季節はずれの卒業式(大泉洋)私たちの闘いはこれからだ(香椎由宇)あーっ(神木隆之介)
水曜日のダンスは・・・。
「 9係の夫」13.5%↘13.3%↘12.2%・・・・・・・↗12.3%↗13.2%↗13.9%↗15.0%↘13.6%↘12.7%↘11.3%
「芝生の妻」11.4%↘*9.8%↘*9.0%↗10.2%↘*9.2%↗*9.8%↘*8.1%↗*8.5%↗*8.9%↘*8.7%↗*9.5%
「赤鼻のセンセイ」・*9.4%↘*8.9%↘*8.2%↘*7.9%↘*6.9%↗*7.9%↗*8.7%↘*8.3%↘*7.0%↗*9.8%
もう・・・今シーズンはステップバラバラだな。とにかく・・・20%以上いる9時台のお客さんを半分しかいただけない「赤鼻」だったということだ。
で、『赤鼻のセンセイ・最終回』(日本テレビ090909PM10~)脚本・山岡真介(他)、演出・佐久間紀佳を見た。土田英生で始まった脚本家のリレーは根本ノンジ、佐藤久美子、高梨一起を経て山岡と根本で終わりである。かってな推測だが・・・最後は根本はゆうたきいた担当だったのだろう。人は笑うために生きている・・・という結論をいただけばこのドラマは嗤われるために作られたと言えるだろう。
もちろん・・・嗤われるのが嫌な人ばかりではないのでそれはそれで幸せなことなのかもしれない。終ってみれば平均*8.3%でこの枠の前作14.8%の半分ほどの視聴率だがこの時代としてはまあまあなのかもしれないし。
そうなった原因についてはこれまで書き続けてきたのでもういいだろう。
とにかく・・・最後はこれでもかというハッピーエンドである。
職業的なお笑いというものは・・・「人を笑わせてお金を稼ぐ」ということである。よく「笑わせる」のであって「笑われる」のではないというプロの流儀が語られるわけだが・・・受け手は「笑えれば」どちらでもいいのである。
だから「お笑い」と称して笑えなければ嗤われるということだ。
いくつかのボケとツッコミをした後で兄弟愛の話を始めるゆうたきいた(まえだまえだ)は誰がいい話をしろと言った。泣かせてどうするである。
感染症を併発し・・・生死の境を彷徨う急性骨髄性白血病の患者・和田(須賀健太)の耳元でインターフォン越しに「日本史の授業」を行う赤鼻のセンセイ(大泉)・・・。必死の治療をする白衣のセンセイ(香椎由宇)・・・。ここは病院だから生と死はいつも隣り合わせ。
盲腸で入院した時に赤鼻は隣のベッドの患者・漆原(ダンカン)の死に触れる。
しかし・・・その臨終には立ち会わない。この世に「死」のあることを隠蔽するのは・・・優しい配慮であり現実逃避である。
だからインパクトは薄い。しかし・・・それもまた一つの「手」ではある。
そういう意味で実は第1回で和田と八重樫(神木)そして田中(高良光莉)の中学生トリオも「死」に触れている。しかし・・・それはドラマ開始前の出来事でやはり隠蔽されているのである。「仲間である子供の死」に傷ついた彼らと・・・赤鼻が出逢うところからドラマは始まるのである。
「死」の影は彼らの心を暗くする。それに対して赤鼻は三流教師の上に超三流のお笑いのセンスしかないくせにお笑い好きという無邪気な男だった。
長期入院中の子供たちのための院内学級の実質上のボス(校長)であるシルク(小林聡美)が前途を危ぶんだのも当然である。
しかし・・・赤鼻は持ち前の無神経さで・・・子供たちと交わっていく。その過程で彼らの死の影は薄くなり・・・そして赤鼻は少し大人になったのだった。
大人になるということは死の影に慣れ親しむことだからだ。
やがて赤鼻の無邪気さは病院全体に浸みこんで病院は奇跡の空間となっていく。
お笑いの基本に「ボケとツッコミ」があるが・・・この場合の「ボケ」とはピントのずれた「何か」を示す。
たとえば「人間は絶対に死なない」と断言するのは強烈なボケと言えるのである。
なぜなら「人間は絶対に死ぬ」と誰もが知っているからである。
もちろん・・・それが事実とは限らないのだが・・・ここは相対的にそうだということにしておきます。
とにかく・・・赤鼻の愛した子供たちは死神の目を逃れるのである。
そのために白衣は「子供たちにとって病気が治ることだけが幸せなことではないかもしれない」などと医師としてあるまじき妄想にとりつかれる。
さらにシルクは「赤鼻はいい人間だしいい教師だ」と言い出し最後はハグまでする意気投合ぶりなのである。
瀕死だった和田は造血幹細胞移植のドナーが見つかり生存率が高まった。もちろん・・・それでも完治するかどうかは確率の問題である。だが・・・希望の灯は点ったのである。
八重樫は高校進学が決まり・・・院内学級閉鎖に伴う卒業式では退院者として答辞を読む。滅菌室(クリーン・ルーム)にいる和田に「送辞を読んでくれよ・・・掃除のいきとどいたクリーン・ルームから」と気の利いたジョークを言うのである。そのあまりのつまらなさに一同はほがらかに笑うのである。
もちろん・・・それは無理のある笑いだが・・・無理にでも笑わなければいけない瞬間は人生にはつきものなのだ。
その笑いに勇気をもらったダメ院長(上川隆也)は父親(神山繁)に「院内学級」の廃止中止を訴えるのだった。もちろん・・・この父親こそが赤鼻の持つ奇跡の能力を信じ・・・院内学級にスカウトしてきた張本人なのであることはお茶の間の記憶のいい人は知っている。
つまり・・・すべては院長の父親の親バカのなせる物語なのである。
その心底にあるのは「バカな子ほどかわいい」という真理である。
そしてめがねっ娘・田中はめがねをはずしたらかわいいをアピールしつつ、「高校受験」を宣言するのだった。
めでたしめでたしである。これを楽しめた人はそこそこおめでたいと考えます。
花咲き招く明日へのこの道
虹の彼方へ行こう
いつか旅立ち「サヨナラ」する時も
君は笑顔でいてね
原由子にそんな風に歌われたら・・・はにかむしかないのである。
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ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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