やりたいときにはやればいい。(佐藤隆太)
日曜日の朝・・・公平であるべき放送の世界で平気で一方の言い分だけを垂れ流すTBSだが、少なくとも「ROOKIES」は素晴らしい。不連続ドラマだが毎週最終回のような仕上がりなので問題ないのだった。
かって暴力の嵐が吹きまくったカンボジアでは・・・今も残存する「力」が幅を利かせているという。
「東京オリンピック」が終った60年代後半。日本にも暴動の嵐が吹きまくった。
「北京オリンピック」は始まる前から暴動が起きているので終った後に何が起るのか楽しみである。
日本人の考える善がいつの時代でもどこの世界でも通用するとは限らない。
しかし・・・善かれと思わずに生き、善かれと思わずに行うことが心楽しいはずはない。
娘を奪われた母の思いを・・・母を奪われた息子の思いをないがしろにするものは秋葉原の通り魔殺人鬼をののしる権利を持たない。
彼らは言うだろう。耐えがたきを耐え・・・許しがたきを許すことこそが肝要だと。
しかし・・・そうした忍耐の果てに自分の生命があることを忘れてはいけない。
突きつけられた刃物から目をそらし話せば分るといい続けるには自分の命を投げ出す覚悟がいる。
その臆病な目の奥にその覚悟はありやなしや。
で、『ROOKIES・第9回』(TBSテレビ080705PM0756~)原作・森田まさのり、脚本・いづみ吉紘、演出・平川雄一郎を見た。甲子園を目指し・・・夏の予選を前に・・・練習試合を続ける二子玉川学園高校。野球のシーンは・・・フラッシュカットである。
前回・・・野球中心だったので・・・今回は暴力の出番なのだな。
なにしろ・・・土曜の夜のヤンキーナイトはごくせんが解散したためにROOKIESが一手に引き受けるのである。
バイオレンスとベースボールと言えば・・・「バツ&テリー」もあるし「ゴリラーマン」もある。前者の場合だと・・・とりあえず・・・ケンカをして野球。後者の場合は野球は背景で拳の会話が中心である。
健全な男の子たちはこうあるべきなのだ。自由気ままに暴力をふるい、より強くなるためにはルールが必要であることを体で覚える。しかし・・・世の中が平和で腐敗していけば・・・動物としての人間性は軽視され・・・なんだかわからない社会的な生物であることが要求される。
だからといってすべての人間がワクにおさまるとは限らないのが醍醐味だ。
運よく生き残った拉致被害者たちは歯の汚さで日本人を驚かせた。
歯の治療も満足にできない国家が暴力で日本人を拉致し奴隷化したことに人々は震撼したはずである。しかし・・・喉元すぎれば熱さを忘れるのが人間である。過去にとらわれず未来志向でと口にする人間は過ちを繰り返すものだ。
もちろん・・・いまわしい記憶を忘れてもらえるのはありがたいことだろう。だからといって・・・今・・・現在・・・悲嘆にくれる人間を置き去りにして・・・上を向いて歩けるものだろうか・・・キッドは歯をくいしばってもくいしばっても洩れる悲痛な声に耳を傾けない人間に外交を語る資格はないと考える。
しかし・・・川藤(佐藤隆太)はそういう一般人とは別次元の人間である。もちろん今岡(尾上寛之)も同様だ。金属バットで殴られて流血し・・・人格に異常をきたさない人間は稀なのである。ウソだと思ったら殴られてみるといいと思う。
そうなのだ。今回は妖怪ナイトなのだな。「ゲゲゲの鬼太郎」と同じように川藤も今岡も不死身なのである。もちろん不良たちの目には映らない平塚(桐谷健太)は幽霊だ。
だからこそ・・・ルール無用の悪党に警棒やバットで強打されても笑顔を絶やさず「本当に夢を叶えたかったら勇気を持て。人の目を気にせず、自分ひとりの力で起ちあがれ」と説教しながら・・・段は同じでも位が違う寸止め展開ができるのである。
この川藤の姿勢こそ・・・今の日本人に求められるスタイルだろう。
一刻もはやく・・・憲法九条を改正し、核武装し、やるときはやるぜという姿勢をとれる体制作りをしなければならない。そうでなければ・・・結局最後は暴力に屈し・・・守るべき人を守れず・・・何もかもを失ってしまうことになるのである。
それでいい・・・やるよりやられた方が気が楽だ・・・というのなら・・・それは見上げた根性だが・・・そういう人は「ROOKIES」を見て・・・涙を流したりはしないのだろうか。
ま・・・それはそれとして猫娘(田中麗奈)かわいいよ。猫娘。特に変なダンスが。
関連するキッドのブログ『第8回のレビュー』
月曜日に見る予定のテレビ『CHANGE』(フジテレビ)
ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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