朝の来ない夜はないのよ(稲森いずみ)涙の土下座の人、それはどうかな?(川島海荷)
これはくりかえし書いているが命というものは全てということである。
投資に失敗して「何もかも失った」とか、わが子を失って「何もかも失った」とか言う場合、一言多い人間は「でもまだ命があるじゃない」と緊張感を台無しにするのである。
つまり、「命」が全てなので「命」以外のものは失っても全てを失ったことにはならないと考える人にとって「命」のある限り、何もかも失ったなんていうセリフは理屈に合わないのである。
しかし、そういう理解が根底になければ「掛替えのない命」という言葉は力を持たない。
その延長線上に「命に値段なんかつけられるか」という言葉が発生するわけである。
しかし、それは一人一人の個人的な「命」の話である。
「別人の命」となると「人間関係」によって「資産的価値」は当然出てくる。
死者の家族を「遺族」と呼ぶのはそこに「遺産相続」がからんでくるからである。
そして時には不慮の死者には特殊な資産価値が生じることになる。生命保険がビジネスとして成立しているのがその証拠である。そうなると「命」には値段がつくのである。多くの場合、時価です。
家族が殺害された時に犯人に向かって「反省するなら金をくれ」と叫ぶ遺族を世間がどう評価するかどうかは別として。・・・そこか~。
で、『臨場・第9回』(テレビ朝日090517PM0930~)原作・横山秀夫、脚本・坂田義和、演出・橋本一を見た。ミステリの死者の値段は安い。毎週一人は殺されてしまうのでインフレが生じるからである。今回は変態の天井裏の散歩者が美人女子大生(山内明日)を殺害する話。心ある人は美人女子大生でなくて変態が死ねばいいのにと思うはずである。これに幼い頃、子供を捨てた母親(佐々木すみ江)が・・・捨てた子供(伊武雅刀)をずっと思い続けるという人情話をからませてきます。
さらにインフレ気味に二人目の死者発生。根こそぎ拾う倉石(内野聖陽)は溺死した上司の母親の死因を自殺ではないと断定。「出来のいい自慢の息子がいる母親は自殺しない」と根拠を語ります。
まあ、その真意は気休めですけどね。
とにかく・・・認知症になっても「女の道は一本道」であって欲しいという男たちのせつない心情がここにあるのかもしれません。
まあ・・・人間というものはどこでも良い子ではいられないし、いつでも良い子でもいられない。その方が自然だとキッドは思いますけれど。ああ。人間って基本的に良い加減。
まあ、敗戦国と戦勝国の「勝つ根性」の違いを見せ付けるサッカー・ワールドカップ・日本VS豪州のために後半「アイシテル」にかぶっていくので軸足ぶれますけどね。何度も言いますがとっとと憲法改正して交戦権を復活させない限り、日本代表は真の強さは獲得できないのです。国のためなら敵を殺すことのできる国民と殺されるまで我慢する国民とでは基本的な戦闘力がケタ違いだからです。
関連するキッドのブログ『先週の水曜日のレビュー』
で、『アイシテル~海容~・最終回』(日本テレビ090617PM10~)原作・伊藤実、脚本・高橋麻紀、演出・吉野洋を見た。「愛」に対応する言葉として「憎」がある。どちらも多くの人間が知っているのが前提の心のあり方である。その中で人々は「海容」という海のような広大な愛のあり方を示す言葉があることをこのドラマで始めて知ったりしたはずである。
もちろん・・・未だに造語ではないかと思っている人も多いだろう。
愛も様々な形がある。キッドはその根底にあるのは記憶であると考えるタイプだが、さらには認知のドーパミンシステムが深く関連していると思う。
人間は快感を求める性質を持っているが、「気持ちがいい」というのは基本的に体内麻薬性物質のなせるメカニズムによる現象なのである。
それは根本的には「生」の維持のためのシステムのパーツによるものである。
美味しいものを食べて美味しいと感じる「気持ちの良さ」は食行動という刺激に伴って脳内に快感を感じさせる麻薬性物質が分泌されることによって生じる。
頭が痺れるような美味という表現は非常にストレートなものいいなのである。
たとえば、テレビタレントの威力というものはこの延長線上にある。川島海荷という美少女をくりかえし見ることによって「かわいい」→ドーパミン放出→快感という認知のドーパミンの回路が脳内に構築される。これは「かわいい」でなくても「面白い泉ピン子」でも同じように構築されるのである。泉ピン子→ドーパミン放出→快感になるのである。
街で偶然、タレント本人を見かけたことがある人なら経験があるはずだ。本人の存在という刺激を受けてドーパミン大量放出なのである。そのなんともいえない「うれしい感じ」は驚異的なものである。ガッキーが新曲の宣伝のために高校のイベントに参加、ハグされた女子高校生が感激して泣き出すのを見て、そんなに好きなのか・・・と思う人は認知のドーパミンシステムの恐ろしさに対する理解が不足しているのである。
で、たとえば・・・家族というものは基本的にこの認知のドーパミンシステムの影響下にある。家族という見知った対象が緩やかに放出する認知のドーパミンが「安らぎ」の正体なのである。
そして・・・家族喪失が人を鬱にする根本的な原因がここにある。つまり、掛替えのないドーパミン放出対象の損失ということである。
愛と憎しみの関係は憎しみが負のドーパミン(不快感)システムでもあり、正のドーパミンシステム(喜び)の欠損でもあるという複雑な関係にある。
悲しみを背景とした怒りともいうべきものが「憎しみ」なのである。
昔の人は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と言うわけだが、それが好きな人のつけている香水の匂いまでが好きという気持ちの裏返しであることは簡単に想像できる。
原爆を投下するから鬼畜米英なのか鬼畜米英だから原爆を投下するのかなのである。
核と聞いただけで鳥肌が立つのである。
オウム真理教のためにオウムの人気下落である。・・・いい加減にしとけよ。
まあ・・・とにかくひとたび生じた憎しみの連鎖を断ち切るのは非常に難しいということだ。
キッドはヘソが曲がっているので「復讐心は何も生み出さない」という考え方には全面的に賛成できない。「自分の愛するものを奪ったものが存在すること」で生じる「つらい気持ち」を解消したいというのも自然だと感じるからである。
もちろん、多くのものはそうでないことも事実である。
「殺したいほど相手を憎んでも殺さない」というのがまた人間の自然のあり方なのである。
その人と人を繋ぐのが法であるという考えがある。
このドラマの場合・・・法外の人間である少年に殺人を犯させることによって・・・被害者側の家族は「憎みきれない相手」の存在に苦悶する。加害者とその家族は心あるものであるために被害者側の家族の苦悶を思いさらに苦悶する。
最終的な着地点のない無限地獄である。
そのために死後の世界を信じなければ全てを失った被害者本人以外は苦しみ続けるしかなく・・・最後には被害者側と加害者側が一種のシンパシーを感じるまでになっていくのである。
もちろん、被害者と加害者が同じだと言うのはあまりにも観念的なので最後までお互いが交わっていくことはない。全てを失った被害者に対して加害者が失うものはあまりにも少ないからである。
ただ・・・ユーミンが「時はいつの日にも親切な友達、過ぎていく昨日を物語に変える」と歌っても「そうとは限らんぞ」と思うばかりなのである。
しかし・・・被害者側は「しかし・・・加害者側は物語に変えるかもしれないぞ」とふと想像してしまうかもしれない。被害者の母親は加害者の母親に「生きてください」と言うが父親は「加害者はもうこの世に存在しないと思うしかない」と言う。
ギリギリです。復讐を是としない限り、これが心の終着点。しかし・・・記憶のシステムが彼らをそう簡単に解放しないことも明白です。時には「悲しみが癒える」ことすら新たな悲しみの記憶となるのだから。
そこで・・・復讐を是とするのも悪くないという考え方がある。相手に責任能力があろうがなかろうが善人であろが悪人であろうがとりあえず仇を討つということです。
これはこれで全くありなのだとも考えられます。
しかし・・・仇を持つ人間と持たない人間では持つ人間は常に少数派、第三者である人々にとって仇討ちを実行する人は物騒な人ということになります。
そのために・・・刑罰には「死刑」があるのです。つまり・・・死刑とは少数者の救済措置です。
世界は・・・様々な理由で「死刑」からの解放に流れています。いかなる理由があっても人が人を殺すことは許されないという前提に立てばそれは当然のことのように見えます。
しかし・・・「死刑」という法的規制がなくなった社会で・・・実力あるものが人を殺し、無力なものがただただ悲嘆にくれるという現実は簡単に想像できるのです。
そして、さらに少数のものが「他人様の力をあてにすることが土台間違ってんだ。仇が討ちたけりゃ自分で討つさ」と自己責任の誓いに従い、相手に最大級の苦痛を与えつつこの世から抹消する方法を考えながら、瞳に暗い炎を点すのでしょう。
復讐するは我にあり・・・という言葉はそのためにあるのですから。
まあ・・・しかし・・・それほど悲嘆にくれることもないのです。なぜならどんな苦しみにも必ず終わりがあるからです。そして夜の間に全てを失えば朝は来ないのです。
水曜日のダンスは・・・
「臨場」・・・・・14.1%↗14.5%↘12.8%↗14.8%↗15.2%↘14.6%↘14.5%↗15.6% ・・・・・↘13.8%
「海容」・・・・・13.2%↗13.7%↗14.2%↘13.0%↗14.8%↘13.9%↗14.0%↗15.6%↗16.6%↗18.6%
「夫婦道」・・・*9.2%↘*8.9%↘*8.6%↘*7.9%↗*9.2%↘*6.7%↗*8.2%↘*6.3%↘*5.8%↗*7.5%
サッカーめぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。
金曜日に見る予定のテレビ『新垣結衣のスマイル』(TBSテレビ)『湯けむりスナイパー』(テレビ東京)『香椎由宇の名探偵の掟』(テレビ朝日)『長澤まさみの親父の一番長い日』(フジテレビ)・・・ガッキーVSまさみ・・・来たか・・・またもやドラゴン桜の山P争奪戦の決着を着ける日が。
ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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コメント
>とりあえず仇を討つということです。
>これはこれで全くありなのだとも考えられます。
これをドラマで見られないですからね~。
そう考えると『必殺~』では、仕事人が
”悪党”をバッサリ片付けてくれるのでスッキリするんですね。
加害者側にも同情すべき所があったりすると、
そうも行かないのが人情。
『スマイル』もそうなんですね~。
私は被害者家族贔屓で見ていたせいか、
最後までさつきには同情出来ませんでした。
てか稲森さんのせいか?ヾ(゚∇゚*)コラー
稲森さんを称賛する声もチラホラ目にしましたが…
私は板谷さんの新境地に感動しましたもん。
怖いですね~贔屓目って。
裁判員制度にも感じますわぁ。コワイコワイ
>朝の来ない夜はないのよ
この言葉に、出産時のことを思い出しましたよ。
「明日の朝にはこの痛みから解放されてるはずだわ。。。
明けない夜はない!う~ん。。。う~ん」
こうして頑張った私なのでした。
でも…
>そして夜の間に全てを失えば朝は来ないのです。
こうも考えると振り返っても怖いですわぁ。
無事で良かった~!
しかもめちゃ可愛い子を授かってo(≧∇≦)oヾ(゚∇゚*)オイ
でもホント、痛みって忘れるんですよね~。
色んな意味でΨ(`∀´)Ψククク ←またまた登場(笑)
投稿: mana | 2009年6月21日 (日) 09時48分
|||-_||シャンプーブロー~mana様、いらっしゃいませ~トリートメント|||-_||
まあ・・・ほとんどの人が
殺人をしないのが当たり前の現代ですので
その実体験の周囲は
とても平常ではいられないと考えることができます。
しかし・・・一方でどんな異常体験も
風化するときはするわけです。
この辺りは第二次世界大戦後の
周囲が人を殺したかもしれない人だらけだった時代とは
明らかに違うわけですが
あの戦争さえも風化するわけです。
そうして忘れ去られていくことに
耐え難い思いを抱く人もいるだろうし
ホッとする人もいるだろうと考えます。
いや、一人の人間の中でも
忘れたくない気持ちと
忘れたい気持ちが相克する。
そういう人間の複雑はそこそこ感じさせてくれる
ドラマでございましたね。
後は好みの問題です。
キッドはよく執念深い人間だと
言われるのですが
それでも忘却することは忘却する。
しかし・・・もしもわが子を殺されたら
それは死ぬまで忘れられないだろうと
確信できます。
そして加害者も責めるし
守ってやれなかった自分も責める。
その苦しみが死ぬまで続くのかと思うと
死もまんざら悪くないという
危険な地点に到達するのです。
まあ・・・生死は言うなれば
いのちそのもの。
生を受け入れるのも
死を受け入れるのも
同じなんだ・・・と思う年頃なのでございます。
それでも年下の人には
「人生は素晴らしい」と言える自分で
いたいと思うのですな。
ま・・・悪魔はただ微笑むだけですが。
投稿: キッド | 2009年6月21日 (日) 22時39分