死刑を執行しない法務大臣は処刑に値するか?
久しぶりに主演俳優抜きのタイトルになった。
「ジョーカー 許されざる捜査官」の記事なので「・・・値するか?」(堺雅人)でもよかっただが、かなり誤解される内容になるので自主規制である。
とにかく、千葉景子という順法精神のない法務大臣が職務につくこの国の無法な状態がいつまで続くかと心を痛める日々である。
もちろん、キッドは「死刑に反対する自由」を認めることを否定しない。
どうしても死刑を執行したくなければ「死刑廃止法案」を議会に提出し、立法化をすればいいことである。
しかし、そのような民主主義の手続きを経ず、刑事訴訟法で「死刑は確定から六ヶ月以内に執行」と明確に定められているにも関らず、「大変重い刑罰であることを念頭において慎重に判断している」と言いながら2009年7月から一年間、死刑執行をしない法務大臣を与党はなぜ、厳重注意しないのか・・・非情に不可解である。
つまり、内閣一同、順法精神がないということなのか。
まさに、「ジョーカー 許されざる法務大臣」なのである。
妄想内では何度処刑されても仕方のない傲岸な人間といえるだろう。
妄想ではいくらでも法相の家族が人質にとられ、処刑を強要されたり、銃撃されたり、ぶん殴られたりしてもまったくおかしくない状況なのである。
そういう頭のおかしな人だから選挙に落ちるのも当然だし、いつ呪い殺されてもおかしくないのだが・・・日本国民というものは寛容の精神に満ち溢れ、というか、法治国家というものをそれほど強く意識していないのでなんとなく生存が許されているわけである。
この1年間で、坂本弁護士一家を殺した早川、地下鉄サリン事件などに関与した豊田、広瀬、井上、新実などが続々死刑確定しているわけだが・・・それらの刑が執行されないということは千葉景子はオウム真理教信者である可能性も充分妄想できるのだ。
懸命に捜査して・・・犯人を逮捕し裁判にかけるべく努力した人々は・・・どんな風にモチベーションをあげればいいのか・・・悩むのではないか。まあ、給料もらえればいいのか。
とにかく・・・殺意と殺害の間にはものすごい隔絶があることが前提だが・・・千葉景子をニュースなどで見る度にキッドは確実に殺意を感じる。なぜなら・・・日本を法治国家ではない無法者の国家としようとしている人間を排除したいと考えるのは理性ある態度だからである。
まあ、人間ならば誰もが想像可能なことなので・・・そういう推測をしつつ、法務大臣であり続ける千葉景子の度胸あるいは愚鈍さには感服するしかないのである。まあ、要するに千葉景子を闇で処刑しても一銭にもならないので彼女は生きているということです。とりあえず、今、109人の人々が死刑の執行を待っています。
火曜日のドラマ対決は①「ジョーカー」↘13.4% ②「逃亡弁護士」→10.0% ③「天使のわけまえ」↘*6.6%
で、『ジョーカー 許されざる捜査官・第3回』(フジテレビ100728PM9~)脚本・武藤将吾、演出・都築淳一を見た。法は遵守しないが・・・殺人はいけないと考えるらしい伊達刑事(堺雅人)は・・・私的に制裁した人間を終身刑にするらしい。最低限の食費を一日1000円としても一年で36万5千円、受刑者100人いたら3650万円である。その経費をどこから捻出しているのだ。いいじゃないか、フィクションなんだし、法務大臣が順法しない国家なんだから、制裁者の判断で殺せば・・・と率直に思うわけである。・・・気がすんだか・・・すみました。
とにかく・・・私的終身刑システムがどのように運営されているのか興味津々なのだが、「人殺しは絶対悪が前提」である以上・・・この胡散臭いドラマ設定も仕方ないと言えるのである。なにしろ・・・殺意を口にするだけでドキドキするのが現実というものだからな。
もちろん、キッドだって命は尊いと思う時がある。誰かが「死にたい」とこぼせば・・・「死んで花実が咲くものか」的な言葉をかけるか、あるいは「どうしてもというのならお手伝いします」的なジョークで冷やかすかするくらいの分別はあります。
老母はもの忘れが激しいのでそれを苦に「いっそ死にたい」と言うときがあるので「ナイフにするか、ロープにするか」と尋ねるとまだ笑える気力はあるようです。
敬虔な仏教徒である老父は「冤罪」の可能性がある以上死刑制度反対主義者である。しかし、あの世を否定するキッドは「冤罪の発生」を含めてシステムとしての「死刑制度」を肯定する。国民の八割が肯定するのは「抑止力」に期待するからでもあるし、法の根源にある「復讐」というものの本質を理解しているからだろう。目には目を歯には歯をは法の基本なのだな。
ま・・・そういう現実と虚構の狭間に・・・「罪を犯しても裁かれない人間を許せない人間」というこのドラマの存在が成立するのですな。
ただし・・・結局、それを許すための状況設定がくどすぎて面白みに欠けるというのが現代劇の難しさ。
「羊たちの沈黙」を超える・・・悪徳を超越した正義の生れる理由というものは・・・なかなか生れないものです。
今回も・・・伊達刑事は両親を殺害した犯人を殺そうとしたの、殺しきれないの、鑑識の久遠(錦戸亮)は両親に虐待された過去があるので残虐な悪人を憎むの憎まないの・・・いろいろとうるさいんですよね。
どんなに言い訳をならべても・・・「裁きたい奴がいるから裁く」という個人的な欲望に基づく事情は変らないわけです。
要するに・・・「ああ、こいつは殺されてもしかたない」と言う犯人を描き、それが罪から逃れようとするところを逃さず問答無用で終身刑にする・・・そういう話でいいのではないかと考えるわけです。
そうじゃないのなら・・・千葉景子の罪を問うドラマをまず作るべきなのです。
・・・というキッドの声が天に届いたのか・・・千葉法務大臣は本日、二名の死刑を執行しました。ナイス・タイミング。
千葉景子も今日から晴れて犯罪性のない殺人者になったのである。
死刑制度のある国家で生きる国民は基本的にみな人殺しなのである。
ただし、殺人犯ではないのだ。その違いを知るのが理性というものだ。
関連するキッドのブログ『第1回のレビュー』
木曜日に見る予定のテレビ『科捜研の女』(テレビ朝日)『怪談新耳袋』(TBSテレビ)『日本人の知らない日本語』(日本テレビ)『長澤まさみのGOLD』(フジテレビ)
ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
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