立川談志みたいになりたいけどならない。(爆笑問題・太田光)
キッドは動作や表情、口調から太田光から立川談志を感じるのだが・・・他の人はどうかは知らない。
連続ドラマの過渡期が短いので・・・ドラマ以外の番組レビューがものすごく減少している。
その中でこの番組が対象になることは・・・あくまで偶然の産物である。
「タイヨウのうた」の映画版はシンプルでいい・・・とか・・・「あずみ2」をもっと好意的に解釈するヴァージョンとか・・・「サイレン」困ったもんだ・・・とか・・・「タイムマシン」という独善とか・・・「サンダーバード」って無理があるとか・・・まあ・・・そういうことより・・・春らしい話題だしな・・・どこがだっ。
まあ・・・どこか・・・似たようなものになる・・・個性というものを念頭に置いておく。
で、『爆笑問題のニッポンの教養32・タテ・ヨコ・ナナメにモノを見ろ!編集工学 松岡正剛』(NHK総合080401PM11~)取材・水高満、ディレクター・金田将二郎を見た。
まず・・・このサブタイトルは番組内容をあまり反映していない。基本的には「編集こそが神である」という松岡正剛と「お笑いこそが自分である」という太田光の対談である。もちろん・・・司会は田中裕二というセッティングになっている。
冒頭でインタビューを短く編集してふざけた要素を見せる。
松岡「漫才なんてどうやって作るんですか?」
太田「稽古を重視してます・・・」
松岡「漫才なんてどうやって作るんですか?」
太田「漫才なんてどうでもいいです・・・」
松岡「漫才なんてどうやって作るんですか?」
太田「・・・もうやめろよ」
インタビューの断片を再構成して・・・まったく違う意味を作るという遊びである。基本的にテレビや映画にはこの編集技術があることで「事実を伝えない」場合があるということを提示しているのだ。
松岡のモットーは「創作とは編集である」なので・・・その基本を示したということだ。「ものづくり」において・・・基本となる考え方である。
もちろん・・・丹精こめてオリジナルを作った人の視点で見ると・・・オリジナルとオリジナルを結びつけることが新しいオリジナルである・・・という思考は・・・なんだか・・・大切なものを奪われたり・・・汚されたり・・・されたような気分をもたらすように思えるが・・・しかし・・・基本としては抑えておかねばならない思考なのである。
昨日・・・「はばかり」について日本語の持つ曖昧さを示したキッドだが・・・松岡はそれを「言語の持つ不埒な覚束なさ」と表現する。おしゃれなのである。赤坂にある編集工学研究所のようなおしゃれさんなのであるな。
ま・・・要するに言語なんて・・・すべて戯言なのだ・・・ということだ。
しかし・・・人々は言語を使って意思疎通をはかるのである。そのもどかしさを太田は「言葉にすると・・・死んでしまう・・・今の自分が伝えきれない」と語る。
松岡は「世界は編集されているので仕方ない」と大人として慰めるのだった。
松岡は「知の巨人」として・・・とにかく・・・「メソッド」とか「デュアル」とか「モード」とか言ってしまうのだが・・・「メソッド」は「方法」だし、「デュアル」は「二重」だし、「モード」は「形態」である。そういう言い方が鼻持ちならない人には刺激的な語り口である。
もちろん・・・基本的には寄せ集め人間なのである。だから・・・「能」という芸能が「田楽」から洗練されるときに「四つの動作」に集約された・・・などというとんでもない暴論を語る。
この時にあげたのが「切る」「しおる」「照らす」「曇る」である。
おそらく「キリ」である作品の終了を示す言葉と「しおる」(泣く動作)、「照らす」(仰ぐ喜びの表現)、「曇」(俯く悲しみの表現)を・・・取捨選択の結果の到達点の例として表現しているのである。言っていることは支離滅裂だが・・・そこが面白いのである。
もちろん・・・世界の情報が人間という媒体に吸収されるときに情報は質量ともに変化するという話である。
たとえば「田中」を見た太田が「愛おしいチビの田中」と得た情報は「田中」そのものではありえない。太田が松岡に「田中は愛人です」と言葉にすれば・・・それは太田の内面にある「田中」でもなくなり、そして松岡が「田中はもろもろ面倒な人」と受け取れば・・・もはや「田中」は激しく変換されてしまっているのである。
すべての事象はこのように編集されている・・・というのが松岡のメインテーマなのである。
太田は心の中で松岡を「書庫タン」と呼んでちょっとうれしくなるのだが・・・それを松岡に伝える危険性は熟知している。
今回・・・爆笑問題の漫才ネタが挿入されるのだが・・・「遺伝子バンクに大江健三郎の精子があったらヒシアマゾンとかけあわせていいケンタウロスを作りたい」というネタだった。ここでおばちゃんたちの笑い声がおこるのだが・・・ケンタウロスが伝わらないのでおばちゃんが笑うはずはないと偏見を持てばこの笑いがフィクションであることは明白なのである。
松岡は「奈良の歴史イベント」にブレーン参加しており・・・トナカイダイブツくん(仮称)の是非を問われ・・・「面白くていいのではないか・・・神仏なんてキマイラだから」と言うのである。
こうして・・・最後に太田と松岡は「異端」というものについて意見を交換する。
「騒がしいハンバーグという異常な組合せは面白い」という松岡に対して・・・太田は「面白いからと毒蝮三太夫をホームから線路に突き落としたり突き落とされたりする立川談志さんがメジャーになったら面白いと思うがそんなことになったら嫌だ」とオトすのだった。
まあ・・・両者とも・・・素晴らしいことは何ひとつ言っていないのだが・・・「知」というものに思いをめぐらせるきっかけとしては・・・まあまあのテキストである。
「組合せ」の中から「美しいもの」を選び取る・・・それは・・・自然に迎合することなのか・・・修羅の果てにある不自然の極地なのか・・・。
キッドはふと・・・そんなことを考えさせられた。
「価値観の相対化による多様化」を「編集という手法」で「実用化する」という松岡にものすごく磨き抜かれた胡散臭さを感じるし・・・松岡を天然ボケだと指摘する爆笑問題はそれなりにいい感じなのである。
最後に編集の魔術は・・・。
太田「松岡さんは人を笑わせようとしたりするんですか?」
松岡「欧米かっ欧米かっ欧米かっ」
田中「それはつまらないですね」
なのであった。
まあ・・・基本的に「教養をめぐる対談」は「キツネとタヌキの化かしあい」なのだな。
関連するキッドのブログ『太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中』
木曜日に見る予定のテレビ『バッテリー』(NHK総合)『アテンションプリーズスペシャル』(フジテレビ)『笑う大天使<ミカエル>』(テレビ東京)
ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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