野望の果て(小栗旬)出羽退却戦(妻夫木聡)天地人、散る(長澤まさみ)
かってこのように悲惨な大河ドラマがあっただろうか・・・。
キッドの記憶にはありません。
まあ・・・歴史がこうして捏造されていく・・・という生きた証拠としては素晴らしいのかもね。そうかもね。
本編がこうも妄想の産物だと・・・何を妄想していいかわからなくなるわいな。
もう・・・降参したい気分です。石田小栗三成万歳!
で、『天地人・第39回』(NHK総合090927PM8~)原作・火坂雅志、脚本・小松江里子、演出・片岡敬司を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回のあらすじは短めの五行です。まあ・・・あらすじないですもんね。画伯を唖然とさせるとんでも展開の連打。東軍の豊臣方武将が福島正則と小早川秀秋しかいない不思議。仕置き場に石田三成がいるだけで安国寺も小西もいない不思議。いつまでたっても景勝の家来が上田衆しかいない不思議。兼続の息子がクローン人間である不思議。お仙の遺伝子はどうなった。画伯がついに視聴拒否の姿勢。そしてお茶の間への視聴拒否のススメ。だけど視聴率はまだまだ↘19.5%の怪。わはは。わははは。わははははは(発狂)。揚北衆不在をお嘆きの方は本庄繁長の秘密で溜飲をさげてください。
関ヶ原の戦いに前後して豊臣秀吉の正室・北の政所と側室・淀の方との代理戦争である東西陣取合戦が各所で繰り広げられた慶長五年(1600年)の夏~秋。北陸では前田利長(東軍)が丹羽長重(西軍)を打ち破り、信州では徳川秀忠(東軍)を真田昌幸(西軍)が足止めした。九州では黒田如水・加藤清正(東軍)が大友吉統(西軍)を打ち破る。奥羽でも伊達政宗・最上義光(東軍)が上杉景勝・豊臣兼続(西軍)と領地争奪を繰り広げる。上杉は越後でゲリラ戦を展開しつつ出羽併合を目指し、伊達政宗は北陸奥でゲリラ戦を展開しつつ会津奪還を目論む。どちらも来るべき徳川の世に東北の覇者として対抗する意図は明確だった。しかし、結果としては傷み分けに終わり、守勢にまわっていた最上家が一時の漁夫の利をおさめることになる。
敗残の将・石田三成は伊吹山中を彷徨っていた。付き従った犬神衆も落武者狩りの群れに一人討たれ二人討たれと脱落し・・・もはや三成ただ一人となっている。関ヶ原で圧倒的勝利をおさめた東軍は二手に分れ、家康の叔父である水野勝成は徳川旗本衆2万などを引きつれ大垣城に向かい調略により篭城勢を壊滅させる。小早川金吾・福島正則など東軍主力は佐和山城を力攻めにして石田一族を殲滅した。佐和山を目指した三成が見たのはすでに炎上する城の姿である。三成は山中を抜け大坂を目指す。
家康自慢の隠密忍びたちは総掛りで三成を追う。三成は逃亡中もその人気のなさを露呈する。国税役として酷吏でならした三成は農民たちに怨まれていた。行く先々で追いたてを食らったのである。
餓えに耐えられず生米を食った三成は腹を下し・・・発熱した。
闇の中を亡者のように歩く三成の前に鬼火が浮かぶ。腸を撒き散らしながら怨みのこもった目を向けるのは豊臣秀次であった。三成は口を大きく開き、恐怖の声をあげる。「佐吉・・・怨むぞ・・・己が栄達のために・・・この秀次を貶めた・・・そなたの悪行・・・よもや忘れはすまいの・・・」三成は幽鬼の如き秀次に追われ、腰を抜かす。その周囲には血まみれの女子衆がわらわらと沸き起こる。秀次の愛妾たちは血膿を流しながら三成の手足にまとわりついてくる。三成は絶叫しながら草木の間を這い逃げる。しかし・・・そこには首を抱えた茶人が立っていた。「三成殿・・・風情を知らぬ御主にわが首預けるゆえ・・・みごと茶室に飾ってみせよ・・・如何・・・如何」・・・それは千利休だった。法華宗徒である三成は思わず「南無妙法蓮華経」の題目を唱える。しかし、亡霊たちは去る気配もなく三成の周囲を埋め尽くしていく。三成は叫んだ。「お助けを・・・お助けをーっ」
その叫びを聞いた服部半蔵影兵衛は半狂乱のままのたうちまわる石田三成を捕獲した。
関ヶ原の戦い前日に京極高次(東軍)の大津城を陥落された立花宗茂(西軍)は関ヶ原の敗報をきくと大坂に撤兵した。焦土とかした大津を抜け、東軍は京の都から伏見城へ向かう。西軍の伏見屋敷は放火され、東軍諸々の部隊は略奪に励む。敗者を蹂躙するのは世の習いだからである。家康はそれを止めない。今はこの破竹の勢いで大坂を飲み込まなければならないのだ。
家康は秀頼を盾として西軍が大坂城篭城に決することを危惧していた。
しかし・・・西軍の主将・毛利輝元は所詮・・・青二才だった。家康に篭絡された吉川広家の言に従い・・・大坂城をあっさりと受け渡した。輝元は東軍の凄まじき戦ぶりの噂が恐ろしかったのである。
家康は大津城廃墟の本陣で石田三成捕縛の知らせを受けた。すでに秀忠軍が大津に着いている。家康は遅参した秀忠軍を無視していたが・・・この時、ようやく秀忠の参謀としてつけていた本多正信を呼び出した。
正信は「まずは大勝利おめでたきことでございまする」と挨拶した。家康はただ一言応じた。「三成め・・・腰の定まらぬ男と思っていたが・・・あろうことか・・・狂を発しおったわ・・・」
正信は無言で応じた。家康はつぶやいた・・・。「さてもさてもここからの仕上げが肝心であろうず」・・・正信は平伏した。
大坂の真田忍軍は二手に分かれていたが・・・関ヶ原の敗報を受けてひとまず忍び頭初音の元へ集っていた。
彼らの任務は縁ある家の女子衆の警護だった。また・・・落武者たちを落ち延びさせる必要もあった。初音は忍びたちの情報を精査して・・・処置を行う。
「才蔵、小助・・・。上杉の武田夫人(菊姫)をお守りするのじゃ・・・」忍びたちは命ぜられるままに配置についていく。「清海殿、伊三殿・・・宇喜田様が落ち延びられたそうじゃ・・・大坂湊にて船を手配しておくれ・・・。薩摩衆とは話がついておる・・・」忍びたちは再び散っていく。「ぬかるでないぞ・・・徳川の忍びたちがまもなく大坂に入り込んでくる・・・この一日が勝負ぞ・・・」初音たちは敗れた大名の命を金で売り買いしていたのである。忍びにとって大合戦は稼ぎ時なのである。
その頃・・・兼続は出羽・長谷堂城を包囲していた。上杉景勝の戦略は概ね順調に推移している。庄内地方を発した上杉志駄軍は最上川流域の最上氏諸城を順次攻略しつつ山形城に北川から迫っていた。兼続は上杉主力を率い最上義光の篭る山形城の支城を攻める。伊達勢は伊達政宗が岩出山城を出陣し北目城(仙台)まで出張っていることが判明しているがこの時点ではまだ動きはなかった。
伊達勢は緒戦で甘粕景継の白石城を亘理城を発した猛将片倉重綱が陥落させた後は沈黙を守っている。
山形城を囲む支城のうち、北の畑谷城を落とした兼続は別働隊に南の上山城を襲わせている。1000人に満たない守勢の上山城を別働隊一万が陥落させれば、合流して一気に長谷堂城を抜く算段だった。そうなれば山形城は丸裸となる。
緒戦で白石城を失った甘粕は兼続隊に合流し・・・早期の力攻めを主張する。
「長谷堂ごとき小城をなんで悠長に包囲しておるのだっちゃ・・・庄内勢もそこまできておるがそんだなもの待つ必要もないだろうす」
「待て待て・・・まもなく上山が落ちるだべ。しょれから案配するっぺさ」
しかし・・・上山城は落ちなかった。それどころか城主里見氏の奇襲に大損害を出す始末だった。痺れを切らして長谷堂城に突出した甘粕軍は城代・志村氏に手痛い反撃を食らう。兼続たち上杉主力の兵は会津・米沢などの新領地のものが含まれている。統率に問題があると同時に・・・十年の平和が・・・上杉軍の弱体化を進ませていたとも言える。
兼続は考える。「上杉勢の強さが張子の虎になっていると知れたらえらいことだんべ」
しかし・・・結局は兼続に用兵の才が徹底的に欠けているという見方もある。その証拠に本軍の留守中に黒田如水は百姓をかきあつめて九州を制覇する勢いを見せているのである。
その兼続の元に軒猿から知らせが届いた。関ヶ原にて西軍敗れるの報である。狼煙を駆使した速報だ。兼続はたちまち「こんな戦はしとうなかった」的パニックに陥った。同時に伊達政宗・留守政景兄弟の主力軍が最上城にいる母・義姫の要請で山形城に向けて動きだしたことが判明する。
兼続は「退き陣じゃ・・・」と叫んだ。烏合の衆となった上杉勢は一挙に崩壊する。兼続は会津・米沢勢を囮に残し、旧・越後勢を引き連れて神速で撤退した。山形周辺まで進出していた上杉庄内勢も最上衆の反撃に合いたちまち退却する羽目となる。
兼続は逃げに逃げ主城である米沢城も捨て、会津若松城まで逃げた。
「そっだなばかげた戦のしようがあるか・・・へたれのたわけもんがっ」福島城の本庄繁長はこの兼続の逃げっぷりをバカな子ほど可愛い表情を見せつつ一言で吐き捨てた。「そうれ・・・ものども・・・本気もんの上杉謙信公の戦ぶり・・・伊達に目にもの見せるのはオラだちよ。ふんどすすめてかがれ」
総力を結集して福島城を攻め立てた伊達勢は本庄繁長の手荒い反撃に合い撤退を余儀なくされる。こうして・・・出羽合戦は幕を閉じた。上杉勢は伊達に白石城を最上に酒田城を奪われ局地戦的にも敗北したのだった。
景勝は歯軋りした。「天下の上杉も地に落ちたわ」
上杉家に残された手はひたすら恭順し家康に謝罪することだった。
家康の関東守備隊長は豊臣(結城)秀康である。景勝は秀康に家康へのとりなしを文書で申し込んだ。「同じ豊臣の家臣としてどうかお慈悲におすがりしたく一筆したためまして候・・・」
関連するキッドのブログ『第38話のレビュー』
火曜日に見る予定のテレビ『成海璃子の三日月・第一夜』(TBSテレビ)
ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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コメント
いやぁただただオドロキですね。
公共の電波で
宗教の勧誘をやってるのかというような内容ですねぇ。
これをNHKがやっているというとこに
ある種の怖さを感じさせます。
「友愛」の精神で何でも自分が正しいみたいな
政権交代の影響もあるのかと変な
かんぐりをしてしまうくらいですね。
こんなのを後1ヶ月以上見続けたら
ゆとり教育途上の方々は簡単に洗脳されそうです。
あ~怖い怖い
これは視聴拒否をしないと更なる被害が拡大されそうな予感
まぁ長谷堂城はかつて伊達植宗が落として
最上が伊達の属国のきっかけとなった城であり
後に最上が伊達から奪い取り、それによって
最上家が伊達の傀儡になる事を阻んだきっかけとなった
城でもありますからね。
上杉(兼続)は長谷堂城を甘く見てたんでしょうね。
こーゆーのを見ると気位だけは謙信並
実力に関しては武田勝頼未満ってとこですかね。
┐(´ー`)┌
投稿: ikasama4 | 2009年9月29日 (火) 00時22分
✥✥✥ピーポ✥✥✥ikasama4様、いらっしゃいませ✥✥✥ピーポ✥✥✥
一説によると石田三成は
捕縛されてから斬首されるまで
一言も喋らずほとんど寝たきりだったそうです。
現代風に解釈すれば
敗戦のショックでうつを発症した・・・
ということになるのかもしれません。
家康は温情家でもあり
形式主義者でもあったので
捕縛後の三成の言動は
敗軍の将として
それらしく
整えられたものだと
キッドは妄想しています。
つまりすべては伝聞で
小早川には「裏切り者」と三成が
言っていたそうな・・・みたいな。
豊臣方諸将には三成が
「柿は体に触るから食わぬ」と言っていたそうな。
こんな感じです。
家康は一向一揆に手を焼いたけれど
自信も浄土宗門徒ですから
念仏を唱えさせると三成は
「念仏などいらぬ」と言ったそうな・・・なわけです。
まあ・・・とにかく
三成が武運拙く負けたということは
間違いないでしょうが
それがどういうことなのか・・・
もう少し噛み砕いてくれないと
大河ドラマの存在意義が根底から
くつがえりますよね。
もう・・・驚愕の関ヶ原その後で・・・。
異次元空間か・・・
涼宮ハルヒが時空を捻じ曲げているのか・・・
と目をこすらずにはいられませんでした~。
とにかく数倍の兵力で負けた兼続と
数分の1の兵力で勝った繁長。
この二人の戦における将器の違いだけは
せめて妄想でお伝えしたい所存でございます。
ひょっとこ斎出番なし。・゚・(ノД`)・゚・。
投稿: キッド | 2009年9月29日 (火) 04時15分