死をもって死をつぐなうという虚飾(松本潤)私が愛したスマイル(新垣結衣)
ハッピーエンドである。
とにかく・・・土台がもう・・・設計ミスで手抜き工事の惨状なのでどんな腕のいい左官屋さんが入っても・・・まあ、塗るだけは塗っときます・・・的なことになっても仕方ないと思う。
しかし・・・ギリギリ・・・セリフが辛くなかったことは明瞭だったと思う。
花(新垣)がビト(松本)を目覚めさせる最後の面談の場面での歌うような花の語りかけはビトに己の愚かさを自覚させる説得力があった。
それ以上でもそれ以下でもない・・・というのが本当に残念である。
で、『スマイル・最終回』(TBSテレビ090626PM10~)脚本・篠崎絵里子、演出・石井康晴を見た。世界の姿をどのように認識するか・・・というのが基本的に作家の存在する意味であるとキッドは考えることがある。世界には60億人以上の人間がいて、この瞬間にもその数だけの世界が存在するのである。
一人一人の人間にとってそれぞれのたったひとつの命が織り成す世界こそが全てであるともキッドは考えている。
その世界をどう認めるかのヒントを作家は提示する仕事なのである。
提示する以上・・・人よりも世界について深く考える必要はあるし、そのための情報を蓄積しなければならない。
今回でいえば「法」とは何かという哲学は必要不可欠だろう。当然、そこには「目には目を歯には歯を」という応報の視点が生じる。さらに「法の前の人間平等」という理想も感じる必要があるだろう。そして「立法」という法の変化についても考慮しなければならない。
たとえば・・・ある国では「殺人をしたものは死刑」と定めていたとする。この法に対して賛否両論がある。あるものは「死刑は殺人だから執行した瞬間に国民はすべて死刑になるべきだ」と主張する。あるものは「冤罪というものがなくならない限り法はすべて無意味だ」と主張する。あるものは「白人が黒人を殺した場合には死刑は成立しない」と主張する。あるものは「死刑は当然だが絞首刑という安楽な処刑方法では応報にはならず地面に埋めて叩き殺すべきだ」と主張する。あるものは「殺人だけでなく大金を盗んだものも死刑だ」と主張する。つまり、様々な意見があるのである。
そして大切なのは人間の数だけそれぞれの正しさがあるということである。
一つの物語の中で・・・「ただひとつの正しさ」というものを主張する場合にはそういう様々な反論に対してなんらかの回答を用意する必要がある。
そういう様々な答えを持たず・・・自己を正当化しようとすれば・・・それは単なる愚かものにすぎない。
もちろん・・・時にはそれがテクニックである場合もある。「私は愚か者です・・・でも私が世界の平和を願うのは・・・そんなに愚かなことなのでしょうか」・・・こういう詩人には思わず心を動かされることもあるのが人間だからです。
しかし・・・だからといって・・・ただのリスナーが「あの人がこういってた・・・自分はそれに感動した・・・だからあなたも同じように感動するべきだ」と言っても説得力はありません。ただ一つできることは「もしよかったらあなたにもそれを聞いてほしい」とお願いすることぐらいでしょう。
このドラマがダメだったところは・・・そういう「誰かが語った正論」をそのままぶつけてくる姿勢だったと考えます。
キッドは父の家系は武士、母の家系は貴族につながる日本人ですが・・・南方系の遺伝子が色濃く発現していて・・・フィリピン人に間違われたことがあります。セールスマンに「日本語話せますか?」と問いかけられたこともあるのです。そういう民族性です。日本はアジアと環太平洋の吹き溜まりなわけですから・・・「肌の色」で差別するのとは程遠い土壌です。
もちろん、白人のハーフと黒人のハーフでは明かに差別の度合いが違う時代もありましたが、それは白人が世界において軍事的経済的に圧倒的な優勢を誇っていた時代の名残というものであって人種差別というものとは程遠いのです。
それよりも、言語や習慣の差異による違和感の方がよほど差別的な情緒を形成すると言えるでしょう。
また、自由と平等のどちらをより強く守護するかという思想的な問題もあります。
さらに、木を見て森を見ないタイプと森を見て木を見ないタイプの相克という認識傾向の問題もあるわけです。
東西冷戦時代には大陸側には平等優先の社会主義国があり、太平洋側には自由優先の民主主義国があるという狭間の国家の立場に置かれ・・・自由を主張する人々と平等を主張する人々の間で闘争が繰り広げられたりもしているわけです。
また第二次世界大戦の唯一の敗戦国(先に降伏したドイツとイタリアは当然戦勝国側になります)として国家解体を余儀なくされている国家だと言う立場もあります。
少なくとも、現在、もっとも脅威となされている北朝鮮も・・・戦後の戦勝国の徹底した思想教育で反目の立場に置かれている韓国も・・・元は日本の一部だったわけです。
現在の日本と韓国や北朝鮮にいるハングル民族との軋轢は人種差別などというぞんざいな言葉では整理できない複雑さを持っていると言えます。
そういう認識なくして・・・小学生レベルの知識で「差別」を語るなんて・・・作家としてありえない・・・と思えるこのドラマだったと言えるのです。
そのシンボルが日本に帰化したのにふたたび朝鮮名を名乗る伊藤・ユン・ソンギ弁護士(中井貴一)に結実していると言えます。失われたアイデンティティーの狭間で行ったり来たりなのでございます。
木を見て森を見なければ・・・それが在日ハングル民族というものだという結論にも達し、それはそれでとてつもない誤解をお茶の間にもたらすということです。
森を見て木を見なければ・・・在日ハングル民族にだって、北朝鮮の工作員もいればパチンコの経営者もいるし日本の国民的スターだっているという多様性が窺えるわけです。そういうミソもクソも一緒の差別思想なんて戯言にすぎないのでございます。
一言で言えば浅すぎるのです。
今回・・・急転直下のハッピーエンドを迎えるにあたり、突然、浮上してきた諸悪の根源、林の父親(竜雷太)が実は「いい人」だったというオチはもう・・・流れも辻褄もへったくりもないよねえ・・・という感じでした。
ドラマとして「無実の罪で死刑台に足をかけた瞬間に執行停止処分が発令される」というお約束は我慢できても・・・「息子かわいさで赤の他人を殺人犯として捏造した男・・・しかも息子に対する幼児虐待風味」がそんなに突然改心するのかよ・・・でございますから。
さて・・・法的な諸問題で言えば・・・ビトの第一の殺人は全面無罪を勝ち取ったわけです。しかも警察の組織的な捏造という前代未聞の不祥事つきです。これに対し、ビトはすでに仮釈放となるまで服役しているわけで・・・これに対する補償問題が当然あります。
さらに第ニの殺人に対する量刑は「第一の殺人」の有罪を前提に採決されたものですから・・・ビトの緊急避難度はいやがおうにも高まります。当然、弁護側の正当防衛の主張は風を受けるでしょう。第一に・・・第二の裁判に関っていた人々は「死刑に値しない男を死刑にするところだった・・・あぶねぇぇぇぇぇぇ」という気持ちで良心の呵責に耐えかね・・・ビトの無罪放免運動の原動力になることは疑いようのないところです。
だから・・・ビトは「無罪釈放」・・・司法関係者もマスコミも頭が地面に埋まるほど土下座ぐらいがバランスのとれた決着ということになるでしょう。
なぜ・・・そうならないか・・・といえば・・・作家がそういう風にお膳立てをしてこなかったから・・・という結論に達するわけです。これがキッドがこの作品をあまり高く評価しない理由なのでございます。
だから・・・唯一評価できるのは恋する乙女が・・・初恋を実らせるために失った声さえ取り戻すガラス越しの告白の詩的な表現にあったと言えるでしょう。
これ・・・覚えてる?・・・思い出のブタのハンカチ
昔・・・富士山が見える町に
住んでいたことがあったの
お父さんの事件があって
みんなにいじめられて
・・・あのとき
あなただけが
私に優しかった
声が出るようになったらちゃんと伝えたかった
あの日からずっとずっとずっとずっと
あなたが好きだった
だから
うれしかった
もう会えないと思ってた
あなたに会うことができて
あなたが全然変わってなくて
私が好きになったときの
優しいあなたのままだったから
ビト「そうか・・・君は・・・ブタ姫だったのか・・・この話は花の愛と伊東弁護士の正義と林の壮絶な生き様の話でありブタ姫の恩返しの物語だったのか・・・今度生まれ変わったら頑張るから~・・・バカなボクを許して・・・君のために生きようとしないボクは本当にバカだったんだと・・・今・・・気がついたんだよぉ・・・主役のことも少しは考えてほしいよねぇ・・・ファンの皆様、つまんない話につきあわせてメンゴです・・・ボクとしては第1回の雨の中の逮捕が最初で最後の見せ場だったんだ・・・と思うのでした~」
まあ・・・処刑台へと続く道で腰が抜けるのもなかなかでしたけど。
まあ・・・とにかく・・・すべては・・・ガッキーかわいいよガッキー・・・なのです。
関連するキッドのブログ『第10話のレビュー』
日曜日に見る予定のテレビ『天地人』(NHK総合)『ぼくの妹』(TBSテレビ)
ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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コメント
内輪で何があったのかわからないけど
視聴者までまどわせないでくれ~。
って感じでした。
最後のとってつけた感じが・・う~む
って感じでしたねぇ。
モヤモヤだけが残る結果に~~~。
投稿: みのむし | 2009年7月 1日 (水) 09時24分
ストーリーとしては
ネグレクトされた子供(松本潤)と
過保護な子供(小栗旬)が
ともに非行少年となり
やがて冤罪被害者と
冤罪加害者となる。
そして最後は殺人事件の被害者と加害者になる。
というややひねったもの。
ところがあまりにも装飾がすぎて
事件の本質がどんどん隠蔽されていく・・・
という最悪の結果に。
まるで作者がどんな事件を
描いているのか
判っていなかったみたいな感じ。
脚本家がタレント活動をするのを
止めはしないけれど
実力の範囲内でやって欲しいと
ひそかに感じる作品でございました。
投稿: キッド | 2009年7月 1日 (水) 18時41分