火曜日はドラマ対決の日なのだが、今日は祝日である。視聴率については明日追記したい。
追記である。①「メイちゃんの執事」↗13.6% ②「トライアングル」↘11.5% ③「神の雫」↗*6.0%
まあ、視聴率はともかくとして、それぞれに中盤戦に入ってきて味わい深い展開である。
「メイちゃん」は少女マンガの王道でありながら「基本的人権」の消滅した日本の近未来という過激なコンセプトを持っているし、「トライアングル」はミステリの仮面をかぶったバラエティー・ショー。「神の雫」は親子関係の是非をワイン醸造をネタに問う哲学展開である。お茶の間がついてこれないのがよくわかります。
で、『メイちゃんの執事・第5話』(フジテレビ・090210PM9~)原作・宮城理子、脚本・古家和尚、演出・石川淳一を見た。以前から触れているが、このドラマの世界は一種の異次元空間である。というよりは・・・日本がひょっとしたら数年後にはこうなっている可能性のある近未来であると言える。
人々は激変ということに慣れないものである。なぜなら、慣れるとは変化しないから可能な行為なのだ。1970年代に始まった薔薇色の未来は「石油ショック」だとか「東西冷戦」だとか「中東戦争」だとか「女子高生コンクリート殺人事件」だとかとはほぼ無関係に進行し、1990年代の「バブル崩壊」まで続くのである。その間「株価は上がり続ける」という幻想だけは人々の慣れ親しんだものであった。それから、今日まで「不況」は絶えず、人々の脳裏を離れず、景気がよいときも悪いときもなんとなく「不況」に人々は慣れてきた。
そういう意味で「基本的人権」の精度が日々向上していくという幻想も人々が慣れ親しんでいるものだ。
しかし、冷静になれば「自由」と「平等」という相容れぬ両輪を持つこの制度はいつ崩壊してもおかしくないし、そもそも「基本的人権」などというものは一度も実現していないという考え方もある。
たとえば「憲法九条」で戦争を放棄した「日本国」は「軍事費」を「交際費」や「経済発展のための設備投資」にあてたために「北朝鮮に拉致された日本人」の基本的人権はまったく保障されないという現実を生んでいる。
「人を殺したら死刑」という応報の刑罰を捨て去ったことにより、殺人者の人権は向上したが被害者の尊厳は死体となった。このために権力者による「口封じの殺人」は「オウム真理教事件」でも「石井議員暗殺事件」でも「ライブドア事件」でも滞りなく実践されるのである。
そのように目指すべき「理想の基本的人権」は常に矛盾を孕んで動揺している。
だから、日本が明日・・・特権階級とそうでない人との階級国家として存立することは充分ありえることなのである。
当然、そこには階級別人権が存在する。
まったく、説明がないが、たとえば主人公・メイ(榮倉奈々)と今回のスポット・ライト・キャラであるみるく(吉田里琴)はまったく別の階級に属する人間なのである。どちらかと言えばメイは現在の日本国の憲法が保障する基本的人権を有する階級にあると言えるだろう。一方でみるくはそのような自由と平等からは全く隔離された階級に属するのである。
ドラマでのみるくの発言をみてみよう。「私は三才から政府機関の管理下におかれ、国策に沿った研究開発を行うための道具として生きてきた」のである。
みるくの設定年齢は7才であり、小学校低学年にあたるキャラクターである。
おそらく、この異質な世界では遺伝子工学についてのタブーは解禁され、みるくが人工的に生産された人間であることは間違いないだろう。みるくは「感情を持つことが問題行動と評価される」機関に属する電子部品のようなものなのだろう。
当然、みるくを殺しても殺人罪は適用されず、所属機関はみるく殺害に関して犯人に「損害賠償」を請求することになるだろう。
そのような事情をお茶の間が何の説明もなく理解するのかどうかはとても疑問ですがーっ。
実力が伯仲すればゲームをコントロールするのは難しい。そうなると何かをしそうな「運」を持った選手がポイントになってくる。なんだかんだ言って大久保が面白いのは絶対にからんでくるところだな。そしていかにも頭が悪そうな絡み方をしてしまうところだ。パスはつながってたしシュートもまあまあだったのに大久保が邪魔にならなければ勝ってた試合だったみたいな。
(一部サッカー・オースラリア戦)の感想が混入したことをお詫びします。
しかし・・・材質が人間である以上、みるくは「道具」である自分に悩むのである。
さて、平和の続く社会ではすべてが学校のクラス単位の出来事に集約される。最近では大河ドラマもそうだが、権力闘争の雛形としてはこのドラマの方がよほど参考になる。
遠縁の娘とはいえ、ルチア(山田優)は成り上りである。可能性としてはみるくと同じ階級に属していた場合さえある。
つまり、超特権階級(本郷家)
平民階級(東雲家)
道具(人工人間=奴隷階級)
があると考えると、ルチアは道具→超特権の成り上りである。
だからこそ「支配欲の塊」とみるくはルチアを呼ぶ。二人の会話にはなんとなく・・・同じ階級(奴隷)出身者の対等感があることが窺える。
ルチアにとって「社会の維持」がすなわち「自己保身」である。そのために「手段」は選ばない。「排除のために部隊を出動させたが実力行使をしないで撤退させた」ことを「恩」として売ろうとしたルチアを「馬鹿馬鹿しい」と否定することでみるくはルチアの「怨み」を買うと同時にそれを秘密にしないことで「恩」も売っているのである。このあたりの損得勘定の表現がかなり知的であることは間違いないだろう。
「権力者の長男の長女」という純血種であるメイに加担することはみるくの中にしたたかな計算があることが分る。
王権は貴族階級の合議によって保持されることが多い。たとえば聖徳太子時代の天皇家は蘇我氏、物部氏、大伴氏、中氏などの豪族たちの合議制に基づいて権力を維持していた。現代もたとえば派閥のリーダーは派閥の支持があってリーダーたりえる。そういう権力のシステムは時代を越えて存在するのである。
聖ルチア女学園の権力闘争は・・・ルチアの支配に叛旗を翻す貴族たちの盟主にメイが担ぎ上げられる構図になっているのである。
今回、超天才でありながら、非人間階級であるみるくがメイを巻き込んで逃走劇を展開したのは・・・正統な後継者であるメイに賭けた行動なのである。
泉(岩佐真悠子)が派閥のリーダーとして、メイ-みるくの養護にまわるとき、すでに根回しのすんだリカ(大政絢)が一度敵対してみせるのもポーズなのである。不二子(中別府葵)と凛(忽那汐里)という小派閥のリーダーたちに1VS3という構図を見せてから、リカが意見を変化させることで2VS2という流れを作り、一挙に4VS0に持ち込む。
ルチアはまだまだ権力の座からは動いていないし・・・派閥のリーダーたちの一人をスパイとして動かしているわけだが、すでにメイの正体が自分のライバルであることを明示した以上、かなりの苦境に追い込まれているのである。
その武器が法という秩序維持の道具である以上、「お嬢様と執事の恋愛禁止」という掟を破ったという口実でメイと理人(水嶋ヒロ)を糾弾するのは極めてセオリー通りなのであろう。
この一点でこの世界の構造がまた垣間見える。
ジジイ
お嬢様
イケメン執事
平民
という階級構造である。お嬢様たちはジジイの「花嫁候補」であることが泉の件でも明らかなのだ。
もちろん・・・この歪んだ世界ではお坊ちゃまは抹殺されているのに違いない。あるいはイケメン階級に降格されるのである。なぜそうなるかいえば、この世界ではおそらく高度な寿命延長工学が実現しているのである。つまり、ジシイたちは永遠の青春を生きているのである。
メイの母が・・・秩序を破り辺境に身を潜めた経緯が窺えるのだな。
おそらく・・・メイは理人との愛を育むためにこの世界の秩序を根本から破壊することになるだろう。お嬢様たちが急にメイに傾いたように見えるのには理由があるのだ。どこのお嬢様が・・・ジジイの花嫁になることを本心から望むだろうか。
そうと知りつつ・・・ルチアではなく・・・実の孫に愛されることを願う金太郎(津川雅彦)・・・。現実社会から観測すれば変態の極みであることが一目瞭然なのでございます。
関連するキッドのブログ『先週の火曜日のレビュー』
ごっこガーデン・突然嵐のようにあすなろ抱き橋。まこ「きゃ~さすがはちーず様のライバルみるくちゃん、志田未来が太刀打ちできなかったルチアちゃんをバッサリでしゅ~。反逆のノロシはあがったのでしゅ~。このドラマで一番心ズタズタなのは剣人でしゅけど・・・それはさておきあすなろ抱きはしておくジョー」飯綱遣い「はいっ・・・一週間遅れでありました~・・・みるく様、お許しくださ~い」ikasama4「はい。扉絵銭ゲバになりました~。トライアングル、そして神の雫になってます」くう「レビューはトライアングル、ごっこはメイちゃん、なにか文句ありますかっ」あんぱんち「まあ、みんなトライアングルに流れて・・・そんなことでは・・・槇子さま・・・いえルチア様の怒り炸裂でございますわよ・・・ねちねち苛められても知らないからっ・・・はたしてスパイは誰か?・・・ポッキーそれともくのいち谷村美月?」みのむし「はーい、トライアングルに引きづられてまするるる・・・ツッコミやすいし・・・わかりやすくドロドロだしぃ」
で、『トライアングル・第6回』(フジテレビ090210PM10~)原作・新津きよみ、脚本・水橋文美江、演出・白木啓一郎を見た。なぜ・・・いつもケーキばかりをおみやげに・・・。たまにはドーナツにしなさいよ。本当に気がきかないんだからっ・・・という唯衣(相武)の営業戦略的な怒りは別として・・・なんだか・・・高速道路を制限速度でずっと走り続けるようなこの展開。ああ・・・イライラする。まあねえ・・・キャスティングが豪華すぎるのでいろいろと気を使ってたら・・・こうなったってか。
そして痣のある男・新藤(宅間伸)は死体に。
なぜ・・・気絶している男・富岡(谷原章介)に新藤(先生ではない)が殺せたのか、なぜ・・・富岡は亮二(江口洋介・進藤先生ではない)の妹・唯衣の車に死体を隠匿できたのか、なぜ・・・富岡が佐智絵(志田友美)が殺されたと聞いたときの怒りをここまで隠してきたのか・・・もう、ミステリとしてはぐだぐだですがな。これに一番似ているドラマといえば歴史なき大河ドラマ「天地人」だな。今回はミステリではなくて「お兄ちゃん大会」である。
そして・・・事件はふりだしに戻ったのである。
本当に戻っているのでびっくりだ。
そして・・・キッドが最初から怪しいと思っている「未来への手紙を書かせた女教師」(中村ゆり)久々の登場である。妙にソフト・フォーカスでますます怪しい。これで事件と無関係だったら怒るぞ。
で、新藤(宅間伸)は遺言で「俺はやってない」と告白。ま、何の証拠もないがな。人間、死に際にウソはつかないという時代じゃないし。そして、新藤殺害犯として富岡退場である。そして・・・それと入れ替わるように・・・堀込の告白でもう一人の友人、秋本(佐々木蔵之介)の名前があがるのである。
ギラギラのラクダの出番なのである。なんか、交通整理のようなドラマ展開だよね。
とにかく、事件は何の伸展も見せないまま、舞台は上海へと移る。
なんだろう・・・この最高級の具材を用意してすきやきを始めたのにカレーライスになりましたみたいな気持ちは・・・。
黒木(稲垣吾郎)は黒木パパ(北大路欣也)サイドに寝返ったという展開。
黒木パパは佐智絵パパ(大杉漣)とつながっていたという展開。
佐智絵ママ(風吹ジュン)は間男・新藤と自宅でイチャイチャしていたために娘が帰宅できずに殺されちゃいましたーっという展開。
そして、佐智絵ママは佐智絵パパのなんらかの秘密を握っている展開。
そういう思わせぶりの一つ一つが鼻につくのはなぜなんですかーっ。
そして・・・志摩野(堺雅人)はサチ(広末涼子)のお兄ちゃんでしたーっという展開である。
生き別れの妹がいて・・・兄はそこそこ成功・・・妹は芸術家として開花。そして再会である。なにか・・・問題でも?
何をもったいぶって・・・志摩野はいろいろと暗躍しているのか。その答えは上海にあるらしいが・・・これがきっとすごくどうでもいいことである可能性はすごく高いような気がするのはキッドだけですかーっ。
とにかく「お兄ちゃんはすごくすごくいい人なんだからなんてったって私のお兄ちゃんなんだからーっ」(唯衣)で始まり・・・。
「ニヤニヤ」(志摩野)「お兄ちゃんなの・・・なんか似てるっていえば似てるかも」(サチ)「ニヤニヤしてみな」(志摩野)「ニヤニヤ」(亮二)「ニヤニヤ」(サチ)「ニヤニヤ」(唯衣)・・・やはり堺雅人はニヤニヤ全日本王者なのだな・・・「ニヤニヤ・・・上海で待ってます」(志摩野)で終るのだった。もう凄くミステリの香りがしないんですけど・・・。
ごっこガーデン。全力警察署阪セット。お気楽「エンディングだけ見ると凄く豪華な感じがするんだけどとにかくエッフェル塔になんか秘密があるような感じなんだよね。なんだか結局悪い人は一人もいなかったみたいな展開だったら困るよね。じゃあ、佐智絵の失われた人生はどうなるのさ・・・CLUB Rico会員必見のメイちゃんの執事はコチラ」・・・芯「おっとっとな酒瓶見ていたら遅刻しましたーっ。とにかく・・・窓際刑事な小日向文世さんの男気に敬意を評して名誉カエル会員として表彰します。特典はカエルバッヂで~す」ミマム「ふふふ・・・坂は登れば上がり坂、降れば下り坂・・・サチの幸はどこにある~ってまだ歌のおにいさんですけど~」アンナ「出口の見えない迷宮を彷徨うお茶の間・・・ふと気がつけば警察前。黒スケは寝返ったフリだよね~。ね~、ダーリン。過去と向き合うのは勇気がいることなのかな~。でもアンナはまた一つ坂を制覇したのでご褒美あすなろ抱き中ぴょ~ん」
で、『神の雫・第5話』(日本テレビ090210PM10~)原作・亜樹直、脚本・渡辺雄介、演出・石尾純を見た。まあ・・・このドラマを見ていて・・・職場に河原部長(升毅)が出てくると、鬱の校長先生とか、ささやき刑事とかに扮装しているが実は梶浦なんだよな~と思うとときめくのである。特にワインである。一青(田辺誠一)もかぁぁぁぁっとクビグビだらんだらほぁぉぉぉぉぉぉとケンシロウになるのであるが・・・河原部長にもワインを豪快に飲んでもらいたい。そして世界を滅ぼす視線をいただきたいのである。今回なんか・・・みやび(仲里依紗)は部長のワインをくすねたりして・・・ああーっ殺されちゃうぞっとドキドキなのです。
「沙粧妙子」ネタ禁止・・・そうですか。
さて・・・結局・・・モナリザとは「力強さと優しさを兼ね備えたワイン」というほぼシャトー・パルメに与えられたキャッチ・コピー通りの展開に落ち着くのである。
ここで、いくつかのキーワードを考えてみる。まず、前提として「モナリザ」は「愛しき女」なのである。つまりこのワインは女性なのである。次に「力強く優しい」を一言で言うと「包容力がある」ということになる。「女性」の「包容力」ということで「胎児を孕んだ妊婦」というフレーズに帰着する。つまり、ここで「モナリザ」は「母」なのである。
キッドは人間の心はノイズに過ぎないと考えている。
たとえば聖書には「一に光ありき」と記されている。「光」とは「物質の根源的な姿」である。生命はこの世界で最初に光を感じながら生れたというのがその主張だ。聖書が書かれたときから幾千年を経ても・・・たとえば「ビックバン仮説」のように「一に光ありき」を表現する試みは続いている。
たとえば生物には走性がある。光という刺激源に向かえば走光性となる。原生動物のミドリムシから・・・誘蛾灯に誘われる昆虫、そして真夏の海を見ると走り出すギャルまで生物は概ね光に向かうのである。
もちろん、人間には五感があり、刺激されるのは光源だけではないと考えることもできる。
優しい声に誘われ、鼻をくすぐる匂いに誘われ、舌をさす味に溺れ、肌で感じる女体の神秘だったりもするわけである。しかし・・・そうした様々な刺激も体内に入れば、神経を伝導する電気的信号・・・つまり光に過ぎないのだ。
人間は結局、光に反応する生物なのである。
そして、その伝達のシステムによって・・・情報という意味が形成される。つまり、光あることと光ないこと(闇)の誕生である。コンピューターの発達によって、光と闇が様々な意味を生むことは明瞭になっている。
世界という光源があり、乱反射する光は人体という感覚器を刺激する。世界という光に意味が生じる時、意味を感じる「それ」・・・たとえば「私」は闇である。
つまり、人間にとって基本的には世界は光であり、自己は闇なのである。
しかし・・・複雑に発達した感覚器は世界に闇を見出す。同時に自己に光を見出すのだ。その光と闇の交錯の総体が今・・・この文章を打っている「私」であり、この文章を読んでいる「あなた」である。私にとってあなたは世界の一部だが、あなたにとって私は世界の一部なのである。そういう場合、私もあなたも世界にとってはノイズにすぎないし、そう感じる心もノイズに過ぎない。生きるというのは結局、ノイズを撒き散らすことだし・・・そういう意味では世界そのものがノイズなのである。
しかし・・・人間はそのノイズを愛しく感じたりする。「私」も「あなた」も同じノイズを愛しく感じるかもしれない。それがこのドラマの言わんとするところだと「私」は思うのですが「あなた」はどうですか。
一つのワインの銘柄をめぐって・・・三人の男たちが認識を競い合う。一人は先達である。彼は「ワイン」の光を言葉に変換した。そして後継者はより正確に言葉を光に還元する。先達の残したキーワードから隠されたワインの銘柄を捜索するのがこのゲームのポイントだが・・・当然、出題者は解答者が正解にたどり着くように出題しているというのが大前提である。
なんのためにそんなことをするのだろうかという疑問はわく。
それについて私は思う。「彼」は自分が「ノイズ」であることに我慢ができないのだと。
なるほどと私は思う。「ノイズ」は伝達されることができれば「ノイズ」ではなくなると「彼」は考えたのだな。
もちろん、それも「ノイズ」に過ぎないと私は知っているが・・・ノイズの中にささやかな微笑みをもらすのである。
アルコールは人に酩酊感を齎す。酩酊は人がノイズに過ぎないという認識を打ち消すノイズである。お分かりだろうか。人がノイズに過ぎないということもノイズに過ぎないのである。
そういう虚しさをアルコールは打ち消すのである。
バッカスとはその行為を司る神なのだ。
ダ・ヴィンチはそういうノイズの狭間に「モナ・リザ」を固定した。「モナ・リザ」は彼にとって商品であり作品である。「モナ・リザ」は世界に「光」として愛され、多くの闇に受け継がれた。ノイズたちは重なりあい・・・一つの方向性を生む。「モナ・リザ」「愛しき人」「万人の母」そして「謎の微笑み」である。それらがすべてダ・ヴィンチの内なる闇に潜んでいたのかどうかは問題ではない。「モナ・リザ」は今、確固たる光として世界に置かれているのである。
さて、以前にも触れたが「神の雫」は「美味しんぼ」の亜流である。少なくとも「本物を愛した男」が息子もまた「本物を愛せるように」と幼い頃から「本物」を与えるという趣向はまったく同じだし、息子がそのことに全く感謝しないのも同じである。
ここに光と闇の攻防があります。
しかし、そういう伝授は芸事の世界では珍しくはない。幼い頃から特殊な情報を与え続けることによって「蛙の子が蛙になる」可能性は高まるのである。
しかし・・・兄弟のあるものは知っている。親の血をひく兄弟が全く同じものにはならないことをである。まなかなはかなり同じようだが、それでもやはり違うのである。
ということは子供は親とそっくりにはならないという宿命を負っていることがわかるのである。
親が子に後継を求めることは時には子にとって我慢ならないことである。それはノイズが所詮ノイズであることの証なのだ。
しかし・・・時には・・・子が親に従い、親を受け入れることがある。織田信秀は戦国武将として生まれ、尾張一国をほぼ統一した。そして子である織田信長は尾張一国の統一事業を受け継ぐとともに全国制覇の先駆となるのである。
こういうのは宝クジにあたるようなものだから一種の奇跡である。
さて・・・そうした傲慢な親を持つ雫(亀梨)は自分の愛した唯一の母親である実母以外に父親が愛した女性を持っていたことに愕然とします。
そして、そんなことは到底、受け入れることができないと叫ぶのです。
実子として訓育を受け、何不自由な暮らし、すでに成人している人間が父親の浮気あるいは多情が許せないなんて・・・なんて甘えん坊さんなんだろうと感じる人は多いと思います。
まして・・・そこにはつい最近まで籍にも入れてもらえず、庶子として父親の顔を思いだせないほど放置され、私生児として扱われていた愛人の生んだ兄がいるにも関わらずです。
しかし・・・それこそが雫の実子の証なのです。彼の体内には傲慢な父の血が脈々と流れているのですから。
究極のお坊ちゃまが自分の傲慢さに気がつくのかどうか・・・それは彼がみやびと結婚して・・・別の誰かを愛人とするまでは父を許さないのかどうかにかかっている。そんな「ノイズ」が今・・・虚空を漂っているのです。
悪魔の聖書には「一にノイズありき」と記されていますので。
例によって登場するワインについては天使テンメイ様が先行記事をお書きになっています。
ごっこガーデン。モナ・リザ・オーヴァドライブなバー。エリ「亀雫先輩の涙にええいああ・・・もらい泣きでスー。ほろり・ほろりのえ~んえんでスー。まあ、ロベールが残酷だぁとか、雫の純情ぶりをさらにもりあげるわけですが・・・先に愛人の方に子供ができちゃったので・・・雫パパとしてはえーっそりゃまいったなーって感じ。で、その後に本妻にも子供ができてまたまたえーっこりゃまいったなーって感じでしょうか。まあ、甲斐性ありってことですめばよかったのでスー。でも、勝負はこれからですから~。亀雫先輩には逆にあすなろ抱きをしてもらって応援ですyon><。涙には涙が一番効くのでスー・・・ところでワインたくさんあるのでしゅね?」じいや「世界のワインの総生産の半分は平成財閥が仕切っておりまする・・・ちなみにモナリザは真作1ダースそろいでございます」
木曜日に見る予定のテレビ『Q.E.D.証明終了』(NHK総合)『ありふれた奇跡』(フジテレビ)『リセット』(日本テレビ)『大村彩子のおみやさん』(テレビ朝日)
ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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