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2011年4月 8日 (金)

ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマ(キッド)

原発事故という意味ではスリーマイル、チェルノブイリ、そしてフクシマかもしれないが、大規模放射能汚染都市ということではもはやフクシマはヒロシマやナガサキと同じように特別な場所になったと言えるだろう。

事故から四週間近くたってようやく新聞報道されたその日のシーベルトがあの日の広島爆心地周辺のシーベルトと肩を並べている以上、それは過言ではないのである。

しかし、それにしてもあまりにもおたおたしすぎである。

もちろん、フクシマじゃなくて双葉町と大熊町だというツッコミは受け入れます。

ついでにコメントのお返しも達成していないのに仮記事更新している仁義なき振る舞いをお詫びしておきます。

なぜか、テレビでは語られない最悪の事態の予測と今後の展望にイライラしている人は多いだろうが、公共放送は与党様のものだし、民放各局にとって東京電力はオール電化の大スポンサー様でそれはすなわち神様なのでご了承ください。

いくつかはっきりしていることがある。

福島第一原子力発電所の1~3号炉には「チェルノブイリ原発をはるかに上回る放射能が存在」していること。

その放射能の何割かはすでに「格納容器の中で放射線を撒き散らしている」ということ。

そして「格納容器からは制御不能の放射能が漏洩している」ということである。

広島爆心地(当時)の放射線量はガンマ線だけでざっと100シーベルトである。

3月14日、3号炉は格納炉内で167シーベルトを記録しているのである。

ちなみに単位を変えてみると16万7千ミリシーベルトであり、さらにいえば1億6千7百万マイクロシーベルトなのである。

そして絶対に破損しないはずの格納容器から超高濃度の放射能汚染水が貧乏長屋の雨の日の天井なみに駄々漏れなのである。・・・安普請かっ。

とにかく、そういう状況であるから米国はレベル6にしたがっているし、ロシアはレベル7から手招きしているのである。

だからなにはともあれ、フクシマ周辺に背筋も凍る放射能が渦巻いていることはけして大袈裟な表現ではないのである。

だが・・・あえて言えばだからなんだということなのである。

広島にも長崎にも人が住んでいる。

だから近い将来、福島にも人が住むだろう。

ただし、ヒロシマやナガサキがある意味特別で聖なる場所になったようにフクシマも特別で聖なる場所になったのである。

花が咲き、各局のコメンテーターたちは自粛ムードの自粛をさりげなくアピールするわけである。もちろん、最初からとりあえずナイターを自粛するべきではないと言っている・・・というか、隙あればナイターを主張する日テレは別としても、各局ともにやりたいイベントがあるわけで背に腹は変えられないという意味で「慎んでいればいいというものではない」という主張になるわけである。

そういう流れで誰とは言わないがそれぞれのキャスターが「花見で馬鹿騒ぎしている場合か」と言った都知事を腐すわけである。

しかし、あの発言には前段がある。

東京のローカルU局を見ていればわかることだが・・・あの発言は原発帰りの東京消防庁をねぎらった後の発言なのである。

暗闇の中、男たちは一刻を争う冷却のための放水作業にとりくんでいる。

原子炉建屋ではヒロシマと同じ放射能が渦巻いている。

とにかくなんとしてでもこれ以上の高熱化は阻止しなければならない。

現場には一人に一台の線量計さえないし、役人も東京電力の役員も安全圏に退避している。

「ここに線量計を集めろ」

「車外、100ミリシーベルト」

「退避、退避」

こんな状況で最悪の事態を回避させた男たちの帰還を迎えた彼は泣きながら「ありがとう」と労った。

その後で「都民は盛大に花見を楽しんでくれればいい」とは言えないではないか。

夜の遊びも欠かさないと言われる某みのもんた氏も自衛隊の被災者救援シーンを語りながら、「自分たちは風呂に入らずに被災者を入浴させ、自分たちは冷や飯を食べながら被災者に暖かい炊き出しをあたえる・・・」と嗚咽で言葉を飲んだ。

やはり人生は浪花節だ。

生きていれば災厄は必ず訪れる。

その中で美しく生きるのも人間、その美しさを感じるのも人間である。

しかし、いにしえのパニック映画で火山が噴火して溶岩がそこまで迫っているのに金銀財宝を取りに戻った強欲なものが業火に焼け焦げるように醜さをさらけ出させるのも災厄の醍醐味である。

隣国の悲劇を「日本沈没」などと揶揄したり、弱みに付け込んで領海侵犯したりする下種な国家をそれぞれの国民は恥ずかしいと感じてもらいたいものだな。

まあ、なんの科学的根拠もないが・・・宮崎県に災厄を続けさせたそのまんまの人が東で立候補しただけでこの大災厄である・・・もしも当選したりすると・・・どんなことになるか・・・今、ふと思うわけだが・・・けして選挙妨害をしていませんし、構成作家として関係した「ドクター中松の頭の良くなるテレビ」とも無関係です・・・念のため。

ようやく処理した瓦礫の山がまた崩壊する余震の夜の仮記事のために実にとりとめないキッドのブログである。

最後にもっと真摯に事態にとりくむ天使テンメイ様の半減期に関する記事を推奨しておきたい。

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