一人一人の考え方だから難しい所(松本人志)
「細もの」ももちろん見たのだが、仮記事体制なので「キングオブコント」の話である。
2008年から始まり今年で三回目なのだな。
ちなみにキッドは「お笑い」の「お」には神が宿っていると信じています。
ついでにいわゆる漫才やコントのネタをテレビ番組の素材と考える時、キッドはそれをパッケージ・ショーと読んでいます。
すでにひとつの完成されたショーがパッケージであり、それを詰め合わせた番組がまたパッケージなのである。
企画者の一人であるダウンタウン松本は「審査員」はしないで司会をしているわけだが・・・それは基本的に「お笑い」か審査するものではないからだろう。神聖な「お笑い」を人間が審査するなんて畏れを知らぬ行為だからである。
しかし、番組としては面白おかしく構成する必要があり、勝敗を決めたり、審査したりするわけである。
タイトルにあるように個人差の話なのだが・・・そういう矛盾がまた人生の醍醐味なのである。
そのために「お笑い」なのに「勝者」がいて「敗者」がいる・・・まことに喜ばしいのである・・・悪魔としては。
今回の主役は「キングオブコメディー」(2ネタの合計点1836点で優勝)、それ以外はそれなりに脇役を務めたわけである。
たとえば、総合8位(番組的には最下位)のエレキコミックはコント一筋の芸人なのであるが・・・積み上げてきたものが実力差によって一瞬で葬られるという悲哀を演じている。
最初のネタみせ(1stステージ)で「子供だからこそおかしい子供」で「お年玉への過剰な情熱」を謳いあげたエレキコミックだったが、先発したキングオブコメデイが「困った子供を誘拐してしまった」でいわばパーフェクトな「変な子供」をやってしまったのである。
もちろん先手必勝の法則があるものの・・・それを割り引いて考えても・・・キングオブコメディ今野の演じる「変な子供」は圧倒的な存在感で一同大爆笑の出来映えなのである。その「流れ」の中で運がいいとか悪いとか人は時々口にするけどそういうことって確かにあるとそう思う。
もちろん・・・運以前に実力差があったなあ・・・とキッドは考えるが・・・それが個人差なのである。
お笑いの核心についての認識の仕方にも個人差があるが・・・キングオブコメディの2本のネタは「変な男と常識人とのすれちがい」という古典なのだが・・・日常と異常の加減が実に見事なのである。つまり王道なのでまさに王者に相応しい芸なのである。
それに対して、非日常の要素が強いネタで準優勝したのがピース(176点で2位)である。最近は使われない言葉にシュールな笑いというものがあるが、そのひとつは文字通り超現実主義(シュールレアリズム)の流れを組む幻想的なネタを指すことがある。「山姥もどき」や「サイクロプスもどき」の妖怪や怪物をキャラクターとするピースのネタは・・・非日常から入って日常というパターンである。つまり「あえて逆」なのだな。
山姥と人間の色恋沙汰だったり、怪物同士に生じる「幼いものをかわいがるというやさしい心」というペーソスまでつなげていくわけである・・・つまり、キングオブコメデイとピースは入り口と出口が逆なのである。もちろん、力量によって個人差は生じるが・・・どちらが笑えるかにも個人差はある。
個人的には日常から非日常に進んでいく方がノーマルなのである。
実は競技としては最終ステージで冒頭でキンコメ高橋がいきなり「カミカミ」だった・・・のだが・・・日常から非日常へそして最後は無免許運転の常習者の妙に二枚目ぶった日常の回帰へとキンコメ今野には明らかに神様が舞い降りていたいたのである。
1位人力舎、2位よしもと、3位松竹芸能というパランスなのだが・・・TKOに関しては・・・ま、いいかという感じである。
4位となったジャルジャルは「シュールな笑い」の中でも「ナンセンス系」と言えるパフォーマンスである。つまり、無意味なお笑いを狙っているので虚無的なのである。
ひたすら「奇妙な身体的な癖を見せ合う二人」だったり、ひたすら「バスを待つおばさんを呼ぶ生徒」だったり、日常を拒絶し続けるので非日常さえも存在しない異世界へ旅立っている。個人差もあるが常に自己満足の漂う方向性だと思う。
もちろん、そこにはアイディアもあるのだが・・・霊感と表現力のバランスがネタを生かしたり殺したりする神秘の世界なのである。
キンコメと同じ方向性にしずるがあったのだが・・・そういうバランスでもキンコメはかなり上回っていた。
もちろん・・・個人差はあると思うが・・・笑わせたものが勝つ非情の世界なのである。
で、『キングオブコント』を見た。
(個人差もありますが仮記事です)
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