何もかも失うって死ぬってことだよね(川島海荷)だから人殺しは死刑になるんじゃろ(嘉数一星)
「死」とはすべてを失うことである。「存在」も「世界」も失うのである。だから「命」とはすべてなのである。
何もかも失った人は存在しない。なぜなら死んでいるからだ。
人はすべてを失うことのリスクと背中あわせでつかのまの「存在」を生きる。
しかし・・・誰もがいつかはすべてを失うのである。
水曜日のダンスは・・・
「臨場」(テレビ朝日)・・・・・・・・・・・・・・・14.1%↗14.5%↘12.8%↗14.8%↗15.2%↘14.6%↘14.5%
「アイシテル~海容~」(日本テレビ)・・・13.2%↗13.7%↗14.2%↘13.0%↗14.8%↘13.9%↗14.0%
「夫婦道」(TBSテレビ)・・・・・・・・・・・・・・*9.2%↘*8.9%↘*8.6%↘*7.9%↗*9.2%↘*6.7%↗*8.2%
「キリンカップサッカー2009・日本×チリ・・・4-0」12.2%は時間変更となった「夫婦道」に少しだけ微笑んだがステップ的には漣・・・。なんとなく・・・若夫婦に挟まれた子供みたいな微笑ましさがあります。
で、『臨場・第7回』(テレビ朝日090527PM9~)原作・横山秀夫、脚本・佐伯俊道、演出・猪原達三を見た。要介護老人をめぐる物語である。将来を悲観した老人が自殺をはかるという意味では「ハンチョウ・第7回」(原作・今野敏、脚本・難波江由紀子、演出・竹村謙太郎)とまるかぶりである。
「ハンチョウ」では老人・菊乃(佐々木すみ江)が不自由な体で車イスで爆走、女の一本道を転がり落ちる自殺未遂。介護をする家政婦(泉ピン子)は残された家族のことを考え事故だったと主張するが・・・菊乃の娘・早苗(朝加真由美)は家政婦の殺意を疑う。刑事ラクダ(佐々木内蔵助)はもつれた糸をほどくのである・・・菊乃は一命をとりとめ・・・そこはかとないハッピーエンドである。
一方、「臨場」では老人が不自由な体で自殺未遂。実の娘(藤真利子)が絞殺でトドメを刺し、夫が自殺に偽装である。老人は命をとりとめない。なぜなら・・・「死体がなければ俺の出番がない」倉石(内野聖陽)だからである。
「ゴンゾウ」に続く娘のヴァイオリンネタ。夫も松ヤニ、息子も松ヤニ、妻も松ヤニである。そして昭和の父娘は老舗のパーラーでアイスクリームを食べる幸せを回想しながら死ね展開である。「よくぞ、殺してやった・・・でもそれは法律で禁じられています」である。
「ハンチョウ」は死体以外でも事件に関れるのでホッとしますなのか。
まあ・・・丈夫で健康で長寿で・・・ぽっくりなら言うことなしだと誰もが祈るのだな。
で、『アイシテル~海容~・第7回』(日本テレビ090527PM10~)原作・伊藤実、脚本・高橋麻紀、演出・久保田充を見た。たとえばキヨタンが無口で気配りに優れ天使のようにかわいい少年だったとしたら野口智也(嘉数)の罪深さはどれほど深まっただろうか・・・という問題ではないのである。智也が昆虫の足をもぐようにキヨタンの首をひっこぬく残虐怪力少年だったらどれだけお茶の間が絶叫したかという問題でもないらしい。
殺された少年の保護者と殺した少年の保護者の身の置き所のない困った感じを淡々と描くドラマである・・・というか・・・あってほしい。
刑法第41条は「14歳に満たない者の行為は、罰しない」と定めている。だから智也は死刑には処せられないのだが・・・本人がそれを知っているかどうかは微妙な問題だ。智也は「人を殺せば死刑」という断片的な知識を持っていて・・・自分はまもなく殺されてしまうと考えているのだが、人を殺すくらいの意志力を持っていると・・・それが偽装である可能性は充分考慮しなければならない。
しかし、善玉調査官である葉子(田中美佐子)はそういう疑いをもてない制約があるために「僕の死刑はいつですか?」という智也の質問に「あなたはこれからもずっと生きていろいろなことを学ばなければならないので死刑にはなりません」と優しく回答するのである。
キッドなら小学生相手に「死刑にしたいのはやまやまだけど法律でガキは死刑にできないって決まってんだ・・・って本当は知っててやってんだろう・・・このこのーっ」ぐらいは言う可能性があるのでこの職務についていなくて本当に世の為人の為だと思う。
子供は親に褒められたり叱られたりしながら成長するのが一般的である。
さらに褒められればうれしく、叱られればつらいのが一般的である。
そのために褒められるようなことをしようとし、叱られるようなことをしなくなるのが一般的である。
それを一般的にはしつけと言い、子供はこうして一般的な人間になっていくのである。
もちろん、その一般人はひとくせもふたくせもあるのが一般的である。
表はいかにも一般的でも裏では何やっているのか分らないのが一般的だ。
ただ親に愛されるためにいい子でいることは頭のいい子には簡単なことだ。
しかし、頭のいい子は悪いことをたくさん考えるのでどこでもいい子ではいられないことが多い。
このあたりのバランス感覚の鍛錬がつまり生きる技術育成ということである。
恋人に愛されたくて浮気していることを黙っているようなものだ。
愛しているものを騙しているのですでに本質を見失っているという考え方もできる。
まあ、それを心の病と考えるのが一番安易なのである。
智也はすべてを話すと先週の予告編でふっておきながら、本当にすべてを話すのは来週だという見え透いた手口も一種の心の病なのである。
そのためにお茶の間はまた一週間、いろいろと妄想できることを喜ばなければならない。
その日の智也とキヨタン・・・。
キヨタン「おめぇのお母ちゃん変。おめぇの母ちゃんデベソ。おめぇの母ちゃんメスイヌ。おめぇはメスイヌの子供。英語で言ったらサノバビッチ」
智也「このキヨタンめぇぇぇぇぇ、ママを侮辱することは許せん・・・・死ね・・・死んで償え」
その後のキヨタンの父(佐野史郎)・・・二通目の謝罪の手紙を返却するため野口夫婦の住居を訪れ悪意ある世間の仕打ちを目にして。「・・・・・・うひひ・・・苦しめ・・・もっと苦しめ・・・うひひひひひひ・・・キヨタンはもっと苦しかったんだゾーン」
おい・・・そこは心ない世間の第三者的悪意にたじろいで手紙を持ちかえった小心者のキヨタンの父・・・という描写だろう。
そ、それもちょっと。
なんとなく・・・加害者の親も哀れになってそんな自分がやりきれなくなったってとこじゃないの。
まあ・・・見るものの教養や知性の程度によってどんな解釈もできる間口の広い演出ということでございましょう。
自分が思うより愛されてもいず
自分が思うより一人ぼっちだったら
やだね。
それでも世界を海容で愛したらお人好しの極みだよね。
全てを奪う罪を犯したら救いようはないのである。それによって保護者たちは苦しむ。しかし・・・ひょっとしてこれを教訓とせず、親が苦しむ姿を見たいがために殺したり殺されたりする子供もいるかもしれない・・・という恐怖があります。
関連するキッドのブログ『先週の水曜日のレビュー』
金曜日に見る予定のテレビ『ツレがうつになりまして。』(NHK総合)『新垣結衣のスマイル』(TBSテレビ)『エンケンの湯けむりスナイパー』(テレビ東京)『嫁の座』『香椎由宇の名探偵の掟』(テレビ朝日)
ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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コメント
「智也クンの自白」はCMのあと(実は予告)。そして翌週のエンディング直前にゾーン。
投稿: 幻灯機 | 2009年5月28日 (木) 21時24分
✪マジックランタン✪~幻灯機様、いらっしゃいませ~✪マジックランタン✪
このあとすぐに期待できるのは食わず嫌いの罰ゲームだけ。
提供ベースでゾォォォォォォン!なら神。
あらびきのひっぱりすぎは犯罪レベル。
まあ・・・瞬間瞬間で生きている人もいるのですけれど。
投稿: キッド | 2009年5月28日 (木) 23時36分
>小学生相手に「死刑にしたいのはやまやまだけど
>法律でガキは死刑にできないって決まってんだ・・・
>って本当は知っててやってんだろう・・・このこのーっ」
(≧∇≦)ノ彡 いいですね~。
…なんて言っていいのか自分。。。
ってまた私自身に問うたではないか(笑)
このドラマが始まる前は、田中さんの役どころに期待したんです。
それが、さつきへの励ましを見てるうちに「ん?」。
何だか思ってたものとは違う方向に…
息子との絡みもあまりないですしね~。ってもう要らんか(^_^;)
>恋人に愛されたくて浮気していることを黙っているようなものだ。
どちらも失いたくないだけでしょ。
でも愛されたいなら、バレない努力をするのは当然です。
>そのためにお茶の間はまた一週間、
>いろいろと妄想できることを喜ばなければならない
その手にまんまと乗りたくないわ。
と思ってたら…
キッドさんのぉ~ぉぉ~ 妄想劇場をぉ~ 堪能しましたぁ~っ!
あると思います!(笑)
投稿: mana | 2009年5月29日 (金) 10時30分
|||-_||シャンプーブロー~mana様、いらっしゃいませ~トリートメント|||-_||
加害者にとっては・・・
自分の子供が殺人を犯した過程を
「筋の通った話」として知りたい。
被害者にとっては・・・
自分の子供が殺された背景が何でアレ
「筋の通らない話」として主張したい。
このすれちがい・・・両者の溝が
埋まるためには
どちらかが
耐えがたきを耐え
忍びがたきを忍ぶ
必要があります。
現実では両者は最後まで
平行線をたどることになるのが筋ですが。
これはドラマであり
加害者の母が主人公である以上
敗戦するのは被害者家族という
レールが引かれているわけです。
そのレフリーが葉子(田中)です。
第一の手紙より
第二の手紙が
上手に描けているという判定も
葉子がそれとなく誘導しているわけです。
そんなもの・・・
「生きていくことをお許しください」
というのが「おねだり」で「甘え」としか
受け取れない可能性は充分にあります。
キッドもラーメン屋で
ぬるいラーメン出されたらどんな
謝罪も受け取りません。
結局、殺す殺されるという問題と
被害者の復讐感情のボルテージは
別次元ですからね。
人によっては加害者の保護者宅が
判明した時点で爆弾の製作に着手する可能性が
あるわけですから。
しかし・・・
このドラマではあくまで
加害者が殺すのもっともだ。
キヨタンは殺されても仕方のない被害者だった。
という方向がなんとなく香りたちながら
加害者側が
「だからといって殺していいなんてことはありません」
と被害者側に恩を着せる形で終息する。
人を殺したってやりなおしはできる。
だってまだ若いんだからという
そこはかとなくハッピーエンドに
なるだろう・・・と予測しています。
あくまで妄想できにはですぞ~~~ん。
投稿: キッド | 2009年5月30日 (土) 02時58分