世界にはGOLD的に救いようのない人はいないというそんなあ(長澤まさみ)
絵にかいたような大団円である。
まあ一種のヒロイックファンタジーなのである。
言葉についての感じ方には個人差があるわけだが、キッドのプログではヒロインはどちらかと言えばヒーロー(英雄)の女性形ではないニュアンスで使用している。
つまり、主人公の本命的恋愛対象としてのヒロイン(お相手)なのである。
男女の性差の問題とか、男女雇用機会均等法とか、そういう問題がややこしいのだか、あえて男性的な主人公に対する女性的なヒロインという設定の問題としてご容赦ください。
で、社長(天海祐希)は戦う美女型ヒーローの主人公で秘書(長澤)は「リカちゃん」として主人公に愛玩されるヒロインというのがこのドラマの基本設定です。
ヒーローなので言うことがいちいち芝居がかっていてエキセントリックなのはそのためです。
基本的にはその場その場の思いつきなので整合性を求めたりしてはいけません。
すべてお見通しの主人公が時々見て見ぬふりをするのが気になるのは単にドラマのお膳立ての問題でございます。
つまり、主人公はどんなに無茶をしてもヒロインに愛され続けるという宿命さえ変更しなければOKということです。
人間ドラマとしてはある意味、甘口にも見えますが、主人公が絶対的正義という設定のヒーローものとしてはこれがトラディッショナルというものですね。
もちろん・・・悪魔としては明らかに魔界に堕落した悪役である丹羽聖子がかなり先鋭的な演技をしていたので・・・主人公が彼女の心までも「子宝」によって救ってしまうのはやりすぎかもなとは思いますね。
あの「流れ」なら当然、狂気の聖子は「子殺し」の後で確信犯(アンチ・ヒーローの宗教的情熱によって)的に無理心中か偶像破壊にやってくるべき。
そしてヒーローが自分にも「救えないものがある」と知ることの方がキッドの趣味には合っています。
まあ・・・「救いようのない人が目に付く世界」だからこそ、あえて「全員救済ドラマ」のアクロバットを作者は技巧的に楽しんだとも言えるわけです。
そう考えればある程度濃いし、そうでなければ薄いと感じる野島ドラマでございましたねえ。
で、『GOLD』を見た。
(刺青と刺青シールの区別もつかないこんなドラマじゃ毒も仮記事で十分なのかもってそんなあ)
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