ハケン社員、ハケン教師次はハケン主婦って家政婦なんです~(加藤あい)ブラッディ・マンデイってポアなの?(川島海荷)悪魔払いかよっ(吉高由里子)
まあ・・・どんな物語でもフリが終ればそこそこ面白くなる。
唐突に始まり唐突に終る事件は・・・味気ない現実というフィクションにはありがちだ。
現実というフィクションに誰もが慣れているわけではないので報道というフィクションが味付けをする。
フリオチは構成の基本だが・・・いい加減な概念なので・・・その論理構造は複雑である。
まず・・・フリというのはお店用語である。お店話用語といってもいい。この場合、お店というのはおたなと読んで遊郭を示す。最初の客をフリ(初見)といい・・・その客が二度目に来店することを裏を返すと言う。三度目で馴染みとなる。ここから最初の部分をフリというのである。
一方、お店話とは落語のジャンルでもある。落語のは話のサゲ(最後)の部分でオチるわけである。落ちるのは落ち着く意味でもあり行き止るということでもある。ここから最後の部分をオチというのである。
全体の流れを二分割すればフリ(最初)とオチ(最後)になる。
たとえば質問と答えはフリとオチである。
お店用語ではフリ→裏を返す→馴染みの三分割で序破急にのっとっている。
フリ→裏を返す→馴染み→それっきり音沙汰なしなら四分割の起承転結なのである。
「なぜ殺したのか?」「飼い犬を殺されたから」というのは二分割のありふれた事件でも・・・裏を返している間に「テロリスト」「背後関係」「闇組織」「警備強化」「言論の自由」「政策論争」「政権交代」「汚職」「捏造」「誤報」などが乱れ飛ぶとそこそこ珍妙な事件になる。
まあ・・・失われた人命は取り戻せないので冥福を祈るしかないのだが・・・相対的に幸福に見えることは常に標的になることであるという一般常識を思い出させることで些少の意義はあったと思う。公僕たるもの命を国民に奉げるのは基本なので名誉は深まったという考え方もできる。突然加害者の家族になったものは「命を奉げたい・・・犯人には切腹してもらいたい」と発言したりするが・・・その心情もまた闇の中にある。
で、『ブラッディ・マンデイ・第七回』(TBSテレビ081122PM0756~)原作・龍門諒、脚本・渡辺雄介、演出・宮下健作を見た。映画「20世紀少年」の脚本家で今シーズンの「相棒」も書いている。もう淡々とオーソドックスで明らかに流している。
ここまでの話である。20世紀の戦後の日本は東西冷戦の中で・・・政治的なテロリストが実在した。・・・どこからだよっ。・・・基本的には西側に所属する日本では東側による工作の対象となるのが基本でテロリストといえば東側の息のかかった人間のことである。主にハイジャックをしたりビルを爆破したり山荘にたてこもったり拉致監禁をしたりしていたのである。
しかし・・・「豊かさが革命を飲み込む」論理でテロリストはまったく世間に支持されず・・・下火になっていく。その間に様々な理由で背後にある東側そのものが崩壊してしまう。
そんな頃・・・世界を驚愕させたのがカルト的な宗教によるテロリズムである。背後に黒幕としての国家を持たないテロはテロごっこの気配を漂わせながら・・・社会から逸脱し狂気としてのテロリズムを展開していく。
さらに言えば国家として崩壊しつつある東側は国家そのものが狂気となっていったという推定も可能である。
毒ガスで無差別殺人を行ったカルト宗教団体に肩を並べて崩壊しつつある東側の狂気の影が窺われるのは・・・凶器と凶器の握手なのである。
市民殺しの片棒を担いでしまった過去を持つこのテレビ局は死んだフリから立ち直り死んだと言った人は死んだが局の命脈はいまも続いてこのドラマをお送りしてる。
ある意味、神経を逆撫でする展開である。
ロシアでの実験的テロを経て・・・大量殺人兵器である必殺ウィルスを確保した謎の組織は抗ウイルス剤を入手することで生命与奪の力を握ったのである。その組織のリーダー格はJこと神崎純(成宮寛貴)であるが・・・それはとある狂人集団のJを頭文字とするある人物を彷彿とさせる。一方・・・拘置所にいるカルト的教団の教祖・Kこと神島紫門(島田久作)はJから「尊師」と呼ばれ・・・痩身であることが一つのパロディーとなっているわかりやすい配置である。このドラマの妄想がいかにもお安いことがご理解いただけるだろうか。
こういうドラマはああいう事件が起る前に製作されてこそ妄想としての価値があるのである。
あの事件でさんざん稼いでおいて・・・事件そのものに関与してしまい・・・ズブズブになったことをあんなに反省したのに・・・素知らぬ顔でフィクションかっ。
そんなことだから関連会社が誤報体質と呼ばれるのではないのか。
まあ・・・フィクションなので・・・ハッカーが違法行為だけどドラマですからと謝るほどなのに「あの事件で世間にご迷惑をおかけしたのにまたやっちゃってます」とテロップはしないのだなぁ。
まあ・・・各局こぞって「ぶっ殺すしかない」的な報道をして煽り事件になると「ぶっ殺すのは何があっても許されない」の合唱的体質は報道機関の宿命ですけれども。
よい子のみんなは真に受けないことが大切です。
そして・・・「お父さんもお兄ちゃんも要領悪すぎて信用できない」と遥(川島)は嘆くのだった。
その頃、主人公のチョー激マックスちゃらいハッカーの高校生・藤丸(三浦春馬)はテロリストの罠にはまり、刑事殺しの重要参考人として指名手配されていたのだった。
藤丸は友情のよしみで学校の開かずの間にかくまわれる。まあ・・・容疑者の会社員が自分の会社に隠れるような間抜けさだが・・・捜査する警察も同じように間抜けな設定なので・・・まあ・・・きっと・・・いい勝負なのだと思います。
で、『スクラップ・ティーチャー・第7回』(日本テレビ081122PM9~)脚本・江頭満智留、演出・南雲聖一を見た。ハケン教師(非常勤講師)・滝(加藤)の主役回である。・・・ようやくだな。いつものパターンでスーパー中学生トリオ(山田涼介・知念侑李・有岡大貴)が塾講師への転職に揺れる滝をお仕置きするのだが・・・決めセリフである「無様だな」は滝自身が自嘲して言うという貫禄処置が行われている。代用教員でも加藤あいである。
まあ・・・「恋人と三日間オリエン座を見たら結ばれる」というおまじないを沢渡(高畑岬)と上野まりや(西内まりや・・・「正義の味方」の知佳である)というロミジュリ・カップルに示唆して夜のデートに誘導するあたりは・・・問題教師といって過言ではないだろう。
このあたり・・・日本テレビの倫理基準はオツムのネジがかなり緩んでいる証拠である。しかし・・・夜の塾通いが日常茶飯事になっている現在・・・庶民の子弟の夜間外出はもはや誰の管理も及ばないのかもしれない。そりゃ・・・売春はするわクスリはやるわだろうさ。
ともかく・・・そういう疑念はさておき・・・中学生らしい健全な交際をしていた二人は街の不良にからまれて・・・お約束の展開である。
一度は生徒の信頼を裏切った滝だが・・・身体を張って生徒を守ろうとする。
倉庫にあきたら波止場だよね的修羅場にトリオが登場・・・人知を越えたジャンプ力で悪い暴走族を自滅させるのだった。
さて・・・正体を明かさないままのトリオだが・・・バイクと力比べをしたり・・・疾走してくるクルマを飛越したりするにいたっては滝のセリフを借りれば「もう・・・メチャクチャ」なのである。
まあ・・・「謎の転校生」だからな。なぞの転校生といえば・・・異世界人(別の次元からやってきた)なのである。
原作・リメイクによって些少の変容はあるのだが・・・失われた別の世界からやってきた彼らは超人的な力を使ってこの世界に住み着こうとするのである。
さて・・・実は同じ原作者(眉村卓)による物語に「ねらわれた学園」があり・・・これも謎の転校生ものである。この物語の原作は「地獄の才能」であり・・・映画「ねらわれた学園」やドラマ「未来からの挑戦」を生んでいる。
こちらの転校生は未来からやってきた。
つまり、未来から過去に干渉して歴史改変の話である。
ともかく・・・どちらにしろ未来や次元の異なる世界からやってきた転校生が・・・育ちの違いにより・・・現世に関与するという話なのである。
まあ・・・つまり・・・工作員の話です。
満足に他人の家を訪問する作法も知らない滝を・・・「他人に対する配慮が欠ける」と断定する謎の転校生たち。
彼らは・・荒廃した未来から・・・現代を修正するために送られた改造人間であることはまず間違いないと思う。まあ・・・ヒト型ロボットかもしれないのさ。
高見沢くんのかわりに高杉くんなのである。
関連するキッドのブログ『先週の土曜日のレビュー』
月曜日に見る予定のテレビ『イノセント・ラヴ』(フジテレビ)
あの事件の犯人自首のため放送時間変更の「トンスラ」は悪魔祓い解決篇・・・昔の恋人の婚約者の婚約指輪を下水に捨てる主人公(吉高)・・・悪魔に他人の乳首を魔術的に移植される温水・・・やりたい放題です。
ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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