誰かの味方になるっていうことは誰かの敵になるっていうそんなあ(長澤まさみ)
人間関係について・・・キッドは色川武大、あるいは阿佐田哲也氏の示唆に感心することがあった。
一つは小説「怪しい来客簿」の中の一説、「戦後まもなくは幽霊にリアリティー」があったと言う云々。
もう一つはギャンブル小説に見受けられる・・・「人間関係には上下関係と敵対関係しかない」という指摘である。
前者については「神を信じるキッド」と「神を信じないキッド」の対立点としてこれまでに何度か論じているが、今回は後者の「敵か味方か・・・味方ならば上か下か」という人間関係について触れたいと思う。
つまり、人間関係には友好関係というものはないという話である。
この論点に立脚すれば「対等な立場の同盟関係」などというものが出発点ですでに幻想であることがわかる。
絶対的な武力である「核兵器」を所有している国家とそれを所有するどころか、存在することすら否定しようとする国家が軍事的に対等な同盟を締結できるかどうか・・・誰が考えても明らかではないか・・・という疑念さえ持たない人々は問題外なのでご遠慮ください。
で、『GOLD・第3回』(フジテレビ100722PM10~)脚本・野島伸司、演出・加藤裕将を見た。優秀な経営者である早乙女悠里(天海祐希)は四人の子供たちの母親としてカリスマ教育者としても知られていた。その決め言葉は「あなたのお子さんは・・・ビューティフル・チャイルド(優美な子供)ですか?・・・それともプア・チャイルド(貧相な子供)ですか?」という挑発的なものである。その教育理論は基本的には競争原理を優先し、悪しき平等思想の根絶を訴えるように見える。しかし、五輪での金メダル獲得を目指す三人の子供たちはそれぞれに悩みを抱え、また末の子供は病弱というハンディ・キャップを抱えており、順風満帆に見える家庭にも危機の兆しはある。
別れた恋人に妊娠による強迫を受けた長男、別居中の父親の元へと離脱した次男に続き、母親と男(反町隆史)を争ったあげくに敗北して傷心した長女・晶(武井咲)はいかにも野心を隠し持つカメラマン宇津木(綾野剛)の毒牙にかかっていた。
しかし、パーフェクトな母親・悠里は襲い掛かる危機に敢然と立ち向かうのである。
この場合、悠里は母親として娘の晶の味方であることは明白である。
しかし、それは対等な関係ではないことも明白だ。
母親には未成年の娘を保護する責任があり、未成年者には基本的に責任はないのである。
このように味方には上下関係が生じるのである。
阿佐田哲也のギャンブル小説にもコンビやチームを組む男たちが登場する。そして彼らは相棒あるいは仲間にこう聞くのがセオリーなのである。
「オレの命令に従うか・・・それともオレに食われるか・・・二つに一つだ」ということだ。
この場合、身分が低いもの・・・すなわち、実力不足のものは・・・なんとか対等になろうとあがくのもセオリーであり、また、結局は自分が実力で相手を上回り、上下関係を逆転するしか道がないことを悟っていくのもお決まりのコースなのである。
そして、その道に一歩踏み出せばそれはもはや・・・敵対関係なのである。
在日朝鮮人としての宿命を背負った劇作家はペン・ネームに弱者(少数者)としての願いをこめたという。つまり、「いつか、日本人や韓国人あるいは北朝鮮人と公平な立場にたてたらいいなあ・・・」ということだ。それが(い)つかこうへいなのである。
全世界を敵に回して敗北した国家の少国民だった阿佐田哲也もまた日本人がいつか・・・世界に対して対等な立場になることを夢見ていたに違いない。
だからこそ・・・この世には対等な味方などいないという出発点に立つのである。
彼の生み出したもっとも有名なキャラクターであるドサ健は寺の坊主とギャンブル勝負を行い、墓場の権利を奪い、墓石をなぎ倒して言う。
「おれの母親はな・・・空襲で焼かれて・・・骨の一つも残っていやしない・・・暢気に墓におさまっている奴らを見ると・・・不公平さに我慢がならねえ」
こういう哲学が・・・悠里の論理の根底にあるはずなのだ。悠里もまた・・・屈辱的な敗北から・・・焦土と化した心の荒野から立ち上がってきた女に違いない。少なくともキッドはそう思います。
しかし、女王様に対しての召使であり、悠里を師と仰ぐリカ(長澤まさみ)は若さゆえの向こう見ずさで悠里に立ち向かう。
「でも・・・男と女にだって友情はあると思います」
「どこにそんな証拠があるのよ」
「私が片思いで苦しい時に親身になって愚痴を聞いてくれた男友達がいました」
「バカね・・・それはあんたが鈍感で彼の片思いに気がつかなかっただけじゃない・・・彼は振り向いてくれないあなたのために何度も悔し涙で枕を濡らしたのよ・・・」
「え・・・私ったら・・・そんなひどいことを・・・」
「それに要するに彼はあなたが完全に失恋したら心の弱みにつけこんでものにしてやろうという下心があったわけでしょ・・・」
「え・・・あいつめ・・・そんなよこしまなことを・・・」
「わかったでしょ・・・男と女どころか・・・この世には友情そのものが存在しないのよ・・・」
「そんなあ」
「わかったら・・・友達のリストから彼を消去しなさい・・・」
「できません・・・」
「なぜ・・・」
「もう・・・消去してました・・・」
「あなたって・・・侮れないわ・・・」
この二人、相性抜群だな。
前回までどこか・・・薄っぺらなキャラクター設定だったトレーナーの蓮見(反町隆史)だったが・・・実はというか、野島ドラマではお決まりの絶対的闇の生じる過去を持っていた。蓮見は孤児で施設育ちだったのである。
悠里の父親に援助され、早乙女兄妹と兄弟同然で育った蓮見は早乙女家から受けた恩義のために・・・孤児特有のハングリー精神を失っていたのである。
悠里はそんな蓮見のために愛のムチをふるうのだった。
「ガツガツしなさいよ・・・あなたはスネをかじる親を持たない野良犬なんだから・・・」
悠里を思うあまり・・・自分を見失っていた蓮見は我に帰る。
そして・・・自分と同じ境遇の子供たちを前に叱咤激励のスピーチをするのだった。
「他人により少しでも優れているところを自分の中に発見しろ・・・そして・・・それを武器としろ・・・その武器だけは死ぬ気で磨きに磨くんだ・・・そして最後まで弱気になるな・・・相手が恩人だって気を抜くな・・・いつだってやらなきゃやられるという覚悟で生きるのだ・・・そうでなくちゃ・・・殺されちゃうからな」
悠里はここで「コウノトリの選択のお伽話」をする。
「今、いい親が少なくなって・・・コウノトリたちは子供を運ぶ場所に困っている・・・しかし、安心して・・・あなたたちは・・・子供を捨てるような親の元へと運ばれた・・・でも・・・それはコウノトリたちがあなたたちの強さを信じてそうしたってこと・・・あなたたちは強い・・・そう信じることが大切よ」
目を輝かせる孤児たち。彼らはどんな気休めの言葉でもすがりつきたいのだった。
しかし・・・悠里という素晴らしい実の母親に恵まれた病弱な少年・朋(大江駿輔)だけは複雑な表情を浮かべるのである。
それぞれに違う立場の人間の誰かに味方をすれば必ず敵が生み出されるという一例である。
競技の指導者としては優秀だが・・・人間の指導者としては未熟の蓮見の失策により、母親との敵対関係を生じた晶は・・・ドラマ「Mother」で幼児虐待の変態性欲者を演じた綾野剛演じるいかにも裏がありそうなカメラマン宇津木に心を許してしまう。
母親として胸騒ぎを感じた悠里は宇津木を排除しようとするが・・・一歩遅れをとる。
母親と敵対したために・・・宇津木の味方となった晶。
宇津木との性的関係を暗示しつつ母親を挑発する娘。
はたして・・・悠里は子供ゆえに未成熟なわが子の対処にどのような手段を講じるのか・・・。虜囚となったわが子を取り戻そうとする母親の支配欲が見物なのである。
それは来週のお楽しみである。
人間関係とは基本的に敵対関係であり、味方には必ず上下関係が生じる。
この論理を学ぶには最良のドラマです。
関連するキッドのブログ『第2話のレビュー』
土曜日に見る予定のテレビ『志田未来のハンマー・セッション!』(TBSテレビ)『吉高由里子の美丘・君がいた日々』(日本テレビ)『臼田あさみの鉄の骨』(NHK総合)
ところでSPAMコメントが一日50件を越えたのでしばらく、承認制度に移行します。
皆様には不自由とご迷惑をおかけして本当に申し訳アリマセン。
| 固定リンク


コメント
>人間関係とは基本的に敵対関係であり、味方には必ず上下関係が生じる。
なるほど。。。そういうドラマであります。
でも、それも建て前のように見えます。
自分のやっていることは偽善だ偽善だと言いながら
実はそれは照れ隠しのような建て前で、悠里の背中には
大きな翼が生えているように思えるのです。
それは自分の子供だけではなくて、世界中の子供たちを
守り育てる翼であり。。。大きな愛がある。
だから彼女は分け隔て無く平等に子ども達を愛する。
親がいる子供も親がいない子供も平等に手を差し伸べる。
例え朋が夫の浮気の末出来た子供だとしても。。。
。。。と言う妄想の中にいる私です。。。(。-_-。)
野島脚本には想像力を掻き立てられるものがあります。
ますます面白く。。。なっていってくれると良いんですけど(^^;ゞ
投稿: くう | 2010年7月23日 (金) 21時15分
実は別のように見える
人間関係論と神の存在論は
根はつながっております。
これを簡単に言うと実存主義ということになり
悠里が言っている
「地球の温暖化もすべては私の責任・・・」
というギャグはキッドも若い頃によく使ってました。
「日本が戦争で負けたのも
アーティストが麻薬不法所持で逮捕されるのも
明日、海水浴に行くのに
天気予報が雨なのも私が悪いのだ」
こういう・・・意味もなく責任のとれないことの
責任を負う姿勢というのは
理想家をからかうときには最適ですからな。
しかし、一方で
もしもできるなら
そうありたいという
ひたむきで前向きな精神を
叱咤激励する態度でもございます。
つまり・・・健気な姿勢は
常に微笑ましいのでございます。
13才で家族を背負って立ったゴマキの
背中をそっとさすってやりたい気持ちですな。
誰も信じられないこんな世の中だから
あえて誰かを信じてみたい。
野島ドラマの神髄はこのあたりの嘆きというか
希望が核心でございますからね。
ああ・・・言いたいことは判る・・・
とキッドはいつも感じ入ります。
しかし、根が悪魔なので
微笑むわけですがーっ。
投稿: キッド | 2010年7月24日 (土) 04時35分
キッドさん、こんばんは。
お久しぶりでございます。毎日暑いですねえ。もうグッタグッタです。キッドさんも水分補給はお忘れなく。
桃李くん目当てで見ているのですが、悠里とリカちゃんのやりとりは楽しいですね。やっぱり、まさみちゃんはかわいいです。久しぶりでいいドラマだわ。
天海さんは今までで1番女っぽさを感じます。
反町もいい役ですね。丈治さんは、晶ちゃんに対しての態度は「子供か、お前は!」と思いましたけど。
洸くんも、ステキです。出番は少ないけど、「バチスタ2」があれでしたからね。全然、ドラマとからまないんだもの。今度は長男ですからね。うれしいです。
秋になれば、「VS」の情報もでてくるだろうし、その後は、「ジョー」も待っていますからね。夏は「GOLD」で乗りきります。
投稿: youko | 2010年7月27日 (火) 23時00分
室内での熱中病発症が増加中ですからねえ。
キッドはずーっと水を飲みっぱなしです。
ふふふ、シンケンレッドあがりですな。
シンケンピンクもテレビ東京深夜の「宇宙犬作戦」で
がんばってますぞ・・・アンドロイド役ですけどーっ。
「GOLD」はやや理屈っぽいドラマですが
本当に学芸会みたいなドラマの乱舞する
夏ドラマにあっては
貴重な普通のドラマですな。
特に長澤まさみの役柄に関しては
すごく納得感があります。
ふにゃふにゃの魅力全開だし・・・
ユーモラスでかわいい・・・
これは特性のようなものですからねえ。
一方、ややおバカ設定だった反町も
孤児というハンデを示して
バランスがとれてきました。
こういう点はさすがに野島作品ですな。
長男は真面目でひょっとすると
躓いたり
杓子定規だったりする脆さを
そこはかとなく演じていて
上手い感じをみせてますな。
ふふふ・・・山P不足の夏、
どうか、ゆっくりと羽をのばして
くつろいでくださいますように・・・。
投稿: キッド | 2010年7月28日 (水) 10時34分