捨てた子供にビンタかよ・・・極道だねえ(黒木メイサ)夏服は手縫いで(佐伯日菜子)
番場の村から忠太郎が出たよ~瞼の母に命の母よ~叫ぶかけ声「おっかさん」~と言えばザ・モップスの「大江戸冒険譚」だが・・・誰が知っているというのだ。
草彅剛は長谷川紳の「瞼の母」を2008年に世田谷パブリックシアターで演じている。
「瞼の母」は博徒である番場の忠太郎が生き別れた母親おはまを捜し求める股旅ものの傑作である。忠太郎は母と再会して冷たい仕打ちを受けるのだが・・・「瞼を閉じれば優しい母の顔が浮かんでくる・・・」と泣かせるのである。
だから・・・今回の彦一の気持ちはすでに心に出来ているのである。
一方、子供を捨てて男と駆け落ちした母親役は倍賞美津子・・・名前はさくらである。
「瞼の母」は昭和5年(1930年)に発表されてからおよそ80年・・・ヒットを飛ばし続け、さまざまにパロディーも生み出してきた。
美津子の妹・倍賞千恵子が寅さんの妹・さくらを演じた「男はつらいよ」シリーズでは第2作でフーテンの寅が生みの親のお菊(ミヤコ蝶々)をたずねるシーンがある。寅次郎(渥美清)もまたお菊に冷たくされ笑わせるのである。
まあ・・・そういう王道な展開で涙をしぼりとりにきたのである。
ちなみに不慮の死を遂げた故・大原麗子は倍賞美津子と同い年だ。すべては歳月だ・・・。合掌。
で、『任侠ヘルパー・第5回』(フジテレビ090806PM10~)脚本・古家和尚、演出・石川淳一を見た。介護施設「タイヨウ」運び込まれた老人・小澤(上田耕一)は半身不随で気難しい男だった。小澤は早く妻を連れて来いと怒鳴り散らす。小澤の妻・さくら(倍賞美津子)は老々介護に疲れ・・・自殺未遂をして入院していた。先輩ヘルパーの和泉(山本裕典)に連れられてさくらを見舞った桜吹雪の彦一(草彅)とブクロのりこ(黒木)の任侠ヘルパーペアだったが・・・さくらを一目見るなり彦一の顔色が変わる。
「忘れたかい・・・28年もたってるからな・・・子供を捨てて・・・今度は男を見捨てて逃げるのかい・・・」
「・・・彦一」
さくらは彦一が七歳の時に夫と子供を捨てて男と逃げた実の母親だった。
母が去った後まもなくアルコール中毒の父親は死に、彦一は親戚をたらいまわしにされ・・・そして気がつけば任侠の徒になったのである。
母への思慕と怨みとで自分を抑えきれない彦一だった。
やがて退院したさくらは施設に現れ、夫の世話を始める。
まだ生い立ちの定かでないメイド・ヘルパー美空(仲里依紗)は「実の母子なんだから・・・話し合えばいい」と彦一にアドバイスするが・・・事情を知ったりこに「あんたに何がわかるんだ・・・」と釘を打たれる。
ちなみに月(直輝・菜月・莉子)火(ルカ・真琴・香織)水(赤鼻・白衣・シルク)とつづく三角関係だが木はりこ・美空に加えて若年性認知症に悩む羽鳥(夏川結衣)も参加して彦一もてもてである。
その羽鳥に「親を捨てた私だけど・・・子供に嫌われたら辛いんだ・・・」と告げられ悩む彦一。
しかし・・・母を奪った男に寄り添う母を見てインナー・チャイルド爆発である。
「子供を捨てて、どんだけ楽しい人生送ってきたか・・・聞かせろや」
養護施設の憩いのひとときをぶちこわす息子の頬を張るさくら。
あまりの仕打ちに母恋しさに流れ流れて幾年月の彦一は泣きじゃくりながら飛び出すのだった。
しかし・・・直後に母親が介護疲れで倒れると母をおぶって夜の街を走り医者をたたき起こす彦一だった。
病室で彦一にわびる母。「どんなにか・・・お前を迎えに行きたかったか・・・でも病気して・・・あの人にも苦労かけて・・・いつの間にやら・・・こんなことになったのさ・・・母ちゃんを許しておくれとはいわない・・・ただ・・・お前にはあやまりたかった・・・それに一目お前をみただけで私はうれしくて・・・もう一度生きようと思ったんだ・・・」
母の無事を小澤に知らせた彦一は小澤にも「君の母親を奪ってすまない」と謝罪される。
しかし・・・彦一は「母の面倒を見てくれて・・・ありがとう」と礼で応じる。
例によって立ち聞きのりこも思わずもらい涙なのだった。
まあ・・・せっかくトイレに連れて行ってもらったのにパンツを下ろしてもらえなかった小澤は粗相確実だけどな。
やがて小澤夫妻は去り・・・彦一の心の傷は少し和らいだようだ。
そして・・・羽鳥涼太(加藤清史郎)は毎日グラタンを作り始めた母に・・・恐怖を感じるのだった。まあ・・・キッドは好きなものなら毎日でも平気だけどな・・・そういう問題じゃなくっ。
関連するキッドのブログ『第4話のレビュー』
『春さらば』
で、『ヒロシマ 少女たちの日記帳・昭和20年4月6日~8月6日』(NHK総合090806PM8~)脚本・演出・岸善幸を見た。連日・・・深夜には「兵士たちの戦争」と銘打ったドキュメンタリーが放送されているわけだが・・・夏だと言うのに戦争ものが少なくないか・・・と思う今日この頃である。しかもこの作品はBSでは1時間50分のプログラムなのに45分のダイジェストなのである。
作品は広島県立広島第一高等女学校の1年生の日記を元にインタビューなどを交えた擬似ドキュメンタリードラマ。少女スターを多数そろえ・・・淡々とその日常を追っていく。
高等女学校1年生はほぼ現在の中学1年生である。つまり・・・彼女たちは1945年4月に高女に入学し、日記を書き・・・そして恐ろしいカウントダウンが行われているのも知らず、人生の素晴らしい季節を春から夏へと生きていくのである。
4月、5月、6月、7月、8月と悲劇の時に向かって生きていく少女たち。
入学早々、副組長に選ばれた石堂郁江(森迫永依)は親友の中本雅子(甘利はるな)とささいなことで絶交するが・・・たちまち仲直り・・・盲腸の手術をした雅子が身動きできなくなって「今、空襲があれば死ぬ他ないねえ」と言えば「私がおぶって逃げるから大丈夫よ」と請け負うのである。
すれ違った男子に恋をした郁江は授業で習い覚えた手旗信号で川をはさんだ土手の上から自分の名前を告げるという微笑ましくも切ないエピソードも残す。
梅北トミ子(山田夏海)は幼い妹の世話をして昼寝の時に胸に置かれた妹の手のぬくもりを日記に書き残す。
物資が不足し・・・夏服は古着を使った縫い直しである。指導する教師を演じるのは貴重な佐伯日菜子だった。
自ら裁縫した夏服を来た少女たちは軍事目的の作業に借り出される。
しかし・・・色とりどりの制服はかえって鮮やかに郁江の目に映るのだった。
あまりにも平穏に時は流れていく。しかし、昭和20年8月6日午前8時15分は無情に訪れるのだった。郁江はその朝も建物疎開の作業に従事した。建物疎開とは空襲により重要な施設に火災が広がるのを防ぐために一部の家屋を解体し除去する作業である。
少女たちは夏服を汚さぬように脱ぎ・・・周辺に置いた。そこは広島に投下された原爆の爆心地からわずか600メートルの地点だった。作業に参加した223人の少女たちは全員が彼岸へと去った。
残されたのは・・・被曝した夏服だけだったのである。
盲腸手術後の痛みのために作業に参加しなかった中本は生き残った。
郁江の恋の思い出についてコメントを求められる老いた中本は「本当にそういうことが・・・あったなら・・・よかったなあと思います」と涙ぐむのだった。
関連するキッドのブログ
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『成海璃子のひめゆり隊と同じ戦火を生きた少女の記録・最後のナイチンゲール』
『被爆者 心の傷は癒えず ~原爆のトラウマ 1300人の調査から~』
『成海璃子のなでしこ隊~少女たちだけが見た特攻隊~封印された23日間』
『福田麻由子の霧の火~樺太・真岡郵便局に散った9人の乙女たち』
『浮浪児たちの東京』
『竹島』
『変貌する日米同盟』
『敗北外交』
土曜日に見る予定のテレビ『華麗なるスパイ』(日本テレビ)『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(TBSテレビ)『真マジンガーZ』(テレビ東京)『リミット・刑事の現場2』(NHK総合)『クライマーズ・ハイ』『夏帆のオトメン(乙男)・夏』(フジテレビ)
ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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