壊れかかる世界で流れる砂時計(夏帆)愛の呪いの話(岡本杏理)
さて・・・TBSテレビががんばって師走の深夜邦画特集をしているのである。
「長澤まさみのそのときは彼によろしく」から「夏帆の砂時計」ときて「市川由衣のNANA2」というラインナップ・・・。ものすごく微妙だぞ。
少し間を置いて黒沢清の「叫」年明けに「四日間の奇蹟」そして「綾瀬はるかの僕の彼女はサイボーグ」である。
なんとなく、テーマなきオールナイトみたいな感じ。まあ・・・年末純愛祭り、年始ファンタジー祭りなのか。
今回は久しぶりにバラエティー・ショーでもレビューしようと思ったのだか・・・なんとなく軽い気持ちで砂時計にしておきます。
で、『砂時計(2008年公開)』(TBSテレビ091224AM0010~)原作・芦原妃名子、脚本・監督・佐藤信介を見た。柴咲コウの主題歌「ひと恋めぐり」でおなじみのドラマ版(2007年春の愛の劇場全60話)はベタベタの少女マンガ&昼メロ展開で一部愛好家を熱狂させているわけだが、その要素を121分でまとめあげるというのはものすごいチャレンジである。・・・その結果、ある意味ものすごく意味不明の作品に仕上がっていてそこが面白い。
ドラマ版の主人公・杏は美山加恋→小林涼子→佐藤めぐみというかなりゴージャスなリレーなのだが、映画版は夏帆→松下奈緒である。
もちろん、凄いのは中学生時代が巨乳で大人になると微乳になるというキャスティングの妙である。まあ、成長とともにそうなることもあっておかしいことではない。いや、松下だってB82なので貧乳というわけではないのだな。
・・・いい加減にしときなさいよ。
杏は両親の離婚によって母親(戸田菜穂)の実家である島根に都落ちする。もちろん、都会から田舎に来たのでものすごく残念な気分になるのだが、田舎の少年・大悟(池松壮亮→井坂俊哉 )に初恋することで気をとりなおす。
しかし、精神的に問題のあった母親は杏を残して自殺してしまう。
杏「私も連れてって」
母親「ダメよ・・・あなたは留守番してなさい」
と言い残して去っていった母。杏は形見の砂時計を遺影に投げつけるのだった。
杏「いくじなし」
しかし・・・杏の心はこの日に負った傷を大人になっても克服できないのである。
子供を残して自殺というのは一種の子捨てであろう。
親が子供に対するひどいこととしては子殺しというものがあるが・・・「捨てられるのと殺されるのとどっちがいい?」と親に問われる子供はきっと困るだろうなぁ。
そういえば今日の朝刊にはこんなニュースが乗っていた。
「宮城県警大河原署などは22日、12歳だった娘に性的行為をさせたなどとして、児童福祉法違反の疑いで母親の無職の女(37)を追送検した」
母親に「捨てられるのと売られるのとどっちがいい?」と親に問われる子供もきっと困ると思う。
そんな「白夜行」みたいなことが現実に起こると「白夜行」というフィクションがいけないみたいなことになるのか・・・恐ろしい気持ちになります。
まあ・・・想像するだけでも胸が痛い出来事である。しかし、それが子供の心理にどんな影響を与えるかは人それぞれなのである。
しかし・・・母親に自殺され・・・祖母(藤村志保)と二人暮らしを始めた杏は鬱屈し、その鬱屈の中で溺れるタイプの女の子になっていく。
そんな杏を大悟は懸命に支えるのだが、杏の心は大悟を愛されれば愛されるほど不安定になっていくのである。
それはそれとして早熟な杏は大悟と肉体的にも早めに結ばれてしまう。
そのきっかけを作るのは共通の友人・藤(塚田健太)の杏に対する片思いである。
大悟に不貞を疑われた杏は即座に体を奉げるのだった。
しかし、杏の精神は不安定で「母親の死体が発見された夜」を毎夜夢に見る。
大悟はそんな杏を慰めようとするが、杏は自分の特殊性を否定する大悟にさらに傷ついてしまう。そのために二人の間は穏やかではないが大悟は杏を神のように崇めているために誠心誠意を尽くすのである。
「一生一緒にいてやるわ・・・」
大悟の献身に心の平穏を感じ始めた杏だったが、別居していた父親(風間トオル)が現れ杏を東京に引き取る。二人は遠距離恋愛になってしまう。
再び不安定になる杏。
突然、島根に戻って大悟に甘えたくなるのである。
そんな杏に対して大悟に片思いしている椎香(岡本杏理→伴杏里)は「杏はいつでも自分のことばかりで大悟がどんなに傷ついてもお構いなし」と指摘する。
母親の死の呪いによって心に闇を抱える杏は・・・その闇がいつか大悟をも巻き込んでしまうのではないかと恐れ・・・別れを決意する。
杏「真っ黒い砂に大悟を引きずりこんでしまうよ」
大悟「望むところだがや」
杏「そんなのだめ・・・だから別れる」
大悟「なんや・・・それ」
こうして二人は別れ・・・十年の月日が流れた。
二人を結びつけた藤と破局させた椎香は兄妹である。兄妹はそれなりに幸せになったが・・・大悟は島根で孤高を貫いている。
一方、杏は母親の死の呪いと好きな人と別れた呪いの二つを胸に渦巻かせつつ、流れるままに押しの強い男(高杉瑞穂)と婚約してしまう。しかし、杏が母親の自殺を隠していたという理由で男は一方的に婚約を破棄するのだった。
そのショックが背筋から這い上がった杏は幻想の中に投げ出され母親を追いかけて知らぬまにリストカットをするのである。
血まみれになってようやく正気を取り戻す杏。しかし・・・失血のために砂浜を血に染めて倒れる。
それを発見し救命する大悟。おそらくストーカーとして杏を影からそっと見守っていたのであろう十年間なのであった。
意識を取り戻した杏はようやく砂時計の呪縛から解放されたことを知る。
思い出の場所へ舞い戻る杏の大悟。
大悟「俺はいつもいつもお前を幸せにしようと思ってきた・・・でもそれは間違ってた・・・お前が俺を幸せにしてくれ・・・」
杏「・・・まかせといて」
二人はようやく愛がお互い様であることに気がつくのだった。
しかし・・・そんな二人を巨大な砂時計が冷酷な目つきで見下ろしている。
帰りたくなったよ
君が待つ家に
聞いて欲しい話があるよ
笑ってくれたら嬉しいな
砂時計はゆっくりと口を開き、黒い砂を二人の上にそそぐのだった。
どんなに素晴らしい愛もやがて時の彼方に消え去って行くのである。
しかし・・・つかのまの幸せがあればそれはそれで素敵なことなのだね。
関連するキッドのブログ『オトメン』
金曜日に見る予定のテレビ『浅田真央の全日本フィギュアスケート』(フジテレビ)『天国の本屋・恋火』(テレビ朝日)『相武紗季の古代エジプト』(NHK総合)
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皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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コメント
キッドさん、お久しぶりです。
「砂時計」は昼ドラ版は見てましたが、どうもメロドラマ過ぎてうーん…でしたが、映画もあったとは。それにしても赤坂サカスは映画目白押しのお腹いっぱいな編成ですよね。今日だけで映画「花男F」&「NANA2」という(花男Fニュース中断なんてあまり前例が無い気が^^;)。
話は変わりますが、チャンネルα枠でブザビをやってて、つい見てしまいます。結局グダグダで最終回14%を迎えた「東京DOGS」を見た後だけに(?)、演出と脚本の秀逸さがやっぱり際立ってます。
あと、今年中に1つお聞きしたかったのですが、前にキッドさんが「演技の基本は棒読みなんだから、役者を“棒”と表現するのはおかしい」旨コメントされていた覚えがあります。私はズブの素人なので、
投稿: ys_maro | 2009年12月24日 (木) 16時12分
(※先ほど送信したコメントの続きです。途中で送信してしまいました、すみません)
------
『演技の基本は棒読み』の詳細についてご教授頂けると嬉しいです。
投稿: ys_maro | 2009年12月24日 (木) 16時14分
♬♬♬のだめデスヨ♬♬♬ys_maro様いらっしゃいませ♬♬♬のだめデスヨ♬♬♬
ドラマもどの段階の杏が好きか・・・で好みが分かれますね。
映画版はダイジェストのように見えて
実は病的な心理を描いたサイコスリラー。
主人公をも狙う殺人鬼が他人ではなくて
主人公の中に潜んでいるという趣向です。
・・・いやちがうだろうという意見ももみとめます。
年末に深夜映画は
なんでもいいからうれしい感じがします。
ちょっとB級だったり
見損なっていたり
駄作だったりという作品でも
それなりに味わい深く感じられますし。
だから特に邦画がよりよい気がしますな。
ブザビと東京犬は比較するのもつらい感じがしますです。
そうですか。棒読み問題をお知りになりたいですか。
なるべく手短にトライしてみます。
まず、棒読みには次の意味があります。
文章を区切りや抑揚をつけずに一本調子で読むこと。
漢文を返り点に従うことなく音読すること。
最初に後者を説明しましょう。
漢文とは中国語の文章で
棒読みは本来の読み方です。
たとえば我来晩了。
オーライワンラと読みます。
これを私は遅刻して来ました。
と日本語で読み下すことは
ただ日本人が理解しやすくするためです。
つまり棒読みの方が正しく知的ということです。
つまり棒読みには「わかりやすさ」の問題が
含まれています。
さて、一般的に素人が下手の代名詞として
誤用する棒読みは
おそらく
一本調子で読むこと。
・・・このあたりの解釈によるものでしょう。
その前に同様な無知からくる勘違いに
「関西弁の発音がおかしい」
という意見があります。
たとえばドラマで関西弁のセリフが
あった場合に
「自分の聞き慣れた関西弁とちがうという違和感を感じる」
という思い込みがこういう信念を生み出します。
しかし、たとえば関西弁に標準はあるのでしょうか。
キッドは聞いたことがありません。
たとえば河内弁も京都弁も浪速弁も和泉弁も
それぞれに関西弁と総称されますが
それぞれに独特の特徴を持っていると
考えることもできます。
さらに言えば大坂のキタとミナミでは
もう違うニュアンスを持っています。
ついでに言えば一軒一軒で
もう違う方言が存在するのです。
つまり総体としてどこにもない「関西弁」というものを
発言者はあると誤解して
「特定のセリフ回しを変な関西弁」と言っているわけで
実にいいボケなのです。
キッドはこういう発言を聞くと
またバカがバカを言ってるなぁとうれしい気持ちがします。
さて、そういう意味でキッドが素人がプロに向かって使う
「棒読み」に対してどういう印象を持つのか察してもらいたいと思います。
次に一本調子とは何かということになります。
まず、「セリフをかむ」という言葉がありますね。
「すき」と言うところを「ちゅき」と言ってしまったり
「す、す、す、き」と言ったり
こういうとちり(失敗)です。
一本調子は「かまない」ということです。
さて、一本調子には調子が含まれます。
これはリズムですね。
一本調子というのはリズムが一定ということです。
音楽でいえば正確に刻まれるリズムと
不確かなリズム・・・どちらが
技量を要求されるとおもいますか?
もちろん、変則的ということは応用としては
次の段階で必要になります。
しかし、あくまで正確なリズムを刻むことが
できてこその複雑さへの進化になるわけです。
つまり、棒読みができなければ下手だということです。
「ぼ、ぼくはぁ・・・か、彼のえ演技ははは棒読みだだとおも思う」
こういう感じで見下ろしたいわけです。
この他にも
イントネーション(音階)の問題や
強さのアクセント(音量)の問題もあります。
サウンド・クオリティー(音質)という声色もあります。
もちろん、棒読みができてこその
応用の問題ですし
演技としての自然さを示す
洗練された非棒読みというものもございます。
しかし、それを見極めるためには
相当な修練を要するのは間違いないでしょう。
だから素人が棒読みなんてことを言い出すのは
音痴がメロディーを語るような
愚の骨頂だということです。
ご清聴ありがとうございました。
投稿: キッド | 2009年12月25日 (金) 00時35分
キッドさん、ご丁寧に教えて頂いてありがとうございます。なかなか興味深いアプローチで、じっくり読みました。
昔、朝ドラで純名里沙ヒロインの「ぴあの」ってあったと思うのですが(純名里沙が好きな私は未だに「ぴあのちゃん」と呼んでしまうんですが)、知人が“父親役・宇津井健の関西弁がおかしい、不自然だ!”といちゃもんをつけたのです。私はそうは感じず、「一体どういう演技が自然、上手なのか?不自然、下手なのか?」と錯乱した覚えがあります。総体無き括りに錯乱させられていたわけですね(^^;。
正確に刻まれるリズムの喩えですが、音楽に疎い私でも正確にベースを弾くのは確かに難しい、というより技量必要ですね。素人目だと応用に目が行きがちですが、NHK-BSのノンプロバンドが演奏を披露する番組で、審査員のつんくが「あなたが奏でる一定のベースがすばらしい」と複数回褒めていたのを思い出します。
ところで、年末深夜に見る「NANA2」ってなかなか乙なものですね。新宿東口で骸骨マイク片手に『一色』を熱唱するナナの姿、年頃の女の子だったら確実に憧れていただろうなぁ、などと勝手に痺れておりました(笑)。
投稿: ys_maro | 2009年12月25日 (金) 02時58分
♬♬♬のだめデスヨ♬♬♬ys_maro様いらっしゃいませ♬♬♬のだめデスヨ♬♬♬
ナイスな実体験例のフォローありがとうございました。
まあ、違和感というのは個人的なもので
たとえ、同意を得ても
同じように感じているとは
限らないというのがミソなのでごさいます。
ものすごく訛っている人が
「俺ってそんなに訛ってないよな」
と言う場面にキッドは何度も遭遇していますが
キッドが思っているほど
訛っていないのかもしれない・・・と
自重するようにしておりますよ。
キッドは学生時代に指揮をしたことがありますが
ものすごくあがってしまい
ものすごく変則的な仕上がりになって
石を投げられた過去があることを告白しておきます。
ふふふ・・・主役チェンジで
いろいろあった作品ですが
年末深夜に見ると
乙になってしまうというマジックが
確かにございますでしょう?
投稿: キッド | 2009年12月25日 (金) 06時00分