た、玉の輿すぎる・・・実家に知らせてもいいですか?(宮崎あおい)
・・・っていうか・・・嘉永六年(1853)になったら・・・時が止まったようなのですが・・・ま・・・ここは黒船来襲・・・篤姫が薩摩藩主の姫に・・・将軍家正室への覚悟・・・御台所修行・・・と見せ場だから・・・仕方ないのか・・・。
でも・・・こういうのって・・・あっという間にワープするしかないよな。まだまだ篤姫の人生長いのに・・・。
どこだ・・・どこが・・・ダイジェストされるのだ・・・ドキドキ。
で、『篤姫・第10回』(NHK総合080309PM8~)原作・宮尾登美子、脚本・田渕久美子、演出・岡田健を見た。例によってシナリオにそったレビューはikasama4様を推奨します。今回は幕末海防論・・・鳥居耀蔵・怒りの鉄拳・・・野蛮帝国編付きでございます・・・ちょっと違うのでは・・・まあ・・・今回は大筋OK・・・ということでご了承ください・・・いつもだろう。
で、今回はちょっと引いて・・・幕末に名を残した大名たちについて軽く妄想してみたい。なにしろ・・・大奥になるとくのいち三昧になるので・・・ここは男だらけのマップをやっておかねばならないのである・・・いや・・・別に必然性はないですけど・・・。今回も天才・将軍家定ノリノリでしたけどねーっ。「まずは左から四番目じゃーっ」「・・・つまらん・・・おもしろい・・・褒美をとらせーい」「よし・・・海賊ごっこがよかろう」・・・なのである。スポンポンポポホン。
とりあえず・・・天才なので・・・周囲は困ったと思うのだが・・・とりあえず老中首座は阿部ちゃんである。弘化2年(1845)にその座について八年・・・まだ34才の若さである。マップを見れば分る様に備後福山藩のお殿様だが・・・石高は11万石・・・いかにも荷が重いのである。さらにいえば・・・倒幕に傾く・・・長州・薩摩・土佐の出口にあたる場所に位置する譜代大名なのである。阿部ちゃんは18才で藩主となり・・・22才で寺社奉行、25才で老中になっているエリートである。阿部ちゃんが老中になった時、オランダ国王ウィルレム二世から親書が届き・・・世界情勢を説いて開国に備えるべきだとアドバイスがあった。オランダは長崎を通じて交渉のある国である。どちらかと言えば好意的な意見だった。しかし・・・幕府はこの時、天保の改革に失敗した水野忠邦の失脚で揺れていたのである。阿部ちゃんは老中首座となった翌年・・・オランダ国王に・・・「鎖国は国法なのでご意見無用に願う」と返事をしている。しかし・・・危機感は持ったのである。阿部ちゃんは徹底的に情報を開示しました。朝廷に奏上し、有力な大名に相談を持ちかけたのである。「ね、どうしよう。ね、どうしよう。なんか、やばい感じなんだけどどうしよう・・・」・・・ま・・・ある意味・・・腰がすわっていないわけだが・・・この阿部ちゃんの態度が日本史にものすごく影響したことは明らかなのである。
さて・・・島津斉彬である。マップ中の大名たちの中で薩摩77万石が破格なのは一目瞭然である。ドラマにもあるように・・・阿部ちゃんはこの斉彬を味方に引き込むために・・・斉興引退と斉彬相続を画策したわけである。そのために・・・斉彬健在の間・・・幕府・薩摩の摩擦は生じなかったのである。また阿部ちゃんは・・・天下の副将軍・水戸斉昭に対しても・・・息子を一橋家に養子斡旋(後の徳川慶喜)したりしてご機嫌とりにつとめた。とにかく・・・阿部ちゃんは調整力には長けていたのだ。
しかし・・・黒船来航である。安政元年(1854)になると・・・米国と日米神奈川条約、イギリスと長崎和親条約、ロシアと和親条約・・・そして安政二年にはオランダと和親条約を結ばされてしまう・・・。もう・・・「だって・・・付き合おうっていうだもの。ことわりきれないよね。ね。ね」なのであった。とにかく・・・調整に調整を重ね、折れるところは折れ・・・阿部ちゃんはがんばりました・・・。斉彬の義兄弟である土佐藩主・山内豊熈と山内豊惇が相次いで死去した時にも・・・斉彬・阿部ちゃんラインは山内豊信(後の容堂)の相続に尽力している。これが土佐が幕末にからんでくる遠因になるわけだ。容堂といえば春獄ということになるわけだが・・・松平慶永は・・・天才・家定が・・・「ちょっと暗愚なわけで・・・優秀な跡継ぎを必要としている・・・」と言い出した筆頭である。
この二人と仲良くしたのが・・・伊達宗城である。実は旗本からの養子である。しかし・・・幕末・・・もっとも上手く立ち回ったといえる・・・このお殿様は・・・とにかく・・・容堂・春獄・宗城の幕末賢君トリオで売り出したのである。とにかく・・・どのくらい要領がよかったかというと・・・尊王から佐幕、佐幕から勤皇と見事に転進・・・気がつけば本家伊達家が伯爵なのに・・・宇和島伊達家は侯爵になっていたほどだ。見習いたいところである。
こうして・・・優秀な大名が次々と出現。しかし・・・安政四年・・・阿部ちゃんは・・・39才で力尽きます。後を受けたのが・・・堀田備中守である。実は・・・水野忠邦に連座して左遷されていたのだが・・・ワンポイントで復活したのである。彼の任務は「攘夷」を主張する朝廷の懐柔だった。「もう・・・無理なんですよ・・・開国させてくださりませ」と天皇や関白に金一万両の賄賂を贈ります・・・。これに激怒したのが・・・京都の貧乏な公家たちだったのである。「なんと・・・そんな・・・みたこともないような・・・不浄のものを・・・こちらにはすこしもよこさずに・・・アッタマきたのでおじゃる」・・・岩倉具視の登場なのだが・・・公家たちについては機会を改めたい・・・。
そこで登場するのが・・・井伊直弼である。いわば・・・家定の跡継ぎを誰にするか・・・決定した大老・・・ま・・・それだけではないですが・・・。天才・家定をある意味・・・保護した殿様と言える。
さて・・・残る一人は毛利敬親であるが・・・まあ・・・この城では関ヶ原以来・・・毎年正月になると「殿様、徳川追討の儀いかがいたしましょう」「その件は来年に持ち越す」と350年・・・言い続けてきたわけだが・・・意外にも・・・持ち越さない時は刻一刻と近付いていたのである。
ともかく・・・こういう・・・かなり・・・ゴタゴタした状況の中・・・大奥へ・・・篤姫は飛び込んでいくことになるのだった。そして・・・やがて・・・将軍の涙を拭うことになるのである・・・。ま・・・必殺・目の上に目描いちゃいました・・・で笑わせてあげるといいのだな。
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火曜日に見る予定のテレビ「ハチクロ」「あしたの・・・」(フジテレビ)「貧乏男子」(日本テレビ)「キューティーハニーTL」(テレビ東京)・・・ふふふ・・・やはり、火曜日かよっ。
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皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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コメント
先日の「東京大空襲」を見て
もし、幕末で水戸の烈公が政権を握っていたら
こんな光景が江戸でも起こっていたのではないかと
思ってしまう今日この頃です。
毎度毎度のように暴走しております(; ̄∀ ̄)ゞ
阿部ちゃんも安倍ちゃんも
いつの時代も二つの勢力に挟まれて
身体を壊してしまう運命なのかもしれないですね。
堀田というと平泉さんですね。(「大奥」繋がりか!)
そして毛利の温水さんは適役ですね。
後に「無能の名君」と呼ばれた方ですが
たしかに家臣からの意見に対して自己主張をしなかったからこそ
長州は倒幕の主導力になりえたんでしょうねぇ。
ちなみに個人的に
ペルリ提督が琉球に立ち寄ってから浦賀に向かった事に
何か薩摩の影を感じたりします(; ̄∀ ̄)ゞ
投稿: ikasama4 | 2008年3月11日 (火) 20時46分
✥✥✥ピーポ✥✥✥ikasama4様、いらっしゃいませ✥✥✥ピーポ✥✥✥
まあ・・・戦に負ける悲惨というものは
いつの時代も変わらない・・・。
ということでございますよね。
あれから・・・63年。
かくも長き平和。
しかし・・・日本にも爆弾テロはありましたし
占領下における苦渋というのは
今でもたまにあるわけです。
しかし・・・量的には誤差の範囲。
それを努力の結果と考えるか
幸運と考えるかで
キッドはいつも迷います。
武があるから戦があるのか。
戦があるから武があるのか。
答えはない・・・とは思いますが。
人は時に
「武がなければ戦はない」
と主張することがあります。
キッドはそれはウソだと思います。
斉昭はロシアの難破船の船員を皆殺しにせよ
と主張したことがありましたが
阿部ちゃんはなだめすかして
それを回避しました・・・。
だからといってそれをその場しのぎだと
断言することもできない・・・。
外交・・・それは
本来・・・至難のワザと言えるので
ございましょう。
それでも交わらねばならない・・・。
人の業でございますね。
ああ・・・老中の平泉成・・・見たいです。
投稿: キッド | 2008年3月11日 (火) 23時37分