フィクションとノンフィクションはミュンヒハウゼン男爵が区別した(瑛太)ほらかよっ(石原さとみ)
子供の頃からどうしてもわからないことがいくつかある。なぜウソをつくことが悪いことなのか。そしてなぜウソをつくとドキドキするのか。そしてなぜウソをつくとすぐにバレるのか・・・などである。
少し、大人になったのでいくつかの答えは持っている。「ウソをつくのは犯罪である」というルールがある。ウソをつくのは楽しいし、バレると叱られる場合が多いので、それを思うとと恐ろしい。人間は楽しみに心ときめき、恐ろしさにドキドキするのだ。そして、駄菓子屋での買い食いを禁じられていた少年時代、内緒でかき氷を食べると舌がメロンシロップで緑色に染められる。ママに「あーんしてごらん」と言われるとウソはバレてしまうのだった。そういう場合は走って逃げ、ほとぼりがさめるまで家出をしてしまえばよろしい。そうして何人かは赤痢になったりしたから恐ろしい時代である。
しかし、そのようなウソにまつわる謎は人類100万年の歴史の中で何人かはなんとなく疑問に思ったことであり、最近では「ミュンヒハウゼンのトリレンマ」がそれを説明している。
それは「ウソではないことの根拠は得られない」という提言である。ミュンヒハウゼンは18世紀の実在の男爵で別名を「ほらふき男爵」と言う。彼はドイツとロシアを股にかけた冒険家である。
ある時、男爵は乗馬をして騎行中、底なし沼に遭遇し、馬ごと突入してしまった。男爵はズブズブと馬ごと沈みかける。しかし、ここで男爵はあわてず騒がず、自分の髪をつかみ、自分で自分を馬もろとも沼から引きずりだして事なきを得たのである。
ここで男爵の体験談を聞いていた人々は唖然とするのだが、経験上、自分の髪をつかんで自分を引き上げることができれば人は空を飛べるはずだと考える人がいて「ウソだろう」と叫ぶのである。
しかし、男爵はこう答える。「ウソなものですか・・・私が底なし沼の底でなく、生きてここにいるのが何よりの証拠です」
つまり、何かを証明するためには証明された何かが必要であり、その証明された何かを証明する証明された何かが必要となり、その証明された何かを証明するための・・・という具合に無限に証明が必要となり、人間は相当長生きでないと何も証明できないということなのだ。
そういう屁理屈をこねる人が多いので人は「ルールを作る」のである。「ウソに罪はないがウソついたら針千本飲まされる」のがこの世の掟なのである。
だから・・・このドラマがいかに根拠のない妄想をくりひろげても主役の言うことなのでお茶の間は受け入れるしかないのだな。
本題に入る前に恒例の週末の視聴率チェック。「ラブシャッフル」↘*8.9%(最高に美しい吉高を見逃した人可哀相)、「ホームアローン2」14.3%(さすがだな・・・)、「歌のおにいさん」↘10.2%(転校生にチョコを手渡すカレンダーネタだぜ)、「RESCUE」↗10.7%(毎週が全焼詐欺である)、「銭ゲバ」↘10.1%(猛攻撃に耐えすぎズラ)、「お買い物」10.8%(東京物語かっ)、「本家法医学教室・整形美女」17.2%(さすがだな・・・)、「銀色のシーズン」12.5%(青春映画閑古鳥の季節)、「赤い糸」↗*8.9%(薬物常用者の母に引き裂かれる初恋の二人哀れ)、「天地人」↘23.2%(まだこんなに人気あるのかよっ)、「本日も晴れ。女子中学生と同棲中」↗*7.3%(夏未エレナと松下奈緒の区別が時々つかないわけだが)、「ミッドナイトイーグル」11.8%(工作員上陸しすぎ・・・)・・・ついでに「ヴォイス」↘15.2%・・・以上。
で、『ホラ吹き医学生の冒険・・・ではなくてヴォイス~命なき者の声~第6回』(フジテレビ090216PM9~)脚本・金子茂樹、演出・成田岳を見た。今回はいよいよ死体も登場しない。もちろん、法医学は法学と医学の境界線を彷徨う学問であるから・・・医学的なことで法に抵触すればどんなことにも介入できるのである。容疑者の責任能力の有無を診断する精神鑑定などがその例である。
今回は未成年者に対する虐待の事実が疑われ、その根拠を医療現場が法医学の研究者に求めるというスタイルで進行する。
大腸炎で入退院を繰り返す中学生・朋子(志田未来)その病歴から詐病が疑われ、法医学教室の精密検査により、ペニシリンの投与が病因であることが判明する。
そして両親のいない家庭で親代わりとなり朋子を育てる実の兄で薬科大学の学生・泰人(石田卓也)が定期的な薬物投与により妹に発病させていた事実が発覚するのである。
ここで、妹の発病によって苦しむ姿を見て性的興奮を覚えると立派な犯罪者なのだが、ここでは泰人は「代理ミュンヒハウゼン症候群」の患者として診断される。
詐病のうち、実利をともなわず、病気であることで精神的満足を得る人格障害を虚偽性障害と呼称し、その中でも慢性的で重篤な症状をミュンヒハウゼン症候群と呼び、他人(母親に対する児童など肉親であることが多い)を人為的に病気にしてそれを看護することを目的にしたものを代理ミュンヒハウゼン症候群と診断するのである。つまり、心の病である。
わかりやすく日本語訳すると「代理ほらふき男爵症候群」となり、ちっともわかりやすくならないので横文字まじりで定着している。
もちろん、かわいい妹と性的欲望の旺盛そうな兄の組合せだとさらにいろいろな妄想が広がるわけだが、ドラマ的にはそれは許されないのだ。
精神病の診断基準によれば、「成人の人格および行動の障害」を示すF6群に「ミュンヒハウゼン症候群(F68.1) 」は含まれるわけだが、この群には小児性愛(F65.4) やサディズム・マゾヒズム(F65.5) あるいは性の発達と方向づけに関連した心理および行動の障害(F66) も含まれる。
妹に対する性的欲望の倒錯から薬物を投与して苦悶する姿に性的興奮を覚えていなかったという立証は一度もなされていないにも関わらずだっ・・・そのぐらいにしておけよ。
とにかく・・・そうした精神の病に対する応対は非常にナイーヴなものだが・・・兄のこの行為を容認し、さらには愛を感じている妹はかなり危険な状態であるとも考えられる。しつこいようだがそれにも関わらず精神科医あるいは心療内科医としてなんの資格も実績もない加地(瑛太)が妹の心にズカズカと踏み込み、結果オーライな展開を見せるのは毎度おなじみのことなのであった。
「お兄ちゃん・・・薬物投与なんて・・・カレーの具が大きいことにくらべたらなんでもないよ・・・また帰ってきたら二人きりで気持ちのいい愛の暮らしをしようね」と矯正施設入りする兄を養護施設行きの妹は見送りつつ、涙ながらに語るのだが・・・これって本当にハッピーエンドなのか・・・キッドにはとてもそう思えないのだった。
もちろん・・・本質的には頭のお菓子な人は70億人近くいるという発想もあるのであり、その前提の上でなら何も問題はありませんけどーっ。
とにかく、納豆とマヨネーズとツナと醤油をごはんにかけてまぜて食べるのは小腹のすいた時にはそこそこ美味しいです。
不幸せな病的で癒着的な兄妹に対応して、久保秋(石原)の離れて暮らす弟(冨浦智嗣)が登場。幸せで健康的で自立的な姉弟として描かれる。
どんだけご都合主義な展開なんだよっ。
関連するキッドのブログ『第6話のレビュー』
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ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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