視しつつ、警戒する「やえぐも」、不審船は半島方面に去る。

出港のない日も陸での訓練はかかせない。不審船に乗り込み、容疑者を確保する場合もある。一人が威嚇し、一人が背後から身柄を拘束する格闘術の訓練。基礎体力作りのための10kg装備をつけての走りこみ。

「不審船などこわくない」彼も先輩たちの軽いいじめは答える。ゴミ箱に捨てられた彼のバソコン。軽いジョークだが、「役立たず」と思われているのではないかと不安になる彼。「そんなことないぞ」とはげます先輩と「女子高生みたいにメソメソしやがって」とからかう先輩。男たちならではの世界なのである。ちょっとヒヤヒヤしたぞ。

06年7月の昼下がり。領海内で白昼堂々、密漁を行う、韓国船を発見。

「エンジンストップ」「とめんかっこらっ」と投擲弾で威嚇する「やえぐも」、密漁船は無視して逃走を図る。国境線まで9キロ。「やえぐも」は拿捕のために「強行接舷」を発令。密漁船に四人の保安官が飛び移る。その中に彼の姿があった。任務は後方支援である。先輩たちが船内に乗り込み、抵抗するものを確保する。午後4時、密漁船は現行犯逮捕される。

命懸けの任務。彼はひとつの経験を積んだ。

今日も彼と「やえぐも」は行く。休日に韓国語を学ぶ彼。国境線では語学も重要な武器だ。

「ヨギヌン、ヘソンボアンチョン・・・こちら海上保安庁・・・キソグン、イルボンニスリョクエソチョボルハジマ・・・貴船は、日本の水域に入らぬように」国境線ギリギリの韓国アナゴ漁船に彼が警告を発する。韓国船は水域を離脱した。船上では「やえぐも」に手をふる人の姿があった。

07年春。別れの季節。二年目を迎えた彼を「やえぐも」で鍛えた先輩たちが転任する。彼には後輩もでき、機関士として入港の操縦をまかされるまでに成長した。本州に向かう船を見送って彼は機関長に別れを告げる「万歳」・・・「万歳」と。

4月、彼は二等海上保安士に昇進した。

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火曜日に見る予定のテレビ『セクシーボイスアンドロボ』(日本テレビ)

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2007年5月27日 (日)

やられたらやりかえせと言われたから・・・やりかえした。(戸田恵梨香)

今宵も響き渡る。「だめーっ、そっちいっちゃだめーっ」という絶叫。もちろん、この程度の確率論になるとすでに直(戸田)と同じ立場でだまされてしまう視聴者もいると思われるが、そういう人でもいや、きっとなんだか危ないとは直感的に思えるはずである。しかし、淡々と開けてはいけないドアをあけ、すわってはいけないテーブルにすわり、「ぶざまだねぇぇぇぇぇ」と言われてえーんえーんな直に激萌えな人も多数である。

レトリック(ごまかし)なカードゲームとトリッキー(八百長)なカードゲームを挟んでリストラゲームの中盤戦。ついに秋山(松田翔太)が登場し直は「しっぺ返し」に出るのです。「ボコボコにやられる」→「立場逆転」、世の中にあふれる弱者にとって胸のすく展開。まさにカタルシス。しかし、秋山が「私物」にない人は真似しないでください。

で、『ライアーゲーム・第七話』(フジテレビ070528PM1110~)原作・甲斐谷忍、脚本・古家和尚、監督・佐々木詳太を見た。直が0票のまま、着々と投票が進むリストラゲーム。まずはキノコことフクナガ(鈴木浩介)が失意の直に「ギャンブル」を持ちかける。「30票」と「Mチケットで3千万円」を賭けたゲームをしないかというものである。ここで、「獲得票」の「移動」という「ルール」がさりげなく提示される。「投票後の票の移動」は一種の「ルール変更」であるが「それを禁止するルールがない」以上、「お約束」からははずれない。

「Mチケットは意外なものを売買できる」というヒントもあるのである。キッドはドラマ内のルールとドラマ視聴のルールをまぜこぜに書いていて非常に読み取りにくいと思うが、丁寧な説明にも限度があると思うので、このまま進めて参ります。

まず、フクナガのゲームは次のようなもの。「表裏のないカードAと表裏のあるカードBを袋の中にいれ、フクナガがシャッフルして直が引く。Aをフクナガのカード、Bを直のカードとして自分のカードが引かれたら一点。先に十点獲得したものの勝利」なのである。ここで「必ず裏にして引く。表だったらノーカウント」という特殊なハンデが付け加わる。もちろん、これをハンデと理解するか、しないかは直しだいなのだが、直は当然の如く理解できない。

最初に直がBを引く確率は1/2だが、それが裏である確率は1/4となり、一方、フクナガの表裏のないAを引く確率は1/2なのである。

もし、この勝負が一回戦決着なら、フクナガが勝つ場合が50%、引き分けが25%、直が勝つ場合が25%となる。フクナガは2回に1回勝つことが出来、直は4回に1回しか勝てない。

つまり、これだけでも充分に直は不利なのだが、そこはギャンブルである。直に勝ち目がないわけではない。もちろん、直はそう考えずに勝負は五分五分と考えてゲームをするのである。

しかし、実際にゲームは先に十勝するというルール。この場合は二回に1回勝つゲームをするものと4回に1回勝つゲームをするものがどちらが先に十回勝つかという話になる。

こうなると直が先に10勝できる確率はおよそ6%になってしまう。勝利確定勝数が多ければ多いほど直は不利になっていくのである。

それでも20回やれば1回くらいは直が勝つ可能性があるので、フクナガとしては勝負を賭けているのである。ある意味、まっとうなギャンブラーである。ただし、相手を勝負に引き込む口上がちょっとヤクザなわけである。だって、最初の勝負で直が十枚連続で裏向きのBを引くことはありうるからだ。この場合、フクナガはもう一勝負、いくしかなくなる。

「あついねー」と言うしかないけどな。

で、もちろん、次も直が10回続けて裏向きのBを引くことはありうるのである。

フクナガはおそらく直の手に「ゴッドハンド」を見るのだろう。

しかし、まあ、ドラマとしては確率論的にリアルな展開で進んでいく。直は自分が不利なルールで戦っていることにも気がつかず、まんまと三千万円を巻き上げられてしまう。フクナガ「頭も悪い上に運もないダブルでダメダメな女だなぁぁぁぁぁぁぁぁ」である。さあ、出ます。一人になった直の「・・・もう、ダメだ・・・はぅ・・・シクシクシクシク・・・ズズー」である。

もはや、このシーンが見たくてこのドラマを見ているものも多いと思う。・・・いやな渡世だなぁ。

そこで秋山登場である。騎兵隊かっ。しかも、リストラゲーム的には「秋山=直の私物」あつかいである。直としては「私のことは秋山の持ち主とお呼び」状態なのであった。そして、直の持ち物である秋山は軍師よろしく、わが君に策を授けるのだった。

ここから、直は豹変する。直は「人をだましたりできない善人」ではなく、「人の言いなりになるバカ」だから、問題はないのである。詐欺師・秋山を得た直はバカサギコンビ復活の狼煙をあげてキノコフクナガをひっかけに行く。

再ゲームにチャレンジである。秋山の必勝法は「カードに傷つけておけ」という100%八百長なのであった。この場合、イカサマを見抜かれない限り、直の勝率100%なので、二回目の勝負はギャンブルではなくてゲームなのである。ギャンブラーとしては非常に許せない行為なのだが、詐欺師のやることに容赦はないのだ。ゲームはゲームを支配したものが勝つのがセオリーなのであるよ。

たとえばライアーゲーム一回戦を見てみよう。ゲームを支配しているのはライアーゲーム事務局である。二人の人に一億円貸して、最高で一人は一億円の負債を追う。一人は最高獲得二億円の一億円を返済し、もしリタイヤすれば5000万円を返却。つまり、ライアーゲーム事務局はどちらが勝とうが5000万円プラスになる。もちろん、勝者が二回戦に進めばプラスは確定しないが、二回戦でも同様なことが繰り返されるわけだ。そして何回戦まであるかは秘密なのである。ゲームはライアーゲーム事務局が勝つようになっているのである。

ともかく、軍師・秋山の言うとおりに作戦を実行する直。こうなると子羊のような容姿はプラスに働くのである。

現在、八回目の投票が終った時点で直の票は10票(フクナガからだましとった)。そこで直は「買収工作」にとりかかる。もうウソのつき放題である。しかし、「だまされっぱなしの直がウソはつかない」という信頼が武器なのである。「全国で敗者復活戦が行われている。そこで敗者復活に欠員がでた。敗者復活の復活の最高は今19票なので20票になれば復活できる。だから10票売って」作戦である。ここで「フクナガに三千万円とられたの。みんなも500万円ずつとられてるから、フクナガ、6500万円も儲けてるの」と本当の情報もまぜて同情(シンパシー)と共感(エンパシー)を誘うのである。そして、隠密で七人のメンバーから七千万円で10票ずつ買いまくる。ただし、支払いは次の投票前とするのであった。

結果、十回目の投票を前に直は80票。場には残り320票で八人がほぼ均等で全員が40票前後という事態になったのである。残りは50票の投票があり、ほぼ均等にふりわけられるために誰もが勝利確定の50票には届かない。直には30票プラス最後の投票5票、しめて35票という自由になる票があるのだった。

私物・秋山「もうゲームを支配しているのはオレのご主人様なんだぜっ」状態なのである。

さて、今回、秋山が直にさせるのは「しっぺ返し」という戦略である。

エッセイ「複雑系」(M・M・ワールドロップ)にこの「しっぺ返し」の戦略の例が紹介されている。ここでは「囚人のジレンマ」というゲームがまず説明される。キッドはやや変形した「容疑者のゲーム」を紹介したが、「囚人のジレンマ」では「両方裏切りは服役、片方裏切りは裏切られたものが服役プラス罰金、裏切った方が釈放プラス賞金、両方裏切らずは釈放」という裏切りものに魅力的な設定になっている。この場合は最悪が裏切られることなので、裏切るのが「セオリー」となる。いわば、司法側に有利なルールなのである。得点で言うと両方裏切りマイナス1点(服役)。両方裏切らずプラス1点(釈放)。片方裏切りプラス2点(釈放+賞金)、片方裏切られマイナス2点(服役+罰金)となるのである。つまりマイナス2点になる可能性のある「裏切らない」より、マイナス1点ですむ「裏切る」を選ぶのがセオリーなのである。ま、「西洋的な容疑者のゲーム」とキッドはひそかに考えます。「複雑系」で紹介されるのはこのゲームを一人の囚人の立場で1VS1の十回戦で戦うというゲームなのである。戦うのはコンピュータのプログラムである。つまり、どういうプログラムを組むと「勝てるか」というゲームなのである。たとえば「何があろうと10回裏切り続ける」というプログラムがあったりする。これに「何があろうと裏切らない」というプログラムが戦いを挑めば大敗北なのである。さて、様々なプログラムが総当りのリーグ戦を行うと意外なことに勝利を得るのは「しっぺ返しの戦略」を持つプログラムであることが判明する。つまり、「最初は裏切らない。相手が裏切った場合は次は裏切る」というある意味単純なプログラムである。この戦略が他の様々なプログラムにトータルでは勝つという結果が出るのだった。その意味は深いのだが、とにかくこれはあらゆる場面で活用可能な戦略だ。「相手を信頼する。しかし、裏切られたら復讐する」ということである。もちろん、最初の裏切りが致命傷である場合もある。つまり「次はない」というルールだった場合である。しかし、とりあえず直は「しっぺ返し」によって勝利をつかみつつあるのである。果たして日本国憲法はどんなルールになるのでしょうかね?

関連するキッドのブログ『第六話のレビュー

月曜日に見る予定のテレビ『プロポーズ大作戦』(フジテレビ)

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2007年5月26日 (土)

真加出くんってうずらのたまごよね。(麻生久美子)VS三日月さんて交通課のお荷物ですよね。(小出早織)

三日月(麻生)VS真加出(小出)の戦争勃発である。今回はサービスたっぷりの激戦だったなぁ。いきなりゆでタマゴアートに走る三日月くん。妄想の世界から大きく踏み出して霧山くん(オダギリジョー)に猛アタックである。これはおそらくバレーボールアニメといえば「アタックNo.1」だからなのだろう。

恋敵・真加出にうずらのたまごで激しく牽制。「小娘、私の霧山くんに手出し無用だよっ」攻撃である。そして熊本課長(岩松了)にはぞんざいなへのへのもへじを霧山にはハートマークたっぷりのデコレーションである。もちろん、霧山は軽くシカトである。

中盤、熊本の失言ジョーク「おっ、交通課の小荷物、三日月くん」を逃さず「お荷物ですよね」と応酬する真加出。今夜の真加出は積極的なのだ。そして、終盤・・・。

十文字(豊原功補)が調子に乗って霧山と真加出を「近距離恋愛中」と決め付ける。「えー、そーなんだー」と尻馬に乗って時効課一同が盛り上がる。又来(ふせえり)が「じゃ、ゆくゆくは結婚かっ」熊本は「じゃ、仲人は私」サネイエ(江口のりこ)は「じゃ、私たちはテントウ虫のサンバを歌う?」言われた三日月は「歌いません」である。それぞれの思惑でニヤニヤする一同。熊本は特にあおっている。真加出はゆとりの笑い。しかし、三日月くんは逆襲。「署内恋愛をしたら市中引き回しの刑だって警察手帳に書いてあります」「えーっ」と一同はあわてて警察手帳を取り出す。「どこにどこに」「後ろの方です」・・・しかし、霧山だけは構わず、ニヤニヤをくずさない。「どーして、歌わないのー?」(バカだなあ、三日月くん)、「三日月くんってお局?」(愛しているのは君だけさ)・・・三日月「どうして私が」(もう、バカバカバカ)・・・うーん、今日の妄想はイチャイチャしてるなぁ。

で、『帰ってきた時効警察・第七話』(テレビ朝日070525PM1115~)脚本・山田あかね、演出・安見悟朗を見た。脚本は前作の八話をケラと共同執筆している。今回のゲストは国生さゆり。舞台は山奥の大間下村である。ちなみにまかはヒンズー語で大いなるという意味である。まか不思議は大いに不思議だ。ということである。真加出くんのネーミングは芸名の小出の逆なのであろう。大出というニュアンス。おおまかとは大きく大きくという意味なのであるのね。

で、おおまかに言うと、総武警察はどんだけ管轄広いんだっと思う人は多いと思う。総武市は妄想都市なのであまり、細かいことを言っても始まらないが、総は上総と下総があり、千葉県の一部である。そして武は武蔵なので東京都と神奈川県の一部と埼玉県の一部を含むことになる。つまり、総武市は一都三県にまたがった巨大なメガロポリスなのだと思う。

今回、ソーブくんはブロック崩し的な痛い目に会うのだが懐かしゲーム系のネタがキッドは好きだ。

全体が小芝居で構成されている時効警察。今回はママさんバレーということでいきなり、国生さゆりがバレーボールでクエッションを描いたりする。そして実写バレーボールドラマといえば「サインはV」なのでX攻撃が披露されるのだった。しかし、テレ朝としては実写版「アタックNo.1」もかかせないため、メンバーの中に「こずえ」がいたりするのだった。

今回は「まぎらわしい事件」なのだが、死者は二人。国生の弟とそのヨメ(宮地真緒)である。ヨメは「まんてん」だが、「アタックNo.1」にも出ている。フシテレビのビジュアルクイーン(2001)なのだが、国生はおニャン子で「バレンタイン・キッス」の人である。フジ色が強いのは演出家が元フジだからか。

ヨメはコーチ(加勢大周)と19世紀のフランス文学の主題である「愛人関係」となり、それが事件の真相にかかわってくる。つまり、他にすることがなかったからだ。

今回、霧山は三日月と二人での捜査にあたり、コートのポケットに手をつっこませたり、パンと竹輪を用意したり、ダブルベッドでもつれあったり、踏みつけV字プレーをしたり、コートを貸したり、三日月くんの食欲にうんざりしたり、ゆびでっぽうでバキュンしたり、心配して安心して平常心になったりとラブラブである。今回は二人の仲が一段と深まった模様・・・どこがじゃ。・・・とツッコむ人は本当の愛を知らない・・・と思う。

まぎらわしいのであるが、十文字が何かをしそこなうと真加出くんが黒板の正を訂正するらしい。ちなみに団子のタレをこぼすとファイルが開かなくなると大変だし、顔にハエがとまったらすごいイヤだ。

男だか女だか分からない駐在さんは高泉淳子(遊機械オフィス)であり、ポンキッキーズの山田のぼるでお馴染みである。またCXかっ。当時から男か女かわからないって女だけどな。こういうのがキライな人はキライだな。キッドは・・・ヒミツ。・・・なぜ?

ナレーションの由紀さおりがスナック「鳩時計」のママとしてゲスト出演。「夜明けのスキャット」の人なので「スキャットはルルル」である。ルールルルルーである。ルームライトがぼんやり~あなたの横顔をてらすのはもちろん不倫していると思う。

フランスパンやらエッフェル塔のある妙にフランスびいきの村で国生さゆりとその弟はイタリヤびいきで一本槍な性格だったらしい。ま、フランス軍もイタリヤ軍も弱さには定評があるけどな。猪突猛進はドイツこそ相応しいと思うのだがエーベルバッハ。

久しぶりに一緒に食事をする二人。「いのししってトリ肉みたい」「どっちかっていうとブタ肉みたいじゃない」こういう時の二人って本当にラブラブだよなーっ。

元・陸上部の国生は素早く走るのだった。宮地はまだまだスレンダーでジャージもブルマもお似合いだった。

覗き屋(池田鉄洋)、猟友会(横山あきお)の「ヒミツの花園」コンビも登場。ますますCXである。「前にもあった云々」は脚本的にミスだと思うが目をつぶる。ちなみに付近を捜索してはずれた猟銃の弾丸が発見されれば、線条痕から発射された弾丸が特定され、第四の銃の可能性がたちまち浮上するのだが、まあ、初動捜査がおおまかだったのであろう。

こうして「誰にもいいませんよカードH」Hは本気のHらしい・・・が手渡され、事件は大団円を迎える。国生さゆりが「肝心なことをいうとき」にみんなに背を向けると「ふりむけば誰もいない」のギャグ×2があり、最後は背を向けて体育館座りをする。すると最後まで聞いてもらえる。というのは深く考えるとかなりのフェティッシュである。

心の声が口に出る三日月と熊本。二人は「シュン」なのであるが、その熊本と真加出はアップップクーをする。つまり、熊本をはさんで三日月と真加出の恋のライバルの火花が散っているのである・・・このままでいくと来週は大変なことになりそうだな・・・と妄想予告。

関連するキッドのブログ『第六話のレビュー

日曜日に見る予定のテレビ『ドキュメント'07不審船を追え!国境の海を守る男たち』(日本テレビ)

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2007年5月25日 (金)

なぜ、いじめから目をそらすのですか?(菅野美穂)

珠子(菅野)は苦しい。弁護士であるほどの知力。過去を再現する想像力が自らの過ちを想起させる。全体像が見えてくるほど自分の犯した罪の重さに震えるのである。そうでありながら、珠子は立ち向かう。ヒロインとしての強さと言ってしまえばそれまでだが。

本当の悪人も本当の善人もいない世界で正義は成立するのか。ドラマの主題はこれでいいのかな。凶悪な犯罪者が偽善的な弁護団に守られ被害者遺族を苦しめる現実の裁判の裏でフィクションはギリギリフタケタを死守しながらひっそりと花を咲かせ始めている。

「私に水を・・・私に水を」とささやく花はすでに枯れているのだが。

珠子の決意の裏に幾度かの変転があっただろう。明日香(志田未来=小野花梨)の父親がただの裏切り者ではないと知った時。明日香がいじめられていた可能性を知った時。明日香の死を知った時。

見ていなかった事実を知る度にそれ以前の自分の行動が彼女の魂を鞭打つのだ。たいやきを持って面会に来た明日香を拒絶した自分。明日香に「あなたと私は無関係」と断言した自分。幼い明日香を義理の母としての義務を放棄して「施設」に捨てた自分。頼るもののない前夫の前妻との娘・明日香の作文を破り捨てた自分。

まだそういう描写はないと思うのだが今回も「感謝の言葉」がキーワードに使用されていたので透明人間・朋美の話した「お腹を刺されてサンキューというアラブ人」の挿話と捨てられる明日香(小野)の別れのセリフ「たまこさん、ありがとう」はすでに珠子の中ではリンクされているのかもしれない。

捨てられる明日香は本当は「捨てないで、助けて」と言いたかったのかもしれない。口から出たのはそういう意味の「ありがとう」だったのかもしれない。もはや、明日香の命そのものが珠子の胸に突き刺さっている。しびれるような痛烈さである。

今回は「盗まれた教科書」のために「親なしの子供」が「親の思い出の品」を質入れする話。珠子は心で問うだろう。生前の明日香(志田)が自分に会いにきたのは「たまこさん、私、いじめられているの、どうすればいい?」と相談するため? それとも「教科書を買うためにお金を貸してください」と頼みに来たの? それとも「教科書を買ったらお金があまった」のでタイヤキをおごってくれるつもりだったの? それとも、それとも・・・うわあ、涙がとまらないんですけど。

この罪の意識から逃れる方法はただ一つ。明日香のために戦うのだ。それが珠子に残された唯一の救いの道なのだった。

一方、加地は逃げた。いじめを見逃した自分に罪がある。いじめという犯罪を犯した他人を追及するならともかく、自分に罪があるなんて認めることは耐えられないから。それなら「いじめなんてなかった」方がいいに決まっている。とりあえず誰も傷つかなくてすむ。自分のためじゃなくてみんなのためにその方がいい。もちろん、みんなの中から明日香は除外されるが、しょうがないじゃないか。明日香はもうどこにもいないんだから。ボクは悪くない。ボクは悪くない。ボクは悪くなんかないんだよおおおおおお。

で、『わたしたちの教科書・第七話』(日本テレビ・070524PM10~)脚本・坂元裕二、演出・河毛俊作を見た。演出家は「沙粧妙子・最後の事件」(1995)「きらきらひかる」(1998)「タブロイド」(1998)など「かくされた真相」を鮮やかに隠しておくドラマを演出したベテラン。今回、かなり、事件の人物関係図を整理しつつ、核心はかなり隠蔽したと思う。さすがだな。なかなか視聴率はあがらないのだが、この水準でいけば視聴率は尻上がりになると予想。いや、そうであって欲しいと願う。だって面白いんだもの。

これまで意図的に隠されていた「証拠」が次々に現れる。「明日香の元・担任教師」「担任教師の日誌(改ざん前)」「明日香が金を借用した質屋の質札」などである。

辿り着き方も少しやりすぎなほど技巧的である。賄賂がらみで謹慎中の体育教師・戸板(大倉孝二)は金欲しさに珠子に虚偽の密告を行う。「元・担任の三澤(市川実和子)が明日香を殺した」と言う。その情報の矛盾点をたちまち喝破する珠子。そこで戸板は「所在不明の三澤を捜し出したらいくらくれるのか?」と珠子に持ちかける。

ちょっとした調査能力があれば三澤を探し出すのは難題ではないはずだが、所属事務所を解雇された珠子はいつもの探偵を使う手口が封じられているのだろう。また、職場の同僚というものは特殊な情報ルートを持つものだ。孤立無援の珠子に拒否する謂れはない。

一方、正式な依頼人として学校側と面談した瀬里(谷原章介)は副校長・雨木(風吹ジュン)に守秘義務を掲げて真相を問う。その内容は隠されるが瀬里は「こちらが勝訴すると確信した」と同僚弁護士に嘯くのである。

学校では加地がつかのまの平穏に身をひたす。悪い人だと思っていた副校長はとってもいい人で自分を信頼してくれ、厳しいと思った先輩の美人・巨乳教師(真木よう子)はなんだか優しい、嫌われていると思った生徒にはどうやら慕われているようだ。ボクは今、教師としてシアワセになったみたい。ポー(鈴木かすみ)って子はちょっと苦手だけど。いざとなったら逃げちゃえばいいしな。ああ、逃げちゃうって素敵なことだなあ。もちろん、自分が卑怯な逃亡者だとはこれっぽっちも自覚はないのです。

けして善人とはいえない体育教師が連れてきた新たなる証人は信頼できるとは断言できかねるチョーハッピーで玉の輿セレブな妊婦(市川・最高の演技を披露)だった。「教え子が死んだ」と聞かされて「聞こえないフリをする」玉の輿。ここで突然キレる体育教師。「教え子が死んだってのにケーキがどうとか・・・なんだよ、それっ」である。しかし、体育教師にはどうやら良心が生き延びていたらしい。「それも・・・違うか。自分が惨めなんであいつをねたんだだけ。オレは子供の養育費も滞るダメ教師だから・・・な」

体育教師の謝罪と恫喝により、おバカに見えてそれなりに真摯な教師だったらしい元・担任から珠子は「明日香が消臭剤を置かれたこと。体操着を盗まれたこと。菊の花を机に飾られたこと。トイレで水をかけられたこと。教科書を盗まれたこと。二組目の教科書を汚されたこと。盗んだ教科書を燃やした兼良(冨浦智嗣)がいじめの首謀者らしいこと。それらのいじめの事実を副校長が握りつぶしたこと。日誌が改ざんされたこと」という数々の新事実をつかむ。・・・長い道のりだったなぁ。謝礼を拒否した体育教師に「ありがとう」と言う珠子。つかのまの善意に満ちた体育教師は乙女のように恥じらう。

「私はくさいから」という明日香(志田)の言葉にまたもや胸を突き刺される珠子。

さらに明日香が暮らしていた施設に足を運んだ珠子は施設員(高田聖子)遺品として質札を手渡される。なぜ今頃なのか一言説明してもらいたかったが、全体から考えて目をつぶることにする。

そして「父親の思い出の壊れた時計」で違法と知りつつ未成年者に「一万円」貸した質屋を発見。その温情さえもが仇である可能性もあるのだが、珠子の心には「ふみつけられふみつけられつつ必死に自力で咲こうとする明日香の質屋での行動」が浮かびいたたまれない思いに満たされるのである。

飼い犬(伊藤淳史)とビッチの間には愛が芽生えつつあるようだ。

怒りに燃えて学校へ乗り込む珠子。その手には一輪の菊が握られている。

兼良に接触。しかし、飼い犬がそれを阻止するために吠えかかる。「だめだワン。学校はボクの宝物なんだワン。ワンワンワン」なのだった。そこへご主人様・雨木登場。「お話をうかがいましょう」なのである。珠子は生きながら人として死んだイヌのために手向けの花を胸ポッケットに挿してあげました。

かっこいい菅野全開モードに突入。

対決の場に屋上を選ぶ雨木。「どうして目を閉じてるの」

まだまだ謎めいた雨木の心に去来するのは罪を犯したわが子の言動である。雨木が単なる保身の権化ではなくさらに心の闇を抱えている暗示。

「私は学校を訴えます」と宣戦布告にふみきる珠子。その訴状の内容が淡々と語られる。

度重なるいじめ行為の羅列。そして・・・自殺の2日前に加地に手渡されたロッカーの鍵。汚された父親の時計で購われた教科書の発見。そしていじめの隠蔽。

「教員には生徒の安全に対して配慮する義務があり・・・これを怠ったことは明白である」

弁護士・積木珠子なのである。その心中は善悪が暴風雨となって吹き荒れているのだ。

謎のフライングエレファント。「私は神」の数学教師(水嶋ヒロ)もまだまだ妖しいが、公園でピクニックする雌雄のイヌたちはさておき、花壇に水をやりつつ明日香の落下した窓を見上げる国語教師(佐藤二郎)も鍵を握るのか。もしや、意表をつくなら英語教師(酒井若菜)という手も・・・。それって希望だろう。

関連するキッドのブログ『第六話のレビュー

土曜日に見る予定のテレビ『ライアーゲーム』(フジテレビ)

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★★★シャブリ様のわたしたちの教科書★★★

凝り性のシャブリ様が職員会議室の座席票をお作りになったのでリンクさせてもらいます。

わたしたちの教科書 席順(先生の座席票)

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2007年5月24日 (木)

結果オーライじゃ悪かとですか・・・。(松本潤)

店を見てみろよ。アベックばかりだぜ。いい服着てここに来たんだろう。従業員は着たきりスズメ。制服だからだけどな。閉店時間が決まってるんで残業はあまりないよ。仕込みとかに凝れば別だけどね。出張パーティーとかでさらに稼ごうとか渡る世間のようなお店じゃないしな。昔はあなたの知らない世界みたいなお店だったと思うね。選ばれた人しか来れないみたいな。ま、イタ飯なんて言葉がなかった頃、イタリア料理なんてナポリタンとミートソースとピザぐらいしか知らないのが普通だったしな。

今は普通の人ならイタ飯ぐらい食べるものな。そういう店の下働きが客としてその店に来るのが夢のまた夢の時代ではないもんな。そういうのってオレの目から見たらパレードさ。今の時代はパレードさ。みんな、きれいに見えるものね。お金がまわってまわってしょうがないんだろうな。だけど、こんな時代にだってひがんでるやつはいるんだろうな。高級車で店に乗り付けて、毎晩、イタ飯食べるマチルダさんなんか見たら、それだけでムカつくやつがさ。

そういうヤツってたまに無理して贅沢もできないほど底辺なんだろうな。フトコロ具合を気にするどころか、フトコロが何なのかも知らなかったりして。心から楽しむなんて生れてから一度もなかったりして。人を憎むことしか頭になくて貧乏なのに睡眠薬とかスタンガンを買ったりしてな。仕事のことなんかこれっぽっちも気にならないのだな。ま、そういう救いようのないヤツにくらべたら、バンビはまともだよな。仕事場で仕事仲間に気をつかう。仕事仲間に迷惑をかけるのは嫌なのさ。だって居心地悪いものな。馬鹿にされたくないから。だから一番、大切なことが分からない。自分よりお客様が大切だっていうことを。だってお金をくれるんだからさ。何かをあげなきゃならないのさ。せめて見せ掛けだけでもいいからさ。店はパレードさ。店はパレードさ。だけどバンビはサービスしないから北村一輝に初めて叱られた・・・。そしたら誰も誘いに来ない。

で、『バンビ~ノ・第六話』(日本テレビ・070523PM10~)原作・せきやてつじ、脚本・岡田惠和、演出・佐久間紀佳を見た。サービスする心を教えるのは難しい。なにしろ、人間はまずサービスを受けてしまうからな。抱っこされて、ミルクもらって、紙おむつ替えてもらって、あやしてもらって、高い高いしてもらって、おんぶしてもらって・・・なぜ、そんなにサービスしてもらえるかっていうと・・・まあ、愛があるからなんだろう。与那嶺(北村)が言う「愛」ってそういうことなんだが、与那嶺の妖しい瞳で見つめられたら違う種類の愛かもしれない・・・って思う人もいるかもしれません。

でも、それ以前に「お客」が喜んで帰ったんだからそれでいいじゃんって思う人が結構いる時代になったと思う。いい時代だ。だから・・・赤ちゃんをバイクのヘルメット・ケースに詰め込んだり、病院の植え込みに放置したり、山の中に埋めたりしても仕方ないのだろう。でも、それって愛のないことですからーっ。

しかし、いきなり奉仕の精神を教え込もうとしても無理なのです。自己満足でボランティアするなっていっても無理だしね。

基本は幼い頃から「サービス」させること。そこでサービスする快感を覚えさせること。これは親の責任なのですが、なかなかねえ。サービス精神を仕込むのは難しいことなのですねぇ。サーカスの子供なら「客に受ける」のはいいことだって体に叩き込むことができるんですけど。

サーカスの子供でない上に九州男児のバンビにとってサービスされるのが当たり前で他人にサービスするなんて想像したこともないことです。驚きなのです。

そこに立ちはだかる常連客・野上(戸田恵子)。先週、やる気のなかったバンビをチェンジして絶望の淵に追いやったのですが、今回は本格的にバンビの調教を開始します。なぜ、そんなサービスをするのかは謎ですが、まあ、客がお店を育てるのは基本ですからね。だって愛なんですから。

そのあたりは阿吽の呼吸らしい与那嶺と野上。バンビの成長を見守りながらアメとムチをふるってまいります。全編、調教モードです。またもバンビをチェンジした野上。しかし、与那嶺には「ちょっときつかったかしら」と店外で調教の打ち合わせ。与那嶺は「いえいえ、お客様がご意見してくださるのはありがたいこと。黙って捨てられるのが一番つらいですから」とパパとママの会話である。

今回、給仕技術の未熟さに躓くバンビ。自分の足にも躓く始末。つ、つかえねー。でも、しょうがないのです。赤ちゃん人間ですから。バブバブバンビです。アドバイザーあすか(香里奈)がいつものアドバイス。「特訓だよ。稽古だよ。反復練習なのだよー」・・・バンビ、そろそろ、それくらい自分で思いつけ。

特訓の甲斐あってお皿ガチャガチャは卒業したかに見えたバンビ。そこでマチルダ野上は第二段階へ。「少年、さあ、火の輪をくぐってごらん」ではなくて「料理について能書きたれてみなさい」です。

バンビは言葉につまってしまうのですが、コックモードになり「この料理はものすごーく、美味しいです。レシピは・・・(中略)・・・なのです」と長々と作り方を紹介。「長いよ」と怒り出すかと思った客は「美味しそう」と食欲を誘われた模様。バンビは初めて野上に名前を尋ねてもらい、「自分」が認められたと大はしゃぎ。

しかし、みるみる険しいモードに入る与那嶺。ここだ。ここが勝負どころなのだとサービスのプロとしてバンビの勘違いを見逃しません。幸運は長続きしないのがセオリーだからです。

「それは愛じゃないだろう」とサービス精神のかけらもないサービスです。ま、恥かしがりやさんですから。もちろん、バンビが理解できるはずもありません。

ついにツンデレ香取登場。「厨房は客においしい料理を作る、ホールは客においしく食わせる。それだけだろっ」・・・空振りです。だから、バンビにそんな難しいこと言っても無理なんだってばあー。アバアババーッて言ってやんないと。

思い悩むバンビ。思い出すのは恵理の働くキッチン姿・・・えーっ、違うだろう。違うことをいろいろ思い出すだろう。・・・という人はバンビの純粋さが分かっていません。アーリオ(にんにく)・オーリオ(オリーブオイル)・ペペロンチーノ(唐辛子)一筋なんですからーっ。それはそれで臭くて、ぬるぬるして、ピリリと舌を刺す刺激なのですけれどーっ。・・・失礼。

サンマルツァーノ・シェフ(山本圭)「恵理ちゃん、オレの料理はないがしろって、ハハハ・・・バンビめっ」

バッカナーレ・シェフ(市村正親)「バンビになりたいなーっ」

次週はお約束の料理勝負展開なのか? バンビは愛を知ることができますか?

関連するキッドのブログ『第五話のレビュー

金曜日に見る予定のテレビ『帰ってきた時効警察』(テレビ朝日)

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2007年5月23日 (水)

テロには屈しないという意味が分からないものなのっ。(松山ケンイチ)

ミステリーである。世間に背を向けてまでこのドラマを愛していた人々は防弾チョッキの隙間からもぐりこんだ銃弾で致命傷をおったり、ペッパーステーキで食事をしていたら強姦されたり、プチ家出していたら覚醒剤を打たれて心臓が止まりそうになったり、息子に刺されて首を切断されたり、家の前で腹部を刺されたり、一人っ子政策で暴動が起きたりするような気分になっただろう。

「あんな女やめとけよ」って言われたのに花束を買って、いそいそと出かけたら、女は置手紙一枚残さず、男と出奔してましたっていうか。

ま、今回は基本的にすべて妄想であることをお断りしておきたい・・・いつもそうだろっ。

先週、「パッチギ!」がギリギリフタケタの視聴率でオンエアされた局である。名曲「イムジン河」をラジオで放送するかどうか、現場のディレクターと管理職の上司の意見が割れ、反対する上司を腕力でねじふせて、なぐる、ける、チョーパン食らわしたあげくに「この世にオンエアできない楽曲なんてあっちゃいけないんだよっ」的な言葉が空にとけてったぁぁぁぁなのである。

当然、この日も番組のプロデューサーとP氏とディレクターD氏の間では壮絶な暴力の応酬があったのだろう。

P「だから、オンエアできないものはできないんだよ」

D「なんでやねん」

P「事件が起きたんだよ。もう、いろんな事件がね」

D「事件なんて毎日おこってますがな」

P「だからまずいんだよ。たてこもりとかレストランとかもろもろな」

D「でも二話だってたてこもって強盗で人質で遺体損壊風で逃亡ですねん」

P「いいんだよ。最後、唯一、犯人、自首してるんだから」

D「納得いかんわっ。12.5↘*8,7↘*6.9↗*7.0↘*6.9↗*7.8%から逃れたいだけやろがっ」

PにつかみかかるD。腹に蹴りをいれ、耳の穴から指つっこんで奥歯ガタガタいわせる。オンエアテープを確保。

血まみれになりつつケータイを取り出すP。

P「SAT出動願います。CXじゃなくてNTVですけど・・・」

そして、「第二話」は再放送された。視聴率*6.0%である。ええーっ。「生徒諸君」の最低回より高いのかいっ。

スポンサーはSoftBankに大塚製薬に永谷園にチョーヤ梅酒にピアノの森に日清食品か。スポットでセキスイハイム、Kanebo、NISSAN、Bioreが入っている。この中で一番グレイなのは焼肉と飲みたいスー・・・考えすぎだな。

で、『セクシーボイス アンド ロボ・第二話(再放送)』(日本テレビ070522PM10~)を見た。「第七話」脚本・山岡真介、演出・狩山俊輔を差し替えた放送である。第七話はニコの姉のバイトするレストランでナイフを持った男(モロ師岡)が人質をとってたてこもる話であったらしい。日の目を見ないと何がどうまずかったかは不明だが、日本の表現の自由がちっとも自由でないことを確認するためにはいい事例だったと思う。

モロは女を待っていた。復縁脅迫もかぶったのか?

悲しい秘密があった。変な宗教に入っていたか?

ステーキが天井に刺さった。そして、落ちたとか。それ、先週だろう。

どうやら、相手はメル友。するとごぼ蔵とリンクしているのだな。原作の呪いか。

男は謎のカバンを持っていた。金が入っているなら問題ないだろう。

・・・賭場の金か。元・ヤクザの資金源持ち出しがらみか。

・・・警察がとことん無能に描かれているのか。

たてこもりに気がつかないとか・・・気がついて見て見ぬフリするとか。

犯人に共感した人質が最後は犯人を拍手で送り出すとか・・・。

ああ、妄想だけならとんでもないことに。ま、倫理観についてある意味過激に見えて実は安易なだけだった番組作りがついに馬脚を現したか・・・。

まあ、キッドはいろいろな意味でキッドなので局の人と衝突することは多々あったのだが、基本的には病的な腰抜けがいるとこういう問題は起こりやすいことを記しておく。かわいそうな七話に黙祷。

関連するキッドのブログ『第二話のレビュー』『第六話のレビュー

原作的にはこの回(第二話)は美容師のお兄さんにニコがほのかに恋心を抱く回。美容師の態度ひとつとっても原作レイプそのものである。もちろん、原作者も了解しているので実際は和姦っていうか、原作・ドラマはいい感じ~であるが。作品が商品である以上、読者がレイプと感じたならそれはレイプなのだとも思います。

読売新聞(2007年5月23日29面14版)では「セクシーボイスアンドロボ差し替え」と題して第七話の放送を「実在する事件を想起させる場面を含んでいる」として日本テレビはホームページで発表し、再放送に差し替えたと伝え、愛知県長久手町の籠城・発砲事件を想像させるためとみられる。第七話の放送は未定と結んでいる。

ミステリーでございましょう?

ま、案外、視聴率低迷のあおりを受けて編集作業が難航し、実際納品が間に合わなかったという可能性もありますけど・・・。フィクションと現実というフィクションの敵対関係はいたるところにあるということです。ファミリーネームが林だったりとか。

あるいは頭の悪いヤツはどこにでもいるって言うか。

エコエコアザラク・・・エコエコザメラク・・・。

木曜日に見る予定のテレビ『私たちの教科書』(日本テレビ)

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記事タイトル: セクシーボイスアンドロボ第7話、放映差し替え…
ブログ名:     特撮警備隊3バるカんベース

記事タイトル: 《セクシーボイスアンドロボ》の時間なのですが
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記事タイトル: 「セクシーボイスアンドロボ」第7話はいずこ…
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記事タイトル: セクシーボイスアンドロボ 【第7話】 ※放送自粛
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記事タイトル: セクシーボイスアンドロボ 幻の第7話
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2007年5月22日 (火)

過去の自分が頼りにならないことは充分に分かりました。どんだけを言い忘れるほどに。(山下智久)

たどりついたらとりあえず「好きだーっ」って言っちゃいなよ。と国民が嘆く月曜の夜。ま、それはいろいろな意味でできません。ただし、そういうストレートな作戦に出てもダメだという展開を見せることも大切なんですけどね。あくまで「ウジウジ」健(山P)にこだわるならそれはそれで・・・。

今回は「賢者の贈り物」(オー・ヘンリー)のヴァリエーション。しかも、「すれちがい」です。ある意味、今までのプラスをすべて吐き出したと思えるほどのマイナスを健はかぶった模様。本来の過去では礼(長澤まさみ)の「ラブレター」はやはり同じ運命をたどったのかどうか・・・。そこは謎ですよね。あの時間に写真を撮ったのが「正史」通りなら、「風邪をひかなかった健」は「合コンに出かけていて留守」・・・ということは「誕生会」と「合コン」をダブルブッキングしていた「過去の健」は「コンペの話で誕生会が流れてラッキー」だったのかもしれません。・・・何、やっとんのじゃ。それにしてもいつもの5人組の他に友達いたのか? それともあれはエリ(榮倉奈々)たちの「お見舞いのメッセージのつもりの軽いジョーク」だったのかも・・・。幹雄(平岡祐太)や尚(濱田岳)の声だったような。でも、それなら礼に分かるだろうし・・・。謎だ。

礼の手紙についてはテンメイ様がこだわりの記事を書かれているので・・・コチラへ。

多田(藤木直人)は誠実にも見えるし、着々と得点を重ねているようにも・・・。

本題に入る前に恒例の視聴率チェック。「生徒諸君」↗*7.4%(なんか、すごくあげた気がするが孤独の賭けとの最下位勝負になるのかな)、「特急田中」↗*9.4%(・・・おやおや?)、「パッチギ!」10.7%(なるほどっ。これか・・・結局、在日の特殊な人生に世間は興味がないということだな、沢尻エリカの魅力をもってしても・・・)、「帰・時効警察」↗13.5%(あげたーっ。熊本の高校生モードが2%も持っているとは・・・違うと思うぞ)、「喰いタン2」↘13.1%(カレー↘たこ焼きだからな)、「博士の愛した数式」14.9%、「ウソゲ」↗11.4%(そりゃもうさがるわけないじゃあん)、「風林火山」↗20.0%(ううん、いよいよ白熱してきたかからなぁ)、「冗談じゃない」↘11.7%(そりゃそうだろう。もっとさがってもおかしくない。上野・・・かわいそうに)・・・以上。ついでに「プロポーズ大作戦」は↗17.4%で春ドラマ首位独走中。なにしろ、15%以上がこれ一本だから、すごいよ。なにげに二着が「バンビ~ノ」に入れ替り。初期の貯金で「冗談」がどこまで逃げるかだよな。「喰いタン2」がくればベスト3がジャニーズか・・・微妙。「夫婦道」ならCX→NTV→TBSで順当なのだが。

で、『プロポーズ大作戦・第六話』(フジテレビ070521PM9~)脚本・金子茂樹、演出・成田岳を見た。写真の中に飾られた写真に映っていればタイムスリップできるという妖精(三上博史)がさらに自分ルールを広げる。

すでに大学2年となった健と礼。タイムリミットというか現代が刻一刻と近付いている。健はいきなり、幹雄と優子(原史奈)の痴話げんかに巻き込まれ、水もしたたり風邪をひくのである。奈良沙緒里と「鉄甲機ミカヅキ」(2000)に出ていたころから暗さを伴ったセクシーをふりまく原史奈。・・・コント要員なのか・・・。メリーゴーランドである。

とりあえず、半端でなくダメ男だったらしい過去の健。まあ、現在の健からすると締め切り直前と締め切り一週間前ぐらいの差しかないのかもしれない。携帯電話も止められ、サイフは空っぽ。誕生日だというのにプレゼント代もない。それなのに合コンの約束って。やはり、幹雄頼みだったのか。とりあえず「ソクラテス」は「ビスマルク」に宗旨替えしたらしい。哲学から政治学に発展したのか、それとも単なる名言好きなのか。ゲルグーグといい、伏線なのか、お遊びなのか、判然としないよな。ま、いいけど。

「明日締め切りのコンペ」に礼が応募することになり、多田と二人きりに。「正史」では礼はコンペに最年少で入選する。同時に多田との交際のきっかけになるのだ。健は「彼女の夢の実現を邪魔できない」といきなりの「いい人モード」である。健は「反省」と言う言葉を知らない男なのだ。そして、「礼の二十歳のバースデープレゼント」を買うために風邪を押してアルバイトをする。しかし、ついにダウン。その「熱意」を幹雄が電話で彼女に知らせる。

多田と話し合い「答えがあるのかどうか分からない問題でもとりあえずやってみるしかない」とアドバイスされた礼は、コンペ応募作業を停止して健の部屋へ向かう。

礼は中学三年の時に渡せなかったラブレターを今も手帳に忍ばせているのだ。五年・・・ぐらい? どんだけ、チャンスがなかったんだ。風邪薬を買いアパートの前で、ドアに向かって告白の練習をする礼。まあ、あんたみたいに美人だったら告白すればいいじゃん。と容姿に自信のない人が不良仲間にあることないことふきこんで惨事が勃発しそうな場面だが、美醜に関わらず、コクれない人はコクれないのだ。

しかし、健はおめでとうを言うために「コンペの郵送窓口」で待ち伏せしていた。

そして二人はすれ違い、礼の二十歳の写真は心霊写真になっていたのである。

あの後、何にもないわけないだろうと思う人もいるかもしれないが、意識を取り戻した過去の健はダッシュで「間に合わないと知りつつ」合コン会場にむかったのである。

さて、妖精は健にプレゼントを与えているのだが・・・過去のやりなおしなんて豪勢じゃないか。なぜ、そんなことをするのだろう。今回は「神」の問題を考えてみる。キッドが「神も仏もいない」と断定したのは小学生の頃だと思うが、断定といっても半信半疑に毛の生えたようなものだ。いまだに「神の不在」を証明できたわけではないし、時には「神」に祈ったりもする。もちろん、キリストやムハンマドやヤーベのような神や、アマテラスやゼウスのような神、そういう様々な神はフィクションであると断定できる。それでも「神」そのものの不在は証明できないところが、この問題のすごいところである。これに似たものは「愛」と「死」ぐらいなものだろう。

さて、「神」があったとして、その神は時に残酷であるように見える。たとえば、礼と健は視聴者的にはどう見ても「相思相愛」なのだが、今回のように二人をすれ違わせる。「愛し合っている者を引き離す」なんてむごいのではありませんか。と誰しもが思うだろう。老い、病、さらには死・・・そういう不幸な出来事が人にたやすく、神の不在を感じさせる。たとえば、容姿や、身長に恵まれないものはそれだけで神を呪う資格があるかのようだ。エリが腰掛けると身長がならぶ岳は何度、神を呪ったことか、想像もつかない。

もちろん、それが人を強くすることもあるだろう。ヒットラーがチビでなかったらあれほどのスーパースターにはならなかったかもしれないのである。

さて、そこで妖精の登場である。妖精はいわば、「神」的な存在である。もちろん、一神教では神は唯一の存在なので、「神であって神であらず」あるいは「邪神」という存在となる。キリスト教で言えば悪魔だ。中世ヨーロッパの魔女裁判から、神の名を借りて己の性欲を満たす韓国牧師まで、キリスト教徒がどれほど悪魔めいているかはさておき、神自身が残酷で非道であることは間違いないと悪魔は思う。そこである。つまり、妖精にとって神の定めた歴史に反逆することは快感なのである。

そして人間はこうした神々の争いの狭間で思わぬ幸運に恵まれることがあるのだな。もちろん、それが本当に幸運であるかどうかは不明なのですが。

今回のテキストはコミック「あぶない丘の家」(1992-94萩尾望都)である。長編「残酷な神が支配する」(1992-2001)の合間に書かれた連作中篇で、基本的にはファンタジーなのだが、後半の二編はタイムトラベルものになっている。主人公の少年・平羅坂真比古は怪しい宇宙人に兄と名乗られて同居している上に、妖怪の類に出会いやすい。ある意味彼自身も超能力者なのである。中篇「あぶない壇ノ浦」では「源平合戦」にふと興味をもったことからタイムスリップしてしまい、源義経と源頼朝に出会ってしまう。彼は源氏の二人の兄弟がやがて悲劇の結末を迎えるとは知らず、両方と友人になってしまうのである。

義経と頼朝が初めて兄弟の名乗りをあげる場面では感激して、一緒に涙を流し、義経が平家討伐の兵をあげる場面ではその武者ぶりに感動する真比古。やがて、軍人としての義経、政治家としての頼朝の間に亀裂が生じる。なんとか、二人の衝突をさけたいと願う真比古。そして・・・結末は秘密にしておく。

さらに「あぶない未来少年」では未来からの時間旅行者との遭遇が綴られる。基本的には映画「ターミネーター」のパロディー要素が強い。未来では人類は滅亡の危機に瀕していて、それを回避する方法がないものかどうか、未来少年は探りにきたのだが、実はそれはもう少し深い意味があった。どんな意味かは秘密にしておく。

お分かりのように前者は「過去への介入」、後者は「未来からの介入」がテーマになっている。なにしろ、当時、作者は究極の「神否定」コミック「残酷な・・・」を展開中だったのである。こちらの作品では「神」=「時」はほんのり甘く味付けされている。結論から言えば「過去」は過ぎ去ったことによって意味をみつけることができ、「未来」には未だ至らざるゆえの希望があるということが核心だ。ようするに「過去を変えようとするのは愚かなことだし、未来を変えようとしないことも賢いとは言えない」という着地点なのである。

ごもっともな話である。まあ、別にもっともでなくてもよいのだが、「プロポーズ大作戦」もせめてこのあたりの水準に達して欲しいのだなあ。

関連するキッドのブログ『第五話のレビュー

水曜日に見る予定のテレビ『バンビ~ノ』(日本テレビ)

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Hcinhawaii0166 P祭り開催中なのでPごっこレポートをお届けします。アンナ☆ラン「妖精さん、二人が要望があるそうです」お気楽「また、いきなり予告編なのね」まこ☆ミキ「ツーショットでお願いなのデス」みのむし「ダブルでよろしくなのです」お気楽「もう、贅沢なんだから~」

Hcinhawaii0167 お気楽「はれるやー・・・」まこ☆ミキ「納得のはうぅぅぅぅんなのデス」

Hcinhawaii0168 お気楽「ちゃーんす・・・」みのむし「これでいいのです。フジッキーは一人に一人の割り当てが正しいのですよーっ。健はちょっぴりかわいそうですが、もうこれでゴールでいいですよねー」

Hcinhawaii0169 アンナ☆ラン「今度はトリオの皆さんがおねだりですよー」sds(あず)「私の喫茶店が完全に改装されてしまった・・・ま、いいか」お気楽「終ったら現状復帰しますから」かりん☆スー「中学でー」ぷっち☆翠「ラブレターをー」mari「渡したいんですよー」

お気楽「ハレルヤチャンス!」

Hcinhawaii0170 三人「Pちゃんが・・・山Pが・・・Pちゃまが来ないのです」

Newimage1ppp01 「健を捜せ! ラブレター大作戦」クリックしてね。

Newimage1ppp02 一発で見つけてもOKですけど。

Newimage1ppp03 ハッピーにナレルヤ?

Hcinhawaii0171 妖精「いかがですか、空の散歩は。一応、ピーターパンコースです」

ミマム「まるで空を飛んでるみたい・・・ってマジで飛んでるっしょーっ」

操作ミスでつれづれなる・・・日記?のTBを削除してしまいました。

自家製リンクでお許しください。

記事タイトル: 『プロポーズ大作戦』 第6話 「10代最終日何を卒業しますか」メモ
ブログ名:     つれづれなる・・・日記?

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2007年5月21日 (月)

風雲急を告げ・・・ついに軍師になっちゃいました。(内野聖陽)

・・・まずい。日曜日に男性タイトルだと、この後、山P→松ケン→松潤のローテーションなので四日連続で男性タイトルになってしまう。なんだか、男が好きみたいではないか。・・・おかしいではないか。本来、たまにしかないはずの男性タイトル的ブログなのに・・・。もうこうなったら、まさみ→大後→香里奈にローテーションを変更するか・・・いや、かりん☆スーお嬢様の手前・・・そんなことできるかーっ。

しかし、まあ、今回は「軍師・山本勘助誕生」だからな・・・大目に見ることにしよう。記事あっさり目で。

どちらかといえば、チバテレビ→テレビ東京でアニメ三昧の日曜深夜なのだが・・・。ローカルなんで書きにくいんだよな。・・・最近、ちょっと気配りしている模様。・・・誰に?

で、『風林火山・第20回』(NHK総合・070520PM8~)原作・井上靖、脚本・大森寿美男、演出・磯智明を見た。あくまでフィクションだが、山本勘助の軍師デビューである。いや、もう何度もデビューしているのだが、武田のお歴々が認めた上での公式戦初登板なのであった。先週、諏訪御料人の初夜でたっぷり一回使ったのでもう、戦が待ち遠しい状態。

この戦は上原城攻略の後、諏訪一帯に甲斐からの侵略軍である武田が勢力を拡げるにあたり、北の旧勢力の仕置き的意味と北信濃侵攻への前哨戦の意味を持っている。これから武田は抵抗する勢力を一つずつつぶし、信濃統一戦を行うのである。

Shinano1543z 甲斐より信濃への前進基地である上原城から北上し、大井氏の勢力範囲である小県郡を仕切りなおすための長窪城攻略戦である。

戦の経過についてはいつも素晴らしいイラストを描いてくださるikasama4様の記事を参照してください。→コチラでございます。

こうして諏訪郡、小県郡を勢力下に置いた武田軍。さらに北には村上義清が控えているのです。また海野をはさんで東側は関東管領・上杉家の勢力範囲。望月城の東には志賀城があり、上杉憲政の娘婿・笠原氏の拠点となっています。笠原夫人は美女で後に小山田信有(田辺誠一)がはうぅんする予定です。その後が対村上戦・・・。ああ、板垣(千葉真一)がぁ、板垣がぁ・・・でございます。戦国、始まったのです。この頃、遠く三河では徳川家康も産声をあげたのでございます。盛り上がってまいりましたーっ。

関連するキッドのブログ『第19回のレビュー

で、この後の日曜深夜はアニメ三昧になるのだ。チバテレビにいくとPM1130~「陸上防衛隊まおちゃん」の再放送で、その後、「らき☆すた」である。全体的にパロディーの「怪物王女」(TBSテレビ)と違い、「怪物くん」のオープニング曲前のみをパロっていることに始まり、コネタなアニメであり、京都アニメーションの制作である。アニソン三昧のリクエスト傾向でもかなり熱狂的なファンをつかんでいるらしいと窺われたらしい。まあ、姑息な笑いですけどねーっ。で、「一騎当千Dragon Destiny」という三国志のファンタジー転生格闘アクションという巨乳アニメ。そして「sola」である。登場人物が日光に弱いために、外出シーンはいつも夜か、雨天曇天という、うっとおしい作品。みんな、なよなよと憎しみや悲しみに浸っているらしい。しかもコメディーではないのだ。テレビ東京ではこれにかぶって「ヒロイックエイジ」が始まる。これがなかなかに壮大なスペースオペラである。はるか未来、銀河系に進出した人類と銀の種族との大戦争勃発。黄金の種族だの、青銅の種族だのが入り乱れ、英雄の種族をとりこんだノドスが人類の希望なのであります。オープニングテーマはangelaである。今年こそは紅白に出てもらいたい。・・・無理かしら。がんばれ、アニソンバンド。

で、『瀬戸の花嫁』(テレビ東京・070521AM2~)原作・木村太彦、シリーズ構成・上江洲誠、監督・岸誠二を見た。・・・これかよっ。ま、人魚姫であるからな。一応、あたっておかないと。主人公の中学生・満潮くんが瀬戸内海で溺れるのだが、助けたのが人魚なのである。正体を知られると「死」か「結婚」かという人魚の掟により、結婚することになる二人。

実は人魚姫は瀬戸燦という女の子でもあり、正体を隠して任侠の組をやっている組長の一人娘。しかも中学生なのだった。水がかかると人魚に戻ります。

燦にはライバルがいて江戸前一家の娘・留奈であり、留奈はアイドル歌手でもあり、中学生なのだが、やはり人魚なのである。どひゃーな展開だ。

二人は学校中の人気を二分して激突。留奈がファンを闘争に駆り立てる「戦いの歌」を歌えば、燦はふつうの人を超人に変える「英雄の歌」を歌うのである。どちらも作詞は松井五郎である。まさに100%勇気な展開だな・・・。人魚の歌声は人の心をまどわす・・・このあたりローレライ風味です。

ま、とりあえず、こうして日曜の夜にキッドはもう何も考えない人になっていくのだった。とどめは岡田義徳(ユキポン)と平岩紙(ユキポンの飼い主)のショートコント「ユキポンのお仕事」である。今日のユキポンは「焼きソバ」を買うときに「あたためて」と言われたからあたためたら「しぼんだ」と文句を言われる。か、飼い主め・・・・・・・。

そんなキッドがスタッフをつとめる妄想ネットアイドルH☆Cファンクラブに久しぶりの新会員が・・・。「帰ってきた時効警察」の記事に間に合わなかったので、歓迎会の模様をこちらで報告しておきます。

Hcinhawaii0165 ドラマレビュー中心の「シャブリの気になったもの」の管理人ブロガー・シャブリ様である。配役の隅々まで丁寧にフォローすると同時に小ネタをあくなき探究心で追求する男性。またもやAB型である。この集団A型が少ないという特異な集団なのである。シャブリ様、よろしくお願いします。

火曜日に見る予定のテレビ『セクシーボイスアンドロボ』(日本テレビ)

ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。

皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン

Newimage1hcmpr11←クリックするとTVスポットCM版『H☆C THE MOVIE アイドル戦士キャンディー☆ムーン』第8弾アリマス。(裏切りの猛虎の巻・後編デス)

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2007年5月20日 (日)

約束したのに約束なんて守るわけないじゃーんと言われた。(戸田恵梨香)

直(戸田)は騙されている最中に「でも誰かは辛い目に遭うんですよね」と敗者の心配を・・・。えーん、えーん、世界がみんな直だったら戦争はなくなるのかな。みんなが幸せになれるのかな。そう。なれるかもね。でも世界に直は一人だけだから・・・そんなことになるわけないじゃああああああああああん。

とにかく、直がどんどん可愛くなっていく展開。もちろん、バカすぎるので憎らしくなる人も含めてである。バカサギコンビのうち、バカだけが参加している敗者復活戦。もうバカさ全開。バカ炸裂。もうバカバカバカ、あんたってどうしてそんなにバカなのよ~である。ま、成長しないのはフクナガ(鈴木浩介)も同じなのであるが、ドラマとしてこのくりかえしのギャグは欲しいからしょうがないよな。

しかし、遺伝子の戦いで直のようなタイプは意外としぶとく生き残るのだな。つまり弱肉強食と平和共存はセットだから食物連鎖なのである。・・・なんのこっちゃ。

ニコロボでニコが「数学なんて役に立つのかな」と言い、バンビ~ノでバンビが「厨房で働きたいのになぜホールで」と悩み、教科書で明日香が「世界は変えられますか」と叫ぶ。その答えは「ウソゲ」が示すのである。「だまされるのはだまされた人の責任。そして、復讐は各自で」ということなのだな。

もちろん、「博士が愛した数式」ほどに「数学」を愛する必要はないのです。

世界は1+1=2を理解するだけでもかなり優しくなります。それは自分プラスその他=全宇宙ということですから。

で、『ライアーゲーム・第六話』(フジテレビ・070519PM1110~)原作・甲斐谷忍、脚本・古家和尚、演出・松山博昭を見た。6=3+2+1なので6は完全数なのですが、そういうルールは面白いでしょうか。ルールを面白いと感じるのは一つの能力なのですね。

たとえば日本では人を一人殺したぐらいでは死刑にはなりません。そういうルールです。なんじゃあ、そりゃあと怒る人もいるだろうし、死刑そのものが廃止されるべきだと眉をひそめる人もいるでしょうし、それがどうしたの?と疑問を感じる人もいる。まったく何も思わない人もいるでしょう。そして、クスっと笑ってそれって面白いと感じる人もいるのです。

なぜ、面白いのか。その理由もさまざまですが、数学的には1-1=0じゃないっていうあたりが面白さのベースにあるのではないかと思います。1-1=1なので、これはボケてるってことになるわけです。ボケというのは基本的に面白いものですからね。

「お笑い」をするのにも数学は重要な要素なのです。

ドラマ「ウソゲ」を見る時も数学的素養はかかせないでしょう。敗者復活戦である「リストラゲーム」の参加者は9人。この中で直を除く8人は二回戦の真の敗退者。つまり、経済的に負債を抱えてしまったものという展開です。その中にはフクナガもいます。

ゲームの基本は選挙のようなもの。ただし、投票用紙は10枚分割で一枚につき5票が割り当てられる。つまり、一人5x10=50票を持っているわけです。さらに全部で50x9=450票があるのです。

自分の票に自分の名前を書けない。空欄は作らないというルールから、最高得票数は450-50=400票になる。

禁止事項に反すると1億円のペナルティーがある。

最低得票者は1億円を払う。これを残りのプレーヤーが分配。一人1250万円を賞金として得る。

また最高得票者は一億円をボーナスとして受け取り、5000万円を返して三回戦を棄権することができる。棄権する場合は6250万円を獲得。棄権しなければ11250万円を獲得。

これにM・チケットのルールが加味される。プレイヤー全員に1億円の小切手のようなものが渡される。プレイヤーはゲーム中にこの小切手で売買契約を結ぶことができ、契約不履行の場合には1億円のペナルティーが科せられる。つまりゲーム中には1x9=9億円の金のようなものが流通するのである。

つまり、なんらかの契約に基づき、9億円を稼げばゲームの勝者は10億1250万円を手にすることが可能なのである。もちろん、富豪刑事を演ずる深キョンならば「たった10億円ぽっちで真剣にゲームなんかできるのでしょうか」という額ですが。

さあ、ゲームのルールは分かったでしょうか。ここで選挙と買収という古典的な犯罪がこのゲームの根底にあることを理解するのも大切です。

さて、このゲームのプレーヤーたちは平等ではありません。人気投票として考えるとフクナガは参加者たちを騙した悪い人という過去をもっています。そのためにリストラ対象としては格好のターゲット。そこでフクナガは作戦を考えるわけです。

一方、直もまた不利な立場。なにしろ、直は一人だけ借金がないのです。しかし、直はそんなことこれっぽっちも考えません。だってバカですから。

そして、突然、フクナガによって発案されるアピールタイム。合コンかっ。

もちろん、その時がくるまで直は何も考えない。そして、「お金持ちに貧乏人の苦しみなんかわかるか」祭りの生贄になってしまう。

直「私ははめられた・・・」

ま、バカだから自分の立場が分からなかったということですけど。

そんな直に救いの手をさしのべるフクナガ。またもや、絶叫ポイントである。ああ、ジェイソンがそこにーーーーっ。

お互いの票を交換しようともちかけるフクナガ。お互いに50票を得れば負けることはない。なぜならばそれは全員が票を分け合った場合の票。負けるのはそれよりも一票でも少ない場合のみ。しかし、一回目の二人の票は5票ずつ。残りの票は7人に対し35票。誰かが6票で誰かが4票になればその4票になったものがリストラ候補になる。

さしのばされたフクナガの手を躊躇なくつかむ直。あ、あんたって人は・・・。

そして、心配するのはリストラされる誰かのことである。しかし、自分の勝利によって誰かが負けるという予測はできるようになったらしい。直、知恵がついたな。その調子だ。

フクナガは「みんなが幸せになる方法なんてないのさ」と直をはげますのである。な、直、そっちに行っちゃダメー。ゾンビがゾンビがーっ状態である。

そして第一回の投票。1位フクナガ10票。2位その他の7人5票。そして9位直0票である。

まあ、八人目が5票だったところで自分が0票なのは分かるのだが、自分が0票なのを確認して「ええーっ」状態の直。まさにエルム街の悪夢なのである。最終絶叫計画で貞子なのであった。似合う。似合うぞ。直。いつかホラー映画に出てね。

「守るわけないじゃあん。ないじゃあん。じゃあん。あん。ん」であった。「また、だまされました・・・」だまされたことに自分で気がつく直。成長しましたっ。

三回目まで進む投票。1位は20票でフクナガ。中間はバラつく(直の票が分散するため)が最下位は直0票。休憩時間に荷物を落す直。イチゴポッキーとかポータブル版人生ゲームとかテディペアとか・・・遠足かっ。怪しい玩具とかまであったような気がします。

「このままだと負けちゃいますよ」とかっては秋葉原の電脳王の秘書だったり、優秀な指揮者の秘書だったりしたエリー(吉瀬美智子)。少しずつ原作から逸脱していく模様。それにしても秋山(松田翔太)とどこか面影が似ている。美男美女だからなのか。なにか、裏があるのか・・・。

ここで、豹柄の江藤光一(和田聡宏)がこっそり真相を直に告げる。彼は二回戦で直にかばわれたことから直に好意的だった。しかし、フクナガがMチケットを使い、みんなに500万円で必勝法を売ったこと。そして、必勝法とは票の売買でもう10回目まで票の配分の契約が結ばれていることを告げる。「だから、悪いけれど君に勝ち目はないんだ。だから君にジュースをただであげるよ」なのだった。ケロロのエンディングかっ。

うわーっ。どうすればいいんですかーっ。原作を知らない人は来週まで直が勝つ方法があるのか・・・じっくり考えることのできる幸せを手にする。そして、ライアーゲームと自分との因縁を吹き込まれた秋山は謎の電話を受けてどこかに走っているのだが。

直、助けてもらえるのかなーっ。・・・それとも自力で? 直がついに知力を振り絞るのか? 来週は見逃せない気がします。・・・毎週、見てるだろっ。

関連するキッドのブログ『第五話のレビュー

ゲームについてのうんちくも博士の感想も書く余裕がなくなってしまった。それほどまでに戸田恵梨香が可愛かった・・・ということでしょうね。

月曜日に見る予定のテレビ『プロポーズ大作戦』(フジテレビ)

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2007年5月19日 (土)

ロマンチックよね。ちょっと腕とかいいかな。(麻生久美子)VSもう、青春卒業ですし、もう手とかフニャフャですし。(小出早織)

今回は三日月くん(麻生)の妄想もなく、真加出くん(小出)との三角関係もスカシ。その分を持っていくのは熊本課長(岩松了)である。しょうがないなあ。50才の節目に感傷的になる熊本。「ついに青春もおわりかな」とつぶやいて・・・幻想の高校生活へ。妄想相手の女子高生(吉田紗也加・1990年生昼ドラマ系女優だが、美少女なのでもったいない気もする)に「いつまでも若くありたい願望」を炸裂させる。

今回は刑事課の蜂須賀刑事(緋田康人)と鑑識課の諸沢鑑識官(光石研)がまだまだ青春ピチピチトリオを形成する。もう、加齢臭プンプンの展開である。若さを過剰にありがたがる世の中への警句というか、ドモホルンリンクルへのチャレンジである。

一人、若い霧山(オダギリジョー)だけが、「老いの素晴らしさ」を主張するのだが、駆け出しのおタクが大いなるメモリーを持つおタクを尊敬しない現状をちょっぴり微笑ましく感じるキッドにとってはくすぐったい話だった。

三日月くんも真加出くんもいや、登場する女性警官たちプラス神泉(永田良輔)までもが「若返りの化粧品・ドリアン・グレイ」の虜なのだが、ここはオスカーワイルドではなく、ドリアンだな。ドリアンの匂い。コンニャクの匂いがポイントで、これは加齢臭を示している。さらにはバラの香りまでがその系列に属しているというセンスである。

まさに、香りの分からない作者なのだった。

で、『帰ってきた時効警察・第六話』(テレビ朝日・070518PM1115~)脚本・演出・園子温を見た。前作でも温泉に出かけた演出家でまた温泉なのである。目的は温泉かっ。今回、事件に乗り気のない霧山。それはみんなが「若さへの憧れ」に眼がくらんでいることが許せないらしい。霧山の新しい趣味は「一人囲碁」なのである。

久しぶりだが、ネタバレの意味が分からないライターであることをお断りしておく。ネタバレなんか怖がったら「あ」も書けないぞ。

今回のゲストは犯人であるつぼ師匠(山口美也子)、つぼ師匠の娘(西田尚美)、つぼ師匠の娘の娘(田井中蘭)、そして被害者の初老フケミ(内田春菊)である。内田春菊といえばノターッとしている大女というイメージだったのだが、すっかりこじんまりしていたな。加齢したのだなぁ。・・・こういう老いへのマイナスイメージが今回のようなテーマを選択させるのだろうが、まあ、若いときに年寄りの喜びを判れったって無理なので、あくまで無駄に加齢してしまったメモリーの薄い人たちに向けた主題なのだろうな。

コネタというよりとぼけた演出はそこそこある。突然、出現する三日月くんとか、「青春からの卒業」について長いセリフをしゃべる真加出くんとか、「高校卒業して20才」の霧山とか、事件のあらましをハモる霧山・三日月とかである。

今回、下品な蜂須賀全開で従業員に対するセクハラとなる「一緒にはいらない?」から主題となる「若さにこだわるよりも巨木の年輪に魅力を見出せ」た熊本に合いの手で「それ、エッチな話?」とボケるところまで味を出していた。熊本は又来(ふせえり)のすべってころぶ演技に参加して、又来のお尻にタッチしそうになり、あわててそらすところが良心的である。

今回、犯人グループは「ドモホルン・・・」パロディー部分で「お笑い」を終えてしまい、後は真面目に罪の意識に悩む犯人を演じていて、尻すぼみ。霧山が「時効と犯人」について言い訳めいた感慨を口にするのだが、あってもいいけれど本筋ではないと思う。

今回は「殺人」と「誇大広告」という二つの事件性をスタッフが意識してしまったために、さらに散漫になっちゃったなぁ。でも、まあ、「時効」だから許されるのだなぁ。

新しいものを知っていることを誇るおタクは別に悪くないが、古いものを知っていることがさらにおタクっぽいのだということは理解しておくべきだろう。霧山は大きなメモリーを見上げるのだな。見下げてばかりいると、道は極められないからねぇ。キラリン✰レボリューションからロマンポルノまで網羅しないとねぇ。・・・なにをムフフなのかっ。

再春館じゃなくて青春旅館で若さを補充した一同は去る。しかし、大きなメモリーもいつか、揮発していくのだな。昨日のことを忘れ、去年のことを忘れ、やがてメモリーはゼロに。人は忘れ去られるために存在するのだ。霧山はまだそういうことを知らないのだなぁ。

最後の記念撮影で三日月・霧山・真加出の三角関係が・・・セーフです。

関連するキッドのブログ『第五話のレビュー

映画『パッチギ!』もオンエアされたのだが、沢尻エリカの存在感はあらためてすごいと思ったな。この頃の時代の空気もそこはかとなく匂い立ち、青春映画としては佳作と言える。「ももこーっ、いっちゃ、ダメーッ」と思わず絶叫しますよ。ただし、「五つの赤い風船」やら「赤い鳥」やら、赤がまだしばらくは輝いていた時代の話であり、この後で「赤」がどれだけの悲劇を巻き起こしたかを考えると、「いい映画だった」ではすまない部分もあるよな。在日の小学生の友人が大学ではすっかり反日分子に洗脳されてしまっていたりする、半島の影の部分を追及しないと現実に半島に拉致された子供たちの親が里帰りする在日学生に揶揄されたりする現実にいつか、パッチギされるだろうと危惧するからだ。

日曜日に見る予定のテレビ『風林火山』(NHK総合)話題の『らき☆すた』(チバテレビ)が先週の「頭文字D」のパロディーのようなことをやるようならちょっとレビューしてみたいのだが。

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操作ミスで皆様のTBを削除してしまいました。自家制作リンクでお許しください。

記事タイトル: 帰ってきた時効警察 第6話「青春に時効があるか否かは熊本さん次第!?」
ブログ名:     特撮警備隊3バるカんベース

記事タイトル: 帰ってきた時効警察 第6話 「青春に時効があるか否かは熊本さん次第」
ブログ名:     しっとう?岩田亜矢那

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2007年5月18日 (金)

一度も好きだったことはなかった・・・今日までは。(菅野美穂)

・・・うわあ。しびれるようなラブシーンを見てしまったぞ。ラブシーンで泣いたのって久しぶりだな。もちろん、理科教師(伊藤淳史)と社会科教師(真木よう子)の謎のキスではなくて、弁護士・珠子(菅野)と敵の弁護士(谷原章介)との「別れのシーン」である。

今回だけでも二人の複雑な愛のかけひきは堪能できるのだが、やはり「二人の辛さ」を感じるためにはここまでのすべてのフリをおさらいする必要があるだろう。

弁護士というある意味、ステータスの高い職業でパートナーとして同棲する珠子と敵の弁護士。二人の属する弁護士事務所はステータスの高い側の番犬であり、弱いものの味方ではない。

珠子は敵の弁護士と知り合う前に「愛を裏切られたこと」で「心が死んでいた」ので敵の弁護士とは「心を通わせること」はなかった。しかし、「裏切り」が「それほどひどい事情ではない」と知った珠子は「心が溶けはじめていた」ので敵の弁護士に対し「後ろめたさ」が芽生えていた。

これまで心を示さなかった敵の弁護士がついに「勝負」に出る。

冒頭、「10円」を「捨ててほしい」と頼む敵弁。菅野は「それはできない」と拒絶。そこで「私の母は医療ミスで死んだ。父は死んだ母と生きている息子をてんびんにかけ、私を選んだ。そんな父を憎んだこともある私だが、今は違う」と隠されていた事情を告げる。そのために「クライアントを守るためには十円を捨てることができる」自分なのだという宣言。それができないなら「事務所を解雇」「婚約解消」と最後通告をする。

ビジネスライクだからと割り切る姿勢の敵の弁護士は「唯一の本心」である「思い出の写真」を残す。珠子は敵の弁護士が出逢ったころから「自分を愛していた」と知る。

揺れる珠子の心。「明日香への後悔」と「敵の弁護士への後悔」の二律背反状態に身動き出来なくなってしまう。そして、一瞬、彼女は「生きているもの」に判断を委ねる。「私はどうすればいいの。あなたが決めて」・・・。すべてを忘れて新たな世界に踏み出そうとする珠子。しかし、死者の呪縛は珠子を逃がさない。明日香の手紙が珠子を引き止める。

その姿を見てすべてを悟る敵の弁護士。それほどまでに珠子を愛しているのである。

思わず、珠子を抱きしめ、「いいんだ、もう、いいんだ」と珠子の頭を撫でる。

敵の弁護士「愛してなかったと言ってくれ」

珠子「愛していなかった」(本当。ただし、今はちょっと愛してる)

敵の弁護士「ボクも愛してなかった」(ウソ。本当は珠子のためなら世界を敵にまわしてもいいと思っている)

そして「君は間違っていない・・・法廷で会おう」「ええ」と分かれる二人。

まあ、脚本家がハッピーエンドと言うからには「事件解決後」にこの二人はめでたくゴールイン。しばしの別れということでしょうがね。ともかく、今回は頭のいいもの同士の意地っ張りの応酬。もう、バカばっかりのドラマの登場人物の氾濫の中で、この二人・・・貴重だ。

で、『わたしたちの教科書・第六回』(フジテレビ070517PM10~)脚本・坂元裕二、演出・西坂瑞城を見た。前回は謎をばらまくだけばらまいた展開だったが、ついに今回は弁護士同士のポジションは明確になった。愛し合うもの同士が「己の守るべきもの」のために戦うという設定である。・・・長いフリだったなぁ。

今回も例によってフリーホール展開。前回から続く音楽ごと視聴者を欺く展開はいよいよ全編に浸透してきた。でも、弁護士同士の愛の場面は音楽は本気でこれってエンターティメンントとしてすごいチャレンジだな。

基本的に理科教師・加地の登場する場面ではBGMはすべてフェイクなのである。実際は洗脳された心にかなり危険な状態を抱えた加地がいつわりの幸せを感じる場面でも明るく楽しい音楽が流れるのである。好意的に解釈すれば「ドラマを見る気があるならしっかりみてください」というスタッフ側のチャレンジ。悪く解釈すれば「ただ志田未来が見たいだけなんです」という視聴者への意地悪である。・・・あくまで妄想です。

剣道についてはあいかわらずおざなりの演出。一本をとることの重さが分かってないし、そのワリには一本をとることがキーワードになっている。どういう意図なのか不明。なぜ、剣道部なのか・・・。今回、唯一の汚点だが演出力配分で見逃すか。

そして理科教師が曇った頭でクラスに謝罪する場面でこれみよがしのクラスのメンバーの態度表明である。これも見逃すとまったく分からなくなる重要シーンだ。

兼良(富浦陸)は黒よりも濃い黒。ポー(鈴木かすみ)は白であり、朋美(谷村美月)は灰色。もちろん、これもフェイクならごまかしすぎ。

とにかく、飼われたイヌとなった加地はどうやらビッチの社会科教師と家畜同士の愛を育み始める。しかし、まったく心を失ったわけではない。「明日香のこと」を思い出させる珠子の登場には苦痛を感じるし、霊界からの明日香の声をおぼろげに聞くこともできるのだ。

せんせい・・・加地先生・・・(謎の声・志田未来)・・・いや、視聴者だけが聞いたのかも。

社会科教師がビッチなのかどうかはまだ微妙。ただし、完全なる洗脳が困難なのと同じように、時々、悪くなるというビッチなだけなのかもしれない。気まぐれだから人間なのだから。

突然、出現した「わたしたちの教科書」の落書きに筆跡の似た落書き。自分の心を白く塗ろうとするように壁を封印しようとする狂気に支配された加地。まあ。加地は最初からちょっと狂っていて、いつものようにやや曲がった平常心と言えないこともないのですが。

今回は体育教師(大倉孝二)がハイリスクになってきたために副校長に処理される。もはや、副校長が最大の狂気であることも確定してきた。

そして、その背後にあるのは副校長の息子。

それなのに来週は三沢先生(市川実和子)なのか・・・。全体がフリーホールになっていると最終回の落下速度はおそろしいものになるのだろうな。キッドは絶叫マシンは苦手なのですが。

そして空飛ぶ象の正体も謎に包まれている。それだけでも、もはや、傑作になりつつあるのです。しかし、すべての伏線がオチるんだろうか。本当に。

関連するキッドのブログ『第五話のレビュー

土曜日に見る予定のテレビ『博士の愛した数式』(フジテレビ)わが心の鬼太郎も出るのだが「脇役をやらせたらねずみ男か宇野重吉か」と目玉のオヤジが言うセリフがキッドは好きだったなあ。主役はその倅だ。『ライアーーゲーム』(フジテレビ)も見るけどね。

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2007年5月17日 (木)

じゃ、やめちゃえばと言われるとは思わなかったとです・・・言われなかったけど。(松本潤)

春休みのアルバイトでちょっと大人になった気がしたバンビ(松潤)は幻だったんだヨネ。やはり、九州男子らしく甘えるのが一番男らしいことという信念はそんなに簡単には直りませんヨネ。バンビの話を聞いた桑原(佐々木蔵之介)疲れて黙り込まなかった。だって説教するために尾行していたんだヨネ。そして「自分の気分で仕事するような人間と一緒に仕事したい人間はいない」とストーブとか、電熱器ほど赤くはないけれど熱く語っていた。表通りのライバル店に変われないバンビとどこまでも甘いラクダがいた。人はどうして同じあやまちをくりかえすのかな。まるで悪い夢を見るように。

バンビが一人になったとき、朝日がのぼったよ。低気圧でもくれば話は別だったかもしれないけどお天気さえ、甘いヨ。バンビは知らないおじさんをはげました。みんなよく逃げださなかった。腰が抜けたのカナ。

急に元気になったバンビを見てラクダは満足しただろう。俺の説教は効いたかい。お前はすっかり元気かい。まさか、変なクスリをやったのではないだろうネ。オレたちの成功なんだろう?

で、『バンビ~ノ!・第五話』(日本テレビ070516PM10~)原作・せきやてつじ、脚本・岡田恵和、演出・大谷太郎を見た。今の世の中は人手不足で失業率は高いという構造になっている。企業は使える人材を求め、人材は使えないからである。・・・いや、そうと断言はできないか。それにしてもバッカナーレ(イタリア料理店)のスタッフはバンビひとりにいたれりつくせりである。シェフ(市村正親)は「バンビを頼んだよ」と給仕長(北村一輝)と支配人(内田有紀)に要請。二人はお客様以上にバンビの顔色を窺う状態。ツンデレリーダー・香取(佐藤隆太)は「バンビ」と優しく、声をかけつつ「はげます柄じゃない」と暗闇からバイクで護衛。あすか(香里奈)は「厨房入りを待っているのはあなただけじゃない」というお得意のアドバイス。カメリエーラこずえ(小松彩夏)は「私だってがんばってるの」とトス。給仕長は「ボクの愛した職場を君に愛してもらえないのは淋しいよ」とおねだり。ドルチェ織田(ほっしゃん)も縄張りのトイレをバンビに奪われても文句ひとついわずに暖かい眼差しをそそぐ。

ああ、それなのに。それなのに。バンビって野郎は。甘えて当然、それが男の仕事だから、わがままは九州男児の心意気。それを許さないのは社会の罪でございます。「オレは女と別れて、大学もやめて、来たっちゅーの」それなのに「やりたい仕事をやらせてもらえないなんてありえないっちゅーの」状態である。もう、「やる気のおきないことにやる気なんておきない」と自分で自分を甘やかすしかない。追い詰められっぷりでございます。まあ、確かにね。ヤンキースの松井に君は今日から「大魔神」をやってくれ。映画がね。ポシャッたので君に再企画のキャンペーンボーイをやってもらいたいんだ。と言ったらそりゃ、ごねるわな。・・・どんなたとえだ。

しかし、多くの若者は松井でないので、とりあえず、与えられた仕事でベストを尽くすのが大切だというありがたいお話です。「なぜベストをつくさないのか」とたえず自分に語りかけること。新人や、若者には成功への一里塚ですからね。

「いや、だって、おかしいでしょう。料理人がしたいのに、ホールの仕事って」と考えるバンビ。しかし、「自分より料理が上手な人の言うこと」は「絶対」ということをもう忘れてしまったのだなぁ。でも、馬鹿だからしょうがないのだなぁ。一人、レストランごっこをするときに「自分が料理人で自分が客でああ給仕する人もいないとダメか・・・」と気がついてほしいところだが、それではラクダの出番がないしな。

「ガキがっ」と手をやかせるバンビにややイラっときたラクダ。(そこまでがっかりするってことはバカだけど料理にかける情熱はあるんだろうなあ、面倒くさいが一芝居するしかないか・・・ま、オレも芝居はキライじゃないし、人を説教するのはある意味快感だからなぁ)と作戦のキーマンを引き受ける。

マチルダさんに「チェンジ」と言われて「オレは今まで客にチェンジなんて言われたことなかとよ、ほんなこつ、東京のお客はおそろしか~」と呆然自失のバンビはグラス粉々の大失態。歓迎会で「どうか殴る蹴る」お願いしますとすっかりMになるのだが、「そんなことしたらボクの手が痛いじゃないか」とシャーにやんわりと拒絶。「私と共に来い」と差し伸ばした手を拒否されたらシャーはすねちゃいますから。・・・ガンダム禁止。

「こちら、歓迎会本部。マルバは今、店を出て自宅方向に徒歩で移動」・・・「こちら、バイク班、マルバを視認。公園で休憩する模様」・・・「こちら、あすか。私が軽くなでなでしてみます」・・・「こちら、本部、了解」・・・「がんばった人だけがおいしいビールを飲めるし、クズカゴも空き缶を受け入れてくれるのよ」・・・「こちら、バイク班、あすかナイスシュート。マルバは表通りに向かってブラブラしています。どうぞ」「こちら、本部。キャメル蔵原出動よっ」「こちら、ラクダ、了解」・・・「バンビ、一緒にイタメシ食べるか?」

今の世の中さ。ニンジンが嫌いでもさ。生きていけるしさ。ニンジンが嫌いでもステーキ屋の店長になって悪いこともできるだろう。でも、ニンジンを食べないと殺すぞって言われたら食べるしかないじゃない。どうせ、食べるならおいしく食べた方がいいじゃない。嫌いな物を美味しく食べるなんて無理なんていうのは根性があっていいけど。じゃ、死ねって言われて首チョンパされたら寝言も言えないわけよ。そういう覚悟があるならニンジン嫌いでもいいと思う。でもそんな命知らずのヤツとオレは一緒にいるのいやだな。だって本当はニンジンはすごく美味しいんだもの。ニンジン大好きなんだもの。

というようなラクダの説教が心に染みたというよりは寝不足で考えるのが面倒になったバンビは「よーし、とにかく、新聞配達より、いいか」と思ってちょっとやる気になったらしい。

ま、来週はまた、バンビらしく失敗をくりかえすと思いますけどね。いいじゃない。人間だもの。とみつお的心境にならざるをえない視聴者の皆さん、オツカレーノ。

関連するキッドのブログ『第四話のレビュー

金曜日に見る予定のテレビ『帰ってきた時効警察』(テレビ朝日)

バンビ的な若者にイライラしちゃダメーっ。赤子笑うな来た道だ。年寄り笑うな行く道だ標準装備が大人ってことで・・・。

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2007年5月16日 (水)

大人になるのがガオガイガーやアクエリオンを捨てることならそんな大人にはならない。(松山ケンイチ)

・・・って言ってくれ、ロボ(松ケン)よ。卑屈にこっそりで良いからぁ。今回はかなり「原作レイプ」な内容だったが、それぞれの受け手に「原作像」があり、これがまた強姦なのか和合なのか、それぞれなのだよなあ。原作料の入る原作者が満足していれば基本的になんの問題もないしな。

海外の作家だと最近ではアニメ化された「ゲド戦記」に対して原作者のアーシュラ・K・ル・グィンが不快感を示した。とか、古くは「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」から「ブレードランナー」が生れた時、P・K・ディックは立腹したとかは有名だ。後者の場合、キッドは確かに原作とは程遠いが映画は映画で素晴らしいと思ったので、できれば「セクシーボイスアンドロボ」も「ニコロボ」もそれぞれ素晴らしいという方向でまとめたいと思う。

今や「セクシーボイス」ではなく「ニコ」(大後寿々花)というドラマ限定のキャラになった観があり、「ニコロボ」という原作名レイプをし続けた自分のこだわりの正しさを絶賛したい気分である。・・・ご自由に。

第一作で「三日坊主」は生きている。というミスリードを含んだ演出があったのだが、今回はさらにリドルストーリー的になっている。最後の場面で殺し屋ZⅠ(ぜっとぅあい・りょう)はマキ(浅丘ルリ子)は報酬を受け取るのだが、一見、それは銃器の売買代金のようにも見える。しかし、もちろん、「かりそめの夫」を始末した成功報酬である可能性もあるのである。キッドとしては三日坊主は生きているという結末の方を好むし、ZⅠが「仕事」に復帰したという結末を好む。その方がナチュラルだと考えるからだ。

しかし、現実というフィクションがドラマというフィクションをはるかに越える事件を巻き起こすので、好むと好まざるとに関わらずつまらないオチは求められる。誰も彼もが面白さに命をかけているわけではないからな。

文句を言っても始まらない。キッドの中では妄想シナリオは次のように展開する。

○ロボとニコそして捨て子がロボママ(白石加代子)たちと「サヨナラ」の人文字を作っている。

○かりそめの父(小木茂光)がカーテンをあける。眼に映るサヨナラの文字。涙ぐみ、文字がにじむ。ふりかえると、額に穴があく。消音器付の拳銃をバッグに戻す女性の腕。倒れた男の脈を確認する女性の腕。最後まで顔は見せないが、男の死亡を確認し立ち去る前につぶやく。

ZⅠ(オフで)「さよなら、あなた」

○空港。母と子は海外に旅立つ。ロビーのテレビから流れる「射殺死体発見」のニュース。

で、『セクシーボイス アンド ロボ・第六話』(日本テレビ・070515PM10~)原作・黒田硫黄、脚本・木皿泉、演出・佐藤東弥を見た。スパイたちは孤独である。という前提はそうでもない場合が多い。彼らは多くの場合、公務員であり、安定した収入で平凡な家庭を持っているのである。CIAの職員や、旧KGBなどはおそらくそうであろう。死刑執行官が死刑の後で一家団欒で夕食をとるように、彼らは重要人物の暗殺を確認した後で家族でディズニーランドに行くのだな。そういう常識がなぜか隠蔽されているこの国ではドラマでも時効以外では許される殺人は許されず、いきなり母親の首を持った高校生が自首をしてきたりすると腰を抜かす警官もいるだろう。

だから、好奇心いっぱいで「ちょっとおバカなロボ」に心をいやされたりするが、基本的にクール、家族などいようがいまいが気にかけないセクシーボイスが、「家族の分裂」に傷心したり、「たいして良くもない現状をなぜ自分は維持しようとするのか」といった愚問を自問するニコになってしまうのは残念だが仕方ないのである。

そして、殺し屋と殺し屋軍団の対決であれだけの銃撃が展開され、命中弾が一発、しかも急所をそれるという描写が、全員が弾除けの守護神に守られたファンタジーという世界観によるものだと解釈しておかねばならないのだな。

だって、今回は母の日は過ぎちゃったけどね、カレンダーに愛をこめてお母さんありがとうスペシャルなのだから。だから、宇宙人であるお父さんは宇宙に帰り、捨て子さえも母を守るために玩具卒業するのである。ま、賢い子供ならロボに高く売りつけて母のために花を買うのだが、稼業が花屋なのでそれもままならないのだった。

それにしても母親は子供の玩具を捨てたがる。おそらく、癒着した心(コンプレックス)によって自分以外を愛するわが子を認めたくないという嫉妬の炎が燃え上がるのであろうな。

ファミリーやブラザーへの執着は貧しく、愚かであるほど深まるのは一般常識だろう。それは「甲斐性」という言葉で表現される。美貌が愛を多くもたらすのは自明の理だし、愛が多いから幸福であるとは限らないのも自明の理である。

そしてikasama4様がZⅡやZプラスを欲しいようにキッドも百式改が欲しいのである。

・・・失礼、妄想がもれました。それにしても、この作者はマキ(浅丘ルリ子)にこだわるのだなぁ。作者がいいと思っているらしいセリフをマキに言わせるためだけに物語が進行している気配がある。キッドはちっともいいと思わないので最後はりょうに射殺されてしまえばいいのにと恐ろしい気持ちになったりするのがこのドラマの難点なのですが。

現状の維持、すなわちぬるま湯生活にこだわるニコは「世の中には男を狂わせる女や狂う男がいるから面白い」と感じるセクシーボイスとは程遠い。この脚本家には無理だろうから、誰か一人くらいそういう視点で書いてくれるといいのにな。・・・無理か。

そうですねぇ。作家でいうと乙一ぐらいの感性で一回くらいお願いしたい。「若さゆえのあやまち」を見てみたいのである。

ロボが行きずりの女とセックスするところも見たいし、その女に車を盗まれるところもみたい。ちょっとかわいそうになったロボにニコが玩具の車を買ってあげるところもみたいのである。・・・そうか、そういう関係はマキとよっちゃん(岡田義徳)に転移されているのだな。

実際にCIAのアナリストで猟銃自殺したJ・ティプトリー・ジュニアの小説「接続された女」や「たったひとつの冴えたやりかた」の影を感じるニコに田舎っぽく、庶民ぽいベタベタした家族哲学を持ち込むシュールさはそれはそれで面白いのでございますけれど。しかし、一歩間違えると、中年男に覚醒剤を打たれて意識不明の重体になってしまう少女になってしまい、それはヒロインとしては違うのである。そういう少女を救い出すのがセクシーボイスの魅力なのだから。

このままでは「果てしなく広がる空としての宇宙」が「ステーキをはりつける天井」に覆われてもう本当にスケール小さいんですけど。まあ、この脚本家についていえば「家族のうらぶれた愛しさ味の酢こんぶを死ぬまでしゃぶってろ」それはそれで面白いからと言うしかないのです。ただ、それではセクシーボイスもロボもちょっと淋しいかもしれないのよ。

正直者だったのに金のフタをくれないマキは「泉の女神」に謝罪しろっ。

関連するキッドのブログ『第五話のレビュー

木曜日に見る予定のテレビ『私たちの教科書』(日本テレビ)

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まこ☆ミキ様のセクシーボイスアンドロボ

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2007年5月15日 (火)

今度やろうは馬鹿野郎だ。受け売りだけど・・・。(山下智久)

全国の祖父を代表して夏八木勲が言うのだが。まあ、年寄りは気が短いのである。時間が残り少ないからな。もちろん、それは一般論で気の長いお年寄りもいるし、自分では気が短いつもりでも、寄る年波でめっきりスローモーションだったりもするわけである。

職人や商人の家庭に育つと早飯が美徳になったりする。「時は金なり」だったりするからな。しかし、食事をゆっくりとることは健康のためには必要で、損得を考えると「急がば回れ」という知恵も有効だ。

とにかく、健(山下)としては最大限の努力をしたが、今週も過去の大変動はなかったのだ。

「おいおい、これ、オレにも問題あるけどシステムにも問題あるんじゃないか」とクレームをつけたいところだが、じっくり考えるときまぐれな妖精のやることに文句を言っても始まらないのだ。なにしろ、神をも怖れぬふるまいをやり続けているのだからな。

本題に入る前に恒例の週末視聴率チェック。「金曜ロードショー・スパイダー」11.9%(「スパイダーマン2」→「スパイダーマン」ときてコレだ。次は「スパイ」という映画をやればいいのにな)、「生徒諸君」↗*6.0%(あげたー・・・)、「特急田中」↗*8.3%(これもあげたー・・・)、「帰ってきた時効警察」↘11.0%(さげたー・・・)、「奇跡の動物園2007」17.2%(前作よりかなり下がったがそれでも取っている)、「めぞん一刻」12.1%(妥当、ヒトケタでもおかしくなかったが)、「喰いタン2」↗13.4%(カレーだからな)、「ウソゲ」↗10.0%(チンゲオオソージだからな)、「冗談」↘14.2%(みんな辛抱強いな)、「風林火山」↗19.0%(20%を取って首位を誇示できるか)、以上。

で、『プロポーズ大作戦・第五話』脚本・金子茂樹、演出・加藤裕将を見た。酒井敏也が学生課職員になっている。「学生課だからってくわしいとは・・・」のくりかえしのギャグ。なにか問題を起してタクシー運転手になったのか。もう一度登場しないといやだな。今回、突然、出現した礼の祖父。時は2002年ワールドカップへ。健も文学部の大学生に。

祖父・大工。礼・建築学部学生。多田・建築学部・(助手?院生?)と立場に微妙な変化が加わっている。祖父はいい加減な性格で健にも多田にも「婿候補」を匂わせる。

相変わらず、健は過去の自分を完全にコントロールすることはできずに、ささいな言い争いで「礼と結婚しなくてよかったかもな」まで言い出す。・・・どんだけぇ。

しかし、「未来」を知る心で祖父の死期から逆算して、礼の心にまたまた感動を与える。エンディングで二人の距離が近付いているという噂があるが、やはり、原点はエロゲか。ラブラブメーターか。

ともかく、不意打ちでキスを敢行。おぼろげなフリはあったが、初キスっぽい衝突らしさがあり、中々素敵でした。・・・しかし、礼と多田の結婚式に変化はなし。

また新たなるルールが提示される。「健が帰った後の健は健が来る前の健に戻る」らしい。相当に矛盾しているが・・・もうそこを追及するのは飽きた。

今回は記憶について書く。人の知能と記憶は密接な関係がある。記憶は大きく分けて三段階に分かれる。瞬間記憶、短期記憶、長期記憶である。瞬間記憶はたとえば今、見ているコレである。視線をずらすともう消えている。しかし、コレはあなたの頭の中にある。それが短期記憶である。そしてコレは以前からあなたの頭にあった記憶でもある。それが長期記憶である。「記憶力がいい」のは頭の中のコレが関係してくる。

健はそういう意味でかなり「記憶力が悪い」のである。一方、礼はかなり「記憶力が良い」らしい。健が忘れている「ファーストキス」も覚えているし、健が覚えている「くだらないこと」も覚えている。その差は、イヌとヒトほどではないが、サルとヒトに近いかもしれない。

愛とはメモリーだから、基本的に健の愛は小さいのである。しかし、ヒトは時にはサルよりイヌを愛することがあるので、愛の大小が障害になるとは限らない。

しかし、とにかく、未来の健が存在した過去のフィードバックが未来の健にないとしたら・・・つまり、記憶の書き換えが行われないとしたら、この茶番劇は時間旅行ではない可能性は高まる。写真は妖精の魔力で変えただけ、過去への旅は幻想でOKなのだ。

しかし、可能性は健はバカだから覚えていないが礼はバカでないので覚えているという点で残される。その場合は、健は時間旅行で変わらないが、礼は変わっている可能性があるのだ。そして、健も「朝食に何を食べたか」覚えている程度に過去の記憶を持っているのである。つまり、明日になると忘れてしまう可能性がある。いや、健だって大切なことは覚えているではないか。「礼の祖父」が死ぬこととか。それなのにファーストキスは忘れるっていうのは・・・ドラマだからな。

こういう矛盾を指摘していて虚しいのは「じゃ、あんたは実際に時間旅行したことあるのかよっ」と開き直られた場合である。経験もないくせに・・・一緒だろと言われたりするからな。

さて、今回のテキストは『夏への扉』(1957ロバート・A・ハインライン)だ。なにしろ、50周年だからな。もう古典である。しかし、原点『タイムマシン』(1895H・G・ウエルズ)から半世紀以上経っており、タイムトラベルものとしてはかなり洗練されている。

主人公ダンは猫を飼っていて、名前はピート。冬になると猫は「夏への扉」を捜し始めるのだ。しかし、そんなものはないので外出しなくなるという話だ。・・・そりゃ、ダイジェストのしすぎだろう。で、書かれたときより未来(といっても1970年である)の話である。青年は恋人と親友と仕事と飼い猫を一度に失う。恋人に裏切られて、親友に会社を乗っ取られ、飼い猫は行方不明なのである。ふんだりけったりだ。

そして、未来の話なのでコールドスリープ(人工冬眠)の技術が確立されている。ダンは30年ほど眠ることにする。未来(といっても2000年)で目覚めた彼はすべてを失っていることに気がつく。しかし、タイムマシンが完成していたのである。ただし、一定期間で戻るブーメラン方式だ。彼は、過去に戻り、失われたものを取り戻そうとする。

・・・というストーリーである。いかがでしょう。アイディアなんていうものはなかなか新しく思いつくのは大変ということは分かるでしょう。さて、健とくらべてダンはなかなかの切れ者であり、現代的視点から言うとどす黒い部分もあります。

コールドスリープに入る動機も「30年もたったら裏切り者の恋人も老醜に襲われているはず、若くてピンピンの姿であざ笑ってやろう」というものです。

はたして、ダンはピートを取り戻すことができるのか・・・それは秘密にしておきます。

ま、結局、過去の自分を変えられないものは過去そのものも変えられない。という教訓はあるようです。もちろん、ハインラインの主人公ですから、タフなヒーローであきらめということをしらないから前進、前進、また前進のストーリーなんですけどね。

ここで重要なのは「何を求めているのか」を知らなければ「何も手に入らない」ということ。はたして、健は「欲しいものが何か」を分かっているのでしょうか。「ファーストキス」にこだわった健。常識的に考えると礼のヴァージンは・・・。あ、健は「最後の男」になれればいいのか。失礼。失礼。・・・だけど本当にそれでいいの? それとも「婚前交渉なんて不潔」という神話で進めるのか・・・じゃ、辻ちゃんは悪い子?

関連するキッドのブログ『第四話のレビュー

水曜日に見る予定のテレビ『バンビ~ノ』(日本テレビ)

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Hcinhawaii0155_1 P祭り開催中なのでPごっこレポートをお届けします。お気楽「だんごは良くて玉子焼きはダメなの?」アンナ☆ラン「それは間接キス度のランクが変わるのレス・・・あと、気分レス」ads(あず)「今日のランチはハンバーグ定食だよ」お気楽「とりあえずハレルヤチャンス~」Hcinhawaii0156

みのむし「おやおや、もう予告編なの?」まこ☆ミキ「早目にデス。早目に乾杯デス」みのむし「抜け駆けしようとしたでしょう?」まこ☆ミキ「お好み焼きは広島風デス」

Hcinhawaii0157 かりん☆スー「う~ん、Pちゃんの・・・」ぷっち☆翠「山Pの・・・」mari「Pちゃまの・・・」三人「キスは誰にも渡しません!はうぅぅぅぅん」

キタ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━ ッ

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Hcinhawaii0164 妖精「星空のチークタイムいかがですか・・・」

ミマム「まるで空を飛んでるみたい」

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2007年5月14日 (月)

なぜ、私をいさめない(正妻の池脇千鶴)VSなぜ母親と妹たちを追い出さない(正妻の上野樹里)

・・・大河ドラマはじっくり見たくなるのに、日曜劇場は早送りしたくなるのはなぜなのだろう。やはり、この脚本家の性の提示の仕方が苦手なのかな。

日曜劇場の方を「うんうん」と頷きながら、見る人々はどういうタイプの人なのだろうか。

「夫に浮気されている人」「娘の新婚家庭に居座っても平気な人」「昔の恋人の長女と結婚して義父でもあり、昔の恋人の夫でもある人を殴れる人」ということになるのか。どの人ともあまり友達になりたくないなぁ。

そうなのだ。テレビは友達だからな、こんないやな人たちと付き合うのはよほど社交的な人でないと無理だろう。特に大竹しのぶはせつないほどに「いやな人」を演じていて、それなら、もっと悲しい物語にすべきであり、ラブコメとは相容れない。映画「青春の門」からのファンとしてはなんだかひどい話だなぁと思う。

「恋多き女」ならさっさと織田と「寝て」しまえばいいのである。それから、上野と三角関係でもつれにもつれればいいし、すでに織田にとって「女」としての魅力がないと知り、絶望して自殺する展開でもいい。織田の言動には節々にその気配があるのに、いざとなると偽善を展開する。もう、気持ちが悪いほどだ。

四姉妹のキャラクターも独立心が全くない。依存心の塊である。そうなると大竹はそういうように姉妹を育てているので、姉妹がいようがいまいが酒に溺れているという姿がとってつけたものなのである。そうなると長女の上野は異常なしっかり者である必要があり、依存する母と妹たちから逃走するために日本に来たのが本筋だろう。だから、母や妹たちが来襲した時点で失踪した方が筋が通っている。

ああ、「シンスケしゃん」と田中健に処女を捧げた大竹。「かけおち'83」で「かけおちしてんだよ、実家に電話してる場合かよっ」とビールをラッパ飲みしながら長谷川康夫を蹴り飛ばす大竹。男女七人で光り輝いていた大竹。そういう素敵な大竹しか記憶にないので・・・おいおい、勘弁してくれよである。

で、『風林火山・第19回』(NHK総合070513PM8~)原作・井上靖、脚本・大森寿美男、演出・東山充裕を見た。「計算」という言葉がある。ドラマではストーリーや、登場人物について因果応報を滞りなく進行させるために綿密に工夫することを指す。大河ドラマのように多数の登場人物があり、歴史的事実という制約を受ける場合、この「計算」は重要な要素と言える。

で、今回の大河ドラマは相当に計算されていることが窺われる。その中では計算外のことはさらなる好結果を生んでいるような気がしてならない。

おそらくミツ(貫地谷しほり)の好評は予想外だったのではないか。そう感じさせるほど計算が素晴らしいのである。

歴史的に諏訪御料人として知られる武田勝頼の母。名前が伝わっていないために湖衣姫だったり、由布姫(ゆぶひめ)だったりするのだが、今回は由布姫(ゆうひめ・柴本幸)である。彼女は早世したので・・・おそらく20代で逝去している・・・儚い印象がもたらされやすい。それを勝気な性格にしている点がかなりの計算高さなのである。

これによって、新田次郎版では悪役として描かれていた三条夫人(池脇千鶴)が複雑な性格を持った一人の女性として描かれ始めている。逆に言えば、三条夫人をこのように描くのであれば由布姫はあのように描くのが適切というように計算がなされるのである。

最近のドラマはこうした計算がまったくないような作品が多く、それはそれで適当でいいじゃないと思うこともあるのだが、うんざりすることもある。

今回は「父の仇である晴信と由布姫が側室として結ばれる」というだけの話である。それがこうもそれぞれの情愛や思惑が鮮やかに描かれ、緊張感があり、そして感傷があるというドラマチックな展開をするのは驚嘆に値すると思う。

悋気を抑えきれず由布姫に冷たい言葉を告げた三条夫人は「これでは夫に疎まれる」と後悔の念に襲われる。新田版では貴族としての誇りから田舎侍である夫を蔑む・・・というように描かれる三条夫人だが、そのようなものが三男二女の母であるのはどちらかといえば不自然なのである。姉に細川晴元夫人、妹に本願寺顕如夫人のある女性である。政治的にも夫とは仲むつまじい必要があり、信玄より三年早く死んだとはいえ、さまざまな苦楽を共にした女性だ。この三条夫人の方が自然であり、それが計算というものだ。

しかし、主役である山本勘助(内野聖陽)には両面の三条が見えている。勘助のポジションはより複雑である。主君・晴信は最愛の妻と我が子の仇の息子である。そして由布姫には最愛の妻の面影を見ている。由布姫の命を救いながら、晴信の側室の話を勧めたことで憎まれている。同時に主君晴信への愛により三条夫人は恋仇でもある。そして、三条夫人は唯一、晴信に対しては生理的な嫌悪を隠さない。ミツの死さえも三条夫人には通ぜず、それゆえに勘助、晴信、三条夫人は明らかに三角関係なのである。

そして、勘助、晴信、由布姫も三角関係にあり、もちろん、晴信、由布姫、三条夫人は当然の如く三角関係である。四人で三角関係が三つ。実に美しい構図ではないか。

再び、由布姫を訪れる三条夫人。京土産の笛をたくし、戦国の姫として道を説くのである。すべては夫のため、領国のため、そして自分自身のためである。そこには矛盾がない。しかし、勘助は三条夫人の本心を疑い、笛を検める。

衝突する三条夫人と勘助。しかし、お互いがお互いの立場を理解していることは明確である。で、ありながら、共感も同情もしない二人の刹那。なぜなら二人は一心異体なのである。共に晴信を思い、共に由布姫を案じているのだ。そして恋敵なのだ。

やがて婚姻の儀が行われ、初夜の床で笛をふく由布姫。その音は耐えることなく、三条は安堵のまま、眠る。しかし、次の夜、晴信を襲い、しくじり、そして心を取られた由布姫の笛の音は途切れる。三条は言い知れぬ寂寥感に襲われるのである。

しびれます・・・。

関連するキッドのブログ『第12回のレビュー

、『冗談じゃない!・第五回』(TBSテレビ070513PM9~)脚本・伴一彦、演出・石井康晴を見た。絵恋(上野)の母・理衣は三条夫人を見習うといいと思うよ。それから、圭太は「羊たちの沈黙」と「ハンニバル」を見て、年上の男がどのように妻を愛するべきかレクターに学ぶといいと思うよ。田中圭と田口浩正はすごくいいと思うよ。

関連するキッドのブログ『第一回のレビュー

火曜日に見る予定のテレビ『セクシーボイスアンドロボ』(日本テレビ)

ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。

皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン

Newimage1hcmpr10←クリックするとTVスポットCM版『H☆C THE MOVIE アイドル戦士キャンディー☆ムーン』第7弾アリマス。(裏切りの猛虎の巻・中編デス)お気楽様、こんな記事でTBはるけど許してね。

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2007年5月13日 (日)

私しかいないと言われたので助けにきました。(戸田恵梨香)

・・・わははははは。もう、お茶の間の皆さんがダメーっ、そっち行っちゃだめーっと合唱しそうなB級ホラーな展開である。もう、このシーンだけでも楽しいぞ。

それにしても、戸田恵梨香はこの役にぴったりだな。そして、岩佐真悠子は事務所が小さいと言うだけで、こんな役ばかりで可愛そうだ。それでもあの存在感。演出次第ではもっともっとアピールできたよな。特に秋山(松田翔太)と対等に渡り合う知性の持ち主であることをそういう場面なしで感じさせるオーラがある。こういう部分が分からないスタッフが多いから、ドラマ全体は面白くならないのだな。

もちろん、世の中が岩佐的な女の子よりも戸田的な女の子を求めているという傾向もあるのかもしれない。

しかし、ビッチを肯定的にとらえる解釈があるとすると、岩佐は古風なビッチ、戸田は今風のビッチなのかもしれない。ま、ビッチを肯定的にとらえるという発想がすでに禍々しいのですが。

今回は後半は「めぞん一刻」もレビューするが、伊東美咲もまた「ビッチ」として捕らえ得ると考える。

で、『ライアーゲーム・第五話』(フジテレビ・070512PM1110~)原作・甲斐谷忍、脚本・古家和尚、演出・松山博昭を見た。嘘つきゲームでは、結局信用がものを言うのである。つまり、最後まで騙したものが勝つのだ。そういう意味で勝利の前に嘘つきであることを示してしまうのは愚の骨頂なのである。逆に「私はウソをつかない」と宣言した秋山が梨恵の信用を勝ち取り、勝利するのだ。

ギャンブルとゲームは似て非なるものだが、ゲームの場合は「負けないことが大切」なのである。それを「セオリー」という。秋山は敵が最良の選択をしないと見切った上で、最悪の結果を回避する。それはギャンブルではなく、ゲームだからだ。

「超法規」と「非合法」の境界線があるとすればその一点なのである。

ちなみに前回触れた「容疑者のゲーム」では「最悪の結果は懲役3年」であり、それは「仲間を売った場合」にのみ成立する。だから、「仲間を売らない」のがゲームとしてのセオリーの選択なのである。もしも仲間が裏切ったとしても「懲役は2年」ですむのだ。そういう意味では秋山の選択はややギャンブルのきらいがないわけでもないが、エンターティメントとしては許せる範囲といえます。

来週は「リストラゲーム」という「仲間はずれ」にするための戦略だ。ある意味、今回は常に少数派になろうとするゲームだったのだが、逆に、孤立をさけるゲームになるわけだ。その手段は「買収」なのである。「人の心」がどれほど金で買えるのか、あなたは時の涙を見るのである。「領収書をください」は北京では「チンゲオオソウジ」なのである。

関連するキッドのブログ『第四話のレビュー

で、『スペシャルドラマ・めぞん一刻』(テレビ朝日・070512PM9~)原作・高橋留美子、脚本・岡田惠和、演出・本木克英を見た。物語の舞台は1980年であるのに1983年の松田聖子の「SWEET MEMORIES」が流れるほどのいい加減な作品でこだわりのなさに腰が抜けるのだが、最近のテレビドラマにそういうことを求めても虚しいのでいいことにする。

脚本家は原作のマニアだそうだが、恥知らずということなのだろう。

もちろん、原作は全15巻というそこそこの長編なので、2時間で全てを語るにはかなりダイジェストするしかなく、いわゆる「さわり」を紹介するしかないのであるが、「ちゅらさん」で「一風館」というイタダキをして出世した以上、原作にそれなりのものを返してあげたいという義理もあるはずである。

ついでにいっておくが「ぼくの魔法使い」というドラマの篠原涼子の両親は明らかに音無響子の実の両親・千草夫妻からのイタダキではないかと疑っている。もちろん、今回はこの夫妻は省略されている。

と、このように「めぞん」マニアは腐るほどいるのであり、さらにアニメ版(1986-88)のファンがいるし、主題歌が「悲しみよこんにちは」(斉藤由貴)でないと許せない人や、石原真理子の映画版(1986)に妙な思いいれがある人などもいる。一の瀬花枝が藤田弓子でないと発狂する人もいるだろう。

そういう意味でこのドラマ化はこわいもの知らずというか、恐ろしい試みと言えるだろう。そういうチャレンジ精神は素敵だ。

で、今回、分かったのはテレビドラマ「電車男」が構造的に「めぞん」だったのだなぁということである。それは主役を伊東伊藤で考えればいい。年上の女とダメな若者の恋でそのままである。そして朱美さんは白石美帆がやればよかったし、四谷は十文字もありだったのだ。・・・意味不明の人、申し訳ないです。ネタがオタッキーの分野ですので、ご了承ください。

結論から言うと伊東美咲の管理人さんはまずまずだったと思う。できれぱ五年前にやっていればもっと良かったかな。で、キッドのお目当ては高橋由美子の朱美さんなわけだが、これはまず、体当たりでがんばったと思う。とくにお腹の肉のだらしなさがかなり朱美さん的だった。しかし、「二次元が三次元になっている」喜びは「南くんの恋人」にはおよばなかったな。まず、髪の毛を染めていない朱美さんは朱美さんではないし、イメージカラーもピンクや品の悪いシースルーの赤をスタイリングしなければいけない。そういう意味でがっかりだ。

岸本加世子はいい味出していたが、一の瀬さんを演じるにはあと、10キロ太るべきだ。岸部一徳はさらにいい味だしていたが、あまりにも高齢すぎたな。北村一輝の世代の役者がやるべきところ。沢村一樹の三鷹さんも年齢的にはアウトである。基本的に青春物語なので、年齢は重要だ。しかし、まあ、役柄としてはピッタリなのだが。そういう意味で榮倉奈々のこずえは研音キャスティングとしてはグッドだったと言える。

後日談としての春香も森迫永依はミスキャスト。可愛さよりもありえないほどの美少女でなければ笑えない。

新人をキャスティングした五代くんの成否は微妙だが、「めぞん」的世界の再現ということではかなりものたりない。

大晦日の夜は重要なエピソードである。まず、脚色として「偶然二人になる」という状況が省略されてしまう大失礼をするのだが、これはその後の展開が新人には再現できないという逆算が考えられる。本来、「朱美さん」が管理人さんのところで年越し→五代が便乗→朱美がスキーに誘われ離脱→二人きりにという流れなのである。

この時、五代は「管理人さんを押し倒して欲望をとげたい」という色餓鬼の心に責められる。一方、女神のような管理人さんの心中にも「ビッチ」の心が芽生えていて、もちろん、それは抑圧される。しかし、五代がもしも欲望を剥き出しにしたらどうするかと案じたりもするのである。そして、お互いが妄想に妄想を重ねながら除夜の鐘を迎えるのである。この時、五代は「やりたい気持ちを必死にこらえる」、一方管理人さんは何もなかったことによって「五代さんを疑ってしまい悪かった」と思う。この心のすれちがいがハッピーエンド(二年参りから結婚までを含む)にむける重要な要素で「笑い」のポイントなのだ。ここを省略するのでは「めぞん」のことが何一つ分かってないことになるのである。

管理人さんの原型はおそらく小津安二郎監督の「東京物語」(1953)に登場する原節子だと思う。夫を戦死で亡くし若くして未亡人になった原に夫の父親(笠智衆)が「もう、充分だから・・・」と告げるのがそのまんま再現されているわけである。

これは「二夫に見えず」というロマン(理想)への現実的な対応という情けの表現だ。管理人さんも心にそういう部分がある。それは亡夫に身を捧げる聖なる女神としての心と、ビッチであった方が人間らしいという俗への回帰である。いわば、めぞん一刻はその聖と俗の間を揺れ動く管理人さんの心の物語であり、死の世界から愛するものを連れ戻す英雄としての五代の神話なのである。

それがすぎされば「ひととき」の物語であるという構図になっている。この完璧さが多くの人々を魅了するのである。そういう基本的な構図を理解していないので、こうなってしまうのかなあ。とキッドは考える。すると、結局、四谷さんは似てないとか、朱美さんはまあまあだ。惣一郎は毛並みが良すぎるという話になってしまう。残念である。

特に強力な恋敵としての一の瀬賢太郎がただの子供になっていたり、一の瀬氏がいるのかいないのか微妙だったりと、ディティールも虚しく通過していると、えーっ、どこがマニアなのっとせつない気分になってくるのです。それにしてもこのパーツをこの季節なのか? やるなら春だろう。

関連するキッドのブログ『電車男デラックス

月曜日に見る予定のテレビ『プロポーズ大作戦』(フジテレビ)

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2007年5月12日 (土)

ねえ、この中から一枚選んで!(麻生久美子)VS全部がハートのエースだったりして?(小出早織)

・・・今日も霧山(オダギリジョー)をめぐり激突する三日月(麻生)VS真加出(小出)。謎解き直前の時効管理課は恋愛バトル全開。恋の炎は燃え、愛の火花が散るのである。ま、キッドの妄想上ではですが。

「ふたりんぼ」は大林宣彦監督の「ふたり」と「さびしんぼう」の合成語の気配なのだが、実はこれは幽霊の話である。そこから、転じて「トイレの花子さん」「学校の怪談」と来て、話は一気に「エコエコアザラーシ」になっていく。ホラー好きにはたまらない連打ですね。

で、女優黒井桜子神隠し事件で双子女優の片割れ・桃子(鶴田真由)が犯人ゲスト。もちろん、ネタバレです。

時効管理課のおやつは落花生。双子にちなんだザ・ピーナッツである。真加出が食べ損なったピーナッツが霧山の前へ転がっていく。ロボなら間接キスで悩むところだが霧山は悩まない。そこへ三日月がハートのエースをしこたまかかえて登場。「カードを一枚選んでね」というので話題は「デジャヴ」へ。言葉の意味を「一度も体験したことのないことを体験したかのように感じる錯覚」と説明する真加出に三日月は「そんなことどうでもいい」と一喝。霧山に「お願い、これは私の心、霧山くんへの愛でいっぱい」ハートのエースを引かせるテーブルマジックを披露するのだが、逆襲に転じた真加出にあっさりトリックを見抜かれてしまう。・・・ううん、はげしい恋のさやあて炸裂である。・・・妄想です。

で、『帰ってきた時効警察・第五話』(テレビ朝日0705111115~)脚本・吉田玲子(他)、演出・麻生学を見た。黒板のゴーストそーぶくんが可愛い。

さて、年齢詐称の元・アイドル白鳥その子(りりィ)の現役時代を演じるのが大村彩子である。90年代を代表する美少女の一人で、映画「パラサイトイヴ」や「新生トイレの花子さん」など当時のホラーブームに子役として貢献している。このホラーブームと少女スターたちが現在の邦画ブームの礎になっているのはほぼ間違いない。トイレの花子さんが強調されるのはこの点へのこだわりと妄想する。絶叫する大村彩子は10才サバよんでるというのだから18才にみえる28才だったのだが、現在の実年齢は22才である。ちなみにリリィは55才なので計算合わない気がするのだが、女性に年齢の話をしてはいけないという祖母の遺言に従い、この辺でやめておく。

さて、ドラマ内の映画で使われる「エコエコアザラーシ」は明らかに「エコエコアザラク」のパロディーであろう。今回のイントネーションで「エコエコアザラーク」と言うのは四代目黒井ミサ・上野なつひヴァージョンである。これはテレビ東京の「エコエコアザラク~眼~」(2004)に登場する。以前にも書いたが初代は映画「エコエコアザラクⅠ・Ⅱ」に登場する吉野公佳、二代目は映画Ⅲと最初のテレビシリーズの佐伯日菜子である。吉野は囁くように「エコエコアザラク・・・」と唱え、佐伯はドスの効いた「エコエコアザラク」である。

次に、双子がらみの「殺人事件」というとこの枠では「トリック」(2000)のエピソード6-7に佐伯日菜子が登場する。本人は嫌がっていたらしいのであるがまさにホラークイーンだった佐伯日菜子(「らせん」「蛇女」など)が血まみれの双子姉妹を怪演している。ここにアリバイくずしとしてのあきらかな相似性があって黒井姉妹が黒坂姉妹(佐伯日菜子の二役)のオマージュを含むことは明白である。

もちろん、時効警察であるので、その後の暴走ぶりはすさまじいのであるが、こうも見え透いたネタだと、逆にネタバレしたくなくなるのでこれ以上は書かない。

もちろん、三日月くんが「松竹梅」で例によって妙に受けたり、五枚カードが用意されたり、久しぶりにちゃんとした殺人者を時効だからとすがすがしく見送ることなども書けないのである。四人の鶴田真由の早着替えが早すぎることなども書けないのである。

しかし、映画監督(徳井優)が「ちょっと、ちょっとちょっと」のパロディーを「おっとーっ」で繰り広げ、撮影の「カットー」という合図まで「おっとーっ」になっていたことは書いておく。

「たたり」はないのだが、三日月くんが霧山以外の男との合コンなどに興味を持つなどと言う妄想的に邪な考えを抱けばたちまち滑って転んで鼻血を流すことになるのである。そういう意味では妄想の神は常に呪いをかけているのだ。エコエコアザラーシは旭山動物園なのである。

たとえ、「きゃー、怖い」と抱きつこうとしても「一回くらいいーじゃない」と迫ってもけして許さないつれない霧山くんだったとしても。

死んだ母親が電話してきても「オレオレ詐欺」としか思われないロマンチックを許さない社会だからこそ、二人のそこはかとない関係はけしてくずれてはならないのだから。

関連するキッドのブログ『第四話』のレビュー

日曜日に見る予定のテレビ『風林火山』(NHK総合)『冗談じゃない!』(TBSテレビ)

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まこ☆ミキ様の帰ってきた時効警察

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2007年5月11日 (金)

5月10日は公式に私の誕生日なんですけど世界は変わりそうですか?(志田未来)

忘れられた少女。明日香(志田=小野花梨)・・・。その誕生日を知っていた敵①の副校長(風吹ジュン)・・・好きな花は白いスミレ。敵②理科教師(伊藤淳史)は「明日香の笑顔」が見たいという気持ちよりも自己憐憫に負け、その病的な心の弱さを露呈する。敵⑪透明人間朋美(谷村美月)は「いじめたものを殺せないなら証言はできない」と逃走。再び、明日香の継母・弁護士・珠子(菅野美穂)は孤立無援となった。膠着状態である。

死者たちは忘れ去られていく。生前から親に忘れられた明日香・・・それはある意味、不可抗力だったのだが、その惨めさはすでに忘れ去られかけていることだろう。

他人の言葉にたやすく支配される理科教師は移ろいやすい生ある者の象徴である。いつだって人は「嫌なことを忘れて生きていく」動物なのだから。それでいいじゃないかという考え方もあるよなぁ。

で、『わたしたちの教科書・第五話』(フジテレビ070510PM10~)脚本・坂元裕二、音楽・岩代太郎、演出・河毛俊作を見た。異端者排除のための圧力を理科教師・加地にかける教員一同。「これはいじめじゃないですか」と副校長に問いかける加地。「なぜ、いじめの調査をしないのです?」「生徒が死んで悲しくないのですか?」加地は質問を続ける。教師でありながら、答えを自らは見つけようとしない男。その弱さがむき出しになる。そして、副校長は沈黙で答える。代弁者・社会科教師・大城(真木よう子)は饒舌だ。しかし、それはまた質問なのである。「立場を考えないのですか?」「どうしてそんなことを言うのですか?」「なぜ、お止めにならないのですか?」まさに断言をさける社会がそこにある。

教師は言葉が商売道具だからな。いじめの記者会見などで指導的立場にあるものがいかにも頭が悪そうにしゃべるのだが、それは保身でがんじがらめになった場合、道具としての言葉をよく知っているがゆえに言葉を失っていくのである。

それはまた弁護士も同様である。「今は情報を共有するのは得策ではない」と求婚者(谷原章介)が言えば「許可なく証拠保全をしたことは謝罪する」と珠子。しかし、求婚者は「謝る必要はない。君はいつもそうだから」と告げる。一筋縄ではいかない人々の会話である。敵か味方か、どころか、どんな意味があるのかも不明になりかねないコミュニケーションである。

おそらく、高度情報社会において言語能力の退行は必然なのである。

次々に提示される謎は答えを見出されないまま、さらに謎を生んでいく。もはや、すっきりした回答などありえないのだと思うほどだ。

羅列してみよう。明日香は本当に死んだのか。死んだとすれぱ、それは事故なのか、他殺なのか、自殺なのか。他殺だとすれば犯人は誰か? 動機は? 自殺だとすれば原因は何か? いじめなのか? 衝動的なものなのか? 失恋の可能性だってある。明日香の死を巡る事実は何一つ解明されていない。まさに誰が殺したクックロビンは藪の中状態なのである。・・・どんな状態?

副校長は事件を隠蔽しているのか。だとすればなぜ証拠物件を保管しているのか。副校長の息子はどんな事件を起して服役もしくは収監されているのか。そんな事件を起した親がなぜ教育の現場で指導的立場にあるのか。副校長はすべてを読んでいるのか。それとも偶然の連鎖が幸運な結果をもたらしたのか?

証拠物件である「わたしたちの教科書」には「好きな花は白いスミレですと書かれていたのか」「本当に明日香は白いスミレが好きだったのか」「副校長は本当に墓参りに行ったのか」「副校長は明日香の実の家族とどんな会話をしたのか。謝罪の言葉はあったのか・・・」「白いスミレは花屋で買ったのか・・・・・・・・・・」

タイヤキに続いてバースデーケーキを購入した加地。ロマンチックなことが大好きな加地は怪しい宗教を信仰したりしていないのか。その宗教では死後の世界で自殺者が笑ったりするのか。なぜ「同志」なのか。「やめません」なのか、「教師にはむいてません」なのか、加地は広い意味で「正気」なのか。差し出したライターを受け取り、火をつけられるほど風はなかったのか。

ふつうにストーカーの兼良(冨浦陸)は声変わりが遅いのか、ハスキーボイスなのか。なぜ、主将候補なのに竹刀を右に置くのか。女(高瀬リエ)の写真を撮っているわけではないと言いながら撮っているのは何故か。撮ったときになぜうれしそうなのか。父親が援助交際していることといじめ疑惑には何か関係があるのか。「すべては映っているのに興味がないから見えない」というのは意味あることなのか、でまかせか。誰が、いじめ疑惑を示唆したのか。「わたしたちの教科書」を持っている加地の前に現れたのは故意か、偶然か。すると女と父親もグルなのか。大人が不潔なのは「父親が自分を抱かないで他の女を抱いているからなのか」・・・その可能性は低いと思うぞ。涙はウソなのか、心の汗なのか。

「アラブの人がサンキューしか言葉を知らず、アメリカに行きました。アメリカで強盗に刺され、助けを求めました。お腹から血を流しながらサンキュー、サンキューと言いました」という話の意味は何ですか。「明日香をいじめた人は死刑になりますか」という質問の意味は何ですか。朋美と明日香は本当に仲間だったのですか。二人が「14才の母の裏表」だったこととは関係がないのですか。・・・それはもういいだろう。

生徒にも教師にも透明人間化された加地に「私たちの教科書」を渡した空とぶ象は誰ですか。彼を保健室に運んだのは。ポー(鈴木かすみ)は普通ですか。そして、B.G.M.に和解調の音楽まで流して視聴者まで騙しつつ副校長をグレイに見せかける演出意図は何ですか。加地を洗脳する手法から考えて副校長が残留孤児を偽装した中国の工作員である可能性は何パーセント?

珠子はうかつにも加地を信用しかかったのですか、それとも想定の範囲内だったのですか。珠子は朋美に踊らされているのですか。それともまだ珠子は仮面をかぶっているのでしょうか・・・。その指摘は好意ですか。悪意ですか。それはヒミツです。

「いじめはありません」・・・加地、それで明日香の未来は笑ったのかいっ。と月並みにツッコミをしてもいいですか?

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土曜日に見る予定のテレビ『めぞん一刻』(テレビ朝日)高橋由美子の朱美さんが見たいからぁ。『ライアーーゲーム』(フジテレビ)も見るけどね。

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まこ☆ミキ様のわたしたちの教科書

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2007年5月10日 (木)

ああ、だから今夜だけは君を抱いていたい・・・って実家に帰るのかいっ。(松本潤)

・・・ま、恋愛経験のあまりない原作者が無理矢理作ったエピソードをそのままドラマにしてしまうとかなり釈然としない展開になる見本のような・・・いや、あくまでキッドの妄想ですが。

明日の今頃は僕は汽車の中~・・・というか。飛行機なら1時間だし。「今夜は寝かせんよ」「やらしか」「バカチン」の後の唐突な別れ。「博多の女は博多以外では生きられんとよ・・・」なのでしょうか。

もう、吹石一恵がちっとも描きこまれていないのでこの別れがこれっぽっちもピンと来ません。結局、吹石は「女連れて行ったら修行が半端になる。心を鬼にして別れると」なのか、「就職決まってるのに今さら断れないし、知らんところで暮らせない」なのか、「私より東京のレストランを好きになるような変態はお断り」なのか、「東京なんか行ったら絶対浮気するし、お尻の毛まで抜かれるよー」なのか、「我儘なところが好きっていうマイブームが終ったんよ。もう大人ったい」なのか・・・もういくらでも妄想できる意味不明の別離でしたーっ。ま、いいか。東京には香梨奈やら内田有紀やら小松彩夏やら、女性陣一同待ってますからーっ。

ニコロボもこのくらい原作に忠実だとまた一味変わるものになるかもなー。ま、好みの問題と言えばそれまでだけど、変えちゃえばいいものを変えず、変えない方がいいものを変えちゃうというようにキッドは思えてならんとよ。旅立つ僕の心を知っているのか。遠く離れてしまえば。愛は終ると知った~。なのですかーっ。

で、『バンビ~ノ!・第4話』(日本テレビ・070509PM10~)原作・せきやてつじ、脚本・岡田恵和、演出・佐久間紀佳を見た。さあ、毎回、さまざまな人格に変貌する余貴美子。今回はバンビママ。未亡人で息子の望むことはあっさり受け入れる九州のおかんです。そしたらねー。

要するに恋人と別れて、大学辞めて、頭を石にガンガンぶつけて、もう覚悟の上にも覚悟を決めて上京したの、もう必死なので1時間である。やはり、すべてを見通していたサンマルツァーノのシェフ(山本圭)、吹石を口説く気だな。間違いなかと。

まあ、今回の最大の見せ場はツンデレ香取(佐藤隆太)のそこにいないのに「おいっ、バンビ」だな。なぜか、この部分だけは原作を大きく越えてフィーチャーしているのである。このあたり、佐藤のキャラが浅丘ルリ子なみのパワーを発揮しているらしい。っていうか、それほどまでに松潤が魅力的と演出陣が信じているのかもしれん。なんか、松潤をきれいに撮る気満々のカメラワークなのである。いや、別に悪くはないけど、もう少し筋立ての方にね。・・・ま。いいか。

つまり、こういうことか。バンビというより、松潤は魅力的。博多でも東京でも愛されるべくして愛される。そして博多の女という決まった人がいるとときめきが薄れるおそれがあるのでとりあえず別れさせた・・・と。これで吹石二回連続でよく分からないけど愛は終りました役だな。もう、テレビスタッフには愛を描く力は残っていないのかもしれん。

ともかく、さようなら博多、こんにちは六本木である。ほっしゃん。が待っているから。

あ、みんながツッコミ入れていると思うけど、吹石、食い逃げかっ。

しかし、吹石が泣きながら店を飛び出していったら、キッドも料金は請求できない気がします。・・・結局、キッドは吹石が好き・・・ってことなのかい。今回。・・・ミムラとも伊東美咲とも顔の区別がつかないくせに・・・。「心の旅」をガンガンかけながら書きました。

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金曜日に見る予定のテレビ『帰ってきた時効警察』(テレビ朝日)

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まこ☆ミキ様のバンビ~ノ

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2007年5月 9日 (水)

もっと楽しいことがあると思うんだ。青春なんだから。(松山ケンイチ)

・・・と言うことで集められたなんちゃって女子高校生たち。共学なのに男子高校生にはほとんど影がない。小粒だが強力なゲストである。まずは黒川智花。おっとりした美人だが、霊的なものに触れる演技力は「雨と夢のあとに」で練られている。実年齢17才。続いて入山法子。ハケンの品格で先輩ハケンの一人。21才。仲里依紗は冗談じゃないの次女・香恋で17才。高瀬友規奈は「のだめ」で弁当を狙われたマキちゃんである。19才。そして・・・ハルハルこと木南晴夏、リカちゃんでベビーエロでカイラでかしこで麗香なスーパーサブである。こんな役しかもらえんのかーっと虚空に叫びたいところだ。

さて、キッドはモ娘。の中でも辻ちゃんが好きなのである。その辻ちゃんができちゃった結婚である。キッドは幸せになってもらいたいなーと心から思うのだが、初心なファンにはトラウマになるような衝撃を感じた人もいるかもしれない。そういう人のために昔書いたショートショートをお届けしておく。

コチラへ→26万人のおタク(主に男)と一人のアイドル(たぶん女)

虚構の異性に恋をするというのは素敵なことでおタクの基本だと思うが、それはそれ、日常は日常だからね。

そういう意味で今回はなかなかに意味深なテーマを含んでいたと思うのだが、例によって中途半端だった。いや、バランスがとれていたといっても言いのですけれど。

で、『セクシーボイス アンド ロボ・第五話』(日本テレビ・070508PM10~)脚本・根本ノンジ、演出・池田健司を見た。脚本家は連続ドラマは初めて・・・のような気がするぐらいの初々しさである。きっと、力が入っていたと思う。時効のケラと同じようなキャリアだけれど、下積みの人とスターの差のようなものを味わうにはいい感じの連鎖である。

まず、テーマについて考えておく。今回は「学校生活、あるいは青春はどうあるべきか」という問いがあったと思う。そこから派生して「金を稼ぐことの是非」がある。それから、「霊的なことの真偽について問うべきかどうか」という問いがあった。そこから「霊的なもので金を稼ぐことの是非」があった。

結論から言えば「金を稼ぐ行為は楽しいことだ」と思える人は「青春時代に金を稼いでもいい」と思うキッドや、「霊的なものに真偽はないが霊的なもので金を稼げば地獄行きは間違いなし」と考えるキッドにとっては実りなき作品である。でも、いいじゃないか、面白ければ。ちなみに、細木さんだろうが、江原さんだろうが、それが愛する美輪さんであっても霊的な言動でビジネスをしてしまったら、必ず地獄行きであるとキッドは信じている。もちろん、根拠はない。そして、キッドは肝試し企画は大好きだったので、地獄行き決定だし、今回のスタッフも全員地獄行きなのである。わはははははは。ま、地獄があればね。

さて、今回の妙手はなんちゃって女子高校生が集う学園に女子中学生ニコ(大後寿々花)が潜入捜査というところだろう。まあ、こなゆきぃぃぃぃぃドラマで璃子が看護婦やるほどの落差ではないが、中学生が高校生に化けるという点がちょっと新鮮だった。

社会人のロボ(松ケン)を手下にしているニコが無理矢理でヤケクソな展開で教育実習に来ている姉・一美(村川絵梨)に授業中に指名され、教科書を読むことができず、困るのだが、この笑いのボイントが「妹だと知れると潜入捜査がばれる」方向に向かったのはちょっと残念。「高校の授業なんてわかるかよっ」というニコのぼやきが生きないからだ。

このあたりがキャラクター設定の揺れなのだが、ちょっとした頭脳の持ち主なら、一学期の始めに配られる教科書を二週間くらいで読んで理解してしまい、後の一年は無意味ということはある。本屋に行けば各学年の教材が置いてあり、小学校一年で高校の教科書読みすすめるぐらいの人はいてもおかしくないのである。それは天才の一種だからな。で、原作のニコはそういう気配を持った女の子だ。だからこそ、大人のロボを手下にしているのである。

しかし、ドラマは設定はイタダキでニコのキャラはかなり普通の女の子にしてしまっていて、実はちくばくな感じが漂っている。本来、ニコは一般人には感情移入がしにくいキャラであり、そこが魅力なのであるが、半減しているのである。ま、そこがドラマですが。

で、どうせそうなら、普通の女の子で笑いを取ればいいのになぁと思うのである。

今回は女の子たちの「うしみつ様」を使った人々の依存心につけこむトリック商法と、それを暴くニコたちのトリック対決なのだが、ここも、もう少し奇想天外でないとあっと言えなくて残念なのだなぁ。磁石でもいいが、行方不明の中学生を箱詰めにして机の裏で飼っているくらいの非常識さが女の子たちにあってもよかったと思う。

今回の犯罪者はいわば、詐欺師集団である女の子たち。しかし、霊感商法の被害にあった生徒たちは暴動をおこすでもなく、愚痴を言いながら解散していく。ま、ここが怖いといえば怖いところですね。しかし、現代社会、原子力発電所が爆散するような事故がおきて万人単位で死亡者が出ても、責任者が「まさか、こんなことになるとは夢にも思わなかった」とか言い出して世の中も「じゃ、しょうがねえか」と納得したり、あるいは「科学的に言ってもリスクは常にあるわけですから自己責任の範囲でお願いします」なんてことで「ま、それはそうかもしれんね」などと決着がつきかねない時代なのだなぁ。

「呪いがこわいこわい」「女子高生が好き」「愛と正義がマックス」というロボにビンタをくれるニコ。そのビンタが可愛いのか、生ぬるいのか、また微妙なのである。

「人間は弱いから霊感商法でビジネスしてもいいのよ」というマキ(浅丘ルリ子)なのだが、これもそれを言ったからには地獄行きなのである。スタッフによって揺れ動くキャラクターだが、マキだけは安定している。これは役者のパワーと言うものだな。キッドはちっともいいとは思いませんが。

後はニコの同級生むーちゃん(梶原ひかり「女王の教室」の佐藤恵梨花)がどう描かれるかだな。彼女は抽選で当りクジしか引かないゴッドハンドの持ち主なのだが、このドラマ世界ではニコの体験を明るく笑い飛ばす存在でしかない。このまま、終ってもそれはそれでいいけれど。今回、ゲストが数で来たので、ニコの両親の出番が減ったように、行方も知れない行き当たりバッタリのドラマである。ま、それだって味じゃないか。

人間は霊的な存在でちょっとしたビジネスをする。もちろん、インチキである。しかし、霊がいないわけではない。という古典的スタイルのオチがつくのだが、このオチを使った瞬間にまたまた地獄オチ決定なのでありますけれどもねえ。今日のニコはツインテールが冴えているのだが、ちょっとふっくら気味。どうか、健康でありますように。

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木曜日に見る予定のテレビ『私たちの教科書』(日本テレビ)

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2007年5月 8日 (火)

甲子園に連れて行けなくてごめん。3年間、本当にありがとう。(山下智久)

健(山下)が礼(長澤まさみ)に書いた寄せ書きの言葉・・・。おい、そ、それでいいのかよーっ。

もはや、告白イコールプロポーズなので最終回までは告白させません状態なのか。

まあ、礼の方が「第2ボタンもらってあげてもいいよん」とややフニャフニャでアピールしているので、告白したらハッピーエンドになってしまうと作者は固く信じているのかもな。あげくの果てが「す、す、・・・・あ~ん」である。この根性なしが・・・。24才の健がこうでは礼は多田と結婚した方が幸せになるような気がしてきました。

もちろん、青春の素敵な一ページを描くことはできているのですが・・・。なんか、ありえない感じが、まあ、マジックの世界だから、今さらですけど、まさに、どんだけ~。

本題に入る前に恒例の週末視聴率チェック。「生徒諸君」↘*5.9%(さあ、恐ろしい数字になってきました・・・今週は旭山07かぁ・・・)、「特急田中」↗*8.0%(無法松の一生か・・・)、「帰・時効警察」↗11.4%(ニャースプラス大野真緒で微上げか?)、「喰いタン2」↘11.8%(ブレイブストーリーにもってかれたか・・・)、「ウソゲ」↗*9.6%(バカサギコンビというよりクイズ展開だからな)、「風林火山」↘18.3%(ゴールデンウィークも終わりだな)、「冗談じゃない」↗14.4%(このあたりで固定かな)、ついでに「プロポーズ大作戦」↗16.4%(首位をキープ。こうなると野球とアニソンが申し訳ありませんデス)

で、『プロポーズ大作戦』(フジテレビ070507PM9~)脚本・金子茂樹、演出・加藤裕将を見た。もはや、ラブコメというよりは青春グラフィティーの模様である。人それぞれの青春があっていいと思うが、最近の若い人はギラギラしてないのかい。なんか、おじさんモードでまったりの展開なんですけど、その証拠に今日は「野球部女子マネージャー」卒業式に涙がこぼれてしまったのですが・・・。だから、感動させてどうするっ。

付属高校の設定である。こののほほんとしたムードはよく描けていると思う。受験地獄から開放されたひとときのぬるま湯生活である。これが進学校ならギスギスしているし、覚醒剤のとりひきなんかしちゃってるし、特待制度のあるようなスポーツ学校なら集団暴行事件なんかも起すわけだが、そのようなひりひりした部分はまったくない天国のような高校生活である。そういう部分は「生徒諸君」や「わたしたちの教科書」の中学とは無縁の世界になっている。牧歌的だ・・・。

そう考えると、これは時間旅行以前にファンタジーなのかもしれない。主人公・健は教育実習生が来れば教育実習生に、下級生がくれば下級生に確実に目移りをしている。対して、礼は「バレー部」に入りたかったのに、「中学の時に第2ボタンをもらった男の子のために弱小野球部のマネージャーになった」のである。おいおい、どんだけ女の純情を踏みにじってんだ。

しかし、健にはそういう世界が見えていないのである。彼は片思いをしている臆病者である。「好き」と一言言えないのは「告白することで片思いが壊れる恐怖」に心が縛られているのだ。ということは礼の行動を見ても未だに「礼の心」を信じられないのである。「第二ボタン」「ケンゾー」「マネージャー」「バース」次から次へと繰り出される「必殺スキスキ光線」にビクともしない鈍感力で覆われた男。それが健。頭のネジがこりゃまたバッチリ狂ってるとしか思われない行動の数々にびっくり仰天なのであった。

このドラマを見ていて思うのは「私、健のことが好きなの、健はどう思う?」と礼が言っている目の前でそのセリフを聞き逃し、「ああ、どうやったら、愛の告白ができるんだろう。スカイダイビングして花束持って、礼の前に降りてきて、好きとか言ったらロマンチックなのかなあ。でも、それで笑われたりしたら、かっこわるいしなぁ、かっこわるいのはイヤだしなあ。ああ、どうしよう」というようなコントの連続なのだということだ。これはイライラしますよ。とにかく、「やるべきことをやるべきときに断固としてできない男は何をやってもダメじゃね」的な行為が続く。

それに対して多田は礼に会うためだけに母校にやってきて、用がすんだらさっさと帰るのである。・・・ついに牙をむき出し始めたか。

もちろん、とりあえず押し倒して先のことは後から考える・・・では月9の主人公にはなれないと思うのだが、それならそれでなぜ健はこんなにもどかしいのか、ということをもう少しはっきりさせてもらいたい。もう、もどかしさで血管切れそうです。

もちろん、この物語には「性」は脱落している。少なくとも健と礼と多田の間はそうである。「できちゃった結婚」の流行のきざしはすでにあり、婚前交渉は暗黙の了解の21世紀の日本。すでに多田と礼が肉体関係を持っていてもおかしくなく、だからこそ、苦悩する健の結婚式での片思いなのであるが、そういう部分はスルーである。また「やりたい男子」と「許さない女子」の古典的葛藤もあるはずで、それならそれで「年上の女」や「下級生」に目移りする健も理解できるのである。

周辺では幹雄(平岡祐太)がいかにも肉体関係年上の女(原史奈)が合鍵、届けに来たり、尚(濱田岳)がエリ(榮倉奈々)に欲望むき出しの七転び八起き的な猛アタックを展開している。そうした性的な部分を100万光年の彼方に置き去りにして、健はあくまで「ロマンチック」を作ろうとしている。それが「恋に対してひたむきではない」ように見えてしまうのが残念なのだなーっ。それはキッドがまだギラギラしすぎなんでしょうかーっ。

まあ、これから、高校生活を迎える人々にはいろいろと示唆に富むところがあるのかもしれないが、基本的にまず山下くん的ルックスのない人には無意味なんですけど・・・。

さて、前回、「意識」的時間旅行について触れた。もう少し、この要素を説明しよう。

その前にテンメイ様が解説しているはねとばし型のタイムトラベルについて今回も筒井康隆先生の著書をテキストに論じておく。長編小説『七瀬ふたたび』(1975)である。主人公はテレパシストなのであるが、その友人の女性がタイムリーパー(時間跳躍者)である。彼女はピンチになると時間を遡り、失敗を成功に変えて生きている。本人が過去に戻るので、実年齢は加算していく。五分前に戻れば、人より五分年齢が加算される。彼ら超能力者たちは謎の組織に狙われている。しかし、危機一髪のところで過去に戻ることのできる彼女がいれば一安心なのだが、ここで矛盾が生じる。ピンチから逃れるために彼女は過去に遡るのだが、実際は元の歴史からは彼女が消失するだけなのである。彼女はピンチを逃れても仲間たちは彼女を失い、ピンチのままなのである。さらに過去に遡った場合、それまでいた自分の精神と肉体はどうなってしまうのかと言う問題である。

このあたりは思考の遊戯の側面がある。小説はどちらかと言えば哀愁漂う展開になっている。主人公たちの運命は秘密にしておく。

さて、『プロポーズ大作戦』に戻ろう。妖精の魔力による夢とも言える時間旅行なのであまり細部の矛盾をついても無意味なのだが、キッドは健の意識をこのように感じている。太字は未来から来た健の意識である。

「うわーっ、下級生からボタンねだられちゃったよっ、こりゃ、まいったな・・・おっとここはどこだ・・・ま、渡しておくかっ、これも青春の記念、ひょっとしたらキスぐらい、あるかもしれんし、ウヒョウヒョ・・・あーっ、だめだ、渡しちゃ、あーっ、渡しちゃったよ・・・なんだ、なんだ、なにがダメなの・・・最悪なんだよ・・・えー、そーなのー・・・とにかく、なんとかしなきゃ・・・じゃあ、みんなに相談しなきゃ・・・っていうか、俺の言うことを聞け・・・どーすんの・・・とりあえず、みんなに相談してみよう・・・尚が・・・土下座って・・・じゃあ、どーすんの・・・とりあえず、土下座するか・・・あっ、投げちゃった・・・捜すぞ・・・みつからないよ・・・えーっ、渡したものを渡しなおすのってダメって幹雄、18才のくせに、24才の俺よりしっかりしてるじゃん・・・オレってあんまり成長しないのね」

と、こうなっているのである。まあ、必ずしもそうとは限らないが、美貌は知性をスポイルすることが多いという偏見にはのっとっているのかもしれない。

関連するキッドのブログ『第三話のレビュー

水曜日に見る予定のテレビ『バンビ~ノ』(日本テレビ)

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Hcinhawaii0149 P祭り開催中なのでPごっこレポートをお届けします。今回はフジッキーロイドを投入して早くもまこ☆ミキ様、みのむし様の争奪戦。もはや、過去の世界が恋の主戦場なのでしょうか?

Hcinhawaii0150 いえ、いえ、一人、妖精の国でサービスを受ける方がミマム様、妖精独占状態、「オレはいつだってかっこいい」サービス、サービス!なのです。ミマム「ああ、妖精の国のお酒って、心までトロトロっしょ」

Hcinhawaii0151 お気楽「例の三人組は・・・」アンナ☆ラン「待ち伏せかけているのレス」

かりん☆スー「きゃーっ、Pちゃん」ぷっち☆翠「山P~山P~夢見たデス」mari「Pちゃまが来ましたよーーーーー」

Hcinhawaii0152 PPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPP~の嵐です。嵐じゃないけど。三人「Pちゃん、にぶすぎ~そこがまた好き~」

Hcinhawaii0153そして、感動の卒業式。恋よりも思い出優先なの?

Hcinhawaii0154 野球部一同「三年間、お疲れ様でした~」・・・お気楽「セーラー服ってもう、終わりなの?」ads(あず)「シーッ」ikasama4「このイラスト大活躍ですね」あんぱんち「久しぶりなので緊張・・・するのね」

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2007年5月 7日 (月)

人をじーっと見るくせがあるけどタイプの人とは目をあわせられない・・・エヘヘ。(福田沙紀)

で今、恋をしているのは広田マキ(コミック「学校のおじかん」の主人公)なのである。1990年9月生の国民的美少女・演技部門賞(2004・10th)受賞者がゲストである。

で、『新堂本兄弟』(フジテレビ・0705061115~)構成・津曲ラッキー(他)、演出・藪木健太郎を見た。久しぶりの堂本兄弟である。チャーミー石川以来かな。ゲストの福田沙紀は16才。ゲストのショットになると背景に深田恭子が映りこみ、・・・YUKALIも映りこみ3ショットになるので、ゲストの顔をほとんど覚えていない場合のある番組である。・・・そりゃ、お前だけだろっ。だが、今回は「拝啓、父上様」の坂下エリ役の印象が強いので福田もしっかりと見たのだった。

2004年の金八デビューなのでもはや三年目である。05年に『アタックNo.1』の主題歌を歌い、この時のブロデュースが高見沢俊彦だった。この後、ウルトラマンマニアである福田が高見沢の作詞作曲した「ウルトラマンダイナ」(1997)のエンディングテーマ「君だけを守りたい」をそこそこ歌い盛り上がった。こういう時、ニセオタモードだと反感を買うのだが、この後も「ウルトラマンじゃんけん」(タローグー、セブンチョキ、マンパー)や「メフィラス星人が好き」「地元熊本にウルトラマンランドがある」などそつなく、オタクをまとめあげた。

その他の一問一答はQ一番の贅沢は? A1500円のランチとアイスクリームのトリプル・・・Q自慢の品は? Aマッサージ器と肩たたきチョッパー Q小さい頃の仇名は? Aももちゃん(由来不明) Q熱中していることは? A手作りアクセサリーなどの古典的アイドルトーク。

得意料理の「納豆揚げ餃子」を作り、そこそこ好評だった。

28才の堂本光一は「おっさん」だが24才の深キョンは「おばさん」ではないらしい。深キョン曰く「四捨五入したら私は20才で(光一は)30才だからでしょう」なのである。

おいおい、深キョンまとめかよ。『堂本ベストヒットたかみー』は「グッバイソング」である。さようならの中でも「グッドバイ」をタイトルに含む歌といういい加減な解説。「ハロー・グッバイ」(柏原芳恵)「グッバイ夏男」(松浦亜弥)「Good-bye days」(YUI for雨音薫)などがあがる。

堂本バンドは『グッド・バイ・マイ・ラブ』、ドラマ『不信のとき~ウーマン・ウォーズ~』(2006)でアンルイスのカヴァーを福田が挿入曲として歌っていた持ち歌。こうしてみると、まだまだこれからなのだなぁ。表現力はかなりあるので、仕事に恵まれることを祈りたい気持ちになる。上戸とは対角線上にあるような体型なのである意味有利なのだが。

関連するキッドのブログ『石川梨華の新堂本兄弟』

火曜日に見る予定のテレビ『セクシーボイスアンドロボ』(日本テレビ)

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Newimage1hcmpr9 ←クリックするとTVスポットCM版『H☆C THE MOVIE アイドル戦士キャンディー☆ムーン』第6弾アリマス。(裏切りの猛虎の巻・前編デス)お気楽様、重すぎても見捨てないでね。

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2007年5月 6日 (日)

私はMなのに、Sと言えと言われたのでSと答えた。(戸田恵梨香)

「SとMって何ですか・・・」と路線変更をしたくなる展開だったが、バカサギコンビ的にはこうかしら。

基本的には出題回答展開がすべてのパズル的ドラマ。今回は謎解きの連打なので、解説を始めるとキリがない。

ここは、画像つきでわかりやすいお気楽社長のレビューを紹介しておきます。

お気楽様のライアーゲーム

来週の予想としては「信用」の問題になります。キッドが塚原(塚原愛ではなく鈴木浩介)なら、ここは石田(岩佐真悠子)と江藤(和田聰宏)に「オレは偽名だったのでここまでの契約はすべて無効。ここで新たな契約を結ぼう。賞金を三等分する契約だ。秋山(松田翔太)はすでに八人からオレを引いた七人の契約者があり、新たに二人を加えると賞金は九等分。オレと組めば獲得賞金は三倍」と持ちかける。しかし、すでに信用を失った塚原に同調するものはない。ここはドローの可能性を残しつつ、秋山、石田、江藤VS塚原の戦いになり、塚原の敗退はガチなのか・・・。問題は石田、江藤が塚原ポジションを取った時の対応策かな。それにしても岩佐真悠子・・・サングラスの謎の女のままで登場から三週目突入かよっ。

で、『ライアーゲーム・第四話』(フジテレビ・0705051110~)原作・甲斐谷忍、脚本・古家和尚、演出・松山博昭を見た。前週のレビューが中途半端なので、書きにくいのである。だからドラマ内容についてはお気楽様におんぶしてしまうことにした。お気楽様にはえらい迷惑だが年寄りには優しくしないといけません。

さて、キッドはゲームについて書く。ゲームというものは不思議なものだ。人生はゲームさ、と言えば南佳孝の「スローなブギにしてくれ」なのだが、歌の中では「誰も自分を愛しているだけの悲しいゲーム」なのである。「人生」がだが。で、「人生ゲーム」は正月になると子供たちに死ぬほどやらされる・・・特にコンシューマゲームで・・・ほろ苦く、甘酸っぱいゲームだったり、つい、この間は「ニコロボ」のテーマになったゲームであったりするわけである。「スーパーマリオ」や「ドラクエ」や「ポートピア」以来、人生は「TVゲームさ」になった人も多い。そして「生きることと死ぬことの間」は「ゲームだろう」と思うことはもはや常識的な問題になってきた。

人生はゲームじゃないっ。なんて言ってもそれはかなり無理のある意見と思われる時代だ。もちろん、「生命は玩具じゃない」的正論レベルでは「人生をゲームと言ったらオシマイヨ」と断言することはできるのである。

しかし、弱肉強食のルールに基づき、家畜を食べ、納税のルールに基づき、税金を支払い、多国間のルールに基づき戦争を抑止する現代において「人生がゲーム」であることを否定するのは戸田も岩佐もギャルサーだったことを否定するほど愚かなことである。・・・どんなたとえなのだ。

ここで、ゲームについて簡単にまとめておく。①ゲームとは勝負である。②ゲームにはプレイヤーがいる。③ゲームにはルールがある。 ④ゲームにはエンターティメント性がある。 ⑤ゲームには必勝法はない。 ⑥ゲームは負けないことが肝心である。⑦ゲームをやらなければ負けない ⑧ゲームをやらないことが一番大事。 ⑨そんなの無理だ。⑩人生はゲームだ

・・・ということなのだな。ウソツキゲームにも様々な種類があるが、古典的なものに二人の容疑者と取り調べる刑事のゲームというものがある。二人の容疑者は「共犯者」である。ここで「密告」という制度が導入される。「仲間を売れば(自供)すれば減刑される」というもの。「刑」は次のように分類される。「仲間を売った場合、懲役1年」「仲間に売られた場合、懲役2年」「二人とも裏切った場合懲役3年」「二人とも黙秘の場合無罪」という選択と結果が用意されている。

最悪の結果が「二人とも裏切る」であり、最良の結果は「二人とも裏切らない」なのである。

しかし、その中間点である「どちらかが裏切る」で人の心ははげしく揺れるのである。

「懲役1年」と「懲役2年」がポイントなのか、「裏切り、裏切られること」がポイントなのか。

それは「ゲーム」に対する人の考え方にも左右されるだろう。

これは「恋愛ゲーム」でもある。たとえば「浮気するか、しないか」で考えてもいいだろう。二人とも「浮気しなければ」「永遠の愛」は全うされるのだが、これがなかなかどうしてなのですね。

キッドの言いたいことはただひとつ。「人生はウソゲ」ということです。

関連するキッドのブログ『第一話のレビュー

月曜日に見る予定のテレビ『プロポーズ大作戦』(フジテレビ)

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かりん☆スー様のライアーゲーム

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2007年5月 5日 (土)

言ってよ・・・そういうことは早目に(麻生久美子)VS黒人も好き、霧山さんもちょっと好き。(小出早織)

人の心は一筋縄ではいかないものだ。現にキッドは多重人格である。もちろん、「自分」というものをかなり信用している人たちも世の中には多くいて、そういう人たちから見ればキッドはかなり「心」のビョーキであるといえるし、キッドから見れば「自分」などというものがあると思いこんでいる人たちはかなり「心」が病んでいるといえるのである。

たとえば、今回、真加出(小出)は霧山(オダギリジョー)とデートするわけだが、そうでありながら、どうやら黒人男性と交際しているらしく、あくまで、霧山とは母親(犬山イヌコ)に対する偽装の交際相手ということになる。で、ありながら、偽装デート中に霧山の手をしっかりとにぎりしめたりして、乙女心を揺らしているのである。

ここで、真加出が「単に気が多い」と考えることもできるが、「黒人男性を愛するマカデ」と「霧山を仄かに好きなマカデ」が分裂していると考えることもできる。前者は「恋多き女」だし、後者は「軽度の人格分裂」である。どちらが形式的に正しいのかは謎に包まれているのだ。

今回のゲスト・ともさかりえは早期痴呆を煩った夫に苦労している私生活を送っているわけではないのだが、虚構生活ではそういう側面があってもおかしくないスリープ玲子である。教科書、時効と夫婦でゲストのリレーを達成しているのである。

で、スリープ玲子の少女時代を演ずる大野真緒(1994生ほん怖クラブメンバー)は土屋シオンと中学時代に愛し合った仲である。しかし、この少女は父親の愛人を殺すほどに父親を愛している。愛は一筋と考えがちな人々にとっては同級生とセックスしながら父親の愛を得るために愛人を殺す中学生が「矛盾している」と思ったりもするのだが、そのぐらい、我儘なことは人間はいくらでもするのであり、また、父親を愛するレイコと後に島田曜蔵になるボーイフレンドを愛するレイコは別人格であると考えることもできる。

そういう複雑な構造を読み取るのが面倒くさい人は「わけわかんね」と思うだろうし、「わけわかんない」から面白いと思う人もいて、「わけわかんない」からつまらないという人もいる。そして、そのすべての感想が一人の人間の内部で同時に成立する場合さえあるのである。

で、『帰ってきた時効警察・第四話』(テレビ朝日0705041115~)脚本・演出・ケラリーノ・サンドロヴィッチを見た。キッドにとっては『上海紅鯨団が行く』の主題歌「べにくじら」を歌った有頂天ケラなのであるが、紅鯨という造語を作ったキッドとしてはかなり親近感を持っている。親近感があるので、かなり好意的な文章になるのであり、シンパシー持ちすぎを考慮してください。

ケラ→ケラリーノは音楽性→演劇性の傾斜であり、視聴率的にはかなりの失敗作「下北サンデーズ」にケラが登場するのはそういう関連性がある。その作者の妻がゲスト出演したりしているのも関連性だろうし、その妻の助手を務める「肩に手をおくだけで催眠暗示をかけることのできる女」(安藤玉恵)が小劇団「ボツドール」の女優であることも関連性といえるだろう。まあ、ちまちまっとしているわけです。

ついでにケラが旗揚げした「劇団健康」の初期メンバーである犬山イヌコが色濃いのもこの回の特徴になる。前シリーズの第八話もケラの演出の回であるが、ここで「多め亭」のおばさんとして登場した犬山が今回は「早め亭」のおばさんとして登場する。物語のリアルを破壊しつくす言動の犬山だが、まあ、ニャースのすることなので、ポケモンアニヴァーサリー的にも大目に見てもらいたい。十周年的恩赦なのである。

しかも真加出の母という重要な設定追加もなんのそのである。

ついでに前シリーズの第8話には真木よう子も出演していて「教科書」と「時効」の間の親和性を高めている。なんとかかんとかなのである。

・・・というようにおタク要素満載の今回。美醜の問題では「三角関係になっても問題にならず友人の父親に不憫をもたらすような中学生」だった三日月くんと恋のライバル・真加出が少しふっくらとしてきたことが奇妙なシンメトリーを形勢していてキッドの心を強く打った。

まあ、美醜の問題をこれ以上深くつっこむことはやめることにしよう。すでに松山ケンイチがタイトルでここに関連した今週なので。

で、三日月くんは暗示により、シンガーソングライターになってしまうのだが、名曲の数々がニャース色に染まっていることは言うまでもないだろう。

編集者(浅野和之)の髪型の中に手塚治虫「パンパイヤ」の主人公トッペイの髪型を見出すのはまだキッドからアニメが抜けきっていない証拠だろう。

とにかく、キリヤマ、ミカヅキ、マカデの三角関係にするどく切り込みつつ、関係を破壊しながらもほぼ修復して、次にバトンタッチした演出はなかなかに素晴らしかったと思うのである。このドラマをその側面からアプローチしているキッドとしてはヒヤヒヤさせられて、ドラマチックでした。

今回、霧山は「君はきれいになった」と三日月くんの現在の容姿を讃えているのだが、当然、それは「昔にくらべて」なのであり、一方、三日月くんはそれを抜きにして妄想にひたる。もちろん、キッドは麻生久美子は類稀なる美人女優だと考えるので、このギャグが相当に深いインパクトを感じるのである。ああ、三日月くんとのお別れの日が迫っているのだなあと早めに名残惜しさを感じるほどに。

冒頭、不眠症に悩む三日月くん。相当に病んでいる三日月くんが初歩的な心の病の症状に悩むというのがキッドの爆笑ポイントでした。

関連するキッドのブログ『第三話のレビュー

ちなみに「スリルな夜」(フジテレビ)も見ているのだが、サスペンスコメデイーというすでに頭のおかしなジャンル分けであり、そういうのが好きな人は見るといいと思うよ。

日曜日に見る予定のテレビ『新堂本兄弟』(フジテレビ)

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アンナ☆ラン様の帰ってきた時効警察

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2007年5月 4日 (金)

とりかえしの・・・とりかえしのつかないことをしてしまった・・・(菅野美穂)

そりゃ、アムロだろーっ。「ガンダム」とか「アニメ」に興味のない皆さん申し訳アリマセン。

キッドの耳には珠子(菅野)の心の叫びがそう、聞こえ、これまで、疑ってきた菅野のポジションをここで固定しようと思ったものですから。

これ以上の設定の逆転は「やりすぎ」と認定します。

ここで最初のアムロのセリフについて解説しておきます。アムロは巨大人型兵器ガンダムのパイロットなのですが、運命の人と宿命の対決をします。つまり、渡世の義理で愛するもの同士が戦うことになるわけです。決着のついた後に生き残ったアムロのセリフが「とりかえしのつかないことをしてしまった」というものになります。それはもう歴史に残ってほしい名セリフです。

今回、やや、唐突であるものの主人公・珠子の「失われた過去」が明らかになります。今さらですがネタバレなのでご注意ください。さらに、何もガンダムをたとえに出さなくても思われる方も多いでしょうが、諸事情により、キッドの灰色の脳細胞は99.99999%アニメになっているのでご容赦ください。

前の夫の連れ子の中学生・明日香(志田未来)が学校で転落死してしまい、「真実の解明」に乗り出した珠子は前の妻の子供を残し、出奔した元・夫を探し出します。そして夫が「私の頭の中の消しゴム」状態であることを知るのである。明日香の明日を消すために計画された不幸の連鎖。「なんでいってくれなかったの、なんで明日香を頼むと言ってくれなかったの、なんで・・・なんで・・・なんで・・・」そして、すべてはとりかえしのつかないことになったのである。志田未来ファンがなんで一回目で死んじゃうのーっ。誰が殺したクックロビンなのーっ。なのであった。

で、『わたしたちの教科書・第四話』(フジテレビ070503PM10~)脚本・坂元裕二、演出・葉山浩樹を見た。こわれた男をかばう男の演技には定評のある山本學(「沙粧妙子-最後の事件-」だけだろ)が、若年性認知症で「こわれた」、明日香の実父にして珠子の元夫・河原雅彦(下北サンデーズの脚本家・低視聴率のショックで壊れたのか)が登場して、もはや、逃げ道のなくなった弁護士・珠子。大人として明日香の死をつぐなわなければならない立場に追い詰められたのである。なぜなら、P大作戦と違い、過去はやり直せないし、失われた命は取り戻せない。もはや、珠子も罪人の一人になったのである。

そして、その前途には仲間由紀恵の使えない夫から一転、クールな弁護士・谷原章介が立ちふさがる展開。信長に殺される前に愛人いじめを展開するらしい。一部、大河ドラマが混入していますが、ご容赦ください。

ジェットコースターのようなドラマというものがあったが、このドラマはフリーホールのようなドラマと言えるだろう。毎回、淡々と上昇していき、最後で一気に落下するアトラクションである。ここまで毎回、そうなのでもう狙いだと思う。

視聴率的に苦戦するのはその性質によるものだろう。だって落ちると分かって昇るという仕組みが浸透してないとね。

ふたりの主役、愛に裏切られた(と今回まで誤解していた)珠子と臨時教師・加地(伊藤淳史)がついに孤立する今回。結果としての殺人者たちは異端者たちを排除する牙を剥き出しにする。

「誤解したとはいえ母と慕う少女を見放した弁護士」と「力が及ばなかったとはいえ教え子の少女を救えなかった教師」が「私達にも罪があったのでは?」と言い出した瞬間、当然の如くむき出される社会の牙。社会は「なぜ、死んだ?」という問いかけに「甘ちゃんだからさ」と答える模様なのである。

生あるもののこの残酷な答えにたじろぐ二人。ああ、そうですよ、復讐なんて、虚しいのですよ。でもね、私はやりますよ、そうでないと、明日香があまりにもかわいそうで涙が止まらないからです。

汚れちまった悲しみに今日も桜吹雪が舞うのである。

弁護士事務所、職員室、教室が三つ巴のバトルを展開する模様のこのドラマ。失われた教室の命。守るべきなのに守れなかった教師。守るべきなのに見捨てた弁護士。このとりかえしのつかなさを見過ごした学校や法に戦いを挑む二人の滅びは必至なのである。なぜなら、世界は生者のためにあり、死者の声は常に響かないものなのだから。

果たして、復讐の炎は聖なる業火となって世界を焼き尽くすことができるのか。キッドは今にもコロニーが落下してくるような予感に震えるのだった。

関連するキッドのブログ『第三話のレビュー

土曜日に見る予定のテレビ『ライアーゲーム』(フジテレビ)『土曜プレミアム』プラスワン作戦は今回もそこそこか・・・?

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まこ☆ミキ様のわたしたちの教科書

かりん☆スー様のわたしたちの教科書

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2007年5月 3日 (木)

もう、バンビでもないのかよっ・・・(松本潤)

「元気でな、伴・・・」と香取先輩(佐藤隆太)に言われたバンビ(松潤)が環境変化→順応の際に生じたドーパミンルートの喪失の予感に「さびしさ」を感じるセリフ。

今回は「ああ、スポ根ものなのね」と視聴者の「番組の見方」の固定化が浸透してきて、好評なのではないか。そりゃあ、伴だものな。星くんはまだ来んとですか。

「いじめ」と「しごき」が違うものかどうか、キッドは自信がないのだが、とにかく、「いじめ」を禁止すると「しごき」も立場が危うくなる。「嗜虐的な幼児虐待」が問題になるので「お尻ペンペンのしつけ」もできなくなってしまう。こういう頭の悪さは本当にどうにもならないものだなぁ。高野連問題なんか頭が悪すぎて面白いくらいだが。

現在「P大作戦」は「過去の改変」テーマを展開しているのだが、ここには「もうひとつの別の世界」という考え方が導入されやすい。たとえば「原作」と「ドラマ」はもうひとつの別の世界である。「華麗」で「原作で自殺する主人公」が「ドラマではどうなるのか」とドキドキできるのも「もうひとつの別の世界」というシステムを各自が心で展開しているからなのだ。「ニコロボ」ではどちらかといえば、ボーイッシュでオタッキーなスタイルの「原作のニコ」と小学校の時にミニモニが好きで、そのまま中学生になっちゃったという感じの「ドラマのニコ」はもうひとつの別の世界、つまり平行世界、多元宇宙、パラレルワールド、アナーザーワールドの中に各自存在するのである。

そういう意味で「原作の香取」よりも「ドラマの香取」の方が「ツンデレ」だったりするのだが、これはやはり佐藤隆太が演じる以上仕方ないのである。ちなみに、今年は水木のアニキもツンデレを知らなかったのでツンデレを説明しておくと、①ツンツンしているのにデレデレ ②本心は愛で満ちているのに態度は冷たくふるまう萌えアニメのキャラクター ③星一徹・・・ということである。

で、『バンビ~ノ!・第三話』(日本テレビ・070502PM10~)原作・せきやてつじ、脚本・岡田恵和、演出・佐久間紀佳を見た。今回もパターンは同じなのだが、基本的に型にはめるというのはこういうことだからこれでいいのだ。たとえばバッティングフォームを作る場合の素振り。無意味にも思える繰り返しの中から理想の形を体が探り出していく。たとえば漢字の書き取り、繰り返し書くことで意味が体にしみこんで行く。人間はリフレインで記憶する動物なのである。だから、バンビは世界というものと繰り返し衝突し、自分の中の幻想の自分、幻想の能力、幻想の世界を消滅させられ、それと引き換えに有能さを身につけていくのだから。

人は何かを得るためには何かを失わなければならない。神は与え奪うものだからである。たとえば「恋」だって自分の思うほどの「恋」なんかないと思い知って初めてほどほどの「恋」を得ることができたりする。そしてそれが「かっての理想の恋」に劣っているとは限らないところがこの世界の醍醐味なのだ。

それにしても、バンビは使えなさすぎるだろうと思う人がいるだろうが、イタめしがさほど珍しくない時代にあれだけの集客力を持つ店は「特別な店」であるはずであり、そこで大学生のバイトくんがそこそこ使える働きをしたということはバンビだって只者ではないのである。少なくとも「第一話」の香取のツン程度に辟易してしまう軟弱な現代社会にあって少なくとも任期を全うしたバンビはさすがに主役なのであった。

新入りに対して「厳しく指導しまくった」先輩たち。旅立つ彼を送り出す姿勢は淡々と優しい。ま、ちょっと優しすぎて恥ずかしいところもありますが。バッカナーレのシェフ(市村正親)はパスタを作ってあげます。「うまかー」です。「オレは何万皿、そのパスタを作ったことか・・・」なのである。食材を用意し、パスタをゆで、ソースを作る・・・このくりかえしが「うまかー」なのだと悟るバンビ。

紙一重という言葉があります。重ねた紙を想像してみてください。一匹のアリが紙と紙の間をもがきながら進んでいく。突然、紙の端が現れ、一番上の紙の上に出ると見たこともない世界が広がっている。あの瞬間、バンビは紙一重の世界を越えた模様。

バンビは「別れの挨拶」として「まかない」を作ることを申し出ます。「まかない」らしいぶっかけライスです。まあ、公式には丼として紹介されていますが、どんぶりにはいっていないものをキッドは丼ものとしては認めません。

バンビのまかないを食べるツンの皆さん。そのデレデレぶり、ガツガツ食べるもの、頷くもの、おかわりをするもの(ほっしゃん)・・・その中で香取はデレを隠して顔を背けるデレぶりです。今回で香取はツンデレ男をあげました。もうカトリ~ノと呼びたいくらいです。

そして、後ろ髪を引かれながら恋人(吹石一恵)のいる空港に降り立ったバンビ。強くにぎりしめる恋人の背中。その場で服を引きちぎり押し倒すのか・・・たまってたんだなぁ・・・じゃなくて「安全地帯」がかかってサラリーマンNEOのコントが始まるのかと思いましたよ。キッドが作家なら原作を大きく変えたくなるところですが、さてどうするのかな?

関連するキッドのブログ『第二話のレビュー

金曜日に見る予定のテレビ『帰ってきた時効警察』(テレビ朝日)

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2007年5月 2日 (水)

女なんて大嫌いだーっ・・・今、どこにいるのぉ?(松山ケンイチ)

ロボ(松山)は「先輩に弱い」のだが、第一話では「ニコの姉に弱く」第二話では「犯罪者の恋人」に弱く、第三話では「行きずりのメイド」に弱く・・・としっかりと「女に弱い」キャラを演じている。しかし、根が二枚目なので「女にもてない」という演出がなかなか行き届かないのであるな。

一方、ニコ(大後寿々花)は「セクシーボイス」で「地獄耳」(原作、ドラマともにこの言葉は使用していない。常人にはない聴力と一々書くのが面倒なので意味は正しいとは言えないがこのブログではそういう意図で使用します)の持ち主で性格は知能指数150程度のクールさを持っている(原作、テレビともにそういう設定はないが耳年増として当然、知力は高く、世間の裏表を知ることになるので冷笑的になるはずだ。原作では同世代とあわせているニュアンスのセリフがあるし、社会人であるロボを手玉にとっている)はずなのだが、その辺りも臨機応変が過ぎるきらいが。もう少しキャラを落ち着かせてもらいたい。

本当はマキ(浅丘ルリ子)が諭すようなこと(今回なら「我慢し続けるのも選択肢としてはあり」)を既に自明の理としてもっているキャラなのだが、ドラマはそのあたりを一般化(天才的な個人というものを理解できない人々に向けて低度化)している。そうでありながら、ちょっと上滑りな演出が目立ち・・・わかる人だけわかればいいとでも云うような・・・脱落ポイントになっているのだが、今回は6.9%↑7.0%とあげたーっのである。それはきっと「おしり喫茶」効果だと思う。0.1%の人たち、お下劣。

で、『セクシーボイス アンド ロボ・第四話』(日本テレビ・070501PM10~)原作・黒田硫黄、脚本・山岡真介、演出・石尾純を見た。脚本・演出チームが変わり、ちょんまげが好きになったようだが、そういう余計な手間はもう少し、本筋を外さないともっと生きる。わんこそば大会も唐突すぎ。冒頭、「数学が苦手」というニコが「おしどり喫茶」の前で「面白いこと」に遭遇するくだり、堪忍袋(市川美和子)の仕掛けた爆弾で「ど」がふっとび、「おしり喫茶」になった後に、飛ばされた「ど」がロボの車に付着してしまう「絵」は表現されるべきなのだ。ああ、「ど」が発見されてしまうのだな・・・とワクワクしながら見たいところなのだから。この後で、爆弾入りカレーを食べるシーンでは「ルー」から「爆弾」がちょっとのぞく「絵」がなければいけない。また、地球儀で「回転」と「起爆」は一度、別の形で「小爆破」をフラないとオチない。この回は「サッカー選手を爆殺しようとする熱狂的なファン」の原作のアレンジであり、「火薬」という道具は「人を殺傷する爆弾」にも「人を楽しませる花火」にもなるというオチで「人から与えられた障害も試練と思えばいいのだ」という教訓要素に持っていくのであり、爆弾の仕組みは非常に重要なポイント。キスするカップルのような背景を仕込む時間があるのなら、どうすれば、爆弾をわかりやすく見せられるかという演出プランに時間を使うといいだろう。なにしろ、時間は有限ですからね。

ちなみに帰国子女だったり・・・デーモン小暮だったり、塚原愛だったり・・・すると「だるまさんが転んだ」では止まらないとベタなツッコミをお許しください。

基本的に警察は無能に描かれるこの世界だが、本来「特殊機関」は「超法規」なのでより、自由度の低い警察は無能になりがち。(例・007は殺人許可証を持っているが警察にはない。・・・ワイルド7を除く)だから、ルパンにおける銭形警部のようなキャラは造形してもよい。そうすれば「殺人犯」だの「強盗」だの「爆弾魔」だのの擁護的内容もスルーできるだろう。「ルパンが泥棒してる」ことを怒り出す人はさすがに少ないはずである。

基本的に「ニコ」や「ロボ」が「愛した人」は犯罪を犯しても「反省」すれば許され、行き過ぎがないように「保護」してあげるというのが「ニコロボ」の超法規的措置なのである。

そして、マキがロボやマックスロボを開放できるということは「国家権力」の中枢にマキが超法規的な接続をしていることが示されたということで「笑い袋」ではすまされない問題なのだが、どうしても中学生が大金を得ることには抵抗があるらしい。ま、テレビですからねえ。愛すべきキャラクターたちを作り上げているのだから、子供心としては「人を殺さなきゃならないので」三日坊主とか、「変装が必要なので」お歯黒女とか、「爆弾が欲しいから」堪忍袋とか仲間的に再登場も期待したいのだが、・・・ごぼ蔵使えねーっ・・・三日坊主死んでるし。「スパイ大作戦」みたいに延々続けられるのになぁ。ま、狙いが違うようですけれども。

それにしてもプクーちゃんといい堪忍袋といい「事業部」に行けっと考えます。

「ロボは悪いことなんかできない」というニコと「先輩は悪いことなんかしない」というロボ。この二人の微妙な差が「この人、溜め込んでないよー、爆発させてるよー」(ニコ)と「ちょっと、黙ってて」(ロボ)にまで展開していくのだが、そうなると特技「セクシーボイス」(今回はちっともセクシーではないが)を発動させる前に「何とかしたいの」(ロボ)「・・・しょうがないなー」(ニコ)という「決め」が必要なのだが、そのあたりが難解になっている。

これは「読めない」視聴者と「読ませることのできない」スタッフの微妙なすれ違いだと考えます。

「地獄耳」的には調理場の堪忍袋が返事をした瞬間、ニコが気がつく描写は絶対に必要。そういうフリがあれば、もう一つの能力で「男の声も出せちゃいます」の唐突感はかなり減少するはずである。

ま、緩い感じが持ち味なので、「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍ぶ」づくし。「梅酒」に堪え、「ボール」に堪え、「キモオタ」に堪え、「間接キス」に堪え、「朝令暮改」に堪え、「数学の宿題」に堪え、「チャーシューメン」に堪え、そしてこの世のあらゆる理不尽に堪える人々。編成や営業も「低視聴率」に堪えてくれるとは限りませんけれど。ま、DVDでペイすればいいのかっ。やっばり、事業部かっ。

関連するキッドのブログ『第三話のレビュー

まだ、ペースが戻らない。頭の中にアニソンが渦巻いている。昔は切り替えはもっとすばやくできたのにな。今回も「ガンキャノン」について延々と書きそうになって困りました。年のせいにしたくはないけどやはり年には勝てないのか・・・。

木曜日に見る予定のテレビ『私たちの教科書』(日本テレビ)・・・うーん、結局、『P大作戦』『ニコロボ』『パンビ』『教科書』『帰・時効』『ウソゲ』と月~土までドラマレビューしているわけだが、・・・もう切れないしなあ。

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2007年5月 1日 (火)

おヨメさんになろうかななんて・・・(長澤まさみ)・・・・・・(山下智久)

おいおい・・・そこスルーなのかよっ。君は何しに来てるのかなーッとキッドはこぶしをにぎりしめましたよ。

もう、なんだか、結果が分かってるのに巨人戦の中継して延長しちゃうみたいな頭の悪さを感じます。しかし、それが社会であり、人間であり、組織というものなのかも知れません。個人だって細胞組織だもんなと感じます。

で、『プロポーズ大作戦・第三回』(フジテレビ070430PM0915~)を見たのですが、スケジュールが回復しないので仮設です。ひとつの考え方として、過去の健の意識は「過去」+「未来」のせめぎ合いで構成されているようです。24才なのに時々、18才の幼さを示すのは「成長していない証」というよりも「18才の意識」に支配されていると考えた方が納得できる。このあたりは文章だと説明しやすいのだが、映像で表現できるかどうかというところ。

そうでないと、時々、何しに来たのか忘れてる健がじれったくて我慢できなくなりますので。まあ、「遠回り」でも「目的地」に近付くのはエロゲにありがちな手法ですが・・・。

ああ、書き出すと止まらない。

ここだけ視聴率チェック。プロ野球中継10.0%、プロポーズ大作戦13.4%、SMSM15.9%である。延長なんてしてる場合なのか?

・・・・・・・・・で、ようやく、もう少し追加するのであるが、もう次回の直前である。

ここでは意識だけの過去への溯上というテーマをもう少し説明する。

テキストとして筒井康隆先生の短編小説『秒読み』(1984『薬菜飯店』1988収録)を用いる。このアイディアがすでにあるという意味である。

『秒読み』の主人公は米国軍人の中年男である。彼の仕事は大陸弾道弾の発射制御。勤務の交代時間に「秒読み開始」の指令が下るという世界破滅テーマである。勤務を交代した主人公は刻々と迫る核戦争への秒読みを背に「この破滅から逃れたい一心」で過去へタイムスリップしてしまう。たどりついたのはハイスクール時代の自分自身だった。

その瞬間、中年男の心を持った少年が誕生するのである。では少年の心はどこに行ったのかと言えばそれは中年男の心の中に内包されたのだ。では心をなくした中年男の体はどうなってしまったのか。主人公は未来はすでに失われたと考える。なぜなら、その瞬間はまだ訪れていないのだから。

この点、いったりきたりをする「プロポーズ大作戦」は違うのである。戻ってきた健に妖精が「あの後はこうなった」と説明するのだが、すでにその未来にいるはずの健にそのことを説明するのはおかしいのである。過去で体験したことが健の未来を変えているので、当然、健の意識も変わっている。第③の未来(現代)の健は第②の過去でパースを手に入れ、第③の過去でアンケートをとった健なのである。花嫁と花婿が変わらなくても、もはや同じ健ではない。この点、ドラマの中では健は第①の未来のまま、過去を旅行してきた旅人のように描かれており、めまいを感じる程度の矛盾がある。

さて「秒読み」の主人公に戻ろう。彼は高校生でありながら、大人の経験を持つ特異な存在になる。しかし、「秒読み」の事実は変わらない、数秒後が数十年後に変わっただけである。彼はなんとか、戦争を回避しなければと思う。しかし、数十年後に世界が滅びることを知っている高校生に出来ることは・・・あまりないのである。

その根本的な問題はさておき、彼は大人の知恵でケンカ別れすることになる親友との衝突を回避したり、純情すぎて実らなかった初恋を成就させたりする。・・・ああ、ここです。ここなのですね。プロボーズ大作戦とのかぶりポイントは。この他、昔は気がつかなかった地味な教師の魅力も発見したりします。つまり、大人目線ということです。

さて、二重意識という問題では、「秒読み」の主人公は「夢」という共感要素を提出します。夢というものは目覚めた瞬間には内容をはっきり覚えていたりしますが、たちまち曖昧になり、数分後には夢を見ていたことさえ忘れているという経験はほぼ共通体験と考えます。同様に、高校生の主人公にとっては中年男の人生の挿入は「夢」のようなものとなるのです。

主人公は思春期の肉体の持つ欲望や思考にたちまち飲み込まれていくことを意識します。つまり、彼の経験や経験に基づく意識が本来の高校生の意識に圧倒されていくのです。それでは・・・過去に戻ってきた意味が・・・さて「秒読み」がとんな結末を迎えるかはここでは秘密にしておきます。

「プロポーズ大作戦」では健は時々、未来からの意識に支配されてしまうのです。けれど未来の健にその記憶が残っていない仕組みというものを説明しているのですが、ご理解いただけたでしょうか。ま、人間の記憶が実は捏造に告ぐ捏造にすぎないとすれば愛の心もちょっぴり疑わしいことになったりしますけど。だって愛はメモリーに過ぎないのですから。

関連するキッドのブログ『第二話のレビュー

水曜日に見る予定のテレビ『バンビ~ノ』(日本テレビ)

ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。

皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。

Hcinhawaii0148 多忙のキッドの加工場、今回のPごっこはドサクサまぎれの一枚です。これはこれで祭りなのでは。青春時代に戻れたなら、本当は恋なんかやりなおせなくてもそれだけで楽しいよなっと思うお年頃のじいやでございます。

かりん☆スー様のプロポーズ大作戦

アンナ☆ラン様のプロポーズ大作戦

まこ☆ミキ様のプロボーズ大作戦

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