演技について考えることと演じることの違いが分る男と涙(松本潤)
「頭でっかちだからダメ」というのは何なのかを考えることはある意味、頭でっかちな作業である。
考えようによっては「バカ」が「お利口さん」を蔑んで「頭でっかち」と言う場合がある。
しかし、実は「頭でっかち」とは「バカ」の遠まわしの言い方なのである。
つまり、「間違ったことを憶えている」とか「見当違いの推測をする」とか「的外れな予想をする」とか・・・そういう「バカの話」なのである。
「行動」が「意思の具現化」である以上、それは無数の選択肢の選択を決断していることなのだが、素晴らしい振る舞いには「来た球を打つ」という究極の選択がある。
そうなるとそれはもはや選択を感じさせない見事さなのである。
役者の場合は「来た役を演じる」・・・これ以上のことはないのである。
しかし、それが巧妙であったり、自然であったりすることは「表現力」という謎のシステムに強い影響を受けるのだ。
そもそも・・・誰もが「役者」ではなく、誰もが「演出家」ではないわけで・・・そういう「受け手」に分る「名演技」というのは実に困難なものであるといえる。
一体、人々は役者の何に喜びを感じるのだろうか。
それを考え始めると役者は眠れなくなり、不眠症になり、そして頭でっかちになっていくのだな。
恐ろしいことである。
松本潤はこの役を演じているのか・・・本当に頭でっかちの役者なのか・・・微妙なときがあり、それは凄い演技力なのかもしれない。
竹内結子はかわいい女を演じているが、ちょっといやな感じがすることもあり、そういう演技なのであれば素晴らしいことだと思う。
それとドラマ全体の仕上がりは全く別のことだとも思う。・・・残念なことに。
で、『夏の恋は虹色に輝く』を見た。
(仮記事というものは考えるまでもなく仮の存在です)
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