また逢うと想う心を道標にて道無き世にも出づる旅かな(坂本龍馬)
龍馬はまだ若い。謎深い文久二年の旅は続いていく。
一歩一歩、時代は血生臭さを増していく。
しかし、「己の死」の実感は遠い。脱藩以来、龍馬には「死の覚悟」があったと考えることもできるが、「生の情熱」の方が色濃く強まっていただろう。
旅立ちは別れの連続でもある。別れを告げた人々と龍馬は旅先で再会することもあった。
幕末の人々はそれなりに流動的だったからだ。
大坂の京の江戸の各土佐藩邸で龍馬は旧知の人々と再会を喜ぶ。
しかし、二度と会えぬ人々が多くいることを龍馬はまだ知らない。
また逢う日まで・・・逢える時まで・・・別れた理由を秘めたこともあっただろう。
龍馬と旅先で別れ・・・二度と会えなくなった人々の心に龍馬の最後の姿はそれぞれ宿る。
そのことを龍馬はまだ知らないのだ・・・。
で、『龍馬伝・第15回』(NHK総合100411PM8~)脚本・福田靖、演出・大友啓史を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は二週連続の岡田以蔵描き下ろしイラスト大公開。「人斬り」となっていく以蔵の刹那さ満開の総髪モデルでございます。武市半平太の死を看取るのは冨と相場が決まっているわけですが、岡田以蔵を惜しむのは加尾となるような再会の構図でございました。臼田あさ美の演ずるオリジナル・キャラクターも配置されていますが、これは遊女ではないようなのでかなり甘口と予想。もちろん、加尾はまず、兄を惜しまねばならないわけですが、今回のエピソードがある以上・・・以蔵の悲しさを一番知っているのは加尾になるわけですしね。加尾も以蔵も武市瑞山の駒として使い捨てられた恨みを心に宿している。もちろん、加尾はその後もふてぶてしく生きる。以蔵は儚く散っていく。ここが愚かな男と賢い女の性差となるのでございましょう。
文久二年(1862年)で停滞した時代。東へと向かう龍馬の旅は夏の京都にさしかかる。薩摩藩の島津久光に続いて京都に入った土佐藩主・山内豊範は縁戚である三条実美を動かして京都政界の主導権を握る。その黒幕は言わずと知れた武市半平太である。「土佐の狂犬」のイメージはこの年の夏に荒れ狂う土佐勤皇党を中心としたテロルの嵐によるところが大きい。その暴力の津波は井伊直弼派の残党から佐幕派の公家、果ては勤皇の志士にまで及び、テロルの本質である無差別を地で行ったのである。暴力の持つ陰惨さは禍根を残すが、それでも反論を封じる実力となることは言うまでもない。京都を血に染めた土佐勤皇党の粛清の嵐は一瞬だが土佐の天下をもたらした。その返り血はまもなくその手に還って来るのだが、奢り昂ぶった瑞山たち獣武士にはその予想は全くつかないのだった。人々は土佐勤皇党の名を記憶し、恐怖し、そして憎悪した。
岡田以蔵は京の都に酔いしれている。人ではなく、犬として扱われてきた土佐での暮らしはこの地では夢と消えたのである。公金で遊ぶ日々は怪しく、以蔵の目を眩ませた。以蔵は生きがいというものがこの世にあることを初めて知った。武市瑞山の命じるままに人を斬ることで以蔵は人になったのである。待ち伏せて、追いかけ、斬る。血を洗い、高揚した気分で酒を飲む。そして女を抱く。
以蔵は京都先斗町に輝きを見出していた。もちろん、一方で人の命を奪うことは心を荒ませていく。しかし、闇が深くなればなるほど光もまた鮮烈になるのである。
三条未亡人の家令となっていた加尾は荒んでいく土佐の男たちを興味深く見つめていた。
くのいちとして探索を続ける加尾は自分の掴んだ情報により、死体が作られることの意味をよく知っている。忍びであればそれに格別の感慨を持つことは無用であった。しかし、公家社会で教養を身につけた加尾の貌には憂いが浮かぶようになっていた。殺戮にのめりこむ兄や以蔵たちの行動に危うさを感じていたのである。
それを加尾にそれとなく教えたのは公家らしからぬ風貌の岩倉左近衛権中将具視である。
すでに三十代後半にさしかかったこの下級貴族は得体の知れないヤクザな雰囲気を漂わせていた。公儀隠密との修羅場で偶然、知り合ったこの男と加尾は密会を重ねている。
和宮降嫁に積極的に動いた岩倉は苦しい立場に立たされていた。
三条屋敷のすぐ近所の商家に潜んでいる岩倉に使いを装った加尾は白昼忍んで行く。
「名前があがっておりまする・・・」
岩倉と短く愛を交わした加尾は衣装を整えつつ、情報を伝える。
「ふふふ・・・そないなことやないかと思っておじゃった」
「笑い事でありませぬ・・・土佐の忍びは公儀隠密のように分を弁えたりしませぬぞ」
「ほほ・・・我が身を案じておくれかや」
怖れを知らぬ笑みを浮かべる岩倉に加尾は頬を赤らめた。
「悠長なことをおっしゃっておわしますれば斬られます・・・」
「うむ」
「それにしても分りませぬ・・・何ゆえ・・・三条様とも昵懇の岩倉様を弑逆する流れになるものや・・・」
「気が立った猫と同じでおじゃるよ・・・敵も味方もあらしまへん。見境なく目立ったものを除かねば気がすまなくなってるのや・・・こわい、こわい」
「・・・」
「汝の忠告はありがたくいただいて・・・しばらく身を潜めることにいたすでおじゃる」
岩倉はもう一度ニヤリと笑った。
岩倉が京の町から姿を消したことで不運に落ちたのは安政の大獄で辣腕をふるった目明し・・・ましらの文吉だった。暗殺リストの順番が繰り上がったのである。
京に音を張る忍びの一族、猿衆の頭だった文吉だが、安政時代の薩摩くぐり衆との暗闘で多くの部下を失い、落ち目の悲哀を味わっていた。
しかし、弾圧の先鋒に立っていただけに悪名は高い。
文吉も妾の家に実の娘であるくのいち小猿とともに潜んでいたが、ついに居場所を嗅ぎつけられていたのである。
草木も眠る丑三つ時。四条河原に近い粗末な家で文吉は殺気を察して目覚めた。
「小猿・・・」
「灯をつけまひょか」
「いや・・・裏から抜けるで・・・」
「裏にも人数が回ってますやん」
「それでも表よりは手薄や・・・」
文吉は眠っている妾を残したまま、裏手から這い出るように家を捨てる。
そこに待っていたのは以蔵だった。
「ふん・・・土佐っぽかいな」
文吉は恐怖を押し殺してつぶやく。その声に反応するように以蔵は抜刀しつつ間を詰める。以蔵の剣は最初から邪法であった。地擦りの構えで斬りあげるのが得手である。
以蔵は充分な手ごたえを感じるが、それは一瞬の気の迷いであった。
以蔵が切り捨てたのは人形である。
「ふふふ、ましらの文吉の人形(くぐつ)使い・・・冥土の土産にご覧におなりや」
以蔵が文吉の嘲笑を聞いたときには左右から白刃が襲い掛かる。幽霊のような女武者が空中を飛来し、以蔵の首と胴体を切り離しにかかるのである。
右からの一体を交わした以蔵は左からの一体に腕を掠められた。
着物が裂け、熱い衝撃を以蔵は感じる。
文吉は死地を脱した気分を感じながら・・・裏の家の屋根に跳んだ。
しかし、そこにはすでに以蔵が立っていた。
「お・・・手前は・・・」
驚愕した文吉の顔にはすでに死相が浮かんでいる。以蔵は腕を切られた瞬間にはもう跳んでいたのである。文吉は頭上を飛び越えていく以蔵の人間離れした脚力に思いおよばなかったのだ。
「小猿・・・お逃・・・」
言葉の途中で文吉は舌を失った。左右に薙いだ以蔵の剛刀が顔を上下に切り裂いていた。
口の中で舌は切り離されている。顔の上半分を失った文吉の体はそのまま屋根の下へ落下していく。
以蔵はそのまま体を回転させると路上を走り去ろうとするくのいちを一瞥した。
以蔵の中で一瞬の躊躇が生じる。しかし、次の瞬間、以蔵は刀を投げていた。
刀身はくのいち小猿の背中から突き刺さり心臓を射抜いて、小猿の体を地面に縫い付けた。小猿は父の名を呼ぶ代わりに「ゴボリ」と口から血を吐いた。
以蔵は音もなく、その傍らに走りよると刀を娘の体から引き抜く。
小猿はすでに息絶えていた。その体から鮮血が水芸の噴水のようにほとばしる。
以蔵はその血が収まるのをじっと待つ。そして娘の体を裏返すと、見当をつけて娘の着物を引きちぎる。以蔵はその布きれで刀を拭った。夜目の効く以蔵には目を見開いた幼さの残るくのいちの死に顔が見えている。
以蔵は刀を鞘に治めると無言でその場を去る。以蔵の両眼からは涙がこぼれている。しかし、そのことに以蔵は気がつかなかった。以蔵の心はすでに静かに暗黒の死の世界へと傾斜していたのである。
どんよりとした夏の熱気がたちこめていた。遅れて現れた覆面をした男たちが死体の始末を始める。死体をより辱めるためのさらし方があらかじめ決められていた。
男たちがその作業を終える頃、以蔵は馴染みの店にあがり・・・すでにしたたかに酒に酔い・・・女を抱いている。
以蔵は夢心地だった。
関連するキッドのブログ『第14話のレビュー』
火曜日に見る予定のテレビ『八日目の蝉』(NHK総合)『絶対零度・未解決事件特命捜査』『ジェネラル・ルージュの凱旋』(フジテレビ)
ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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コメント
巷では弥太郎の乗りツッコミとか
龍馬と加尾の逢瀬とかが話題になっておりますが
個人的には権力を握った武市らの変わり様に
どこぞのドラマの
「金のある悲劇」と「金のない悲劇」の金を
権力に置き換えたようなゾクゾク感があります。
自分達が願った権力を手にしたことで
見方を変えれば
今まで上士達に自分達が犬コロのように
斬り捨てられた悔しさを忘れて
思想は違えど
やってる事は自分達が憎んだ上士達と同じですからねぇ。
ここから武市や平井、そして以蔵がどんな風に落ちていくのか
想像するだけで楽しみございます。
まぁどうも「人斬り以蔵」としての異名を
際立てるために単独で動く描写になりましたが
この時代は三~六人一組で襲撃して確実に殺そうと
してたみたいですからねぇ。
多数と言っても数人で相手の逃げ場をふさいで
遣い手が相手のトドメを刺すって感じでしょうかね。
もしくは裏柳生のように洗練された戦い方とか ̄▽ ̄
そして人を殺した事でたぎる血を抑えるには酒と女に走るとこに
狂気と正気の狭間にある以蔵の姿をうかがうことが出来ます。
意外に武市先生の影響で男の方に走ってたかもしれませんが ̄▽ ̄ゞ
投稿: ikasama4 | 2010年4月12日 (月) 23時55分
✥✥✥ピーポ✥✥✥ikasama4様、いらっしゃいませ✥✥✥ピーポ✥✥✥
弥太郎一家は楽しいですな。
結局、生き残るのは運であり
運が実力のうちなのでございます。
そういう意味では龍馬関連の女たちでは
実質幸福になっている加尾は
運のいい女と言えます。
そして、武市一派にも
毀誉褒貶はあるわけですが
貶めるにしても
崇めるにしても
途中経過と
結末は別々に考える必要があります。
それでも結論としては
不運だった・・・ということになるのです。
権力者たたちに抑圧されたものが
その不正義に憤怒し
そしてなりあがったときに
権力に酔いしれる・・・
その悲しい人間の性が
悪魔の心を躍らせるのでございます。
口惜しさを
正しく消化することの困難さ。
イジメが悪いのではなく
イジメられる側から
イジメる側になりたかっただけ・・・
そういう現実が
胸を打ちますな。
そのことが結局、
彼らの天寿を全うさせないところが
また天の残虐性を感じさせまする。
基本的に彼らは
剣術使いで
それは現在のスポーツ化した
武道とは全く別のシステムである・・・
と考えるべきなのですね。
あくまで効率よく
殺人する方法の研究者なのです。
そのためには
獲物を狩る狩人でもあり
大量破壊兵器の発明者でもある。
当然、ターゲットを確実に仕留める手段や
死体を効果的に宣伝材料にすることを
冷徹に考えるのが前提でございます。
それは侍として邪道でもなんでもありませんが
そのあたりが
あまりにもストレートだと
お茶の間がのけぞりますからな。
この程度でもオエッとなっている
ナイーヴな方々はあるでしょうし。
そういう意味では「龍馬伝」は最高!
とキッドは思うのでございます。
龍馬の腰が加尾の太股に挟まれているなんていう
描写まであと一歩の寸止めでございます。
ちなみに以蔵は後ろは武市先生専用ですが
前の方は両刀使いという妄想設定になっています。
投稿: キッド | 2010年4月13日 (火) 00時31分