お龍と同伴にて京都を出立し馬関海峡を渡り薩摩に下らんとす(坂本龍馬)
龍馬とお龍の結婚がいつなのかは諸説あるわけだが、乙女あての手紙などから妄想を膨らませれば元治元年(1864年)には祝言をあげていたという説もあるが、慶応三年(1867年)の龍馬暗殺まで現代的な意味での婚姻関係はなかったと考えることもできる。
だから、長州と江戸幕府との戦争の前に幕府公儀隠密からの指名手配を逃れて九州に逃れた龍馬が寄り道した長崎でお龍を亀山社中の同士に内縁の妻としてお披露目したという今回の設定には何の問題もないのである。念のため・・・。
港々に女ありの龍馬であるが・・・いつも現地で調達できるとは限らないので・・・愛人同伴にしました・・・ということが真相だと妄想できます。
もちろん・・・お龍が類まれな美人であったことは相当に感じられるのである。
そもそも、土佐の国の郷士の次男坊なので山城の国の町人(医師)の娘と結婚することは当時の意味合いでの縁組とは程遠い色恋沙汰なのである。
なにしろ・・・坂本龍馬は幕藩体制においては明日をも知れぬやさぐれたテロリストなのである。
そんな人間にともに白髪が生えるまでの結婚生活を期待するのは無理なのである。
「一緒に死んでくれ」と情死を約した心中結婚のようなものだとキッドは妄想するのです。
で、『龍馬伝』を見た。
(かりそめの結婚は仮祝言、そしてこれは仮記事です)
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