暗記は演技の基本です。カンペなんて問題外。(成海璃子)VS裏切りものにはオシオキが基本です。幸福なんて問題外。(福田沙紀)
ああ、女王様の土曜日に「はだしのゲン・完結編」をぶつけてくるなんて・・・「パパムス」に「鬼太郎戦記」をぶつけてくるのと同じくらいあこぎです。
しかも、黒い雨をあびてハゲる兵隊さんとゲンが合唱するのと、受験から逃げた子供とダメパパが合唱するのがかぶったりして、しかも後者は志村けんの「カラスの勝手でしょう」だし・・・。もう、日本は平和なんだからぁ。
そして、あれほどの悲惨から立ち直り、数十年後に「女子高生コンクリート詰め殺人事件」を起すこの国で「はだしのゲン」から「ライフ」をリレーするフジテレビ。もう、神様っておちゃめだなぁ。
キッドは戦争を直接知らない子供として育ち、どちらかといえば勉強は出来た。学校は退屈なところだったくらいであったし、なぜなら授業内容は知っていることばかりだったしなぁ。小学校で学ぶ知識など一年もあれば丸暗記できてしまうだろう。中学の学習内容も半年もあれば充分だった。塾にも行かず、家庭教師もつかず、成績は常に学年1位。ケンカが強く美少年。ま、おそらく、一部の嫉妬深いものたちには嫌な子供だったかもしれない。しかし、高校受験の時に3年ぶりくらいに風邪を引き、熱が40度。下痢腹で、数学は足し算を間違えるし、英語は半分トイレにいるという状態。朦朧としつつ国語は満点だったのだが合格点に一点足りずに不合格となったときから神の存在をなんとなく信じるようになった。
あれは、なかなかにこわい存在である。なにしろ性悪で・・・うひゃぁ・・・もういいませんーっ。
で、『受験の神様・第五回』(日本テレビ・070811PM9~)脚本・福間正浩、演出・大谷太郎を見た。初回をのぞけば一番、素直に見れた回だったな。会社コントがこのシャクなら問題はないのである。お互い受験生を抱えるちょっと嫌な上司(西村雅彦)との軽いやりとり・・・これで充分じゃないか。広のパパ(山口達也)の会社コントがやりたいならそういう主旨で最初から企画をたてるべきで・・・ま、実現しないと思うけど・・・広のパパの人間性は子供たちとのふれあいの中で描くべきだったのだな。なぜ、そうしなかったのか・・・不思議だ・・・ウキキ。
それにしても西村雅彦、スシ王子と受験神ではキャラを微妙に変えている。脇役の鏡だな・・・。
さて、今回は要所にしか登場しない受験の女王様(成海璃子)だが、その私生活は神秘のベールに包まれている。考えられることとしては①生まれついての天才 ②両親はいない。おそらく捨て子で施設育ち。しかも、明日香(志田未来)とは違い親の記憶はまったくない状態で施設へ。同世代の明日香は少なからず影響を受けた。明日香が詩人になったのも道子(成海)の影響か・・・。③天才にはありがちなことだが、洞察力、精神感応力、未来予知力、千里眼、念力、テレポーテーションなどの様々な超能力をもっている。そうでないと説明できないこと多し。④現実至上主義のリアリストである。
というようなプロファイリングができる。家庭教師はおそらく趣味とかボランティア活動と考えられる。善意の奉仕であるがエリートであればそうすべきであるという現実の鉄則に従っていると思われる。収入源はおそらく、株式投資で元手は場合によっては非合法な手段で入手しているかもしれない。インド人がフタケタの掛け算が得意などという最近の話題を持ち出すのは脚本家がつい新聞とかを読んでしまうからだろう。
つまり、ある意味で道子は「悲惨な子」なのである。山田家の家族にくらべたら、ずっとずっとかわいそうな子供だ。昔の大人は学がなくてもそのくらいは見抜くものである。そうでなければ農家の哲太はゲンに米を与えない。
ところが、広のパパは相変わらず、「悲惨な子」にタメ口である。ま、バカだからと言ってしまえばそれまでだが、神を怖れない振る舞いなのである。「悲惨な子」にはもっと触らぬ神にたたりなしの姿勢で接するべきなのだ。もっといえぱ「悲惨な子」はそれだけで「尊敬に値する」のである。菅原道真が「神」であるのは悲惨な子だったからというあたりがわかっていないのだな。つまり「悲惨な子」は何をするかわからないのだから、敬語で接するべきなのである。
思えば、広のパパはスポーツ選手としてのコネ入社である。少なくとも勝負事の世界にいたわけでそれが受験戦争の本質をみることができないということはスポーツ選手としてもダメ人間だったことは明白だ。そういう自覚のない人間を演ずるというもっと深みのある演技を期待したい。
今回、かって、友人だった親の中で唯一、受験組だった現在・医師のことを「二人でバカばっかりやってた・・・」と言うようではまだまだで、医師にもブレッシャーがあったことを自分と比較してそれとなく諭すようなセリフにしてあげるといいのになぁ・・・。
医師の子供はその一言でプレッシャーから解放されるのであって、けして広のパパの人間的な魅力からではないのである。もちろん、ごわごわした腋毛の魔力でもないし。
セオリーと例外というのはくせものである。セオリーはアベレージの向上には効果的だが、限界突破には時に例外が役に立つ。要は正しい選択ができるかどうかなのだ。
天才は直観力により、その選択を為す。凡人にはその理由が見えない。
天才がセオリーを無視すると、凡人は非難する、結果的に天才が正しかったと知ると凡人は勝手に解釈をつける。
「暗記じゃなくて勉強する面白さ優先か」→「暗記に決まっているでしょう」なのである。要するに凡人は1を暗記する間に天才は100を暗記するというだけの話なのである。ま、だからといって凡人が100暗記している頃には天才は10000くらい暗記しているのでその差が埋まることはないのですがね。
「セーラー服と紙袋」と題したいような道子のスタイル。家族という言葉に対する異常な反応。オイタを叱る時の施設職員に最高の愛情表現を感じていたと妄想される棒読み演技。ああ、いつまでも先生に教えてもらいたい・・・という医師の息子が今回一番、萌えていたのだな。わかる。わかるよぉ。西園寺義嗣(森本龍太郎)・・・。
手塚由美(須藤理沙)は元ヤンキーなので娘の前で「ぶっ殺す」とか平気で発言。そんな親の子供が中学受験をするなんて・・・物騒な時代になったものでございます。
で、『ライフ・第六話』(フジテレビ・070811PM1110~)原作・すえのぶけいこ、脚本・根津理香、演出・加藤裕将を見た。もう、お分かりの通り、ライフの子供たちは道子ほどではないにしても「悲惨な子供たち」である。もちろん、はだしのゲンから見れば「その程度で悲惨とはいよーっペペンである。父ちゃんが生きながら燃えるんじゃ、弟が熱い熱いと叫ぶのにこらえてつかーさいってどの口で言えるのじゃーギギギ」である。であるのだが、ま、悲惨は世につれ世は悲惨につれなのである。
まずは玩具の仔犬(北乃きい)は父親不在である。そして母親は娘だけでは心が満たされないタイプ。何か素晴らしいことをいつもいつも待っているタイプである。娘のことを心配しながら娘に心を配ることはけしてしないのだ。男女雇用機会均等法から激減しているが専業主婦にありがちなタイプでこの手の人たちはヨン様を追いかけたりする。
つまり、玩具の仔犬は擬似捨て子でその上、成績が103人/105人なのである。ううむ・・・仔犬の下に二人も・・・。
その上、いじめにあっている日々。かなり「悲惨な子」なのでかなり「尊敬」しなければならない。
薗田(北条隆博)は両親についてノーコメントだが片手一杯の根性焼きの跡を見て見ぬフリのできる親だったことは確実なので彼もまた「悲惨な子」だ。
この二人は「悲惨」でありながら、「悲惨」を振りまく側に回らない。人にはそういうタイプもあるのだな。
佐古(細田よしひこ)はもちろん「悲惨な子」だが、たまたま父親がサディストだっただけで跡をついで素直にサディストとなっており、後継者不足に悩む農家には福音である。ま、時々、マゾヒストにスイッチ可能なので白の天使グループに軽く焼きをいれられて至福の時を過ごした。ま、ある意味、救われたのだな。
黒の女王様(関めぐみ)は母に死別。父は病とストレートに神様に意地悪をされている「悲惨な子」である。こういう娘が時に天使のようにふるまう場合があり、こういう時、神の与えたもうた試練が輝くと神が宣伝するので注意が必要だ。そんなのたまたま、黒の女王様が打たれ強かっただけですからーっ。打たれる喜びを知っているので打つ場合も相手の反応を確かめながら、相手の喜ぶ範囲内を目指すことができる優秀なプレーヤー。
相手にけして無理をさせないので、Mの人々に慕われるが、「どM」の人々からは「ものたりない」と思われる可能性を秘めている。
ちなみに「どM」の「ど」は「度を越した」の略です。戦艦ドレッドノートクラスとは無関係です。その場合は超弩級Mと表記します。
さあ、お分かりでしょうか。やはり、「どM」の期待に応えるのは白の女王様(福田沙紀)なのです。もちろん、彼女は悲惨の子であることは明白。あの猫なで声の両親がどのような悲惨を白女王に与えたのか、ガクガクブルブルものでございます。ま、よくあるのが「忙しくてちっとも構ってくれなかった」という手でございますが、両親健在でちっとも子供を構わないなんてこれより悲惨なことがございましょうか。まさに生殺し。彼女が蛇姫様に育って当然なのでございますね。ああ、せめて平成財閥なみにいいじいやを雇っていればこんなことには・・・。後悔先に立たずでございます。
さあ、心に隠された悲惨な子のためにぶっ壊れ、ひしゃげ、歪んだハートの持ち主となった白の女王様。子分たちを使い、玩具の仔犬を監禁。そして黒の女王もターゲットに。アンナ様や、翠様が「羽鳥さん、うしろ、うしろーっ」と絶叫するコントの果てに男性陣が固唾を呑んで見守る次週、乞うご期待ですっ。
ちなみに子分筆頭・アキラ(山根和馬)をリーダーとした子分グループのようなものたちももちろん「悲惨な子」ではありますが、キッドは人権派弁護士ではないのでゴキブリと同じようなクズとして発見しだい殺して山中に埋めてしまうことにしています。あしからず。
おいおい、首謀者はいいのか・・・そんな女王様と社会のダニを一緒にするなんて、クソミソなことはできませんーっ。
関連するキッドのブログ『先週の土曜日のレビュー』
月曜日に見る予定のテレビ『ファースト・キス』(フジテレビ)
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コメント
「社会のダニ」ファッションはokでヒゲはngだという読売ジャイアンツの考え方にはついていけん、などと社会のダニたちを見ていて思ったのでした。しかしブンちゃんでアキラの中の人は今後どういう俳優活動していくのか(どういう俳優活動ならできるのか)などと人ごとながら心配です(笑)。
投稿: 幻灯機 | 2007年8月13日 (月) 06時21分
✪マジックランタン✪~幻灯機様、いらっしゃいませ~✪マジックランタン✪
ヤンキーとツッパリは
いつの時代も需要があるので・・・なんとか。
宮崎あおいのご主人のように
コンクリートとか
パッチギとか
かなり、イメージ悪い役を
演じても
生き延びることができるわけですし・・・。
キッドは役と俳優は別ものと
考えつつ
役が作りあげた
キャライメージも
バカにできないと
思っています。
渥美清が寅さんで
ないっと云われても困る・・・
と言う感じでございます。
ま、ジャイアンツは常に紳士たれっ
なのですが
紳士というイメージが微妙でございますからねぇ。
投稿: キッド | 2007年8月14日 (火) 02時09分