ハムレットを知っているのか知らないのかどうでもいいのかそれが問題だ(松本潤)
「生きるべきか死ぬべきか・・・それが問題だ」という日本語訳がシェイクスピアの戯曲「ハムレット」のセリフであることは常識と言える。
常識とは誰もが知っていることだが・・・非常識の人もいるので「ハムレット」を知らない人がいるから常識とは言えないのではないかという疑問はあまり問題ではないのである。
しかし・・・幼い子供とか、芝居なんかみたら目が腐ると考えている現実主義者とか・・・そういう人は常識人より多いかも知れない。
このドラマのなんとなく不親切なことは「ハムレット」について知らない人にはやさしく案内しないという点からもあきらかだろう。
そういう不親切さは作品全体を覆いつくし・・・漠然とつまらない感じをかもし出すものだ。
たとえばキッドは中学生の時に図書館にあったシェイクスピアはすべて読んだが、それはクラスではキッドだけだったと思う。
もちろん・・・小学生の時に読んだ人もいれば、高校生で読んだ人、大学生で読んだ人、社会人になってから読んだ人もいるだろう。そうなると40人のクラスの中でそうしたかもしれない人は多くて五人くらい思い浮かぶ。
そうすると世の中の1/8くらいの人がシェイクスピアを全部読んでいることになり・・・それはちょっと大目な感じがする。「ハムレット」だけを読んでいる人や、「ハムレット」だけを読んでいない人のことなどを考える。
さらには松本潤と竹内結子の恋愛ドラマを見ようと思う人と「ハムレット」の相性を考える。
ハム太郎の方が相性がいい気がするわけである。
もちろん、このドラマは松本潤をアイドルとして楽しみたい、小学生やその母親世代のためのドラマでもあるわけである。
そういうことを考えて「ハムレット」についてどこまでドラマの中で説明するかはまあ・・・「説明するべきかしないべきか・・・どうしよう?」的問題です。
その点をじっくり書きたいけど仮記事なのでそれはかなわないのである。
だから、ハムレット王子の人生の顛末を改行なしでダイジェストしておく。
ハムレットは父親の王様を王様の弟によって毒殺されるがあろうことかその叔父はハムレットの母親と再婚して新しい王様になってしまうので真相を知ったハムレットは復讐を誓うのだが間違って大臣を殺してしまいその娘のオフィーリアは発狂して溺れ死ぬのでオフィーリアの兄の大臣の息子はハムレットに復讐を誓い新しい王様と結託してハムレットを暗殺しようとして毒薬と毒剣を用意するがハムレットの母親が毒を誤飲して死んでしまいハムレットはオフィーリアの兄と新しい王様を殺すが自らも毒剣による死を迎えるのである。
つまり・・・みんな死んじゃう話だ。
そんなもの・・・小学生の女の子が見て面白いかどうかには・・・もちろん個人差があるわけである。
「為すべきか為さざるべきか」・・・決断に迷う人々はすべてハムレットと言えます。
で、『夏の恋は虹色に輝く』を見た。
(仮であろうがなかろうが語りたいのは伝えたいことがあるからでございましょうと申し上げつつ仮記事です)
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