世の中の安き時はへらへらと辛き時はほいさっさと生きるものは男子にあらず(坂本龍馬)
龍馬は進むも死、引くも死の状況を度々、経験してきた。その度に時には遁走し、時には突破し、死中に活を求めていくのだが、その果ては運命の帰するところに到達する。
御身大切の原理に根ざし、人々は右往左往する。しかし、大局を見極めたものは時には生死の矛盾をとりちがえる。
龍馬は大義に殉ずることを自らの任とはしない。
しかし、大義に殉ずる愚者を保身一途の賢者よりも愛した。
それは俗人には成し遂げられぬ達人の心境である。矛盾に塗れながら神聖となる一つの心。
どうにもならぬことをなんとかしようとするもがきこそが龍馬の魅力だと考える。
で、『龍馬伝・第19回』(NHK総合100509PM8~)脚本・福田靖、演出・梶原登城を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回はお待ちかね飛び出しそうな二次元、立体的な迫力の平井収二郎描き下ろしイラストに追悼版・増田長盛特別描き下ろしイラスト付でございます。名優たちの冥福を祈るばかりでございます。誠にお世話になりました。信念に基づいて罪を犯すものを確信犯と呼ぶのならば武市半平太はまさにその極地。そう考えるか、単に野望に燃え賭けに敗れたものと捉えるか・・・はたまた時代の犠牲者と考えるか・・・人それぞれの武市半平太がございますからね。この作品の武市はそういう意味ではニュートラル。もちあげるでもなく貶めるでもなくいい按配です。ところがそうなるとある人にとっては貶められたことになり、ある人にとっては美化していることになる。歴史的人物を描くというのは本当に骨の折れること。しかし、今回は見事でございます。龍馬伝である以上、割ける時間が限られている中で実に的確に土佐勤皇党の顛末を描いていると思います。そして「女帝薫子」は人影ばんじゃいでございます。えいえいえー。えいえいえおー。
文久三年五月十日(1863年6月25日)は徳川幕府が朝廷に対し攘夷決行を約束した期日とされている。しかし、すでに孝明天皇は側近からの啓蒙を受けその実行が困難なことを知らされていた。今やその実現を信じるものは実情を知らぬ下級武士たちの集団だけであった。しかし、長州においてはその過激な分子が実権を握り、実際に外国船に対する無差別攻撃を関門海峡で開始する。また薩摩では生麦事件の対英交渉がこじれ、英国海軍の独走により七月には薩英戦争に至ることになる。しかし、幕府の攘夷先送り交渉は有効で各藩は日和見を決め込むことになるのである。結果として薩摩と長州は戦後に英国と接近し、幕府の日本国統治の根拠は薄弱化することになる。その頃、土佐では公武合体派の山内容堂が藩主・豊範を担ぎ上げた土佐勤皇党の瓦解にむけてあらゆる策謀の限りを尽くしていた。容堂には長州や薩摩が焦土となることが目に見えていたのである。
容堂は京から高知へ戻る途中、大坂屋敷で土佐忍び上忍として、夜の会合を持った。
龍馬もまた二人の忍びとともに奥座敷の容堂に会う。
「決めたか」と容堂は問う。龍馬は建前としては幕府海軍へ密偵として潜入していることになっている。それが公的な立場となり、今や、陽忍というべき状況になっている。これに対して、土佐にとっての仮想敵国はもはや長州となっている。情勢を探るために密偵を送り込む手筈となっていた。その人選を龍馬はまかされていた。
「御意にござります。一人は吉田東洋様に学才を認められた池内蔵太、一人は神戸海軍塾におります望月亀弥太でございまする」
「水軍忍の池に・・・甲賀流忍びの望月か・・・心得た・・・」
二人の若き忍びは平伏した。
「池は萩に・・・望月は京の長州屋敷に忍ばせまする」
龍馬が付け加えると容堂は無言で頷いた。
土佐藩京都屋敷では京留守居役・武市半平太が夜桜を見ながらもちを食べていた。
まもなく梅雨になろうというのに狂い咲きである。
「ふふふ・・・紫陽花の季節に桜とは妙なことよ・・・」
「まことでござるな」
応じたのは平井隈山だった。
「大殿から召喚されたそうだな・・・」
「・・・」
「ちくと・・・若殿に深入りしたようだのう・・・」
「もとより覚悟の上・・・大殿様の疑り深きは忍びの心得でござる・・・」
「先に参るか・・・」
「・・・」
「回天の道は険しいの・・・」
「眼福にてござりました・・・」
平井は酒を飲み干すと席を立った。平井が去ると庭の夜桜は消えていた。すでに桜の木は青々と茂っている。
武市半平太は汗を拭う。
「今年の夏は暑くなりそうだのう・・・」
すでに幕末は次の段階に差し掛かっていた。
攘夷の狼煙をあげたのは長州藩だけであった。馬関で航行中の商戦に対して無差別攻撃を開始した長州軍は数日後、米仏連合艦隊の報復攻撃を受け、大打撃を受ける。ライバルである列強二国に後れることを怖れた英国海軍は一方の雄である薩摩に威力偵察を試みた。しかし、薩摩城下を焼き払ったものの戦術の失敗によって英国海軍も指揮官が戦死するなど大打撃を受けたのである。薩英戦争は痛み分けに終った。
しかし、異国との戦の恐ろしさはまもなく京の公家たちに伝わり、その心底を揺さぶったのである。
「なんと・・・長州はあきんどの船には強かったがいくさ船には歯がたたなかったとか」
「薩摩の田舎侍の方がなんぼかましないくさぶりだったそうな」
京における攘夷派と開国派のバランスは微妙に軌道修正され始めていた。
攘夷実行直後の五月二十日、御所門外猿が辻で姉小路右近衛少将公知が暗殺されたその余波は攘夷失敗の報が伝わるにつれ徐々に雲行きを変えていった。
振り子は反対側にむかって揺れだしたのである。姉小路公知の暗殺理由そのものが不明確なのがその振幅を示している。尊皇攘夷派であるから殺されたのか・・・尊王攘夷派から公武合体派に鞍替えしたから暗殺されたのか・・・真相が不明なのである。
しかし、京都守護職・松平会津中将容保にとって足下で公家が暗殺されたことはいずれにしろとても容認できることではなかった。面目が丸つぶれなのである。公儀隠密は容疑者の捕縛に全面的に協力することになった。
その中に土佐藩・岡田以蔵も含まれていた。
公儀隠密のくのいち・おなつは以蔵に情を移していた。
「お上の追っ手が参ります・・・」おなつはすでに正体を以蔵に告げている。
「何故じゃ・・・」
「公家様殺しの件で疑いがかかっているのです・・・」
「わしは・・・やっとらんぞ・・・」
「都に潜みし暗殺者名簿に以蔵様が乗っておりますれば・・・」
「なんじゃ・・・濡れ衣か・・・」
「どうなされます・・・」
「逃げるしかないの・・・」
「今宵は・・・月が細うございますゆえにそれがよろしいでしょう・・・」
「おなつ・・・お前はどうする・・・」
「共に参りまする・・・」
「ふ・・・抜けるか・・・すまんの」
「し・・・」
おなつは灯明を吹き消した。
粗末な長屋の屋根の上に二人の忍びが現れる。周囲は町方で囲まれている。それは二人にとって脅威ではなかった。しかし、ここで以蔵が捕縛されぬとなれば、おなつを配下とする公儀隠密が動き出すのである。
「とにかく、土佐屋敷に・・・」
「無駄でございます・・・土佐藩も幕府に味方しておりますれば・・・」
「しかし・・・武市先生が・・・」
「武市様はすでに土佐にお戻りになりました・・・藩邸にいたのは影武者です」
「なんと・・・そうか・・・わしは・・・おいてけぼりか・・・」
「壬生の田舎に・・・百姓屋を用意しております・・・ひとまず・・・そこへ」
二人の忍びは暗闇を飛んだ。それはすでに駆け落ちの道行きだった。
その行動を闇の中でいくつかの冷たい目が見つめている。
関連するキッドのブログ『第18話のレビュー』
『篤姫』
火曜日に見る予定のテレビ『絶対零度・未解決事件特命捜査』『ジェネラル・ルージュの凱旋』(フジテレビ)
ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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コメント
自分を取り立ててくれたのは大殿様だけど
それを吉田東洋が妨害したというその思い込みが
半平太を頑なにさせてしまった
また、己の可能性を試したいがために
つい出来心に走ってしまった収二郎。
そしてこれ以上人を斬りたくないと思う以蔵。
そういう人間らしさ・人間臭さが丁寧に描かれているから
武市さんや収二郎、以蔵を貶めることなく
歴史に名が残すこの人達は自分らと同じ
人間だと思えてくるんでしょうね。
一方で自分達がこの時代に生まれていたら
龍馬になっていたのかもしれないし
もしくは半平太や収二郎、以蔵のように
なっていたのかもしれない感じさせます。
まぁみ~~~んな、天寿を終えることなく
亡くなっていますけど ̄▽ ̄ゞ
佐藤慶さんの訃報はテレビで大々的に報道されますが
真田健一郎さんや浜田寅彦さん、奥村公延さんと
作品の中で存在感を際立たせていた方々が報道されず
(私が知らなかっただけかもしれませんが)
ひっそりと亡くなっていたことに
ふと、その方々に思いを馳せる今日この頃でございます。
投稿: ikasama4 | 2010年5月10日 (月) 18時49分
✥✥✥ピーポ✥✥✥ikasama4様、いらっしゃいませ✥✥✥ピーポ✥✥✥
人間はある意味、目隠しをされたまま
一生を生きていく。
時には現実の声だと思っていたそれが
テレビの声に過ぎなかったりする。
・・・そういうことはありますよね。
忠誠を尽くす相手が
誰に忠誠を尽くすのか・・・
部長は会長派だと思っていたら社長派だった・・・みたいな。
社長派の係長を殺して
誉められると思ったら
叱られた・・・みたいな・・・。
そんなサラリーマンなたとえで
いいのか迷いつつ・・・
妄想したりしましたぞ。
そして・・・
部下たちがそれぞれ・・・
不満をかかえていても
自分の目指す大義を
必ず理解してくれるという甘え・・・。
実に世の中はままなりませんなーっ。
ふりかえれば
もっとましな明治維新は
できたかもしれない・・・。
しかし、もっとひどい明治維新にもなった・・・。
少なくとも
懸命に生きた人々を責めるのは愚かなこと・・・
そういう姿勢が感じられるのが
今年の大河だとキッドは考えています。
よく見かける
あのじいさんたち
(まあ・・・キッドはお若い頃も知っているわけですが)
いつの間にか・・・
いなくなったなぁ・・・。
そういうことは最近、かなり日常的でございます。
投稿: キッド | 2010年5月10日 (月) 21時01分