海行かば水漬く屍山行かば草生す屍大仏様もしかと見よ(石原さとみ)
「万葉集」で有名な歌人・大伴家持(中山麻聖)は大仏開眼の年(天平勝宝4年)、34才だった。
大伴一族は代々、武人の家柄である。
聖武天皇が大仏の建立を開始した後に、陸奥の黄金出土の報に接し、寿いだ歌の中に天皇への一族の忠誠を誓うこのフレーズがある。「海行かば水漬く屍山行かば草生す屍」になって天皇に尽くすことこそ己の宿命であると歌うのである。
貴族たちが皆、心を一つにして和すれば・・・その願いは叶うのであるが・・・そうは問屋が卸さないのである。
天皇、すなわちスメラミコトの権力に欲望を増幅され、我を失うものは後を絶たないのだった。
で、『大仏開眼・後編』(NHK総合100410PM0730~)脚本・池端俊策、演出・田中健二を見た。仏教布教推進派の聖徳太子と神道保守派の物部守屋が雌雄を決したのは用明2年(587年)のことである。大仏開眼を752年とするとおよそ165年前のことである。聖徳太子は蘇我氏系の皇太子であるから、用明天皇の崩御によって起こる物部守屋の乱は蘇我氏と物部氏という豪族同士の戦でもあった。
古代豪族は一種の独立国家勢力である。天皇家もある意味では王家という豪族に過ぎない。
しかし、卑弥呼以来、大陸の権力に準拠した王制が根付き、その支配範囲を拡大するにあたり、王の中の王、つまり大君(大王)が選出されるというシステムが形成される。
やがて、それは天皇家という血族に結晶するのである。
天皇家の大王権は甚だしく不安定で、継体天皇のように全く別系統の王朝が開始されることも稀ではない。
豪族・蘇我氏聖徳太子の王権は彼の死後、中臣氏によって滅ぼされ、藤原(中臣)氏が台頭する。聖武天皇にあっては母も藤原氏、妻も藤原氏といういわば藤原王朝と言うべき状態にあった。
その皇女で女帝として君臨する高野姫天皇(安倍内親王→孝謙天皇→孝謙上皇→称徳天皇)は当然の如く、藤原氏とは切っても切れない縁で結ばれている。
ドラマの中で高野姫天皇(石原さとみ)は「天皇家ではなく、臣下の家に生れたかった」などともっともらしく語るのだが、彼女が女性ではなく男性だったら・・・日本の歴史は変わっていたようにも思える気配もある。
高野姫天皇即位後も聖武太上天皇の寵愛した橘氏の隆盛は続くが、聖武が崩御するや、乱が発生し、橘諸兄の後継者である橘奈良麻呂は藤原長者の仲麻呂に成敗されてしまう。
藤原仲麻呂はやがて恵美押勝として権勢を振るうが、その背景には叔母である高野姫天皇の母・光明皇太后の力がある。
高野姫天皇は孝謙天皇、孝謙上皇として恵美押勝を利用するが、光明皇太后(浅野温子)が崩御すると藤原氏からの独立を図り、恵美押勝を駆逐するのである。
それを道鏡との道ならぬ恋の結果だと考えることも自由だが、実際の高野姫天皇はその後に称徳天皇として独裁政治を行うことになるのである。
ちなみに・・・道鏡は物部守屋の子孫である弓削一族の出身である。
物部氏を蘇我氏が滅ぼし、蘇我氏を藤原氏が滅ぼし、そして亡霊のように物部氏が藤原氏に牙を剥いたのである。
本来、藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱は仲麻呂が道鏡との色欲に溺れ、政道を乱した高野姫天皇への忠告に端を発するのである。
しかし、ヒロインが色情に狂った女帝ではお茶の間向けロマンとしては相応しくないと考えたのかこの物語は弓削の道鏡の存在については一切スルーなのである。
まあ、爆笑(多重人格による)でございます。
実は大伴家持は橘派に属し、絶頂時代の仲麻呂に対しては謀反を企てたりしている。
光明皇后崩御、孝謙上皇の道鏡寵愛によって生じた仲麻呂政権の蔭りに対して、天皇の武人の一族は多いに暗躍するのである。
仲麻呂の乱の起きた天平宝字8年(764年)・・・大伴中納言家持は46才になっていた。
御簾の向こうから高野姫天皇(孝謙上皇)は穏やかに声をかける。その下半身は道鏡の巨大な一物に貫かれているのだ。
高野姫天皇のチャクラに気が集まり、その身より後光が差す。
「大伴よ・・・太政大臣(恵美押勝)を誅っておしまい」
「どなたに将軍(いくさのきみ)をおおせつけられますや」
「吉備真備がよかろう・・・あれは戦の鬼じゃ・・・」
老将軍・吉備真備は齢七十である。しかし、孫子の兵法を極め、その戦上手を知らぬものはない男だった。何より高野姫天皇の幼少からの世話役であり、その忠義の心は大伴家に勝るとも劣らないのである。
召集を受けた吉備真備は御前に平伏する。
「じい・・・頼んだぞ」
「ははーっ・・・」
吉備国は古来、半島渡来の鬼(忍び)一族の住む土地である。
吉備真備(吉岡秀隆)はその鬼を配下に従えた直轄部隊を持っている。
真備は妹のくのいち由利(内山理名)に命じ鬼を呼寄せる。
鬼たちはたちまち四方の豪族たちの元へ勅令を下していく。
もちろん織田信長のような装束の藤原仲麻呂(高橋克則)も手を拱いていたわけではない。機先を制して皇居を襲撃する計画を立案していた。しかし・・・いざとなると朝敵の汚名は恐ろしい効力を発揮するのである。
かねてから恩を売ってきたはずの友軍は続々と皇軍に寝返るのだった。
緒戦で仲麻呂の三男・参議訓儒麻呂は坂上苅田麻呂(田村麻呂の父)に射殺される。
藤原仲麻呂は平城京を逃れ、本国である近江の国で体制を立て直そうと考える。
しかし、真備は天皇軍の忍軍である佐伯伊多智を先行させ、琵琶湖南部を遮断していた。天皇軍のイタチの名は伊達ではないのである。
追い詰められた仲麻呂は琵琶湖西岸を北上し、八男・辛加知が治める越前国で再起を図ろうとする。だが、老将軍の軍略は藤原開祖鎌足より四代目の貴族の仲麻呂の及ぶところではなかった。
機動力を持つ佐伯軍は物部水軍を指揮し、すでに越前国府を陥落させ、藤原辛加知を誅殺していたのである。
そして、佐伯軍は琵琶湖西岸より南下を開始する。
都では生き残りを図る藤原の一族が天皇の軍門に下っていた。真備は藤原式家の蔵下麻呂を討賊将軍に抜擢した。
真備の深謀遠慮はこの日を見越して蔵下麻呂を吉備国で鍛錬していたのである。
蔵下麻呂は藤原の長者仲麻呂を追って北上を開始する。
南北から挟撃された仲麻呂の一族は琵琶湖畔を血に染めて全員虐殺されたのだった。
この後、六年に渡り高野姫天皇はプレーの最中に悶絶死するまで天皇独裁を断行するのである。
真備はその後五年生き、じいやとして亡き皇女の菩提を弔った。
そういう血塗れた天皇家のすったもんだを大仏はただ見ていたのだった。
それが仏の道だからである。
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皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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コメント
いやぁなかなかに面白かったです。
大伴家持を演じたのが中山麻聖さんという事で
飾り職人の秀はこの大伴家の流れを汲むという事でしょうかね。
やっぱ仲麻呂の乱とくれば
妖僧・道鏡が出てきて欲しかったんですが
それは物語の尺としては足りなかったんでしょうし
「大仏開眼」と「大仏」に祈るのは
理屈ではないというとこに絡ませたいがために
こんな風になったってとこでしょうか。
で、やはりここでは
忍の一族がわんさかですねぇ。
吉備真備側には陰陽の術の遣い手もたくさんいたんでしょうねぇ。
後に仲麻呂の一子が乱後、罪を許され
桓武天皇の世で陰陽頭になっているので
それなりに陰陽道対策も出来てたのかもしれんようです ̄▽ ̄
ちなみにこの作品での孝謙天皇の姿はすんばらしかったです。
GW辺りでUP出来ればいいなと思ってる今日この頃です。
投稿: ikasama4 | 2010年4月11日 (日) 19時53分
✥✥✥ピーポ✥✥✥ikasama4様、いらっしゃいませ✥✥✥ピーポ✥✥✥
ふふふ、雅な仕事人でございますよね。
とにかく、仲麻呂の乱を
ドラマ化した・・・というだけでも
評価するべきかもしれません。
吉備真備が将軍だったことを
全く知らない人もいるでしょうからねぇ。
道鏡パートは玄昉が
それとなく代理ということでしょうかね。
おそらく、皇室関係者を
資料通りに描くことについては
加減がスタッフに判断つきかねた・・・
ということだったと考えます。
まあ、さわらぬ神にたたりなしですからな。
同様に「大仏なんてクソ」では
一部観光協会に差し障りがありそうですし。
「すがるものの祈り」という形で
ねじ伏せたってとこでございましょう。
奈良時代の戦装束に関しては
基本的に考証しても
再現の費用がかかりすぎなので
ものすごくフィクションでしたが
お茶の間には
無意味な予算配分なので
仕方ない感じがありありでした。
仲麻呂=信長
というのは思い切った感じがして
好感さえ感じました(; ̄∀ ̄)ゞ
時間があれば
いつまでも妄想していたいような
妖術大戦空間でございます。
なにしろ・・・平将門以前ですからねえ。
もうなんでもありだもの。
とにかく・・・藤原の忍びたちのルーツが
そこはかとなく認知されたと思い
うれしい限りです。
本当かもしれない・・・という部分がないと
妄想も虚しいのでございます。
そうですね。
「義経」の時の静御前もよかったけど
石原さとみは雅な役が似合うと言えましょう。
あの唇がいいのかもしれません。
高野姫天皇のお姿・・・楽しみでございます。
投稿: キッド | 2010年4月12日 (月) 00時40分