ありふれた神の力、ありふれた驚き、ありふれた証拠・・・ありふれた奇跡(仲間由紀恵)
前日の「キイナ」では「リフレーミング」という認知心理学用語が登場した。一言で言えば「見方を変えること」ということである。前提となるフレームと言う言葉は「枠組み」だから「枠替え」と言ってもいい。
「失恋」という言葉を「恋の終わり」と考えるか「新しい恋の始まり」と考えるか・・・という「枠組み」があって、自分にとって都合のいい「枠」を選ぶことを「リフレーミング」と呼ぶと言ってもいいだろう。
これに対して「地図が土地ではないように失恋は失恋だ」という考え方もある。
たとえば・・・火事が発生し・・・火の手がそこまで迫っているときに「火がもうそこまで来ている」と考えるか「火はまだそこまでしか来ていない」と考えるかはあまり重要ではない。命が惜しいものは逃げるべきだし、そうでないものは火に飛び込むチャンスである。・・・おいっ。
「奇跡」はありふれていないから「奇跡」なのか・・・それとも「世界は奇跡に満ち溢れている」のか。
それはフレームしだいという話である。
で、『ありふれた奇跡・最終回』(フジテレビ090319PM10~)脚本・山田太一、演出・田島大輔を見た。今季は終盤に「おみやさん」第11話にゲスト出演し、「終着駅シリーズ・殺人同盟」にもゲスト出演した大村彩子は端整な顔立ちをおはガール1997から維持し続けている奇跡の軌跡を描いているわけだが、末永遥もまたおはガール1999からキュートな魅力を維持し続けているのである。その間には平井理央おはガール1998がいるわけで・・・おはガール・オーディション・スタッフの慧眼恐るべしなのである。もちろん、他にも三年連続おはガールの酒井彩名とか蒼井優とかベッキーとかもいるわけだが・・・とりあえず・・・いつまでも美少女という意味では、大村彩子と末永遥である。
二人は大村(24)、末永(22)なのにである。
で、今回、末永は子供を生めない女である加奈(仲間)と翔太(加瀬亮)が「これからホテルへ・・・」行こうと話がまとまったところで「赤ん坊」を置き去りにするヤンママ・美代役で登場である。「お腹が痛いので五分赤ちゃんを抱いていてください・・・」と言ってダッシュで走り去るのである。なんていうか・・・赤ン坊を置き去りにさせたら日本一か。・・・おいっ。
「みにくいアヒルの子」(1996)で大村と末永は子役共演しているが・・・大村の映画「パラサイト・イヴ」(1997)に対し、末永は幼女時代の代表作に恵まれない。しかし、「轟轟戦隊ボウケンジャー」(2006)のボウケンピンクを経て「ライフ」(2007)の「おめえの席ねえからあ」のみどり、「シバトラ」(2008)のリカとヤンキー系少女連発でココなのである。
流れとして・・・「美少女」→「不良少女」→「ヤンママ」と実にナチュラルで・・・ある意味奇跡である。
まあ・・・ドラマとしての見所はそこにつきるかな・・・おいおいっ。
世界が個人的視点によってしか存在しないとすれば、人間の数だけ世界は存在する。
個人的視点からは「無限」と言ってもいいほどの世界の並立である。
そこでは人それぞれの「世界」がある。そして、その「世界」も人が視点を変えれば無数の「世界」に分岐することになる。
たとえば翔太の祖父・四郎(井川比佐志)は77才。この物語を2009年の出来事と考えると第二次世界大戦の終了した1945年は64年前。四郎は13才だったことになる。「その頃」を四郎はどん底と考える。戦火によって家族を失い孤児となった四郎にとって・・・それは生き地獄だったかもしれない。しかし、その昔は四郎にとっての「昔」であって全人類のそれではない。日本国内にも静江(八千草薫)のように無事平穏に生きた人間もいるし、マッカーサーは日本の統治者として人生の春を迎えていたし、北方領土を占領したソ連軍将校は万歳、戦争で儲けた武器商人は万々歳だし、日本を戦火に追いやった関係者の一人であるコーデル・ハルはノーベル平和賞を受賞している。
同様に・・・四郎が言う「今はあの時ほどどん底じゃない」も四郎の個人的見解に過ぎない。いつの時代、どの場所でも誰もが「どん底」にある可能性はある。
「今」だって「どん底」の人はどん底なのである。
だが・・・とにかく・・・四郎は「どん底の過去に縛られて・・・世の中を常にどん底として見るよりは未来はどん底じゃない」と考えた方が幸せかもしれないとリフレーミングを行ったのである。
まあ・・・そういう御託を並べてそれを聞いてくれる人々がいるということが幸せと言えば幸せなんですけどね。・・・お前もな。
自らの愚かさを自らの賢さが苛み続ける加奈は・・・自分では得ることの出来なくなった乳児を抱いて・・・子捨てをした親を待った。「きっとあの親は帰ってくる」という期待と「いつまでもこの幻の赤子を抱いていたい」という願望が一つの枠組みの中に納まっているからである。
やがて・・・美代は帰ってくる。その「どん底」の気持ちを受け止める底辺の人々。
「上下関係が相対的なものなら多くの人々がどん底ならそれはもはやどん底じゃないよね」
かって加奈と翔太に自殺を阻止された男・誠(陣内孝則)は母子を娘と孫として保護する。
「だから一人じゃない」と考えるか「どこまでいったって人間は一人だ」と考えるかはすべて気の持ちようだという話である。
まあ・・・だからといって・・・この世から「どん底」が消えるわけではありません。
と一応、悪魔として申し上げておきます。
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ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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