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2010年9月22日 (水)

誰かと誰かがキスをしているときそこにいない誰か(森山未來)

「ハムレット」では兄を弟が殺すわけだが「カインとアベル」では兄が弟を殺す。海彦山彦もサンダとガイラも喧嘩します。

戦略的互恵関係にあるはずの親友同士もたちまち憎しみ合うわけである。

すべての物事は明確でないのが前提である。

キッドは「きちっとする」という言葉を言う人間も「きちっと」と言う言葉も非常に怪しく感じるわけである。

世の中というものは「きちっとしない」ものだからである。

昔は「公認のカップル」という言葉があって・・・ま、今もあるかもしれませんが・・・そのカップルに割り込む何者かは背徳的であるという前提があったわけである。

「俺の女に手をだすな」とか「この泥棒猫」とかはそういう前提から発生する悪態なのである。

しかし、国に婚姻届を提出した後で「私はあなたの所有物じゃない」と妻が宣言する場合もあり、男女雇用機会均等法の世界は実にきちっとしていないわけである。

その初歩の初歩に「あの人が好きだ宣言」がある。

好きな相手本人に告白していないのに・・・周囲に「自分が好きな女なので・・・そのことをなんとなくわかってください・・・できれば手をだしたりしないで・・・」と臆病な男が張る消極的防衛線である。

しかし、そんなせつないとはいえみすぼらしい願いは聞き遂げられないのが普通である。

お年頃のいい女がいればお年頃のいい男がいてあはんなのである。

そして・・・そういうことについてシークレットな友人とオープンな友人がいたりして個人差があります。

やりまくる男とまったくやれない男がいるのはそのためです。

そんなことをきちっと説明する必要はありませんが・・・念のため。

「尖閣諸島は・・・日本固有の領土なので・・・領土問題は存在しない・・・」などと言っている間に「海洋資源は誰のものでもないし基本的に世界は中国のものだ」というやりまくる国家はどんどんやるわけである。

小さなブタは大きなブタに逆らわず与えられた出の悪い乳首を縄張りとするのはブタの戦略である。

乳首を争って得るメリットと争って失うデメリットをブタでさえ考える。

だから・・・争うことに利はない・・・と賢者は考える。

しかし、時には賢者の胸に剣がささり、利どころかすべてを失うことがあるのがこの世というものなのである。

疑心暗鬼はけして悪徳ではないのである。備えあれば憂いなしの前提なのだ。

漁船に化けた中国工作船が自爆テロを始める前に憲法九条を改正しいつでも臨戦態勢というカードを入手することはきちっとしていようがしてまいが絶対に選択肢のひとつなのである。

ま、「ひーっ」って言いたいなら平和を祈り続けるのも生き方だけどな。

で、『モテキ』を見た。

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(憲法だって実は仮憲法だと思うのでこの記事も仮記事です)

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