そんなのヤダヤダヤダ!(多部未華子)ネコナデてもいいですか?(小木茂光)
一世風靡セピアの元リーダー小木茂光といえば名脇役といって過言ではないが・・・多彩な役柄から・・・様々なイメージがある。もちろん「踊る大捜査線」シリーズの警視庁捜査一課々長・一倉がメジャーなのであるが・・・キッドとしては「おとり捜査官・北見志穂」シリーズの警視庁捜査一課主任・井原も捨てがたかったのだ。しかし・・・最近は「ネコナデ」のIT関連企業「デジタルドラグーン」の人事部長・鬼塚にしか見えなくなっている。スポーツ新聞の記者としてパパラッチしていも・・・心は猫にありで上の空なんだろう・・・と妄想してしまうのである。もう・・・今回も話はベタだけに・・・そのことばかりが気になっていました。猫が出てきたのは「33分探偵」だったけどね。
さて・・・オリンピックがついに去っていきます・・・長い嵐だったなあ・・・。
男子マラソンは超高速レース。ケニアのワンジル(金メダル)がエチオピアのメルガ(4位)からドリンクを譲られ・・・直後にスパート・・・一人旅になってゴールである。「水あげるからおいていかないで・・・」「ごめん・・・いく」という心の会話が聞こえました。ケニア生まれの日本育ち・・・「我慢、我慢、我慢を学びました」・・・あのロシア出身力士にも教えておくべきだったな。棄権者を除く最下位走者(76位)は佐藤敦之・・・鳥の巣は暖かく迎えて・・・残念なことの多かった日本男子陣に相応しいフィナーレを飾ったのだった。礼。
で、『ヤスコとケンジ・第7回』(日本テレビ080823PM9~)原作・アルコ、脚本・渡辺雄介、演出・長沼誠を見た。イメージ戦略というものがある。基本的にはマス・メディアという送り手が大衆という受け手に仕掛けるものである。もちろん・・・個人が好きな異性に対してイメージ戦略を仕掛けることも日常的だ。「恋空」では「優しいし頑張り屋さんだし笑顔が素敵だし泣き虫のところもかわいい」というイメージを男の子に植えつけてできちゃった高校生になる女の子が主人公である。イメージ戦略に失敗した女の子は暴力に訴えて赤ちゃんを殺しちゃった高校生になるのだが何故か逮捕されないのだった。こういうストーリーもまたイメージ戦略と言えるだろう。
人間は幻を愛し・・・幻を憎む動物である。ドラマの中の愛が虚構である以上・・・現実の愛も虚構にすぎないのだが・・・そこには違いがあると思い込んだりもする。この「すべてがウソなのにウソじゃないことを信じることがある」というのが人間の面白いところだ。
北京五輪の開会式でビジュアル担当の少女と歌声担当の少女が二人一役だったことが物議をかもすのはその認識力の差異があるからだ。このことについて異議を唱える人はそれが詐欺だから悪であるというし、特に問題と思わないものは吹き替えはよくある演出技法にすぎないと考える。
五輪開会式はセレモニーであり・・・問題のコンテンツは余興にすぎないので会場にいる人々を気持ちよくさせればいいとキッドは思うが・・・騙されたと怒る人もいるのである。問題は騙しきることのできない集団としての人間の面白さである。なんでバレたのだ。
ここに芸能の難しさがあるのだな。たとえば・・・芸歴の問題がある。件の歌声少女が・・・芸歴に五輪開会式を加えたいと思うと・・・二人一役の抹消は難しい。また顔少女が歌手として芸歴に記すことはまさに虚偽申告になる。もちろん・・・これは名誉の問題でもあって・・・顔少女には顔少女のバックが・・・歌声少女には歌声少女のバックが存在して・・・それぞれに名誉を主張する場合があるのである。
単に「最高の声と最高の顔をお届けしたかったからこうなったのです」とぱかりは言い切れないのだ。すると・・・最高少女、歌声少女、顔少女の三つのバックがせめぎ合うのである。結果・・・バレるのだ。バレると・・・「また中国かっ」と後ろ指を差す人もいるのである。
もちろん・・・後ろ指を差すことは悪いことではない。大衆は騙されやすいので警告を与えるのは大切だ。もちろん・・・どんなに警告しても大衆はだまされるのである。騙されない大衆なんて・・・なんとなく大衆っぽくないのである。
中国はより洗練された北朝鮮である。すべては捏造であり・・・すべては茶番である。そんなことは基本なのである。もちろん・・・日本だってより洗練された中国にすぎないのである。
さて・・・そういう意味で少女漫画家・桜葉れいか(松岡昌宏)は元・暴走族のヘッド・沖ケンジであることを隠している。基本的に・・・そういう虚飾を許せない人にとってはものすごく悪いことをしているのである。
もちろん・・・キッドも堀北真希が化粧を落したら舞の海だったら・・・詐欺だと思うが・・・そんなこといってたら化粧品会社は商売あがったりなのである。
つまり・・・一般大衆の認識力をどのあたりに設定するか・・・という問題がある。
男のくせに少女マンガを書いているのが悪いのか。女のフリをしてイメージアップしたのが悪いのか。バレそうになったので隠そうとするのが悪いのか。・・・それともこれっぽっちも悪くないのか・・・ということである。
今回・・・好きな女(広末涼子)を手にいれるために・・・好きな女の惚れてる男を窮地に落しいれ・・・好きな女を苦しめるという青田(RIKIYA)が悪いので・・・読者を騙している桜葉れいかはちっとも悪くない展開です。寸止めですけど。
できれば・・・もう少し・・・「全国の少女たちの夢を壊さないためにどれだけ努力しているのか・・・という痕跡」があると良かったかな。どうもアイドルと美少女マンガ家の区別がないような演出だったから・・・。
まあ・・・美少女マンガ家である必要はないのだが・・・ベレー帽でメガネの必要もあまりないのではないかと思うのだった・・・つまり・・・どんなイメージ戦略だったんだ。
かって・・・「美」についてネチネチと書いていた小説家の葬式には紫色の和服を着たファンの女性が多数参列したという。イメージ戦略も恐ろしいが一般大衆も恐ろしいのである。
かって・・・ナチス・ドイツは宣伝上手だった・・・とベルリンオリンピックを例にとり・・・主張し続ける人々がいる。ある意味ではどんなオリンピックだって宣伝手段にすぎない。しかし・・・その虚構の中で・・・時には現実より・・・美しく輝く人々がいる。
キッドはそれのどこが悪いのか・・・と時々思うのである。
関連するキッドのブログ『第6話のレビュー』
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ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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