座頭教師見参!(佐々木蔵之介)正々堂々と勝負しなさいよ(村川絵梨)
ハンディキャップ(不平等な条件)には二重の意味がある。
ひとつはある特定の人々が大多数の人々よりも不利な立場に置かれているということだ。
もうひとつはゲームのルールとして強者を不利に弱者を有利に導く規定である。
前者の代表として身体の不自由な人々や、知能の不自由な人々あるいは資産に恵まれない人などがいる。
後者の代表として競走馬はレース結果の予測を混迷させるために錘を背負ったり背負わなかったりする。
前者は立場の違いというものをどのように認識するかと言う問題である。
後者は人間が勝負の白熱を好むという傾向を示している。
これもまた微妙な問題でキッドの口が憚る分野である。
これを公の場で口にする場合はなぜか「弱者保護の立場」であることが望まれる。たとえば「身体障害者は人の迷惑にならないように大人しくしているべきだ」と言ってはいけない不文律があるわけだ。そこがなるべく自分を無責任でニュートラルな立場に置きたいキッドの本心を刺激するのである。なぜなら平和共存の美名は弱肉強食の自然の掟を圧殺しがちだからである。
作家の中にはあえて・・・この美名の表明にチャレンジするタイプがいて・・・キッドがそれを評論するとどうしてもきわどいタイトルが浮上する。
そういう時のキッドは実は怯えているのです。こわいのです。おっかなびっくりです。
で、『チャレンジド・第1回』(NHK総合091010PM9~)脚本・渡邉睦月、演出・国本雅広を見た。脚本家は「ケータイ刑事」シリーズで知られるが、XP(色素性乾皮症)患者を扱った「タイヨウのうた」(2006年)も担当している。「ドリーム☆アゲイン」では志田未来が重度の心臓疾患だったし、「恋空」は原作ありだがほとんどの登場人物が知能に問題があるような状態で・・・ハンディーキャップものが大好きなのだと思う。
中学の国語教師・塙啓一郎(佐々木)は数千人に一人の割合で発症するといわれる網膜色素変性症となり中途失明者となる。成人してからの失明であり、生まれつきの障害者とはまた別のハンディーキャップを背負うことになるのだ。
啓一郎には妻子があり、専業主婦であるらしい幸子(富田靖子)は失明した夫を優しく保護するのだった。経済的にはそれほど多くを望まないタイプなのである。啓一郎は教職に異常なこだわりを持っており・・・盲目になったら教壇にたてなくなると絶望する。
しかし、妻の励ましによってとりあえず盲人としての訓練を受け、盲導犬ポン太も得て、日常生活に支障がない状態まで社会復帰する。
鍼灸師やマッサージ師の職業訓練を推奨されるが啓一郎はあくまで教職への復帰にこだわるのだった。
しかし、競争社会の激しい都会では教師のハンディーキャップは生徒のハンディーキャップに直結し「盲目の教師に教えられてウチの子の成績が下がったらどうしてくれるのザマス」という正論が通るので全盲という障害をかかえた教師の再就職は困難なのだった。
そこである意味マジシャンである幸子は出身地である静岡県に「全盲の教師を受け入れてくれる校長先生がいる」と朗報をもたらすのだった。おそらく、幸子の実家は資産家で親は県の教育委員会などにも顔が利く実力者なのであろう。
そのために全盲の教師・啓一郎が誕生するのだった。
おかげで・・・副担任から担任に昇格の決まっていた若い教師・新谷京子(村川)は昇格を取り消されるのだった。校長の花村(西郷輝彦)には幸江の実家から相当な経済的見返りがあったのである・・・おい・・・いい加減にしておけよ。
だから・・・まあ・・・京子が啓一郎に①タイムカードの捺し方を教えない。②教室の場所を教えない。③読めないと知っていて生徒の資料を渡す。 ④ホームルームで揚げ足をとるなどの意地悪をするのは生存権を賭けた戦いをしているのであってまったく悪くない。それなのに「ハンディキャップを持った人間に優しく出来ない人間としての未熟さ」風に描かれていると受け取られてはたまったものではないのだな。
その証拠に態度をあらためるのは京子ではなく、啓一郎なのであった。
「皆さん・・・私は目が見えないので・・・どうか助けてください」と頭を下げるのである。
利害関係の薄い教師たちはどうやら実力者と裏でつながっているらしいこの迷惑な全盲の教師を受け入れることにする。しかし、まだまだ長いものにまかれることを潔しとしない京子の反抗姿勢は続くのである。がんばれ、京子・・・目の見えない教師になんかに負けるなよ~。
反面教師と言う言葉があるが・・・あんな先生にだけはなりたくないという見本として役立つのである。しかし、生徒が自分にハンディキャップがあると卑下するタイプだった場合、ハンディキャップのある教師はストレートに有効だったりするだろう・・・というのがこのドラマのゴリゴリに押してくるテーマである。
今回、脚光を浴びるのがパニック障害を苦にする生徒・奥寺(小池里奈)だった。自分の障害を他人にとって迷惑だと考えて萎縮していた奥寺は啓一郎が「目が見えないんだから助けてもらって当たり前」とふてぶてしい態度をとるのを見て、「よし、私も」とやる気を出すのである。そのたくましさに涙を禁じえません。
まあ・・・人間、いつ全盲になったりパニック障害になったりしてそういう身の上になるかもしれないのだからバリアフリーの社会を作ることは機能的であるという考え方もありますがそんなの知ったことじゃないという考え方もあっていいのではないかとキッドは時々考えます。まあ・・・自分の気持ちが楽な方の考え方をチョイスすればいいということです。
人間の運命は考え方ひとつで変わる場合もありますし・・・たとえば障害を得るかどうかは選択の余地なしだったりします。
キッドは自分が不幸を感じたときは神を呪うことにしています。
なんだって・・・「セイラ」も「サムライ・スクール」も来週スタートなんだよ・・・触れたくもない部分に触れちゃったじゃん。神めぇぇぇぇぇぇぇっ。
ま、たまにはいいか。
関連するキッドのブログ『タイヨウのうた』
月曜日に見る予定のテレビ『税務調査官・窓際太郎の事件簿19』(TBSテレビ)
ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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