私しかいないと言われたので助けにきました。(戸田恵梨香)
・・・わははははは。もう、お茶の間の皆さんがダメーっ、そっち行っちゃだめーっと合唱しそうなB級ホラーな展開である。もう、このシーンだけでも楽しいぞ。
それにしても、戸田恵梨香はこの役にぴったりだな。そして、岩佐真悠子は事務所が小さいと言うだけで、こんな役ばかりで可愛そうだ。それでもあの存在感。演出次第ではもっともっとアピールできたよな。特に秋山(松田翔太)と対等に渡り合う知性の持ち主であることをそういう場面なしで感じさせるオーラがある。こういう部分が分からないスタッフが多いから、ドラマ全体は面白くならないのだな。
もちろん、世の中が岩佐的な女の子よりも戸田的な女の子を求めているという傾向もあるのかもしれない。
しかし、ビッチを肯定的にとらえる解釈があるとすると、岩佐は古風なビッチ、戸田は今風のビッチなのかもしれない。ま、ビッチを肯定的にとらえるという発想がすでに禍々しいのですが。
今回は後半は「めぞん一刻」もレビューするが、伊東美咲もまた「ビッチ」として捕らえ得ると考える。
で、『ライアーゲーム・第五話』(フジテレビ・070512PM1110~)原作・甲斐谷忍、脚本・古家和尚、演出・松山博昭を見た。嘘つきゲームでは、結局信用がものを言うのである。つまり、最後まで騙したものが勝つのだ。そういう意味で勝利の前に嘘つきであることを示してしまうのは愚の骨頂なのである。逆に「私はウソをつかない」と宣言した秋山が梨恵の信用を勝ち取り、勝利するのだ。
ギャンブルとゲームは似て非なるものだが、ゲームの場合は「負けないことが大切」なのである。それを「セオリー」という。秋山は敵が最良の選択をしないと見切った上で、最悪の結果を回避する。それはギャンブルではなく、ゲームだからだ。
「超法規」と「非合法」の境界線があるとすればその一点なのである。
ちなみに前回触れた「容疑者のゲーム」では「最悪の結果は懲役3年」であり、それは「仲間を売った場合」にのみ成立する。だから、「仲間を売らない」のがゲームとしてのセオリーの選択なのである。もしも仲間が裏切ったとしても「懲役は2年」ですむのだ。そういう意味では秋山の選択はややギャンブルのきらいがないわけでもないが、エンターティメントとしては許せる範囲といえます。
来週は「リストラゲーム」という「仲間はずれ」にするための戦略だ。ある意味、今回は常に少数派になろうとするゲームだったのだが、逆に、孤立をさけるゲームになるわけだ。その手段は「買収」なのである。「人の心」がどれほど金で買えるのか、あなたは時の涙を見るのである。「領収書をください」は北京では「チンゲオオソウジ」なのである。
関連するキッドのブログ『第四話のレビュー』
で、『スペシャルドラマ・めぞん一刻』(テレビ朝日・070512PM9~)原作・高橋留美子、脚本・岡田惠和、演出・本木克英を見た。物語の舞台は1980年であるのに1983年の松田聖子の「SWEET MEMORIES」が流れるほどのいい加減な作品でこだわりのなさに腰が抜けるのだが、最近のテレビドラマにそういうことを求めても虚しいのでいいことにする。
脚本家は原作のマニアだそうだが、恥知らずということなのだろう。
もちろん、原作は全15巻というそこそこの長編なので、2時間で全てを語るにはかなりダイジェストするしかなく、いわゆる「さわり」を紹介するしかないのであるが、「ちゅらさん」で「一風館」というイタダキをして出世した以上、原作にそれなりのものを返してあげたいという義理もあるはずである。
ついでにいっておくが「ぼくの魔法使い」というドラマの篠原涼子の両親は明らかに音無響子の実の両親・千草夫妻からのイタダキではないかと疑っている。もちろん、今回はこの夫妻は省略されている。
と、このように「めぞん」マニアは腐るほどいるのであり、さらにアニメ版(1986-88)のファンがいるし、主題歌が「悲しみよこんにちは」(斉藤由貴)でないと許せない人や、石原真理子の映画版(1986)に妙な思いいれがある人などもいる。一の瀬花枝が藤田弓子でないと発狂する人もいるだろう。
そういう意味でこのドラマ化はこわいもの知らずというか、恐ろしい試みと言えるだろう。そういうチャレンジ精神は素敵だ。
で、今回、分かったのはテレビドラマ「電車男」が構造的に「めぞん」だったのだなぁということである。それは主役を伊東伊藤で考えればいい。年上の女とダメな若者の恋でそのままである。そして朱美さんは白石美帆がやればよかったし、四谷は十文字もありだったのだ。・・・意味不明の人、申し訳ないです。ネタがオタッキーの分野ですので、ご了承ください。
結論から言うと伊東美咲の管理人さんはまずまずだったと思う。できれぱ五年前にやっていればもっと良かったかな。で、キッドのお目当ては高橋由美子の朱美さんなわけだが、これはまず、体当たりでがんばったと思う。とくにお腹の肉のだらしなさがかなり朱美さん的だった。しかし、「二次元が三次元になっている」喜びは「南くんの恋人」にはおよばなかったな。まず、髪の毛を染めていない朱美さんは朱美さんではないし、イメージカラーもピンクや品の悪いシースルーの赤をスタイリングしなければいけない。そういう意味でがっかりだ。
岸本加世子はいい味出していたが、一の瀬さんを演じるにはあと、10キロ太るべきだ。岸部一徳はさらにいい味だしていたが、あまりにも高齢すぎたな。北村一輝の世代の役者がやるべきところ。沢村一樹の三鷹さんも年齢的にはアウトである。基本的に青春物語なので、年齢は重要だ。しかし、まあ、役柄としてはピッタリなのだが。そういう意味で榮倉奈々のこずえは研音キャスティングとしてはグッドだったと言える。
後日談としての春香も森迫永依はミスキャスト。可愛さよりもありえないほどの美少女でなければ笑えない。
新人をキャスティングした五代くんの成否は微妙だが、「めぞん」的世界の再現ということではかなりものたりない。
大晦日の夜は重要なエピソードである。まず、脚色として「偶然二人になる」という状況が省略されてしまう大失礼をするのだが、これはその後の展開が新人には再現できないという逆算が考えられる。本来、「朱美さん」が管理人さんのところで年越し→五代が便乗→朱美がスキーに誘われ離脱→二人きりにという流れなのである。
この時、五代は「管理人さんを押し倒して欲望をとげたい」という色餓鬼の心に責められる。一方、女神のような管理人さんの心中にも「ビッチ」の心が芽生えていて、もちろん、それは抑圧される。しかし、五代がもしも欲望を剥き出しにしたらどうするかと案じたりもするのである。そして、お互いが妄想に妄想を重ねながら除夜の鐘を迎えるのである。この時、五代は「やりたい気持ちを必死にこらえる」、一方管理人さんは何もなかったことによって「五代さんを疑ってしまい悪かった」と思う。この心のすれちがいがハッピーエンド(二年参りから結婚までを含む)にむける重要な要素で「笑い」のポイントなのだ。ここを省略するのでは「めぞん」のことが何一つ分かってないことになるのである。
管理人さんの原型はおそらく小津安二郎監督の「東京物語」(1953)に登場する原節子だと思う。夫を戦死で亡くし若くして未亡人になった原に夫の父親(笠智衆)が「もう、充分だから・・・」と告げるのがそのまんま再現されているわけである。
これは「二夫に見えず」というロマン(理想)への現実的な対応という情けの表現だ。管理人さんも心にそういう部分がある。それは亡夫に身を捧げる聖なる女神としての心と、ビッチであった方が人間らしいという俗への回帰である。いわば、めぞん一刻はその聖と俗の間を揺れ動く管理人さんの心の物語であり、死の世界から愛するものを連れ戻す英雄としての五代の神話なのである。
それがすぎされば「ひととき」の物語であるという構図になっている。この完璧さが多くの人々を魅了するのである。そういう基本的な構図を理解していないので、こうなってしまうのかなあ。とキッドは考える。すると、結局、四谷さんは似てないとか、朱美さんはまあまあだ。惣一郎は毛並みが良すぎるという話になってしまう。残念である。
特に強力な恋敵としての一の瀬賢太郎がただの子供になっていたり、一の瀬氏がいるのかいないのか微妙だったりと、ディティールも虚しく通過していると、えーっ、どこがマニアなのっとせつない気分になってくるのです。それにしてもこのパーツをこの季節なのか? やるなら春だろう。
関連するキッドのブログ『電車男デラックス』
月曜日に見る予定のテレビ『プロポーズ大作戦』(フジテレビ)
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コメント
キッドさん、こんばんは。
昨日、やっと録画を見ました。
私は原作を読んでいないので、そこそこおもしろかったですよ。ただ、五代くんがねえ。なぜに新人を起用する必要があるんでしょうか。じょうずな方にやっていただきたかったです。
管理人さんと五代くんの微妙な感じがいまいちわからなかったですね。美咲ちゃんはばっちりでした。
五代くんは健よりはましだな、とか、五代くんと惣一郎さんって、健と多田先生の関係みたいとか、思って見てました。ごめんなさい。
>物語の舞台は1980年であるのに1983年の松田聖子の「SWEET MEMORIES」が流れる
テロップでは1983年と流れていましたから、合っているんではないでしょうか。
次はいつでしょうかね。息子はアニメファンなんで楽しみにしているんですが、五代くんがもう少し若返っていてくれるとうれしいです。
投稿: youko | 2007年5月18日 (金) 20時49分
♢♦~山~♦♢youko様、いらっしゃいませ♢♦~P~♦♢
ご指摘ありがとうございます。
1983年というドラマとしての設定について
文句を言っても始まらないのでございますが、
なぜ1983年なのか・・・ということを
キッドは申し上げたいわけで
それが松田聖子をかけたいからでは
違うだろうと言うことを
言いたいわけです。
ちなみに原作では五代くんが
入試に成功するのは1980年春。
大晦日のエピソードは大学入学後の
1981年のエピソード。
どうでしょう。
2007年に80年代のドラマを
やるにあたって
1980年を1983年に設定しなおすことの
無意味さがキッドには我慢ならないのです。
ノスタルジーは正確にという
性分なのですけど・・・。
細かい男ですみません。
でも、あなたの誕生日は1983年にしといたから
本当は1980年だけど・・・。
って無関係の人に決め付けられたら
気持ち悪くないでしょうか。
・・・若く見られてうれしい・・・
そ、それはそれで・・・。
ま、ささいなことなんですけど・・・。
そういうささいなことを楽しみにしている人たちを
大切にしない人はスタッフにはむかない。
これはキッドの信念なものですから。
いえ、ドラマそのものはまあまあだったなぁ
と思ってます。
まあ、管理人さんは
もう少しふっくらしていると申し分ないとは
思いますが・・・。
演技ができれば
宇多田ヒカルとか
市井紗耶香とか
上原多香子とか
の世代。
キッドとしては深キョンが
ベストだと考えています。
投稿: キッド | 2007年5月19日 (土) 05時08分
キッドさん、こんばんは。
すみません。原作は80年だったんですね。キッドさんのおっしゃりたいことを気がつけなくて、申し訳ないです。
私も何かでガンダムが0082とかにされてたら、そら、怒りますもの。なぜ、そういう意味のないことをするのでしょうね。
80年だったら「スニーカーぶるーす」をかければいいのに、と思う当時マッチファン(今も好きだけどね)の私でした。あ、春だったらだめだわ。12月発売だから。81年の暮れだったら、「ギンギラギンにさりげなく」でお願いします。
投稿: youko | 2007年5月19日 (土) 20時33分
♢♦~山~♦♢youko様、いらっしゃいませ♢♦~P~♦♢
いえいえ、おタッキーなこだわりですから
どうか気になさらずに。
ドラマ設定以前のこだわりということが
明確にできてキッドにとっては
ありがたいことでしたから。
ちなみに早見優にぞっこんの友達は
本当は「真野響子」命だったのです。
で、80年デビューの新人は
トシちゃんと聖子ちゃん
なわけですよ。
こういう些細なことは
その時代を大切にしている人間にとっては
もう重大なことのはず。
キッドはそういうものが邪険にされた瞬間。
ブルージーンズメモリーの
「バカヤロー」を
スタッフに捧げたくなるのです。
投稿: キッド | 2007年5月20日 (日) 04時57分