す、す、すき焼きでも食べようか。とか。す、す、スリランカは昔セイロンだったね。とか。す、す、するめいかともんこういかではどっちが固いですか。とか。「好き」と言えない人のために「す」のつく言葉はたくさんあるんだよなあ。でも半世紀ちかく前にこれが生れて、関係者はどんどん亡くなったけど「スーダラ節」は残りました。
前回、「言えばいいじゃん」の大合唱を想定して、今回、「言った」ような「言わない」ような展開とか、「言わせない」展開とかが多数用意されています。仕掛け的にはがんばったと思う。
最初に多田(藤木直人)と礼(長澤まさみ)が「好き」「私も好き」と言っているので「オレも好き」と健(山P)がついでに告白すると「冬のソナタ」の話だったりする。2004年。韓流ブームでアテネオリンピックの夏である。
次に「これがあたったらつきあうの決定」と水風船を目標に投げる健。命中。しかし、礼は「本気」と受け取らない。・・・後はいつもの通りだ。「好き」の一言がどうしても言えない健。「うる星やつら」の諸星あたるなみの照れ屋さんである。
本題に入る前に恒例の週末の視聴率チェック。「生徒諸君」↘*6.8%(どうしたらいいかスタッフがトイレで考えるといいのかもしれない)、「特急田中」↘*8.5%(しかし、がんばったとも言えるよな。もう少し田中のキャラが普通だったらなぁ、底辺すぎたよな)、「紅の豚」15.0%(いい加減その後のヒミツの話を教えてもらいたい)、山田太一の「星ひとつの夜」18.4%(ブタと太一で30%とられてたのかっ。内容は星みっつくらいかな?)、「帰・時効警察」↘11.7%(なんだろう。給料日がらみの下げかしら)、「喰いタン2」↘12.8%(東山くんのバック転、ちょっとこわかった)、「アイロボット」16.2%(ロボット、サイボーグ、ロボイドもう少し三つ巴で)、「ウソゲ」↗12.0%(だまされて泣き、だましてごめんもはや戸田の天下か)、「風林火山」↗20.7%(もはや、向かうところ敵なしでござるな)「冗談じゃない」↘10.7%(ヒトケタにならなくて良かったというところかな。もはやタレントのファンが仕方なく見ている状況か)、「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」26.5%(すんげえーっ、面白いからなー、洋画の逆襲が始まってるなーっ。ホントにブームって気がつけば終ってるもんだなー)・・・以上。
で、『プロポーズ大作戦・第七話』(フジテレビ・070528PM9~)脚本・金子茂樹、演出・加藤裕将を見た。すでに大学三年になっている健たち。最初は6年前だったので、もはや現代まで3年を残すのみ。そして、実質、多田が告白して礼と付き合い始め、挙式をあげるまでにはもはや3年を切っているのである。もちろん、礼と多田がいつ、恋人同士になったのかはまだ明かされていないのだが、今回のストーリーを見る限り、健は自分というものを見失った典型的な若者なのだろう。
かって、「自分」というものがもてはやされた時代があった。親も教師たちも「自分」を大切にしろと指導した。何故か、といえば彼らは「自分」というものを目指し、なかなか「自分」というものが理解できず、ついに「自分」をもてあました人々だったからである。だからこそ、次世代には「自分」を獲得してもらいたかったのだな。
だが、「自分」を持たないものに「自分」を教えることはできないわけで、その下の世代は「自分」を持たない上の世代を軽蔑しつつ、さらに「自分」そのものを見失ってしまったのだ。おそらく、日本人は「自分」というものが苦手なのではないかと思う。
過去に戻った健は例によって「のっとり」を行い、状況を把握するまでに無駄な時を過ごす。こういうのは「状況に流されやすい性格」と言える。つまり「自分」がないのである。現代の健は「このままでは愛する人を奪われるのでその前に捕まえる」という目標を持って過去にやってきた。それは「火事場から逃げてきたようなもの」なので過去のまだ「平穏な日々」に辿り着くとたちまち「その場」をエンジョイしてしまうのである。・・・ああ、ダメな奴。
もちろん、ダメな奴なりに「危機感」はあるのだが、ものすごく「決意」に欠けている。たとえば、「好き」ととりあえず言ってみるという行動を行い、失敗すると凹むのである。そしてとりあえずやってみたという満足感を同時に得る。「自分」がないので、凹むの凸るのを同時に行うのである。これでバランスをとるとたちまち目標を見失ってしまう。
現在、他人を貶めるときに「なんでそんなに必死なのか」という論理を使う傾向がある。「ひたむきに目標にむかったり」「手段を選ばずに目標を達成する」ことを嫌悪する態度だ。これは一概に否定できない側面がある。「邪魔だからどけっ」とか「邪魔だから殺すっ」というのを否定したい気持ちがあってもおかしくない。
しかし、これを限度なく使い始めると、大変なことになるのである。なにしろ、「自分」がないのである。つまり、「困ったことになっても」「必死にはなれない」ということになる。溺れてるくせに藁をつかまない状態だ。ま、つかんでも無駄だけどな。
さて、今回は礼の内面にエリ(榮倉奈々)が踏み込んでいく。エリはふられているのだがふった男から呼び出されるとつい出かけてしまう。都合のいい女になっている。いやなのだがいやと言えないのである。なぜなら「自分」がないからだ。一方、礼は「自分」があるのかといえばそうともいえない。健に告白しようとして果たせず、「健を好きな自分」を殺しているだけである。つまり、「自分」がないのである。ただし、そうすれば前向きになれると思っているのだ。そういう礼をうらやましく感じるほどにエリには「自分」がない。
さて、キッドが「自分」を持っているのではないかと疑っている多田を見てみよう。彼が未来から来ている証拠はまだないのだが、「教育実習に来た」「告白を消した」「今回も時間を待っているかのようだった」など疑わしさは増している。そもそも、タイムスリップによる過去改変というモラルに欠けた行動をする健が礼とのハッピーエンドを迎えるためには悪役は必要不可欠であり、彼が「自分」を持っていないと話は苦しいのではないかと考えるのだ。
さて、お分かりのようにキッドの考える「自分」とは「悪」なのである。「自分」を持つのは「悪」になることなのだ。だから「自分」についての教育は難しいのである。「自分」と「他人」が渾然一体となっている社会的な生物にとってはなかなかに不条理な問題なのだった。
健が思ったよりバカでないとすると健のダメさは「悪」に徹することができないところだということになる。今回、健は「告白」のチャンスを見逃して、友人という他人にアドバイスをする。そのことによってエリはとんでもない愛をつかんでしまうのだが・・・ユーミンの5cmの向こう岸が泣いてあやまる展開だ・・・それはそれとして、健は目標を見失う。
そうでありながら、多田の告白を阻止に向かう。それは成功するのだが、たちまち凹む。つまり、多田の幸せを阻んでしまうという「悪いこと」に耐えられないのである。そして、目標の達成にブレーキをかける。しかし、多田はなりふりかまわない。たちまち目標を達成してしまう。多田には「健と礼の関係」が見えていないから仕方ない・・・と考える人は「自分」というものがない人だと思う。
健をもう少し優しく解釈してみよう。健はなぜ「愛」をあきらめるのか。それは礼の幸福について考えたとき、告白できた多田と告白できない健のどちらがふさわしいかという比較をしたのだと考えられる。礼は多田と結ばれても仕方ないという結論はたやすく得られる。もちろん、自分というものがないからなのだが。
今回のテキストは『ドラキュラ紀元』(1992・キム・ニューマン)である。厳密に言うとタイムトラベルものとは言えない。しかし、『プロポーズ大作戦』がありえないはずだったとんでもないカップルを成立させてしまう場合の「もうひとつ別の世界」の考え方を用いたなかなかの作品なのである。この世には可能性の数だけ無数のパラレルワールドが広がっているというのは「自分」を持たない人間にはなかなか魅力的なのだな。
この小説の元ネタは『吸血鬼ドラキュラ』(1897ブラム・ストーカー)である。ま、古典中の古典なので説明は省略するが、「もしもドラキュラがヘルシングを倒したら・・・」な世界の話なのである。ドラキュラはたちまち、ヨーロッパ全土にその魔手をひろげ、人々はほとんどが吸血鬼になってしまうのである。
そこには吸血鬼の血の濃さに連なる新たなる階級制度が敷かれる。大英帝国では女王がドラキュラの奴隷としてビッチのような扱いを受けるのである。もう、このあたりの倒錯的な描写は震えるような痛快さを伴う。実在した人物や、虚構の中の人物が次々に登場し、最終的には女王を解放するためにダブルオーナンバーの人が・・・。さらに続編では吸血鬼同士の世界大戦がくりひろげられたりする・・・紅の吸血鬼だったりするのだな・・・という面白すぎる物語である。
さて、ここで考えるのは吸血鬼の「愛」についてである。吸血鬼たるもの「愛」は不可欠なのだが、「愛される」相手が問題なのである。それが人間だった場合、吸血鬼の「愛」は相手の死を意味するのである。もちろん、相手は吸血鬼になるので別にいいではないかという考え方もあり、そういう傾向そのものが「自分」のなさを物語るのだが、とにかく、それは悪いことであると仮定しよう。
吸血鬼は人を愛することができる。しかし、愛すると同時に人は死ぬ。これを愛と呼べるかどうか。吸血鬼は・・・悩むのである。この苦悩はなかなかに普遍的な苦悩だ。「あの娘と結婚したい。でもあの娘を幸せにできるか自信がない」「人類の自由と平等は大切なことだ。でもあの娘より大切にしたらまずいかな」「責任を追及したら自殺してしまった。自殺するなんていけないことなの。もっと追求したら他の人も自殺するかもね。でも追求しなくちゃなあ。できたら自殺は勘弁してほしいなあ。なんだか、気分悪いから」「私は貧乏で頭も悪くて体も弱くあまり綺麗じゃありません。でもこの子は生みたいのです。育ててみたいのです。気がかわって捨てるかもしれませんが」「ファンの皆さん、ごめんなさい。できちゃった婚だピョーン」
「いい人の気まぐれにふりまわされるよりもドラキュラの冷たい愛に身を捧げたい」・・・礼の心の着地点はこのあたりなのではないでしょうか。
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水曜日に見る予定のテレビ『バンビ~ノ』(日本テレビ)
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皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
P祭り開催中なのでPごっこレポートをお届けします。お気楽「もう、飽きてきたのね。どうせ最終回までどうにもなんないんだから」アンナ☆ラン「ダーリンもでないしね」ads(あず)「・・・それはちょっと・・・ドラマなんだし・・・ダーリンはでませんけど・・・」
かりん☆スー「もう、健がかわいそうでかわいそうで涙なのよ。別に礼と結ばれなくてもいいんだけど。礼ももっとガンガンいけばいいのよね。じれったいったらないの。スーはそう思うのよ」みょうがの芯「かりん先輩、私ってエリなんですか。・・・ち、小さい人とラブラブ?」
お気楽「夏、水遊び。私を投げないで。ハレルヤチャンス」ぷっち☆翠「また、ちょっと視聴率が15%をきったりして困るのデス。翠的には50%はないと不満です」mari「Pちゃまが出ているんだから可能なはずよね。海賊の倍くらいでいいんですもの」
かりん☆スー「ねえ、こういう状態って、迷うものなの? もうなんだか恵まれすぎてないの?・・・もちろん、スーはPちゃんで決まりでスー」
まこ☆ミキ「はうぅぅん。も、もちろん、迷わないのデス。ふ、フジッキー一筋ナノデスヨ。・・・でも、山Pがいいと言うのなら、そ、それはそれで、はうぅん、両方、持ち帰りでお願いシマス・・・」
みのむし「危なくごっこ不参加になるところでしたっ」まこ☆ミキ「ちっ・・・」
アンナ☆ラン「もう、ダーロイド投入なのっ。だって淋しいからっ」お気楽「もー、誰が誰やら・・・浴衣祭り?」
ミマム「・・・ちょっと暗いですね」
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