ミスター・ブレイン秘密を暴く(木村拓哉)青空と暗闇のグリーフ(仲間由紀恵)私の愛した脳(綾瀬はるか)
偽装された多重人格オチである。
もちろん、批判を承知の上で言えば(トータス松本)、解離性同一性障害の精神鑑定を科学的に行うことは不可能なので・・・殺人犯かなこ(仲間)の精神がどういう状態であるのかは本人を含めて人それぞれの想像の範囲に留まるのである。
なにしろ自分が狂っているのかどうかさえも多くの人には判定不能なのである。
中途半端に発展した精神についての科学が法科学に導入され、「責任能力」などという実体のない概念を解釈しようとするにおよんで・・・法が困惑している現状がここにある。
ちなみに解離性同一性障害とはアメリカ精神医学会の定めた「精神障害ま診断と統計の手引き・第四版修正版」(DSM-Ⅳ-TR)による呼称である。世界保健機構の定めた「疾病及び関連保険問題の国際統計分類・第10版」(ICD-10)ではこれを多重人格障害と呼称している。
だからドラマの中で病名を解離性同一性人格障害と呼称している。
つまり・・・ドラマにおいては病気そのものがフィクションなのである。
解離性同一性障害が実在する精神疾患であるかどうかは専門家の間でも意見の相違があり、そんなものはないという言う人もいればあるんだからあるという人もいるというのが実情です。
もちろん人格が同一性であるのが健康であるのかどうかという・・・哲学的な問題も含んでいます。
しつこいようですがキッドは「おタクの恋」の著者であるのでこの問題には重大な関心を持っていることをお断りしておきます。
で、『MR.BRAIN・第6回』(TBSテレビ090627PM0756~)脚本・蒔田光治・森下佳子、演出・福澤克雄を見た。変則的な構成で実に見づらいドラマなのであるが・・・その最終的な真価はDVDあるいはブルーレイ版で問う気満々なのである。できればテレビでも充分面白いカタチにしてもらいたい今日この頃である。
だから・・・前回までのあらすじ・・・元教師の都議会議員(大沢逸美)が射殺される。彼女は15年前に行方不明になった小学生・秋吉かなこ(松岡日菜→仲間)の担任でもあり、かなこ失踪事件解決のための運動員でもあった。そして・・・事件現場からはかなこの指紋とDNAが検出される。さらに暴力団構成員の青山が同じ拳銃で射殺される。島根県雲南市の青山所有の地下室では痛ましいかなこ監禁の痕跡が発見される。しかし・・・かなこの行方は以前不明だった。
天才的な脳科学者は事件の全容を一瞬にして理解するが・・・それを口には出さないのである。
そして・・・これは天才的な犯罪者と天才的な探偵のいつものゲームへと発展するのだった。
日本が法治国家であるために・・・かなこの行為を人として当然と考えながら殺人犯として訴追しなければならない科学警察研究所・研究員・九十九(木村)の苦悩が主題である。
登場人物のほとんどがかなこに同情的であり法的平等の苛酷さを後味として残す仕掛けになっていることはいうまでもない。
いわゆるひとつの心情的には無罪でも実質有罪物語である。
子供向けの顔と大人向けの顔のふたつの顔を持つこのドラマ・・・ついに正体むき出しである。
まず、最初にこのドラマが「二つ」の現実というフィクションで起こった事件を連想させることを記しておく。一つは「女子高生コンクリート詰め殺人事件」(1988)で組織暴力団を連想させる凶悪な少年たちが被害者に想像を越える残虐行為を拉致監禁の上で行った事件である。この事件を想像すると加害者に対する目もくらむような怒りの発作に襲われるのが正常な人間だと考える。もう一つは新潟少女監禁事件(2000)で幼児性愛の前科者が小学生を誘拐しおよそ9年に渡って監禁致傷した事件である。加害者は懲役14年が確定し服役中だが心情的には拷問の上に死刑でも問題ないと考えるのが正常だと思う。
この二つの事件をヒントに創作されたのが秋吉かなこ誘拐監禁事件だろう。前者からは犯人の凶悪さを・・・後者からは事件の輪郭をピックアップしたわけである。新潟県と島根県は位置的に似ているしな・・・どこがじゃ。
そのために秋吉かなこは自力で脱出することができ・・・しかも犯人および・・・事件を発生させた責任があるとかなこが判断した関係者の極私的処刑事件として発展する。
さて、解離性同一性障害とは正常な人間が「意識」を継続して同一のものと感じながら精神活動を営んでいるという前提を基にした疾病である。つまり、「意識」に不連続性が生じているのが障害となるわけである。これを記憶のシテスムから考えれば記憶障害の一種であると考えることもできる。
しかし、患者に対する観察の所感として「乖離した意識が独自の記憶体系を持っている」と推することにより・・・人格の多重という仮説が提出され、その仮説の説明性を合理と考えたものがこれを一つの疾病として報告したわけである。
もちろん・・・人間の意識システムそのものが科学的に解明されたわけではない現代において・・・それは仮説の上に積まれた仮説による一つの障害の説明にすぎないことは言うまでもない。
今回、かなこは別人格がもてないはずの情報をもっていたことを証拠に詐病であることを九十九に指摘され、観念するのであるが、だからといってかなこが解離性同一性障害ではないということにはならない。
あくまで、九十九と対応したかなこが解離性同一性障害を装って復讐を果たした人格であるということである。本当のかなこはひっそりと沈黙を守るしかない失声症の人格なのかもしれないのである。
人間の意識については以前、カオス理論的な偶然の産物説と非線形理論によるニューロン・コンプレックスの階層発生説を両輪として探求が続いているわけだが、いずれにしろ、偶然複数の意識が発生することも、複数のニューロン・コンプレックスが発生することも可能となるわけで・・・多重人格はあってもよろしいということになっている。
基本的に別人格と呼べる場合には記憶の断絶が必要不可欠なのである。一つの記憶に対する解釈の変更では同一性が失われたとは言いかねるからである。
もちろん・・・このドラマにおけるかなこは「解離性同一性人格障害」という架空の病気を疑われていただけなので・・・なんでもありといえばありなのです。
九十九はかなこがそうせざるをえない現実に置かれたことを充分に理解しながら最終的には人間の自由意志を守護する立場となり、かなこの罪を断罪する。
その場に集った人間は犯罪捜査のプロである刑事や・・・高度な知性を持った研究員なので九十九の苦渋を充分に理解している。
だから「本当は狂ってはいないこと」を指摘されたかなこが「どうしても殺さずにはいられなかった気持ち」を告白するとそれを真摯に受け止める。ただ、一番若く・・・暴力に否定的な気持ちに支配された林田だけは「そうしなくてもよかったのに・・・」と言わなくてもいいことを言うのである。
しかし、小学生で誘拐拉致されて以来凶悪な男に凌辱され続け、暗闇の中でアナログテレビを唯一の情報源として育ってきたかなこにどんな「正気」があるのかは誰にも不明なのである。
かなこが「私はおかしいのかしら・・・でもそうだといいと思う・・・だっていっそ狂ってしまいたいと思わなかった日はなかったもの」と答えれば・・・誰もが口の中一杯にゴキブリを頬張った気分になるしかないのである。
もう・・・こうなると子供向けのドラマとはいえないし・・・ある程度の知性がなければ誤解を招くドラマでさえある。
そういう中で・・・由里(綾瀬はるか)は「かなこの気持ちをほんのちょっぴり味わってみる実験」の被験者に前回同様、承諾なきままに選抜され、九十九に殺意に近い気持ちを抱くのである。
しかし、一方で冷静な観察者としての由里は九十九が自信を喪失した行動科学研究者・浪越(井坂俊哉)を優しくフォローする行動を認知する。
かって行動科学をベースにしたプロファイリングを現場で担当していた浪越はまったく想定外の犯人の登場で自信を喪失していたのである。
過剰に消極的になっている浪越に「もはや責任のない立場になったんだから自由にやればいい」と唆し・・・すでに想像のついているかなこの監禁場所に浪越を誘導し・・・由里を実験台にすることで浪越の想像力を刺激し・・・推理に行き詰った浪越のためにテレビをつけてやり・・・「かなこが長い監禁生活のために異常な心理状態になり、なんらかの理由で監禁前の知人に暴力行為に及んでいる可能性」という結論に達せさせる。そしてそれを現場に報告することで手柄を立てさせるのである。
その浪越のための九十九の一連の行動を由里はすべて気がついているという演出になっています。
九十九が誘導した浪越の推理通りにかなこが青山所有のコルトM1911からベレッタM92Fに拳銃を持ち替えて同窓会に乗り込んだとき・・・かなこを確保できたことで・・・浪越は失われた何かを心に取り戻したのです。
由里は理不尽な九十九のいじめに怒りつつ・・・九十九の優しさにふれ・・・「いつも演技ばかりして本当の自分を隠して・・・かなこさんみたいだけど・・・お慕いしたくなっちゃいました・・・」なのであった。
さて・・・グリーフとは「悲哀」という意味である。その言葉は精神科医・エリザベス・K・ロスによって特別な意味を付加されている。それは「死」に直面した人間の心に生じる感情についての洞察によってもたらされる。それについては説明しないが、ここでは「かなこの死ぬよりもつらいようなグリーフ」について考察しておきたい。
水準以上に知能が発達した小学生のかなこは学校の校門に不審者を発見し、危険を洞察する。しかし、水準以上の知能を持たない担任教師やかなこの同級生はかなこと危険の認識を共有しない。その結果、かなこは拉致され・・・義務教育も両親の保護もそしてその両親の死からさえも隔離され「第二の恐ろしい人生」に投棄されるのである。
第一の段階。現実の否認。自分が誘拐され、見知らぬ男に暴行され、性的凌辱を受けているのは夢ではないかと疑う。
第二の段階。現実への憤怒。なぜ、自分がゴキブリの這い回る暗闇の中で血で汚れた下着を脱がされて犯されそして撲られなければならないのか。母親の用意した美味しい食事を食べられないのか。入浴し愛用のシャンプーで洗髪できないのか。なぜ、病気になっても医者に行けないのか。なぜ、こんなに自分だけが苦しまなければならないのか。世界を呪う。
第三の段階。現実との交渉。終ることのない苦痛からの脱出を求め、周囲の環境に適応しようとする。犯されることさえも受け入れ、そうすることによってこの状態からの解放を模索する。
第四の段階。絶望による精神的閉塞。あらゆることの意味が見失われ、うつの状態になり、何もすることができなくなる。
第五の段階。現実の許容。血まみれのベッドに横たわり、凌辱と凌辱の間にテレビを見、自分の排泄物の匂いを嗅ぎながら食事をしてまた排泄することが自分の人生だと受け入れた状態。
誘拐前の記憶がある限り、このサイクルは循環する。しかし、循環が続けばこの苛酷な現実の記憶が蓄積され誘拐前の記憶は遠のいていく。そのかなこの心理を一言で示すのが「悲哀」である。これが15年続くのである。十五回目の夏の青空の下にかなこが立つまで・・・ずっと。
青空の記憶も暗闇の記憶も悲哀の中に統合され・・・かなこの人格を形成していくのはグリーフなのである。
それが・・・想像を絶する人格となったとしても・・・想定の範囲内だ・・・と九十九は考える。しかし・・・失われた時間を戻すことはできない。かなこがもう一度歩き出すためには・・・すべてを受け入れるしかないのだと九十九は祈るように考える。
どうか・・・かなこのグリーフが癒される日が訪れますようにと。そして心を鬼にしてかなこの罪を問うのである。けしてお茶の間向きではないが大傑作。
関連するキッドのブログ『第5話のレビュー』
ごっこガーデン。彷徨うかなこの心象世界セット。アンナ「もう・・・地下から顔を出したはるかちゃんはあっぱれなのぴょん。そしてその後でダーリンの優しい部分をさりげなく気がついていく繊細な演技。女優魂ぴょん。そしてそれに負けず劣らずのかわいそうなかわいそうなかなこの仲間さん熱演・・・ダーリンの心の中で揺れる海容よりも深い愛・・・もう・・・アンナは口を手でふさがれたらペロペロなめちゃうことを絶対我慢できないぴょ~ん」お気楽「あんなところで人間って15年も生きられるの・・・青山にはお人形さんを大切にする気持ちはないの・・・ゴキブリ饅頭って・・・まさか・・・ゲロゲロ」みのむし「名探偵の掟を見てから見ると・・・ミステリは全部・・・お約束の世界に見えてくるのるるる・・・それにしてもBOSSとMR.BRAINは後味的には天国と地獄の落差だよね・・・」まこ「こわすぎて・・・とても感想かけないのでしゅ~。悲しみ本線出雲2号でしゅ~」エリ「いよいよ夏ですね~・・・夏休み直前・・・お仕事にお勉強・・・みんながんばってほしいのでスー」あんぱんち「林田(水嶋ヒロ)の刑事の勘が炸裂。もう一人キレイなお姉さんがいるはずですとーっ。(爆)・・・同級生(吉田羊)はかなこが姿を見せる前からおびえていた・・・つまり罪悪感があったのね・・・」くう「ふう~・・・スマイルおわって脱力だわ~・・・マイケル死んじゃってちょっとショックだよ~」ikasama4「複雑すぎて・・・なんだか・・・混乱してしまうドラマですね~。なんと・・・そもそも多重人格のような架空の精神病という設定なのですかーっ・・・素人をだますにも程がありますよね~。なるほど・・・天才少女だったのか・・・難しい漢字も軽々分るし・・・テレビからの情報収集だけで相当な知識を得ていたのですね・・・教育テレビ見てれば大学生以上の教養を得ることもできるか・・・そして・・・それは悲しいかな小学生のような心の中で育まれていた歪があるんですよね。きっと。復讐途中なのに指名手配に驚いたりとか・・・か。狂いたくても狂えない強靭な精神力でロッキーのように体力を作り・・・ひそかに射撃の訓練もして・・・脱出の機会を待ってたのか・・・ゴキブリ食べながら・・・これが本当の壮絶な人生の物語なのですな・・・しかし、お茶の間向きとは金輪際言えませんな~大河ドラマの脚本家と足して2で割るといいのかもですな~」
月曜日に見る予定のテレビ『ハンチョウ~神南署安積班』(TBSテレビ)『婚カツ!』(フジテレビ)
ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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コメント
過去記事へのコメント失礼します。再放送で第5話・6話を見たものですから・・・m(_ _)m
"MR.BRAIN"はキムタク主演×脳科学がテーマということで興味は持っていましたが、視聴機会を逃してました。今日初見でしたが、面白いですね!仲間由紀恵の多重人格の演技が素晴らしくて。綾瀬はるかとキムタクの掛け合いなどコミカルなシーンがある一方、内容は重厚というか・・・。女子高生コンクリ事件は今でも胸が痛みますし(被害者の顔写真・実名が新聞にバーンと出たのを今でも思い出しますが)。。
>つまり・・・ドラマにおいては病気そのものがフィクションなのである。
落ち着いて何度か見直し、自分の頭の中で整理しないと読解が難しいドラマですが、今なお定義づけが曖昧な多重人格について“フィクション”としつつ挑んだ製作陣のチャレンジ精神をぜひ買いたい一作ですね。深夜枠でも良いかな、とは思いますが。
投稿: ys_maro | 2009年12月30日 (水) 21時53分
言葉に対する懐疑というものは
キッドの場合は職業的だったり病的だったりするものですが
何よりも言葉は人工的なものであるという前提があります。
「人」という言葉はなくても「人」は存在する。
では・・・「愛」はどうなのか。
あるいは「罪」はどうなのか。
そして「悪」は?
こういう問題です。
キッドは「憎しみ」は存在すると感じます。
それに応じるのがグリーフ(悲哀)です。
女子高生コンクリート殺人事件で
胸が痛むときに感じるものは
程度の差があってもグリーフではないか・・・
とキッドは考えるわけです。
そして、それは犯人たちに対する憎悪を背景に
さらにグリーフを深めていく。
その果てにあるのは絶望なのか
それともお笑いなのか
このあたりが主題なのでございますね。
もう一度整理しておきます。
多重人格の正式な病名は
解離性同一性障害
もしくは
多重人格障害
です。
だから
解離性同一性人格障害
という病気は正式には存在しません。
つまり架空の病気ということです。
人が人と心を通わせるための道具である言葉が
けして万能ではないことを
そこはかとなく漂わせたこのドラマ。
キッドはそこが大傑作だと考えるのでございます。
そうした裏側を感じさせつつ
表面は痛快犯罪捜査ドラマ。
これぞエンターティメントでございましょう。
投稿: キッド | 2009年12月31日 (木) 07時26分