ニコと過ごした日々は楽しくて好きだったけど看護師さんといる苦しさが今は好きなんだ。夕焼けモードで。(松山ケンイチ)
つまり、浮気っていうか、新しい恋をした言い訳をロボは悪びれずに言う。ま、この場合、ニコ(大後寿々花)と肉体関係があると修羅場なのだが、ヘタするとナース昭子(小林聡美)とも肉体関係がないかもしれない男の言うことなので仕方ないのだな。
松ケンと小林には20年の年齢差がある。いわば母と子ほどにも年齢差のあるカップルである。もちろん、松ケンの恋はスレートにマザコンの裏返しなのである。しかし、二人の年齢差は小林は童顔なのであまり、気にならない。昔、男の子だったことのある魔性の女だしな。その奇妙な美貌を堪能したい人は映画「キリコの風景」(1998)を見るといいと思うよ。
さて、ここでこのブログで使用する言葉について能書きをたれるので興味のない方は本文の方へ。
たとえばドラマ「セクシーボイスアンドロボ」(略して)「ニコロボ」と原作コミック「セクシーボイスアンドロボ」(略してセクロボ)の関係について、原作のストーリーやキャラクター設定があまりにアレンジされすぎていると「ニコロボ」の視聴者であり、「セクロボ」の読者であるキッドが感じた場合、「原作レイプ」という表現をキッドは使う。
たとえばコミック「あしたのジョー」の「真っ白に燃え尽きた主人公」がCMの中で「使えないサラリーマン」を演じたりしている時も「原作レイプ」な感じはするのである。
さて、レイプとは「強姦」の意味である。二人の人間が合意に基づかず性交渉に及んだ場合、加害者と被害者の生ずる「犯罪」ということである。だから、アレンジ者と原作者が合意して「作品」を作っている以上、「レイプ」ではない・・・という理屈もある。しかし、作品が商品である以上、消費者にもなんらかの権利はあるはずで、送り手がどうであれ受け手が「大切なものが犯された」という感覚があれば「原作レイプ」を主張しても構わないと思う。その程度の言論の自由は保障されているはずである。
次に「レイプ」という言葉の使用そのものに問題がある場合がある。たとえば現実に「レイプ」された経験のあるものや、パートナーを「レイプ」されたものや、実際に「レイプ」したものが、その言葉の重さから「もののたとえ」として「レイプ」を使用するのは安易にすぎるという思いを抱くかもしれないということだ。「たかがフィクションとフィクションの関係性を示すのにノンフィクションの苦渋にかかわる言葉を使用されたくない」という考え方である。キッドはそのことを考慮するが「言葉」を「自由」に「行使する権利」を「レイプ」されたくないので、心を鬼にしてそのような表現を良しとするのである。そういう時の気持ちは「文句があったらかかってこい」という気持ちで、命がけなので対応する人は覚悟を持って望んでくださるようにお願いします。
そういう意味で突然「ロボ」に嫉妬しちゃう「ニコ」とかは完全に原作レイプだと考えます。
で、『セクシーボイスアンドロボ・第8話』(日本テレビ・070529PM10~)原作・黒田硫黄、脚本・木皿泉、演出・佐藤東弥を見た。一話完結とはいえ、連作シリーズを計画的にプロデュースする以上、第七話の欠落は「作品」としては「完成」を汚された行為であり、その責任者は我が身可愛さに「作品」をレイプさせたものの恥をもって望んでいるだろう。そうであってもらいたいと祈る。
脚本・演出が第一話のコンビに戻り、前・後編の大作、そしてゲストが小林、もたいまさこ、ともさかりえと「濃い目」になっている。この濃さは「すいか」の味がするといってもいいし、「やっぱり猫が好きだけど室井滋はどうした」といってもいいし、この作者は奇妙な美貌をこよなく愛しているのだなぁと言ってもいい。ま、ファンにとっては大向こうから「いよっ、待ってましたっ」と声がかかるところなのだろう。
ま、一言でいうと、あえて視聴率なんてどうでもいいですし、これで打ち切りでも構いませんけど・・・的な作品に仕上がっていると思う。ま、前編なのでこれ以上は控えますが、来週、またもや、大事件が起きて・・・とか想像するとちょっとワクワクします。なにしろ、死後の世界を信じるキッドの方が今、妙な胸騒ぎがする。おかしな風が吹いているぞ、と囁くものですから。死後の世界を信じないキッドとしてはもうすぐ入梅だなあと思うだけですが。
冒頭、原作レイプなニコの家族たちがさらに原作レイプなニコのひいおじいちゃんが危篤なのになかなか死なないという事態に接し、ドライな感情をこぼすというシーン。このドライな部分が原作の湿度なのでキッドはホッとするのですが、ニコが「ひいおじいちゃんが危篤なのにテレビ番組の録画失敗が気になる私って一体・・・」と心の声を語り出すと犯された原作ニコ像に胸をしめつけられるというスリリングな出だし。もう悪い女に翻弄される無垢な少年気分です。
今回の「敵」(ま、敵であったためしはないのですが)はプッチーニ。死に行くものの最後の望みをかなえる三人組。説明を受けたニコは「善(他者の望みを敵える)」と「悪(そのために手段を選ばない)」の狭間で躊躇します。
で、おそらく五月のある晴れた日。二人は出会った・・・ということで蕎麦屋のトイレでロボと昭子が出会うのです。ロボはマックスロボのまことちゃんのぐわっししている手・・・鼻をもがれたキツネの象徴・・・女性あるいは幼女の両足と股間の暗喩・・・を便器に落としてしまいます。使用前でしたが、汚れ仕事を免除された男性には禁断の衛生問題局面です。ま、一人暮らしをしているロボとしては公衆衛生問題局面なのかもしれません。ともかく、ロボにとって便器内のプールは「ばっちいから触っちゃいけない」場所のようです。「ああ、とりかえしのつかないことを・・・」尿意も忘れてロボは現実逃避モードへ。もう気絶しそうなのです。「胸が痛い、息ができない、ここは狭すぎる・・・」そこへ颯爽と現れたナース昭子。「じゃぼっ」と便器に手をつっこんでマックスロボの腕を救助。洗っただけでは「おえっ」となるロボのために消毒までしてくれる優しさです。
「そんなに大事なものならどうして自分で助けなかったの?」
救世主の登場に電撃で心が打たれリセットされたロボに楔は打ち込まれたのです。
さて、プッチーニなので、おそらく、ジャコモ・プッチーニ(オペラの作曲家1858-1924)的なものが散りばめられているのでしょうが、それを一々、ひろっていくとキリがないので二個ぐらいにしておこうと思います。まずは『外套』の連想から。
『外套』は子供をなくした妻。妻と浮気する若い男。男を殺す妻の夫の物語です。夫は外套で死体を覆い、「外套は様々なものを覆う、たとえば犯罪もだ」と妻の前で外套を剥ぎ取るのです。このモチーフはたとえば「風とともに去りぬ」にも潜んでいます。娘を失い初恋の人に心を移し夫に去られるヒロイン・・・とかね。今回、ロボ(妻)が失うのは大切なマックスロボへの愛(子供)、そしてつかの間の少年のような熟女(若い男)との恋に溺れ、ニコ(夫)に突然の喪失感を味あわせ、「バカーっ、おばさんじゃんか」と叫ばせることになるのです。なかなかの換骨奪胎です。
さて、プッチーニたちの正体は三人の看護婦たち。死者の思いを風化させないことが彼女たちのヒマつぶしらしい。その連絡方法は黒い折鶴です。彼女たちは謎の女・別子の思い出を風化させないためという理由があるらしいのですが、それはまだ明らかにされません。ま、たいした理由ではないと思いますが。
今回、やや、空回りするニコですが、本質を見失ったドラマ展開なので空転するのは当然とも言えます。ひいおじいちゃんの病院でプッチーニに遭遇するニコ。「悲しくても泣けないのはスイッチを切っているから」と絵美理(ともさかりえ)から告げられるニコ。ついでに「プチ整形の必要はない」とアドバイスされます。理由は「可愛い」からですが、可愛い人がより可愛くなるために整形する時代とも言えます。ま、素顔が美しいならそれに越したことはないわけですが。無料だし。
そしてひいおじいちゃんのために久しぶりにセクシーボイスを使うニコ。・・・もう設定を忘れるほどだよ。ロートーン。ハイトーン。芸者トーンですが、ひいおじいさんの求める「玉枝」はハイトーンの芸者じゃないのかよっ。とツッコミしておきます。
芸者として売られそうそうになる玉枝を助けようとするひいおじいちゃんの青春。「ニコロボ」の「ニコ」は中学生で「じいさんやばあさんにも青春があった」という真理に気がつくのですが、「セクロボ」の「ニコ」はそういうことを少なくとも小学校に入るまでには卒業しているとキッドには思えます。
さて、プッチーニで言えば『マノン・レスコー』でしょうかね。身売りとか、金持ちの愛人といえば『ラ・ボエーム』もそうですけど、娼婦として売られてしまうということではやはり『マノン・レスコー』でしょうか。「逃げろー、玉枝ー」というひいおじちゃんは『狂気のこのわたしを見てください』ということなのでしょう。ニコは「玉枝は逃げます」と調子を合わせます。
その願いが叶ったひいおじちゃんは昇天。彼がクリスチャンであったのはある意味爆笑でした。もはや中学生は制服を喪服代わりにしない時代なのだなあ。レンタルか・・・。ま、喪服萌えのためのサービスなんだろうな。
ロボは恋の魔力にとらわれます。直接的なシーンはないのですが、最初の幼児プレーで食事を終えた二人が体を交わしたのは濃厚です。行為の後にすぐ着衣するのが微笑ましい。ここでは食器の洗浄が終っておらず、ロボの余力を窺わせます。その後で「夕焼けの件」があり、透明な髪留めが夕映え色に染まる魔術にとらわれたロボは二回戦に突入。朝までぐっすりです。食器が片付けられてロボが満足したことを示しています。まあ、キッドは妄想で補完できるから問題ないですが、二人がプラトニックなのかそうではないのかは結構、重要なポイント。キッドなら愛の流刑地程度の描写を入れたくなるポイントです。いえ、そういうシーンが見たいわけではなくて虚構としての完成度の問題です。その方が笑えるのですよね。
唐突ですが・・・まずい味を守るラーメン屋のオヤジはとっとと死ねばいいと思うよ。
そしてロボは「若い人ならバスストップにならんでいても涙を流して最終バスに乗らないこともある」という誘惑に答えて昭子と恋のバカンスに出発するのです。ま、昭子が人妻だった場合はかけおちですね。最初の例え話で空気を読まずに「おいおい、最終だよ」と言ってしまうようなキャラであるはずのロボですのでびっくりの展開です。
さて、自分の手下であり奴隷であり所有物であるロボの思わぬ反乱に驚愕するニコ。これが近所のバカなお兄ちゃんにいつしか恋心を抱いたバカな中学生みたいな話でないことを祈るのです。楽しいマックスロボ(フィクション)を捨て苦しいリアル(ナースとのセックス)に生きるというロボ。キッドの心のニコなら「ま、はしかみたいなものね」と微笑むところですが、ニコロボのニコは「ロボ出動が言えなくなるなんて数少ない視聴者が減るんじゃないかと私だってリアルで苦しいよ」でつづくなのです。
関連するキッドのブログ『第六話のレビュー』『第二話(再)のレビュー』
この展開にするのならばニコとロボとの性交渉は必要不可欠だし、ナースとの性交渉も不可欠だと思うが、ま、それは現実も虚構にすぎないと思うキッドの個人的な望みに過ぎないのかもしれません。ま、今回の視聴率が*6.5%という再放送と誤差の範囲しか違わない展開ですので何やってもいいんじゃないと思います。新枠仲間の「ウソゲ」が最終回三時間拡大スペシャルなのとあまりにも落差大きく・・・涙。来週、最終回とか言い出さないのを祈るばかりです。・・・ま、それも現実というフィクションですけどね。
木曜日に見る予定のテレビ『私たちの教科書』(日本テレビ)
ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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コメント
いつのまにか
ニコとロボの距離間が
気軽にロボの部屋に遊びに行ける関係になっていた。
それだけに第7話が惜しまれますね。
当初はロボを警戒していたニコですが
自分を恋愛対象外という事で安心して
ロボとのこの距離感を楽しんでいたのが
いつのまにか
ロボの恋愛対象に見られる一海ちゃんや
見知らぬおばちゃんに嫉妬していた。
そしてロボが振り向いてくれない事で
自分の心が苦しい事を知る。
ニコがロボにもつ感情。
それが何なのか。
ニコはそれに気付くのか。
ニコファンというか
大後さんのファンになってしまった自分としては
とっても気になります。
そして
いつのまにか
ロボに嫉妬してる自分がいます(笑)
最後のひいじいちゃんのお葬式。
出来れば、あの席に大門や鳩村にも出席して欲しかったですねぇ。
投稿: ikasama4 | 2007年5月30日 (水) 20時20分
✥✥✥ピーポ✥✥✥ikasama4様、いらっしゃいませ✥✥✥ピーポ✥✥✥
もう、キッドが現場にいたら
窒息しそうな視聴率なので
かわいそうなプロデューサーと
思うのですが
今回の展開はかなり最終回テイスト。
原作は未完なのですが
ロボとニコにははっきりとした
恋愛感情はなく
たとえ、幼い恋愛と友情と家族愛が
未分化なそれだとしても
かなり大胆なアレンジと言えます。
この時点でこれを
やってしまうと・・・
後どうするんだろう・・・
という感じです。
トリックでウエダとヤマダが
相思相愛をオープンにする
みたいな・・・。
心の寅さんが
それをやっちゃオシマイだろうを
連呼しておりますよ。
庄司永建さんというか
西部警察の二宮係長は
最近ではのだめの千秋先輩の
トラウマの原因だった人でしたね。
84才ってそういうお年なんですよねぇ。
ニコのひいおじいちゃんが
マキのスパイ仲間だったという
またまたとんでもない展開の噂も
ありますが
もう・・・好きにすればいいと思うのです。
まあ、夢やぶれて
戻るロボ。
しょうがないなと
受け入れるニコ・・・。
そんな夫婦漫才なオチかもしれません。
・・・なんじゃー、そりゃああああ。
でございますけど。
投稿: キッド | 2007年5月30日 (水) 20時47分
お久しぶりでございます~。
ちょっとだけブログ復帰しつつあります。
ロボを独占していたずのニコの気持ちと、
初めてのリアルなロボの恋が切なかったです。
来週は、ますます切なくなっていくんだろうなぁ。。。
とアンニュイな気分に浸りながらも、これで
打ち切りになったらどうしよう?
と言う恐怖も感じます~。
とりあえず、来週に期待♪
投稿: くう | 2007年5月30日 (水) 23時58分
❀❀❀☥❀❀❀~くう様、いらっしゃいませ~❀❀❀☥❀❀❀
お忙しそうですね。
体調にお気をつけくださいますように。
春ドラマは視聴率的には低調ですし・・・
ちょうどよかったかもしれません。
まあ、なかなかに問題作がそろっているのですが
狙いすぎて
急所をはずしている模様でございます。
心・技・体の一致は
難しいものですね。
ニコは「すべてのものがこのままであればいい」
という幸福な少女の素直な気持ちと
「人は変わらずにはいられない」
ということを意図せずに実行するロボが
衝突するという
いきなりドラマチックな展開。
もう、開き直った・・・。
というのがキッドの率直な感想です。
でも、一つ一つの場面はお耽美でいいのですよねえ。
まだ、お話の途中ですので
「ほとんどの人が知らないが
知る人ぞ知る名作」になるものか
どうか・・・後編に期待しております。
本当にオンエアされるのかどうか・・・。
後編の予告が再放送(前編の見所)という
修羅場ですからねえ。
スタッフの皆さん、がんばって・・・。
という気持ちでいっぱいです。
投稿: キッド | 2007年5月31日 (木) 15時16分