あなたが捜しているのは手段?それとも目的?(成海璃子)私はあなたを許せない、でもいじめはもっと許せないっ。(北乃きい)
一足先に「ライフ」が終了である。今回は敬意を表してマジなタイトルにしておいた。もちろん、レビューはあくまでプレイとして妄想してまいります。まさに灰色の女王様誕生であるし・・・。
一方、「受験」は「天才の孤独」と「幼くして博識の矛盾」と「神秘のベール」につつまれた家庭教師の女王様(成海)が立場を明らかにした。結局、ドラマはあくまで広のパパ(山口達矢)の「男」としての成長物語というスジを譲らず・・・社会を明るくする運動みたいな展開になってしまっているが・・・鬼神と凡夫の関係は「教育の根本」にかかわる問題で・・・非常に興味深いテーマであると思える。
それにしても「ウソゲ」「ライフ」そして「SP」とこのワクの戦略は大成功だな・・・。アナログテレビの終焉がヒシヒシと迫っているのを感じるぞ・・・。まあ、「SP」が「ライフ」レベルに達するかどうかはぶっさん次第だけど。予告編を見る限り・・・ゾクゾクしてきたっ。
で、『受験の神様・第9話』(日本テレビ・070915PM9~)脚本・福間正浩、演出・本間美由紀を見た。さて、今回はこのドラマには二つの主題があることを感じている。一つは「教育と宗教は無縁ではない」ということ。もう一つは「親になるということは大人になることだ」ということである。前者は実は道子(成海)によりそうテーマ。後者は広のパパによりそうテーマである。この二つのテーマがメインテーマの座を競い合うというのがこのドラマの序盤にはかなり煩わしかった。
最大の失敗は広のパパの職場における行動に重点を置いた何回かである。仕事は営業なので基本は接待をめぐるものだが・・・運動部の先輩・後輩をからめた「がんばりすぎないこと」や仕入れの偽装問題で悩む「ウソをついてはいけません」といったエピソードは「受験の神様」から大きく逸脱していた。ここで視聴率は半減したのである。現在、広の職場はコントとしてほぼワンカットの挿入である。これで視聴率は倍増したのだ。
もちろん、主役の魅力の問題もあるが・・・何よりもテーマを大きく外れてはなんだかわからなくなるのである。
それに対して広のパパが広のパパであるために、よその子供たちにも親として振る舞いだした時・・・広のパパはテーマとして飛躍的によくなった。広の受験仲間は広のパパの幼馴染の子供たちである。その子供たちをわが子のように思い始めた時、広のパパは魅力的になっていったのだ。医者の子供には医者の父親の子供時代のわんぱくぶりを伝え、客商売の子供には客商売の楽しさを説く。
そして出来の悪いわが子の助けとなってくれる子供たちを守るのである。
人という生物の「生き方」をなかなかにポジティブに示唆しているこの数回。ついに今回は道子の「問題」に対して親のようなものとしてふるまうのである。もちろん、相変わらず師に対する礼儀はないのだが・・・自分が「教えられている」ことには気がつき始めた。
つまり、それがこのドラマの重要なテーマである「親だから大人になっていく」の展開なのである。
噂をすれば影で今回柏木由紀子によく似た手塚さとみが理不尽な理事長として登場する。「授業に出ない特待生なんかいらないから退学にする」と言い出すのだが・・・ハーバード大学に入学が認められている生徒に対して・・・そういうことを言い出すことがすでに無理があるのだが、赤の他人である広のパパの説得で方針を変更するというのがさらに無理があるように見える。
しかし、この理事長はかなりのやり手なのである。おそらく、「実力主義」(自由)の時代から「管理主義」(平等)の時代への変化を担っているのである。そのため、例外(道子の特別扱い)が問題になることを怖れて手を打ったのである。けれど、突然、闖入してきた男の暴言に冷たいものを感じたのだ・・・この狂人の言い分を聞かないとテロリズムが発生する可能性がある・・・と判断したのである。こういう狂人には権力は歯がたたない。それよりも慣例を続けることでテロの脅威が取り除かれるならば、次善の策として妥協してもよいという冷静な判断だ。新理事長は保身の権化としてもなかなかのやり手としても完璧に描かれていると考えられる。
さて、道子のテーマである。今回、道子は「兄を慕う妹」という古典的存在であることが明らかになる。すべてを知った広のパパが感動で言葉を失うほどの「神様的存在」なのである。そして、広のパパは自覚はないがすでに信徒なのである。道子という神の忠実な僕として生き始めているのだ。だから校長室怒鳴り込みは狂信者のふるまいなのである。
かって学校は寺子屋と呼ばれていた。つまり、宗教的施設である。西洋でも教会と学校の結びつきが強いのは明らかである。つまり、教育とは宗教なのだな。
たとえば、どのような学問も言葉を信じなければ始まらない。
日本では宗教色の薄い儒教だが・・・儒とは雨乞いをするものの意味である。つまり、儒教の根本はそういう神への祈りにあるのである。仏教もつまるところは仏への帰依が基本にあり、キリスト教もイスラム教もイエスだのアラーだのといった神を信じるところからすべての教育が始まるのである。
現象の対義語は本質である。今、子供たちは道子を信じることによって学問への道を開いた。この現象の本質は道子が神であるということなのだ・・・。今、信徒となった広のパパは道子の教義をまだ不信者である他の親に説く。「神様の教えは奥深いのです。ムダとか無意味とかクビとかはすべて対義語。この世は有意義ですべてのものに価値があり強く生きよ・・・と励まされているのです」・・・まあ、こんな感じである。
なぜなら・・・信じるものは救われるのである。そして信じるものができたとき・・・人は大人に近付くのである。まあ、そうは言いつつ邪教にだまされないようにしてもらいたい。道子が「このツボを売ってきなさい」と言い出さないことを神に祈りつつ最終回を待つのである。
で、『ライフ・最終回』(フジテレビ・070915PM1110~)原作・すえのぶけいこ、脚本・根津理香、演出・谷村政樹を見た。危なかったーっ。またしても真矢みきが主役をさしおいてすべてを持っていこうとしたのだった。そして瀬戸朝香はギリギリで憎悪の対象から悪いことしたけど謝罪するから許してくださいの人になったのだった。もちろん、この人は若いときにいじめに酒井美紀と同様に取り組み挫折・・・見てみぬフリ主義に転向した過去(原作的には)があり、謝罪してもまた転向して日和見する可能性は高いのである。
さて、ピンチに追いこまれた白の女王様(福田沙紀)だが、さすがに腐っても女王様・・・土下座コールなどにはけして屈しないのであった。まさに「私を誰だと思っているの・・・この下衆どもがっ」である。ツバもはいてやればいいのにさっ。
まさにプレイの女王様は異端者なのである。その心情が無能で愚かな一般大衆に理解されるとは思わないのだ。まさに玩具に魂なしなのである。その証拠に彼らのプレイにはまったく創造性がなく、ただ、女王様のふるまいを模倣するだけなのだ。
そして白の女王様にとって、黒板に悪戯書きされようが、トイレで放水プレイされようが、机放棄されようが、Mプレイ体験お試しコースをテストプレイしているのにすぎないのである。自分の作ったプレイコースを体験してみることで、新たなプレイを開発する・・・女王様としては研究に余念がないのである。もちろん、より刺激を楽しむためにみどり(末永遥)がいると知っていて「みどりはバカ」という罵倒プレーも試すのだった。
そういう女王様のプレイぶりに心を打たれる歩(北乃きい)・・・自分の進むべき道に迷いが生じる。そんな歩を愛のこもった眼差しでみつめる黒の女王様(関めぐみ)・・・。そして奴隷の王様(北条隆博)、「SだってMだって立派なプレイヤーにはなれるのよ。Mに真の苦痛を与えるのがSなのか、それとも苦痛と言う快楽を与えるのがSなのか。白と黒では流派が違うけれど・・・もちろん、あなたはSとM、どちらにもなれるのよ」
Sの女王とMの王にはさまれて親子三人のように歩く歩。プレイヤーのタマゴとして大事にされている感覚にワクワクするのだった。
白の女王に教えを請うたりもするのだった。歩「白の主義だと本当の奴隷ってできるんですかぁ?」白「ばかね。玩具のくせにそんなこと聞いて・・・ふふふ、可愛いねえ」
そこへ、(プレイの)英才教育の失敗でついにプレイ道を踏み外した赤の道化師(細田よしひこ)が登場。彼はSとMの両道を目指すあまりについに二重人格となったいわばファール・プレイヤーだ。彼はすでにプレイの道を見失い、相手がSなのか、Mなのかも定かでなくなっている。「オレはSだかMだかもう分からない。こうなったのはみんながMなのかSなのかはっきりしないせいだぁぁぁぁぁぁぁぁ」・・・黒の女王様は「自分のプレイは自分で責任をもってプレイしなくちゃダメよ」とお説教プレー。
見境のつかなくなった赤の道化師はあろうことか白の女王様に凶刃を振りかざす。しかし、「相手を間違えちゃダメー」と奴隷の王様が身を投げ出す。苦痛には目がないのである。その上、不死身だし、さらに苦痛を逃したくないのでナイフも握っちゃうのだった。
もはや、高貴なプレイの応酬に理解不能な下衆どもはとりあえず道化師を拘束するのだった。
そして、クライマックス。昔の写真を見て涙を流すほど・・・玩具としての歩を愛してくれた白の女王様・・・いつでも拙い歩の奴隷ぶりを暖かく見守ってくれた黒の女王様、・・・そしてMのプレーヤー仲間として常に歩にアドバイスしてくれた奴隷の王様・・・様々な思い出を胸に歩は新たなる一歩を踏み出す。「Mとしてプレイをしてきましたが・・・白でも黒でもないSの道を極めたいと思います」・・・灰色の女王様宣言である・・・ターゲットはかってプレイとしての自覚ないまま、自殺未遂に追い込んでしまった親友(大沢あかね)か。
どうか、歩がステキなプレイヤーになれますように。愚昧な大衆に迫害されませんようにと思わず願うナイスな最終回だった。最後の三人女王と奴隷王の構図は抜群。
関連するキッドのブログ『先週の土曜日のレビュー』
ごっこガーデン校庭セット。お気楽「メガネっ娘だけはいじめないと信じてたのにショック~。ところでなんでアイドル戦士に変身を・・・?」まこ「いじめは絶対に許さないのデス。ちなみにライフはパスしてましたーっ」アンナ「ちゃぶ台投げても学校の机を投げるなーっなのレス・・・ライフはもっと続きが見たいーっ!」エリ「今まで、マナが悪い娘だったのはデビルクイーンの新たなる陰謀なのでスー。今、学校全体に悪の気配がするので・・・オシオキなのでスー。みんな、ムーン・トリプル・パフェを行くわよっ。ちなみにパフェはパーフェクトのパフェなのでスーっ。でもリンクは受験の神様でスー」
月曜日に見る予定のテレビ『ファースト・キス』(フジテレビ)
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コメント
エリもこのドラマを一旦見放してまた戻ってきた組です。
その秘密が山口父ちゃんの職場にあったのね。
言われて見るとそうなのかも??
受験の神様だから道子を信じていけば救われるはず。
ある意味宗教だったのですねえ。
そして信ずるものを持った人は幸せなのよね。
本質は何かという最後のところでようやくこのドラマの
テーマが見えました。
みんな合格してね~~♪
投稿: エリ | 2007年9月17日 (月) 00時17分
✿❀✿❀✿かりん☆スー☆エリ様、いらっしゃいませ✿❀✿❀✿
戻ってこられてうれしゅうございます。
演歌の女王のようにどんどんお仲間が
消えていくのはつらいものがありますからーっ。
ま、今回、ファーストキスがそういう感じ。
山口くんが最初から
子供の周辺だけで行動していれば
もっと展開が楽だったと思うのでございます。
結局・・・受験する子としない子は
ある意味、教育の権利の格差の話でございます。
お受験が人を幸せにするかどうかはともかく
チャンスがけして平等ではない・・・
だからといってそれを糾弾してもはじまらない
・・・このあたりを
もう少し彫リ下げられたはず・・・。
人と人が和することは
努力を要すること・・・。
じいやはそう思うからです。
さあ・・・広は合格できるのでしょうか・・・?
投稿: キッド | 2007年9月18日 (火) 17時34分