・・・どうしてこんなことにっ・・・と誰もが思う時がある。しかし・・・中には願望達成能力に恵まれ・・・そういう気持ちを知らずに過ごすラッキーな奴もいるし・・・そういう気持ちに鈍感なラッキーな奴もいるだろう・・・しかし・・・愛の監獄で・・・愛の囚人たちは・・・どうしてこんなことにっ・・・と口に出さずにはいられないのだ・・・それは愛こそは罪そのものだからである。
そんな「バッテリー」↘*7.7%はともかく・・・「ラスフレ」↘16.0%である。ソースケが穏便だったから・・・いや・・・違う・・・名作映画「ランボー」10.5%の魂の叫びに少し削られたのである・・・「誰が好きだとか・・・気持ちが伝わらないとか・・・彼氏に暴力をふるわれたとか・・・孤独だとか・・・それが何なんだ・・・戦場から生きてかえってくると俺のこと人殺しだって罵りやがる・・・やつらに何が言えるんだ・・・人間爆弾でふっとんだ仲間の上半身だけの体を抱きかかえて・・・どこにいったかわからねえ、そいつの足を探し回ったことがあるのか・・・ええ?・・・やつらはオレと同じような目にあって・・・そんで・・・オレを赤ん坊殺しだって喚いてんのか・・・拷問で傷だらけになった俺の体を見て気味悪いってぬかすのかよ・・・オレはただ・・・食事をしようとしただけなのに・・・」
トラウトマン大佐「・・・・・・ランボー・・・・・・」
で、『バッテリー・第7話』(NHK総合・080522PM8~)原作・あさのあつこ、脚本・相良敦子、演出・田中健二を見た。例によって巧姫(中山)は中学生離れしたものすごいタマでライバル中学のスラッガーをしとめる。しかし・・・そのタマのあまりの凄さにキャッチャー豪(高田翔)は心がとろけてしまうのである。
ただでさえ・・・凄い巧のタマをキャッチするためには相当な集中力が要求されるのである。しかし・・・タマの威力に痺れてしまった豪の心は快感に翻弄されてしまうのだ。
「ああ・・・タマをとらなきゃ・・・ああ・・・すごいタマだったなぁ・・・タクミのタマは本当に凄いなあ・・・ああ・・・さすがにオレの惚れた男のタマだよなあ・・・もうズシンと来てメリメリって感じで・・・ああ・・・思い出しただけで・・・気持ちとろんとしてくるわ・・・」
そういう茫然自失の豪の心を見透かす男がいた・・・横手二中のテクニシャン瑞垣(川原一馬)である。
「ふふふ・・・もういっぱいいっぱいなんだろ?・・・もう無理なんだろ?・・・さっきのより凄いのが来たら・・・もうタマを受け止められないんだろう・・・ほらほら・・・もう・・・こんなになってるじゃないか・・・もう・・・冷や汗ダラダラなんだろう・・・息も苦しいんだろ・・・」
見かねた審判が口を挟みます。
「君・・・グランドではあまりエロくならないように・・・」
しかし・・・瑞垣の甘い言葉に心を揺らされた豪は目の前がグルグル回り始めるのです。
そして・・・巧の最高のタマを掴みそこねてしまうのです。
「ああ・・・巧のタマを最高のタマを・・・オレは・・・オレは・・・」
豪の心の動揺を感じた巧は・・・思わず・・・タマから力を抜きます。
「いただき・・・」
瑞垣は巧のタマを掠め取っていきました。
「ああ・・・とられちまった・・・オレのせいで・・・巧のタマが・・・なんでじゃ・・・巧・・・なんで・・・オレのためなんかに・・・タマを盗まれたりするんだ・・・オレなんか・・・どうなってもいいのに・・・オレ・・・もうダメだ・・・オレなんか・・・いたら・・・巧のタマが最高でなくなってしまう・・・」
豪の心に悲しみの嵐が吹きまくったのです。心の崩壊した豪にはもはや周囲の言葉は耳に入りません。
「巧の凄いタマがなくても・・・巧のちょっと凄いタマ(出力70%)があればいいって・・・なんですか・・・それは・・・オレのために・・・タクミの凄いタマをなかったことにするっていうことですか・・・そんなことになるくらいなら・・・オレは死んだ方がマシじゃ・・・」
恋に狂った豪の言葉はみんなを唖然とさせます。巧自身にも計りかねるのです。
「豪・・・何言ってるんだ・・・」
「巧・・・さよなら・・・」
「豪・・・何でそうなるんだよ・・・」
「オレ・・・思い違いしてた・・・タクミの凄いタマに惚れた自分も・・・最高だと自惚れてた・・・でも・・・凄いのは巧のタマなんじゃ・・・そのタマを汚すようなオレは・・・自分がイヤになったんじゃあ・・・」
「豪・・・何言ってるか・・・わからん・・・」
「巧・・・お前は・・・本当に・・・人の心のわからん奴じゃのーっ・・・タクミくんのバカバカっ」
こうして・・・決裂したバッテリー・・・豪は・・・恋を忘れるために・・・野球部に退部届けを提出するしかなかったのです・・・。
もつれた二人の仲に心を痛める周囲の人々・・・。
キャプテン海音寺(川村亮介)は原因となった瑞垣にアドバイスを求めます。
プレイボーイ瑞垣「おいおい・・・敵チームにそんなこと聞くなんて・・・平和ボケの日本じゃなきゃ・・・考えられないことだよね・・・いいか・・・あのヒメさん(巧)には・・・このままつぶれてしまってくれたほうが・・・ウチのチームに有利だろう・・・しかし・・・まあ・・・野球は中学で終わりじゃないからね・・・このまま・・・ヒメさんが成長して・・・高校野球に進んで・・・同じチームになったら・・・甲子園で優勝も夢じゃない・・・という考え方もあるよね・・・まあ・・・ウチの四番なら・・・そう考えるかもしれない・・・しかしだ・・・ボクにとってはどうだろう・・・高校まで野球を続けるかどうかもわからないし・・・甲子園を目指すかどうかもわからない・・・そうなると考えものだろう・・・でもね・・・あのタマを見ると・・・さすがのボクもグラッとくるよねえ。会わなければそれですんだことが・・・会ってしまったことで抜き差しならなくなるってことってあるよねえ・・・特上のステーキを食べてしまうと・・・ただの上のステーキがものたりなく感じるみたいにね・・・」
ノーマル海音寺「・・・もっとやさしく・・・ゆっくり・・・話してくれんとようわからん・・・」
一方・・・二人の美少年の影に埋もれていた東谷(松川尚瑠輝)がムクムクっと立ち上がった。
「そりゃ・・・オイラはおっさん顔さ・・・しかし・・・パッター・キャッチャーぶっとばすすごいタマの相手するには充分なはずさバンババン。オイラだって・・・女王の教室じゃ・・・志田未来といい仲になったほどの男だ・・・凄いタマは無理でも・・・ちょっと凄いタマならきっとキャッチできると思うんだ・・・豪のようにケツの穴の小さい男じゃなくて・・・オイラのケツの穴のでかさに賭けてみてくれよ・・・」
巧「・・・でも・・・君・・・事務所が違うからなあ・・・侍ジャイアンツネタ分りにくいし・・・恋する日曜日最終回でおじさんダンサーズが踊ってたし・・・」(つづく)
で、『ラスト・フレンズ・第7回』(フジテレビ080522PM10~)脚本・浅野妙子、演出・遠藤光貴を見た。心のすれちがいの連鎖に突入・・・変態メロドラマも最高潮に達してまいりました。いまだに・・・宗佑(錦戸亮)の愛の形を理解できない・・・人々には・・・大人しめの宗佑の態度に不満爆発です。もっと美智留(長澤まさみ)を虐めてくれなきゃ・・・イヤイヤなのです。
まあ・・・こちら・・・悪魔サイドも天使テンメイ様サイドも・・・ずっと宗佑擁護のレビューになっていて・・・DV被害者擁護派からバッシングを受ける悪寒にあるわけですが・・・ここで立場を明確にしておかねばなりません。
おそらく・・・天使サイドでは・・・「DV加害者=極悪」という残酷なテーゼに一石を投じているのであって・・・もう少し・・・多面的で・・・深い理解を志向しているわけです。
一方・・・こちら悪魔サイドはあくまで・・・暴力肯定・・・痛みも快感も刺激にすぎないという耽美的な側面を強調しております。宗佑の中に隠された・・・いわゆるひとつのインナーチャイルド・・・と・・・人それぞれの愛のカタチがあり・・・こういう風にしか・・・愛を表現できない人もいて・・・その心の暗部のささくれ立ちを楽しめばいいのに・・・というアジテーションでございます。
この・・・完全に相反するレビューも・・・視野狭窄の人々からは「宗佑の味方をしている」という同じカテゴリーに押し込まれることがある・・・そこが悪魔的にはお笑いのツボです。
まあ・・・前置きするほどのこともないのですが・・・悪魔としては立場をあえて鮮明にしてみましたーっ。ランボーが好きだからーっ。
たとえば・・・「ランボー」を二度目に見たとき・・・もう最初から最後まで涙が止まらない人間とそうでない人間は・・・住む世界が違うとしか・・・言いようがないということなのです。
少なくとも・・・「君の気持ちは分る」・・・と簡単に口に出せない瞬間がある・・・ということを人はどこかで学ぶべきなのですねえ・・・。
しかし・・・「ラスフレ」の登場人物はあえて・・・その言葉を口にして・・・もつれにもつれていくのです。それは・・・もうテクニックの基本でございますからーっ。
タケル(瑛太)はもっとも魂と魂が接近した瞬間・・・瑠可(上野)を突き放す行動に出た。
「わかるよ・・・僕にも・・・君と同じように・・・小さな頃・・・他人には言えない秘密ができて・・・それに・・・苦しんできたことがあるから・・・でも・・・そんなことよりもっと大事なことを君に伝えたいんだ・・・僕は・・・君のことを愛してる・・・」
もちろん・・・タケルが瑠可を愛しているというのはウソです。
タケルにとって秘密の打ち明けっこは絶対のタブー・・・それよりも愛の告白というウソの方がよい・・・とタケルの心の支配者が命じたのです・・・。
それは次のやりとりから明らかでしょう。
瑠可「タケルの気持ちにこたえることはできないよ」
タケル「そんなことはわかってた・・・」
つまり・・・タケルは・・・瑠可の秘密・・・「女しか愛せない女であること」も察知していて・・・瑠可がそれを告白することを封じたのです。なぜなら・・・自分の「秘密」を打ち明ける気持ちはこれっぽっちもなく・・・さらに言うならば・・・自分の傷の深さは・・・瑠可の心の傷よりもくらべられないほど深いことを誇っているからなのです。
そして・・・それは瑠可もまったく同じ。自分の苦しみの深さには自信満々なのです。
「なんだ・・・あんたの秘密がどれほどのもんか・・・知らないが・・・それよりもあんたの愛の告白の方が大切だってのか・・・オレの心の秘密が・・・あんたの秘密と同じようなものだとしたら・・・オレの秘密は・・・あんたの愛の告白より・・・大したことじゃないってことか・・・バカにするな・・・オレの心の秘密・・・オレの心の秘密がもたらすオレの苦しみ・・・それはあんたの過去の秘密・・・あんたがなかったことにしようとしている秘密・・・そんなものとはくらべものにならないんだよ。オレの秘密はもっともっと深刻なんだ・・・その証拠に・・・あんたの愛の告白に・・・オレは答えようがないんだからっ」
壮絶なすれ違いです。もう・・・博多行きの新幹線と東京行きの新幹線が関ヶ原あたりですれ違うくらいの圧力がかかっています。線路と線路の間に立っていたらちびってしまうほどの風圧です。ゴゴーって感じです。
この「個人の尊厳」の問題は・・・本質的に「共有」することが困難という性質を持っている。
なぜなら・・・個人は基本的に闇に閉ざされた存在で、個人と個人は基本的には断絶しているからだ。
それは・・・個人の集合体である・・・社会一般や・・・国家、あるいは世界という個人集合体と個人との相克を常に孕んでいる。
たとえば・・・日本には「児童売春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」が定められているが、この場合の児童は18才未満の男女を指す。
すると・・・18才以上の未成年者は保護の対象にならないし・・・男子の乳首露出は許される。しかし・・・男子の乳首に性的興奮するものはいると想像できるし、18才と一日なら何をしてもいいのか・・・という疑念も生じるのである。
さらに・・・「性」というものに対する保護対象者の認識が法律の内容に深く関わっているという問題がある。
「性的興奮」というものを知らないとされる低年齢の人間が・・・「性的興奮」の対象とされ・・・成長とともに・・・その事実に気がついた時のショックは測定不能であり・・・それを残虐と認識すれば・・・これは虐待に他ならない。
男女を問わず・・・自分の保護下にある児童がこのような虐待にさらされることは許しがたいことであり・・・世界がこれを抑制する法整備を行うことに疑義を挟む余地はない。
しかし・・・それでも日本は・・・「児童ポルノを所持していること」が罪にあたるかどうかで・・・なお・・・議論を継続している。
すでに・・・所持を禁じている米国では・・・冤罪事件が発生している。身に覚えのない児童ポルノの所持を告発されたときに・・・身の潔白を証明することが非常に困難であることは・・・火を見るよりも明らかだ。
それでもなお・・・児童の虐待を見過ごすわけにはいかない・・・とキッドは考える。たとえ・・・たった一人でも・・・恥ずかしい写真を撮られ・・・死ぬほど恥ずかしい思いをして・・・実際に死ぬ児童がいる以上・・・冤罪に陥れられ・・・一家は離散・・・本人が自殺してもいいという覚悟で法を制定するべきだろう。
しかし・・・どんな法律が定められようと・・・児童を性的に愛する人間は根絶できないだろう。実際に・・・自分の保護下にある児童を虐待する人間が存在するのが現実だからだ。
児童たちは自然には裸体である。児童たちは裸体であるこを恥じない。それを辱める人間がいる以上・・・そこには個人と個人の戦いが残るだろう。米国では年間二万人を越える児童ポルノの被害者児童がいる。その中には秘密の保持のために被害者となったあと・・・消息不明になるものもいるのである。
今・・・日本もまた・・・そういう世界にむかって流れつつあることは確実だろう。
信じがたい被害にあった児童たちの・・・心の傷は深い・・・そんな時・・・慰めの言葉にどんな力があるだろう。
ただひとつ言えることはそういう世界であるということなのだ。
それは・・・四川省の地震のもの言わぬ被害者と同じである。
それは・・・北朝鮮に拉致された横田めぐみさんと同じである。
それは・・・女しか愛せない女に生れついた瑠可と同じである。
そして・・・そういう世界を受け入れるかどうかは・・・個人の問題なのである。
瑠可は・・・今のところ・・・受け入れない。
そして・・・「世界で一番不幸なのは私」を譲らないのである。
それがどれほど・・・強固なものであるかは・・・宗佑の「告発文」が発布されるたびに明らかになる。
前回・・・瑠可の家族に・・・それが行われたときに・・・世界の残酷さが異様に強調されたことにお気づきだろうか。家族たちは・・・「個人的な中傷」という異常な行為の「見知らぬ敵」よりも・・・家族である瑠可への攻撃を優先するのである。「まさか・・・お前・・・本当に男女なんではないだろうな?」
今回・・・サーキットの仲間たちに・・・それが行われたときも・・・コーチは・・・「まさか・・・お前・・・本当に男女なんではないだろうな?」なのである。
この「周囲の敵意の強調」はある意味瑠可の内面世界が・・・周囲に露出した妄想と考えるべきなのだ。
瑠可にとって・・・世界は・・・「敵」なのである。そして・・・その最大の敵が・・・実は「最愛の女性」であることが・・・瑠可の孤立性を際立たせるのである。
そういう瑠可に「君の気持ちは分る・・・」とタケルは言ってはいけないのだな。
一方・・・スン止めで明らかにされないタケルの秘密・・・それはおそらく・・・父親の姉への性的虐待・・・姉の弟への性的虐待という虐待の連鎖による・・・タケルの性的不能と想像されるのだが・・・その秘密を持った人間に対して・・・瑠可の行動は・・・それを察知しているものとして非常に合理的なのである。
なぜなら・・・「いつか自分が男になったときまで・・・あずけておく相手として・・・性的不能者は・・・安全」なのだ。
ここで・・・美智留が・・・二人の性的異端者に・・・弄ばれている構図が浮上する。
家族に恵まれなかった美智留にとって・・・暴力的な愛の支配者・・・宗佑は無難な相手だった。しかし・・・「どうしても打ち明けられない秘密」を持つ瑠可と「どうしても忘れたい秘密」を持つタケルの作る虚飾の擬似家族は・・・見事に誘惑的な罠なのである。宗佑はこの罠のもついかがわしさを「洗脳」という言葉で端的に表現する。それはけして・・・宗佑の言いがかりではなく・・・作為的な事実なのである。
「タケル」と「瑠可」というカップルの存在をニセの恋人「コーチ」で否定した瑠可の意図は「タケル」のためではない。「美智留」を「性的不能者であるタケルという檻」に追い込むための策略なのである。
宗佑という檻から解放したタケルに対し・・・瑠可への遠慮から・・・気持ちを抑えていた美智留を・・・新たな檻に追い込む・・・瑠可の凶悪さが浮かび上がる。
でも・・・仕方ないのだ・・・瑠可は・・・一人で世界と戦争をしているのだから・・・。
瑠可の策略に利用されるタケルに残された道は「記憶を消すために自らを滅ぼす」か・・・「記憶を消すことを否定する瑠可への殺意の発露」・・・その可能性は五分五分ということになるだろう。
一方・・・宗佑の生い立ちは・・・現在の同じ境遇の子供によって淡々と描かれていく。
それは『誰も知らない』(2004年是枝裕和)の世界からのいただきと言っていいだろう。
ネグレクトされた・・・宗佑は・・・世界でも有数の豊かさに恵まれた世界で・・・ひっそりと飢餓していく恐怖を心に巣食わせているのである。
「美智留はきっと帰ってくる・・・美智留はきっと帰ってくる・・・どんなに・・・お腹がすいていても・・・淋しくはないよ・・・美智留はきっと帰ってくるんだ・・・」
宗佑が美智留を食べてしまおう・・・美智留とひとつになるにはそれしかない・・・と思いつめるまで・・・もう時間は少ないと思う。(つづく)
関連するキッドのブログ『先週の木曜日のレビュー』
土曜日に見る予定のテレビ『ごくせん』『2クール』(日本テレビ)『トップセールス』(NHK総合)『ハチワンダイバー』(フジテレビ)
ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
☆*⋄◊✧◇✧◊⋄*今日のお言葉☆*⋄◊✧◇✧◊⋄*
「アウトーーーーー」(五輪出場を決めた日本代表柳本監督・・・第四セットでの韓国のサーブを絶叫ジャッジ)
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