愛のムチは暴力ではないんです!(加藤あい)土曜日は覚醒月曜日は喪失(沢木ルカ)私が・・・だ(徳永えり)
言葉というものは信用ならないものなのである。
たとえば不正を働き生徒たちを裏切った校長先生(升毅)を激情にかられ杉先生(上地雄輔)がぶん殴った後で校長先生が「愛のムチは暴力ではない・・・」と語れば美談である。
しかし・・・高須先生(八嶋智人)が快楽目的で滝先生(加藤)を毎晩緊縛しているのに「愛のムチは暴力ではない・・・」と言えば変態なのである。
なんていうか・・・美男美女のカップルがドラマから駆逐されているような気がする今日この頃です。
で、『スクラップ・ティーチャー・教師再生・最終回』(日本テレビ081213PM9~)脚本・江頭美智留、演出・佐久間紀佳を見た。中学校は平等の最後の空間である。もちろん・・・現実的には完全な平等などないのだが・・・自由と平等の対立軸が日本で平等側に傾斜する特異点の一つである。もちろん・・・それは義務教育という理念に基づいている。
相対的に高校は自由の最初の空間でもある。実際にはそこに存在しない自由までが存在する。
だから・・・中学生と高校生は基本的には全く異世界の住人なのである。
しかし・・・自由が平等を侵食する社会では中学生も高校生のように扱われたりするのである。このドラマはとんでもないドラマだったが・・・その点はギリギリ防衛していたような気がする。
23年前にはスケ番刑事二代目麻宮サキだった豪徳寺先生(南野陽子)がフジテレビじゃないのにあのヨーヨーをふりまわすが・・・舞台が高校でなく中学であるところにとんでもないに軽く抑制がかかる。自由ではなく平等にバランスが傾く空間には不自由がつきまとうからである。
中学ものの代名詞である「金八」が主人公の独特の個性で守るのは基本的には「平等神話」なのである。
オリジナル(原作なし)で脚本家のリレーというやや破綻しやすいコースでこのドラマがなんとか着地したのは・・・この「中学平等世界のルール」を厳守したからだと考える。
さて・・・結局ドラマは新人の杉先生と非常勤講師の滝先生という二人の教師を中心に・・・平等世界の守護神としての力を失った教師たちをスケボーから軽飛行機まであらゆる乗り物を駆使する「なぞの転校生」が浄化するという展開である。
仕事を終えて去って行く高杉(山田涼介)に久坂(中島裕翔)が「キミたちはどこから来てどこへ去って行くのだ・・・過去?未来?」と聞くが・・・答えない。
まあ・・・幕末の長州みたいなネーミングの二人だが・・・ネーミング的には「杉」「滝」「高須」「高杉」と仕掛けがあるようなないような中途半端さも残っている。
滝は高須と結婚して・・・エピローグで杉が定年を迎える中学の校長になっている。21世紀も半ばにさしかかっているのにほぼ現代のような背景があり・・・日本が今後どれほど停滞するのかと暗澹とするポイントである。
「たき→たかす」「すぎ」「たかすぎ」である。・・・なんの真似なんだか。
まあ・・・とにかく「平等」に「正しいこと」というものが見定められないドラマスタッフたちが「平等」であるべき「中学」という舞台で・・・彷徨っていたということであろう。
とにかく・・・体罰は愛があれば許されるということぐらいは共通認識できたのかな。
で、『ブラッディ・マンデイ・第10回』(TBSテレビ081213PM0756~)原作・龍門諒、脚本・渡辺雄介、演出・波多野貴文を見た。で、こちらは高校生である。当然、自由なのである。重要な国家機密にもアクセスしちゃうし、警察の特務機関に出入りしちゃうし、クラスメートはテロリストに殺されたり、テロリストだったり、事件現場でクラスメートをちょっと待たせたり自由自在です。もちろん・・・リアリティーのかけらもありませんが・・・マンガですから。
真夜中の「トンスラ」では小説家がダンスのシーンを描写しようとします。小説というジャンルはダンスとかは苦手です。マンガはダンスはそこそここなしますが音楽は苦手。「のだめカンタービレ」が音楽を主題にするもの凄さというのはそういうところにあります。
さて・・・マンガではテロの恐怖というものはある程度イメージで描けます。もちろん・・・ドラマでもそれを描けるのですが・・・一瞬の時間に説明をつめこめるマンガと違い・・・ドラマは割りとこれが苦手なのです。
よほどテクニックを駆使しないと・・・主人公の行動がやむにやまれなかったり・・・うかつに見えるけどうかつではなかったり・・・ありえないけどしょうがない・・・という納得感が生じません。このドラマスタッフはほとんどそういうテクニックは使わないので・・・もうただただ呆れる場面ばかりを見せられるわけですが・・・もうそういうことも常習になればそこそこ依存のドーパミンが発生します。
はいはい・・・主人公(三浦春馬)は誘拐された友人(徳永)を捜して・・・デート感覚でテロリストの誘拐現場に行くんだよね・・・はいはい・・・それでここで待ってろとガールフレンド(藤井美菜)を置いていくんだよね・・・中に入ると意外な現場を目撃して立ちすくんじゃうんだよね。そして・・・いざとなるとテロリスト(吉瀬美智子)の放った弾丸より速いと。・・・とってもステキだわ。
さあ・・・どこぞの教祖のようにたくさんの子孫を残し・・・世の中に波紋を残す悪役のいるこの世界。罪を一族郎党に問い・・・全員斬首の上さらし首の時代がなつかしいことです。
それにしても・・・これだけ凶悪なテロリストの血縁関係者を性別すら把握しないで野放しにしている秘密警察は秘密警察とは言えないよな。
まあ・・・取材対象の秘密を敵対者にもらし・・・結果・・・重大な結果を招いたステーションの番組ですから間抜けなのは仕方ないか。
しかし・・・関係者遺族の皆さんが・・・まだ存命のうちに・・・エンターティメントでこの題材・・・正気なのか・・・それとも鈍感なのか・・・ただ悲しいほどに心がないのか・・・時々・・・背筋が寒くなります。どうせやるなら・・・完全に・・・実名で教団に名誉毀損で訴えられるくらいの覚悟でやればいいのに。某K国の工作員の暗躍とかもリアルに描いて・・・その上でフィクションとひらきなおればいいのに・・・。
未だに罪を憎んで人を憎まず死刑に反対する皆さんとかも丁寧に描いて・・・虐殺してしまうくらいの方が面白いと思うんですけど。
最後は殺人ウィルステロより恐ろしいテロが登場するということですが・・・じゃ・・・今までは本当は恐ろしくなかったのですね・・・そうなのですね・・・なんじゃそりゃ。・・・ステキ~。
で、『赤い糸・第2話』(フジテレビ081213PM1110~)原作・メイ、脚本・半澤律子、演出・村上正典を見た。奇想天外な中学生や荒唐無稽な高校生の後に・・・ほぼ普通の中学生の物語である。まあ・・・基本的になんちゃって中学生のコスプレショーのムードはあります。昔ならノーメイクっぽい化粧をすることで中学生らしさは演出できたわけですが・・・今時は難しそうだ・・・。これも「中学が平等でない」時代の恐ろしさだな。もう・・・ケータイがNGだったり化粧がOKだったり・・・中学生だって場所によっていろいろあるという脳内補完を絶えずしないとならないのである。
「運命って言葉に甘えていたかった・・・」という中学生・芽衣(南沢奈央)が・・・幼馴染で意中の男の子と姉の春菜(岩田さゆり)の交際開始を受け入れる。
ただそれだけのほのぼの中学生日記なのである。
しかし・・・そんな芽衣の心を慰めるクラスメート・敦史(沢木ルカ→溝端淳平)が実は幼少の頃・・・運命的な出会いをしている少年だったわけである。
そして・・・敦史の母親がいかにも頭の悪そうな覚醒剤常用者であり・・・悪い虫がついていることが・・・静かに・・・普通だけどドロドロな中学生活の開始を予感させるのである。
まあ・・・愚かな母親のために覚醒剤を誤飲した幼少の敦史が・・・病院のベッドで目を覚まし・・・幼少の芽衣(宮武美桜)からプレゼントされたチョコレートのかけらをかじるシーンはなかなかに心疼くシーンでした。
・・・なかなか・・・本題に入らない展開・・・普通の中学生をアピールしないとこれからの過激な性生活が描けないのか・・・描かないのか・・・じらしているのです。
しかし・・・中学生の性生活の描写抜いたら・・・・・この作品なにが残るのだろうか・・・。
まあ・・・ダブルオーがアレをアレすると全員ニュータイプ化して全裸で交流だけれど局部は略みたいにモザイクばかりの映像展開で続きはDVDでお見せします・・・だったら爆笑ですけどね。
関連するキッドのブログ『先週の土曜日のレビュー』
月曜日に見る予定のテレビ『イノセント・ラヴ』(フジテレビ)
ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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