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2008年12月29日 (月)

椿の花(首)をたくさん落したら綺麗でしょうね。(鈴木杏)

1962年の「椿三十郎」(黒沢明監督作品)のリメイクである。

鈴木杏の演じるおっとりとした城代家老の娘・千鳥は黒沢版では団令子。

「椿三十郎」は「用心棒」(1961年)の続編的性格を持っている。

「用心棒」はダシール・ハメットの「血の収穫」を原作としている。一方、椿三十郎は山本周五郎の「日日平安」を下敷きにしている。

つまり、「血の収穫」→「用心棒」→(「日日平安」)→「椿三十郎」→「椿三十郎」(2007年)という流れがある。

もちろん、「椿三十郎」は独立した映画なのでこれを単体として鑑賞することに問題はないが、「用心棒」を前提としたセリフがいくつかあり・・・「椿三十郎」だけを脚本そのままでリメイクするのはいささか軽率なのである。

で、『椿三十郎』(テレビ朝日081228PM9~)脚本・黒沢明(他)、演出・森田芳光を見た。「黒沢版・椿三十郎」の中でもっともオーソドックスなギャグはくりかえしのギャグでしかも楽屋オチである「名乗り」のシーンである。主人公である名も知れぬ浪人が名を問われ、庭の椿を眺めて「椿・・・三十郎」と名乗る。そして「もうすぐ四十郎だが」と自嘲する。三十郎とは三十男・・・つまり30代男性を示す意味があり、姓が偽名であり、名も嘘っぽいことが示される。

実は「用心棒」でも三船敏郎演ずる主人公は桑畑を眺め「桑畑・・・三十郎」と名乗るのである。「用心棒」を見て「椿三十郎」を見た観客は思わずニヤリとするところなのだ。

名乗りが象徴するのだが・・・二人の三十郎は同一人物らしくふるまう。すると「用心棒」を見た観客は「椿三十郎」をある種の懐かしさや親しみを感じながら見ることになる。

そこが「椿三十郎」をより魅力的にするポイントのひとつになっている。

それを抜きで見るといささか退屈なのである。

「用心棒」の桑畑は寒々とした冬の風景である。そして縄張り争いをする二組のヤクザのいる幕末の町にふらりと現れた三十郎は二組のヤクザの間を渡り歩き、双方を壊滅させる。途中で正体がばれて拷問されたりもし・・・ある意味、殺伐とした物語だ。

一方、「椿三十郎」は春の物語である。汚職をめぐる藩内の派閥抗争に巻き込まれはするがどこかおっとりと事件は進行していく。時代は前後するが「用心棒」が幕末で「椿三十郎」は江戸中期と思われるムードがある。

しかし・・・キッドはやはり二つの作品は同じ時系列にあったと考えたい。「用心棒」は都会的な幕末の町なのであり・・・「椿三十郎」はその後の時代から取り残された田舎の町なのである。もちろん・・・三十郎が時間旅行者である可能性は除外する。つまり・・・時代格差はそのまま地方格差で補完できるのだな。

だからリメイクも「用心棒」→「椿三十郎」でやるべきだったのだ。

少なくとももしも「椿三十郎」の続編として「用心棒」をリメイクするのなら・・・主人公は「桑畑・・・四十郎だ」と名乗ってもらいたいのである。

そこで観客はニヤリとできるからだ。

さて・・・流れ者の浪人というキャラクターは別に黒沢明のオリジナルではないが・・・水戸黄門だって一種の流れ者の浪人である・・・その魅力的な造形はこの三十郎が一つの原点となっている。

素浪人であり・・・刀は一本しかない・・・名前は隠している・・・剣の達人で・・・口先も達者で・・・さらに人嫌いのようで人情味にあふれている。まさにヒーローの要素が盛りだくさんだ。

たとえば藤沢周平の「用心棒日月抄」に登場する素浪人の用心棒はもう少しリアリティーや正体の深みはあるが・・・それもまず黒沢の「用心棒」があってその進化形として成立していると考えることができる。

新しい用心棒キャラを作ろうとする場合・・・まず「黒沢版用心棒」があり、そこから「藤沢版用心棒」があると考えると、「藤沢版」にいかない「黒沢版」の進化形を想定するという方法があるのである。もちろん・・・他の作家がよく似た「用心棒」をすでに作っている可能性もありますけど。

黒沢版用心棒だってまだまだ解明したいことはある。生まれはどこなのか。食い扶持はどのようにして稼いでいるのか。家族を持ったことはあるのか。恋はしたのか。剣術はどこで修行したのか。なぜ流れものなのか。そしてどこへ行くのか。

実は用心棒には二つの季節が残されている。冬の桑畑三十郎。春の椿三十郎。つまり・・・秋と夏が残されているのだな。できれば四部作にしてもらいたいのである。

たとえば夏の朝顔三十郎→桑畑→椿→秋の彼岸花三十郎とかね。

そうなると朝顔三十郎は三十郎の青春の終わりというか三十郎誕生秘話が重要な要素となるだろう。もしも幕末なら・・・激動の時代の幕開けになるわけだ。

一方、彼岸花三十郎ならつまり三十郎の終焉である。場合によっては最後は命を落とすかもしれない。あるいは幕末なら・・・侍そのものが消えてしまうわけである。

ま・・・とにかく・・・最後の名場面を血煙なしの甘口でさらにスロモーションでもう一度お見せするダサダサのリメイク版も四十年以上も前の妄想を思い出させる効果はあったのだった。それにしても織田裕二の椿三十郎・・・どういう髪型なんだ。

関連するキッドのブログ『SHINOBI-HEART UNDER BLADE

火曜日に見る予定のテレビ『のだめカンタービレinヨーロッバ・前編(再)」(フジテレビ)「四日間の奇蹟』(TBSテレビ)

ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。

皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。

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