魔王は暗闇の天使なのです。(大野智)救いの天使です。(小林涼子)希望の天使です。(優香)
神も悪魔も天使も基本的には妄想の産物である・・・と断言した時点でキッドは地獄行きが決定なのだが・・・キリスト教徒でないので平気だ。
もちろん・・・キッドは仏教徒でもない。
ましてや八百万の神も信じない。
単なる妄想主義者である。妄想は実在する・・・これだけは疑うことができない。
妄想の中では精霊もアマテラスもミロクもクライストもアフロマツダも信じることができるし・・・時には親しくもできる。天体の神秘を感じるし、海に呼ばれたり風に誘われたりもする。
あらゆる宗教は一種の妄想だし・・・もちろん・・・自然科学も社会科学も妄想にすぎない。
北京五輪も妄想の産物だし原子爆弾も妄想の成果である。
キッドは疑いつつ信じる・・・キッドの妄想が消える時・・・世界もまた消えることを。
信仰とは願望である。信じている以上・・・そうであってほしいと願うのである。
で、『魔王・第7回』(TBSテレビ080815PM10~)脚本・西田征史、演出・坪井敏雄を見た。
たとえば・・・ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の主神が同じ神であることを知らない人は多いと思う。それぞれが・・・自分の信じる神が唯一絶対の神であると信仰し・・・それが同一神であることに思いが及ばないことは不思議なことだ。
また・・・チベット仏教と・・・日本の仏教は基本的に違う宗教である。もちろん・・・ユダヤ人のイスラム教徒がいるように日本にもチベット仏教徒はいる。
そういう意味で魔王サタンはある意味・・・キリスト教徒にとって特別な悪魔である。
地獄の支配者という意味では日本には閻魔大王がいるが・・・魔王サタンとはイメージが根本的に違う。そして・・・日本人はハリウッドスターに憧れるように魔王を敬愛する側面があるのである。
たとえば・・・広島や長崎の原爆の被災者にとって・・・キリスト教の支配する米国は悪魔そのものである。当然・・・敵の敵であるサタンは・・・味方に為り得るのだ。
米国は戦後ずっと・・・このイメージをコントロールすることに神経を使ってきた。たとえば・・・敗戦当時の日本のリーダーの「悪」の強調である。日本のリーダーはもちろん「昭和天皇」であるが・・・これを貶めることは逆効果と判断し・・・諸悪を軍部および政府首脳に絞ったのである。
これによって天皇(善)-軍部(悪)-国民(善)という方程式が作られた。もちろん・・・今もこの枠組みは暗黙の了解として継続している。だから・・・日本で作られるドラマに登場する帝国軍人は基本的に下劣で醜悪で塵芥なのである。
アジアではこの方程式が現在の支配層(善)-日本(悪)-国民(善)に置き換えられているのが普通であり・・・日本がどんなに善人であろうとしても・・・でも日本(悪)なんだろう・・・という意識に圧倒されるのだ。戦争に負けるというのは本当に恐ろしいことなのだ。
さて・・・かって日本の領土であった朝鮮半島は現在・・・韓国と北朝鮮という二つの国家に分割されている。韓国では親米独裁政権(善)-日本(悪)-国民(善)を経て民主化政権(善)-日本(悪)-国民(善)となり・・・半島統一政権(善)-日本(悪)-国民(善)・・・さらにはもうなにがやなやら政権(善)-日本(悪)-国民(善)となっている。韓国が流動化するのは・・・北朝鮮が金王朝政権(善)-日本(悪)-国民(奴隷)を貫いているからである。
まあ・・・どちらにしろ・・・日本(悪)は不動です。
だから・・・韓国では・・・やむにやまれぬ悪を行い・・・自らの行いに苦しむ魔王は・・・北朝鮮のシンボルなのであって・・・けして日本(悪)ではないのである。それは同胞を奴隷的境遇に貶め・・・自らは米国との同盟によってそこそこ経済的繁栄を謳歌した韓国の・・・罪悪感を刺激するのだな。そして・・・その刺激がいい感じのエンターティメントになるわけだ。
韓流ブームというのは・・・この上澄みの部分を珍しいものが好きな日本人が賞賛したことによって生じている。
だから・・・拉致事件発覚とともに・・・北朝鮮に対する罪悪感が消滅した日本では韓流ブームは終焉し・・・なにしろ・・・多くの日本人にとって朝鮮半島の南北問題はよくわからないことだからだ。あるいは・・・韓国が・・・日本よりも北朝鮮に肩入れする態度を示すことに当惑したからである。
しかし・・・一方で・・・半島やその先の大陸は・・・大量の客が埋蔵されているエリアでもある。情報の加工業者であるテレビ局が・・・いつまでもそこから顔を背けないのは当然なのである。そして・・・それに付き合うお茶の間は当惑する。
そうでありながら・・・「魔王」がそこそこ受けるのは・・・世界の(悪)である日本が・・・魔王に己を見出すからだ・・・とキッドは思ったりする。
弟を殺され・・・母を失くし・・・やむにやまれず復讐の鬼となった・・・雨音真実/真中友雄/成瀬領(大野)は弟を死に追い込んだ上に殺人未遂の汚名を着せた芹沢直人(生田斗真)と芹沢一族・・・そしてその恩恵を蒙る人々を死に追いやっていく。
しかし・・・その復讐劇に巻き込まれた人々に苦しみを与えることにより・・・その心は激しく軋むのだった。
操られ実行犯の一人となった新谷(奥貫薫)からは「真犯人(雨音)が憎い」と告げられ・・・新谷の娘(大野百花)からは「真犯人(雨音)を捕まえて」と涙ながらに頼まれる。
隠れ蓑として使った成瀬領の実の姉・真紀子(優香)を欺いていた。
そして・・・心を寄せるしおり(小林涼子)には真実を伏せていた。
そんな領を実の弟の死を知ってもなお盲目の姉・真紀子は庇うのだった。
「あなたが・・・本当の弟でないことは知っていました・・・しかし・・・一人ぼっちで暗闇の世界を生きる私には・・・あなたが・・・救いでした。週に一回・・・あなたは甘い香りのする花束を持って・・・私と言葉を交わしてくれた・・・私にはそれが・・・どんなにか・・・うれしかったことか・・・あなたがどんな人間でもかまわない・・・私にとってあなたは救いの天使だから」
魔王の目からは涙がこぼれます・・・人間の目には見えませんが・・・それは真紅の涙。
悪魔さえも愛してしまう人間の愚かさに対する・・・哄笑と悲哀の入り混じった血の涙です。
もちろん・・・神が計画した・・・魔王の復讐計画に水を差す天使の配置に違いないのです。
真紀子は孤独な盲目の女に姿を変えた神の回し者・・・天使なのです。
もちろん・・・新谷母娘も天使ですし・・・孤児であり・・・サイコメトラーでもある神の家(教会)の娘・しおりも・・・天使です。
基本的に・・・このドラマの世界では天使は女性の姿で現れます。
キリスト教的世界では女は基本的に魔女です。
魔女は黒魔術により魔王に支配され・・・公序良俗という秩序を破壊するからです。しかし・・・秩序と秩序の戦いである100年戦争で「魔女」として火刑に処せられたオルレアンの乙女ことジャンヌ・ダルクの名誉が回復され・・・聖女となって以来・・・天使は女性であることが多いのです。
つまり・・・魔王は・・・魔女として使ったつもりの・・・女たち・・・実は天使に・・・人としての心をからめとられているのです。
神も悪魔も精霊として無限のパワーを秘めているわけですが・・・人として生を受けるとたちまち・・・善悪あわせもつ人の心のメカニズムに拘泥され・・・大抵任務に失敗します。
ナザレのイエスが十字架にかかるのがいい例です。
もちろん・・・神は・・・あれが本来の任務だったのだと・・・主張しますし・・・悪魔は神にも失敗はあると宣伝するのです。
さて・・・今回は・・・タロットカードはなし・・・夜の街とは言え・・・人前で痴話喧嘩を始める隠す気あるのか?不倫カップルの麻里(吉瀬美智子)と秘書・葛西(田中圭)の写真が赤の封筒に入っているだけでした。一通は夫(劇団ひとり)にもう一通はたかりゆすりの常習犯チンピラ・宗田(忍成修吾)に送られます。・・・まあ・・・工作員的手法です。
実は・・・これはタロットの代用品と考えることもできるのです。
二人の写真は素直に見れば・・・大アルカナの第6番「恋人」のカードです。「恋人」に描かれる二人はアダムとイブであり・・・肉体的な関係を暗示します。カードによっては男一人と女性二人が描かれ・・・この場合は見て絵の如し三角関係です。さらに三角関係は男と女と神あるいは天使の三角関係である場合もあります。この場合は・・・愛と恋の分裂を示しています。つまり・・・慈愛と性欲の狭間です。
さらに踏み込めば・・・そこには裏切りが潜んでいるのです。不実な愛です。
一方・・・この場合の二人・・・間男と不貞を働いた妻は・・・大アルカナの第0番「愚者」のカードであるとも考えられます。
愚者のカードには放浪の吟遊詩人と・・・犬が描かれます。つまり・・・遊び人と牝犬の組合せです。愚か者とビッチは実に・・・二人の関係そのものです。「何もかも捨てたっていい」「そんなのゴメンだわ」・・・若者は悪い異性に気をつけるべきです。
夫に送られたのは「恋人」のカード。悪い男に送られたのは「愚者」のカードと考えることができるでしょう。
「恋人」のカードには試練の克服という意味があり・・・「愚者」のカードには無秩序という意味があります。まあ・・・二人に送られるのに相応しいカードであると言えます。
ちなみに「恋人」に潜む悪魔はシトリーで獣(パンサー)の顔と魔獣(グリフォン)の翼を持つ本体と美男・美女どちらにも変化する人体を持っています。この悪魔の性的誘惑にはまず抵抗できません。趣味は寝室の秘密を暴くことです。もちろん・・・盗撮者・盗聴者の心にはシトリーの触手が伸びているのです。最近では香港で活躍していました。
ついでに「愚者」に潜む悪魔はエキンムで・・・行方不明の家族の顔を持つ幽霊です。行商で外征で観光で家を離れたまま死者となり・・・弔いを受けなかったもの・・・まあ・・・葬儀社の最も愛する悪魔です。きちんと供養しないと・・・エキンムになってしまいますよ・・・というのが彼らの常套句なのです。少なくとも古代アッシリアから・・・そういう伝統になっています。もちろん・・・放浪癖のある人にはエキンムが憑依している場合が多いのです。まあ・・・愛すべき悪魔と言えましょう。日本では長い間、寅さんに憑いてました。
関連するキッドのブログ『第六話のレビュー』
日曜日に見る予定のテレビ『コードギアスR2』(TBSテレビ)『篤姫』(NHK総合)『Tomorrow』(TBSテレビ)『北京五輪・女子マラソン』(日本テレビ)
ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
| 固定リンク
コメント