・・・小栗旬が終って瑛太が登場。「ハチクロ」と「喜多善男」はそれでも最終回をあげてきました・・・もう・・・かわいそうなくらいに微妙に・・・。
月曜日は「薔薇のない花屋」が↗19.4%、「東京大空襲第1夜」が14.4%。
火曜日は「ハチクロ」↗*7.1%、「喜多善男」↗*6.8%である。「東京大空襲第2夜」↗16.3%である。
「ハチクロ」は平均*8.9%で「ダンドリ」の平均*9.0%を下回った。「喜多善男」は平均*7.1%で「4姉妹」の平均*7.0%を上回った。まあ・・・低レベルの争いです。
キッドは視聴率というものはテレビ番組の批評の一つだと思っている。数字と数字の隙間の曖昧な部分を語るのもまた批評だと考えている。そういう意味では・・・「ハチクロ」は「ダンドリ」より素敵な部分もあったし・・・「喜多善男」が「4姉妹」と同じレベルと捉えられるのは可哀想だと感じます。
まあ・・・「キューティーハニーTL」は別次元ですけど。
TBS版とあわせて・・・「東京大空襲」ネタのドラマが15%前後を獲得したのは喜ばしいことだと思う。キッドは「戦争」において「軍人民間人」の差別化は無意味。よって「無差別爆撃」という言葉には違和感がある。つまり、「給油活動は武力の行使」であり、現在、日本は戦時下にあると認識している。もちろん・・・異論はあってしかるべきだが・・・キッドの認識を否定するのは難しいと思います。もちろん・・・キッドはこの戦争を否定しませんが、無法のまま、戦争を遂行するのはいかにも危ういので一刻も早い憲法改正を行うべきである。それが不可能でそして・・・戦争放棄を続けるのなら・・・国家として滅亡する可能性は高いと危惧している。
で、『ハチミツとクローバー・最終回』(フジテレビ080318PM9~)原作・羽海野チカ、脚本・金子茂樹、演出・谷村政樹を見た。ふふふ・・・涙で結論・・・先送り最終回である。この脚本家は「プロポーズ大作戦」ではこの手法で視聴率を獲得できたのだが・・・今回は原作との戦いの果てに重傷を負ってしまったのだな。
「P大作戦」では主軸は山下智久と長澤まさみの「恋の行方」であり、周囲の恋愛模様はあくまで背景だった。しかし・・・「ハチクロ」の原作はそうではないのである。最終回を見る限り、脚本家は生田斗真と成海璃子の「恋の行方」を主軸にしたかった・・・ような気がする。しかし・・・実際は周囲の恋愛模様が重くのしかかり・・・最高に中途半端なフィニッシュに終っている。
あれでは竹本(生田)とはぐみ(成海)が恋のハッピーエンドを迎えたようにも見えるし・・・ついに恋は始まらなかったようにも見える。もちろん・・・青春の甘酸っぱさはそれなりに表現できているので・・・キッドは自分の学生時代のあれやこれやを思い出し・・・ドアを開けてあの頃の仲間たちにバイクを飛ばして逢いに行きたい衝動にしばらくかられましたけど・・・ああ・・・キッドのバイクがタイムマシーンならね。
さて・・・ドラマの結論としては・・・「恋愛には妥協が必要だ」という主張と「恋愛には執着がつきものだ」という主張と「恋愛は強行突破が肝心だ」という主張。この三点に集約できると思う。
ドラマの中では二組のカップルが成立しているのだが・・・山田(原田夏希)も理花(瀬戸朝香)も意中の人をあきらめて・・・妥協した相手の愛を受け入れる。逆に野宮(柏原崇)も真山(向井理)もけしてあきらめずしつこくしつこく相手につきまといついに相手を獲得するのである。女性陣はあくまで受身で妥協できない相手ならストーカーとして告訴すればいいという態度だ・・・少女マンガかっ。・・・少女マンガだった。
一方・・・はぐみをめぐる男四人の戦いは「かぐや姫」構造になっている。①みせかけの本命である森田(成宮寛貴)はキスもするしおんぶもするし・・・想像力を働かせればかなりの肉体交渉までしているのだがお互いに相手を「好き」と言うだけで時間差を作り相思相愛を確認させない。一般人には理解しがたい恋愛構造である。ま・・・心のすれちがいと言ってもいいですけど。とにかく結ばれないのである。②ずーっと片思いの竹本は「好きだ」と告白するがはぐみは「ハチクロサンド」を届けにくるだけで言葉では答えない。とにかく結ばれないのである。③原作的には本命である修(村上淳)は「俺はあきらめていない」と言うだけでそれ以上の発言は許されない。とにかく結ばれないのである。④誰がどう見ても無理のあるあゆみの父(泉谷しげる)は「日本酒」をプレゼントするのだが「日本酒は嫌い」とお断りされてしまう。とにかく・・・ツンデレでないとして・・・結ばれないのである。
そして・・・はぐみは月に帰っていく・・・絵を描くという芸術行為と結ばれてしまうのだった。
もちろん・・・現実では・・・宮大工として修行しながら・・・画家と交際することはまったく不可能ではなく・・・はぐみがどの異性とも結ばれていない以上・・・「見つけるのが難しい四葉のクローバー」をはちみつサンドにたくさんたくさん挟んでもらった竹本はかなり・・・大切に思われているのであり・・・はぐみが「妥協」し、竹本が「しつこく」「強行突破」すれば二人が結ばれる確率はかなり高いという展開になっている。
キッドは男と女の恋愛は「強姦」が基本・・・女が許せば恋愛、女が許さなければ犯罪という側面があると考えるので・・・竹本のような腰抜けがどうなろうとしったこっちゃないのだが・・・ああいう風に行動できなくて・・・涙する・・・という考えすぎの人は可哀想だと思う。
学園での別れ・・・はぐみは二回ふりかえり、二回手をふる・・・があって・・・三回目をラストまでとっておく様式美はとても素晴らしかった。そして・・・中学生なのに大学生の成海璃子は少なくとも男心をせつなくせつなくさせる女優としての魅力を充分に発揮していると考える。
実らなかった恋にも実った恋にも意味なんかないしそもそも人生にも意味はない。
しかし・・・好きという喜びは確かにあるし・・・失恋の痛みがなかなか消えないのも確かだ。そして・・・思い出は喜怒哀楽を伴うのも確か・・・人生が終るまではね。
森田とはぐみの関係、修とはぐみの関係が・・・最後まで描かれないと・・・そういう大切なことは伝わらないと考えるが・・・まあ・・・この脚本家の恋愛観はあくまで三つの主張に集約されてしまうので・・・言いたいことは分ります。そして・・・それだとこういう視聴率になるということなのです。
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で、『あしたの、喜多善男・最終回』(フジテレビ080318PM10~)原案・島田雅彦、脚本・飯田譲治、演出・下山天。まあ・・・しいて言うと・・・原案と原作の違いがあらかじめ用意された言い訳なのであったな。もちろん・・・結末は二つあり・・・終盤近く・・・善男(小日向)は自殺現場に向かう途中で転落死していて・・・残りは幻想であるというラストになっているとキッドは考える。もちろん、あくまで悪魔としてはその点は譲らないのだが・・・テンメイ様が天使としてニヤニヤしても仕方ないと思います。あはははははは。
まあ・・・文学作品では人が自らの命を絶つことを肯定しても問題なくてもテレビドラマがそれをやると往生際の悪い人たちが暴動を起す恐れはあり・・・そのあたりの限界が露呈しているということでもなかなかに問題作でした。
善男が自殺現場に選んだ風景は抜群で・・・実在すればかなりの自殺志願者が殺到する可能性がありますしね。いくら「自殺は美しくなんかない」とナレーションしても目は口ほどにものを言いますから。人間の五感の得る情報量は視覚8、聴覚1、その他1のバランスが基本ですから。
美しい風景は「最後に目にする風景」として充分に魅力的ということになります。
草原の彼方の断崖絶壁・・・そして恐ろしいほどに広がる水平線・・・茫洋とした大海原。
廃墟に掲げる「私」という十字架。ううん・・・「死に場所」としては誘惑しまくられますね。
これに対応するのは・・・天上の女神としてのしのぶ(吉高由里子)の朗読です。お茶の間にしか届かない引きとめ工作です。だっていくらなんでもしのぶにこんなこと言われてそれでも自殺する人は死んだ方がいいと思うからです。
「人はたやすく頭にくるけれど・・・ずっと頭にきてるとつかれちゃう。でも頭にこないで静かに憎んだり怨んだりすることはできちゃうの・・・そしてそういうのって忘れるのが難しかったりするのよね。だから・・・だれかをずっと許せなかったり、自分を許せなかったりして・・・ついに誰かを裁こうとしたり自分を裁こうとしたりするのよ・・・でもね・・・人間には裁く権利なんかないの・・・人間を裁くことができるのは神様だけなの・・・だから・・・善男ちゃん・・・私がいいって言うまで死んじゃダメ・・・」
つまり・・・人間には司法権がなく・・・ないものを執行しようとするので・・・否定が逆に困難であるということだ。
もちろん・・・生きている限り・・・絶望なんてできないという考え方もあり・・・そうなると自殺という行為もまた希望の一つにすぎないということになるのである。
絶望とは「死」そのものであり・・・だからこそ・・・生死の消息不明者を絶望的と言い得るのである。
さて・・・「ハチクロ」と「喜多善男」は還元すると「ムスビ」という言霊になると思う。
「ムスビ」とは日本神話では「産霊」と漢字化されている。この言葉は「性」と「食」という人間の本質を結んでいる言葉である。
男と女が結ばれるという意味で子をなすムスビであり、親が子に与える食であるムスビである。キッドはいつも冗談ばかり言っているので嘘だと思う人がいるかもしれないが、握り飯の別名であるオムスビは漢字で書けば御産霊なのである。
妻が夫に(逆も可)、親が子に(逆も可)握るオムスビは神霊的に「生を守護する聖なるアイテム」なのである。
「ハチクロ」でははぐみが竹本にハチクロサンドを贈るのだが・・・これは「私を抱いてください」と霊的に解釈してもまったく問題ないし・・・「喜多善男」では周囲の人々や善男自身が作るカレーは「生きよ、もっと生きよ」という霊的メッセージなのである。
もちろん・・・日本人は稲に特殊なメッセージをこめてきた。米にこめられた霊力がもっとも高い。自殺予防のためには・・・普段から米を力をこめて握るべきであり・・・それを無機的なものに委ねることは自殺的行為なのである。
無機的なものは「死」の象徴であり・・・コンビニの握り飯は極めて自殺力の高い呪術的アイテムといえるのだな。もちろん・・・一度でも愛する人の握った御産霊を食べていればそれは情報のコピーの法則で無効化される呪でもある。一度も御産霊を食べていない人間がコンビニ機械おにぎりを食べると一食で致死量になる場合があるので注意が必要である。
ともかく・・・たとえ・・・Mであっても命を粗末にしてはいけないのである。ドラマでは若干分りにくいつながりになっていたが・・・「ふりかえらない女の絵の本」をしのぶが発見し、しのぶが平太(松田龍平)に伝え、平太がみずほ(小西真奈美)に伝え、みずほは善男が死へ誘われる場所を推定する。みずほはM仲間としてはじめて善男に愛を感じ・・・言葉を結ぶのである。
そこからは実はシューベルトの魔王の世界が展開している。シューベルトはこのドラマの下敷きとなっていると推定されるゲーテの「ファウスト」に影響されており、馴染みやすい。平太は心の御産霊を胸に抱き善男の死場所へと急ぐのである。
「胸騒ぎがする。魔王があの人を捕まえにくる。冷たい風に乗り、死んだ馬に乗って、大きな鎌をかざして・・・急がなければ急がなければ間に合わない・・・魔王があの人を連れて行ってしまう・・・お父さん・・・こわいよ・・・魔王が来るよ・・・」
そして・・・平太は・・・間に合わず・・・善男のあしたは数えられないほどになったのである。
つまり・・・ゼロということだ。
平太は間に合っていた自分を・・・妄想する・・・そしてつぶやくのである。
あんたの・・・カレー・・・食べたかったな・・・。
キッドとしては自殺抑止のためには日本人はとにかくおにぎりを握り続けるのが効果的だと思っています。
(実際のドラマの内容とは違っている場合がありますがいつものことなので叱らないでください)
おいしいときの喜多さんリアクションを真似する予定のある方はコチラへ→アンナお嬢様のあしたの、喜多善男
関連するキッドのブログ『先週の火曜日のレビュー』
で、『東京大空襲・第二夜・邂逅』(日本テレビ080318PM9~)脚本・渡辺雄介(他)、演出・上川伸廣を見た。脚本も演出もまったく未熟だが・・・とにかく・・・東京大空襲という史実にとりくんで悪戦苦闘したことは評価したいと思う。
第一夜冒頭で・・・晴子(堀北真希)は軍需工場で働く父親を非難する。「弾丸を作るのが国のためになるのですか」という質問をするのである。もちろん・・・国家が戦争をするシステムである以上・・・それは愚問である。
しかし・・・父親の死によって晴子は怒りを感じる。そしてその怒りは何故か・・・敵である米軍には向かわず・・・晴子の身を案じて父親の救助を阻止した博人(藤原竜也)に向かうのである。もう・・・ここから・・・脚本意図や演出力はグダグダなのであるが・・・本土で武器を生産する以上、敵が攻撃対象に選択することの必然は提示されている。
この論理に従えばやがて兵士になる子供は攻撃対象であるし、子供を生む女性も攻撃対象であると考えることに何の矛盾もない。
ルメイは連合軍の兵士の死傷率を低下させ、連合軍を勝利に導くためにもっとも効果的な攻撃を作戦立案・遂行したのにすぎない。それを非人道的的となじるのはいささか頭の回転が悪い人であると断言できる。
もちろん・・・実際に親を殺され、子を殺され、友を殺され、傷ついた人がルメイを呪ったり、殺意を覚えたりすることにも何の問題もない。敵に対して持つ当然の感情なのである。
しかし・・・そうなると・・・最後の一人まで・・・日本は戦うと信じて・・・死んでいったものたちに対し・・・無条件で降伏し・・・戦後の繁栄を築いた日本人は・・・とてつもない裏切り者であることも間違いないのである。
しかし・・・日本人は耐えがたきを耐え・・・忍びがたきを忍び・・・おめおめと生き恥をさらしたのだった。そういう人々が「戦争」を語るときには・・・どうしても苦渋がにじむのである。
もはや・・・そういう時代ではなくなっている。作り手も受け手も史実以後に生を受けたものが主流である。そういうものが・・・こういうドラマを作るとき・・・そこにはどうしようもない・・・乖離が生じて当たり前なのである。
けれど・・・少なくとも・・・飛来する敵機に向かい・・・「もう、やめて・・・もう殺すのはやめて・・・私を殺して・・・それで最後にしてください・・・お願いします・・・お願いします・・・お・・・ねがい・・・しま・・・す」と言ってもまったく無意味であることは歴然なのである。
機銃掃射による弾幕に包まれれば、手足は千切れとび、頭蓋骨は粉砕され、脳漿は飛び散り、目玉は破損し、血煙は爆散する・・・堀北真希が原型を止めるのは奇跡であり・・・あるいはドラマだからである。
もちろん・・・現在の東京は奇跡の復興を遂げ・・・笑いが止まらない人も多いのだが・・・韓国人に拾われた少女が・・・「ブラザーフッド」でおなじみの朝鮮戦争にも巻き込まれたことを考えるとその生存に対する運の良さに驚くばかりなのである。
とにかく・・・朝鮮半島がまだ日本だった時代の話である・・・ということを脚本家は無視して話を進めるのだが・・・その荒唐無稽さは・・・想像を絶するグダグダ加減でした。
しかし・・・しつこいようだが・・・東京大空襲があったということを忘れないためには・・・この手のドラマはたとえ・・・それがどんなに・・・事実無根でも・・・死んだ人が突然蘇ったりしても・・・キッドは有意義であると考えます。
とにかく・・・時は流れた。かっては禁止された「忠臣蔵」・・・敵討ちの物語だからである・・・も問題なく解禁され・・・東京大空襲の残虐もお茶の間にお見せできる範囲で公開できる時代である。もはや敵討ちをする根性のある人は絶滅したと認定されたのだな。
しかし・・・春になれば東京を彷徨う大量の亡霊を慰める虚構としてはまだまだ力不足なのである・・・。ねえ・・・あなたもそう思うでしょう。母子ともに燃え上がり声にならぬ声で叫びながら私の目の前を走り去って行く・・・あなたも・・・。
関連するキッドのブログ『第一夜のレビュー』
で、『キューティーハニー THE LIVE・第24話』(テレビ東京・080319AM1~)脚本・井上敏樹、演出・横山誠を見た。「激情のレクイエム!」が全編を覆う。もはや・・・ハニー(原幹恵)も・・・ミキ(水崎)も・・・ユキ(竹田真恋人)もこの世から消えた。しかし・・・ハニーによって復活したミキとユキは復活したアンドロイドとして悲しい戦いを繰り広げるのである。
ユキは完全体として狂おしく・・・パンサークローの殲滅戦に挑み・・・ミキは最後の力を振り絞ってハニーの復活を目指す・・・。
ああ・・・一糸乱れぬストーリーテリングである。このクオリティーの高さをゴールデンタイムで駄作・凡作を量産するクリエーターたちに見習ってもらいたいものだが・・・まあ・・・東京ローカル・・・深夜だから・・・可能なだけという考え方もあります。
ハニーの完全なハニーシステム(空中元素固定装置)を取り入れて復活したシスターユキ。その表情はより凶悪なメイクになっている。
田中(ふせえり)の野戦テントへ・・・ハニーシステム奪取のために中条(村上幸平)の手下が進出する。しかし・・・完全体となったユキはもはや彼らの手に負える存在ではなかった。
超高速で移動し・・・赤子の手をひねるように雑魚を殲滅するユキ。手下は最終通信で「もうダメ」と言い残し虚空に消えていくのだった。
モニターしていた中条は体に残る「磯臭さ」も忘却するほど・・・バスタブで身悶えるのである。
一方・・・ハニー捜索で疲れ果てた早見(山本匠馬)だったが・・・夏子(小松愛)の励ましとスタミナドリンク効果で捜索を再開する。
そして・・・廃棄処分されたハニーのボディを回収したミキは蛤学園の烏山(エリカ)を訪ねていた。
「お前の望みは分っている・・・だが断る」
「お願いだ・・・私の体を使って・・・ハニーを助けてほしい・・・」
「愛には終わりがあるもの・・・もはや・・・お前に対する私の愛はない・・・どうしてもと言うのなら・・・お前のすべてを私に捧げろ・・・」
土下座して首肯するミキに卵プレーを仕掛ける・・・烏山。
「愚かな・・・女だ・・・」
駆けつけた早見の見守る中・・・ミキとハニーは烏山の実験室に搬入される。
「何をするつもりだ」と叫ぶ早見を制して・・・ミキが遺言を託す。
「私にも・・・ハニーと同じ・・・生きる喜びにあふれた時があった・・・私はハニーの中で生きるのだ・・・お前からハニーに伝えてくれ・・・ユキを救ってやってくれ・・・と」
「でも・・・そんな・・・ダメだよ・・・」ユキの言葉に胸をつかれながら気持ちを抑えきれない早見・・・。
その頃・・・パンサークローの巨大基地ではユキのパンサークローへの加盟儀式が行われていた。そこへ・・・乱入する渡・改Ⅲ(マーク武蔵)。田中の夫・作之助(喜多川務)もウナギ棒で応戦である。華麗なる大人の棒術アクション。さすがに渡は作之助を圧倒する・・・。しかし・・・ユキには一ひねりで倒されてしまう。
勝ち誇る田中夫妻・・・しかし・・・ユキは神聖なパンサークローを踏みつけると田中夫妻を蒼ざめさせるのだった。
「茶番は終わりだ・・・私はお前たちを全て倒し・・・世界を支配する」
田中が仕込んだ制御装置が作動不良を起こし・・・本来ヤンデレのユキの中で狂気が発動したのである。
すかさず・・・退避する田中夫妻・・・。そこへ・・・中条が出現する。
「私のハニーシステムを返してちょうだいっ」
しかし・・・中条もユキの敵ではない。たまらずコピーハニーにフラッシュする中条。けれど実力差は圧倒的なのであった。鼠をいたぶる猫のように殺戮を楽しむユキ。
その頃・・・最後の最後に烏山の手を握る・・・ミキ・・・「烏山・・・ありがとう」・・・。
しかし・・・ミキとの死闘で傷ついた烏山にも死期は迫っていたのだった・・・「まだだ・・・まだ・・・逝くことはできない」・・・。
その頃、中条もまた最後の時を迎えていた。「お前・・・弱いな・・・変身しても変わるのはコスチュームだけ・・・苦しいか・・・ならばそろそろ終わりにしてあげる・・・」
断末魔の中条に靴を汚され・・・一瞬・・・生前の記憶を蘇らせる渡。最後のシィーット爆発が致命傷となり・・・息絶える中条。
水面に映る自分の顔に四つの人格を見出しながら・・・最後は自分の顔にうっとりなのである。
同時に最後のあがきを続けた渡も活動停止。
「不完全なアンドロイドなんて哀れ・・・」勝ち誇るユキの一瞬のスキをつき・・・田中夫妻の人間ミサイル攻撃が炸裂。制御装置のバックアップシステムを首に装着されてしまうユキ。ついに田中夫妻はアンドロイド・ユキの完全支配に成功する。
花畑の中で目覚めるハニー。そこには・・・沈痛な面持ちの早見が寄り添っていた。
「私は・・・どうして・・・ここに・・・私の中にミキちゃんがいる・・・なぜなの・・・」
早見を振り払い・・・ミキの名を呼ぶ・・・ハニー。
その声を遠くに聞きながら・・・湖上のボートに揺られる烏山。抱きしめたミキのボディーに語りかける・・・。「私は・・・嘘をついた・・・お前への愛が消えたことは・・・ない」
ミキに口付けた烏山・・・その一瞬後・・・一輪の波紋を残し・・・二人の姿は消える。烏山の怪人体マスクだけが虚しく水面に漂っていた。
「お父様・・・なぜ・・・私なんか・・・作ったの・・・みんな私のために死んでしまった・・・私なんか生れなければよかった・・・」
如月邸で悲しみにくれるハニーの前に黒衣のユキが手下を従えて現れる。
ハニーフラッシュしたシスターユキは制御装置を額に配置した完全凶悪タイプと化していたのである・・・つづく。
そして・・・もう一度・・・青のエンディングである・・・ミキ・・・何度追悼すればいいのだ。あああああああ・・・来週・・・最終回である・・・まあ・・・次のこういう傑作出現まで最初から何度も何度もリピートするから問題ないですけど・・・。
『ちりとてちん・25-2・第141回』まあ・・・とにかく・・・京本さんの化粧変身をもう何十年も前から知っているキッドとしては・・・ものすごい年の差カップルであるという認識を頭から追い払うのが大変な・・・・奈津子と小次郎ある愛の詩・・・。まあ・・・ここまでずーっとワキに徹してきた二人なので・・・一回くらいラブラブがあってもいいわけですが・・・う・・・苦しい・・・もう脳内変換の限界が・・・。チューはやめて・・・チューだけはやめてーっ。さて・・・肉じゃががどうしても食べたくなってきましたよ・・・。明日東京は雨っぽいから・・・お墓掃除は明後日に変更・・・もう春だね。→25-1
木曜日に見る予定のテレビ『鹿男あをによし』(フジテレビ)
ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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